十七歳と白い死神
少女こと十五夜陽音は、キッチンに置かれている包丁を眺めてふと思った。
「これで首を切れば全部終わるのかな」
陽音は十七歳。「大人なんだから」と言われながらも「子供は黙ってろ」といわれる中途半端な年齢。高校二年生であまり危機感も湧かず、かといってサボることも出来ない年齢。そんな中途半端な時を生きる自分に、陽音は疲れきっていた。原因はそれだけではない。部活でも上手くいかず、才能のある上層部に馬鹿にされる毎日。唯一得意な料理ですら、素人に毛が生えた程度のもの。頭も顔も運動神経もそこそこ。クラスでもごく普通な立ち位置で、発言力も特に無い。何もかもが中途半端で非凡な自分。だけど大人たちはそんなことも知らず、「長所」を、「上」を望んでくる。「私はあなたたちの操り人形じゃないし、言われたことを実行するロボットでもない」と何度思っただろうか。「あなたたちの思うほど良くできた人間じゃない」なんて、考えなかった日の方が少ないだろう。仮にこんな弱音を吐いたところで、何も聞き入れてはもらえないだろう。「甘えるな」「辛いのはあなただけじゃない」なんて言葉で一蹴されるのがオチだ。そして、こんな今を耐え抜いて大人になったとして、何があるだろう。ニュースで日々報道される社会の黒い部分。たびたび聞かされる「社会に出たらこんなものじゃない」。何が楽しくてもっと辛い世界に身を投じなければならないのだろう。生きる理由がないとまでは言わないが、こんなものを見せられて未来に希望を持てと言う方が酷だろう。どうせ人々は「思春期特有の悩みだ」なんて言うのだろうが、この悩みを、不安を「思春期だから」なんて安直な言葉でくくらないで欲しい。少なくとも、私のこれはそんな簡単に言い表せられるものじゃない。と陽音は思っていた。
だから、どうせならこんな人生終えてしまってもいいだろう。と陽音は考えたのだ。
「どのくらい痛いのかな」
そんなことを呟きながら、陽音は包丁へ手を伸ばす。その瞬間だった。
「ストップ! ストーーーーップ!!!」
突然の大声と共に、何処から入ってきたのか、女の子が間に割って入ってきた。
「……誰? 不法侵入?」
「自殺はダメ! いいことなんて何も無いよ!」
「いや、だから」
「今ならまだ間に合う! どうか考え直して」
「あんた誰かって聞いてんの!」
「わわっ!?」
やっと陽音の言葉が届いたのか、女の子はマシンガンのような口を止めて、一呼吸置いて言った。
「私は冬紅! 見習いの死神だよ!」
キラッ。という効果音でもつきそうなポーズを決めて、冬紅と名乗った少女はドヤ顔で言った。
「死神? あなたが?」
「うん! なりたてほやほやの見習いだけどね!」
「うそだぁ、だってあなた、なんて言うか……」
陽音は冬紅の容姿を確認した。白くて長い髪に赤い目 (おそらくアルビノなんだろう)に、真っ白のワンピース。背中に鎌のようなものを背負ってはいるが、陽音の思う死神像とはかけ離れていた。
「なんて言うか、白い」
「なっ!」
どうやらその台詞は冬紅の逆鱗に触れたようで。
「いいじゃん白くても! アルビノなの気にしてるのにぃ!」
「あ、ええと」
「黒いよりかは初対面で刺激しないかなって自分では長所だと思ってたのにぃ!」
「ああもう、わかったから。白いって言ったの謝るから落ち着いて」
「むぅ、じゃあ許す」
「はぁ……」
数分で色々な情報が頭に入ってきて、陽音の思考はパンクしそうだった。
「で、なんで私のとこに? 殺しに来たの?」
「まさか! 仕事中にたまたま自殺しそうなところを見つけたから慌てて止めに来たんだよ」
「仕事って? 死期近い人でも殺してまわってんの?」
「なんでさっきからそんなに物騒なこと言うの……。一応言っとくけど、死神っていうのは人を殺すんじゃなくて、人が死んだ後に魂を運ぶのが仕事なの! ゲームとかみたいな物騒なものじゃないから」
「なーんだ」
「なんでちょっと残念そうなの」
冬紅のキャラもあってか、自殺する気も冷めた陽音は、その場に座り込んだ。何故か当然かのように冬紅が隣に座る。
「ねえ、……名前聞いてなかった」
「陽音。十五夜陽音。漢字は面倒だから「ひのね」でいいよ」
「おっけー、ねえ陽音、なんで自殺しようとしたの?」
「それ聞く? まあいいけど」
陽音は別にいいかと思い、思っていたことを全部ぶちまけた。途中途中腹が立って何かしらを殴りたくなったが、何とか抑えた。
全部聞き終わった途端、冬紅はこう言った。
「あーよかったね陽音、それだと、死んでも苦労すると思うよ?」
「え? そうなの?」
「そうそう。死んだ後も転生できる人順に先輩後輩ってなるから色々気遣わなきゃいけないし、上下関係厳しいし。それが嫌だから死神になったのに、蓋を開けてみれば一向に積めないキャリアと先輩たちからのパワハラ……ブラック企業にも程があるよぉ」
死神業界もパワハラ禁止してくんないかなぁ。とぼやく冬紅をみて、陽音はどこかほっとした。
「大変そうだね」
「陽音ほどじゃないけどね」
「仕事の愚痴でも聞こうか?」
「じゃあ聞いてもらっちゃおっと」
話し出した冬紅の話を聞きながら、結局何処も変わらないんだなぁと陽音は思った。どんどんヒートアップしていく冬紅をなだめながら、愚痴を聞き続けた。
「あの先輩、ぜっっっっったい見返してやる!」
「すごい気合だね」
「うんうん、だからね、陽音も変に色んなこと気にしないで、目の前の楽しいこととかちょっと先の小さい目標とかを目指せばいいんだよ」
「そうは言ってもなぁ……」
「大人たちが色んなこと言ってきても、「私のこと知りもしないくせに言ってんな!」って聞き流しちゃえばいい。自分のことわかってないやつの言葉なんか真に受けること無いんだから」
「じゃあ今の冬紅の話も聞き流しちゃえばいいってことね」
「うー、間違っちゃいないけどさぁ」
しょげる冬紅を見て陽音は笑った。
「うそうそ。ありがとね、なんか楽になったよ」
「ふふん、先人の話はためになるじゃろ」
「冬紅何歳よ」
「え? や、やだなぁ、二十歳だよ?」
「本当は?」
「十五ですごめんなさい」
「私より歳下じゃんか」
「と、とにかく! 自殺はダメ! ね?」
「わかってるよ。しないって」
「魂は欲しいけど……」
「おーい心の声漏れてるぞー」
冬紅は思い出したように時計を見ると、驚いて声を上げた。
「あー! もうこんな時間!?」
「どうしたの?」
「仕事の途中に寄ったの忘れてた! このままじゃまた残業になっちゃう!」
「死神の残業って何……」
冬紅は立ち上がって窓を開けると、陽音のほうを振り返った。
「今日はありがととね! 愚痴聞いてくれて!」
「こちらこそありがと。なんか助けてもらっちゃって」
「いえいえ! じゃあ、そろそろ行くね!」
「またいつでもおいでよ、愚痴聞いたげるから」
「ほんと!? じゃあ、またね!」
「うん、またね」
夕焼けの空に飛んでいく冬紅を見て、陽音は改めて彼女が人間じゃないことを認識した。
「さーて、生きるかぁ」
あれから一ヶ月。陽音は今日も生きている。相変わらず大人の言うことは無茶苦茶で自分勝手だが、今はもう気にしていない。あんなに腐って見えていた社会も、今はどうでも良くなった。
やりたいことも見つかって、達成したい目標もできた。今はそれで充分だ。それだけで、充分生きようと思える。
そして何より。
「陽音ぇー、聞いてよぉー」
「はいはい、聞くから落ち着いて」
この友達がいれば、大体の悩みは吹き飛ぶ。そう思う陽音であった。