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遥か彼方の浮遊都市  作者: しんら
続章【学院都市】

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<理解されない苦しみ>

昨日届いたばかりの制服に袖を通し、ちゃんとサイズが合っていることを確認すると、鏡の前に立ち自分という存在を確認する。


この姿を見て元は男とは思えないが、実際にここにいるのだからアオバの薬の効果は凄まじいと言っていい。


髪は伸び、胸も大きいとまではいかないが膨らみがある。


()()()()、起きましたか?」


未だに聞き慣れない名前を聞いて、一拍置いて彼女は振り返った。


変わったと言えばサティーナもだ。


「入っていいよ、()()()()


扉が開くとそこには眼鏡をかけ、青を基調とした制服に身を包み、アオバやリリーナが髪の色を変えたり、カラーコンタクトなどを入れ、変装をしたサティーナが部屋に入ってくる。


「本当に大丈夫?変じゃない?」

「大丈夫ですよ。自信を持ってください」


かつての自分を知っている者から見れば、違和感しか感じない風貌と声。


しかし、声も顔も何もかもが変わってしまった今、彼女をアカツキだと認識できる人間はこの屋敷の中に居る人間を置いて他に居ないだろう。


「なら良かった。行きましょ」

「はい」


この時期に編入学というのは珍しく、学校では一時的に話題になるだろうが、アオバやリリーナからはあまり人に関わるなと言われている。


注目を集めると危険ということもあるだろうが、中途半端な人間関係ほどめんどくさいものは無い、極力目立たないようにしろと言われている。


やることは一つ。

1ヶ月後の創校記念祭でガルナに接触し、もし可能ならクルスタミナを確認するように言われている。


学校に着くと、イスカヌーサ学院のように別室で待たされ、教室に案内される。


「はい。皆ちゅうもーく。こんな時期にと思うだろうが新しいクラスメイトだ。皆仲良くしてやれよ。じゃ、自己紹介」


と、簡潔に話を終わらせた男が時期外れの編入生に自己紹介をするよう促す。


「ルナです。どうぞよろしくお願いします」


教室で拍手が起こると、ルナはペコリと頭を下げて席につく。

次にセレーネも自己紹介を終えて、多少人が集まって色々なことを聞かれた以外は特に何も起こらずに1日が終わる。


「皆も知っていると思うだろうが1ヶ月後にイスカヌーサ学院で創校記念祭が開かれる。まあ、学院相手に勝てる可能性は低いとは思うが、悔いの残らないように頑張ってくれ。んで、入学して早々に悪いがルナとセレーネには部活道に所属してもらいたい」


「分かりました」


そうして、可とも不可とも言えない1日、つまりは普通の1日が始まる。

あの頃のように騒がしくはなく、ただ当たり前に、平穏に1日が過ぎていくのを彼女は教室の隅で実感する。


「1日って意外と短いんだ」

「どうしました?」


ボソッと呟いたルナにセレーネは首を傾げる。


「ううん。何でもない。それより何の部活に入る?」

「選手として出るなら運動部、裏方として大会の運営をするのが文化部だそうですよ」

「じゃあ...。どうしよう」


「お前ら」


二人で夕焼けに染まる教室で話しているとドアが静かに開き、鍵を持った担任の先生が入ってくる。


「もうすぐ暗くなる。最近は何かと物騒だから今日は帰っていいぞ。ただ、明日中には仮入部でもいいから、入る部活を決めておくようにな」


それだけ告げると他の教室に見回りをしに行く。


「帰ろっか」

「そうですね」


リリーナやサティーナに指導して貰ったおかげで大分女子というものに近づけたが、それでも分からないことだらけだ。

やはり一番のハードルと言えばこれだ。


「ねえ、どうして居るの?」

「?ルナさんと一緒に入るのは当然ではないでしょうか」


この姿になってからと言うもの、セレーネが毎日のように風呂に入ってくるようになったのだ。


「急に倒れられたりしたら大変ですから。アオバさんも薬の副作用が何なのか分からないって言っていましたよ?」

「分かってる。けど、流石に部屋まで乗り込んでくる?」

「駄目ですか?」


きっとあっちは悪気はないのだろうけど、ルナはこれでも男だったのだ。まあ、色々と思うことはあるのだろう。


「駄目ですか?」


念を押すように確認してきたセレーネに対してルナは押し黙り..。


「分かった」


渋々認めたのだった。


普通の日常。偽りの日常。

あの学校でもそれは変わらなかった。誰も違和感に気づかないで1日を笑って過ごしていた。


「...」


ベッドに潜りながら、ルナは自分が何をしているのか分からなくなる。

これはなんなのだろう...。


幸せな日常、それを見てると羨ましくなり、妬ましくもなる。


どうして誰も気づかない。

なんで笑っていられる。

どうして。

どうして、どうして。

どうして、どうして、どうして。


「駄目」


自分で自分の思考に蓋をする。

これが記憶の改竄で引き起こされるものだとしたら、今までのことが全て可愛く見える。


日常に溶け込んで初めて記憶の改竄による違和感が心を蝕む。

まだ、1日だ。

大丈夫。我慢できる。


...二日目。

今日は1日中ボーッとしていた。

部活動はセレーネが決めてくれた。

だけど、体調が優れずにこの日は部活に行くことはなかった。


「大丈夫ですか?」

「うん。平気」


今日も自分だけが取り残されている風に感じた。

だけど、まだ二日目。

大丈夫だと自分に言い聞かせた。


...三日目。

今日は食事が喉を通らなかった。

お腹は減っているのに、食べる気力が出ない。


今日はクラスで創校記念祭に向けての話し合いが行われた。

違和感は既に心を蝕むどころか、壊しに来ていた。


恐怖。

自分だけが違うのだということがこんなにも辛いことなのだろうか。


大丈夫。まだ四日目。

大丈夫、大丈夫...


まだ5日目...

まだ、まだ、まだ。


ベッドの中で踞り、まるで小さな子供のように泣く。

苦しい。きっと誰もこの痛みを理解できない。


今、学校に行ってしまったらあのクラスメイトを傷つけてしまいそうになる。

いやだ。


もう、誰かに子供のように当たるのは嫌だ。

苦しいのは我慢できる。まだ。六日目だ。

辛い。苦しい。気色悪い。

嘔吐感が体から沸き上がるを飲み込み、今日も一人ベッドですすり泣く。


誰も理解できない。

誰にも理解されない。


違う。

この日常は違う。

あの忌々しい男が自分の理想を作り出した世界は酷く歪で、ルナを苦しめる。


なんで自分だけが。

そんな子供のような幼稚な理由だけなら良かっただろう。


だが、ルナはアカツキは、人を傷つけるのを恐れてしまった。

だから一人で心に押し込めて、ゲロを吐くような日々に耐える。


―――悲しい?


悲しいだろう。


―――苦しい?


苦しくないはずがない。


―――どうしたい?


どうもしない。誰にも理解されない苦しみなど、本当のことを言っても気味悪がられるだけだ。


―――相談したい?


嫌だ。迷惑を掛けたくない。

サティーナには酷いことをしたのだ。

自分の幼稚な理由だけでサティーナを深く傷つけていた。


まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ。


地獄はルナに休むことを許さない。


7日目。

鏡の前に立つ自分がぐにゃぐにゃに歪んでいた。

まるで自分の心を表しているように鏡の自分は本当の自分を写し出す。


「............」


今の自分の顔はどうなっているのだろうか。

昨日はすすり泣き、なかなか寝付くことが出来なかった。


「ルナさん、起きてますか?」

「うん。今行く」


洗面台で何度も自分の顔を洗い、歪んだ自分を確認する。

不規則に揺れる自分を見たくないが為に鏡に布を被せ、部屋を出る。


今日は。

どんな1日になるのだろう。


今日も違和感に押し潰されないように過ごさなければいけないのだろうか。

きっと今日も彼らは歪な記憶で、偽りの笑顔で、ルナを苦しめる。


「ルナさん?ご飯が残っています」

「ううん。大丈夫。もうお腹一杯だから」


殆ど朝食に手をつけずに、ルナは足早に部屋へと戻る。

時計を確認すると学校へ行くまで後30分はある。


「少しだけ、眠ろう」


殆ど不眠不休で体調が崩れないのが不思議なほどに、いやもしかしたらそれすらも我慢しているのかもしれない。


束の間の休息であれ、少しは心が落ち着くだろう。


「だから...。ちょっと..だ..け」


目を閉じるとすぐに眠気が襲ってくる。疲れきっていた体と心は休息を必要としているのだ。

ルナはそのまま眠気に体を預け、意識を手放す。


........ふと声が脳裏で響く。


誰かの記憶。

誰かからか見た景色。


「×××××」


誰かが呼ぶ声が聞こえる。

景色はこんなにも鮮明に、鮮やかで美しいのに聞こえてくる声はザザザとノイズが入り、上手く聞き取れない。


「おとーさん!」


幼い少女は声のした方へと向かっていく。

見ることだけがルナに許され、少女が見上げた先には優しそうな男性が立っていた。


「×××××、体の調子はどうだい?」

「少しだけ体が痛いけど、平気だよ!」

「そうか。まだ体が痛いのか...。今日もお薬を用意するから飲もうな、×××××」

「はーい!」


...さん。


どこかで自分を呼んだ声が聞こえる。

いや、気のせいだろう。


景色は変わり、今度は大勢の喪服姿で一人の女性の葬式を挙げている。

幼い体が覗き込む先には綺麗な顔で...。


否、黒だ。顔も判別できないくらいにどす黒く染まった、ただ人として存在をしていたであろう、形だけがそこには残っていた。


「優秀な人だったのにねぇ...」

「器が小さすぎるのでは?」


「残念ねぇ..。優秀な被検体だったのに、耐えられないなんて」

「これ以上やっても成果が得られないのではこの都市にする必要はないかと」


二人の科学者らしき人物がそんなことを話していると、冬だというのに少女の隣で手を握っている男性の顔から汗が吹き出し、心なしか握る力が強くなっている。


そして、焦ったように歩きだすと取り繕ったような笑顔で話しかける。


「いえいえ!妻はあの様ですが、もっと素晴らしい被検体が用意できています!」

「そうなの?」

「本当に信じてもよろしいのですね?」


二人の科学者にペコペコ頭を下げる父親より、少女の目はいまだどす黒くなった女性に向けられていた。


ナ...さん。


自分を呼ぶ声が鮮明になっていく。

疑問が確信に変わって尚、ルナはこの景色が何なのかを突き止めようとする。


ノイズが世界に走り、景色が変化する。

次の場面は父親と一人の女性が争っている場面から始まる。


「姉さんをあんな風にして、どうしてまだ実験をやめようとしないの!!」

「あれは最高の実験材料だった。その最高傑作に産ませたあの子なら...」


期待に笑みを溢す父親の顔に女性の手が伸び、バチンと高い音が室内に反響する。

笑みを溢す父親とは逆に女性は怒っていた。


「あの子は、姉さんはあんたの実験材料なんかじゃない!恥を知れ!この...。出来損ない!!」

「...出来...損ない?」


咄嗟に女性は自分の発言が男の触れてはいけない部分に触れてしまったことを自覚する。


「あ...!」


笑みを溢していた父親の顔は酷く歪み、怒りの感情が顔に浮き彫りになる。


―――その光景を私は見ていた。


「ふざけるのも大概にしろ!元はと言えばお前の姉が使えない材料だったのが原因だ!失敗だ!ああ、失敗だよ!あんな使えもしない材料を妻にした私が―――バカだった!!」

「何が...。このくそ野郎!この不出来なくそ男が!」


―――見ているだけだ。


「あぱばぱばばぱばばぱぱぱ!」


たまに面倒を見てくれる綺麗なお姉さんを見ている。


―――口から、目から、耳から血を吹き出し暴れるお姉さんを―――見ているだけだ。


ルナさん。


誰かが呼ぶ声がする。

現実に引き戻され、崩れていく世界で最後に聞いた言葉を、私は覚えている。


―――×××××、成功だ。


そして、現実へと戻される。


目が覚めると、窓ガラスから差し込む光が部屋を赤く彩っていた。


「今は....」


時間を確認しようとした時に隣で自分を握っている人物が目に留まる。


「サティーナ...」

「セレーネ、ですよ。もう疲れてるんですね、アカツキさん」


セレーネとしてではなく、髪の色を落とし眼鏡を外した女性、サティーナが自分の手を握っていた。


「どうして...学校は...?」

「頭痛で休むと言っておきました」

「なんで...!」


今は短い時間で少しでも信頼を高めなければいけないはずだ。最低でもクラスの全員とは信頼関係を築き上げなければ...


「少しお話をしましょう、アカツキさん」


夕日で照らされたサティーナが静かにアカツキのベッドに座っていたベッドの隣に座り込む。


彼女の目は優しそうに、それでいて少しだけ怒っている風に感じる。


「話すことは何も。―――ない」

「いいんですよ。ジャックスさんはまだ療養中ですし、メイドの皆さんは来ません。二人だけで、お話です」

「だから...!」


「―――辛いんですよね」

「......あ」

「だから、聞いてあげます。私に教えてください。アカツキさんの辛いこと、苦しいことぜーんぶ」


もう一度アカツキの手を握りしめ、グイッと迫ってくる。


「話してくれなきゃ、分からないんですよ」


まるで赤子をあやすように優しい声音で、アカツキに迫る。

気づいていたのだろうか。いや、気づかないはずがない。


何故なら。


―――サティーナはずっとアカツキのことばかりを見ていたのだから。


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