2.元神童、帝都最大クラン『黒竜の牙』の求人に応募する
そんなわけで翌日、俺は帝都最大クラン『黒竜の牙』の試験会場を訪れた。
さすがは帝都最大クランの募集だけある。剣を腰に差した戦士やローブをまとった魔術師、はたまた革の鎧に身を包んだ斥候など多くの冒険者たちが集まっていた。
目つきからしてぎらぎらしている。このクランに入って名を上げるのは俺たちだ! みたいな空気が立ち上っている。
俺の場違い感がすごい。
俺の装備は『布の服』のみ。もちろん、武器なんて持ってきていない。
受験するには申し込み用紙の提出が必要らしい。俺はそれを書くためのコーナーへと足を向けた。
用紙を順に埋めていく。
ふむふむ……。
名前はイルヴィス、性別は男、年齢は20歳、職業――
職業!?
困った。特に仕事はしていないのだが……家でごろごろしていたから……『ニート』だろうか? ニートだな……。
カッコよくデタラメを書こうかとも思ったが、やめた。
就職マニュアル『内定無双』にも書いてあったじゃないか。面接担当は鷹の耳目を持つと。嘘など書いても一瞬で見破られて評価が下がるだけと。
なので、ここは正直に書くのが正しいだろう。
俺は職業欄に『ニート』と書いた。
それを受付へと持っていく。
受付にいる女性は俺が提出した紙を見た瞬間、眉をひそめた。
「ニー……ト?」
「はい」
「ニートって、あの、働いたら負けだと思う感じの?」
「そうですね」
「……えーとですね、ここは冒険者としての職業を書いて欲しいんですよ。戦士とか盗賊とか」
「なるほど」
そっちだったか。だが、一緒だ。ただの学生でしかなかった俺にそんな職業はない。
なので、きっぱりと言い切った。
「だとしたら、やっぱりニートですね」
女性が混乱した表情を浮かべた。
「……過去に冒険者をされていて、何かしらの理由で今はニートをされている感じでしょうか?」
「いえ、冒険者はしたことないです。本当にただのニートです」
「え?」
「え?」
「冒険者をされていないんですか? であれば、申し訳ないのですが、当クランは未経験者を採用していないんですよ」
わかりました。じゃあ、帰ります。
やる気のない俺的には、ラッキー! と思ったが、いきなり脳内に怒ったアリサの顔が浮かんで寒気がした。
……もうちょっと頑張ろう……。
「そうなんですか?」
俺はポケットからチラシを取り出した。
「でも、そんなこと書いていませんよ? むしろ『懇切丁寧に指導します』って書いていますよね?」
俺のツッコミに受付女性の眉がゆがむ。
「確かにおっしゃるとおりですけど、『経験の浅い冒険者でも歓迎』とも書いていますよね?」
「経験の浅い冒険者を歓迎するのは、未経験者を拒否することを意味しませんよね?」
さらなる俺のツッコミに受付女性の眉が深刻にゆがむ。
なんだか面倒なやつだな、俺……でも、アリサのプレッシャーがあるからさ。ごめんなさい。
少し考えてから女性が口を開こうとすると――
「列の流れが止まっているよ。何かあったのかい?」
声とともに男が近づいてきた。
「あ、すみません、フォニックさま!」
女性がぱっと立ち上がり、男に頭を下げる。
背の高い、青色の髪をした優男だった。年は20半ばくらいか。筋肉が過不足なくついた細身の身体に軽装の鎧をまとい、腰に剣を差している。
背後の受験生たちがどよめいた。
「『黒竜の牙』のフォニックだ!」
「流星の剣士フォニックか!」
……。
……誰……?
どうやら有名な人物らしいが、思いつきで冒険者になろうと思った俺の頭脳に著名な冒険者の情報などあるはずもない。
女性はフォニックに用紙を見せた後、早口で状況を説明する。
「あの、実はこの方が――」
それを聞き終えたフォニックが俺に視線を向けた。
「悪いが、参加は見合わせてもらえないかな? これは君のためでもある」
「俺のため?」
「ああ。冒険者の試験とは――」
きん、と音を立ててフォニックが剣を引き抜いた。
陽光の輝きを受けて、磨き抜かれた美しい刀身がきらりと光る。
「荒事だからね。準備ができていなければケガをする。鍛錬していない人間が立てば――死ぬよ」
「死ぬ覚悟ならできていますよ」
俺はあっさりと言い放った。
「俺にはこれしかありませんから」
働くことが嫌な俺には自由業しかない。最低限の労働で収入ゲット、あとは家でゴロゴロ。思いつくのは冒険者しかないのだから、必死にもなる。
フォニックが少し目を見開いた。
「ほぅ、この私がここまで言っても引かないか。君には何か……冒険者への熱い想い――気高い理想があるようだな。少し興味が出てきたよ」
気高い理想……?
家でゴロゴロすることが?
まあ、居心地のよいワークライフバランスを追求するという意味ではそうかもしれないが。なるほど、そこまで読んでの言葉か……。さすがは最大手クランのメンバー、頭の回転が速い。
ならば、俺も胸を張って答えよう。
「そうですね、俺にも譲れないものがあるんです」
「はははは! いいね!」
フォニックが俺に剣の切っ先を向けた。
「だけど、現実は甘くない。努力もせず理想を語る人間は見ていて気分のいいものではない。鍛え抜かれた私の一閃を見ても同じことが言えるかな?」
周りの冒険者たちが沸きたつ。
「フォニックの――流星の剣が見れるぞ!」
「斬られたことすら気づけないほどの高速剣!」
……え、そんなにすごいの?
怒らせちゃいけない人、怒らせちゃった?
フォニックが剣を構える。
「さて、ここまで来た駄賃だ。私の剣技を見せてあげよう……そして、腰を抜かして帰るがいい」
「腰を抜かしたら帰れないんじゃないですか?」
「ぬかせ!」
腰を抜かしたらに『ぬかせ』で返すなんて!
剣技以外も冴え渡ってるんじゃないですか!?
そんなことを俺が思うと同時――
銀色の閃光が走った。
周りの冒険者たちが言うところの、『斬られたことにすら気づけない』超高速の剣が俺に襲いかかる。
俺はフォニックの剣を見ながら思った。
……。
……。
……え、これが超高速なの?
むちゃくちゃ遅いんだが。
刃がゆっくりとゆっくりと、少しずつ俺に向かってくる。
懐かしいな――ああ、思い出した。学生時代の剣術の授業だ。俺はいろいろな学生たちと剣を交わしたわけだが、総じてみんなこんな感じだった。
みんな剣が遅くて遅くて――俺はあっさりと隙をついて勝ったものだ。
これも同じか?
いや……違う。
就職マニュアル『内定無双』に書いてあったではないか。
学生時代の栄光は捨て去れと。
学生と社会人は求められるレベルが違う――
相手は最大手クランに所属する有名な冒険者なのだ。学生と同じはずがない。危ない危ない……ついつい学生時代の栄光から相手の力量を推し量ってしまうところだった。
であれば可能性はひとつしかない。
これは手を抜いてくれているのだ。
あれだけプレッシャーをかけつつも、フォニックは俺に情をかけてくれている。誰もが一目置くフォニックの
剣をかわせば俺にだって受験のチャンスがやってくるだろう。
ゆっくりとした剣からフォニックの気持ちが伝わってくるようだ。
どうだい? これならかわせるだろう? このチャンスをいかしてくれよ? と。
なるほど――
実にありがたい。
さて、どうやってかわそうかな……と俺が考えていると、俺はあることに気がついた。
……あれ? この軌道、俺に当たらないんじゃない?
俺の想像どおり、流星の剣士が放った剣の軌道は俺の身体の少し手前をなぞっていった。
空振り。
しんと静まった空気に、フォニックの声が響く。
「……当てるわけにもいかないからね。わざと外させてもらったよ」
同時――
わあああああ! と周囲のギャラリーが沸き立った。
「すげえええ! さすがは流星の剣!」
「あいつ、ビビって動けなかったぞ!」
だが、フォニックの認識は違ったようだ。
「……いや、どうかな。君は動けなかったのではなく、動かなかった。違うか?」
フォニックがじっと俺を見る。
「君の目は確かに私の剣に反応していた。もしも、かわそうと思えばかわせた――違うな。当たらないことを確信していた。そうだろう?」
「はい、そうですね」
同時、周りのギャラリーたちに動揺が走る。
「そ、そんな! あいつが流星の剣士の剣を!?」
「俺たちには見えなかったのに!?」
……見えなかった? そんなわけないだろ? あそこまで手を抜いてくれているのに。
認知バイアスというやつか。
流星の剣士の剣は速い、その思い込みが彼らに超高速の剣を見せたのだろう。
「面白い男だな、君は。よし、受験を認めようではないか」
ふっとフォニックが笑う。剣を鞘に収めた。
「剣技の試験では私がじきじきに相手をしてあげよう。果たして、君のそれが実力なのかマグレなのか――真価を見定めさせてもらう」
そう言うとフォニックは建物の奥へと消えていった。
俺はその背中に心中で小さく礼を述べる。
……やれやれ……優しい人に恵まれた。
俺が腰を抜かさないようにゆっくりと斬りかかってきてくれて――おまけに、それはかわす必要がない斬撃で。さらには周りに俺が優秀だと吹聴するアピールまでしてくれる。
どれほど譲ってくれているのだ、あの御仁は。聖人か。
フォニックの許可が出たので、態度を軟化させた受付嬢から受験者番号をもらった。これで手続きは完了した。
よーし!
アリサ、俺、頑張ってくるからな!
俺は意気揚々と試験会場へと入っていった。