25.元神童、人を救い感謝される
病室にたどり着くと、茶色い髪の女の子――ミカがベッドで身を起こしていた。かたわらに彼女の両親が立っている。
俺は彼女を知っている。
アリサの幼馴染みで、昔はよく家に遊びに来ていた女の子だ。
ずいぶんと久しぶりで手も足も伸びているが、その顔には子供の頃の面影があった。
――ねえねえ、アリサのお兄ちゃん! 一緒に遊ぼ!
にこにことした笑顔で俺に話しかけてきてくれた少女の姿が俺の脳裏によみがえる。
その頃に比べると、痩せていて表情はか弱いが――
少なくとも死を感じさせない顔色だった。
「来てくれたんだね、アリサ……」
「うん」
アリサは少し鼻をぐすぐすとさせてミカに近づいた。
「見違えた。本当に、顔色が良くなった。前に来たときは――」
「死にそうだった?」
言い淀んだアリサの言葉をミカがくすくす笑いながら引き継ぐ。
……どうやら、本当に調子が良くなったようだ。死に瀕している人間は、自分からそんな冗談を飛ばしたりはしないだろう。
ミカがアリサの顔を見た。
「ありがとう、アリサ。わたしの命を助けてくれて」
「ううん、わたしは別に……薬草を探してきてくれたのは、そこの兄だから」
一同の視線が俺に向く。
「お久しぶりですね、イルヴィスさん」
ミカは目を細めてそう言うと、俺に向かって深々と頭を下げた。
どうやら俺のことを覚えてくれていたらしい。
「ありがとうございます。イルヴィスさんのおかげで助かりました」
「それはよかった」
そう答えると、今度はミカの隣にいた両親が俺に話しかけてきた。
「本当にありがとう! 娘を助けてくれて!」
「ありがとうございます、あんなに高価な薬を……本当に……!」
「はは、助かってよかったです」
実に照れくさく、むずがゆい。だけど悪くはない。この人たちは俺に向かって、心からの感謝をしてくれているのだから。
俺のしたことが、誰かを確かに幸せにしたのだから。
アリサが口を開く。
「いいんですよ、いつも家でグータラしている兄ですから! たまには役に立ってもらわないと!」
「うぉい!? アリサ!?」
それから少しばかり会話をした後、俺たちは病室を出た。
つかつかと廊下を歩いていると――
「お兄ちゃん、ごめんなさい!」
「え?」
「実はね、少し前にミカのご両親から報酬を払うって言われたんだけど」
「ほう」
「カッコつけて、断っちゃった!」
「ほう」
「困ったときはお互い様ですよ、なんて勢いで言っちゃって!」
「……そうか、まあ、いいんじゃないか?」
まー、知り合いだし、ちょっとくらい気前のいいところを見せてもいいだろう。
そんなに高いものでも――
「え、本当にいいの? グランヴェール草の値段って1束1000万ゴルドくらいだよ」
……………………。
は?
……い、1000万?
はあ!?
はあ!? そそそそ、そんなに!?
「そんなにするの!?」
「うん」
「そんだけあったら、どれだけニートできると思ってるんだ!?」
「そこは働こうよ、お兄ちゃん」
「マジかあ……」
ちらっと出てきた病室を振り返ってしまう。100万くらい、くれないかな……。
そんな俺の左腕をアリサがつかんだ。
「あのさ、できれば――助けてあげて欲しいんだ。ミカの家は別にお金持ちじゃなくて――すごく苦労してお金を貯めて。まだミカも全快じゃ無いから、まだまだお金はいると思うの」
お金はまだまだいる、か……。
まだまだいる――つまり、これまでも必要だった。
俺は彼らの人生を考える。
ミカとその両親は突然の不幸に飲み込まれて闇の中を歩いていた。
病気にかかりました。もうすぐ死にます。助かる見込みはありません。いえ、ありますけど、とてもとてもお高い薬が必要です。
――平凡な人生に落ちてきた、突然の大きな不幸。
それでも彼らは諦めなかった。
助かる道があるのなら、歩くと決めた。それだけを信じてお金を貯め続けた。
人生でひとつだけ買えるとしたら何を望む?
あの両親は願った。
娘の命を買わせてください。
だから彼らは他のものすべてを諦めた。娘のためにと必死に毎日毎日少しずつ貯めていった。大変だっただろう。娘さんは入院しているのだから。それを払いつつ、薬代を貯めたのだから。
それでもくじけない。
ああ、もう少し。
もう少しで、娘の命に手が届く。
だけど――運命は残酷で。
突然グランヴェール草の価格が高騰し、ゴールはあっという間に遠のいた。
どれだけの絶望だっただろう。
どれだけの悲しみだっただろう。
それでも諦めなかった彼らに――幸運の女神はほほ笑んだ。友人であるアリサの兄、この俺がグランヴェール草を手に入れて。
終わった。
終わったけど、まだ終わっていない。
生きている人間には、まだまだ先があるのだから。
ミカは本調子じゃない。いろいろと無理をしていた人生を立て直す必要もある。人よりも苦労した道を歩んできた彼らにお金が足りないのは事実だろう。
その苦難を思えば――
「……ま、そうだな。いいか、今回は」
「お兄ちゃん!? ほんと!?」
「かわいい妹の頼みだ。金はまた稼ぐさ」
「ありがとう! お礼はわたしが何か考えるから!」
「本当か? どんなの?」
「肩たたき券50枚とか?」
「お前の肩たたき、プレミア付いてんなー」
そんなことを言いつつ、俺たちは治癒院の建物を出た。
外へ続く道をアリサと並んで歩く。
黙っていたアリサがぽつりと言った。
「本当にありがとね、お兄ちゃん」
その声とはいつもと違う、俺をからかう響きのないものだった。
「……やけに神妙だな」
「心の底から感謝しているからね。もうミカの元気な姿も、笑顔も見られないと思っていた」
「よかったんじゃないか」
「お兄ちゃんがグランヴェール草を持ち帰ってきてくれた日のことを、わたしは忘れない。今日のことを、わたしは忘れない。お兄ちゃんも今日のことは忘れないでね。お兄ちゃんの頑張りが、わたしたちを救ってくれたんだから」
そう言うと、アリサは口をつぐみ、ぐずぐずと鼻を鳴らしている。
俺も何も言わず、今日のことを思い返していた。
ただ、思うことは――
本当によかった。
俺の行動が他の誰かを確かに救ったのだから。
俺は誰かの役に立っているのだろう。
働くってことも――社会人だってのも、そう悪くはないな。
俺の胸に春の日差しのような心地よさが広がった。
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