一人の少女へのメロディーV
「ここで降ろしてくれ」
作道家に着くと、美空はそう口を開く。
「大丈夫なのか?」
「あぁ、これぐらいの距離だったらどうにか歩ける。多分寝ているとは思うが、万が一にも私が男に背負われてるなんて情けない姿なんて見せたくないからな」
「なるほど、わかったよ」
ははっ、最後まで口の減らない奴だ。
俺は背中からゆっくりと美空を降ろす。
だが、美空は上手く立つことが出来ず、バランスを崩して地面へと倒れ込んだ。
「せめて肩を貸すぐらいなら、見られても問題無いんじゃないか?」
俺のその問いかけに、美空は「それもそうだな」と笑い、俺の肩に手を回した。
「あんたの肩は寄り心地が良いな。最初に貸してもらった時もそう思ったよ」
「ははっ、それはありがと」
ガチャリとドアを開けると、家の中は静寂に包まれていた。そうしが飛び出してきての歓迎はなかった。
「やっぱ予想通り眠ってるな。流石私がしっかりしつけただけある」
うんうんと一人で美空は頷く。
「この廊下の横にある部屋が寝室だ」
「わかった」
美空を支えながら廊下を進み、ドアを開ける。するとそこには3人並んで川の字で寝ている玲美達がいた。
「それじゃ、降ろすぞ」
「あぁ、ありがとう」
俺は三人の枕元までかつぐと、そこで美空を降ろした。
「ただいま、玲美、奏熾、詩道」
美空は優しく笑うと妹達の頭を撫でた。
「はぁ…奏熾…まだ髪が乾いてないじゃんか……あんた、そこにあるバスタオル取ってくれるか?」
美空の指差した方を見ると、勉強机の上に畳まれたバスタオルが置いてあった。
本当に美空は家の中の事なら見えなくても全部わかるんだな。
俺はそれを手に取ると美空に渡した。
「ありがとな」
美空は受け取ったバスタオルをゴシゴシと乱暴に扱いながら奏熾の頭についた水分を拭き取っていく。
「ちゃんと乾かさないとま〜た風邪引くぞ、お前に病弱キャラなんて似合わない、しっかり風邪引かないようにしな」
こんなに乱暴に扱われているというのに奏熾は「う〜ん姉ちゃ〜ん」と寝言を言うだけで全く起きる気配はなかった。
「よしっ、これでバッチリだ!」
一つの大作を作り上げたかのように美空はニシシと笑う。
「もう少ししたらお前もワックスとかつけてチャラつくんだろうなぁ――ははっ、あんま想像できないな…それよりもーー」
美空は奏熾から目をそらす。
「詩道、よっぽどお前の方がチャラついてそうで私は怖いよ」
深刻そうな目つきでそう言う美空に思わずツッコミを入れる。
「ははっ、こんな大人しそうな子なんだ。そんなことないだろ」
「いやいや、お前はまだ詩道の事を全然わかってないな。こいつはナチュラルに女を泣かせる片鱗をもうこの歳から見せてんのさ、末恐ろしいよ」
はぁ…と美空は大きめなため息をつく。
「そうなのか、それは知らなかったな」
「当たり前だ。これは“姉”の私しか知らない事だからな」
そう言って美空は得意げな表情を浮かべた。
「玲美ーー姉ちゃんな、遠くへ行くよ。すごい、すごい遠くへ……そこで、ずっと待っててやるから――」
美空は艶のかかった黒い前髪を横へ流すと、そっと玲美の額にキスをした。
「ゆっくり大人になれーー」
妹達を慈しむ美空のその横顔には、もうさっきまでの哀しいものは見えなくなっていた。
「ありがとな。あんたのおかげで、ちゃんとこいつらとお別れを出来た」
「どういたしまして」
「じゃあ外へ連れて行ってくれ」
「最期はここじゃなくていいのか?」
「あぁ、死に際なんて悲しいもんこいつらの前ではみせらんないさ。最期ぐらいカッコつけさせてくれ」
「ははっ、わかったよ」
美空は俺の肩に手を回すとゆっくりと立ち上がる。いや、正確には俺に体重を任せただけだ。もう美空には立ち上がる程の力なんて残っていないようだった。
「それじゃ、歩くぞ」
「あぁ」
外に出ると、頬に夜風が当たるーーその風は冷たく、ヒリヒリと肌に突き刺さる。
美空の最期なんだ。神さま、本当にいるってんなら、最期はもっと温かい風でそっちへ美空を運んでくれ。
「なぁーー」
消え入りそうな声で美空はポツリと独り言のように呟いた。
「こんな事を頼める立場じゃないのはわかってるんだが…」
「なんだよ水臭い、殺しあった仲だろ?」
その言葉に美空は「そうだったな」と軽く笑った。
「じゃあ、私の最期のお願いだ」
美空は真っ直ぐな瞳を俺に向ける。
「妹達の面倒を…私がーー私がいなくなったあとも!見てやってほしい!」
静かに「頼む」と付け加えた。
「あぁ、まかせろ。そんぐらいお安い御用だ。いや、むしろ感謝したいぐらいだ。あんな面白い奴らと一緒に遊ぶだけで感謝してもらえるなんて」
そう言って俺は歯を見せて笑った。
「そうか、なら安心した」
言うと美空は目をつぶり、静かに笑みを浮かべた。
「なぁ、あんた…最後にーー」
美空が喋り始めようとした時、大声でかき消された。
「お姉ちゃん!!」
俺は声の方へ振り返る。
「玲美…どうして」
美空は目を丸くして驚いていた。
「お姉ちゃん…お出掛け?」
その言葉に「ふふっ」と美空は笑った。
「あぁ、そうだな。ちょっとばかり長すぎるお出掛けだ」
「もう、帰ってこないの?」
「あぁ、もう帰ってこないよ」
美空は、悲しい言葉を明るく告げた。
「玲美たちのこと、嫌いになった?」
「いや、そうじゃない。お前たちの事を嫌いになるわけなんてない」
「玲美たちより好きな人をみつけたの?」
「いいや違う。お前たちより好きな奴なんて何処にもいないさ」
「玲美たちが……お姉ちゃんの迷惑、だったから?」
「そんなわけがない。お前たちは私の自慢の妹たちさ。逆に私はいつも助けてもらってるよ」
「じゃあーーどうして!どうしてお姉ちゃんはいなくなっちゃうの‼︎」
玲美の瞳から、大きな雫がぽろぽろと流れる。その雫は頬を伝い、美空の指に触れた。
「玲美…もしかしてまた泣いてるのか?泣き虫は卒業、ってこの前言っただろ?」
そう言うと、美空は玲美を抱き寄せた。
「いいか玲美、泣き虫からは本当に今日で卒業だ。だからーー今のうちに好きなだけ泣いておけ」
「ぐすっ……おねぇ…ちゃん…」
「にしても大きくなったなお前〜、いまお前がどんぐらい綺麗に育ってるのかこの目で見てみたいよ」
「私に似て超美人だろうなぁ」言いながら美空は優しく頭を撫でる。
「そうだよ!お姉ちゃんまだ全然私のこと分かってないんだよ!」
涙声で玲美はそう訴える。
「私、この1年で身長が5cmも伸びたんだよ‼︎」
「ほぉ〜そりゃあすげぇ。お前は私の妹だからな、きっと私とおんなじぐらいでかくなるよ。
「昨日はね、苦手な算数で100点とったの!クラスのみんなから褒められたんだよ!」
「ほー、それはすげぇ。流石、私の自慢の妹だ」
「この前はね!リレーのアンカーに選ばれたの!今度の運動会、私がクラスの代表で頑張って走るんだよ‼︎」
「おぉそうか、それは凄いな!いつも家族の面倒見て走り回ってる玲美なら、絶対優勝間違いなしだ!」
「その前はね、給食で出てくるカレーを、全部食べられるようになったんだよ‼︎」
「本当かぁ!そうかーーそうかそうか…玲美は本当に私が知らない間に大きくなってたんだな」
「うん!そうだよ‼︎私、すごい大きくなったんだよ!だから……」
玲美はキュッと唇を噛み、袖で涙を拭った。
「だからーーもう私は“お姉ちゃん”になれるよ!」
「玲美ーー」
美空は更に玲美の体を抱き寄せた。
そうしないと、涙が、玲美に見られてしまうから。
「お姉ちゃん……」
美空の鼓動が伝わったのか、玲美の瞳から、また大きな雫が無数に頬を伝った。
「ーーそういえばね!この前、クラスの真白ちゃんとねーー」
玲美が楽しそうに話すその物語を、美空はうんうんと頷きながらずっと訊いていた。
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「眠ったのか?」
「あぁ、泣き疲れて眠っちまったらしい」
見ると玲美は美空に抱かれながら寝息を立てていた。
「そうだよなぁ…まだ小6だもんなぁ。あまりにも荷が重すぎるよな」
愛おしそうに優しく、美空はゆっくりと、玲美の顔を撫でる。その形を忘れないように。
「まかせろ、約束通り面倒はみるさ」
「あぁ、ホントありがたい話だ。あんたーーいや、歩夢には感謝してる」
「いいんだよこんくらい、それに家族が増えれば俺の妹も喜ぶ。俺にもちゃんとメリットがある話なのさ」
「ははっ、そう言ってもらえると気が楽だよ」
そう言うと、玲美を抱えたまま美空は立ち上がろうとする。
「おい、手伝うよ」
「いいんだ。これはーーこの仕事は…私一人でやらせてほしい…!」
「……なるほど、あぁ、わかった」
そんな本気な目線を向けられたら、俺の出る場所なんて何にもありゃしないな。
「ーーっっ‼︎」
美空は痛みに耐えきれず、片膝を地面についた。この一瞬の動作だけでも美空の額には玉のような汗が滲んでいた。
大丈夫か?
喉元まで出かかったその言葉を、ぐっと堪えた。
「動…けっ!」
ふるふると体を震わせながら、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がった。
「はぁ…はぁ…じゃあ、行ってくる」
辛いのを必死に抑え込み、美空は“してやったり”と言いだけな笑みを浮かべると、家の中へと入っていった。
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どれくらい経っただろうか。しばらくすると、玄関からいつものように真っ直ぐ立って歩く美空が出てきた。
「どうした?やけに元気じゃないか」
「痛みがいつのまにか消えちまったみたいでな、いつもの調子に戻ったよ。“灯滅せんとして光を増す”ってきっとこういう事を言うんだろうな」
「美空からそんな小難しい言葉が出てくるなんて、たしかにその言葉通りだな」
「なんだと⁉︎てめぇ私は年上だぞ!」
ゴンッと後ろ頭を殴られる。
「それで、歩夢はこの後どうするんだ?」
「なんだよ、この後ってーー家に帰るけど?」
殴られた箇所をさすりながらそう答える。結構痛かったぞ、美空…。
「そうじゃない、これからだよ“これから”、あんたが消えるまでどう過ごすのかってこと」
「そのことかーー」
そういえば美空のことばかりで俺の方の事を忘れていたな…。でも、考えるまでもないさ。やることは元から決まってるんだからーー
「俺は残された時間を精一杯生きる。生きて生きてーーそれでみんなにお別れの挨拶を言うよ。一度めの人生じゃそれが出来なかったからな」
そう、これが俺の答えだ。小難しい言葉なんていらない、お別れが言えればそれでいい。
「ははっ、歩夢らしいなぁ。歩夢らしくて真っ直ぐだ。私も本当はーー最初はそうだったはずだったんだろうなぁ、玲美がいて奏熾がいて詩道がいてーーあいつらに「じゃーな」って言えればそれで良かったはずなんだ」
それなのに、私は大馬鹿野郎だったーー、そう言って苦笑いする美空。
その時ふっと頬に温かい風が当たった。いつのまにか辺りはきらきらと輝き始め、東から昇ってくる陽が新しい朝を告げていたーー
「なぁ歩夢ーー」
俺は昇ってくる太陽のその輝きに目を奪われ、すぐに美空の方へ向き直ることが出来なかった。
「私をあいつらの、“自慢できる姉ちゃん”でいさせてくれてありがとうーー」
でも多分、その顔は温かな笑顔を浮かべていただろうな、という想像は簡単だったーー。
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次の日の朝、俺は美空の家へと足を運んでいた。あいつの最期の願い事だ。ちゃんと守らなきゃな。
「あれ、歩夢?こんなところで会うなんて珍しいね、どうしたの?」
ドアノブに手を掛けようとしたところで、優宇にそう声をかけられた。そういえばこっちは優宇の通学路だったな。
「いや実はなーー」
俺が口を開いたその時、カンカンカンとフライパンを叩く音と共に家の中から女の子の声が聞こえてきた。
「コラー!二人とも早く起きなさーい‼︎もー!詩道‼︎起きてるからって朝からゲームやろうとしないの!ていうか奏熾は早く起きるっ‼︎」
そのあとコンッとフライパンで誰かの頭を叩く鈍い音が訊こえた。
「いっーーいってえ〜〜姉ちゃん‼︎」
「もう!奏熾が起きないからでしょ‼︎」
バタバタと廊下を走り回る音が外にまで響く。
「う…うわぁ随分と気の強い女の子がいるお家だねぇ」
中の惨状を訊いて優宇はあわあわとした声を出す。
だが俺は、思わずこの光景に笑みが溢れた。
「あぁ、そうだな。ここにはすげぇ強い女の子がいるのさ」
「えぇ〜!なんで歩夢がそんな事知ってるの?」
「ははっ、内緒だ。ほれ、遠回りしたら遅刻ギリギリになっちまったし急ぐぞ!優宇!」
「え、えぇぇ⁉︎ちょ――待ってよ歩夢ぅ〜なんでこっち通ったのさ〜」
ひとりぼっちの少女へと奏でたメロディーは、そのひとりぼっちな少女の心に明かりを灯し、またその明かりは他の人の心へと響き、明かりを灯すーー
“生きる”という鼓動は人から人へと共鳴し、いつのまにか大きな一つのオーケストラとなるーー
「美空、お前の想いはーーちゃんと響いてたぞ」
俺は学校へ向けて、走り出したーー
一人の少女へのメロディー-完-