<師弟>
屋敷で起きたゴタゴタを全て収拾する頃には夜の帳が都市に訪れ、外では少しずつ街灯に光が点っていく。
「出前を頼んでおきました。数分で届くそうです」
「ありがと、セレーネ。貴方も少し休みなさい」
「いえ。まだ片付けなければいけない書類がありますので」
そう言って部屋を後にするセレーネ。
少しずつこの世界の文字を理解してきたルナだが、それでもまだ完璧とまではいかない。
イスカヌーサ学院でも、授業の殆どをアレット達との悪ふざけで潰していたのがバカだった。
この屋敷の所有者は商人だったらしく、資産の殆どを現在進行形で商売をして稼いでいる。
詳しく聞くと疑われるかもしれない為、深くは聞けていないが幼少気から魔法の才にも恵まれ、更に旅を趣味としていたらしい。そこで、様々な都市を訪れ、名産品や特産品を集めている内にある商人と出会い、趣味がてら商売を始めるとこれまた才能に恵まれ大成功し、この都市にある別邸を含み各地に屋敷を建設しているという。
人生の成功者とはきっとこの屋敷の本物の主のことを言うのだろう。
各地にある別邸の中でもこの屋敷をとても気に入っていた主は度々訪れていたが、数十年前から音沙汰なしで、記憶の改竄が行われたタイミングでアカツキが訪れた為、その時屋敷のメイド達は大いに驚いたという。
それでもジャックスを始め、一時期アカツキの変わりに主の代理のメイド達が何とか商いを続けてくれていたが、サティーナが来てからはその殆んどを彼女に一任しており、メイド達もその手際のよさを見込んで、現在は指導の方に回っている。
この屋敷の主が慕われているのはこの屋敷で過ごしている内に自ずと分かった。
───それすらも記憶の改竄で作り上げられた出鱈目かもしれないが、そうでないことを祈ることしか今の自分には出来ない。
そして、もしかしたら、この事件が終われば本物の主が帰ってくるかもしれない。
そんな期待と、これが終わってしまったらジャックス達と離れてしまうのかという不安に似た何かが心を過る。
「なーんて、バカみたい」
そもそもこんなことになってしまったのは自分の不手際のせいだろう。
いずれ忘れられるとしても、自分が覚えている。
それだけでいい。それだけで幸せなはずだ。
今のルナの力ではこの都市の全員の記憶を取り戻すことは不可能だ。
ならば、やることは一つしかなかった。
―――クルスタミナを殺す。
神器の所有権がクルスタミナに譲渡されたのは既に分かっている。
だからこそ可能性があるのだ。
もしジューグが神器の保有者であれば、前に話したように勝つことは不可能だった。
だが、今はクルスタミナの手の中にある。
薄暗い廊下を一人で歩きながら、ルナは一つの部屋にたどり着く。
そこにいる人物になんとしても学ばないといけないことがある。
「入っていい?」
ノックをして確認をすると、中から、入りなという声が聞こえ鍵の開く音がする。
「夕食の時間ってわけじゃなさそうだね。どうした、ルナ」
「一ヶ月後じゃ足りない。今、修行したい。だから、お願いします」
リリーナの力が今の自分では遠く及ばない場所にあるのは分かっている。自分が教わるにはあまりに強すぎて、不出来な弟子になってしまうかもしれない。
それでも、
「私には、守りたいものがあります」
「ああ、そうだな」
「守るための力を、経験を、知識を下さい」
頭を下げるルナに、リリーナはハッと笑いルナの頭に手を置く。
「焦んなよ、とは言わないさ。だけど、私も生憎と弟子なんて持ったことはないし、正直言って付いてこれると思わない。...が、良いよ。あんたが、学校から戻ってきたら稽古をつけてやる。死ぬ気でやれ」
リリーナは何も躊躇わない。
自分の言いたいことを言って、自分のしたいことをする。
それは並大抵のことではない。
自分の信念を貫き、誰にも縛られない。
強いのだろう。誰にも負けないくらい。
―――だから、私もそうなりたい。
それから、二人の修行が始まった。
屋敷の中にある大広間にジャックスが結界を施して、リリーナかルナのどちらかがやめると言うまで終わらない修行だ。
だが、決まっていつもルナが重症を負って1日の修行が終わる。
毎日のようにアオバも屋敷に訪れて、修行が終わったルナの治療を行う。
「ルナさん、確かに時間は少ないでしょう。でも、これは頑張りすぎですよ」
アオバの再生魔法がなければ、何ヵ月も入院するほどの怪我を毎日のように負うルナにアオバは苦言を申す。
今日だけで、左足が折れ、通常では曲がらない方向へ両腕がへし折られていた。
やりすぎだ。と言うしかない。
「これぐらいしないと、守れないから」
治った方の左腕で目を覆い隠しながらルナはボソッと言葉を返す。
「だけど、これでは体は治っても痛みが残ります。僕の再生魔法も完璧じゃないんですよ。こんな怪我をしていたら何時間かは痛みが残るでしょうに」
アオバはできればこんなことはやめてほしかった。
毎日のように屋敷に通うのが嫌だからではない。むしろ、こうして安否を取れることで安心すらしている。
だが、アオバは医者だ。
患者の苦しみを少しでも多く取り除くのが役目だと思っているのに、ルナは毎日のようにこうして治療を受け、数時間の痛みに耐えている。
下手をすれば死んでしまうのではないか。と心配すらしたことがある。
「リリーナさんも、これではルナさんの体が持ちません。本当ならやめてほしいんですが...」
「そいつが決めたことだ。私にはやめる権利も理由もない」
「ですよね...」
治療が終わり、立ち上がるルナを尻目にアオバは嘆息をつく。
「やっぱり、言葉くらいじゃどうにもなりませんよね」
では、と言葉を続ける。
「後悔しないことです。確かに死ぬ気での修行は経験値になります。きっと一ヶ月後には多少の使い手にはなるでしょう。だけど、覚えておいて下さい。力だけが全てじゃない、と」
役目を終えて、ジャックスに見送られるアオバを二階にある部屋で眺めていると、扉をノックする音が聞こえる。
「ルナ、起きてるか?」
「うん」
リリーナを部屋に招くと、物珍しそうにリリーナが部屋の中を見渡す。
「女っぽい部屋だな」
「前の持ち主の物ですよ」
リリーナが部屋に入ってきた理由を聞くと、汗はかいてないけど風呂に入りたいから入るぞと言われる。
今のルナでは汗をかかせることすら出来ないのか、と少し虚しくなるが折角誘われたのだから入ることにする。
「なんやかんやで、あんたと入るのは始めてだな」
「確かに。でも、私はもう慣れたかな」
こうして、女として風呂に入ることにも躊躇いは無くなったし、長い髪を洗うのも慣れてきた。
この二週間で、よくここまで来れたものだと感心するところだろうが、今のルナにはどうでもよかった。
「慣れ、ね」
感慨深そうにアカツキの言葉を反芻するリリーナに何かを感じ取ったルナが振り向くと、同時に手を引かれ、頭を胸のなかに引き寄せられる。
「ちょ...!」
「よく聞けよ。慣れってのは当たり前じゃない。慣れるのは努力の証拠だ。あんたがその体に慣れようとしたのは仲間の為だろ?なら、そんな顔すんなよ。あんたは頑張ってる。あんたが、認めなくても、私が認めてやるよ」
励ましの言葉、なのだろうか。
慰めの言葉、なのだろうか。
「師匠としての、言葉だよ」
やっぱり、この人は強い。ルナはそう確信する。
自分の言いたいことを言えるし、それに。
「ありがとう...ございます」
今、自分が掛けて欲しかった言葉を知っている。
暖かい胸の中で、自分が認められ、頑張っていることを誰よりも知ってくれている人の胸の中で、少しの間泣いていた。
きっと、どうしてこんなに優しくしてくれるのかと聞いたら、この人は、師匠だから当たり前だろ?とでも格好よく言うのだろう。
そんな人が師匠で良かったとルナは心底思う。
...その夜、夕食を食べ終えて、歯を磨き、やることを終えたルナは机の上でひたすらペンを進ませる。
すると、扉をノックする音が聞こえて鍵を開けるとパジャマ姿のセレーネ、いや屋敷内であり、夜である今はサティーナと呼んでもいいだろう。
「サティーナに言われた通り、終わらせたよ」
「はい。ですので、今日はテストをしてみようかなと」
「テスト?」
サティーナが一冊の本を差し出し、それを受け取ったアカツキは中身をペラペラと捲る。
「これは?」
「お伽噺ですよ。夜ですし、これくらいのものが丁度良いのかなと思い、持ってきました」
本当に、自分にはもったいないくらいの友達だ。
本人は従者であることにこだわり、友達という呼び方をゆるしてくれないけど、今のアカツキには本当に友達のように軽く接することができる。
「それでは、内容の音読を」
「分かった」
―――かつて、世界は一つだった。
どこか遠くでは翼宿りし者が祝福の讃美歌を聞かせ、海底では人ならざる人が自然の中では大いなるものが住まい、地上では知恵ありし者が住まう。
かつては平等であり、共存であった。
しかし平和は一時の暇でありいずれは崩れ行くものであるというのを知恵ありし者が気づく。
愚かなる知恵は龍を殺し空を穿つ。
翼宿りしものは終わりの笛を告げると世界から姿を消す。
戦いは力が知恵が猛威を振るう。
直に知恵ありし者が滅び、地上には龍が巣食うだろうと学者は言う。
ゆえに我々は傲りを怒りを妬みを怠けを深い欲を食欲を肉欲を神に献上する。
一人の少女は全ての罪を背負い、神へと捧げられる。
知恵ありし者の中でも世界に位置する男は少女に永遠の愛を誓い少女を奪いし世界を呪う。
七つの罪と十二の器が世界を揺るがし
神は永遠の時の中で三つの夢を見る。
知恵ありし者を滅ぼしたのは翼宿りし者でも龍でも知恵ありし者でもなく世界であり我々は神に見放される。
終わらぬ夜と終わらぬ雨が世界を覆うと一つの物体が世界に落ちる。
それを我々は希望と呼び絶望と呼んだ。
それは世界を滅ぼし世界を救う。
我々は有限の時を生きる。
我々は知恵を有する。
我々は力を有する。
世界に落ちし物体は滅ぶべき時に滅ぼし救うべきときに救う。
滅ぶべきは我々だった。
箱は終わりなき病で苦しむことを我々に強いる。
そうであろう。
我々は器だ。
その身に余る力を知恵を罪を得た。
器に収まりきれないものはやがて器から漏れだす。
やがて世界が終わると始まりが訪れる。
もう争いが起きないようにと神は願い一人の人間がその願いを受諾する。
しかし罪を裁く闇は我々を覗いている。
世界は
我々を
見ている
忘れるな。
本の物語はここで終わり。聞き手はその多忙さ故か眠りに落ち、語り手は、───アカツキでも、サティーナでもない誰かだった。
どこか遠い場所で声が聞こえる。
―――白い世界で一人の少女がアカツキを見ている。
何度も、何度も。
「私が、あなたが、見ている」
やがて世界は目覚める。
朝日が昇ると人は目覚めるのと同じように。
「また、会いに行こうかな」
退屈そうに椅子に座る神はまたアカツキと会うことを望む。
「次は、忘れないでくださいね」




