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八月の消印

作者: 知吹 海里


あの、夏の、憂いに恋しさを求めるなんて、まるで思い違いだ。

冬には冬の楽しみ方というものがある。

最も、この、なんともいえない、さみしさ、という下手な感情なんかは味を占めていて、困るのだけれど。

嗚呼、やりきれない、このままどこにもいけないまま、生きていかなくてはならないのか。

明日の未来、なんてものは考えていない。もはや、今日を生きることに必死なのだから。

光は、ないわけではない。自分で照らして前を歩くような強さは、あいにく持ち合わせていないが、わたしの内側で、まばゆいものは存在している。


ずっと側に、いてくれたんだ。何も言えなかった。わたしは、わたしのことでいっぱいだった。いつもそうやって、自分を大事にするあまり、周りを、他人を、容易に傷つけてしまう。典型的な、弱虫。いくじなし。


君を思い出して、ひとり悶えて、抱えたままでいるのも、そろそろ苦しくなって、酒やタバコに逃げて、そのまま果てるまでいきそうなので、どうにかして、思いを打ち明けてもいいだろうか。


Y。君のことだ。

はじめて会った時のことを覚えているかい?わたしは、初対面というものが、とてつもなく苦手なのだ。怖いものは、たくさんあるけれども、そのうち人間は、最上級だ。身を持って知っている、生まれ変わるなら、人間にだけはなりたくない、ここは、わたしにとって、到底生きにくい地獄のようなもの。わかる?人間は皆、ちがう、わたしのような、生きることを、持久走のようなものだと、耐えているものも、いるのだ。いつまでも、ゆるやかな死を待ちわびているのは、昔から何も変わらない。


いけない、君は、こんなわたしを、呆れていたね。

出会った日のことを書こうか。


仕事をやめて、ぼんやりと、川辺に寝そべりながら空を見ていた。

何もかもが、無になって、それを待ち望んでいたかのように、時間の概念さえも消し去っていた。

もうすこしだけ、この世界を眺めてから、いこう。決意、と最後の書く手紙の構成さえ練っていた。


あれは、八月。夏の勢いに押されて、参っていた。

Yが、寝そべっているわたしに、話しかけてきただろう。身を乗り出して、顔を覗いて、珍しいものでもみるような。綺麗な長い睫毛が、目にかかって、小さく影を作っていて、逆さに浮かぶ三日月を連想し、つい、うっとり見つめてしまっていたことに気づいて、ハッとして、視界の中心を、地上にずらした。君はあの日、どうしてこの辺に住んでいるのか、どこ出身なのか、まるで、自己紹介のようなものを、求めてきただろう。


すごく、戸惑ったんだ、あの時。人の懐にぬるっと入って、今までのわたしの警戒の糸をときほぐしていくようにして、だから、ずっと、俯いていたんだ。自分の弱さが、見透かされてしまわぬように。怖かったんだ、Yのような人間は、はじめてだったから。いつも、わたしが一人きりのときに話しかけてきたのは、身内か、バアの店員か、そう、あんな川べりの出来事、後にも先にもYだけなんだ。


あの時の、わたしは、ひどく疲れ切っていたはずなのに、Yとの話に夢中になっていたね。

まるで、新しい世界を知るような気分だった。あのときまで、わたしの世界は完全に確立されていた。誰も入ってこれなかったはずだった。死にたいとさえ思っていたのだ。それは今もだがY、聞いておくれ。人生に例外は付き物だ。そしてわたしは、例外さえ、特別と呼びたいような、浮かれた気持ちでこれを書いている。なんて、キザかな。


Yは、それからも、よくわたしのところへやってきた、それから、気まぐれにおしゃべりをしたね。誰もがくだらないと思うような、答えの見つからない、万物のことやら、些細なことを、時間を忘れて話していた、あの刹那が好きだった。一瞬でも、その瞬間に、身を委ねて、そうして、わたしを蝕む、黒いモノを忘れることができた。私だけでできた、私だけの世界に、Yへの招待状を送っていたのだ。ごめん、これを書いている手が、鈍くなっていくのがわかる。まるで恋文だ、これはとても、恥ずかしい。どうか、笑ってくれていい。



さっきの話、Yはわたしにとっての、光のようなものだった。


Yとわたしの思想は、似ているようで、違うものばかりだったけれど、それがよかったんだ。

否定したりしないで、聞いてくれる、心地のいい、居場所だった。


あの日、急に、君がいなくなってしまうまでは。


どこか遠いところへ、行ってしまったんだね。

それにしても、ひどいじゃないか、何も言わずに、行ってしまうなんて。

それとも、わたしが、いけなかったのか。

何もいわずに、その刹那に頷くだけでは、いけなかったのか。


嗚呼、わたし、わたしは、どうしようもない愚か者だ。

わかっているのだ、普通の人間とは、作りが変わってしまっているのだ。

どこか大事なものが、欠けているのだ。自分さえ、うまく動かしていけないのだから。

今更、こんなことを言っていても、どうしようもない。動かなければ、みんなガラクタ。

Y。わたしは、だれも、責めたくはないのに、一番近くにいる、自分自身には、猛攻撃できるほどの弱さがあるのだ。

本当は、気づいていたのだ。Y。わたしは、ひとりでは、とてもうまく生きていけないのだけれど、ピエロのように、社会を必死にもがいて、時々、もがいていないフリなどしたりして、そうやって、自分だけは守っていかなければ、上手に泳げないのだ。Y。全部、知っていたのかい?それとも、何も、考えていない・・・なんてことは、ないだろうな、わたしは、覚えている、Yの目を。


わたしが選んだのは、Yじゃなかった。

Yを無視して、適当なダンサアと毎晩、自傷するように飲み明かしていた。


わたしは、大事なものを、大事にできない。ほどよく、なんてものは存在しない。燃えるような、内側の気持ちに気づいてしまったら、もう、何も手を打てない。自分が、自分ではなくなってしまう、恐怖もある。いや、それよりも、もっと恐ろしい、一人歩きの、一方通行。


Yと、いつものように、おしゃべりをしたかったんだ、当たり前のように隣を歩いたり、Yがもし、世界を嫌いになるなら、わたしも一緒に悪口を言い合いたい、Yの好きなモノ、一緒に見てみたかった、わたしには、そんな資格さえ、なかったのだ。


わたしは、一輪の愛する花があるなら、ぐしゃぐしゃに踏み潰したりはしない。花を、花瓶に丁寧にいれて、景色のいいところに、そっと置いて、ゆっくりと空間を楽しんで、それから毎日水をあげる。だけれど、そのうち、水をあげすぎて枯れてしまうんだ。それが怖くて、枯れてしまうのが怖くて、だから、水をわざとあげずに、他の花を買ってきて、適当にして、それで、いろんな花に水をやるのだ。その大事な一本が、枯れたりしないように、必死で祈って、綺麗にして、そうしたら、いつの間にか、なくなっている。誰かが気に入って、持っていってしまうのか。いや、花だって傷つくんだろう、他の花に水をやってるなんて。そうして、ずっと、見ていなかったことに、後悔して、失って、それから一人切なく想って、泣いたりする。


まるで惨めな、手紙になってしまった。反省会とでも、言えるかもしれない。

だらだらと、陰気臭いことを言ってしまうのが性なのだ。許しておくれ、これでも人一倍、Yに、感謝している。

好きな花は、見ているだけで、幸せでしょう。Yも、同じだ。どこで、何をしているかわからなくても、記憶の中から、引っ張り出して、ふと、花の香りを思い出すように、優しい気持ちになったりして。生きているだけで、いいのだ。それだけで、いいのだ。世間の、荒波も、下手な、常識も、いらない。ジョークという名の、無教養な戯言も。Yなら、大丈夫。一番の、応援団長に、させておくれ。わたしは、なんとか、しがみついて、生を選ぶから。出会うたび生じる刹那に、優しさも、あることを、教えてくれたでしょう。いろんな、色を、見せてくれたでしょう。君は、どこにでも、いけるのだ。


P.s.

いつまでも、取り出すことのできなかったこの手紙を、夏の暑さによって鞭打たれた体で、出しにいったのだ。久しぶりの街は、いけないね。人が多くて、とても、歩きにくかった。Yと、歩いたあの駅で、懐かしいな、なんてぼんやり考えていたら、君がいた。結局手紙は出さずに、帰ってきた。情けなくて、その場でぽろぽろと泣いて、そうして、数分立ち尽くし、明日のことを考えて見た。なぜだかとても、恥ずかしかった。



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