21.元神童、命を狙われる
森を闇が包んでいる。
獣よけとして絶やさない、たき火の炎だけが赤く輝いていた。ぱちぱちと弾ける炎をライオスは無言で眺めていた。
モンスターのうろつく危険な森だ。誰かが見張りをするのは当然だ。
だが――こんばんに限っては別の理由がある。
ライオスの視線の先には眠りにつくイルヴィスが見えている。
「眠っている今ならばどうしようもあるまい……」
小声でぼそりとライオスはつぶやく。その口元には笑みが浮かんでいた。
きん、と小さい音がした。
ライオスが腰の短剣を引き抜いたのだ。
仕事は簡単だ。眠っているイルヴィスに近づき、この短剣を胸に突き立てるだけ。さっきは並外れた洞察力にしてやられたが、今度は『単純な死の押し付け』――防げるはずがない。
ライオスは足音を忍ばせて近づく。
イルヴィスは静かに寝息を立てて瞳を閉じている。その様子を見下ろしつつ、ライオスは短剣を握る手に力を込める。
その刃を振りかざした。月の光を浴びて銀色の短剣が鈍く輝く。
(……終わりだ!)
一気に短剣を振り下ろした瞬間、視界の端で景色が変わるのをライオスは確かに見た。
イルヴィスの目が、かっと見開いたのだ。
(――え!?)
そう思った瞬間、ライオスの視界が大きく揺れた。天地が逆になったと思った瞬間、ライオスの背中は地面に叩きつけられていた。
「かはっ!?」
大量の空気が肺からこぼれ、手からすっぽ抜けた短剣が地面に転がる。
視線の先には上半身を起こしたイルヴィスが座っている。
何が起こったのかライオスはようやく理解した。
いきなりイルヴィスが起き上がり、ライオスの体を放り投げたのだ。
「……ん、ん?」
だが、とうのイルヴィスははっきりとしない。寝ぼけた様子でふわっとしていたが、やがて状況に追いついたようで、その目は己がぶん投げたライオスに向けられていた。
イルヴィスの表情が驚愕に変わる。
「あ、あ、あああああああああああああああああ!」
イルヴィスが夜の森に響き渡るような大声をあげた。
「す、すみません! グランツさん、いきなりぶん投げてしまって!」
「あ、いや……そ、そうだな、びっくりしたな……」
そう答えつつ、ライオスは心を落ち着かせて考えを整理する。イルヴィスの反応からすると、ライオスの行動に気づいていないようだが……?
慎重な確認が必要だ。
「イルヴィスよ、き、急に起き上がって、ど、どうしたんだ?」
「……えーとですね、その殺気を感じたんですよ」
「殺気」
「それで自動防衛しちゃったんだと思います。どんなに眠くても反撃しちゃうんですよね」
なんだそれは!
とんでもない化け物だとライオスは内心で怯む。
「あの、それでグランツさん……どうして殺気を俺に――?」
「う……!」
ライオスは答えあぐねた。
そう、普通は寝ている人間に殺気を向けたりしない。それを向けるということは――
「いや、わかってますよ、グランツさん」
へらっと笑ってイルヴィスが続ける。
「あれでしょ、あっちにモンスターの影とか物音があってそれに気がついたんでしょ?」
「……そ、そうだ。そこに何かがいた気がしたんだけど――今の騒ぎで逃げられたようだ」
「うーん、すみません」
イルヴィスは頭を下げた。
「どうやら、その殺気に反応しちゃったようですね。雇い主を投げ飛ばしてしまうなんて本当にすみません」
「い、いや、構わない。私も不用意なことをしたのだからね」
どうやら毒スープのときと同じくうまく勘違いしてくれている。助かった、とライオスはほっとした。
イルヴィスが口を開く。
「お詫びに、俺が見張りを代わりますよ」
「……そうか、なら任せよう。まあ、別に気にしないでくれ」
目を覚ましていた護衛の2人にも寝るように指示し、ライオスは自分の寝場所に戻って瞳を閉じる。
そして、そっと反省会をした。
(……あいつ、むちゃくちゃ強いじゃないか!)
どうやら薬草の知識だけではなく格闘の技術も相当凄いらしい。認めなければならないだろう、あの男は『黒竜の牙』のメンバーである自分の力を遥かに凌駕している。
(やはり、ドーピング・コボルトをけしかけるしかないか……)
もともとヴァルニールたちが使っている秘密の実験場に連れていく予定だった。
グランヴェール草を育てている場所であり――ドーピング・コボルトを実験している場所でもある。
強力なオーガすら手玉にとる規格外の力――期待のルーキーといえど、ひとたまりもないだろう。
絶対の勝利を確信しつつ、ライオスは上機嫌に瞳を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、俺たちは再び大森林の奥を目指してまた歩き出した。
最終目的地にたどり着いたのは、ちょうど夕方になろうとしている頃だ。
それは岩壁に穿たれた洞窟だ。
この洞窟の奥には特殊なコケが生えているらしく、グランツはその調査のために来たらしい。
俺たちは洞窟の奥へと入った。
しばらく奥に進むと大きな空間に出た。そこから何本か道が伸びている。
「さて、ここでお別れだ」
グランツがそんなことを言った。
「私はあちらの道を進んで、奥にあるコケを調べようと思う。君たちはあちらの道に行って、奥に生えている薬草を採取してきてくれ。ここで合流しよう」
そう言うと、グランツは洞窟の奥へと消えていった。
「おら、行くぞ、お前!」
護衛のふたりとともに、俺はダンジョンの奥へと進む。
しばらくすると、通路の奥にまた大きな空間が見えた。
「おい、下っ端! モンスターがいないかチェックしてこい!」
「いるぞ」
「え?」
俺の言葉に二人が眉をしかめる。
わからないのか? こんなに明確な気配なのに。感じないのだろうか。
……いや、違うな。きっと俺を試そうとしているのだ。社会人とは本当に怖いものだ。俺はできる限り頑張らないと。
「その広間の奥に気配を感じる。それに――」
さっき通りすぎた道の途中にある脇道からも、いくつか気配があった。それも報告しようと思ったが、そうする前に男が大きな声で俺の言葉をさえぎった。
「うっせー! 行けったら行けよ!」
「……え、いや、モンスターがいるのは確定的に明らかだが?」
「お前の思い違いかもしれないだろう!? 目で見て確認! サボろうとするな!」
……仕方がない。それなら奥に向かうとするか。
俺は二人に先行して広間へと入った。なかなか大きな空間で、遠くは暗がりに沈んでいて先が見えない。だが、その濃厚な闇の向こう側にいくつか気配があるのは間違いない。
その直後――
ぴーっ! と甲高い笛の音が洞窟に響き渡った。
背後を振り返ると、護衛の二人組が小さな笛を手に持っていた。
「なんだ、今のは?」
「こいつで、お目覚めになるらしいんだよ」
などと意味不明な答えが返ってきた。だが、男の声に呼応するように、今まで静かだった奥から獣のようなものが聞こえる。やがて、濃厚な闇に無数の黄色い双眸が輝いた。
ひた、ひたと裸足の足音が近づく音が聞こえる。
闇から何かが現れる。
犬の頭を持つモンスター――
「コボルト……?」
「そうだ。お前を殺すためのな!」
「俺を……?」
「ああ! この薬草調査の依頼はぜーんぶ嘘さ! あのグランツって男はお前に死んでもらいたいらしい。ここでコボルトたちと連携して、お前を殺せってさ!」
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