17.薬師ヴァルニールと秘密の部屋
大森林には、一般の冒険者たちを拒む『黒竜の牙』のメンバーだけが入れる占有地が存在する。
その占有地の奥に、採取部門を管理する8星ヴァルニールの拠点がある。
森を切り開いて建てられた大きな館で、ヴァルニールの配下はここを中心に大森林での採取活動をしている。基本的にクランメンバーには開放されている建物だが、どの場所でも誰でも立ち入れるわけではない。
ヴァルニールとその腹心だけしか入れないような場所は多い。
今、ヴァルニールがいる場所は、まさにそれだった。
建物の地下、さらにその最奥――
そこはクランマスターのオルフレッドにも知らせていない秘中の秘とも呼ばれる場所。そこでヴァルニールは数多くの実験をしている。
自分の身長ほどもある大きな窓ガラスの前に立ち、ヴァルニールは階下の光景を見下ろしていた。
「さて、勝つのはどっちかな……」
ヴァルニールはぽつりとつぶやき、口元を楽しげにゆがめる。
そこは大きな空間で、1匹の人型モンスターが立っていた。両手に剣と盾を持っていて、粗末な皮の鎧を身につけている。成人よりも少し背が低いが、より特徴的なのは犬の頭だろう。
コボルトだ。
ゴブリンと並ぶ低級なモンスターだが、明らかに様子がおかしい。もともと知性はさほど高くない種族なのだが、その表情はとても興奮していて、鼻や口から漏れる呼吸が異様に荒い。
コボルトの前方、壁に埋め込まれた鉄格子が開く。そこから、のっそりと巨大な姿がした生物が現れた。
オーガだ。
オーガとは怪力の持ち主で、身長2メートルを超える巨体の持ち主だ。
コボルトよりも、はるかに危険度が高いモンスターだ。
本来であれば、オーガを見た瞬間にコボルトは慌てふためくだろうが――
コボルトは臆さない。ふーふーと荒い呼吸を繰り返しながら、オーガへの戦意を高めている。
オーガもまたコボルトを見て威嚇の声をあげた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
オーガの声は自信に満ちあふれていた。コボルト如きに負けるはずがない! その声はそう主張していた。弱者と強者を決定的にわかつ種族の垣根を知るものの声だった。
犬っころがこの俺に勝てるはずなどない!
「その通りだ、オーガよ。コボルトがお前に勝てるはずなどない……」
くくく、と笑った後、ヴァルニールはこう続けた。
「だが、私のコボルトが相手だと、どうだろうな?」
戦いが始まった。
オーガは雑な足取りでコボルトに近づくと隆々とした筋肉からパンチを繰り出した。あっさりと勝負は決したかに思えたが、コボルトはそれを素早い動きでかわす。
とても低レベルのモンスターとは思えない俊敏な動きだ。
オーガは気にせずに次々と拳を繰り出した。
コボルトはかわし続けるが――ついにその一撃がコボルトをとらえた。
がん! と激しい音がしたが、 オーガの拳はコボルトの盾によって防がれていた。その時になって、初めてオーガの顔に複雑な表情が現れた。
ただのコボルトにオーガの一撃を止められるはずがない。その貧弱な肉体は受け止めた盾ごと後方にすっ飛ぶはずだ。だが、このコボルトはまるで足に根でも生えたかのように、見事な筋力でオーガの攻撃を受け止めた。
動揺した一瞬の隙――コボルトは見逃さなかった。
コボルトがオーガの脇を駆け抜ける。
それはコボルトらしからぬ俊敏な動きで、オーガは反応できなかった。ぱっと肉が裂けて、赤い血がこぼれ落ちる。
異常だった。
なぜなら、コボルトごときの力でオーガの鍛え抜いた筋肉を切り裂けるはずがないのだから。
それは始まりだった。
コボルトが本気でオーガに襲いかかる。素早い無数の斬撃が、次々とオーガの肉体を切り刻んでいった。
苦し紛れにオーガは腕を振り回すが、コボルトは素早い動きでそれをかわし攻撃を続ける。
最初は怒りに満ちていたオーガの声がだんだんと弱くなり――止まった。
ぐらりとオーガの巨体が揺れて――
大きな音を立てて地面に倒れ伏した。
倒れたオーガの横で、コボルトが大声で勝利の雄叫びを発している。
(……ふむ、なかなか上出来ではないか……)
その光景をヴァルニールは上機嫌な様子で眺めていた。
これもまたヴァルニールが行なっている実験のひとつ。特殊な植物によって調合した薬を飲ませて能力を飛躍的に高めている。
その効果は絶大で、コボルトごとき劣等種がオーガを圧倒するほどだ。
だが、欠点もある。
飲むと理性を失い破壊衝動に囚われてしまうのだ。おまけに命まで使い果たすので、あのコボルトも今日か明日には死んでしまうだろう。
(副作用はともかく、この効果は驚異的だ。研究を進めればきっといい結果につながるだろう)
うまくいけば『黒竜の牙』におけるヴァルニールの立場をより強固なものにするだろう。その未来を想像して、ヴァルニールはうっとりとした気持ちで口元を緩めた。
そんな時だった。
「ヴァルニールさま、今よろしいでしょうか?」
腹心のライオスが近づいてくる。
「なんだ?」
「はい、薬草の相場に関して情報が入ったのですが、どうやら、またしても高品質な薬草が出回り出しているようで」
「なんだと……?」
それは不快な事実だった。ヴァルニールはすでに終わったことだと『黒竜の牙』クランマスターのオルフレッドに報告している。
だが、終わっていなかった。
このままだと大変なことになってしまう。
終わったと報告したことが終わっていないのだから。そんな雑な仕事を、厳格なオルフレッドが許すはずもない。
(何が起こっている……!?)
ヴァルニールは下唇を噛んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アリサが俺にこんなことを言った。
「……グランヴェール草って名前なんだけど――知ってる?」
グランヴェール草、もちろん知っている。なぜなら俺は園芸委員だったからだ。確か珍しい病気を治す特効薬の原材料になると聞いたことがある。
「ま、まさか、アリサ、お前、その病気なのか?」
「んなわけないでしょ!」
アリサは語気を荒げて否定してくれた。
よかった……。お兄ちゃん、ちょっと『マジ焦り』しちゃったよ。
「わたしの友達。ミカのこと覚えてる?」
「小学生の頃、よく家に遊びにきていたな」
アリサと同学年の女の子で、幼なじみというやつだ。昔は我が家に遊びに来ていたが、言われてみるとここ数年は見ていない。
てっきり、成長して疎遠になったのかと思っていたんだが――
「ミカがね、実はその病気にかかっちゃったんだ」
「え、そうなの!?」
それは、まあ……なんと言うか、とても可哀想な話だな……。その病気は容赦なく患者の命を削り、最後は死んでしまうということを俺は知っている。
「治るのか?」
「治るよ。グランヴェール草さえあれば」
しかしそう言ってから、アリサは首を横に振った。
「だけど、それを探すのが難しいんだよね……」
アリサの言わんとしていることはわかる。グランヴェール草そのものがとても珍しいもので、手に入れること自体が難しく、そもそも売ってすらいない。運よく在庫があってもとんでもない金額になる。
「それでもさ――」
アリサはため息とともに話を続ける。
「ミカの両親は頑張ってお金を貯めたんだよ。やっと助かる! もうすぐ薬が作れる! その直前でさ、薬草の入手がより難しくなって売価が一気に跳ね上がっちゃったの」
「どうしてそんなことに?」
「ほら、お兄ちゃんが受けたクラン『黒竜の牙』だよ。最近はあそこを通してでしか買えなくなちゃって。すごい値段になってるんだよね」
また『黒竜の牙』か……。高品質の薬草でも独占状態で稼いでいたらしいので、わりとろくでもないとこだな。落ちといてよかった……。
「ご両親はなんとかしようと頑張ってるんだけど、とうのミカ本人がもう諦めていて。そんな彼女を見るのは、わたしも辛いんだよね……」
「そんなことになっていたんだな」
子供時代の話だが、今でもミカの様子は思い出せる。元気な声も表情も。俺と仲良く遊んだ思い出も――そんな彼女が助からない病で死にかけている現実は単純に衝撃的だった。
アリサが口を開く。
「そんなわけでさ、自称薬草採取のプロであるお兄ちゃんにお願いしてみようかなーって。グランヴェール草を見つけてきてよ。そんな奇跡、起こせないかな?」
奇跡か……。
確かに奇跡なのだろう。そんな珍しい薬草を見つけ出すなんて。
それでも、俺は――
「可愛い妹の頼みだ。頑張ってみるよ」
そう言った。当たり障りのないごまかしではなくて、心の底から。
俺の言葉を聞いて、アリサは嬉しそうに微笑んだけど、その表情は晴れやかではなかった。本当の本当に成功を信じている顔ではなくて、わずかな希望を願う弱々しい表情だった。
わずかな希望に手を伸ばそうとする、そんな辛そうな顔だった。
そんな感情は、いつも快活なアリサには似合わない。
妹を元気付けたかったので俺はこう続けた。
「大船に乗ったつもりでいろ。意外といけるかもしれないぜ? 冒険者ギルドだと、俺は神の手って呼ばれているからな」
「何それ」
アリサが笑う。彼女らしい楽しそうな笑い声だった。
「それはお世辞だよ」
「そうかもしれないな」
だけど、それでもいい。すがれる言葉があるだけで俺は頑張れる。その言葉が嘘かまことかは知らないけれど、無限に広がる大森林を歩き疲れた俺の心を支えてくれるだろう。
頑張ろう。
俺にすがってくれた妹と、その友人のために。
この手で奇跡を手繰り寄せるだけだ。
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