37.謎の人物が描いた絵、大賞をとってしまう
「こ、これは!? すす、すごいぞ! 芸術だ! ここに芸術の奇跡がある!」
天才的な芸術家ソルタージュの絶叫に、会場にいる全員が振り返った。
ソルタージュはとんでもなく厳しい審美眼で知られる。彼が他者の芸術作品を褒めることは滅多にない。そのソルタージュが『芸術の奇跡』と評すとは!?
まさに驚天動地の出来事だった。
ソルタージュはオルフレッドに目を向ける。
「オルフレッドさまもそう思われますよね!? オルフレッドさまならば、この奇跡を理解できますよね!?」
……この『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の絵が?
オルフレッドはそう思ったが、もちろん、そんなこと、ちらりとも外に出さない。深くゆっくりとうなずき、こう言った。
「もちろんだ、ソルタージュよ。これはまさに――芸術の奇跡だ」
「さすが! オルフレッドさまならわかっていただけると思いました!」
ソルタージュが満面の笑みを浮かべてオルフレッドを見ている。
(……さっぱり理解できん)
オルフレッドは内心でそう思っていたが。
だが、帝都最高の芸術家には響くものがあるのだろう。ならば、それを否定する必要もない。オルフレッドは剣聖にして賢者だが、芸術家ではないのだから。
審査員の一人がやってきて絵画を眺める。見るなり、眉間にシワが寄った。
「……こ、これは……、どうなんでしょうか、ソルタージュさま。奇跡、ですか? わ、私には理解できません。そもそも、これは何を描いているのでしょうか? 『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』にしか見えないのですが――」
「あなたは何もわかっていない!」
審査員の言葉をぴしゃりとソルタージュは遮った。
「何が描かれているのかなんて関係などない! 芸術家のなすべきことは『表現』! 己の存在や情念を、モチーフを通して、このキャンパスに焼き付けること! あなたは感じないのか、この絵から立ち上る圧倒的なエモーションを!? 人類が脈々と築いてきた芸術史、そのものに匹敵する――いや、それすらをはるかに凌駕する膨大なパッションを!?」
ものすごい早口でソルタージュがまくし立てる。
「……え、いや、その――」
どもる審査員にソルタージュがさらに言葉を重ねる。
「なぜ即答できない!? あなたは美術に人生を捧げてきたのではないのか!? これほどの特異点を見て――なぜ何も感じない!? これほどの光を!? 太陽を見てまぶしさに気づかないのと同じだろう!?」
しん、と会場が静まっている。
彼らの表情に賛同がないのは明らかだった。絵を眺める彼らの目には、異質なものを見る――薄気味悪いものを見る感情だけがあった。
いらだったソルタージュの目が、そんなオルフレッドに向く。
「オルフレッドさまなら、わかりますよね!? この絵の素晴らしさが!?」
オルフレッドは動揺しない。
ただ静かにうなずき、こう続けた。
「もちろんだ、これほど素晴らしい絵を私は見たことがない。まるで宝石――ソルタージュ、お前の言う芸術の奇跡を私も見たよ」
オルフレッドの言葉は重かった。
天才ソルタージュの言葉に続き、帝都の英雄オルフレッドまでが認めてしまった。明らかに審査員たちの態度が軟化していた。
……これを理解できないのは、自分たちに問題があるのでは?
そう思い始めている様子だった。
「確かに……言われてみれば過去の芸術史に挑むような挑戦的な作風ですな」
「何か、この世ならざるものを表現したい――そんな作者の信念を感じます」
「……ううむ……言われてみれば、この絵の深さは恐ろしい。表層だけを見て判断するところだった、いやはや、まだまだ美術を見る目が甘いな……」
全員、熱心な目で『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の絵を見ていた。口々にソルタージュの見識を褒め始めている。
「ふぅむ……ようやく皆さま、わかってくれたようですね」
満足げな様子でソルタージュがうなずく。
「私は本作品に大賞を贈りたいと思います。皆さまはどうですか? 反対の人は挙手を」
もちろん、誰も手をあげない。
隣同士で顔を見合わせながら、それも当然だな、という感じでうなずいている。
「オルフレッドさまも異論はありませんよね?」
「ない」
オルフレッドはうなずいた。
同時、ソルタージュが両手を絵に向けて、高らかに叫んだ。
「それでは、本作を『第14回ブラドラ絵画大賞』の大賞作とします!」
おおおおおおおお! と審査員たちの声が響き、ぱちぱちぱちぱちと手を叩く音が会場を包んだ。
その音に包まれながら、ソルタージュは興奮気味の顔をオルフレッドに向けた。
「オルフレッドさま! やりましたよ! 我々は務めを果たしました! 才能を見つけ出したのです! 今後の美術史に、永久に名を刻むであろう才能を! 今晩は実に素晴らしい日です!」
「ああ、そうだな」
うん、とオルフレッドはうなずいた。
こうして大賞作が決まったのだが、ひとつ問題があった。
――その大賞作には連絡先がなかったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その晩、ブラドラ絵画教室は『ブラドラ絵画大賞』の準備で多忙を極めていた。
もともと絵画教室の片付けをしていて――その後、イルヴィスの絵画を放り出して手伝いに駆り出された女性スタッフも例外ではない。
なので、あまりにも忙しすぎてイルヴィスの絵画の存在をすっかり忘れていた。
それを思い出したのは、翌朝、家で目を覚ましたときだった。
(……あ、片付けないと……)
朝の支度を済ませて女性スタッフが出勤する。
絵画を置いた場所に向かうと、不思議なことに絵画が消えていた。
(あれ? ……誰かが片付けてくれたのかな?)
それはそれでも別にいいのだが。
残念ながら、そうではなかった。
「大賞作が決まったんだってさ!」
同僚に誘われるままに、大賞作品を見にいって、女性スタッフは固まった。
(アイエエエエ!? タイショウ!? タイショウナンデ!?)
頭の中が完全に爆発した。
大賞作として飾られている作品は、どう見ても彼女が破棄しようとした『おどろおどろしく描かれた柳の木に張り付けられたタコの惨殺死体』の絵だった。
隣の同僚が笑う。
「あれが大賞ねえ……わからないなー」
「そ、そうね……」
心苦しさを覚えた女性スタッフは上司に相談した。
上司は真っ青な顔でこう返す。
「その話が事実だとすると、その、審査のやり直しになるが――」
「……現実的に無理だと思います。審査員は多忙な芸術界の名士ばかりですから」
大賞審査のセッティングは何ヶ月も前から進めていたのだ。もう一度となると、それなりの日にちが必要になる。
ブラドラ大賞のスケジュールも受賞作を決定して終わりではない。受賞作のオークションまで綿密に組み立てられている。やり直している時間などあるはずもない。
おまけに――オルフレッドだ。
あの仕事に厳しいオルフレッドがこの事実を知れば激怒するだろう。どんな結果になるのか、あまり想像したくもない。
上司はしばらく考えた後、こう言った。
「ま、まあ……、その、厳正な審査を経たもので、審査自体に不正はなかったのだから、別にいいんじゃないかな……」
少なくともソルタージュが大賞を与えた以上、それにはそれなりの価値があると認められたのだろう。ならば、あの作品には正しくそれだけの価値がある、ということだ。
女性スタッフにはさっぱり理解できないけれど。
「……そうですね」
そんなわけで、あの作品に関する諸々は『なかったこと』となった。
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