《かざコン》出品版
かざコンへの出品版です。
『伯母さん、こんな感じですか』
ドーラは幼いころから伯母の元で様々なアロマクラフトを作製していた。
『ええ、そうね。あなたらしい香りね。でも、この香水、特別な人との逢瀬には――――――を加えてもいいんじゃないのかしら』
調香師の免許を取る前、最後に習ったのは伯母が最も得意とするもの。
だが、伯母の言葉の中で大事な部分が抜け落ちており、あれは何を加えればよかったのだろうか。
伯母に聞くすべもない。
なぜなら。
ドーラの伯母、エリザはその直後から行方不明になってしまったから。
調香師となった彼女は伯母の店、『ステルラ』を引き継ぎ、それを探し続けていた。
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「いらっしゃいませ」
少しくすんだ赤い髪を肩で結び、陽気な声で客に声を掛けたのは、この店の主、ドーラだった。
「ねぇ。キミの力で私の手を直してほしいんだけど」
普段、来店するのは予約客が多い。
だが、開口一番、そう言った女性のように飛び込みの客もいる。少々ドーラよりも年上だろうか、店に現れた短い黒髪の彼女は、この国ではあまり見かけないような恰好だった。しかも、この季節にそぐわない分厚い手袋をしていた。
「えっと?」
ドーラは彼女を見て、首を傾げた。その様子に女性はフフと笑う。
「ああ、悪かったね。今、この街を散歩していたんだけれど、ここの看板が目に入ってね。予約優先とは書いてあったものの、どうやって予約すればいいのか、わからなくてさ」
男っぽい口調で話す彼女に、ああ、そういう事だったんですね、と納得したドーラはこちらへどうぞ、と彼女を応接室に案内した。客人を座らせてから、ちょっとお待ちください、と言って部屋から出たドーラは、手っ取り早く紅茶を淹れて、応接室に戻った。
「お待たせしました」
彼女は客人の手元に紅茶を置き、正面に座った。
「いいや、こちらこそ急に来店してしまって申し訳ない。すまないが、まずはこれを見てくれないか」
客人はテレーゼと名乗り、手袋を外した。そこにあった両手のひらは、この湿気っている季節とは真逆の状態、乾燥してさかむけ、真っ赤になっていた。その様子に絶句したドーラに対し、どうしてこうなったのか、説明しはじめた。
「私には昔から使っているハンドオイルがあるんだ。それも、小さい時から同じ専属の癒身師に処方されたものを、ね。
ずっと彼に作ってもらっているんだが、半年前に作ってもらったものを使い始めてから、荒れ始めてね。
その時に奴に見てもらって、別のハンドオイルを処方してもらったんだけれど、どうにも治らなくてね」
テレーゼがここに飛び込んできた理由が分かった。
彼女の職業はよく分からなかったが、どのような形であれ、彼女『専属』の癒身師となれば、相当な腕を持っているはずである。
だが、その人でも理由を見落とすことがあるようだ。ドーラはそれに少し興味がわいた。
「そうでしたか。それで私のところに来られたのですね」
「ああ。ここに来るまでもいろんな癒身師に診てもらって、こうでもない、ああでもない、といろんなものを押し付けられたが、全く治る気配が見えない。だから、そろそろ諦めたくなってきたよ。
キミも無理なら無理って言ってくれて構わないよ。
別にそう言われたところで、この店の評判を落とすようなことは一切しないと誓うからさ」
そんな諦め声のテレーゼに、すぐさまドーラは言い切った。
「治せないものなんてありません。必ず、どこか原因はあるのですから」
テレーゼは目を丸くした。
「本当にできるのかい?」
ドーラの瞳の奥を見つめた。彼女はその探るような視線に一瞬、圧力のようなものを感じたが、それでも目を逸らさなかった。
「はい」
その言葉には迷いが全くなかった。
「早速、診せていただけますか?」
テレーゼは心の中で確信した。
彼女なら直してくれる、と。
初対面だが、そう言い切れる何かがあった。
「じゃ、よろしくね」
今までの癒身師たちと同じように、テレーゼの生活面や健康面について詳しく尋ねた。
その際にテレーゼの素性に気付いて、畏まろうとしたが、彼女から一人の患者として接してほしい、と懇願されたので、少しためらったものの、そう接することにした。
「では、ご専属の方から渡されたオイルの処方箋はありますか。それと、各地の癒身師に渡されたケア用品の処方箋を持っていますか」
一通り聞き終わった後、ドーラはある考えに到り、質問した。
「え? レシピってどういったものなんだい?」
だが、テレーゼは質問の意味が分からなく、目を瞬きながら聞き返した。
「――――――ああ、すみません。癖で処方箋って言ってしまいました。ええっと、そうですね。今使われているハンドオイルや軟膏、クリームの現物をお持ちでしょうか」
テレーゼの様子に、処方箋を患者である彼女が持っているはずもないこと思い出し、別の質問に変えた。
「それならあるよ。ちょっと待ってくれるかい」
テレーゼは今回の質問には理解できたようで、鞄からガラス製の小瓶を何個か取り出した。ドーラは机の上に置かれた小瓶を手に取り、次々と蓋を開けて中身を確認していった。
「その瓶が奴に出してもらったハンドオイルだ」
それを眺めていたテレーゼはひときわ大きな瓶を指した。ドーラはそれを取り、光に透かした後、軽く振ったり、蓋を開けて匂いを嗅いだりした。ほかの瓶はそれぞれ一回ずつだったが、そのハンドオイルの瓶だけは何回も同じことを繰り返していた。
「何かおかしなことでもあったのかい?」
テレーゼはドーラの様子が気になった。
「い、いえ。なんでもありません」
ドーラは少し焦ったように言った。その顔も先ほどまでと違い、拙いものを見てしまったようなこわばりが出ていたが、テレーズはそれを追及する気にはなれなかった。
「――――――テレーゼさんはこの街にどれくらい滞在されますか?」
ドーラがテレーゼに訊ねた瞳は今まで以上に真剣なものだった。
「いくらでもいるさ」
テレーゼは上に立つ者の勘で、絶対に逃してはならない機会だと感じた。
「そうでしたか。では、しばらくの間、こちらに通っていただけませんでしょうか」
ドーラは少し不安になりながら尋ねた。さすがに一国の主をこんなセキュリティの薄いところに通わせてよいものかと。だが、その不安はテレーズ自身によって取り除かれた。
「もちろんだ。見た目通り、警護は僅かだが、腕に覚えのあるものばかりだ。いざとなれば私自身が戦えばいいから」
ドーラを安心させるために、テレーゼは片目をつぶっておどけた。その様子に安堵したのか、こちらこそお願いします、と頭を下げたドーラの顔には、先ほどまでのこわばりは消えていた。
「で、お前は何だと思ったんだ」
夜。
店舗兼住居の住居部分で同居人のミールとともに夕ご飯を食べているとき、昼間にあった出来事を話した。
彼は幼馴染であり、この店の共同経営者でもある。そして、何より彼女と同じ調香師である。ある事情から彼は一人で調香することができないが、知識量だけならばドーラと同等、もしくはそれ以上あるので、相談するのには頼もしい相手だ。
「テレーゼ様の生活面も健康面も問題ない。仕事柄、多少ストレスは抱えられるでしょうけれど、あの方だったら間違いなく、過負荷にはなっておられないはず。
そして、手が荒れ始めてから処方されたっていう軟膏やクリームは単純処方だったし、素地の匂いもほとんどなかったから、おそらく一級品。
だから、考えられるのはハンドオイル。
あのオイル、いろいろ気になることがあるの。まず、ブレンドされている精油をすべて当てられない。この件に限らないけれど、ブレンドオイルにかかわる相談は非常に難しい。
それに、キャリアオイルも、比較的さらさらで、精油の隙間から臭う独特な香りがないっていう事は分かるけれど、ただそれだけ」
ミールの問いに、ドーラは答えつつ深く考え込んだ。
テレーゼのハンドオイルを処方したのは隣国の公邸癒身師。その人のことをドーラは知っており、彼の人となりから、テレーゼを害すことは恐らくないはずだ。
(でも、『新しく処方された』ハンドオイルを使うと荒れ始めた。ということは――――)
一つの考えが頭をよぎる。
(私には外国での調査権がある。だけど、本格的に調査しようと思うと――――)
「なぁ、ドーラ」
不意にミールの顔が近づいてきた。
「お前、またぐちゃぐちゃ悩んでいるな」
「あ、うん。そうね――――」
ドーラはふぅ、と息を吐いた。彼の前では強がりを言えない。
「お前には外国での調査権が与えられている。だが、全てを背負う必要はない。
こういう時の俺がいるんだし、何よりこの店のスポンサーは侯爵様なんだ。だから、この店に何かあれば、あの人は黙っちゃいないさ。お前は全力でテレーゼ殿下を治療しろ。その間に内偵ぐらいはこちらでやっておく」
ミールはドーラの考えていたことを当てて、解決策を提案してくれた。彼女はその言葉に、素直に頷いた。
「分かった。じゃあ、任せる」
その返事にミールはニヤリと笑い、了解、と言った。
彼はドーラの左手を握り、目を細めた。
「お前の左手は失っちゃぁいけないもんだからな。俺が守ってやるさ」




