【リセット シマス】
クルスタミナは湿った地面の上を何度も転び、体の至るところをぶつけながら林の中を必死に逃げていた。
息を切らしながら走り続け、何度も打開策を考えた。
しかし、何も無かった。
いや違う、失っていたことに気づいていなかったのだ。
ジューグから借りた兵や神器は失い、教頭は焼き尽くされた状態で無造作に転がっていた。
やはりそこにも神器の魔力が漂っており、いつどこから現れ、どのように殺されるのか。考えただけでも悪寒が走る。
「まだ...。ワシは...」
死ぬわけにはいかない。そう、こんな所で死んではいけないのだ。
そこら辺の凡人とは違い、才能と実力を兼ね備えた特別な人間がここで死んでいいはずがない。
「あらあら、随分と必死ね。副理事長様。いや、違うわね。もう副理事長の座は降りてしまったもの」
何度も聞いた忌まわしい声が聞こえた。
「自分が特別だと思っていた?選ばれていると思った?」
そう思って何が悪い。魔法の無詠唱に神器、多くの兵や...。
「....」
クルスタミナはそこでやっと気づく。
神器も、信頼出来る仲間も、全ては仮初めのものだったことに。
力で屈服させた兵や与えられた神器に与えられた知識で作り出した人形など。
本当に自分を慕い、忠誠を尽くす者などほんの一握りだったのだ。
特別ではなかった。特別だと思っていたかっただけの哀れで醜い『凡人』だった。
「貴方の作戦は全て失敗したわ。カルタッタ率いる戦士?あんなものを戦士と言ってもいいのかしら?今はそういうことにしておくことにしましょう。まあ、その戦士は貴方が差別し、見下していた5組の生徒にあっさり負けたわよ。教頭は見ての通り、焼死体になった。もう、何も残ってないわね」
見下すような視線で、この雨の音の中でもはっきりと聞こえる声で、ジューグはとても愉快そうに話していた。
この女はゲーム感覚で見ていたのだ。最初から負けようと勝っていようと楽しければそれで良かったのだ。
「貴様が...」
全てを失ったクルスタミナは小さく呟く。
その声には恨みや嫉妬などの負の感情といえるありとあらゆるものが込められていた。
「貴様がもっとワシに兵を貸していれば良かったのだ!!神器の所有権もワシに譲渡していれば全て上手くいっていた!!あの男の記憶はこの都市から消え去り、ワシが崇められるはずだった!!」
「そんなことあるわけないじゃない。特別でも無い凡人が崇められる?自分のことを高く評価しすぎてるようね」
違う違う!!
神に選ばれ、多くのものを与えられているのに、凡人のはずがない!!
本来なら大賢者に最も近いと言われるのは自分だ。
そんなことを思っていても現実は違った。
突如現れた男に理事長の座を奪われ、自分よりも優れた魔法使いであり、信頼され人望も厚く、非の打ち所のない完璧と言ってもいい男は全てをかっさらっていった。
「特別な人間は勿論居るわ。だけど、貴方は特別でも何でもない、ただの一般人。ほんの少し魔法の才能があるだけで、特別とは程遠い存在ね。貴方がゴミと言っていたアカツキやクレアの方が貴方よりも特別で希少価値が高い存在よ。それなのに自分は選ばれているとか、特別だとか...。見ていて楽しかったけど、哀れな男だとも思っていたわ」
これがジューグが思っていた本心。
楽しいから、それだけで神器を与え、兵を簡単に貸した。
つまりは神器を他人に貸せる程の実力を持っているのだ。記憶を消去、操作するという神にも近き能力を越える力を。
「私はおもちゃで遊ぶのは楽しいけれど飽きるのも早いの。だから、貴方はいつでも殺せるの。だけど、壊れそうなおもちゃを使って楽しむのも良いのよね~」
ジューグは見覚えのある杖を空に掲げる。
「クルスタミナ・ウルビテダ、もう一度チャンスを与えるわ。私には一部を除いたこの都市全体の記憶を改竄することが出来る。貴方に反発していた企業は簡単に言うことを聞くようになり、貴方のしてきた悪事は完全とは言えないけれど消すことが出来る。言うなればリセットよ。最初からやり直せるの」
ジューグは杖を振り回し、辺りを歩きながら尚も楽しそうに話続ける。
「勿論、貴方には対価を払ってもらうわ。当たり前よね。最初からやり直せるなんてすごいことをしてあげるんだもの。指を切り落としても、数百と爪を剥がしても、首を切ろうと、そんなことは出来ないわ」
死でも払えない程の対価を望んでいるのならば、今のクルスタミナには不可能だろう。
だが、壊れそうなおもちゃにしか出来ないことがある。
「私の人形になりなさい。貴方に託していた魔獣の成長、他都市との外交を継続し続け、私の言う通りに何でもこなし、死ねと言われたら死ぬ。そんな人形になれるのならば、貴方を特別にしてあげるわ」
ジューグにへりくだり特別な存在となりながらも一生を人形の様に過ごし続けるか、ここで死ぬか。
選択肢はそれしか無かった。第三の選択など、あるはずも無かった。
「出血大サービスよ?貴方が忌まわしいと思っていた男の存在がこの都市から消え去り、都合通りの世界が構築される。素晴らしいわね」
店で宣伝をする店員のように、ジューグは選択を迫ってくる。
「どうして...」
「どうして最初からそうしなかったって聞きたいのよね。私は何でも知ってるから言わなくても全部分かるわ」
まただ。
会うたびに知らないことはないと言い、見下すような視線でこちらを見てくる。
無知であることは可哀想と言うような態度。
この女の全てが気に食わない。
「だって最初からそんなことをしたらつまらないでしょ?」
「...は?」
「私は圧倒的に不利だったり、有利だったりする戦いは見てて面白くないの。勝つことが分かってる戦い程退屈するものはないわ。相手の考えていることの裏の裏を読んだり、互いに情報戦を繰り広げ、大激闘。どちらが勝つか分からない戦いは見ていて飽きないもの」
これがこの女の本性だった。人同士の殺し合いを飽きるだの楽しいだのと簡単に言いきってしまうほど、狂っていた。
それかもともと、この残虐さが通常運転だとでも言うのだろうか?
どちらにせよ、恐ろしいことに変わりはなかった。
前の自分がこの女を手中に出来ると考えていたのがバカみたいに思える。
「私は研究の成果を得られて、貴方は特別になれる。万々歳じゃない?」
研究、それも恐ろしいものだった。
最初は小さな生き物に大量の魔力を注いでいれば、報酬を得られる。とても安い商売だった。
しかし年月が立つにつれ、魔獣としての本能が目覚め、特製の檻に入れておかねば都市を破壊するかもしれないという凶暴性を持った巨大な魔獣。
今もこの都市の地下で育っているその魔獣は今まで以上に成長が早くなり、今ではバーサーカーにも手に負えないであろう魔力の量と特殊な体質を持っている。
「無理だ。研究者が何人犠牲になったと思っておる...。あれをこれ以上育て上げたら、いかにお前と言えど制御は出来ないはずだ...」
「犠牲になった研究者は159人だけでしょ?それにあの程度の魔獣は世界にごまんと存在しているわ」
少しずつジューグの顔に飽きが見え始めてくる。このまま、何も選択しなければここで確実に殺される。
しかし、ジューグに下ってしまえば、自分が弱いということを特別ではないということを認めてしまうことになってしまう。
「サティーナ」
ジューグが名前を呼ぶと傘を掛けていたメイド服のサティーナが、何も言わずにクルスタミナの手を取る。
「貴方も知っているだろうけど、サティーナは魔力の向きを操るわ。そして人の体の中で魔力は常に循環し続けている。それを逆流させれば、どうなると思う?」
ジューグの命令とあらば、サティーナはどんな命令でも従う。たとえ、男に抱かれろと言われればそうするし、都市を一個壊してきてという無茶なお願いでも、死ぬまで従い続ける。
自分をどういう風に使うかはジューグが決める。
そんなサティーナにとって目の前で死ぬことを恐れている哀れな男を殺すことを躊躇うことはない。
そう、本気なのだ。
従わねば、待っているのは『死』のみ。
選択肢は二つも存在していなかった。
「わ...分かった。研究を続ける...」
「それだけじゃないわ。貴方には依存の儀式を受けてもらい、私の命令を何でも聞く人形になってもらう。それで良いわよね?」
なんという皮肉だろう。自分が何度も貶して、命令を聞かせてきた人形になれとこの女は言っているのだ。
それが、どれほどクルスタミナに悔しいか分かっていて言っている。
だが、前のように殺意が芽生えることは無かった。
生きていたかった。どんな未来であろうと長く生きていたい、人間とはそういうものだ。
どんなに醜くても、貶されても生にしがみつく。
この男、クルスタミナも『ただの人』であることに変わりはなかったのだ。
「分かり...ました。クルスタミナ・ウルビテダはジューグ様の人形となり、未来永劫従うことを誓います」
その言葉を聞いたジューグは静かに笑みをこぼし、近づき...。
「サティーナ、傘を持っていて」
「はい」
サティーナに傘を預け、杖をクルスタミナの額に押し当てる。
「クルスタミナ・ウルビテダ、貴方に神器の所有権を譲渡します。同時にここ、学院都市全体の記憶を書き換え、都合通りの世界を作る。貴方が死ねば、都合通りの世界は崩れ去ります。それでも良いかしら?」
紙に書かれた説明文を朗読するようにジューグは話し、黒服から鉄の棒を受けとる。
しかし、クルスタミナは何も言わずに下を向いて項垂れている。
「ジューグ様、この男は気を失っております」
「あら...。やっぱり言い過ぎたのかしら?」
クルスタミナは目を開けたまま、涎を垂らし気を失っていた。
今まで自分が抱いてきたものがことごとく打ち砕かれたことによるショックだろうか。
「さっき従うって言ってたし、勝手にやっちゃても良いわよね?」
「それをお決めになるにはジューグ様です。私にはジューグ様にご意見を言えませんので」
「そう。じゃあ、依存の儀式を済ませておきましょう」
ジューグが手を上げると、一瞬で大量の黒服が姿を現す。
「貴方達に再度命令をするわ。この男を監視及び逃げ出そうとしたなら殺しなさい。その後、速やかに研究に関する全資料を回収し、帰還しなさい」
ジューグの命に黒服達は膝まずいて忠誠を見せる。
それを確認したジューグは小さく微笑み、サティーナから傘を受けとる。
「サティーナ、貴方にもお願いがあるわ」
「ジューグ様のご命令とあらば」
「私はこれから記憶の改竄を行うわ。例外の人物、アカツキと行動を共にしなさい」
サティーナにとってこの命令は予想外も良いところだった。
敵であるはずのアカツキがサティーナを受け入れるはずがないし、それよりも得られるものが何も無かったからだ。
「お言葉ですが、あの男と行動を共にするというのは、一時的なものであれジューグ様に歯向かうものになります。何故そのようなことを?」
「理由は楽しみたいからよ。記憶の改竄によって、アカツキに関することにクルスタミナが行ってきた悪事を記憶から消すの。仲間からも忘れられたら、この男の様に壊れちゃうかもしれないわ。楽しむ時は存分に楽しみたいじゃない」
本来なら副理事長の一件はここで終わるはずなのだ。これはその延長戦、故意に起こす記憶の矛盾によってアカツキの精神が耐えきれるとは思えない。農業都市の時のように自暴自棄になってしまっては楽しめないのだ。誰も自分のことを覚えてない世界で唯一覚えているのが、敵であるはずのサティーナ。それを受け入れるのか受け入れないのかを含めての遊びだ。
受け入れなければ一人で孤独な戦い。受け入れてしまえば、知らないとはいえ事件の首謀者の仲間と行動を共にすることになる。その時の反応はどういうものなのか?という期待もある。
「万が一にも情報を漏らさないように私に関する一部の記憶を一時的に消すわ。大丈夫、忠誠心は残したままね」
「しかし...!!」
「貴女が起きた時に覚えている使命はアカツキという青年と行動を共にすること。もし出来なかったら貴女を殺すわ」
長い間付き従ってきたにも関わらず、ジューグから放たれた言葉はあまりにも辛辣なものだった。
しかし、そんなのは最初から知っている。
そうだ、私はいつも通りジューグ様の命令を遂行するだけ。口出しすることなどおこがましいにも程がある。
「ジューグ様のご命令とあらば」
サティーナも黒服達と同じようにその場で忠誠を誓い膝まずく。
主人の命令に従うのが、メイドとして。拾われた物として当然だ。
「それじゃあ、楽しい楽しい演劇を始めましょうか」
ジューグが杖を空に掲げると同時に、学院都市を黒い光が包み込む。
絶望が。
ハジマリマシタ。
【リセット シュウリョウ シマシタ】
さて、本来ならここで学院都市編は終了なのですが、神器が関わる出来事はそんな簡単には終わりません。
ということで、くどいと思う方もいるとは思いますが次回から学院都市続章が始まりますので...。
よろしくお願いします(._.)




