<繋ぐ絆>
赤く染まった門の下で、一人の鬼が全てを打ち砕く。
その拳は大地を引き裂き、雄叫びは作られた世界を震えさせる。
圧倒的で絶対の力を持った鬼の活動範囲はこの狭苦しい門の付近のみ、しかしそれは目標を逃がさないようにする檻でもある。
「ッッッ!!!」
鬼の攻撃は並大抵の威力ではなく、触れるだけで体は宙を舞う。
その軽い体を大地にくくりつけるように黒い鎖がルナの足を掴み、地面から離れないようにする。
それだけで、精一杯なのだ。
「無駄だよ。何度防ごうと、どうせ結末は同じ。アカツキ君はここで死ぬ。それで終わりだよ」
「諦めない!」
「いくら抗おうと何も変わらない。それは私が一番知っている」
宙に浮かぶ腕に足を捕まれ、無造作に放り投げられると鎖がいとも容易く千切れ、ルナの体は今度こそ無防備な状態になる。
「これで、終わり」
ミクはふわりとルナの真上に移動し、空中で拳を無防備になった腹に叩きつける。
めしめしと体が嫌な音を立て、血を吐き出しながらルナの体は地面に抉りこまれる。
その後もだめ押しとばかりに三本の腕がルナの体を殴り付け、地面に大きな亀裂が入り、どんどんルナは地中深くへ沈められていく。
「結局何も変わらない。私は運命に呪われている。その運命を身に宿しながら」
鬼の姿をしたミクはポツリと呟き、誰も聞く者がいないというのに一人で話し出す。
「鬼は私を離さない。だから、逃げることは諦めた。人は私を殺そうとする。だけど、それに私は抗った。憎いはずの運命に与えられた呪いの力で何万の死体を積み上げ、殺した人の魂を呪いの力へと変えていく」
百年の孤独は幼かった少女に終わらない時と、死に対する多くの恐怖を与えた。
「私は本物の地獄を見てきたんだよ。だから、いつも死のうとしても手が震えて、その一歩を踏み出せない」
未来と希望を摘み取った運命に少女は今も翻弄され続けている。
「だから、こうやって友達をまた殺しちゃった」
ミクの頬を一粒の涙が流れ、誰も居なくなった世界でしばしの時を過ごしてから現実世界に戻ろうと考えた時だった。
「ミクも、自分を責めてばっかりなのね」
既に形も残らないくらいにぐちゃぐちゃにしたはずの人物の声が聞こえ、振り替えると頭から血を流し、ボロボロの体でも尚歩みを止めない人物がいる。
「致命傷は避けたつもりだったんだけど、まだまだ甘かったみたい」
「そんな...!どうして...?」
確かに命を摘み取ったはずなのに、ここにこうして立つ一人の人間にミクは恐怖する。
「やっと、思い出したの。私のもう一個の力を」
「何を!あ...」
何か思い当たる節があるのか、ミクはルナから少しずつ離れていく。距離を取らないと、負けてしまう。
そう思ってしまったのだ。
「断罪者...!」
「あなたがそれを運命と言うなら私はその運命に抗わせて貰うわ」
神器とは別にアカツキの身に宿るもう一つの力、断罪者。
それは罪を背負った人間を裁き、運命に唯一抗うことが出来る力。
「あんまり便利なものじゃないけど、今はとても役立つわ」
ルナが一歩、また一歩と歩みを進める度に作られた世界にヒビが入っていく。地面が剥がれ、空に渦巻いていた雲は晴れていく。
「やだ!来ないで!」
ミクが叫ぶと宙に浮いていた腕は巨大な金棒を出現させ、目の前の人間を殺すために振り下ろす。
地を砕き、空を割る一撃は結果何の意味も持たなかった。
ルナに片腕で防がれ、刀と共に宙に浮いていた腕は形を消していく。
「来ないで...。お願いだから」
歩みを止めないルナにミクは後ずさることしか出来ない。
今も崩壊を続ける世界に二人だけ。逃げ場はどこにもない。
ルナはその覚束ない足取りでようやくミクの下へ近づくと、手を上げて。
「ッ!」
殴られる、と思い咄嗟に目を瞑ってしまったミクに待っていたのは。
「―――諦めないで」
ルナは両手でミクの両頬に触れる。すると、門は砕け散り世界に光が指す。ミクに纏わりついていた闇は溶け、ミクの姿は人間のものへと戻っていく。
「私も、一人で何かを解決しようとした時があったの。だけど、それはとってもバカなことだって殴られて諭されて、ようやく目が覚めたの」
かつての自分も愚かだった。人に頼ることをせずに、子供のようにワガママに喚いて、サティーナを深く傷つけた。
「だけどね。その時も、その後からも私だけじゃどうしようもならない場面で色んな人が助けてくれた。守れと私を許してくれた人、多くの人を助けることが出来る人、自分の思ったことを何でも実行に移せる強い人。そして―――皆との記憶」
多くの人が寄り添い助けてくれたけれど、そもそも戦おうと決意したのも、辛いときに思い出し、その支えとなったのも楽しかったあの日々だ。
「大切な人を守りたい?そうだよね。大切な人を守りたいと思うのは普通のことだもん。だけどね、ミク」
崩れ去った何も無い世界で目の前の少女は未来を忘れてしまった少女に手を差し伸べる。
ミクの目にはその姿がルナではなくアカツキの体であると錯覚してしまう。
それは少なくとも長くアカツキを見てきたことにある。特に興味もない人のことを記憶と現実で鮮明に重ねることができるはずがない。
「一人じゃ、どうしようならない時は絶対にある!」
アカツキは一人じゃ何も出来ない弱い存在だ。
そんなのとっくの昔に気づいている。
だから、今のアカツキはアオバに、ユグドに、リリーナに、サティーナに手伝ってほしいと頭を下げれる。
それが出来なかったアカツキにその人達は何の見返りも、メリットもないのに手を差しのべてくれた。
優しくて、お節介で、大事な仲間達だ。
崩れ行く世界で、アカツキは絆を繋ごうと目の前の運命に抗えない一人の少女に手を伸ばす。
「―――俺を、皆を頼れ!」
伸ばされた手にミクは涙を流しながら答える。
自分は誰かに頼っていいのか、一人じゃどうにもならない時には助けてと言えば良いのか。
「当たり前だろ?仲間なんだから」
信じていいのか。その手を掴んでも誰も怒らないだろうか。
考えれば考える程に不安は大きくなっていく。
だけど、そんなのは知っていても助けて欲しかった。誰かに許して欲しかった。
「お姉ちゃんを...。助けて...っ!」
自分でもどうにもならないことは分かっていた。
あのジューグという女の言う通りに動けば何年か前のようにお姉ちゃんは救えるはずだけど、今の私には辛かった。
あの時はただ必死に救いたいと思い、顔も知らない赤の他人を殺した。だけど、時を経てアレット達と出会い、幸せな日々を得る。
だが、幸せな思いとは裏腹に心の底でいつも謝罪していた。
あの人達の帰る場所を奪ったのは自分が帰る場所を取り戻す為にした自分勝手な理由だ。
だから、数年間一緒に過ごしてきた姉と別れ、一人になることを選んだ。それが償いにならないと分かっていても自分だけが幸せになるのが許せなかった。
それでも姉は何かと気にかけてくれて、たまに借家に訪れることもあった。ただ、昔のように頼るのはやめた。
今のアレット達は親にワガママを言う権利すら無くしてしまったのに、自分だけが姉に甘えていてはいけない。
けれど、世界はとことんミクのことを憎んでいた。
目の前にもう一度現れた女は姉を連れ去り、ミクにアカツキの周りの人間を殺せと命じた。
そして、次はアカツキを殺せと命じる。
たった1ヶ月程度の付き合いだというのに、その人のことをどこか懐かしく感じていた。
同じ故郷の出身だと知った時は、ああそうだったのかと懐かしく感じていた理由を知った。
それなのに私は笑っている彼が憎くて、自分だけが何でこんなことになっているかと羨んでいた。
ああ、だけど。
この人は私とは違うのだろう。
だから、自分を殺そうとした私に手を差し伸べてくれる。
「大丈夫だよ。きっと、助けてみせる。お前の大事なお姉ちゃんと、クラスの皆。この都市の人達全員、助ける!だから、お前も力を貸してくれよ、ミク」
アカツキは最初から許す気しかなかった。目の前で運命に抗えないと思い込んでいた少女に、人に頼ることの弱さではなく、人に頼ることの出来る強さを教えたかった。
世界は崩れ、現実に引き戻された二人は廃屋の中で倒れている。
ゆっくりとルナは立ち上がり、もう一度ミクに手を差し伸べる。
「ほら、屋敷に戻るから付いてきなさい」
「......うん」
二人の去った廃屋で一つの影が落ちる。
闇に溶け込む黒の装束を着た男は裏切り者の発見し、それを報告する義務がある。
「行かせないさ。あいつは救われるべきだ」
「...ガルナか」
同じく闇に溶けこんで事の顛末を見守っていたガルナは手帳を持ちながら、黒装束の男の前に姿を現す。
「黒装束の男、お前で128人目だ。ここまで都市の情勢を確認しているとは思わなかったが貴様で最後だ」
「連絡が途切れていると思ったらそういうことか...。全員殺したのか」
「さあな。間接的には殺しているかもしれないが、この手では殺していない。127人のお仲間には永遠と終わらない空間に閉じ込めさせて貰っている。そこで、飢え死にしているかもしれんがな」
ガルナの特殊魔法である、時空間魔法によりねじ曲げられた空間を永遠とさ迷っている黒装束の集団は今もどこか世界から外れた空間に閉じ込められている。ジューグの情報網を一つずつ崩していたのはたった一人の、それも20にも満たない学生だ。
「英雄を生んだ町とは末恐ろしいな。こうも化け物揃いとは」
「逃げないのか。裏切り者を見つけたんだ、みすみす見逃すはずがないだろう?」
「ふん。既に空間をねじ曲げているくせによくそんなことを言えるな」
黒装束の男がガルナへ手を伸ばすと、空間がぐにゃりと歪み男の背後から手が伸びる。既にここにいる時点でガルナの術中というわけだ。
「油断しないことだ。確かに貴様は強いがただのガキに負ける程我が主も、クルスタミナとかいう男も弱くはないぞ」
「知ってるさ。俺はお膳立てをするだけだ。戦局を操作するのは骨が折れるがな」
「精々頑張るといい。ガルナ」
男がそう告げると空間はぐにゃりと曲がり、男もろとも飲み込んでいく。
「ふん」
それを見届けたガルナは暗い路地裏に姿を消し、ようやく廃屋は静寂に包まれる。
この日から都市から黒服の人間が姿を消し、クルスタミナにもその異変は伝わる。
「消えた...か。これで何人目だ」
「情報を集めさせていた兵の全てを。計128名の消息が不明。既に張っていた情報網は崩れました」
「そうか」
痩せ細った体を起こし、クルスタミナは確かな殺意を目に宿しながら掠れた声で命令する。
「当初の予定であれば明後日に事を起こすつもりだったが、今すぐにでもやる必要ができた。準備ができ次第敵の殲滅を開始する。あの御方にはワシから伝えておく。全部隊に命令を伝えておけ」
禍々しい魔力を漂わせる杖を持ち、クルスタミナは地下へ降りていき、一つの大きな門を痩せ細った両腕で押し開ける。
「あら、やっぱり来たのね」
「既に知っていらっしゃると思いますが情報を集めさせていた兵は消息を絶ち、アオバやリリーナも不審な行動を繰り返している。もう、十分でしょう。アカツキは記憶の改竄を一人とはいえ打ち消した。力は大分ついているかと」
そうね、と言うとジューグはソファーから立ち上がりクルスタミナの横を通っていく。
「後は自由にどうぞ。今、この都市はあなたのものになっている。住民を巻き込んでアカツキを殺すのも貴方の自由。好きにするといいわ。最後まで見届けてあげる」
心底楽しそうに微笑んだ女は、地下を出ると数人の黒服を連れてこれから起きるパレードを特等席で見守る。
今まで深夜でも多くの人が闊歩していた町はこれから起きる大惨事を知っているかのように静寂に包まれていた。