最後の帰り道
「なあ涙奈、なんで花火って夏の風物詩なんだと思う?」
七月上旬の帰り道。幼馴染の風花律樹が突然私に聞いてきた。
「突然どうしたの律樹?」
「いやあ、夜に花火見るなら別に夏じゃなくてもよくね? って思ってさ」
私――霜月涙奈と律樹は小さいころからの幼馴染で、小中高と同じ学校に通ってきた。物心ついた時からずっと一緒で、登下校もいまだにこうして一緒にしている。
「俺はさ、寂しいからだと思うんだ」
「何その女々しい見解」
「夜に一人で花火を見るとしてさ、秋とか冬とかだと寂しい感じしない? 夏だったらそんなことない気がするんだよな」
「わからなくもないけど、律樹ってそんなロマンチストみたいな思考回路だったっけ」
「悪いかよー、別にいいだろー?」
ちぇー。っとそっぽを向く律樹を見てクスッと笑みが零れた。私はその問いの答えを知っているけど、あえて口にはしない。だって、会話が終わってしまいそうだから。
「涙奈はどう思う?」
「んー、わかんない」
「ちょっとは考えろよー」
笑いながら歩く律樹の少し後ろを、少し高い背丈を見ながら歩く。昔は大して変わらなかったのに、こんなに大きくなっちゃって。
「どうした涙奈? 足でも痛めたか?」
「ううん、なんでもないよ。さ、行こ」
こっちを振り向いた律樹の隣に並んで、一緒に歩く。いつもと変わらない光景。
でも、それに満足できなくなったのは、いつからだっただろう。
自分の部屋のベッドに寝転がって、ぼぅっと携帯を眺める。
「そうだ、暇だし律樹に電話かけようっと」
何の予告もなしに突然かけてびっくりさせてやろう。そう思った私は、律樹に電話をかけた。
しかし、かけた瞬間に電話が切れた。不思議に思い見てみると、画面には「通話中です」の文字。
「珍しいな。律樹が誰かと電話なんて」
最近LINEの返信が遅いことはあったが、通話中というのは初めてだった。
「誰としてるのかな……」
そう考えると、心の奥がもやっとした。いつからだろう、こんな気持ちを抱いたのは。
気が付けば、『幼馴染』では満足できなくなっていて、律樹への感情は『恋心』に変わっていた。
「律樹はどうなんだろう……」
少なくとも、普通の女子や女友達よりかは特別な存在だと自負している。だからと言って、律樹が私を恋愛対象として見ているかはわからない。
「私、どうしたらいいんだろ……」
恋人になりたい。のだと思う。でも、今のこの関係が崩れてしまうと思うと怖かった。付き合うにしても、振られるにしても、同じだった。
そんな時、律樹からLINEが来た。
『ごめんごめん、後輩と電話しててさ。何か用だった?』
後輩。そのワードが私の心をさらに曇らせた。気になったけど、男子か女子かは聞かなかった。
『なんでもないよ、暇だっただけ。お風呂に入ってくるからまたあとでね』
とだけ返信して、携帯を置いたまま部屋を出た。
七月末の帰り道。不意に律樹が言った。
「あのさ、俺、後輩に告白されたんだ」
「へ?」
突然すぎるカミングアウトは、私の心を抉るには充分だった。
「こ、告白って、え?」
「ほら、最近電話したりしてる後輩。美原鈴端って子」
その名前には聞き覚えがあった。律樹を部室まで迎えに行ったときに会った可愛い女の子だ。確か、今年一番に入部してくれた子って言ってた。
「ああ、あの子」
「そうそう。それでさ、どうしようかと思ってて」
てっきりOKをしたとばかり思っていた私は驚いた。
「え、返事してないの?」
「おう。まだよくわかんなくてさ」
その言葉を聞いて、ほっとした自分がいた。つくづく自分でもひどい奴だなって思う。
「にしても、律樹に彼女かぁ、なんか寂しいな」
「何言ってんだよ、別に幼馴染じゃなくなるわけじゃないんだし」
そういうことじゃない。少し本音を零してみても、届かない。律樹はおどけて笑うだけ。
「なんだ? 落ち込んでんのか?」
「うーん、そうだなぁ。律樹のほうが先にリア充になるのが許せないかな」
「うわひっでえ」
一度に入ってきた情報が多すぎて、こんな憎まれ口を叩くしかできなかった。
(本当はもっと別のことを言いたいのに……)
そんな本音を言えるはずもなく、ただただ律樹の隣を歩く。
こうやって二人で帰ることが終わる予感が、なんとなくしていた。
夏祭りを一週間後に控えたある日、私はいつものようにベッドに寝転がってぼぅっとしていた。
頭の中には、律樹のことだけが浮かんだ。毎年二人で見に行っている花火も、今年からは見れなくなる気がした。
「迷ってるとは言ってたけど、どうなんだろ……」
なんとなく、律樹はこのまま付き合う気がした。ここ最近LINEも電話も頻度が上がっているようだったし、何より鈴端さんのことを話す律樹はとても楽しそうだった。
でももし、迷っている理由が私なら。なんてことを考えてしまう。
「そんなことないんだろうけど……」
考えれば考えるほど、可能性のなさが浮かび上がってくる。気が付けば、目元に涙が浮かんでいた。
「はあ、バカだな私……。これくらいで泣くなんて……」
辛い涙のない人生を。という両親からの願いが込められたこの名前。そんな願いもむなしく、私はボロボロと涙を零した。
「もし律樹が付き合ったら、私は応援してあげられるのかな……」
正直、律樹のことを想ってくれる人がいるのは嬉しいし、律樹の恋を応援してあげたい。でも、私のこの感情が邪魔をして、素直に応援してあげられないかもしれない。
「なんで私、こんななのかな……」
何もかもが中途半端で、エゴまみれの自分が嫌になって、タオルケットを被って蹲った。言葉にならない想いが、小さな嗚咽になって部屋にこだまする。
(私……、ひどいな……)
どうすればいいのかわからなくなって、ぽろぽろと涙が零れていく。そして、自分でも気づかないうちに、私は意識を手放していた。
あれから数日。私はなんとなく気まずくて一方的に律樹と距離を置いていた。しかし、今日律樹に「久々に一緒に帰ろう」と言われ、一緒に帰っていた。
「涙奈、あのさ」
「うん?」
「告白された。って言ったじゃん?」
「ああ、決めたの?」
「うん」
私はその次の言葉を覚悟した。きっと、私は。
「OKしようかな。って思ってさ」
「……そっか」
やっぱり。そう思うと同時に、心のどこかにあった、「もしかしたら」という感情が音を立てて崩れていった。
「考えたけどさ。俺も、鈴端のこと好きみたいだし」
「なにそれ、はっきりしなよ」
「仕方ないだろ、初めてなんだから」
その言葉を聞いて、私の足は自然に止まった。
「涙奈、どうした?」
『初めて』。ああ、そうだったんだ。きっと一度も、律樹は私のことをそういう風に見てはいなかったんだ。可能性なんて、初めからなかったんだ。
「お、おい、どうして泣いてんだよ?」
「あはは、なんでかな。泣くつもりはなかったのに……」
無様にも涙を零しながら、私は無理やり笑顔を作って、律樹の胸を小突いた。
「うわっ!?」
「律樹、ちゃんと幸せにするんだよ? 鈴端さんのこと泣かせたりしたら、絶対に許さないから」
「お、おう……」
甘えたりしない。弱音は吐かない。ここで告白したりするのは、反則だと思うから。この気持ちは、死ぬまで隠しておこう。
「ねえ律樹、まだ返事してないんだよね?」
「そうだけど、どうした?」
「じゃあさ、律樹がまだ『私の幼馴染』であるうちに……」
「……?」
私は律樹の手を掴んで、ぎゅっと握った。
「最後にもう一回、昔みたいに手を繋いで帰ってもいい……?」
きっと、私の目元には涙があふれていたと思う。それでも、最後の帰り道くらい、手を繋ぎたかった。我儘を言いたかった。
だって、これが最後だろうから。
「ダメ……?」
「……いや、いいよ」
そう言って、律樹は私の手を握り返した、数年ぶりに握った律樹の手は、昔よりもずっと大きくて、ずっと暖かかった。
「久しぶりだね」
「小学校以来、か」
「だね」
二人で並んで歩く。最後の帰り道を。
「なあ涙奈」
「ん?」
「お前もいい相手見つかるといいな」
「うわ、なんか腹立つ。てか余計なお世話ですー」
どっちにしろ、すぐには見つからないだろうな。
「末永く爆発しろバーカ」
「うわひっでえ」
ロマンチックな展開でも、私が望んだ結末でないし、今でも私は、嘘だったらいいのになんて思ってる。でも。
『あなたの幸せが私の幸せ』なんて綺麗ごとを想っても、いいかな。
お母さんの呼ぶ声で目が覚めた。どうやら、いつの間にか眠っていたみたいだった。
「涙奈―、夏祭り行かないのー?」
そういえば、今日は夏祭りの日だった。
「気が向いたら行くー」
「律樹くん待ってるんじゃないのー?」
「律樹今年は彼女といくってさー」
「あらそう? なら仕方ないわね」
仕方ないってなんのこと? と思いながら付きっぱなしになっていた携帯の画面を覗く。そこには、寝る寸前までしていた律樹とのトーク画面が映し出されていた。
『夏祭りどうする?』
『鈴端さんと行かないの?』
『ああ、行こうって言われてるけど、毎年一緒だったしどうかなって』
『私のことは気にしないで行ってあげなよ』
『そっか、ありがとな』
『いえいえ』
「……」
断ってよかった。と思う。でも本心はやっぱり一緒に行きたかった。なんてのは未練がましいかな。
「気晴らしに行こうかな」
小さなカバンに携帯と財布だけを入れて家を出た。一人でゆっくりと会場へ歩く。
祭りにつくと、予想よりもずっと多くの人がいた。いつもは律樹と一緒だったから何ともなかったけど、今日は心細い。もう終わったはずなのに、人ごみに律樹を探してしまう自分がいる。
「……バカみたい」
なんとなく綿あめを買って、一口食べる。痛いくらいの甘さが口の中に広がって、不思議と涙が出そうになる。
すると突然、夜空が明るく光って、大きな音が鳴った。祭りに来ていた人たちの歓声が上がる。
「花火……」
ふと、あの時の律樹の質問が思い浮かんだ。
『なあ涙奈、なんで花火って夏の風物詩なんだと思う?』
私はその答えを知っていた。だけど言わなかった。話が終わってしまいそうだったから。
確か、昔お盆にできるだけ天に高いところで献花しようとしたのが始まりだったらしい。だから〝花〟火なのかな。
律樹の答えは正解じゃなかったけど、私は好きだった。あれも一つの正解だと思った。でも。
「律樹のバカ。夏でも、一人で見る花火は寂しいよ……」
どうせなら、ご先祖様たちの魂と一緒に、私のこの想いも弔ってほしい。
そんなことを願いながら、一人、夜空に咲く花を見上げて涙を零した。