22 初めての夜
無事? とは言い難いトイレを済ませた後、言われるままシャワー代わりの水浴びを終えた俺は、セトの手料理を味わっていた。
メオリオラビットのソテーに野菜の付け合わせと、火を入れ直したシチューの残り。セトが焼いたハードなパン等だ。
2人向かい合って、これだけの料理を乗せると、この木のテーブルちょっと手狭かもな。
「わたし、こんなに美味しいソテー食べたの初めてですっ」
見ていて危なっかしかったので、助手として手伝った際に肉にかけるソースを作製すると、またえらく感動されてしまって気恥ずかしい。
セトの家にワインとスパイスが常備されていて助かったぜ。
「おいひぃてふ」
お上品に口元に手を当ててはいるが、頬張っているのが丸わかりだ。
「うまくいって良かったよ。てか明日からもその、ここでお世話になるし、じゃなくって」
セトは俺の嫁って言った手前、この言い方って変だよな、なんて考え出すとどんどんシドロモドロだ。
俺、カッコ悪ぃ……。
「はいです! ふふふ、レン様とずっと一緒なのです。嬉しい」
「お、おう。明日からも色々とこの世界の事教えてくれよな」
「はいっ、勿論です」
でもセトは、多分俺の事をカッコ悪いだなんて思っても無くて。
素直な言葉と笑顔を見ていると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
変に意識しすぎるのも、逆に変だよな。
俺、まだ16歳だし。
というか、この世界での結婚ってやっぱり儀式的な何かがあるのだろうか?
今はいわば婚約期間なわけだから、俺の世界だと、確か……。
(そうだ、婚約指輪!)
これは俺でも知っている。給料の3か月分を叩き込むという、男の甲斐性の見せ所!
(せっかくなら俺が作りたいな)
指輪などのアクセサリー造りを最も得意としている俺。
考えを巡らせると、思わずともワクワクしてしまう。しかし、俺の世界だったならまだしも、今は材料や、加工に必要な大きな道具までは、この世界に持ち込めていない。
(でも、セトやマヘス、街人の装備品を見るに、アクセサリーは存在しているんだ。道具類や施設は必ずある)
「……様、レン様?」
考えているとぼーとしていたようだ。
セトの声に我に返る。
「え、わっ」
思いの他、セトの顔が近くにあった事に驚いた。テーブルの向かい側から身を乗り出す様にしているセトは、俺の口元に手を伸ばしていた所だったのだ。
「パンくずが付いておりましたので」
そっと取ったパンくずを事も無げに口にしているセトと、赤面する俺。
「レン様のおっしゃる様に、硬くなってしまったパンは、焼くとサクサク美味しいですね」
屈託のない笑顔が眩しい。
なんか俺、すっかり翻弄されているんだけどさ。
それが何だか嬉しくも感じられるから、いいんだと思う。うん。
そうしてその夜。
俺はというと、再びトイレに立てこもっていた。
端的に言うと、あれだ。初めての夜、だからです。
「レン様? 大丈夫ですか?」
「あ、うん。だいじょうぶ!」
別に俺はナニも考えていない。でも考えていなくても、意識はしてしまうのが正しい青少年の反応だろう?
俺だって必死に悩んださ。
居間にあるソファに寝ようかとか、そうだ! 亡くなった婆ちゃんのベッドがある筈だよな? とか、セトにちゃんと聞いてみた。
だが一番選択したかった婆ちゃんが使っていたベッドは一緒に埋葬? 焼かれてしまった為に無いのだという。カデッシーナでの荼毘にふす方法がそれなのだろうか? という疑問は置いておいて……
「わたしのベッドですと、ソファよりは安心して寝ていただけます!」
いや、俺が俺を安心できない。
だが、これ以上誤魔化すことも引き延ばすことも不可能だろう。
俺は意を決してトイレの個室から出たのだった。
『ラン ラララララン』『ルン ルルルルルン』『アーアアー』
水玉さまの讃美歌が俺の背中を押してくれる。
まさかこいつらに感謝する日が来るとはな……というか、さっき見掛けたばっかだけど。
寝巻き姿のセトに自室へと案内される。
大樹の家の中は思ったよりも広く、セトの部屋は2階層にあった。
多分外から見ると、太目に枝分かれしている部分と言えるだろう。
(うわ……かわいい部屋だな)
多分、世の女の子が羨ましがるだろう、そんな部屋。
まず目を引いたのは、部屋のいたる所に置かれた、吊るされたランプ。瞳に優しいオレンジの灯が揺らめき、それは時折小さな蝶に姿を変えたように見えたのは、俺の目の錯覚だろうか?
クルミアの街でセトが言葉にしていた通り、ここにも彼女の好きが詰まっているのだろう。小さな花の鉢植えやテラリウムが多く目についた。必要最低限の家具だけというのも、何ともセトらしい。
部屋の奥には窓際に大きめのベッドがあり、細やかな刺繍が施されたベッドカバーが掛けられていた。
「ふわあぁ。では、ねんねしましょう、レン様?」
「え、あ、うん」
お邪魔します。などと、我ながら言葉のセレクトをどうにかしろとは思うが、どうにもならないものなんです。
セトと共に寝転がったベッドは思った以上に柔らかく、ふわっふわで、でもって適度に固さもある。何とも不思議な感触だった。
この素材は何なんだろうか?
「めっちゃくちゃ寝心地いいな」
「……すやぁ」
「もう寝てんのっ!?」
俺の方に顔を向け、安心しきった表情で惰眠を貪るセト。
睫毛がすごく長い事に、今更気付いた。
安心したような、残念なような、上手く言葉に出来ない不思議な気分だ。
でも、まだドキドキと心臓は激しい鼓動を打っている。
(落ち着くまで、まだかかるなこれは)
しばらく俺は、そのままセトを見ていた。
こんな風に、無防備な誰かを見つめたことなんて無い。
カデッシーナの夜は本当に静かだ。
無音に近い。時折聞こえるのはきっと、ランプの灯りを司る妖精が揺らめく音と、セトの吐息だけ。彼女を見ていると、俺も次第にとろとろとし始めた。
実は俺も、すごく眠いんだ。
今日はカデッシーナに初めて来た日で、本当に色んな事があった日。
思い返すなんて間も無く、全部今日の事なんだから笑えるよな。
だからこそ思うんだ。
今、目を閉じて眠ってしまったら、もうこの世界は消えて無くなってしまってるんじゃないかって。
「消えるなよな」
眠るセトの頬に手を伸ばし、撫でる。
するとセトが「むひょむひょ」呟きながら、微笑んだ。
俺はふき出しそうになるのを慌てて堪えた。
「おやすみ セト」
これからも、宜しくな。




