17 思い出の陶器
直後に額に鈍い痛みが走る。
「レン様!」
椅子から立ち上がった領主が、手近にあった物をセトに向かって投げつけてきたのだ。
咄嗟に手で頭をかばったものの、防ぎきれなかった。
ぬるっとしたモノが前髪の隙間から伝う感触に、俺は顔を歪める。
「ってー」
もしかしなくても、これ血だよな? 自分ではどうなっているのか判らないけど、結構痛い。
「あ……わ、私は」
領主は狼狽え、俺を凝視していた。周りの者達も領主の行動に驚いたのか、何も言葉を発することなく固まってしまっているようだ。
領主が投げつけたのは陶器のカップ。
だが、運が良かったのか、カップは粉々というわけではなかった。
取っ手の部分がポッキリと外れてしまったカップは、何だか物悲しく見える。
「……」
俺はその場に胡坐をかいた。
カップを手に取ると、それをじっと見つめる。
(素地の色が絶妙だ。粘土の配分の加減がすげーなこれ)
「いい色」
誰が作ったものなんだろう。そして、使い込まれ年季の入った陶器のカップはその持ち主の心をも伝えるようだった。
いくら取り乱したからって、投げるなよな、こんないい物を。
「レン様……」
セトの声に我に返る。
俺と同じくその場に屈んだセトは、俺の額を手で押さえてくれた。
ふわっと柔らかい、女の子の手だ。
エメラルドの瞳は今にも泣きだしてしまいそうに潤んでしまっている。
セトを安心させたくて「大丈夫だよ」と少し笑うと、安心させるどころか「だぱー」と涙が洪水になった。
ほんとセトって外さないよな。
俺は立ち上がり、領主に向き直った。
「すごくいい造りのカップだ。ちゃんと修理したらまた使えるよ」
「!? な、何を」
「大事に使ってたって、判るからさ」
「!」
項垂れる領主の表情からは先程までの嫌悪感は消え去っていたように思える。
少しの沈黙の後、人払いをかけた領主は静かに話し出した。
今、この部屋にいるのは俺とセト、それからあの執事の爺ちゃんだけだ。
「君は、変わっているな」
「え?」
いきなりなんなんだ?
爺ちゃんに手当をされながら、俺は目を丸くする。
「乱暴をされたというのに、カップの心配とは」
「んー。こんないい色のカップに初めて出会えたからさ」
領主はクラウスと名乗った。
セトが言っていた通り、俺と同じ容姿であるヒューラーの青年だ。
今改めて見るクラウスは苦い表情で己の足元を見つめている。
「ありがとう。そのカップは亡き母が作ったものでね。諸事が重なったとはいえ、人道を軽んじた言動と行動をした。君に心から詫びよう。申し訳ない」
クラウスは俺に向かって頭を下げる。
領主の肩書の者が頭を下げるなんてと、俺は驚きを隠せない。
でも、それと同時に思っている事もあったんだ。
「謝るのは、まずセトへが先だよ。あんたはどうしてこんなにセトを嫌ってるんだ?」
クラウスが眼を見開いた。
そうして絞り出すように語られた話は、俺とセトを驚かせる。
「……だからって」
だが、話を聞いた今も俺は納得出来ない。
「自身が成長した今、悪かったのはエルフだけではないと判っているつもりだ。だが、俺や母を捨て、エルフの女を選んだ父の姿が忘れられない。母が気を病んで死を選んでしまった事実も変わらない」
(エルフ自体を嫌悪しているのか)
声を震わせるクラウスは、同情心を抱かせる。だけど……
「クラウスさん……」
呟くセトを、クラウスは何とも言えない表情をして見つめていた。
「でも、セトはそのエルフの女じゃない。種族の血が混じっているからって、一緒くたにされるなんて、された方はたまったもんじゃねーよ」
「……そうですな。ごもっともです」
唐突な爺ちゃんの一言に、俺の肩ははね上がった。
「じい……」
注意すると思っていたクラウスも何も言わない。この爺ちゃん、一体何者だ?
「そろそろ、許す。いや、お忘れになった方が宜しい頃合いかと。このままでは、貴方は気付かぬ内に1人の『人間』を消してしまうことになるやもしれませぬ」
それは多分セトのこと、なんだろう。
「……」
「貴方の父親がした過ちを、自身も重ねるおつもりか」
爺ちゃんの一言が、広い室内に妙に響いていたのが印象的だった。
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