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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
181/185

<流れ星>

 ───空を廻る星々とその中心に佇み続ける三日月、その幻想的な光景の下。舞い散る桜の下には小さな影が二つあった。


 その全てを過去の亡霊へと委ね、未だ意識の底で眠り続ける少女と、それを止めんが為に立ち塞がった1人の少女。


 今となっては神と人に区別されるが、そこには確かに繋がりがあったのだ。


「...っ」


 その攻撃の悉くを防がれ、挙げ句の果てに大預言者の介入を許してしまった巫女は一瞬その景色に目を奪われていたが、やがてはっとしたように現実に向き合う。


 組み伏せられ、身動きの取れない体。それを可能としているのがただ1人の少女であるという現実を。


 その少女は幻想的な空の光景にも、遠方から感じた大きな魔力の流れも気に留めず、ただひたすらに私を見下ろしている。


 ───まるで、月に押しつぶされているような、そんな不思議な感覚に雫の体を乗っ取る巫女は忌々しげに呟く。


「この圧迫感、自分自身のこの体にかかる重力を操作しているのね」


「...私に魔法を教えてくれた人が得意とする魔法でね。習得するのに随分時間は掛かったけど、今はもう扱い方を熟知してる。自分の体を押しつぶすなんてヘマももうしないしね」


 重力魔法と呼ばれるナナの唯一の家族と呼べる人が得意とする特殊魔法。並の魔法ならまだしも、それは1人の人間に与えられた唯一の祝福のようなもの。───それは習ったところでどうにもならない才能、天賦の域にある魔法であることをこの少女が知らないなどという事は無いだろう。


 であるのなら、彼女はその事をどう思っているのだろうか。───そんなことも、彼女の顔を見れば容易に知り得た。


「この魔法は私の誇り、私とグルキスを繋ぐ、今となっては唯一の絆。───あんた達にも、そういうものがあった筈だ」


「...人と人を繋ぐ何か。きっと私にも、いいえ。私達にもそれはあったのでしょうね。けれど、───私達はそれを()()()()()()()。血を啜り、内臓を喰らい、その骨すら噛み砕いて巫女の力は次代に継承される。そんな妄信を信じた民と、それを扇動した1人の復讐者によって」


 そう言って微笑む少女の顔、そこには歴代の巫女の怨嗟と悲しみが込められ、笑っているというのに不気味なほどの冷淡さが横たわっていた。


 巫女継承の儀。それはネヴがこの都市に普遍的に存在する呪力と呼ばれる人の負の感情を増幅させる為に用いた偽りの儀式。


 その犠牲になったのは巫女と呼ばれる信仰都市を守る唯一の存在達。


 その始まりも、終わりも全てを悲劇に彩られ、次代にその呪いと願いは引き継がれる。


 ───それを何百年と積み上げてきた報いとして、今の信仰都市に惨状をもたらした。


 有りもしない幻想に囚われた民は居場所を追われ、その命を死の前に晒し、狐の面を被った者達はその儀式に携わり、その事に罪悪感を感じながらも信仰都市の為と、巫女と己の心を殺し、巫女はこの都市の未来を想いながらも、その内には耐えきれないほどの絶望と、怒りを積み上げて───私達(信仰都市)は今に至る。


 全ての報い、全ての呪い、全ての願いが巡り、遂に巫女はその存在を一つ上へと踏み上がった。長い間超えることの出来なかった小さな段差、階段で例えればたった一段───されど、その一歩を越えた先に神は在る。


 かつては神を宿す器としてあった巫女は遂にその存在を神へと昇華させ、雫という終わりの器を手に入れた。


 ───だというのに、運命は彼女達にこうも困難を強いる。


 まるで、それが当然のことかのように奪われてきたのに。それを妥協と後悔と諦めを持って受け入れてきた私達に神様は救いを与えない。


「だから壊すの。全部、運命も神も全てを終わらせてしまえば───私達はようやくこの呪縛から解放される」


 血の涙を流し、ナナを見つめる少女の顔。それを見ても彼女の心は揺れ動かない。───そんなことで、揺らぐほどの覚悟でここに来てはいない。


「あんたらが苦しんだのは分かる。その結末がどれだけ悲惨だったのかも、色んな人から聞いたから知ってる。同情はするよ、けどね───やるならあんたらでやってなよ。少なくとも、今を生きる雫の体を使ってやっていいことじゃない」


「受け入れたのはこの子供だ。過去に生きた私達と同様、現在(いま)を生きる彼女もまた、巫女の運命という呪いによって縛られ、それから解放されることを...」


「───違うね」


 雫が選んだ選択、彼女の定めた道を否定したのはただ友達であるだけの少女(ナナ)。本人すら自覚していなかった真実をナナは告げ、それをもって彼女と巫女への別離とすることを選んだ。


 上にまたがる少女の顔が吐息もかかるほどの距離まで近づけられ、その黒瞳越しに雫の顔が映り込む。


「───あんたは母親を愛していた。過去の巫女達の未練を受け入れるなんて言っておきながら、実のところ見ていたのは自分と、先代巫女としてその全てを捧げた母親だけだ」


 ───ドクンと、心臓が脈打つのを感じた。まるで、それを知られることを恐れていたかのような少女の顔、ようやく、その膨大な過去(巫女達)達の記憶の中から彼女の自我が姿を見せる。


「な、にを」


 その変化による異変を一番受けていたのは他でもないその体を動かす過去の亡霊達だ。天間雫という魂と深く結びついてるが故の動揺、それを見てナナはまるで見下すように微笑んだ。


「だからさ、結局は()()()()の事なんて雫はどうでも良かったって事だよ。自身の主張を正当化するための道具、母と自分の事しか考えてない最低な女が考えた言い訳。───それがあんたらだ」


 ───視界が、心が赤に染まる。抑えきれない憎悪と怒り、雫という少女の器が壊れてしまうほどの負の感情が噴出する。


「ふざけるな!!お前のような人間に()()の何が分かる。何も成さない、何も成せない凡俗なお前達人間に、何が───分かるというのだ!!」


「ナナちゃん!!」


 クレアの叫ぶ声が辺りに響いた瞬間、雫の体から放出された赤黒い意思によっていつの間にか私は吹き飛ばされていた。痛む体と、ふわりと宙を舞うような感覚に、違和感と同時に高揚感を覚えてしまう。


「...それが、お前の目的だったのか」


 噴出した巫女達の呪いの弾かれるようにナナの体が宙を舞うと、(からだ)が悲鳴を上げるのも無視して少女の体が立ち上がる。


 これまで混ざり合い、混沌と化していた巫女達の意思が一つに集約され、その性能を大きく向上、或いは本来持っていたポテンシャルを取り戻していく。


「信仰都市の神としての覚醒。それを早めるには自我の統一は最優先だ。しかし、お前達は間違えた。───今のお前達に天間雫という巫女の意思は宿っていない」


 ガルナの鋭い視線が少女ただ一人に注がれ、───それを介してアマテラスによる魂の観測が為される。分離した魂、これまで混ざり合っていた天間雫という少女の魂が表層に浮かび上がる赤とは対照に青く染まっている。


「───大した奴だ。時空間魔法、その範囲対象を現実ではなく、魂という概念的なものにまで飛躍させ、それを(アマテラス)という機構()を通して、干渉を可能にしたな?」


 神としての力の殆ど失い、補助的な役割しかできなくなったアマテラスを最大限活用した、咄嗟のガルナの判断力もそうだが、真に賞賛すべきはあの少女だろう。


 あの少女は打算と、希望を持って雫と過去の亡霊達を引き離し、ガルナの力と知恵を信じて後を託したのだ。


 ───まさに、()()()()()()()()発想で。


「貴様───」


 しかし、ガルナによる魂への干渉、それを見逃すほど巫女も甘くはない。咄嗟に内側を覗き込まれるような感覚に反応し、アマテラスという先代の神による魂への干渉を察知した巫女により、周辺の世界の再構築及び、魂への防護壁が施される。


 舞い散る桜が一斉にガルナ達の視界を覆い、空間が僅かに歪む。長い間神と繋がり、その力の使い方を熟知した彼女達らしい行動だ。


 この一瞬でアマテラスからの干渉への解答を引き出すとは、とガルナは僅かな賞賛と自身の不甲斐なさを感じるが、───その思考は、今この瞬間には必要ない。


 ガルナが見据える先、膨大な量の桜の花びらに紛れて、小さな影が雫へと忍び寄る。


 時を同じくして無数の花弁を切り裂くように無数の氷柱が空から降り注ぐ。しかし、それは今まで少なからず魔法というものを見てきた彼女達でも予想にしていなかった速度で、不意を突くように放たれたのだ。


 それはその魔法に付与された速度ではなく、また()()()()を受け、加速している。


 その氷柱群が被弾するよりも早く、少女の手の平で生成された青い炎の剣が全てを溶かし、空間を大きく切り裂く。


「───無駄だ」


 次いで放たれた雷は無数の花弁に阻まれ、その花弁を燃やす業火が地面から無数に生え揃う。


『ウルファルト』


 呪力で生成された花弁が魔力によって生み出された炎と拮抗する最中、眼前へと迫った影の正体から聞こえた声。


 反射的に剣を振りかざそうとした瞬間、その体が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「時空間魔法っ...!!」


 時間と空間に作用する魔法によって動きを封じられたのは一目瞭然だった。しかし、魂を観測するという荒業を成していながらそれと同時並行で足止めを行えるなどとは、と憎たらしさを感じると共にあの少年への賞賛が頭をよぎる。


ガルナは魔法を発動させるに至るまでの膨大な思考量、情報を処理して的確に巫女の体の時間のみを1秒停止させた。


 ───それだけの時間があれば、彼女には十分だとでも言うように。


 魔法の詠唱によってその強度を増した鎖が青い炎を持った手を絡め取り、身動きを封じた巫女へ少女の掌が掲げられる。


『アンダー・インフェルノ』


 次なる魔法の詠唱───漆黒を纏った炎が至近距離で放たれ、一拍置いて鎖を引きちぎった手で構える青い炎の剣で先刻同様に切り裂こうとするが、それをするには鎖を引きちぎる行為にあまりに時間をかけ過ぎた。


 受け止めるしかないと判断し、両手で青い炎の剣を構え、ナナの渾身の魔法と相対する巫女。しかし、僅かに目論見が甘かった。


「───この魔力量、は」


 これすらも後続で決め手を打つための布石と侮った巫女達の考えを読んでいたのか、その魔法にはナナの全魔力が込められていた。


 隙を突き、不意を突いたナナの渾身の魔法、青い炎で形取られた剣が漆黒の炎を受けて腐食し、巫女はそれを補完するように周囲を舞う桜の花弁を手の内にある剣に集約していく。


「───う、あああああアアァァ!!!」


 対人戦に秀でたナナは力と力のぶつかり合いになる前にその殆どの思考戦に打ち勝ち、圧倒的に不利な状況から五分とまではいかないがそれに迫る最善手を打つことに成功した。


 ───しかし、その程度で覆る程、神の力は甘くはない。完全には程遠く、その出力は半分にも及ばないが、ナナを上回る呪いの意思が黒き炎を下から上へ両断する。


 瞬間、空間が大きく引き裂かれ、引き裂かれた空間の歪みからガルナ達への対抗策として用意した魂への干渉を防ぐ無数の花弁が再度出現する。


 ───これで、ナナという少女が雫の体を動かす巫女達に対抗する為の魔力は失われ、抗う術は無くなったと言っていいだろう。


 ハァ、と一息ついて巫女は早急に自身の欠陥を埋める為にその魂の再統合を行おうとする。天間雫を除く魂の全ては今の私として確立されたが、唯一彼女だけがそれに弾かれた。


 その理由がナナの言っていた事と結びついてるとは考えたくもないが、その事に構っている余裕すら今の私には無い。


 この花弁の裏、今もガルナという少年が魂を観測し、不敬にも干渉をしようと目論んでいる。観測者と呼ばれるあの男が現れる事が無いのは唯一の救いだが、それでもガルナという人間は侮れない。


 ───記録者として、私達よりも長く生きるあの男を欺くことなど...。


「私は、何を?」


 一瞬、不純物のように混じって聞こえた心の声。どうしてそのようなことを知っているのか巫女の集合体である私ですら知らないことを、()は心の内で語っていた。


「...誰だ?」


 一体、何の記憶が混ざっている?巫女ではない、誰か。


『───愚かね。()()も貴女の一つでしょうに』


 思考の隙間、統合された記憶の中であり得ない筈のエラーが発生する。ぼんやりとした記憶の中で、その赤い髪の女は未来で目覚めるはずの存在、その礎の一つとして捧げられた女越しにこちらへと語りかける。


 そうか、そういうことかと巫女は頭を抑え、何かに気づいたように憎しみを込めた笑みを浮かべ、言葉にする。


「───裏切りの巫女。(アマテラス)無き時代に唯一神雷の発動に成功した信仰都市の汚点」


 絶え間のない人々の絶叫に耳を傾けることなく、諸悪の根源と相対し、その敗北をもって人器メモリアルによって信仰都市の歴史から排除された致命的な存在(エラー)


 ジューグという女がこの都市に干渉した唯一の記録にして、記憶。それを魂なき、歪な(記憶)で取り込んだことで、巫女として統合された私の記憶領域にバグを引き起こした。


 開いてはいけないウイルスを含んだ記録(ファイル)を私は無意識に開き、閲覧している。


「けれど、この記憶すら私達は受け入れなければならない。誰も知りえないのなら、私が知る。───全てを一つにして神は成るのだから」


 下を向いていた視界が僅かに上を向き、今度こそ全てが一つになる。魂の底で沈む最後の巫女と記憶を飲み込んで、───私達はようやく。


「神に...」


 ───瞬間、誰も居ないはずの空間に影が落ちる。


 正確に言えば、この絶え間のない刃のように鋭い桜の花弁の中、魔法も呪法もなしに近づけない筈の巫女に接近してきた人間が居る。


 油断はしない、───しかし、その顔を見て苛立ちを覚えてしまったのも確かであった。


「───お前!!」


 周辺の空間の再構築という発想はガルナの時空間魔法とアマテラスの合わせ技によって可能になった魂への干渉を防ぐという事で言えば最適解だが、それを行使した巫女たちによる心境の反映、現実を見ることを拒否するかのような無数の花弁が仇となり、その接近をここまで許してしまった。


 開けた視界であれば、魔力の無いナナに近づく方法は無かった。しかし、世界を拒み、現実を否定する彼女達はその視界を遮り、未来を見ようとすることすら諦めた。


 そこに勝機を見いだしたナナが迫り。


 ───そして、腹部を貫く感覚と、想像の出来ないような痛みを受けて少女は血を吐き、動きを止めた。


「は、はははははは。───アハハハ!!私に近づいたところで、何も出来ないでしょうに!」


 魔法を唱えるだけの魔力も持たず、呪法を扱うような事も出来ないくせに、何かを出来るような顔で近づいて───挙げ句の果てに腹を小刀で突き刺され、一体何がしたかったというのだろう。


「得物が無いから油断した!?あの剣を見れば分かっていた事でしょう。武器なんて持たなくても、私には創造がある。それを持ってすれば───」


 ───しかし、その顔を見て巫女は言葉を失う。


 事もあろうに、この女は腹を貫かれながら笑っていたのだ。何故、笑っているのか、理解も出来なければ検討もつかない。


「なんで...笑ってるの?」


「なん......でって、そりゃあ、さ」


 口内を血液が満たし、感覚が虚ろになっていきながらナナは言葉を紡ぐ。───巫女にとって呪いとなり、雫にとっては祈りとなる言葉を。


「───私達の、勝ちだからだよ」


 少女の手が巫女の頬へと優しく添えられ───その頬を伝う雫が華奢な指を伝い、地面に落ちていく。


「...え?」


 泣いて、いるのだ。私ではない、巫女ではない誰か。───違う、天間雫が、涙を流している。この期に及んであの少女はナナを自身の手で貫いたことに罪悪感を抱き、その感傷が、激情が天間雫という存在を意識の底から急浮上させる。


「───待って...」


 巫女達の記憶、それを統合して確立された自我が、裏側で眠っていた魂と移り変わるように景色を反転させる。寸前まで光を映していた視界が、全ての連なる円環の中へと連れ戻され、そこにモノクロの景色を映す。


 そして、そこに現れた二人の人間。───少女の手を握り、遠くへ向かっていく母の姿を最後に、その意識がブラックアウトした。


「...どうして、そこまでして私に構うんだよぅ」


 そして、その魂と変わって現実で目を覚ました少女は涙を流しながら疑問を言葉にする。まだ出会って間も無いはずの少女、───雫を友と呼んでくれた人へと。


「...むかついたから」


 それを受けて、呼吸も出来ているか怪しいのに、その少女は律儀に答えを返す。


「───自分を隠して、過去しか見ないあんたが私と重なって見えたんだ。私も、ずっと夢に見る。───グルキスが、お兄ちゃんが生きてくれたらって」


 けれど、それは夢なのだ。もう、戻ってくることのない過去の記憶。現在(いま)には居ない、遠い、夢のような思い出。


 そこに私も貴女も閉じ込められている。けど、私にはもう居なくなってしまったけれど...。


「雫には...まだ()()が居るでしょ?」


 捨て子の私とは違い、ナナには(ネオ)とクロバネという幼馴染、家族と呼ぶに相応しい存在がこの世界には居る。それを捨てて、過去に居た人だけを思って消えてしまうなんて。


───そんなの、あまりに悲しすぎるだろう。


 それがナナの一貫した思い。包み隠さず話すことのできる本心だ。


「雫は今を生きるべきなんだ。過去の亡霊じゃなくて、雫が考えて、その上でこの都市を終わらせるのか決めるんだ。それを誰かに任せちゃいけない、罪と向き合うべきは私たちなんだ。だから...さ」


 ぼんやりと薄れゆく景色、それでもナナにはまだやるべきことがある。───大切な友人の肩を押すという、大事な事が。


「───過去になんか、負けるな。踏み越えて、()()()()()、それでも前に進むんだ」


「...そんなこと、出来ないよぉ」


 だって、現実はどこまでも暗く、淡き日の夢はとても明るくて心地良い。あの人達に身を任せて、あの輝く日々の記憶を見ているだけのほうが、苦しくないし、辛くない。


 ───結局私には、何かをするだけの根性も何かを成すための勇気も無いのだ。そんな少女が、自分なりに考えて、自分なりに上手くいくと思った方法で過去の巫女達に体を委ねた。


「...大丈夫だよ」


 カタカタと震える雫の手を掴み、ゆっくりと青い炎のナイフから手を引き離し、ナナは3歩後ろに下がった後、止めどなく血の流れる腹部を押さえながら、今度は優しげな表情で笑顔を見せる。


「───他の誰が否定しても、私だけは雫の味方だからさ」


 誰しも過ちは犯すものだ。それは人である以上どうしようもないし、仕様もない。けれど、人はその失敗を学び、前に進むことができる。


 ───その背中を押してくれる誰かが居てくれるだけで、ほんのちょっぴり前に進むことが出来るんだよ。


 脳裏を過ぎる兄と共に魔法の鍛錬を行う幼い自分の姿。それを幸せそうに眺めながら私は瞳を閉じて、体を満たしていく空虚を口惜しく思いながら、意識を手放す。


 ───ナナの言葉を受けて、過去の妄執で形取られた小刀が消失し、されど、それが残した結果は変わることなく、少女の体が地面に倒れ伏す。


「ナナちゃん!!」


 再度、クレアの叫ぶ声が響き、見ていることに耐えきれなくなった彼女が走り出し、血を流す少女を抱え、必死にその名前を呼んでいる。


「...これがお前の考えた作戦だったのか。善性、後悔、葛藤、苦しみ、悲しみ、記憶。お前は───最後まで天間雫という少女の人間性を信じたんだな」


 その少女が信じたのは雫の人間性だけではない。 彼女にはガルナ達に対する信頼があった、この状況を作り出せばどうにかしてくれるという打算とも言えるが、紛れもない()()への信頼がそこにはあったのだ。


 ───それに応えるようにガルナの瞳がアマテラスの干渉を受けて赤く染まる。そうして桜が晴れた先に立ち尽くす少女の魂を今度こそガルナが捕捉する。


 綺麗に選り分けられた二つの魂。それを引き離すことは最早、赤子の手をひねるように簡単な作業だ。


 しかし、それを可能にするためにナナは自身の持てる全てを差し出した。───故に、今があるのだ。


「アマテラス」


 ガルナの呼びかけに応じて隣に立つアマテラスが別れを告げるように雫の内にある分かたれた魂を見て、呪法を行使する。


 最後の英雄、友としてのネヴ・スルミルが残した呪法の中でも、禁忌と称される魂を入れ替える術を。


「───禁忌式反転呪法、リバース」


 アマテラスの紡いだ呪法の詠唱。ガルナを通して行わた魂への干渉、完全に神へ成ってしまう前の残響が、再びその息を吹き返す。


 神格と人の魂の反転。これで天間雫の体は完全に彼女の下へと帰還し、その体の主導権は神格から雫へ反転する。


 友の残した己の呪法、それによって取り戻した雫の魂と過去の巫女達の魂、そしてそれらが一つに成りかけていた事で発生していた神格、全てが在るべき形へと帰り、次いで行われるのは他の誰でもないアマテラス自身が考案した呪法。


 かつては巫女と、己を引き離し、アマテラスという神との契約によって大きく人の生から逸脱してしまった魂を本来の在るべき道へ正すべく考案した、終わりの呪法。ネヴ()の残した手記に残された彼とその友人が考案した呪術と呼ばれる過去の人々の願い、想いを代償とした断定魔法と対を成すもの。


 他者の負の感情を利用する呪術と自身の心を消費して発動する呪法。その起源はこの都市の外より齎されたものであるが、進化の過程で大きく変化したある意味人の生み出した新たな形。


 人の負の感情が持つ膨大な熱量、エネルギーを利用したそれはともすれば過去への冒涜。そこにある人々の優しい願いを無視して、怒り、恨み、後悔、悲しみなどと言った負の部分のみを抽出したそれらを総じて呪術と呼び、長らく信仰都市の基盤を支えてきた。


 ネヴが呪法ではなく呪術に着目した理由は神降ろしを行い、その後に残るであろう寿命を逆算して、それが最も効率の良い術であったからだ。


 当時の信仰都市には多くの災禍が降りかかり、人々の残した想いが負に大きく偏っていたことも要因の一つ。───当時、この術を形にするには人々の願い、その正のエネルギー足りなかったが、ここまで積み上げられた歴史、そこで僅かながらも積み重なった人々の願いの力がそれを可能とする。


「───呪詛解放式魔法、発動」


 アマテラスの背後、溢れ出た光のエネルギーが道となり、そこに数多の願いが映り込む。子を想う母、揺り籠で眠る赤子と、旅立っていく友へ捧げられる僅かばかりの酒、父と背を合わせ充足感と共に死に行く青年、信仰都市の未来を想いその首に手をかける少女、枯れ果てた二人の英雄───そして、その後に残った1人の青年と、二人の少女。誰もが皆笑い、その瞬間瞬間を生き抜いてきた。


 全てが連なり、重なり、願いが互いに折り重なり、そのエネルギーは増していく。


 ───遠い彼方、それを眺めていた老人の目には人々の願いが光の柱となり映る。


「...終の柱。神ではなく、人が残した願いの形。───アマテラス、それがお前の答えなのだな」


 信仰都市に別れを告げる決別の儀式。───否、老人が初めて訪れた時に、かつて人々が名乗っていたこの都市の名は、そうではない。長い歴史で形はそのままに、そこに込められた想いが移ろって生まれたこの都市の初まり───


()()()()デザイア。遂にその役目を終える時だ」


 眩いばかりの光が都市を照らし、そこに救う魔を祓っていく。黒き呪いが白き想いへと形を変え、その発生源となっているアマテラスの姿が大きく変化する。


 この都市を長らく支えてきた彼女達と同じ巫女服に身を通し、頭部には数少ないアマテラスの理解者として、そして巫女に仕えてきた彼等と同じ狐の面を付け、両手で覆うように人々の記憶が込められた光の玉、そこに映る景色を愛おしそうに眺めながら───空へと掲げ、手放した。


「さようなら、私を生み出してくれた人達。さようなら、遠き日々に生きた私の大切な民達。もう、貴方達を呪いとして消費することも、願いとして浪費することも無いでしょう。今度こそ、安らかに眠りなさい」


 名無き神、移ろうだけの魔力に彼等は形を与え、自我が育まれるまで見守ってくれた。彼等が救いを求めてアマテラスを呼び込んだように、アマテラスも誰かに求められたかったのだ。


 ───別れの言葉を受けて、光の柱に映る数多の人々がこちらへ向けて手を振る。


 過ぎ去った泡き日々の思い出達、私が愛したこの都市に生きた人達。それらが正しき場所へと還元されていく。


「───これまで、私を神様にしてくれてありがとう」


 柱となっていた光が徐々に形を細めていき、その質量と密度が縮小していくにつれて、アマテラスは自身の中から力が消えていくのを実感する。これまで自身を支えてくれた信仰が、ようやくその役目を解放された証として、アマテラスは完全に神性を消滅させる。


 そうして信仰都市から光が去った後、正常な姿を取り戻した夜空に一筋の流れ星が落ちて、消えていく。───そこに込められた祈りを知るものは、最早この都市には居なくなった。

───咲き乱れる花園に、一人の少女が佇んでいる。


この都市に生まれ、この都市で生きてきた人間達は誰一人としてアマテラスを恨みはしなかった。最後まで人に寄り添い、人の為に在った誰よりも優しき神に見守られ、光は信仰都市全土を駆け回り、そこに残された黒い影、地上に残された呪い達を引き連れて天へと昇る。


その光が通った後には黒き泥も、呪いも無く、僅かに植物の新芽が顔を覗かせ、アマテラスの手を持ってしても消えることのなかった信仰都市の最南端には枯れ果てた大地ではなく、無数の花が咲き誇り、一陣の風がそこに立っていた女性の黒髪を揺らすと同時、吹き抜ける風を受けて花がその花弁の一部を舞い散らせる。


それを受けてリアはつい瞳を閉じて、右手で視界を遮ってしまう。そうして、数秒後に風が止むと目を開き、そこに映った目を疑うような光景に息を呑み、目を見開いた後、微笑みを見せる。


光りが過ぎ去り、無数の花が咲き誇る花畑と化した大地に佇むメイド服に身を通した一人の少女。この世界で初めてリアに出来た親友の姿が、そこにあったから。


「そう、励ましに来てくれたのね」


少女は何も言いはしない。元より、形をこうして留めているだけでも奇跡に近い。それはこの都市の願いが最後に残したリアへの餞別。───これより来る、終末の具現。かつて世界の終わりに姿を現したという終の獣。


───大預言者クラヴァー・リストロミアが残した避けられぬ結末。それに唯一抗うことのできる人間にせめてもの贈り物として彼等は彼女の記憶にある最も温かい光景、そこに居た少女を形だけでもとここに呼び出したのだ。


その少女は振り返り、リアの方へと顔を向けると、笑顔を見せて風に吹かれて舞う花弁と共にその姿を霧散させる。


『頑張ってね、リアちゃん』


───過ぎ去りし、過去の憧憬。そこにこびりついて離れない彼女の声が、聞こえた気がした。


リアがアスバトロアとして剣神へと成り、正義の具現者となったあの日、あの瞬間まで、ただのリアでしかなかった私を友人と呼んでくれた貴女の顔を、声を、仕草を忘れることは無かった。


けれど、やはりそれは記憶の中の記録でしかなく、どれだけ過去を想っても私の心が満たされることは無い。


けれど、こうして私の前に貴女が現れても、リア・アスバトロアはその僅かな邂逅を噛み締めることも、抱きしめてあげることも出来はしない。


───その心は、リア・アスバトロアという存在はもう永遠に満たされることはない。それを承知の上で私は剣を取ったのだから。


燃え続ける屋敷の前、そこに立つ少女は振り返り、そこに映った自らの影を見やる。少女からは想像できないほど長く伸びるその影がニタリと笑うと、リアは何かに誘われるようにその腰にある剣へ手を伸ばす。


そうして───終わりが訪れる。


一つの物語の終わり、即ち世界の滅びに際して現れる原初の災厄にして、終の獣。創世神話、世界が如何にして成ったかを書き記した書物、世界最古の文献に残された神話よりも更に古き時代。ごく一部の地域で伝承として伝えられ、創世よりも前、当時この惑星に生きていた『何か』が残した壁画───そこに記された3体の獣。


その一つが信仰都市の終わり、否。今となってはその在り方を一つの都市ではなく、アマテラスという異邦の神を持ってして独立し、歪とは言え『世界』と呼ぶに相応しくなったこの場所に姿を現す。


その出現と共に先程まで吹いていた風は時間を停止したかのように吹き止み、咲き誇っていた花々が次第に蕾へと帰化していく。 


その異常な光景の1秒後。

リアの体と意識、全てを黒が包み込み───その存在を世界から消失させた。

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