51.元神童、不死者イー・チェルニと出会う
「ひ、ひゃあああああああああ!? イイイ、イルヴィスさん!?」
フィオナの悲鳴が響き渡った。
彼女の持っている赤い宝石――その瞳のような部分の直上に赤黒い球が現れていた。それは境界が曖昧で、形状も揺らぎ、不安定な代物だった。だが、確かにそこに現れようとしていた。何かが押し広げられるかのような、ギギギという耳障りな音が耳につく。
最初は子供のこぶしほどの大きさだった赤黒い球は刻々と膨張していく。大人のこぶしほどの大きさに、メロンほどの大きさに――
その球体から、ぞるりと何かが伸びてきた。
腕だ――
肉のついていない、骨の腕。
「ひっ!」
フィオナは悲鳴をあげると、後ろによろけて尻餅をつく。
俺は一足飛びにフィオナへと近づいた。その小柄な身体を抱え上げ、空気中に足場を作る魔術エア・ラダーを発動、近場にある高い木の上へと一気に上り、太い枝の上に着地する。
「な、何が、お、起こっているんですか……?」
俺は答えを持たなかった。
俺にも理解できない何かが、起ころうとしている。
赤黒い球体はすでに家くらいの大きさになっていた。もう大きくはならないようだが――
そこからぞろぞろと何かが湧き出てきた。
それは命なきものの群れだった。
スケルトンやゾンビ、ゴーストが這い出してくる。それは本当に、命なきものの洪水という感じで、あっという間に眼下の景色が埋め尽くされていく。
「な、なんかやばい感じじゃないですかね、これ?」
「そうですね」
とりあえず、やるべきことはやっておこう。
「エンチャント――『聖刃』」
俺の短剣に白い輝きが灯る。名前の通り、アンデッドへの攻撃力を増幅してくれるのだ。
さて、どうしようかと考えていると――
「おい、お前! 俺たちも手伝うから、このロープをほどいてくれ!」
下から悲鳴のような声が聞こえてきた。
木に縛り付けていた、俺たちを襲ってきた5人組の声だ。彼らにも亡者の群れが向かっている。あともう少しでなす術もなく呑まれるところだった。
これは悪いことをしたな。
俺は指をパチンと弾いた。
俺が魔力で作っていたロープは空気に溶けるようにしてかき消えた。
「よっしゃ!」
男たちは近づいてくるゾンビやスケルトンをあっさりと蹴り倒した。どうやら、そこそこは鍛えているようで、一般的に弱いとされるモンスターくらいなら素手でも簡単に蹴散らせるらしい。
手伝ってくれるそうなので、これで多少の戦力――
などと俺が思っている間に、男たちは背中を向けると脱兎のごとく逃げ出した。
あああああああ!?
「あばよ! 俺たちは俺たちでなんとかするさ!」
そんなことを言って、男たちは闇の中へと消えていった。その背後を、足の速い獣系のゾンビやゴーストたちが追いかけていく。
……逃げ切れるんだろうか。
まあ、彼らが選んだ道だ。俺にはなんとも言えない。
「逃げていっちゃいましたね……」
「すみません、口車に乗ってしまいました」
……まあ、何も言わなくてもロープは解除していただろうが。あそこで縛り付けたままゾンビにかじられると後味が悪い。
「!? 伏せて!」
言うなり、俺はフィオナの頭を押し下げた。短剣を振るう。向こう側から迫っていたゴーストを一撃で切り捨てる。
安心する暇もなく、木の揺れを感じた。下に視線を向けるとゾンビたちが木をよじ上り始めている。
……やれやれ。タゲられてしまったか……。
「あの、イルヴィスさん、こ、これ……何かの役に立ちますかね?」
そう言って、フィオナが差し出したのは赤い宝石だった。もうさっきのような光は放っておらず、普通の状態に戻っている。
「……そうですね」
正直、それをどう使えばいいのかビジョンは何も思いつかなかったが、とりあえず、俺はフィオナからそれを受け取った。何が鍵になるかはわからないのだから。
「すみません、フィオナさん。ちょっと、失礼な感じになりますけど、許してください」
「え、なな、なんのこと――わひいいいいいいい!?」
俺はフィオナを左肩に抱え上げた。フィオナはまるでタオルのように、俺の左肩にかかっている。
「ななな、何するんですか、イルヴィスさん!?」
俺の後ろから抗議の声が聞こえた。
「すみません、戦うためには片手を開けていないとダメで――その状態でフィオナさんを抱えるとなると、こうなってしまうんです」
「う、うう、ううう……だ、大丈夫です! 理解しました!」
そんなやりとりをしていると、空を飛んできてゴーストや、鳥型のスケルトンが俺たちに襲いかかってきた。
短剣を縦横に振るい、そいつらを切り飛ばす。
木をよじ登ってくるゾンビたちももうすぐそこまで迫っていた。
俺は短剣を木に突き刺し、右手を下へと向けた。
「マジックスピア」
声と同時、白い槍が俺の手から放たれる。木をよじ登っていたゾンビたちが一瞬で吹き飛んだ。だが、それで終わるはずもない。また次から次へと新しいゾンビたちが木に近づいてくる。
やれやれ……キリがないな。
あの赤黒い球体――男が『門』と言っていたが、あれをなんとかするしかないだろう。あそこからアンデッドがわいてくるのだから。
だが、どうすればいいんだ、あれ。
「マジックアロー」
俺の放った白い矢が球体に激突する――が、そのまますっと消えてしまった。
打ち消された? いや、違うな。飲み込まれた感じだ。……あれが異界との門だと言うのなら、確かにそれは正しい動きだろう。
はあ、と俺はため息をついた。
よし、決めた。
逃げよう。
あの門を閉ざす確実な方法がわからない。どうにも国家レベルの危機な気もする。生還して、状況を伝えることが大事だろう。
「これから派手に動きます。舌を噛まないように口を閉じていてください」
俺はそう言うと、ぴょんと枝から飛び降りた。
その足が重力に絡め取られるよりも早く、俺はエア・ラダーを発動。次々と透明の足場を蹴って空を走っていく。
これなら地面で渋滞しているアンデッドどもを無視できるので実に楽ちんだ。
「オオオアアアアアアアア!」
空を飛んでくるゴーストくらい――
斬!
切り捨てることなど雑作もない。
逃げるだけならそう難しくはない。とにかく急いでここを離れよう。
だが、俺のそんな考えは甘かったようだ。
――ん!?
いきなり、俺の足元が『すかっ』とからぶった。そんなはずはない。俺はエア・ラダーを展開していたはずなのに。
だが、そうはなっていなかった。
俺の身体は重力の鎖に引かれるままに下へ下へと落ちていく。そうはいかない! 俺はすぐにエラ・ラダーを再展開。再び空を駆けようとするが、やはりすぐに足場は消えてしまう。
何が起こっている!?
それでも一瞬だけなら足場として機能し、落下速度を軽減してくれる。せめて落下の衝撃だけでも軽減しなければ。
だが、それだけで解決はしない。
下には俺たちに手を伸ばす亡者の群れがいるのだから。
「邪魔だ!」
俺は真下に右手を差し向けて叫んだ。
「ワイド・エクスプロージョン!」
俺が指定した地点を中心に大爆発が起こった。広範囲を薙ぎ払う爆撃魔術――雑魚系のアンデッドくらいなら充分な威力だろう。
きれいさっぱり、空いた空間に俺は静かに着地した。
ふぅ……。
「どどど、どうしたんですか!? イルヴィスさん!? なんかすごい爆発しましたけど!?」
「ちょっと予定を変更しまして。でも、大丈夫ですよ。たいした問題は――」
ない、と言いかけたとき。
ぞわりと。
俺は背筋が凍りつくような嫌な感じを覚えた。その気配は赤い球体から伝わってくる。
ずっと、球体が揺れて、新たなる何かが這い出してきた。
それは全身が真っ白い巨人だった。大きさは5メートルほどだろうか。身体は人型だが、全身が真っ白でつるりとしている。顔はない。目も鼻も口も。頭の部分もまた、つるりとした球体だった。
どこから発声しているのかはわからないが――
謎生物が厳かな声でこう言った。
「面白い奴がいるな……この不死者イー・チェルニが相手してやろう」
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