一人の少女へのメロディー Ⅲ
「夢がないなら、死んだって後悔はないだろ?」
街灯に照らされて見えた美空の顔は、不敵に笑っていた。
「ごふっ…⁉︎一体…な、にを…」
死ぬ時の痛みは一瞬だと何処かで訊いたが、どうやらそんなものは嘘だったらしい。痛い――痛い――痛い
まるで体の中心に炎をぶちこまれたようだ。焼けるうに痛い――裂けるように痛い――
「み…そら…」
俺は震える両腕で美空の腕を掴み、引き抜こうとする。
「あぁ――はいはい言わなくても抜いてやるよ」
ズボッと俺の体から美空の手が引き抜かれる。
栓の無くなった俺の体からは、大量の鮮血が溢れ出た。
「うわあああぁぁぁ‼︎」
「なんだよ、そんなビビんな。男だろ?」
「あぁ…ぅあ…」
足元がふらつき、俺は地面へと背中から倒れ転んだ。すると地面にぶつかった衝撃で鮮血がまた勢いよく傷穴から溢れ出る。
「ああああぁぁ‼︎」
パニックだった。言葉なんて大層なモノを発せる思考力は、俺には残っていなかった。
叫び、嘆き、悲観しながら、ただ溢れる血を抑えようと手を心臓部に伸ばしていた。
「………」
怖い
「………」
怖い、怖い、怖い、死ぬ事が怖い。
「………」
妹がいる、ともだちがいる、あいつらに恩を返すまで、俺は死ぬわけにはいかないんだ。
「………どうして」
一人に――なりたくない
「…………どうしてお前はまだ死なないんだ?」
さっきまで俺の悲鳴だけを響かせていた耳が、急に他の声を響かせた。
「その出血量だぞ…普通の人間ならとっくに死んでる」
うるさいな……心臓がばくばくと脈打つ鼓動が頭に響く――
「お前は――」
夜に目が慣れてきたのか、美空の怯える顔がよく見える。
「お前は一体なんなんだ?」
肺に夜の冷たい空気が入る。体に入ったその空気は全身に流れこみ、口を開く力をくれた。立つための力をくれた。
「なにを…いってるんだよ」
ヨロヨロと立ち上がると、俺はそう美空に問いかけた。さっきまで悲鳴をあげていたせいで少し声は枯れていたが、俺は声を出す事ができた。
「お前――なるほどね、私と同じってわけか…」
「同じ?同じってどういうことだ!俺がお前みたいな猟奇的殺人者と一緒なわけ――」
そう叫んだところで俺は気づいた。いつのまにかいつもと変わらないほど声を出せるようになっている自分に――
傷口を抑えていた両手を恐る恐る離す。さっきまで壊れたダムのように血を垂れ流していた場所から――
「こんなことが――」
なかった――貫かれて血がだらだらと流れていた傷口は何事もなかったかのように塞がっていた。
「なんだよあんた、屍者になって初めて怪我したのか?ははっ!死んでからの方が慎重に生きてるんだな!」
驚く俺のその様を見て、ツボに入ったらしい美空は腹を抱えながらゲラゲラと俺を指差して笑う。
「なんだよ!なんで笑ってられるんだよ⁉︎お前は、人を殺すところだったんだぞ!」
その言葉を訊いた美空はピクッと震えると急に笑うことをやめた。
「人?あんたは、自分の事を“人”だと思っているのか?」
「しょうがねぇだろ、俺は今朝生き返ったばかりなんだ!そのりーぶ?とかししゃ?とかいうのも何言ってんのかさっぱりだ!」
“ししゃ”の方はまだ予想はつくけど、りーぶの方がよくわかんねぇ…ちゃんと造語は日本語で統一してくれよ。
「ふーん、今日生き返ったばかりか…じゃあ今日があんたの誕生日だった訳だ。それならあんたがそんなピンピン動いてんのも納得いく」
うんうん、と頷く美空。だが俺には全く話が見えてこない。コイツは、俺を殺そうとしていたんだぞ⁉︎何故そんな平然にしていられるんだ。
「俺の事はどうだっていいんだ!そんなことより、何でお前が俺を殺そうとしたのか答えろ!」
俺のその問いに美空はきょとんと呆気にとられていた。
「なんで――って、そんなの生命をもらうために決まってるだろ。もっとも、あんたに生命は流れていなかったけどな。悪かったよ、間違えた」
「そのリーヴってのは一体何なんだよ!それが俺を殺そうとしたのとどういう関係がある!」
「はぁ…やっぱりあんた生命の事をアイツから訊いてないのか?」
めんどくさい、美空の表情からそう言いたいことは読み取れた。
「あいつ?あいつってどいつだよ!そんな意味ありげにアイツとか言われても全く思いつかねぇよ!」
「はぁ…まったく…けっこう適当な奴なんだなあいつも、私には嫌ってぐらいご丁寧に説明してくれたくせに…あっ、もしかして私から説明させるためにわざとこいつと鉢合わせにさせたとかか?」
何を言っているんだ美空は――
目の前にはさっき俺を殺そうとした人間、地面には乾いた俺の血痕――異様な空間が眼前には広がっている。
だが美空が何か知っている以上それは出来ない。息を呑み、静かに美空の次の言葉を待った。
「わかったわかった、説明すりゃいいんだろ?でも私は生憎そんな時間がないんでな。手短に、だ」
そう言って大きなため息をついた後、美空は人差し指で俺の事を指差す。
「まず、私達は一度死んだ、そして生き返っている。それはアンタも知っての通りだろ?」
「あぁ、そこは大丈夫だ。写真で俺の死体を見せられてるからな。死んだのは知覚してる」
「ははっ、それは随分と酷な知らせ方だな――まぁいい、とりあえずその生き返った奇特な私達の事を屍者と呼ぶんだ。そして屍者の私達は生命っていうスピリチュアルなモノ――まぁ端的に言えば心臓が欠けた状態なんだ。だからその生命を奪わないと私たち屍者は生きていけない。生き返ってから半年もすれば体は劣化し、灰になっていつか消えちまうのさ」
「灰になって消える…」
そういえば生き返った時のあの謎の紙に『Have a nice NEN』、一年しか生きられないとか書いてあったな。
「なるほど、あれはそういう意味だったのか」
「体が劣化していくっていうのは私が良いサンプルになる。この目は、劣化の影響さ」
うらめしそうな表情を浮かべながら美空は自分の目にそっと触れた。
最近目が見えなくなったというのはそういうことだったのか……物忘れが酷くなったというのもきっと劣化によるものだろう。
「で、それが俺の体を貫いたのとどう関係があるんだよ」
「生命っていうのは生きている人間の心臓を包み込むように流れているんだ。んで私達は人間の体に『生命を奪う』っていう意思を持って触れる事でそれを奪えるんだ。けどそれだと吸収が遅くてチンタラチンタラ奪うことになるらしいからな」
「手っ取り早く貫いて一気に奪おうとしたと…」
ご名答、そう言って意地悪く美空は笑う。
くそっ、ホントてきとうな奴だ。
「生命が少しでも欠けた人間はどのみち生きてはいけないからな…死ぬなら相手も一瞬の方がいいだろ?」
人を殺すその事を平然と笑いながら美空は口にしていた。
「ま、つまりそういうこった。これで説明は終わり、私は次の獲物を見つけるから、あんたも体が劣化しないうちに生命を吸い取っとくことだね、寿命は伸ばせても劣化したものは戻らないんだ」
そう言って美空は俺に背を向けた。
「それじゃ、私は行くから。もう残された時間が少ないんでね」
「行くって…どこへだ?」
「そんなん決まってんだろ。生命を持ってる生きた人間様のとこさ」
「そいつらのところへいってどうするんだ」
「にっぶい奴だな、そんなの奪い取るに決まってんだろ」
「そんなことしたら…お前は人を殺すことになるんだぞ!」
「構わないさ、私が生きるためさ」
美空は鈍く光る目で睨みつけてくる。
「人は生きるために豚や魚――他の生物を殺す。私はそれが人なだけ。やっている事は大して変わらないさ」
そんなのは…詭弁だ。たしかに豚や魚を食らう事と根本的には変わらないのかもしれない。けれど、それとは決定的には違う…そんなこと、美空だって本当は分かっているはずなのに‼︎
「ふん…まぁ分かったらそこで寝てな」
「俺は――」
美空を見逃して人が死ぬのも、美空が殺人を犯すことも、俺はどちらも許容することなんて出来ない!
俺は――美空があいつらの自慢の姉であってほしい‼︎
「…俺は!お前を行かせるわけにはいかない!
「へぇ――思ったより度胸あるじゃん」
ゆっくりと、美空は振り返る。
「それはけっこうなこったな!」
叫び美空が俺の方に腕を縦に振ると、甲高い音と共に何かが俺の方へ飛んできた。