34.元神童、無自覚なままに『黒竜の牙』をねじ伏せる
豪雨に打たれながら、俺は、ふぅとため息をついた。この雨量なら、大火事でもなんとか消火できるだろう。
別にたいした魔術ではないので簡単に発動できるかなーと思っていたんだが――
ちょっと焦ってしまった。
この魔術には、大気中の水分が大量に必要なのだけど、どうやらどこかの誰かが事前にホールドしていたため、発動が危うかったのだ。
こういう場合、魔力で干渉して無理やりコントロールを奪うしかないのだが、俺は謙虚な男なので、どうしようかと思った。
誰かが使おうとしているのを横取りするってのもなあ……。
悩んだけど、火事が起こっているしな。災害対策である以上、遠慮はできない。
そんなわけで、容赦なく奪い取った。
すまない! 誰か知らない人! まー、でもあなたの犠牲のおかげで火事を抑えられたから、よしとしてくれ!
いやー、天候魔術、研究しておいてよかったなあ……。
学校行事がメンドくさくて雨天中止を狙うために研究しておいて良かった。実際は、楽しみにしているクラスメイトがかわいそうだと思い直して使わなかったけど。
うんうん、役に立つものだな。
最初は『ウォータードラグーン』にしようかと思ったんだけど、さすがに、ないわーと思った。あれは広範囲攻撃魔術なので、水圧で吹っ飛ばす形になる。威力から考えれば間違いなく地形が変わるだろう。
……まあ、天候魔術すら使えない三流くらいなら――いや、それでも社会人がやるには荒っぽい仕事だなーと思うけど。
社会人失格だな。そんな奴は。
お! 言いたかったセリフ、言えちゃったぞ!
俺は、ちょうど雨除けになりそうな瓦礫を探し、その下に座り込む。
やっと少し落ち着けるか――瓦礫に背中を預けて大きく息を吐いた。
さすがの俺も今日は疲れてしまった。
天候魔術はそれなりに疲れるし、生まれて初めて本気も出しちゃったしな……。
そういう作業面の疲労もあるが、今回の事件は本当によくわからない。
俺がなぜ命を狙われていたのか、途中で赤い水晶を渡してきた男はなんだったのか、『黒竜の牙』アジトにどうして自称ヴァルニールとか偽物たちがいたのか――
最終的に解決はしたが、転がっている謎の数々は何も解決していない。
おまけに『黒竜の牙』のアジトまで吹っ飛んじゃったけど、どうしよう。張本人の自称ヴァルニールは死んでいるから責任を取らせられないし。
俺が起こったことを説明をしようにも、状況がわかっていないので正しく説明もできない。
就活マニュアル本『内定無双』にも書いてあったじゃないか。
『社会人は中途半端な理解のまま喋ってはならない。君が話した情報をもとに判断が下される。君が間違えたことを言えば、判断も間違えてしまう。適切な説明は己の責務と心得よ。面接担当は、君がどれほど理路整然と話せるかを見極めようとしている」
……やれやれ……中途半端な理解でしか喋れないな……。
変な報告をして周りに迷惑をかけるのも悪い。とりあえず、ここで起こったことは、当面、俺だけの秘密にしておこう。
……まあ、俺、何も悪くないし、巻き込まれただけだしね……。
そのとき、急速に眠気が押し寄せてきた。
俺は半ば朦朧としながら、湧き上がる言葉を口からこぼす。
「アリサ、終わったから帰るよ……だけど、ちょっと疲れたから休ませてくれ。ごめんな……」
アリサの顔が意識下に浮かぶ。
お兄ちゃん! そう言ってすぐサボろうとしないの! はい、すぐ寝転ぶのやめなさい!
俺はふふっと笑って小声でこうつぶやいた。
「違うよ、今日はね、本当の本当に頑張ったんだよ……。わかって欲しいなあ……意外と今日は社会人できたと思うぞ……?」
あくびを小さく吐くと、俺はそのまま眠りについた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
豪雨の中、すっとオルフレッドが空から降りてきた。
フォニックには魔術のことがわからぬ。フォニックは、流星の剣士である。剣を振り、鎧をまとって生きてきた。けれども違和感に対しては、人一倍に敏感であった。
あの水龍のほどけかたは普通ではない。
「な、何が起こったのですか、オルフレッドさま!? まさか、魔術の制御を失敗され――」
思わずフォニックは口をつぐんだ。
オルフレッドは何も答えない。ただ、少しだけ振り返ってフォニックを右目だけで見た。その目には明確で強烈な感情があった。
フォニックは心臓に痛みを覚える。
聞いてはいけないことを聞いてしまった!
フォニックは慌てて言葉を探した。
「あ、あの、その……えと、魔術についてはよくわからないのですが……オルフレッドさまも戦っていてお疲れのご様子。ま、魔術の制御をミスすることも、あ、ありますよ、ね……?」
「ふん」
オルフレッドはそう反応すると、ずんずんと歩いてその場を去っていった。
オルフレッドのその態度は、フォニックにとんでもない事実を気づかせた。
(あの、オルフレッドさまが、失敗した……!?)
それは今まで見たことがない事実だった。
それから1ヶ月――
フォニックは忙しさに忙しさを重ねて、さらに3倍に膨らませたくらい忙しい日々を送っていた。1日の平均睡眠時間は考えたくもない。
忙しいのも当たり前だ。
なぜなら、大森林にある『黒竜の牙』アジトが吹っ飛び――
8星であるヴァルニールと腹心ライオスが行方不明なのだから。
後始末のため、フォニックは膨大な量の事務作業をこなさなければならなかった。
そんなとんでもない報告を初めて聞いたとき、あまりの状況にフォニックは言葉を失った。
(とんでもないことだ!)
だが、それ以上に衝撃を受けている男がいた。
オルフレッドである。
「な、なんだと、ど、どういうことだ……!?」
身体を震わせてオルフレッドがわなないている。オルフレッドのそんな様子をフォニックは見たことがない。
当然だ。
『黒竜の牙』はずっと右肩上がりだった。オルフレッドの振るうタクトのままに仕事をこなせば結果がついてくる。
それが30年近く続いた。
初めての失敗が、これほどの大惨事なのだ。冷静でいられるはずがない。
「私の、私の『黒竜の牙』を――誰だ! 誰がこんなことを!」
怒りを瞳に宿し、ここまで声を荒げるオルフレッドを見るのも初めてだ。
そして――
ヴァルニールの不在――おそらく死は大きな問題にもつながった。
『黒竜の牙』が最重要としていた『グランヴェール草』の取引だ。これは今後の取引への布石となる重要な契約だったが、責任者であるヴァルニールの不明とともに全てが頓挫した。
「ヴァルニール、やつめ……!」
あらゆる呪詛を込めてオルフレッドはそう吐き捨てるだけだった。
フォニックが会計担当からこっそり聞いた話だと、契約不履行の場合は多額の賠償金が課せられるらしく、それも手痛いダメージとなった。
「多額の賠償金とはどれくらい?」
「うーん……『黒竜の牙』の1年間の利益くらい?」
思わずフォニックは額を押さえて目を閉じた。
おかげでとにかく慌ただしい。おまけにオルフレッドは不快の極みで、平時の頃から厳しい物言いが半端ではない。話をするたび胃に穴が開きそうだ。
「この事業計画は却下だ。売り上げを2倍に上げよ」
ただ数値だけが押し付けられる。
厳しい旨を伝えても、理路整然と考えの甘さ、仕事への取り組みかたのぬるさを指摘される。話をするたび胃に穴が開きそうだ。
今日もたっぷりと叱られてフォニックはオルフレッドの執務室を出た。
しばらく歩いていると、8星の同僚、紅蓮のカーミラが声をかけてきた。
「どうしたの、顔が死んでいるけど?」
「……そうでもないぞ?」
「そうでもない人はため息をつかないんじゃない?」
カーミラがくくく、と笑う。
フォニックは思わず口を押さえた。ないぞ、の後に息を漏らしていた。無意識のうちに。
「オルフレッドさまのことでしょ?」
「……い、いや……」
「いいじゃなーい。誰も聞いていないしさ」
確かに通路にはフォニックたちしかいなかった。
「……弱音は吐きたくないが、さすがに疲れてしまったよ……」
平時のフォニックであれば、決して口外しない言葉だった。だが、さすがに激務とオルフレッドからの圧迫に気が滅入っている。
「わかるわかる、前からきつかったけど、最近はホントきついもんねー、オルフレッドさま!」
「ああ、ホントな……」
「愚痴くらい吐いたら? 同じ8星のよしみ、聞いてあげてもいいけど」
「……本当にそうしてもらおうか……」
「じゃ、決まり。今度さ、呑みに行こうか。昔みたいにさ」
「……そうだな」
少しフォニックは懐かしい気持ちになった。カーミラとは同期だったので、若い頃は他の仲間たちと一緒によく呑みに行っていたのだ。
「お店が決まったら連絡するから」
そう言うと、カーミラは笑い声を残して立ち去る。
その背中を見送りながら、フォニックは意外とその日を楽しみにしている自分に気がついた。
「愚痴を吐く、か……」
同じ8星として苦労を分かち合ってくれる仲間がいることがありがたかった。
萎えかけていた気持ちに少しだけ活力が戻るのをフォニックは感じた。
「頑張るか……」
胃に痛みはあるけれど、まだオルフレッドへの尊敬も『黒竜の牙』への愛着も消えていない。信頼できる仲間もいる。
フォニックは前を向いて歩き出した。
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