1.元神童、家を追放されそうになったので冒険者を目指す
恥の多い生涯を送ってきた。
どれくらい恥が多いかというと――
「お兄ちゃん、あなたを家から追放します」
家のソファに座ってお笑い小説を読んでいると、16歳の妹からいきなりそんなことを言われてしまうほどに。
真っ当に生きている人間は、なかなかこんな状況にはならない。
俺は頭をかきながら口を開く。
「追放されたらさ、お兄ちゃん、生きていけないよ?」
「働くと言ってくれたら、追放は先延ばしにします」
「うーん、気が向いたら――」
「気をさ、向けよ?」
妹が満面の笑みでそう言った。
その笑顔が、明らかに妹の努力によって作られていることに俺は気づいている。それが怒りを抑え込んでいる様子であることも。
どうやら選択肢を間違えると死が待っている状況っぽい。
なかなか理不尽だが――いや、それほど理不尽でもないな。妹の怒りは当然だ。
なにせ俺は18歳で学校を卒業してから2年間ずっと家でゴロゴロしている。
つまり、働いていないのだ。
絢爛たるグラーデ帝国の中心たる帝都、その名門であるフォーセンベルク学院を首席で卒業した後、親が他界していることをいいことに俺はどこにも就職しなかった。
で、そのまま今に至る。
怒られても仕方がないだろう。
どうしてこうなかったというと――
子供の頃から、とにかくやる気がなかった。
――やればできる子、いや、やらなくてもできる子なのに! 頑張ったらもっとすごいよ!
多くの人たちからそんな期待をしてもらったのに――
俺が本気を出したことなど一度もない。
本当に、ただの一度も。
性格的に頑張れないのだ。身体の中にある頑張る成分ガンバリンが、俺は生まれながらにしてゼロなのだ。
そう、ゼロだ。
そんなに頑張ってまですることある? 頑張ってる時点でダメじゃない? 流しながら生きようぜ? 楽しようぜ?
そんな人生観の俺に――
頑張ることを要求される『勤め人』などできるはずがない。
風の噂にきく『残業』とか聞くだけでも鳥肌が立つ。
え? どうしてそんなに頑張るの? 明日でいいじゃん?
そう思ってしまうのだ。
いつも通知簿に書かれていたな。
『イルヴィスくんは優秀ですが、協調性がありません』
社会に出ちゃいけない気がする。
そんなわけで俺は仕事に就かず家でぐーたらと過ごしている。
だが、そんな生活を2年も続けていると、鋼鉄のような俺の心境にも微妙な変化が起こっていた。
ガンバリンはないのだが、リョーシニウムは少しだけあるので、さすがに俺の滅多に傷つかない良心も「本当にそれでいいの?」と心配げな表情を見せている。
その心の隙をつくように――
この妹の大攻勢である。
いろいろと動揺が走った。
「アリサ、怒ってる?」
「ううん、怒ってないよ?」
にっこりとした笑顔で、アリサが朗らかに言う。
明らかに怒っている。
妹が16になるまで一緒に暮らしていた俺には断言できる。
アリサはピンク色の髪を肩まで伸ばした少女だ。髪の色が俺の黒色と違うのは異母兄弟だからだ。顔は兄の俺が言うのもなんだが、美人と評していい。
そんな妹だが、性格は俺の真逆。マジメで勤労精神のかたまりだ。15歳で学校を卒業した後は仕事について給料を稼いでいる。
そんな彼女からすれば穀潰しの俺は理解不能な生き物に違いない。
はい、お兄ちゃんが悪いですよね、これ。
「アリサ、ちょっと怖いよ? 落ち着こうよ、ね? とりあえずこのお笑い小説を読ませて――」
「お兄ちゃん、今日はわたし、不退転の決意ってやつだからね?」
不退転の決意――決して退かぬ覚悟。
「妹よ、難しい言葉を知ってるな……」
「もう2年だよ? そろそろ働きなよ、お兄ちゃん」
「……いやー、どうだろう。ガンバリンがないんだよね、俺。アリサの頑張り力は俺のガンバリンを継承したからだと思うんだよ。だから、アリサは俺のぶんまで――」
「お・兄・ち・ゃ・ん?」
言いながら、アリサが俺の両肩を、がし、がし、と両手でつかむ。
生殺与奪の権が奪われた瞬間だった。
本気の殺意が両肩から圧となって伝わってくる。
はい、ふざけてました。ごめんなさい。
「……わ、わかった。冷静な話し合いをしよう……!」
どうやら状況は、ふざけてごまかせるフェイズをとっくに超えているらしい。
寛大にも聞き届けてくれたアリサは俺の両肩から手を放した。
お帰りなさい、生殺与奪の権。
俺とアリサはテーブルに向き合って座った。
「お兄ちゃん、自覚はありますか?」
いきなりの敬語、詰問口調。我が妹は全力で戦闘態勢である。
「お兄ちゃんはさ、やればでき――」
「皆まで言うな、アリサ」
俺はアリサの言葉を遮った。
「働くよ」
「え?」
「働くよ」
「……え、え、ええええええええええええええええええええええ!」
アリサが悲鳴を上げてのけぞった。
「ほ、ホントに!?」
「ああ」
「……まさか、その場しのぎの嘘ってやつ?」
「違うぞ」
なんて信頼度の低さだ。
「俺は働くことにした」
本気の本気でそう言った。
そろそろ潮時だろう。……これ以上、アリサに迷惑をかけるのは避けたい。
アリサが目頭を押さえた。
「すごい……ダメ元で言ったのに……本当に改心するなんて……!」
ぽたぽたぽたぽた。
涙がテーブルにしたたり落ちる。
まさかのマジ泣き!?
……そんなに思い悩んでいたのか……。まだ若いし、俺自身はそんなに深刻に考えていなかったんだが。
これは気合いを入れなくちゃな。
「さて、なんの仕事をしようかな……」
「お兄ちゃんだったら、なんでもできるんじゃない?」
「……なんでもは無理だろ?」
「昔は神童って言われてたじゃない?」
アリサの言うとおり、俺は確かに神童と呼ばれていた。
学校で俺より優秀な生徒はいなかった。
まったく勉強も訓練もしていないのにテストの点数は100点だったし、剣の腕も1番だった。
「照れる言葉だ、もう口にしないでくれ」
俺は首を振った。今の俺には関係ない話だ。その言葉を誇るのは、まるで過去の栄光にすがりつくようなもの。
俗に言うではないか。
――学校の成績は社会だと役に立ちません、と。
……ならば、そうだな……。
「仕事を探す基準は『能力』とか『できること』には置かないほうがいいかもな」
「どうして?」
「そもそもだ、俺は自堕落な人間なのだよ。働く宣言をしてもそこは変わらない。根本的にダメな男なんだよ、俺は」
「自分で言っちゃったね」
「的確な自己評価だと褒めてくれよ」
確か卒業年度に読んだ就職マニュアル『面接担当を唸らせる自己PRの作り方』に自己分析がとても重要だと書いてあった。
その結果、俺が徹底的に自己分析して作り上げた自己PRは――
働きたくありません!
絶対に、働きたく、ありません!
だった。
……そんなわけで、少し考えてから俺はこう続ける。
「それだと普通の仕事は無理だな。俺は残業したくないし、そもそも週5日も働くのは厳しい」
選択肢の99%が消失した瞬間だった。
あれ、これ働けるところなくない?
だが、アリサはめげなかった。
「そんなお兄ちゃんにぴったりな仕事があるよ」
「あるの?」
「うん。冒険者とか、どう?」
「冒険者!」
想像すらしていなかったが、俺の心が踊ったのは事実だ。全身を鎧に身を包み、鋼の剣でドラゴンとかと戦う。男子なら一生のうち1回くらいは検討する仕事だろう。
普通の仕事よりは面白そうじゃないか。
あとアリサが言っていたとおり、俺の成績は剣術も魔術もすこぶるよかった。ずっと学年1位だったので苦手意識がない。
……もちろん、さすがに授業と実戦は違うだろうが。大事なのは『やればできそう』と思えるかどうかだ。
アリサが口を開く。
「冒険者ってさ、自営業だから働き方は好きにできるんだよね」
「おお!」
つまり、働きたいときだけ働けばいい!
まさに働き方改革!
それは俺にとって素晴らしい選択肢だった。ぶっちゃけ、金など生きていけるギリギリで充分だ。
家があるから年100万ゴルドもあれば充分だろう。
それだけ稼いだら後はだらだらする。……ふふふ! いいね!
「よし、まずは冒険者から始めよう!」
俺はそう言って、ふとあることを思い出した。
先日、俺が買い物に出掛けたとき、一枚のチラシをもらったのだ。
当時は興味もなかったのですぐに捨てたかったが、あいにく捨てる場所がなくカバンに入れて家に持ち帰っていた。
そのまま捨てるのを忘れていて――
「ちょっと待っててくれ、アリサ」
そう言うと、俺は部屋に戻って一枚のチラシを持ってきた。
「これってさ、どう思う?」
俺は持っていたチラシをアリサに差し出した。
そこにはこう書かれていた。
『帝都最大クラン『黒竜の牙』が新規メンバーを募集中! 経験の浅い冒険者でも歓迎、懇切丁寧に指導します。人材ではなく人財として大切に育てていきたい! アットホームで風通しのいいクランです。※実技試験あり』
クランとは冒険者の寄り合い所帯である。複数人の冒険者を束ねるのがパーティー、複数のパーティーを束ねるのがクランだ。
「超大手だねぇ」
アリサがチラシを見ながらつぶやく。
「ここ、狙うの?」
「まあ、せっかくだしね。どうせ落ちるだろうけど、練習くらいにはなるんじゃない?」
それに運よく入れれば、きっとアリサも気が楽になるだろう。
うちのお兄ちゃんは帝都最大のクランに所属しているんだよ! そう自慢するに違いない。
ふふふ……ダメな兄貴からの一発逆転もいいな!
試験日が明日なのも都合がいい。
こういうのは縁だ。縁を感じたら飛び込んでみるのも悪くない。
「明日さ、受けにいってみるよ」
アリサが大きくうなずいてくれた。
「ものは試しだよ! お兄ちゃん、頑張って!」