41.元神童、オチをつける
その晩、帝都にある『黒竜の牙』本部では大きな晩餐会が開かれていた。
ブラドラ絵画大賞――最大のイベントである絵画オークションが無事に終わったのを祝うためだ。よって、参加者は『黒竜の牙』のメンバーばかりだ。
オルフレッドは実にご機嫌だった。
なぜなら、ブラドラ絵画大賞の受賞作をオークションにかけて大金を手に入れたからだ。無名の作家に『箔』を付けるだけで、ただの紙と塗料がとんでもない大金に変わる錬金術――
(笑いが止まらないな……!)
おまけに、もっとも高く売れた大賞作品は『作者不明』。おかげで作者への分け前も不要ですべてが『黒竜の牙』の収入となる。
(はははははははは! まあ、恨むな! 名乗りでなかったお前が悪いのだよ!)
オルフレッドが喉の奥で笑っていると、側近のひとりが近づいてきた。
「オルフレッドさま、開会の挨拶をお願いいたします」
「ああ、わかった」
オルフレッドはうなずくと、部屋の奥へと歩いていった。
奥の壁には落札されたばかりの大賞作品がガラスケースに入れられて展示されている。
あの『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』にしか見えない不気味な絵が3億ゴルドとは!
おまけに売却先は帝国最高の権威者――帝王ゾロス。
「オルフレッド! まことによいものを見つけてきてくれたな! 芸術の奇跡とは! 天才ソルタージュがそうまで呼ぶもの、王家が持たねば末代まで笑われるわ!」
破顔するゾロスの姿をオルフレッドは思い出す。
帝国の最高権力者に恩が売れたのは実によいことだ。
(すべては順調だな……!)
ヴァルニールの失敗で大変なことになっていたが、久しぶりによい流れを感じる。あとはこのまま心地よく飛び立ち、あの右肩上がりで飛ぶ鳥を落とす勢いを取り戻せばいい。
オルフレッドは『黒竜の牙』の面々に向き直った。
「諸君、今日はひとつのイベントが盛況のうちに終わりを迎えた。我々にふさわしい素晴らしい成果だ。だが、この程度――普通のことに喜びを得ているようでは帝都最大クランの名が泣こうというもの。成功とは最強たる我々に課せられた義務なのだ。今一度、クラン員は心を虚心坦懐に見つめ直し、何をすればこのクランに貢献できるかを考えてもらいたい」
喋っている間にオルフレッドは異変を覚えた。
ざわついているのだ。
いつもなら、オルフレッドが喋れば私語をするメンバーなどいない。直立不動で耳を傾けるだけだ。それが今日はどうだ。口々に意味のない言葉を漏らし、忙しなく視線を動かしている。
不快だった。
このオルフレッドの言葉を軽んじる態度が。
「お前た――」
恫喝の言葉を吐き出そうとしたとき、オルフレッドは彼らの視線の焦点が少し上、オルフレッドの背後を見ていることに気づいた。
(……なんだ?)
そう思ったオルフレッドは言葉を止めて振り返った。
メンバーの視線の先にあったのは大賞作。
見た瞬間――
「なっ!?」
驚きの声がオルフレッドの口から漏れた。
飾られていた絵画、そこに描かれている絵が『消えかけている』!
そう、それは確かに消えかけていた。全体的に色が薄まっていて、キャンバスの白地が透けてみえる。しかも、その薄まりようは時間とともに進行している。
このままでは――
(絵が完全に消えてしまう!)
オルフレッドの予期した通りに状況は展開した。まるで丁寧に汚れものを洗濯したかのように、絵画はきれいさっぱり消えて、真っ白なキャンバスだけが残ったのだ。
クラン員たちの動揺の声は、もうささやきのレベルを超えていた。
「おい、どういうことだ!?」
「絵が、絵が消えた!?」
「え、帝王さまに売り払ったけど、どうなるんだ!?」
悲鳴のような声が響いている。
オルフレッドもまた暴れ出す感情の渦に翻弄されていた。
「ソルタージュ! ソルタージュ! どういう状況だ!? 何が起こっている!?」
オルフレッドに呼び出された芸術の天才はキャンパスを眺めながら、ため息をついた。
「絵が消えた――そういうことでしょうな」
「なぜ消えたのだ!?」
「そういう魔術をインクに仕掛けていた、とかでしょうか……聞いたことありませんが」
「バカな! そんな魔術があったとして――絵画への細工は調べていなかったのか!?」
「もちろん、調べております。ですが、誰ひとり気づけなかった、そういうことです」
オルフレッドはその言葉の重さを理解していた。
大賞受賞作なのだ。念には念を入れて調べているはずで、『黒竜の牙』でも優秀な要員たちが担当しているはず。
それでも気づけなかったのだ。
ソルタージュはため息をついた。
「かなり高度な妨害魔術が仕掛けられていた――そう考えるのが妥当でしょうな」
何者だ、そいつは!
と思ったが、それ以上に無視できない大きな問題があった。
「……絵が消えてしまったが、帝王ゾロスさまとの取引はどうなる」
「もちろん、キャンセルでしょうな」
「……約束した商品が用立てられなかった場合の、こちらからの一方的なキャンセルには賠償金が発生したと思うが、間違いないか?」
「はい」
淡々とした口調でソルタージュは続けた。
「落札額の2倍を先方に支払う必要があります」
「2倍――!」
6億ゴルドのマイナス。3億の儲けを失ったのを考慮すれば、総額9億の損失だ。
オルフレッドは背筋に冷たいものを感じた。
オルフレッドは帝王ゾロスと長い付き合いの顔見知りである。だからこそ知っている。ゾロスもまた、オルフレッド同様、情でものを考えるタイプではない。知り合いであろうとなんだろうと要求する必要があれば要求し、詰める必要があれば詰める。
この損失を逃れる術はない――
なぜ! なぜ! なぜ! なぜ! なぜ!
心の中で渦巻く疑問を感じながら、オルフレッドは真っ白になってしまった大賞受賞作へと目を向けた。だが、それはどれだけ眺めても白いままで、少し前までの『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の面影はどこにもない。
完全に――
消えたのだ。
「う、う、う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
オルフレッドの絶叫が部屋中にこだました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あの絵のタイトルはさ、『空白』って言うんだよね」
俺の言葉に、アリサが首を傾げた。
「『空白』?」
「ああ、実はね、あの絵は時間が経つと消えるんだよ」
「は!?」
アリサが驚きの声を漏らした。
「なんで!?」
「なんでって言われてもな……絵の具にそういう魔力を込めたからなんだよな」
指定した時間が経つと消えて無くなる魔術を。
……どうしてそんなことをしたのか?
答えは単純で、単に暇だったから。何度も言っているが、俺は絵を描くことに興味がない。よって、暇だったので、そういう遊びをしていたのだ。
「ふぅん」
アリサがじとりと俺を見る。
「で、その魔術が解けるのはいつなの?」
「うーん……今日くらいかなー」
「そうなんだ」
……まあ、俺の絵じゃないと思うので心配しなくていいと思うけど。
万が一、俺の絵だったらちょっと胸が痛むな。
でも、どうだろう……、もし俺の絵だとしたら、製作者である俺に連絡を取らずに勝手に販売しているわけだから、文句を言われてもなあ……。一言くれていれば、俺だってそんな魔術は解除していたわけで。
いやいや、製作者不明の絵画を勝手にオークションにかけるなんてやるはずがないよな。
うんうん、やるはずがない。
てことは、やっぱりあれは俺の描いた絵じゃない。
「ま、俺の絵じゃないから、気にしなくていいよ」
そんな感じで、この件は俺たちの頭から消えていったのだった。




