<立ちはだかるは善意と悪意>
「サティーナ、お前...」
「アカツキ様を助ける為です。私の手がいくら汚れようとも守れればそれでいいんです」
サティーナの足元でカラカラに干からびて倒れている義足の青年は、愚かにもサティーナに触れてしまった。
「怒りというものは当たり前のことすら見えなくする。貴方はきっと私のことを私よりも知っていた。私にどんな怨みがあったんでしょうか...」
売女と言われたサティーナは、そう言われた理由を知りたくても知ることは出来ない。
ただ一つだけはっきりと言えることがある。
「私の本当の主はアカツキ様です。ジューグなんて人は知りませんよ」
サティーナは倒れ伏していた、もう息は無いであろう青年にそう言い残すと、アカツキに肩を貸すべく、近づく。
「ごの、う゛らきりもの゛が」
しかし、サティーナが振り返るのを見計らっていたのか、義足の青年は油断していたサティーナの首筋目掛けて、針を投げる。
「じね」
義足の青年が触れたものは例外なく爆弾となる。倒れた振りをしていた時から握っていたと考えると、サティーナを爆発で殺すには申し分ない威力だろう。
「甘いですよ。ここがどこかお忘れですか?」
だか、その針を新たな乱入者により、なんの意味も持たなくなる。その理由は空中で針が何かに刺さり、静止してしまったからだ。
「結がいが!」
義足の青年は、跳ね飛ぶように薄い光の四角形が形成される前にその場を離れる。
「なるほど、やはり演技だったという訳ですか」
アカツキ達とは反対側の廊下から、黒い燕尾服に茶髪混じりの髪、調理場でメイド達に慕われ、料理をして、アカツキの悩みを聞いてくれたジャックスとは思えない程の冷徹な瞳、光の灯っていないその瞳は殺気を隠すことすらしなかった。
「その人は僕の恩人の大事な人だ。そして、僕の大切な恩人をこんなにしたのは貴方ですか」
「だったら、どうじた」
魔力切れで聞き取りづらいが、ジャックスには確かに義足の青年が言った言葉が聞こえた。
「屋敷を破壊し、果ては僕の大切な人を傷つけたんだ。それなりの罰は受けてもらうに決まっているでしょう?」
ジャックスが魔力を周囲に放ち始めると、義足の青年はポケットからカプセルを取り出し、飲み込む。
すると、しわしわになっていた皮膚は見る間に元の肌へと戻っていく。
「魔力の供給用のカプセルを口に隠し、わざと死んだ振りをしていたんでしょう?よく考えましたが、ここはアカツキ様の屋敷、アカツキ様とサティーナさんだけが貴方の敵ではない」
ジャックスと義足の青年は互いにどちらが先に動くか睨み合う。
その間、義足の青年の全神経はジャックスだけを警戒する。
「アカツキ様、一度ここを離れます」
だからこそ、ジャックスは堂々と姿を現した。
この場から大事な主を逃がすために、確実に勝てる方法をとらず、確実に主を助ける方を選んだのだ。
「ごめん」
アカツキにもそんなことを考えてるというのは分かっている。
だからここで、残ればジャックスの気持ちを無下にするも同然。
「もっと、もっと強ければ」
サティーナに背負われながら、その場を離れていくアカツキ。
義足の青年も、ターゲットが逃げたしたということは気づいている。
だか、ここでターゲットを、追うためにこの男から目を離せば、確実に殺される。
しかし、このままターゲットをみすみす逃すわけにはいかないのも事実。
―――ならば、この場で取る方法は一つ。
「本気で叩き潰す」
両手を掲げ、本来ならば可視化しないはずの赤い魔力が目に見える程の膨大な魔力が両手に込められている。
―――いや、それだけではない。
赤い魔力は義足の青年の体を覆っていき、最終的には人の形をした魔力の塊となる。
「足だけではなく、身体中に細工をしていましたか」
「本来ならばこんな危ない橋は渡らない。だけど、そんな悠長に戦っていたらターゲットを逃すことになるからね」
「成る程。ならば、こちらもそれなりの覚悟で挑みましょう」
瞬間。
空気中を漂っていた魔力が黒く染まる。
それは、一人の人間に行えることではない。
魔力は常に世界に満ちている。だが、それは自然発生した魔力であり、人間の生命活動に必要な魔力はこの魔力を使用する。
自然のままの魔力は人間にとって毒でしかない。
それは自然というものは人間には遠く及ばない神にも近きものだから、と唱える学者がいる。
その自然の魔力を人間は体の中で、自分の魔力と混合させて、害を無くし、やがては自分の魔力となる。
だからこそ、魔法を熟知する者達は魔力の枯渇を何よりも恐れる。
混合させる自分の魔力が無ければ、毒を吸い込むだけなのだから。
故に目の前のジャックスという男は人ではない。
流れる自然の魔力を黒く染めたのが何よりの理由だ。
体から魔力を発するのならば人間にも可能だが、このジャックスという男は自然の魔力に干渉したのだ。
「あの男より、君の方が最も恐ろしい危険分子だ」
義足の青年は、魔力を広げていき完全な臨戦態勢となる。
一方、ジャックスは何もせずに立っているだけだ。
だか、それだけで義足の青年には恐ろしい圧迫感がのし掛かる。
―――やがて、怪物は口を開ける。
「―――俺を殺してみろ、人間」
圧倒的な魔力がジャックスから放たれ、空気中の魔力を黒く染め上げる。
圧倒的な暴力が義足の青年を叩きのめすのも、そう時間は掛からないだろう。
「お望み通り、殺してやる。化け物」
...サティーナとアカツキはジャックスの乱入のおかげで、速やかにあの場を離れることが出来た。
だが、もう一人の乱入者が道を塞ぐ。
これはさっきの義足の青年のような悪意ではない。
「貴方がアカツキね」
見覚えのある制服に、黒いロングヘアーの少女。
身長はアカツキより少し小さいぐらいだろうか。
「くそ...」
つくづくアカツキは自分の運の無さを痛感する。
「イスカヌーサ学院、第一学年委員長リゼット・クラーナ。貴方を殺す為にここに来たわ」
そう。言うなれば、これは当然のことだ。
イスカヌーサ学院は空白の30分で行われたあの数々の残虐な行為の周到さから、三人は繋がっているという判断に至った。
しかし、アレットは音を消し、情報はほとんど筒抜けだと考えるのが当然だ。
ならば、簡単な方から攻略するのは最も合理的で事態収拾に適した行動だ。
この少女もまた、覚悟をしていた。
これ以上の暴挙を許す訳にはいかない。
これ以上、被害者を出してはいけない。
「ここから先は、行かせない」
―――アカツキ達の前に途方もない悪意と、善意が立ちはだかる。
...今、私はどのように呼吸をしているのだろう。
そんな疑問が義足の青年の頭の中にある。
空気中から魔力を吸収するのは人として、当たり前で、そうしなければ生命活動に支障が出ることになる。
―――だから。
「この程度か」
こうして、地べたで溺れているのだ。
魔力の吸収は呼吸と同様、人としてやらなくてはならないことの一つである。
アカツキのように魔力のサイクルが崩壊した者は別だが、普通魔力の吸収は自然に行われる。
しかし、この目の前の化け物は空気中の魔力を自分の思うがままに変化させ、それを取り込んだ義足の青年は海の中に溺れているような感覚に陥っている。
「今、貴方の体を毒ガスと似た変質した魔力が流れ込んでいます。並大抵の人間では、三分もすれば変質した魔力に体を侵され死に至る」
「反則...じゃないか」
そう、自然に行う行為をすれば体を侵され死に至る。
これを反則と言わずしてなんと言うのだろうか。
「これは魔法の起源。まだ、魔法という名を持たなかった時代には『力』や『神の奇跡』、時には『邪法』とも呼ばれた。貴方が勝てなくて当然ですよ」
既に敗北は確定していた。
最初から勝てる可能性はほとんど0に近い。
「貴方はとても強かった。だけど、戦う相手が悪かった。それだけです」
「か....。バカに..するなよ」
猛毒にも近い魔力を今も尚、吸収し続ける義足の青年には最早勝ち目は無い。
端から見れば、それは当然の見解であり、人間では到底太刀打ち出来ない能力を持ったジャックスに勝つのは不可能に近い。
だが。
――0ではない。
「なめ...るな」
もう一度。
立ち上がる。立ち上がれ。
赤い魔力が体を包む。
いや、そんな優しいものではない。
体をどんどん赤い魔力が侵食していく。
感覚は失われ始め、呼吸をするたびに喉を焼くような痛みも、体を蝕んでいくとてつもない痛みも感じなくなっていく。
「なるほど。あくまでも私の能力は『人間』にしか意味を持たない、と判断して義足に仕込んでいた魔術回路を発動させた。大方、魔獣化といったところですか?」
「そんな、も、ので、は、ない」
ボツボツと義足の青年の発する声に別人のように野太い声が混じり始める。
同時に、体を侵食していく赤い魔力は義足の青年の背中から巨大な羽を生み出す。
ぶくぶくと魔力が膨れ上がり、その羽は全長3メートルにも達する。
所々千切れたように羽の一部は欠けているが、膨大な魔力の奔流がまるで脈動しているかのように思わせる。
「人体の組織を全て魔力回路で破壊し、新たに創造する。貴様に勝つにはこの方法しかなかった」
完全に声は別人のような野太い声に変わり、人の形をした魔力の塊だけがその場に思念として残る。
体という制御装置を外した姿はまさに神にも近き領域に達する。
という考えで行われた実験の被害者がこれだ。
実際に神とは程遠い、人間でも何でもない正真正銘の『化け物』を生み出してしまった。
研究は凍結され、資料はこの世に残っていないだろうと言われた。
正確に消去したと言い切れなかったのは、研究に携わった研究者157人の内3名が行方不明、残りは謎の死を遂げた。
同時に研究所があった場所は深い深い大穴が出現し、消失した。
探索に向かった人間は一人として帰ってこないことから。
『虚無の大穴』と呼ばれ、一部の者しか周辺に立ち入り出来ないように厳重な警備体制が敷かれる。
「なるほど。それでは、やってみますか?」
ジャックスはその人知を越えた化け物を前にしても顔色一つ変えずに、ただ真っ直ぐ前を見据える。
たとえ、目の前に失われた研究による化け物が居ても、ジャックスには関係ない。
それは。
―――自分も、化け物だからだ。
「さあ、本気でやろうか」
ジャックスは小さく笑みをつくり、向かってくる化け物を全力で相対する。