8.元神童、フリーの冒険者を目指す
などと熱い誓いを立ててから一週間――
俺は家でゴロゴロしていた。
いやー、ほらさ、頑張る成分ガンバリンがないからさ、そう連続して頑張れないんだよね。ここで元気に動き回れるのなら、2年間もニートしていないわけで。
俺は充電期間に突入した。
そうしたら、にこにこ笑顔の妹アリサに両肩をつかまれた。
「お兄ちゃん? わたしの感動を返してくれるかな? そろそろ動き出してもいいんじゃないかな?」
妹の両手から、怒りの圧が伝わってくる。
生殺与奪の権を握られかけた俺は自立のための2歩目を強制的に歩むこととなった。
「じゅ、充電は終わった、かな……?」
「フリーの冒険者になるんでしょ? 終わるまでは敷居をまたいじゃダメよ」
プチ追放宣言をされて、俺は家から追い出された。
追い出す前にアリサは俺にこんなことを言った。
「あのさ、冒険者ギルドに行く前に髪でも切っていけば? もっさりして第一印象が悪いよ」
……確かに。
ニートである俺は外見に気を使わない――使う必要がないからだ。そのため髪も伸ばしっぱなしで、たまに自分で雑に切っておしまい。そんな感じなので襟足は肩まで雑草のように伸び放題で、前髪は目にかぶるほど長い。
ふむ、人生の再起! という感じだし、身だしなみを整えるのはいいことかもな。
「わかった、散髪に行ってくるよ」
そんなわけで俺はまず散髪屋に向かった。
そこでバッサリと髪を切ってもらう。
俺の黒い髪がみるみる面積を減らしていく。首筋は涼やかになり、ちらちらと視界に入っていた前髪はきれいさっぱり消えた。
いわゆる、普通の男性がしている短い髪型だ。
鏡の向こう側には、とても俺とは思えない――いや、言い過ぎた。ぶっちゃけ、ただの俺がいた。少しだけ感傷的に表現するなら『2年前の俺』か。
学生時代は清潔感の漂う短髪だったからな……。
「いやー、さっぱりしたね、お兄さん!」
髪を切ってくれた中年の男性が口を開く。
「ここまで切っちゃうと、同じ人だと思えないね!」
あながち言い過ぎとも思えなかった。『黒竜の牙』の選考試験で俺を見た受験者たちが今の俺を見ても同一人物だとは思えないだろう。
……まあ、あの試験では悪目立ちしたからな……変な先入観を持たれても困る。これでリセットできたのは好都合だな。
そんなわけで、イメージチェンジを終えた俺は冒険者ギルドへと向かった。
冒険者ギルドとは、冒険者の活動全般をサポートしてくれる組織である。討伐や護衛のような仕事を冒険者に斡旋してくれたり、採取した薬草など素材の買取をしてくれたりする。
ちなみに、クランとは別物だ。
クランとは一部の冒険者たちが勝手に集まってできた寄り合い所帯。所属しているメンバーで助け合って効率よく仕事をこなすことを目的とする。一方、ギルドは全冒険者のサポートを目的とした機関であり、公的なサービスの意味合いが強い。
そんなわけで、冒険者になるには冒険者ギルドで手続きが必要なのだ。
冒険者ギルドの1階はラウンジになっていて、たくさんの冒険者たちが集まっている。あいかわらず俺の装備は布の服だけなので実に浮く。
俺はすたすたと奥にあるカウンターへと近づいた。
「すまない」
「はい、なんでしょう?」
話しかけると、受付嬢が応対してくれた。
「冒険者になりたいんだが、どうすればいい?」
「ご登録ですね、かしこまりました! こちらの説明事項をよくお読みになって、申請書類に必要事項をご記入ください!」
ばさりと一式の書類を渡された。
俺は近くのテーブルへと移動して書類に目を通していく。
……冒険者はF、E、D、C、B、A、Sのランクがある。このランクを上げていくことでギルドで受注できるクエストが増えていく。
最初はFからに思えるが――まずは無印、仮登録からだそうだ。
仮登録で簡単なクエストをいくつかこなし、その上で登録料として5万ゴルドを払うと晴れてギルド公認の冒険者になれる。
5万ゴルド! お金がいるのか……。
ニートなのであまり余裕はないのだが……最悪この辺はアリサに相談するしかないか……。
次に申請書類。
名前や年齢、性別は別にいいのだが――
……また職業欄があるな……。さすがにもう学んだ。ここはニートと書くのではなく、戦士だの魔術師だのを書く。だけど、俺の職業ってなんなんだろう。
俺は職業欄だけを空白にして他を埋めた。
最後に誓約書。
……簡単にまとめると『死んでも文句を言いません!』と書いてある。
死んだときに文句を言われないため――ではなくて、おそらく『命の危険がある仕事だよ? 自覚あるよね?』と念を押すための書類だろう。
俺はすらすらと署名した。
書いた書類を持って再び受付嬢のもとへと向かう。
「いくつか確認したいことがあるんだが」
「なんでしょう?」
「職業には何を書けばいい?」
「冒険者として、ご自分の専門性が発揮できるものなら。剣技や魔術など何かしら励まれていたものはありますか?」
うーむ……学生時代くらいしかやっていないな。
剣技も魔術も学生ではナンバー1だったが……しょせんは学生時代の栄光。それをここで口にするのは違うだろう。半笑いで「学生時代の成績を口にされても……」と言われるのがオチだ。
「うーん、剣技も魔術もかじったくらいだな……冒険者になるのは難しいのかな?」
「いえ、大丈夫ですよ。……来るものは拒まず的な業界ですからね。ただ、こちらだけご留意ください」
そう言って、受付嬢が手を差し向けたのは『死んでも文句言いません』と書いてある誓約書だ。
「ああ、理解している」
「でしたら、とりあえず『戦士』と書かれてはいかがですか?」
「戦士か……。わかった」
俺は言われたとおり『戦士』と書いた。
そのときだった。
「おいおい! やめてくれよな、無特技が戦士を名乗るなんてよ!」
背後から突然の、嘲笑混じりの大声。
振り返ると、アルコールで顔を赤くした中年の男が立っていた。腰に剣を差しているだけだが、これぞ戦士という様子の鍛えた体つきだ。
「いいか、坊主? お前みたいな特技のないガキに戦士と名乗られるのは迷惑なんだよ! 邪魔だから家に帰って普通の仕事でもやってろ!」
「そう言われてもな。俺には冒険者になるしか道がないんだ」
好きなときに働ける冒険者くらいしか俺にはできない!
戦士の顔が不快げに歪む。
「迷惑だってのがわからねーんならよ、身体でわからせてやろうか、あ?」
「待ってください! 新人さんへの圧迫はやめてください!」
「おいおい、俺は冒険者の危険性を教えてやろうって言ってるんだよ。俺ごときに凄まれてビビるやつに務まると思っているのか?」
「……そ、それは……」
「ここでほったらかしにして死なれたら寝覚めが悪いじゃねーか。俺が先輩冒険者としての気構えを教えてやろうって言ってるんだよ」
こぶしをバキバキと鳴らして男が言う。
……この男が本当に俺に教訓を与えたいだけなのか、単にうさばらししたいだけなのかは不明だが――
「そうだな、なら、その気構えとやらを教えてくれないか?」
「そうこなくっちゃ!」
笑う男に対し、受付嬢が慌てた声で俺に話しかける。
「ダ、ダメですよ、その人は中級の冒険者さんですから! そんな挑発するようなことは――」
俺は受付嬢の言葉を無視して男をじっと見た。
この男で中級か。であれば一定の経験を積んでいるのだろう。むしろ都合がいい。経験を積んだ冒険者の強さを知るいい機会だ。
学生時代に学生剣聖、学生賢者と呼ばれて成績は圧倒的1位だった――その事実に現実を突きつける必要がある。ほら、お前ごときの力では中級ですら遠いのだぞと。俺は俺の心にある鼻っ柱をへし折るべきだ。
俺ごときに勝ち目はないだろうが――
せめて善戦はしてみせよう。
「覚悟のほどは一丁前だな! なら、一発で終わらせてやるぜ!」
言うなり、いきなり男が殴りかかってきた。
その太い豪腕が空気を粉砕して――
粉砕して?
……いや、これは粉砕していないだろう。そんな迫力のあるこぶしではないが……まあ、いい。
俺は両手を交差させてガードした。かわしてもいいが――とりあえず強さを感じてみたい。中級冒険者という、はるか高みに存在する男のこぶしを。
ごっ!
音がした。
「はっ! 俺のパンチを防ぐとはいい反射神経じゃねーか! だが、ガードした腕は無事じゃねーだろ!?」
無事だが?
何を言っているのかよくわからないが、ともかく俺のダメージはゼロだ。
「いつまで我慢できるかな!?」
男はガードする俺の両腕に何度もこぶしを叩きつけてくる。
「ひゃっはー! おらおら! 声も出せないか!?」
確かに声は出せなかった。混乱していた。
……これが中級冒険者の本気なのだろうか? そんなはずはないと思うが……。俺が雑魚だと思って手を抜いているのだろうか。おまけに酔っ払っているしな。
……本気を出してもらいたんだが……。少し牽制してみるか。
「ふん」
俺は男の腹へとこぶしを叩き込んだ。
「ごっふぉあ!?」
男の身体がくの字に折れ曲がり、その足が床から浮く。男の身体はそのまま力を失い、大きな音を立てて床に落ちた。
おや? 軽く叩いただけだったんだが……。
しん、とした空気がギルドに広がっていた。俺たちの騒ぎを眺めていた他の冒険者たちが驚いた顔で絶句している。
受付嬢の震えるような声が耳に届いた。
「……そ、そんな、中級冒険者を、初心者が一撃で……?」
ん? 俺、なんかやっちゃいました?