明空リーパー
八月上旬。キャンプ場に着くや否や、リィははしゃぎ始めた。
「わぁ……広いですね先輩!」
「まぁ、キャンプ場だからな」
「人がいませんね!」
「まぁ、俺の叔父さんの私有地だからな」
「青空ですね先輩!」
「まあ、晴れの日を狙って来たからな」
淡々と返しながらテントを張る湊にリィは納得がいかないらしく。
「んもー! なんでそんなにテンション低いんですか!」
「いや、俺去年一人で来たし」
「せっかく可愛い後輩と二人きりでキャンプなんですよ? もっとテンション上げましょうよ!」
「わーうれしいなー」
「あ、いや、ごめんなさい。一周回って悲しいですそれ」
湊は呆れたようにため息を付きながら、椅子やらバーベキュー台やらを準備していく。
「ったく、まずキャンプじゃなくて合宿だからな一応」
「わかってますよー」
「本当にわかってるんだか……」
しかし実際のところ、湊も内心それなりにテンションは上がっていた。気になる、というわけではないが、気に入っている大切な後輩と合宿なのだ。しかもここら周辺で一番星が綺麗に見えるキャンプ場。テンションが上がらないはずない。断じて、女子と二人きりだからという邪な気持ちではない。決してない。
「せんぱーい、何か手伝うことありますかー?」
「そうだな、その辺走り回ってていいぞ」
「はーい、って、リィは犬じゃないです!」
「冗談だ。特にないからテントの中で休んでろ」
「らじゃー!」
大げさに敬礼をしてテントの中に入っていくリィ。テントの中で上がる歓声を聞き流しながら、湊はため息をついた。
「……てか、なんで昼から来たんだよ俺たち。夜までやることねえじゃねえか。写真部じゃねえんだぞ……」
「どうしたんですか先輩? 記念写真でも撮るんですか?」
「ちげえよ。あ、いや、写真は撮らなくもないかもしんねえけど」
「意外ですね先輩、てっきり嫌がるかと」
「お前は俺をどんな奴だと思ってるんだよ。俺だって記念とか思い出に残る写真くらい撮るさ」
「リィとの合宿は思い出になるんですね! いやあ先輩、そんな遠まわしに言わなくたっていいのにー」
「すまん微塵もお前にそんな気はないし、そんなつもりで言ってない」
「わかってますよーだ。ちょっとくらいノリに乗ってくれてもいいじゃないですか」
「はいはいそうですねー」
「ひどいです先輩」
リィが入部して約一年。最初の頃と比べて湊の当たりもだいぶ柔らかくなった。と同時に、リィの扱いに慣れたようで、うまく遊んでいる。半年前の〝あの出来事″が引き金なのは言うまでもない。
「まあいい、どうせ夜までやることないし、写真撮るか」
「おー! 撮りましょう撮りましょう!」
目を輝かせながらリィがテントの中から飛び出す。犬みたいなもんじゃねえか。と湊は思った。
「何で撮りますか? snowですか? スナップチャットですか?」
「普通のカメラだよ! なんでわざわざ遊ぼうとする……」
「えー、いいじゃないですかー」
「俺が苦手なんだよ……」
「勿体なーい」
湊は携帯のカメラアプリを開き、内カメラにして掲げる。
「ほら、撮るぞ」
「はい、チーズ!」
「なんでお前が言うんだよ……」
そう言いながらシャッターを切る湊。少し呆れた顔の湊と、笑顔でピースサインをするリィの姿が写っていた。
「まあ、いいんじゃないか」
「え、先輩の顔これでいいんですか」
「こっちの方が俺らしいだろ」
「あ、先輩自覚してたんですね」
「お前失礼だな」
湊は撮った写真をリィに送ると、携帯を閉じた。
「んしいても、本当に暇だな」
「夜までやることないですもんねー」
「本当、なんで昼に来ちゃったんだか……」
頭を抱える湊をよそに、リィは何かを思いついたようで、ポンと手を叩いた。
「先輩! 写真撮り勝負しましょうよ!」
「何だそれ」
「リィと先輩で、どっちがいい写真撮れるか勝負するんです!」
「基準はどこだよ。てか誰が判定するんだ?」
「それはなんか、リィたちが何となく!」
「ガバガバだなぁ……まあいいけども」
「よーし、じゃあ始めましょう!」
「携帯のカメラだとクオリティ限られるけどなぁ」
走り去っていくリィの背中を眺めながら、湊は呟いた。
それから二時間ほど、二人は写真を撮っては見せ合い、撮っては見せ合いを繰り返していた。なお、勝敗は一向に決さない。
「先輩、結構撮るの上手いですね」
「別に上手くはないけど、撮るのそこそこ好きだからな。そう言うリィだってセンスあるじゃないか」
「まあ、リィですから!」
謎にドヤるリィを無視して、湊はテントまで戻った。
「さて、そろそろ飯の準備するぞ」
「はーい!」
バーベキュー台の中に木炭を入れ、火をつける。あらかじめ切ってから持ってきていた食材を、湊が順番に網の上に乗せていく。
「いやあ、二人でバーベキューなんて贅沢ですね!」
「確かに。こんな経験二度とないだろうな」
「あ、先輩これ食べていいですか!」
「まだだ。もう少し待て。あ、こっちの野菜たちはもういいぞ」
「わかりました!」
焼け次第次々と食べていくリィを見ながら、湊は黙々と食材を焼いていく。
「先輩は食べないんですか?」
「もちろん食うさ。気にしないで食ってろ」
「なんか私のせいっぽいので焼くの代わります」
「うっせえ。後輩はおとなしく食ってろ」
「ぶー」
湊は時折自分の箸で肉をつまみ、口に運んだ。もちろん野菜も。
「てかリィ、お前ちゃんと野菜も食うんだな。てっきり「バーベキューなんだから肉ですよ!」とか言うと思ってた」
「なんですかその全然似てないモノマネ。リィはそんなキャラじゃないですし、ちゃんと野菜も食べますよ。野菜ありきのバーベキューですから」
「おお、わかってるじゃねえか」
その後二人は約一時間に渡ってバーベキューを楽しみ、夜の帳が下りた頃には、望遠鏡の準備を始めていた。
「さてさて、ここらは照明が少ないから、肉眼でも綺麗に見えるぞ……」
「おお、それは楽しみです!」
望遠鏡の準備を終えた湊は、ゆっくり焦らしながら、テントにくくりつけたライトを消した。そして、二人同時に夜空を見上げる。
「「うわぁ……」」
自然と、二人同時に声が漏れた。それは、学校の屋上から見るのとは比べ物にならないほどの、とても綺麗な星空だった。
「なんか、これじゃ望遠鏡いらなさそうだな」
「先輩がそれ言っちゃうんですか? まあでも、そうかもしれませんね」
そのまま少しの間、二人は無言で夜空を眺めた。言葉で表すのが馬鹿馬鹿しく思えるほどの美しさだった。
「そういえば」
「なんですか?」
「わかってると思うけど、今日風呂ないからな?」
「いや、わかってますけど、雰囲気台無しですよ先輩」
「悪い。言うの忘れてたのを思い出したんだ」
「まあ、先輩らしいです」
「さーて、いつも通り活動すっかぁ」
「ですね」
深夜三時。満天の星空の下、湊はテントの外で携帯の画像フォルダを眺めていた。日中撮った写真の中から不要なものを消していく。
「だいぶ撮ったな……」
草原、木々、森、花の写真から、リィから送られてきた加工済み2ショットまで様々だ。ファイル整理をしながら、大きく一つあくびをした。
「流石にそろそろ眠いな……」
天体観測を終え、リィがテントの中に入って眠ってからも、湊は一睡もしていなかった。思春期の異性の後輩と同じテントで寝るのは流石に気が引けたのと、念のための防犯のためだ。
「あれ……せんぱい、おきるのはやいですね……」
ふと、テントの中から寝ぼけ眼のリィが顔を出した。
「いや、まだ三時だぞ。早いとかそういう問題じゃない」
「じゃあなんで起きてるんですか……?」
「デリカシーの問題だ。そういうリィも起きるの早すぎるだろ。まだ寝てろ」
「えー」
リィはよろよろとテントから這い出ると、湊の隣にちょこんと座った。肩からタオルケットを羽織っている。
「デリカシーって先輩、リィのこと意識してるんですか?」
「そういう意味じゃねえ。男女が一つのテントで二人っきりで寝るのがどうかと思っただけだ」
「リィは別に気にしないですよ?」
「俺が気にする。てか気にしろ」
「えー」
「起きるんなら口ゆすぐなり歯磨くなりしろ。口ん中気持ち悪いだろ」
「はーい」
歯磨きセットと水を持って川の方へ向かうリィの後ろを、湊はため息をつきながら追いかけた。
「あれ、着いてくるんですか?」
「防犯」
「優しいですね」
「常識だろ」
リィの歯磨きが終わったのを確認すると、湊はリィと歩幅を揃えてテントまで戻った。二人とも元より警戒などしていなかったが、物が盗まれているなどと言うことはなかった。
「目、覚めちゃいました」
「だろうな」
「先輩は眠くないんですか?」
「死ぬほど眠い」
「寝たらいいじゃないですか」
「後輩一人で置いておけるかっての」
「やっさしぃ」
「だから常識だろって」
二人して座り込み、会話を交わしながら星空を眺めた。相変わらず綺麗な星空だ。
「なんか、青春って感じですね」
「わからなくもないが、二人だけってのは流石に寂しくないか」
「えー、男女の先輩後輩ってだけで充分青春じゃないですかー」
「これでそういう関係だったらそうなのかもな」
「なってみます?」
「そういうノリでなるものじゃないことは俺にだってわかる」
「つれないなぁ」
「お前は先輩をからかいすぎな」
「いいじゃないですか」
「まあいいけど」
「やっさしぃ」
「何回やるんだそれ」
一息置いて、リィがふと零す。
「リィ、こういうの夢だったんです」
「こういうの?」
「こうやって友達とか、部活の先輩とか後輩とかとワイワイ楽しむの、夢だったんですよ」
「そりゃ随分と楽しい夢だな。なんだ、友達いなかったのか?」
「まあ、はい」
その返答に、軽い気持ちで聞いた自分を湊は恥じた。
「……すまん」
「いえいえ、先輩の思ってるほど不遇な小中学校生活送ってたわけじゃないですよ! そんな、苛められてたとかじゃないので!」
「そ、そうか……?」
「本当に優しいですね先輩は。あ、そうだ。どうせなら、今話しちゃいましょうか。リィの話」
そう言って笑うリィの姿を、湊は一度見たことがあった。
あの、半年前の冬の日に。
「いつか話すって言って、結局話してませんでしたね」
「そういえば、そうだったな」
「とは言っても、そんな大層な話じゃないですよ。ただ、病弱で小さい頃から入退院を繰り返してたってだけで」
あさらっとリィの口から語られた過去は、そうそうないとも言い切れないような、それでも「普通だろ」と言い切れないものだった。少なくとも、今のリィからそんな印象は全く見受けられない。
「今は体も丈夫になって、ほとんど治まりましたけど、昔はそれはもう学校と家と病院を行き来する生活でしたから。友達なんているわけないですよ」
「……」
「もー、そんなに暗い顔しないで下さいよー。高校に入ってちょっとずつ馴染めるようになったのに、また思い出して泣いちゃいそうになるじゃないですかー」
「……悪い」
「本当に、先輩ってば優しいですね」
「そうでもないさ」
リィは草むらに大の字で寝転ぶと、その瞳に星空を映しながら言った。
「だから今、リィはすごく幸せなんです。夢が叶って、こんなに楽しい」
「そうか」
「はい。あの日、先輩のことを見つけられて、先輩がリィのことを見つけてくれて本当によかった」
「俺は別に見つけちゃいねえよ。リィが見つかりに来たんだろ」
「えへへ、そうでしたね」
返すリィの声は、湿気を含んでいた。
「あれ、おかしいな……なんでリィ……」
「馬鹿野郎、今泣いてたらこっから先の人生で涙腺ぶっ壊れんぞ。……まあ、気持ちもわからなくはねえけど」
そう言いながら、湊はテントにぶら下げていたリィの麦藁帽子を、目が隠れるようにリィの顔に乗せた。
「もう、そういうの反則ですよ先輩」
「何がだよ。気遣いなんだからありがたく受け取れ」
「ありがとう、ございます」
一分ほど、リィの鼻をすする音が不定期に鳴った。湊はぼうっと夜空を眺めながら、黙っていた。
「先輩」
「なんだ?」
「先輩、今年引退しちゃうんですよね」
「まあ、そうだな」
「あーあ、やだなぁ……」
「一人で部活やるのがか?」
「違いますよ。先輩がいなくなるのが、です。一緒に屋上に行って、星を見ることがもう出来なくなるんだなぁって」
「まだあと二ヶ月はいるだろうが」
「わかってますけど、二ヶ月なんてすぐですよ」
「……」
湊はリィにここまで思われていることに驚いたが、よくよく考えれば、あの冬の日にあんなことを言ったのだから、おかしくはないなと思った。
一つため息をつき、湊は言う。
「別に、星なんか屋上じゃなくても見れんだろ」
「へ?」
「引退するからっていなくなるわけじゃない。誰がもう二度と一緒に天体観測できないなんて言ったんだよ」
「先輩……」
リィは麦藁帽子を外し、隣に座っている湊を見上げた。
「なんか、告白みたいですね」
「……別にそれでもいい」
ぼそっと呟いた湊の言葉は、リィの耳に届いたのだろうか。それを聞き届けてか否か、リィは勢いよく飛び起きて立ち上がった。
「やっぱり、先輩に会えてよかったです!」
「そうか、ありがとよ」
「へへ、素直な先輩なんか面白いです」
「うっせえ」
東の空が、段々と白み始めてきた。気がつけば、もう日の出の時間だ。
「もうそんな時間か」
「リィ、日の出って始めて見ました!」
笑顔ではしゃぐリィの姿を、湊はふとカメラに収めた。
「何撮ってるんですか先輩!」
「いや、今のが一番綺麗な絵だなと思って。ほら、勝負まだついてないだろ」
「な……それはないですよ先輩!」
「知らねーな」
「むー。まあいいですけど」
「それにしても眠いわ」
「結局一睡もしなかったですしね」
帰りの電車で二人とも爆睡して、寝過ごしたのはまた別のお話。