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遥か彼方の浮遊都市  作者: しんら
【信仰都市編】

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189/191

<闇底>

 ───そこに立っているのはただの人間だ。神様でもなければ英雄でもない。天間雫の瞳に映る全ての情報が、ソレは人間だと識別している。


 だが、そこにはそれだけがなかった。───そのたった一つだけが欠けていて。


「ふざ...けないで」


 その信じがたい現実に、雫は顔を強張らせて、震えた声を発する。


「なんで、今更そんなことを?いったい誰が、そんなことをお願いしたの。ねぇ、黒羽!!」


 幾分か様変わりした風貌、しかしそこに残る黒羽の特徴はその体の持ち主が彼であった紛れもない証拠だ。しかし、その内面は変質してしまった。

 否、変わってしまったとか、そんな問題ではない。これはもっと根本的な問題なのだ。


 ───そこには、魂が存在していない。神としての力を獲得した雫の目は、その眼に映した人間の魂を観測する事が出来る。

 先刻、黒羽が怒りに飲み込まれた時も雫の目には赤く燃えて見え、それを止める為にアマテラスが叫んだことは誰の目から見ても疑いようのない事実だ。


 だというのに、今の彼には何も無い。───魂があるべき場所にはただ無が広がり、何の色も雫の瞳は映さない。


「なんだ、今更この男に執着でもあったか?」


「...ぇ?」


 黒羽の魂が無くなってしまった事を知ったことで少なからず動揺を見せていた雫が、抜け殻となった筈の黒羽の体が発した声に明らかに狼狽える。

 それもその筈だ。魂が無ければ、人は人足りえない。人間を構成する上で欠けてはいけないモノを失ってしまったその体が動くことも、ましてや誰かの意思が入り込んでいる訳もない。


 何故ならそこには()()()()()()。なのに、何かが在る。

 それがたまらなく不気味で、恐ろしい。


「あぁ、そうか。お前には人間の内側を観測する神眼があったな。であれば、確かにお前の眼で私を見ても、何も映さぬか」


 そう言いながらその存在は先程譲り受けたばかりの体の感触を確かめるために何度か掌を閉じたり開けたりし、感覚を掴んだ(のち)

 ───その手を自身の眼球に突き刺す。


「...何を、してるの?」


「確かめているだけさ。身体機能と、痛み、触覚、嗅覚、味覚をな」


 ぐじゅりと生々しい音が鳴り響き、その紫紺の瞳が引き抜かれ、その灰色の男は掌でころころと弄んだ後、それを舌の上に乗せて、味を確かめる。


「...あまり調子が良いとは思えんな。血の味とコロコロとした食感は楽しめるが、それだけだ」


「その体を、傷つけるな」


「む?」


「だから、黒羽の体を勝手に弄ぶなって言ってるの!!」


 声を荒らげながら灰色の男へと歩み寄り、その襟首を掴み持ち上げる雫。しかしその男は反省の色などおくびも見せないまま、雫を見下ろしていた。


「...この男に興味など無かったのではないのか?所詮、自分の進む道を阻む木っ端程度にしか認識していなかっただろう」


「そんなこと...!!」


「無いと、本当に言い切れるのか?お前は神体共鳴を果たした後の戦いにおいて十分の一程度の力しか使っていなかっただろう?この体の持ち主も気付いていたろうよ。手を抜かれている、とな」


 それ故に黒羽は怒りを覚えた。神体共鳴を引き出す前は拮抗していたように見えたが、やはりその前提にも黒羽を殺してはいけないという意思があり、力にストッパーを掛けていた。

 その油断が雫を神体共鳴という奥の手を出さざる得ない状況に陥らせ、神として存在を確立した後にはあろうことからそれをもっと顕著に見せた。


「お前の判断は正しいさ、巫女よ。最早真にお前を止める事のできる人類はこの世界に存在しない。───その傲慢はあって然るべきだ」


「傲慢...?」


「そうとも、それを傲慢と呼ばずして何と呼ぶ。お前は1()()で何でも出来るのだろう?他者の力を借りなくとも、誰かと考えを共有しなくとも、個で思考し、個で実行に移せる。この男はそれを良しとは思わず、お前はそれを良しとした。その致命的なまでのすれ違いがこのような事態を引き起こした」


「そんな...こと」


「...自覚がないとは。この男とは違う理由でお前も重傷だな」


 その埒外の存在はまるで全てを見透かすように懇切丁寧に雫に真実を伝え始める。人であればそこに割り込む筈の主観的な意見、感情、他者への思いやりなど微塵も宿さずに。


「お前は一人で何もかも解決することが素晴らしいことだと思っていた。他者に迷惑をかけず、自分の考えも曝け出さず、一人で思い悩み、自分の意志だけで行動の是非を決める。なんて素晴らしい事だろう!私は誰にも迷惑をかけていない!!───そうだろう?」


「......」


「沈黙は回答と受け取ろう。理想論だけで言えばそれは素晴らしい行為だろうさ。何せ、誰にも迷惑をかけていない。他者に心情を吐露することで生じる羞恥心も、自分とは関係のない人間にそれを教えてしまう後ろめたさもない」


「違う」


「さぞ、楽になったことだろう?誰かと共に歩むということは誰かにその重りを背負わせるということ。それがお前には何よりも耐え難い痛苦だった。私が居なければもっとこの人達は幸せに生きられるのに、私がいるせいで。そんな葛藤に苛まれることも無くなって、全身を駆け巡る万能感が脳髄を満たしていく。何もかもが完璧だ、不都合なんて何も無い」


「違う...。違う」


 襟首を押さえていた手を話し、雫はその震えた手で頭を抑え、まるで何かを振り切るように首を横に振る。

 そうして、雫の瞳には見透かされていることへの恐ろしさと、己が行ってしまったことの後悔を滲ませる涙が蓄えられ始める。


「お前は可哀想だなぁ、天間雫。巫女なんてだいそれたものを背負わされて、母をその手で食い散らかして、帰るべき場所も失って、大切な人間を何人も見送った」


 ───影が手を広げ、嘲笑う。愚かしくも自身と同位の存在と人々に語られるモノになっておきながら、その弱さを切り離せかった愚かな少女、天間雫を。


「うるさい...うるさいうるさいうるさい!!」


 ソレはどこまでも怪物だった。人の心など持たない無心の怪物。しかし、それこそがこの都市で生まれたどの神よりも神らしく、天間雫が神となって尚切り離せかったものである。


「───あぁ、でも。最後の一人だけは、お前が殺してしまったなぁ?」


 その瞬間、感情のリミットが振り切れてしまった雫の巫女装束がその怒りを体現したかのように刺々しい光となり、その灰色の少年へと放たれる。


 これまで抑制されていた神としての力を感情のままに振るってしまえばその矛先にある存在が消えてしまうことは容易に考えられた。

 だからこそ雫は黒羽にもネオにもアマテラスにも本当の力を見せることは無かったのだから。


「あまりこの体を煩わせるな、出来損ない」


 しかしそれをその存在はまるで糸を払うように片手で軽く受け流す。雫の激情を糧に放たれた一撃をいとも容易くにだ。


 更にあろうことかその伸ばされた光の触腕を掴み、雫を引き寄せ、人の膂力とは思えない怪力で強引に雫はソレへ引き寄せられる。


「───貴様のその驕りが黒羽を殺した。それを本当に理解しているのか?」


「ち...違う。私は殺してない、だって。ぇ、私が?違う、お前が、私が???」


「...ふん。感情の揺らぎが呪いへの耐性を弱めさせたか。その程度だ、たかだが感情程度に振り回される程の力しかお前は手に入れていない。()であればお前には敵わぬであろうよ。そのような枠組みに収まっている時点で高が知れるがな」


 狂いつつある雫を地面へと放り捨て、ソレは意識を失ったネオを抱え上げ、アマテラスへと歩み寄る。


「この者を連れてお前もこの都市を去れ。ここにお前を迎えられる程の人間は居ない。この体の持ち主も、そこなる娘もお前の献身を労い、共に歩む価値など持ち合わせてはいない」


「...嫌、だ」


「何故?」


「そうすれば、雫も───お前も一人ぼっちになってしまう」


 その目は、どこまでも透き通っていた。

 いまだにこの少女は夢に見ているのだ、この先に物語が続き、そこではこの体の持ち主も天間雫も笑っているのだと。


 その神としての不出来が、その優しさが今日まで信仰都市を支えてきた根幹であることをソレは知っている。故に、しばし考え込み、口を開いた。


「...黒羽勇也の魂は既に地の底だ。契約は眠りを禁じ、対価はシズクの願いを叶える事だったが、如何せん地獄と同一化し過ぎた。過ぎたる願いは身を滅ぼす。その言葉通りの顛末となった訳だな」


「シズク...?」


「お前の知る少女ではなく、お前に体を捧げた英雄の妹子の方だ。その者と契約を結び、地獄の力とこの世界での私の想体を操ったが、所詮は後世の人間が僅かな集落でのみ言い伝えた空想の産物だった訳だがな、迷惑な話だよ」


 その結果、神体共鳴を果たした雫の手によって切り刻まれ一時は虚無の狭間へと帰っていたが、他ならぬソレを呼び戻したのは黒羽だった。


「私は私を信仰する者であれば幾らでも手を貸すが、今回ばかりは肝を冷やしたな。何せ人の体に押し留まらせられるとは思わなんだ」


「...不可能じゃ。黒羽に神を降ろすことは出来ない筈」


 神降ろしは巫女にしか成し得ないこの都市が独自に遂げた進化の果て。そこには逃れられない摂理と世界の法則が働く。目の前の存在が神であるのなら、彼もまたその鎖に縛られる身の筈だ。だというのに、どうして黒羽は神降ろしを成し得たのか。


 ───行き着いた結論は、酷く短絡的なものだった。


「神ではない、のか?」


「...どうだろうな。人は私を神と呼び、信仰したが実のところ私は誰かが生み出した幻想でしかない。お前のような名も持たず、魂と合致する肉体も持たない。ある科学者曰く、私は狂気だと言う。人の狂い、世界の狂い、それらの要因が他の世界の因子と結びつき、発生した概念。かつて神を地に落とした神器と同質の起源を持つ、最も旧き存在。故に、禁じられた信仰だ」


 道理を踏み外した者達への罰は自ずと決まっている。その許されざる信仰はやがて一つの都市を滅ぼし、一人の男が不老を得た。それすらもソレには何の感慨も無い過ぎ去った事象でしかないが。


「私は信仰に応えるのみだ。そこに映る景色をひた笑い、傍観する。顔も、名も、器も持たない。故に私にとっては信仰こそが全てだ。創造主に縋るようなこともせんさ」


 ソレが自身の在り方を説明し終えたその瞬間、どこからともなく黒い風が吹き荒れる。

 誰も知らぬ秘密の花園で密やかに続けられた戦いに遂に決着がつけられようとしているのだ。


「ふむ。剣神のほうが先に終わるか。アマテラス、この体はしばらくあの娘の為に使われる。目を覚ました後も意識があるようならここを去れ」


 その風はこの都市に終わりを齎すか、はたまたこの物語の続きを描く絵の具となるかはソレにも分からないが、一度この風に世界の魂は浚われ、運命からの脱却が行われる。


「何が...」


 その黒い風は時間を経るごとに勢いを強めて、さしずめ世界の終わりを彷彿とさせる暴風が吹き荒れ始める。


「都市最南端に現れた終の獣による漂白を行う前の脱臭だ。この風で人の魂についた汚れ、悪性を取り払い、奴等は創世を行う前に世界を白紙に戻す。これを現状の人類に防ぐ術はない」


「私達は死ぬのか?」


「対処は現状彼女に委ねる他ない。奴が死ねばお前らも終わり、奴が生きればお前達も続く。───まさに神のみぞ知る、というやつだ」


 そう言って事が起きてしまう前にソレは意識を狂気の底に落とした雫へ歩み寄り、そのあまりに小さく、か弱い少女の体を持ち上げる。


「あぁ、それとアマテラス」


「何じゃ」


「───この体の持ち主はお前達も愛していたよ」


 最早戻らぬ彼に変わり、正しき信仰を重ねた黒羽に報いるべくソレは律儀にアマテラスへ別れの言葉を告げた。どこまでも神らしく、その献身を弔う為に。


「...ふふ」


 その最後の独白を聞いてアマテラスは呆れたように微笑んで、


「──────分かっていたよ」


「ならいい」


 その微笑みにソレは満足したように雫へと視線を戻し、魂と肉体を彼の獣に奪われてしまう可能性を排除するべく、足元に歪んだ次元の裂け目を生み出した。


「巫女よ、そこで思い知るといい。お前の過ちの先にあった陳腐な結末と、お前が目を逸らし続けたものの正体を」


 それを知り、彼女が何を思うのか。この物語の結末まではソレにも分からない。ただ、やはり彼を思えばこそ、そこに救いがあって欲しいと願ってしまう。


 ───少年の見た幻想が夢で終わるのか否か。


 そんな事を思いながら、ソレも瞳を閉じて深い記憶の底へと身を投げる。


 ───天間雫と黒羽勇也、二人の人間が抱く最も強き願いのある場所へと。

 ───吹き荒れる黒風、信仰都市の中枢から大きく東へ転移した四人と一匹は見た。


「なんだ、これは」


 急速に広がった漆黒が都市全土を包み込み、そこにある命の輪郭が次第にぼやけていく様を。


 その異様な光景に2頭の狼は唸り声をあげ、浴びせられる害意から彼等を守ろうとし、一人は己の一族にすら伝えられぬその正体を突き止めようとし、一人はそこに残った少年を助けようと朦朧とした意識で一歩を踏み出した。


「アカツキ...さん」


「駄目だ!!」「駄目です!!」


 現状を正しく認識できていないクレアを止めるべくガルナが左腕を掴み、アニマが右手を握って制止する。


「な、んで?」


「お前も薄々気付いている筈だ、あの黒い染みに触れれば例外なく命を荒らされる。...人が立ち入っていい領分じゃない」


「で、でも。ぁ、───アカツキさんは?」


 目尻に涙を溜め、わなわなと口を震わせながら呟いたクレアのその表情を見たガルナは掛ける言葉が見当たらず、視界を右下に移した。


 彼女がアカツキを救う為の歩みを止められたことへの怒りではなく、その感情を見せた時点でそれが最早自分達に立ち入れる問題ではないのだとクレアも分かっていたのだろう。


 だが、そんなことでアカツキへの想いが抑制されることなど無い。依存の呪いによって底上げされたその執着は彼女ですら制御できていない。故に、その矛盾が今や彼女の心を押しつぶさんとしているのだ。


「...クレア」


 パタリと膝をつき倒れたクレアに幼い姿のアニマが駆け寄り、その頭を撫でながら何とか落ち着かせようと健気な働きを見せる。


 その傍らで眠る少女が目を覚ましていたのならこの現状に憤慨していただろう。こんなことで簡単に終わってしまうのかと誰もが抱く感情を彼女なら見せたかもしれない。


 だが、ガルナは最後まで冷静であった。───冷静であってしまった。


 それは光すら届かぬ底の無い悪意。人類を滅ぼすことしか考えていない何者かによる虐殺行為。これまでの人の営みの一切を否定する人類にとっての共通の天敵だ。

 ここで一時の感情に支配されてあの闇に飛び込んでしまえば後の世には何も残らない。


 故に、動かぬことを選んだ。ただ、全てを見届けることを。


 ───お前なら。

 彼ならば、それでもとこの暗闇に飛び込めたのだろうか。そこに仲間が残されていて、それが命を脅かすものであれば何の躊躇いもなく、一歩を踏み出せたのだろうか。


 結末は誰にも分からない。ただ、吹きすさぶ暴風が全てを薙ぎ払い、その記憶から色んなものが欠落していくのを感じながらガルナは空を仰ぐ。


 ───目を覆いたくなるような暗闇の中、輝く星々をその時だけは憎たらしいと、そう思いながら。

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