表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
182/185

<友或いは家族として共にあった君へ>

 ───大預言者クラヴァー・リストロミアの介入を受け、その身に巣食う魔から解き放たれたアカツキはぼんやりとした視界で目を覚ます。


『何が起こっていたのか』は分かる。けれど、()()()()()()()()()()を知ることは出来なかった。


 気付けばネヴに奪われた手足は生え揃い、数カ月ぶりに正常な感覚といえるものを取り戻していた。


「......ッ」


 頭がガンガンと痛み、鈍い耳鳴りが思考速度を著しく低下させている。失われた部位は、その形を取り戻してはいたものの、これまでの疲労や痛みの蓄積によって満足に動かすことが出来なくなっている。


「なんで、俺は...」


 足りない。何もかもがアカツキには足りなかったのだ。現在(いま)は事態を把握するための判断材料と知識、そしてネヴとの戦いでは力と知恵、そしてその力に耐えうるだけの精神性が足りなかった。


 ───その結果があのどす黒い何かの表出だ。アカツキすら知り得ない未知なる人の悪性の集合体。心に巣食っていた病魔の一端がアカツキの体を借りて何かを成そうとしていたことは知っている。


 だが───。


「止められなかった...!!」


 度重なるアカツキの暴走に、何よりも忌避感と危機感を覚えていたのはガルナでもナナでもなく、アカツキ自身であった。


 農業都市で見せたようなあの暴走を仲間の居る所で見せれば今度こそ唯ではすまないだろうということを察していた。それでも、アカツキは自身と同じ(かお)をしたあの存在を止めることが出来なかった。


 ───過去の強かっただけの自分に、打ち勝てなかったのだ。


「ごめん...。───ごめん」


 ここには居ない誰か、アカツキ自身誰かへ向けたか知らずに嗚咽をこぼす。神器の濫用、正常な肉体と感覚を取り戻したが故の本来神器が持ちうるデメリットが表面化しつつある。


 所持者の精神を削り、その見返りとして力を与える神器としての機構は正常に機能している。


 ───しかし、あの男が、サタナスが後を託したあの少女はそのようなもので縛られることを良しとはしなかった。


 この場にサタナスが居れば、運命、世界の理、そんなもので二人の繋がりを断ち切ることは出来はしないのだ、と声高らかに叫んでいたことだろう。


「───大丈夫だよ、アカツキ」


 ────蹲り、涙を流すアカツキに小さな影が寄り添い、その小さな体でアカツキを抱擁する。


 ドクン、ドクンと確かに脈打つ心の臓に、温かな体温を持った人間と何ら変わらぬ姿で───アニマはこの世界に命として生まれ落ちた。


「...アニマ?」


「うん...。アニマだよ、久しぶりだね。アカツキ」


 前に精神世界で会った時とは僅かに言葉遣いが変わっているが、長い間神器として自身に守るための力を与えていくれた存在を肌に感じ、アカツキは()()()()()()であるにも関わらず、その少女の正体を言い当てる。


「なん、で?」


「色んな人がね、力を貸してくれたの。サタナス様に、メモリア、人の夢、お祖父ちゃん。たーくさんの人達がね、アカツキを一人ぼっちにしないでーって」


「...みんなが?」


 凍り付いたアカツキの心を溶かすようにアニマの温かな言葉が注がれ、それはゆっくりと、彼を蝕んでいた神器の代償を融解させていく。


「そうだよ。誰もアカツキを恨んでない。だーれも貴方のことを責めたりなんてしない。アカツキは精一杯頑張って、身の丈に合わないって分かってても、それが自分にしか出来ないからという理由だけで戦ってきた、だからね」



『───もう、休んでも良いんだよ』



 耳元で赦しの言葉を囁かれ、アカツキは安堵したかのように瞳を閉じる。その頬を小さな雫が伝い、それを最後にアカツキは全身を襲う疲労と睡魔に身を任せてゆっくりと眠りにつく。


「...もう。本当は起きれないくらいボロボロで目を覚ますことも出来ない筈なのに...。でも、そこまでして守りたかったんだよねこの都市を───そして、貴方を」


 眠りについた主人を守るように抱きしめたアニマが視線を映した先───ボロボロの衣服に身を包み、目の下にどす黒い隈を湛える青年が興味なさげにこちらを見つめていた。


「...その男を起こしておけば良かったものを。主なき道具に何が出来るというのだ」


「それはお兄さんも同じ事でしょう。───神格(ハデス)を切り離され、力を介する門は奪われた。もう、貴方には何も残ってないよ」


「...ふふ。そうだな。神器、お前の言う通りだ。ハデスとの繋がりはあの男(クラヴァー)によって完全に断たれ、その核すら自身の妹に奪われて、俺には力と呼べるものは最早何も残っていない」


 これまでとは違い、まるで何かを受け入れて、吹っ切れたかのようなどこか清々しさを感じる表情でネヴは微笑み、───消え入る前の最後の抵抗を始める。


「───それでも、あいつとの思い出がまだ残っている」


 ───消えることはない。無くなってしまうことはないのだ。


 どれだけの月日が流れようと、その繋がりを失い、お前(ハデス)という存在そのものすら失っても、過去は、これまで歩み続けた道程は()()にある。


 幾多の年月、数多の意思が介入しようとネヴ・スルミルの原点と記憶は揺るがず、これまでの行いが消えることはない。


 ───ネヴの足元から湧き出す黒い泥、絶え間なく辺獄を満たしていた人の業が再び息を吹き替えさんとしていた。


「あの光を持ってしても消えないもの(呪い)があるなんて。───違う。これは()()()()()()?」


 この地に残されていた人々の怨嗟は全てアマテラスの発動した大魔法によって洗い流された。信仰都市の基盤を支えていた民の業を漂白し、あるべき場所へと返したが、───今を生きる人間と、その人間が抱える願いが消えることはなかった。


「───俺の望みは絶たれた。だが、俺は誓ったのだ。この都市を滅ぼし、スルミルの因果に、この体を流れる忌々しい父の血に決着をつけると」


 これは願いの現出にして発露。誰かの願いを踏みにじり、負の感情として消費するだけの呪術ではなく、術者の心、そこにある思い出や込められた思いを媒介として発動する3英雄の一人にして、かつての友。アシャが得意としていた呪法という術だ。


 ネヴ・スルミルの望み、願いの形はハデスを取り戻すこと。しかし、それとは別に()()()()()()


 ハデスを取り戻すことはついぞ叶わなかったが、グルーヴァ、アシャ、もう一人のネヴ、そして───最愛の妹であるシズクの運命を狂わせたガルヴァリア・スルミルを殺し、この呪われた血に終止符をつける為にネヴは立ち上がったのだ。


 預言者によってハデスと引き剥がされ、その魂をこの世に留まらせ続ける為だけに束縛していた実の妹に連れ去られ、ハデスを取り戻す可能性を完全に失ったことで、ある意味ネヴの生き方は確立されたといっていい。


「───俺は最後までこの心に、この感情に従い続ける」


 それは怒りであり、悲しみであり───願いであった。あの光が呪いを例外なく滅したというのなら、この気持ちは呪いではないのだろう。


 しかし、それは確かに呪いだった。ネヴ・スルミルという心に取り憑いた在るべき形としての呪い。


 彼の生き方は呪われている。

 過去に。血に。運命に、呪われている。


 故にこそ。


「───ネヴ」


 ───この男が、その闇を共に背負わんと立ち上がった。かつては共に研鑽し、友として数少ない痛みと思い出を共有した数少ないネヴの理解者。


 最後の三英雄、グルーヴァが崩れかけた崖の上に立つ。眼下、そこに立つ青年だけを見つめながら。


 あれほど筋骨隆々だった肉体はその依代となった男の本来の姿なのか、萎み、かつてのグルーヴァとは似ても似つかない様相だが、しかしそんなことを意にも返さず、男はここまで進んできた。


「父、さん。しズ苦、ア...シャ。ネヴ。ネヴ!ネヴぅ!!」


 その精神状態は既に正常からは逸脱していた。グルーヴァの魂を留めておくための器の方がその存在のスケールに耐えきれていないのだ。


 そうなれば肉体は崩壊を始め、自我の境界は曖昧になっていく。死した人間を蘇らせる儀式を行い、それに失敗したダオに協力を仰いで蘇らせた英雄のネヴはその事態を予見し、あらかじめ2人にはその結末を語っていた。


 如何に鍛え上げられた肉体であろうと、時間と戦闘に伴い負った傷次第で二人の魂に耐えきれなくなるだろうと。


 アシャは幸運なのか、その最期をこのような形で終わらせることは無かった。あの死に様と彼女が残した功績はあまりに大きい。


 地獄の正門は破壊され、ネヴ・スルミルは非正規的なアプローチでしか地獄に干渉できる事が出来なくなり、これまで溜め込んでいたその莫大なリソースを有効活用することが出来なかった為だ。


 彼女が居なければ、この都市は既に滅んでいただろう。彼女は生前と同じように偉業を成し遂げて、散っていった。


 ───だが、お前はどうなのだ、グルーヴァ。


 その最後はあまりにチープで目も当てられないような惨状。歴代最強の英雄が聞いて呆れる。


 ネヴ・スルミルの呼び出した怪物の腕に取り込まれながらグルーヴァは自身の不甲斐なさを呪いながら消えていく。


 ───そして。


「...こんばんわ、グルーヴァさん」


 気付けば()()に居た。

 辺りには夜の帳よりも暗い漆黒が落ち、その中で唯一辺りを照らす篝火。


 パチパチと音を立てて小さな焚き火を囲うようにグルーヴァはその青年と相対した。


 その顔を知っている、その声を知っている。彼はグルーヴァの依代となることを承諾し、その魂を白い世界に置いていかれた数少ない人間。


「...俺は、死んだのか」


「ええ、まあその表現が正しいと言えますね。戻る方法は万が一、いえ、億が一の奇跡が成されなければ発生しません。ダオ様が一時的に英雄様の魂をここへ連れてきましたが、時が来なければそのまま消滅することになるだろうと」


 あぁ、やはり失敗してしまったのだとグルーヴァは唇を噛む。


「───立っているのも何ですし、座っては如何でしょうか?」


「俺に、安息を得る資格はねぇ。お前程の人間の体を譲り受けておきながら、何も残さず死んじまった」


「...いえ、グルーヴァ様は休む必要があるのです。これは僕のお願いです、どうか今は休息を。そして、お聞かせください、英雄様の時代のお話を」


 そう言って黒髪の青年は微笑み、グルーヴァは頭を何度か掻いた後、諦めたように青年の前の巨木に腰を下ろす。


「...聞きてぇことは何がある」


「───グルーヴァ様の話したいことを。貴方の生きた証、貴方程の英雄のお話であれば」


「話したいこと、ねぇ」


 そうは言われてもこの場で話すことなど彼への懺悔くらいものもので、それ以外に何を話したものかとグルーヴァは思案する。


「であれば、最もグルーヴァ様の記憶に残っているものをお聞かせくださいませんか」


 そんなグルーヴァの内心を察してか、青年が助けの綱を出す。


 ───自身にとって、最も記憶に残る思い出(もの)


 何て事はない。ありふれた物語の1幕、悲劇でもなければ喜劇でもない一人の男の話の何が面白いのか分からないが、それでもこの青年が望むのならとグルーヴァはポツリと言葉を溢す。


 在りし日の四人の子供達の話を。



 ───始まりはそう、きっとこの夢だ。


「───ハァ、ハァは、ぁ」


 息も途切れ途切れに少年は暗闇の中を走り抜けていく。その背後、迫りくる無数の黒い腕達から必死に逃れる為に。


 道中、一緒に走っていた筈の自分と同じような子供達が転び、蹴落とされ、泣き叫びながら暗闇の中に引きずり込まれていった。


 それでも自分は振り返ることはなくただひたすらに前を向いて走り続ける。どこに向かうでもなく、終着点も分からないままに。


「いや、だ。嫌だ、嫌だ!まだ生きていたい、消えたくない!!」


 走る、走る、走る。


 生きたい、その一心で暗闇の荒野を走り抜ける。体は棒切れのようにボロボロで、感覚と呼べるものは小一時間前から無くなっている。それでも精神力だけで体を動かしてあの腕から逃げ続ける。


 これまで並走していた子供達は全員居なくなり、自分が生き残りたい一心で他の子供達を押し倒して逃げていた子供達はまるで資格なしとでも言われるかのようにあの黒い腕に連れて行かれることもなく消失し、ここには自分を除いて誰も居なくなった。


 ───なのに、終わりは無かった。


 だとするのならば、この地獄は何のためにあったのだろうか。他者を蹴落とし、蹴落とされたあの子供達は何のために消えていった。


 尽きぬ問いを抱えながら少年は尚も走り続けて―――そしてついに終わりに向き合う時が訪れる。


「あ...」


 感覚のない足が不意にもつれ、幼いグルーヴァは驚きの言葉を溢して遂にその歩みを止めた。それを待っていたかのように迫りくる黒い腕はその勢いを速めて少年の足を掴んだ。


「いや...だ!!」


 一瞬脳裏を過った最悪の結末を振り切ってグルーヴァは掴まれなかった左足で黒い腕を蹴り払うが、それと同時に掴まれた右足が黒い腕と共に虚空へ消える。しかし、そんな些事を気にも止めることなくグルーヴァは這いずってでも前に進む事を選んだ。


「誰か...」


 その最中、心の底から絞り出した言葉を言葉にしながら。


「神様でも、何でもいい。誰か、―――助けて」


 そう言って手を伸ばした少年の体を無慈悲にも包み込んでいく無数の黒い腕、その視界が漆黒に塗りつぶされ、終わりを悟っても尚、生きることを諦めなかった少年に―――救いの()が伸びる。


「―――起きて!!」


 暗闇を照らす光とまだどこにも居ない自分を呼ぶ子供の声が聞こえて、少年は目を覚ます。


「...ッハ!」


 体中汗まみれになりながらもグルーヴァは悪夢の中から目を覚ます。しかし、あまりに勢いよく飛び起きたものだから、これまで必死に自分を呼び掛けてくれていたであろう少年の額とグルーヴァの額がぶつかり、二人は同時に同じ痛みを味わうことになる。


「「―――いったぁ(てぇ)!!」」


 ずきずきと痛む額を押さえなら蹲る2人の少年。そんな2人の叫び声が聞こえてか、屋敷の中を走る抜ける音共に一人の少女が寝室のドアを開ける。


「お兄ちゃん!!だいじょ...う、ぶ?」


 一瞬心配そうな声で兄を呼んだ少女の声が次第に尻すぼみ、疑問の声に変わっていき―――そして。


「起きたんだね!!お兄さん」


 目を覚ました来客に目を輝かせて少女は額を押さえるグルーヴァの下へと駆け寄り、その手を握りしめて笑う。


「...シズク、実の兄の心配をしないでその子の所に行くのはやめなさい。ほら、ネヴってば本気で泣きそうじゃない」


 そしてシズクと呼ばれる少女が訪れてから一拍おいて青髪の少女が事態を収拾するために寝室へ訪れる。


「...ここは?」


 未だ事態を飲み込むことの出来ないグルーヴァに目じりに溜まった涙を拭いながら幼き日のネヴが手を伸ばす。


「ここはスルミル家が治める領地にある屋敷。君は意識を失って倒れていたところを父様に拾われてここまで来たんだ」


「倒れていた、のか?」


「うん。最初は呼吸も浅くて、本当に生きているのか不思議だったけど、次第に何かに追われてるみたいに魘されていたから心配で...」



 その言葉を聞きながら青髪の少女は口元に手を置き、何かを思案するようにこちらを見つめているが、そんな事は露知らず少年は屈託のない笑顔で笑い。


「でも無事に起きれたみたいでよかった!僕の名前はネヴ・スルミル―――君の名前を教えてくれる?」


 その笑顔があまりに綺麗なものだから、ついグルーヴァも口角をあげてしまう。


「―――グルーヴァ。俺の名前はグルーヴァだ、俺を悪夢から呼び起こしてくれてありがとう。ネヴ・スルミル」


 本来であれば英雄としてこの都市に生まれ落ちた時点で、消えることの無かった筈の闇がたった一人の少年の笑顔によって搔き消され、過去が光に照らされていくのを感じながらグルーヴァは立ち上がり、少年達と共に歩き出す。


 ―――あぁ、そうだ。始まりは、ここだった。


 英雄グルーヴァはここで生まれて、そしてこの都市を、―――あの少年の為に守ると誓ったのだ。


「...楽しかったですか?その方と過ごした日々は」


 焚火の前、話しをしている内に瞳に光を取り戻していったグルーヴァを見て青年が微笑みながら問いかける。忌むべき仇敵である筈にネヴ、彼とその周りの人間の人生を狂わせた元凶の過去を聞いて尚、嬉しそうに笑ったのだ。


「―――楽しかった。その後に連なる悲劇、苦難を知ってても、あの瞬間は。―――あいつらと一緒に過ごした時間は俺の過去(暗闇)を照らしてくれている」


 小さな篝火に灯る炎が勢いを強め、漆黒の世界に一陣の風が吹き抜ける。その風がグルーヴァの短い髪を僅かに揺らし、その瞳に灯る決意という名の炎が更に大きく燃え上がる。


 何かに引き寄せられるようにグルーヴァは立ち上がり、それを受けて青年も満足したように瞳を閉じグルーヴァを真っすぐに見据え、その背後、無数に狐の面を付けた同胞の魂が形を取り戻していき、その瞬間を待っていたかのようにグルーヴァへ手を伸ばす。


「ダオ様の予見通り、アマテラス様が神格を手放し、魂の浄化を始めました。それに伴い信仰都市に根付く数多の呪いも形を失い、光に還元されるでしょう。―――ですが、我々(ウルペース)()()()()()()()()()()()()()()()()()()。我等は罪を背負う身と同時に、巫女を守護する部隊」


 初代祭祀ネヴ・スルミル。グルーヴァの語る彼では無く、英雄としてこの都市に生まれ落ちた彼が遺した数少ない意思の残響。英雄になれずとも、それに連なる狐面の部隊は今この瞬間の為に存在していたと言ってもいい。


「───我等の魂をエネルギーに還元し、グルーヴァ様を再び現世へ呼び戻します。肉体はアシャ様が死の間際に掛けていた呪法により心臓のみ原型を留めています。それをベースに魂の定着、及び再構成を行います」


 英雄を降ろした肉体は英雄にとって最も馴染む形に再構成される。その特性を利用すれば新たに肉体を組成し、(グルーヴァ)を蘇生させることが可能になる。しかし、それは不完全な形での降誕、肉体にも精神にも莫大な負荷をかける行為に他ならない。ともすれば自我を保っていることすら困難なことになるだろう。


 活動時間は三分程度。その僅かな時間の為にこれまで死んでいった全てのウルペースの魂は消費されることになるのだ。


「...お前らは本当にそれでいいのか。会いたい家族が、もう一度語らいたい友が居るんじゃないのか」


 現世では再開を果たせなくともあの光に乗っていけばあの世でもう一度大切な人間達と出会う事が出来る。その機会を捨ててまで賭けることがこれでいいだろうか、そんな疑問を覚えたグルーヴァの言葉に青年は声色を変えることなく答える。


「我等はウルペースです。巫女様を、そして信仰都市を守護する為ならば命も―――死後の安寧すらも惜しくなどありません」


 ―――連なる命は全てこの時の為に。我らが悲願は潰え、残ったものは人の希望のみ。


 ダオと共に死者の蘇生を為そうとした彼等はその企みを打ち砕かれた暁にはその全てを信仰都市の為に捧げると誓ったのだ。それは生き残った人々への贖罪であるのと同時に―――。


「我らが願い、それをグルーヴァ様に託します。きっと貴方であればネヴ・スルミルの凶行を止めることが出来ます。他ならぬ、彼の友である貴方であれば」


 何と、強き心だろうか。誰かを許すことなど、そう簡単にできることでは無い。それが自身の人生を狂わせ、大切な人達の人生をも狂わせたのであれば、尚更許すことなどできはしない。


 しかし、彼と、その背後に立つ狐面の人間達は今となっては、誰一人として彼を憎んではいない。生前。それこそ死ぬくらいに憎んだ仇敵の過去を、その壮絶な人生を知って誰もが()()()()()()()()()()()()()


「どうか、あの方をお救い下さい。我等(信仰都市)が誇る大英雄グルーヴァ様」


 ―――伸ばされた手の内に光が灯る。その背後、無数に存在していた狐面の人間達が一人、また一人とその姿を光へ還元していき、膨大な渦巻く人のエネルギーが一つに集約していく。


 その覚悟を、その決意を、その祈りを無下にすることなどグルーヴァに出来ようものか。彼等の祈りが込められたその光を受け取る為にグルーヴァもまた腕を伸ばし、目の前の青年の手を取り、そこに集約されたウルペースに願いの結晶である光を譲り受ける。


 握られた手から発せられた光は漆黒の世界に灯りを灯し、小さな篝火はいまや大きな大火へと姿を変える。


 轟々と燃え上がる炎がグルーヴァの背後で全てを燃やし尽くさんとばかりにその勢いを強め、巨大な陽の柱が漆黒の世界に道筋となっていく。そこに乗せられた光のエネルギー、ウルペースの願いを媒介に―――三度最強の英雄が信仰都市に生まれ落ちる。




 ―――崩れた巨大な人の腕に亀裂が走る。その活動を失って久しい怪物の腕、そこに取り込まれた何かが、大きく脈を打つ。


 取り込まれ、その髄まで吸収された英雄の体躯。その中で唯一形を保っていた心臓が突き破るように巨腕から姿を現し、本来であれば活動を再開することが出来ない筈の心臓が力強く脈動し。


 ―――最後の英雄が、姿を現す


 心臓から新たに生成されていく人体は異常そのもの。元来失われた筈の命は戻らない。しかし、それはここ信仰都市では例外である。


 禁忌反転術式リバース、英雄ネヴ・スルミルが考案した生者と死者の反転。それを持ってすれば失われた人間は再びこの世界に息づく生命として蘇らせることが出来るのだ。しかし、彼等英雄や巫女と呼ばれる特別な存在には依り代となる器と、その魂が必要になる。


 神降ろしを可能とする巫女はもちろん、英雄と言う存在の魂は常人の何倍以上ものスケールを持った大きなエネルギーだ。それを受け入れ、体の再構成が行われる前に消滅してしまわないような肉体、それを持ってして英雄の再誕は為されるのだ。


 ―――しかし。しかし、だ。


 ここには心の臓一つしか英雄を降ろす触媒は存在しない。それは人の形をしても居なければ、英雄を降ろすにはあまりに微小で弱々しい。肉体の再構成など行われようも無いほどに。


 全盛期、英雄グルーヴァの鍛え上げられた肉体を再現するのは不可能であった。―――しかし、グルーヴァではなく、この肉体の元来の形を取り戻すのであれば、可能だったのだ。


 そこに無理矢理英雄の魂を降ろし、強引に魂をこの世界に縛り付けることで存在を保障する呪術。それがウルペースの青年と、ある老人の助けを得て可能となった。


 ―――気づけば、目の前には景色と呼べるものが広がっていた。


 体が思ったように動かない。それは当然だ、これは最早全盛の肉体ではない。この体は―――アジュガ・ルイバスという狐面を被った青年の、グルーヴァの恩人である人間のものだから。


 彼に、託されたのだ。命を、願いを、祈りを―――信仰を。


 自我を保つのもやっとな生命のエネルギーの奔流、その中で大きな紫色の炎は尚も煌々と灯り続けている。その炎は、自身の衝動に従い、懐かしい気配のする方へと歩みを進めて


 ―――そうして、煌々と輝く光にグルーヴァは辿り着く。


「...生きていたのか」


 その姿はどこか見覚えのある、あの時の少年の面影を僅かに残した青年のもの。―――忘れようもない、グルーヴァにとっての光。あの永遠と続く暗闇の牢獄から救い出してくれた、ネヴ・スルミルがそこに立っていた。


 これまでその魂を膨大なエネルギーに晒し、今にも消えてしまいそうなグルーヴァの自我がその再開に―――黒く、燃え上がる。


「―――あ、あアァァァァァァ」


 瞬間、崖の上に立っていたグルーヴァを中心に巨大な爆発が起き、それに伴い生じた土煙の中から一つの影が飛び出、飛来する瓦礫から主人を守る為に覆いかぶさっていたアニマの前に着地する。


「...ネ、ヴ」


 幸運にもグルーヴァの爆発によって砕かれた崖の一部が二人の元まで飛来することなく、抑えきれない魂の本流の中、尚も消えない意思が口を開く。


「ありえない...。どうしてそんな荒れ狂う命の中で自我を...?」


 アニマの目にはその存在の歪さが明瞭に映る。全てがあべこべ、器足りえる容量を要していない肉体に英雄と言う無際限の力が注がれ、その内側には一万を超える人間の魂を内包し、常時その命を食いつぶす形でエネルギーへと変換し、その核たる炎に薪木としてくべられている。


 生物と言うにはあまりに不出来、既に手遅れとも言える状態で執念だけを頼りに存在している。


 ───それはもはや怪物と呼ぶに相応しい。


 この男は既に人の域を逸脱し、悪鬼羅刹と同等か、それ以上の怪物へと相成った。


「───お、おおおおおォォォォ!!!」


 ───消えない。消えない。どれほどの暗闇、どれほどの辺獄であってもあの光が消えることはない。幼き日に残した思い出が、彼と過ごした日々が消えることなど無いのだ。


 荒れ狂う魂の大海のなか、グルーヴァは呼吸もせずに魂の本流を泳いでいる。その苦しみは生きたまま死ぬような苦痛を常時受けているようなものだ。


 かの英傑であろうと自我など保ちようもないほどの苦しみを受けてなお、グルーヴァという一人の男は眼前の光に縋るように手を伸ばす。


 その掌から紫紺の炎が生み出され、ネヴを焼き払うように放たれる。それと同時に多くの魂がエネルギーに変換され、荒れ狂う魂の動きを更に活発にさせる。


 一挙手一投足が膨大なエネルギーを必要とし、それと共にグルーヴァは耐え難い苦痛を味わう。───が、止まることはない。


 託されたのだ。これまで信仰都市の守護を担い、英雄亡き後のこの都市を守り続けた()()()()()()に。


 グルーヴァに敵と味方を見分けるだけの余裕は存在しない。しかし、その炎は指向性を持っているかのようにアニマ達を避け、ネヴの下へと突き進んでいく。


 グルーヴァではなく、その()()()が彼に無駄な思考を割かせるのを嫌うように意志を持っているのだ。


「...終わりだな」


 その炎を受けて、ネヴが諦めたように瞳を閉じ、───再度大きく見開いた。


「───お前を相手に余力を残しておこうなど、出来る筈も無い」


 散らせていた泥が一斉に跳ね、主を守るために一つに集約していく。放たれた業炎がネヴの背後から流れ出た濁流を受けて、その勢いを無くしていく。


 膨大なエネルギーが真正面からぶつかり合い、アニマは咄嗟にアカツキを守るように極小の結界を張る。小さな黒い球体、その外側から感じるエネルギーはあのネクサルと名乗る大司教が生み出した光の海と同等のもの。


 余波であれ、それを受ければ人間であればただで済まないことを確信し、アニマはメモリアの力も惜しみなく用いて結界を維持し続け、やがて全身を襲っていた圧迫感が消えた頃、事態を俯瞰するためにその結界を解除する。


 その視線の先───大地に穿たれた巨大な大穴。アニマ達の居る地面スレスレの位置で生まれたその隕石の落ちたようなクレーターの下で2つの影が相対する。


「は、ハハハハハハ!!楽しいなぁ、ネヴゥ!!」


「...相変わらず、馬鹿げた力だ」


 焦点の定まらない瞳、天上を仰いで手を広げて狂気的な笑いを溢す男と、それを受けて額に汗を浮かべながら苦笑する青年。


 その光景はもはや、どちらが悪役か分かったものではない。いや、むしろこの戦いに良い悪いなど最早存在しないのだろう。


 グルーヴァは自身のやりたいようにやり、対するネヴはその我儘に付き合う。かつても、ネヴはその自由奔放さに振り回され、幾度となく手合わせに突き合わされてきた。


ここでそれと同じことが起こっているに過ぎないのだ。


 ───もう戻ることは無かったと思っていた過去の延長線。ネヴとグルーヴァ、2人にとっての最後の喧嘩がこうして幕を開けた。

───どこかで、四人の少年少女が笑っている。

1人は乱暴そうで生意気なクソガキ、もう1人はその悪童に振り回される気の良さそうな少年と、それを遠くから呆れ顔で見つめる青髪の少女と、稽古を終えた3人に自身の用意した弁当を振る舞うことを待ちわびる黒髪の少女。


『おい!まだやれるよな、ネヴ!』


『...いい加減、休ませてよグルーヴァ』


息も絶え絶えに両の膝に手をつきながら、それでも尚自身の我儘に付き合うことにやぶさかではない少年。


英雄として生まれている自分とは違い、多少特別な血を引いてはいるものの、戦闘にはとてもではないが向いてるとは思えないその少年は、ただ研鑽だけを頼りにこうして自分に食らいついてくる。


そうだ、こいつはそういう人間なんだ。決して楽な道では無いというのに、妹と、数少ない友人を守るためならば自身の人生をそれに捧げられるような、イカれていて、───どこまでも心優しい少年だ。


『なぁ、ネヴ』


『どうしたの?』


───そんな男に俺は救われて、憧れたのだ。


「ありがとうな」


それは在りし日の景色。グルーヴァが大切に仕舞い込んでいた大切で、目も眩むような光に包まれた思い出の切れ端。


───グルーヴァという人間の原点だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ