<hello>
3年ぶりの更新。3年間もブックマークをして待っていてくれた方々が居たら本当にすみませんでした。これからは本当の意味でマイペースに頑張ろうと思います
立ち昇る蒸気が薄れていき鮮明になっていく景色とは裏腹に少女の視界は曇ったまま。その小さな体の中に宿す無数の魂が現実を見ることを拒んでいるのだろうか。
何故、何故と終わらぬ押し問答をする者、怒りの声を上げる者、そして何よりも神雷を防がれたという事実を受け止め切れない者達の多くが悲痛な声を上げている。
巫女との完全な契約ではないというのに神雷も星の雫も何の損害もなく防ぎきるなどあまりにも理不尽であるとしか言えない。歴代の巫女の中でもアマテラスの力を扱う事をできた巫女がいったい何人居ただろうか?
だというのに巫女でもないただの人間が演算だけとは言えアマテラスの力を引き出すことなどあっていいはずが無い。
「何故一介の人間である貴様がアマテラス様の力を使うことができるのだ!?我ら巫女の願いすら聞き届けてはくれなかったというのに...」
怒りを含んだ声が次第に悲痛に染まっていくのをアマテラスは最後まで聞き届け、一呼吸置いてから覚悟を決めた顔で、閉ざしていた口を開いた。
「私が長い眠りについたのも、数百年に渡り悪しき儀式を止めることができなかったのも、お主たちがそうなってしまったのも全て私の責任じゃ。―――だからこそ、私の命をすり減らしてでもお主等を止めねばならんのだ」
それは今まで何もできなかったアマテラスだからこそ最後に果たさなければいけない責務だろう。仮にもこの都市を守る神として在らねばならないのに、今まで私は何一つとして守ることなど出来なかった。
「命を擦り減らしてって...。本気なの、それ?」
「巫女ではない人間との強制的な契約は私にも契約者にもそれ相応の負担がかかる。だが、この都市と無関係な者に代償を背負わせることなどできん」
そのことは事前にガルナに伝えてあり、本人は代償をアマテラスが引き受けることを良しとはしていなかったが、無理を押し通してアマテラスは代償を引き受けた。
「何、そう心配するでない。元より在って無かったような命、この都市、引いてはあの子を救う為なら私は何でもする」
彼女たちが巫女としてアマテラスの力を振るえなかったのは器として未熟だった為ではない。アマテラスの力を使うというのに、アマテラス本人の意識が無かったのでは力を発揮できないのは当然の事、裏を返せば巫女の素質たり得なくとも、契約さえ結ばれれば誰であろうと力を振るうことが可能だ。
だが、勿論器足りえぬ者との器足りえる者とでは出力、効果範囲、デメリットが違うのは必然。むしろこの程度の代償で済んでるのが奇跡とも言えよう。
「それ、私達の前なら多少は許すけどあいつの前では言わないでよ」
「む...何か感にでも障ってしまったか?」
「感に障るというか地雷というか、あたしはそういうのにあんま干渉しないけどあのバカはそういうのに五月蠅いんだよ」
そう、ナナが今ここに立っているのもアカツキのお節介が原因だ。人がどうでもいいと投げ捨ててもあの男はさも当たり前のように拾いあげようとする。神器なんていうすごい力を持っていても、大して強くもないくせにあの男は目の前にあるもの全てを救い出そうとする。
「なるほど、そういうことか」
ナナの態度と言葉を聞いて、アマテラスは一人納得したように頷いた。
命を救われたから、旅に出ようと手を引かれたから、弟を救う為に力を貸してくれる人間だから、理由はどうであれこの者達はアカツキを信頼している。力は多少あるだろう、頭も少しは回る方だろう、だが決して強くはない。でも、あの男ならやってくれる。そう信じている―――だから。
「がっかりするだろうな、この有様では」
「な...にが」
「何、過大評価も人を殺す立派な理由だろう?ここに来たのがお前一人でなければ打開できたかもしれない、あと一人でもお前の弱さを受け入れてくれる人間が居ればこうはならなかった。お前の敗因は慢心と仲間からの厚い信頼だ」
ネヴの呪いをそのままネヴに返す呪い返し。その効果は絶大で、ハデスを取り込み、半ば不完全とはいえ神と呼ばれるだけの力を手に入れたネヴの呪いはこの都市において比肩するものは無いほどにその力を向上させている。
───しかし、自分の呪いによって滅びるような神がどこにいる。アカツキは一つ、致命的な間違いを犯していた。それはどこまでもネヴ・スルミルという男を人として見ていたということだ。
借りにも神に名を連ねる存在となった彼を人として認識してはいけなかったのだ。
魔力はもちろんネヴから引き継いだ呪力も底を尽き、手足を動かす力すら振り絞ることが出来ず、スルミルの手に込める力を少し強めれば今にも折れてしまいうな首、命の主導権を握られているアカツキは苦し気にスルミルを睨みつける。
―――だが。
『駄目だ、アカツキ。僕の読みがあまりにも甘すぎた。相手を仮にも神と侮っていた訳じゃないけど、全力も出さずに勝てるなんて思って言い訳が...』
無かったと、ネヴが最後まで言い切るよりも早くアカツキの体と口が動いた。動かせる筈がない手でスルミルの腕を掴み、必死の形相で叫ぶ。
「出てくんな!お前はこんなとこで消えていい人間じゃねぇだろ」
「───愚かだな」
アカツキの体の中で魂だけとなったネヴの声はアカツキ以外には聞こえない。しかし、───その男はアカツキの魂の中に潜む彼を捉える。
『いいや、そんな余裕も無い。僕が表に浮き上がれば...』
「―――貴様では役不足だ」
ジュグリと、聞いたことのない音が鳴り、体から力が抜けていく。とっくに限界だったから?違う、だって目の前が真っ赤に染まって、体が軽くなっていく。耐え難い睡魔に、慣れてしまった激痛が全身を駆け巡る。
『アカツキ!!』
内側から響く誰かの慟哭。
「あ───」
聞いたことのない音が聞こえた?それはそうだろう。
その音を聞くのは、―――人が死ぬ瞬間だ。
「聞きたいことは山ほどあったが、生かしておくメリットが無い。あの男がお前の中に居るのなら尚更だ」
目の前の男が人を殺すことに何の躊躇いが無いことは理解していた。だが、今回もいつもの用に咄嗟の起点や悪運の強さで上手く抜け出す事が出来ると心の底で思ってしまっていたのだろうか。
学院都市で神器と融合したあの忌々しい男と戦った時のように、最後の最後に裏切ったあの白髪の女に魔力を奪われた時のように、神に仕えているなどと宣うイカれた大司教との戦いのように、突然力に目覚めたり誰かが助けてくれるなど、そんな下らない幻想にしがみついた結果がこれだ。
あぁ、そうだ。俺も同じようになれば良かった。何かに与えられたものなんて当てにならない。運の良さも仲間との絆も肝心な時に当てにならない。見えもしない何かに依存した生き方など御免だ。
『......誰だ、お前は』
人間であろうと無かろうと、詰まる所生きてさえいればいい。お前はこの都市を救う英雄でも無ければ、お伽噺の勇者でも無い。───ましてや、誰かを救えるような人間ではないだろう?
その手が血に染まったあの時、我等が夢を孕んだその瞬間にお前は全てを受け入れた。
『アカツキ...じゃない。限りなく彼に近いだけの彼では無い、別の何か?』
「ありがとな、ネヴ」
『...僕は何も感謝されるようなことはしたつもりはない』
アカツキと寸分違わぬ姿で精神世界のネヴの前に姿を現したその何かは光の灯らない瞳の目じりを下げて純粋な子供のように笑う。悪意を微塵も感じさせない、それどころか感情そのものすら感じさせない顔で喜びという感情を再現する。
「やっと...思い出せたんだ。そうだよ、最初からこうすれば良かった。死ぬのは嫌だったけど、死んでみれば答えが得られるなら最初からこうすれば良かった」
『まるで死んでないみたいな物言いだね...。現実世界を見てみなよ、君の体は心臓を穿たれ、その後に五体を切り離された。君が死んだ後、万が一の復活を危惧した彼の手によってね』
心臓を貫いて尚、手足に留まらず首をも跳ねた一見、意味のない残虐な行為も確かに意味があった。初めから彼とは違い現実世界のネヴはアカツキを警戒していたのだろう。
「『終わらない、───終わるはずが無い。アカツキという存在をここで終わらせるには早すぎる』」
アカツキの声に重なるように機械的な音声が混じりこむ。幾重にも重なって聞こえた声はアカツキがスルミルと神器アニマ以外の何かを干渉を受けたことを示唆するものだ。
『───いかせるか』
その存在が何であろうとアカツキの体を借りて現実に浮上することをスルミルは許さない。───それは冒涜だ。
死後アカツキの姿だけを装った別の何かに、アカツキが積み上げてきたものを奪わせる訳にはいかない。
───と、スルミルはそこまで考えて手を止める。
『...そういう、ことか。───化物め』
忌々しげにアカツキの姿を模した何かを睨みつけるスルミルに、それは愉快そうに微笑み。邪悪な笑みを浮かべる。
「『殺せない、だろう?この男を』」
それすらも見込んだ上でのこのタイミングだったのだ。スルミルという不確定要素を内に秘めたアカツキの魂。その干渉をコレは察知し、身を潜めた。
アカツキのの持つ神器は元より彼に語りかけるための力も持たなければ、その為のリスクも冒さない。唯一サタナスが残した置き土産だけが気がかりだったが、ここまで追い詰められて尚、アカツキに変化が無かった時点でそれは最終手段だと断定する。
万が一、アカツキが死ぬか、それと同等の事態が起こった時に発動するものと。故に、自分達がアカツキの自我を奪ってしまえば、それを押し留めるのは容易いことだ。
『...肉体の蘇生。アカツキの体を再び蘇らせることが可能なお前を───僕は止めれない』
あとは、この男だけに手段を講じればよかった。都合よく彼はアカツキの体を借りることを最後まで避け、現実世界のネヴはそれを危惧して早急に片をつけたことで全ての土台が整えられた。
『初めから、これが狙いだったのだったのか。
これは、アカツキという存在が与える影響と、神器という創生の神より賜った脅威、そして何より、アカツキという存在の危うさを見誤り、最後まで手を出せなかった自分の優柔不断さが招いた事態だ。
『―――つくづく見逃してばかりだな、僕は』
その言葉を最後にアカツキの精神世界は閉じられる。アカツキ以外の何者の干渉も許さない拒絶と自閉の世界。暗闇だけが満たす黒海へ。
――――――落ちて、墜ちて、堕ちていく。
アカツキの体と意志は分かたれる。落ちていくのが正しき意思ならば、浮上するのは穢れた意思だろうか。
いや、そもそも区別をつけること自体おこがましい。そこはアカツキだけが存在を許された心の世界。そこにあるのは何であろうとアカツキの精神、意思、それ等に他ならない。
『今更、自分を美化するのはやめろよ』
『やめろ』
そこに相反する意志が生まれようと、天と地ほどの差があろうと自分は自分に他ならない。あそこでネヴを出さなかった甘いアカツキも今ここで何もかも拒絶したのもアカツキも全て―――俺という存在に他ならない。
『やめろ、消すな。俺はまだ―――』
『いいや、オレはよくやったよ。改心したか何か知らねぇけど、甘い考えで英雄やヒーローの真似事。何を忘れてんだよ、お前が唯一上手くやれた時があっただろ?何かを真似るんじゃなくて自分の道を歩いたその瞬間がさぁ』
これまで必死に戦ってきて、全て上手く行ったことは無かった。何かを守ろうとしても、大切なものを失ったり、多くの命を掬いきれず、後悔して、苦しんで、自分を追い詰めていくばかり。
『とっくに俺は限界だった。大好きだった飯が出てももろくに喉を通らねぇ』
『やめろ』
『だってそうだよなぁ?味が無けりゃぁ好きも嫌いもねぇ、食感が違うだけ、固形か液体か、柔らかいか硬いか。その唯一残された感受性、食感すらも吐き気を催す原因だ』
『やめて、くれ』
『やめねぇよ。それを望んでんのはお前だ。ろくに吐き出しもしないで溜め込んでばかり、日々、後悔と守れなかった者達への自責の念でろくに寝れもしない。お前は必死に生きてるように見せてた。でも、それを知ってるから言ってやるよ。他でもない俺の口でな』
『やめろ、やめろぉ!!』
今更拒絶したって全てが遅い。何でかって?それは簡単だ。ここは後悔に溺れた黒い海の底、何もかも拒絶した果てにある場所。――――本当に、どれだけ苦労したことか。
『生きてる振りをしてるだけの化物、それがお前だ』
かつて忘れようとしていた感覚、あの時、始まりの都市で捨てた筈の男が帰還する。誰も守らない、失うものなんて何もなかった始まりのアカツキ。
『んで、ここからが生きてる俺の出番だ』
綺麗事を並べるだけで何も出来なかった男は海へ溶けて消える。海の底へ落ちていく影が1つになり、ようやくここから全てが始まる。
「アカツキは死んだ。残る脅威はアマテラスとその巫女か」
足元に転がる人間の首、それはこの都市を、引いてはこの都市に生きる人々を救おうとしたまさしく英雄に相応しい青年のもの。
「こうなってしまっては見る影もないな」
まさか一人で半端とはいえ神へと至った存在を留めておけると思っていた訳では無いだろう。作戦を立て、万が一に備えた切り札も用意していたというのに、最後になってそのカードを切ることに躊躇した。
勝つためならば如何に非人道的であろうとするべきだった。それを出来なかったのは優しさか、経験の浅さか、もしくはそのどちらもだ。
「しかし、これで不確定要素も消えさ―――」
そこで言葉が唐突に途切れる。いいや、違う。切られたのは言葉だけではない。スルミルは切り離された舌から上の頭部を両手で掴み思い切り下へ捩じ込む。
そうして繋がれた細胞が再び視界を鮮明にし、次に取った行動はそこからの緊急離脱。
気配も殺気も無しに放たれた凶刃から距離を取り、戦況を把握するための行動は最善。―――勿論、その行動が読まれていなければの話だが。
「────シネ」
頭上からつい先程殺した筈の男の声が聞こえ、一瞬耳を疑う。
そも、こうなることを危惧しての断頭だ。死者の蘇生は魔法であればそれを可能なのは世界で一人しか確認されておらず、死者の復活を可能にする呪術を扱うことが出来るのも自身と最後の英雄の二人のみ。
それ以外の人間には蘇生は不可能だ。ましてやアカツキは多少傷の治りが早い程度で不死性を持っていた訳ではない。
「...ここまでとはな」
そこに立っているのは紛れも無い人だった。───否、人の形をした、何か。切り離された頭から無数の腕が伸び、頭と体を接続し、四方に散らばった手足が朽ちて消える。
と、同時にアカツキの体の断面から赤子のような小さな手足が生え、それは見る間に膨張し、やがてかつてと遜色のない手足が生え揃う。
───半変異から、変異へと成っていく。その内面、外面を取り繕った怪物が産声を上げて。
これまで彼が必死に堰き止めていた悪感情が、悪性が全ての枷を引きちぎり現世に露出する。
「ア、aー。在?...ぁ。───こうか」
それは人を模しただけの別の何か。アカツキを騙り、人を驕る、世界の癌。
それが長い間蓄積した呪いを糧にして、アカツキの人格を食い破って世界に現れた。
同時刻。世界の趨勢を管理する教会で1人の神父が忌々しげに鏡を見やる。そこに映るのは彼、キリス・ナルドが焦がれた人間の、生前の姿。しかし、その体を動かすに正しい中身はここには無い。
「───創世の女神が生み出した世界の歪み。神の悪夢に対を成す、人の見た夢の為れ果て」
───遠くで、ソレが産声を上げた。
サタナスの魂を一時とはいえ保管していたアカツキと、かつてのサタナス本体の肉体を動かすキリスとの間には切っても切れない縁が生まれ、それは遠くで変化していく彼の魂を嫌という程感じていた。
「上からの命令だ。信仰都市に大規模な攻撃を...」
「一体何と戦うのだ?」
「そりゃあ異教徒だろ」
「でも、ネクサル様とウーラ様は信仰都市から帰還したんじゃ...」
「なぁ、何か変な感じが...」
外から聞こえる慌ただしい人の足音と、声の正体はこの異常事態を前に何も出来ない老いぼれどもの傀儡達によるもの。誰かに縛られ、命じられることでしか存在意義を見出だせない───救わなければいけない私の経験な信徒達だ。
「...キリス、どうするの?」
「おや、珍しいお客様ですね」
立ち入りを禁じていた祈りの場、そこにいつの間にか現れた右目を糸で縫った女性の声を聞いてキリスはその表情を戻し、冷静を装い振り返る。
「ウーラ、貴女が私に会いに来るとは思いませんでしたよ」
「本当は会いに来るつもりはありませんでしたよ。けど、アレが目覚めたなら、過去の諍いは一旦目を瞑らないと。それに、アオバ君も大分参ってるみたいだし、お姉ちゃんとしては動かずにはいられないというか...」
彼女は違う。彼女は私の信徒でもなければ、私が救うべき人間でも無い。元より、───私では救うことの出来ない者だ。
「彼が心配ですか?」
「うん。だってアカツキ君は私の大事な部下になる子だよ?」
そう、彼女もまた、救われるべき人間ではない事を理解している。自分は救うべき側に立つ人間であることを。───私とは幾分か在り方は違うが、大司教として教会の中枢を担う数少ない実力者であることに疑いはない。
「...上への根回しはどれほど進みましたか?」
「アカツキ君をここまで連れてこれれば認可させる事自体は可能なところまで、ですかね」
しかしそれも、彼を連れてこれればの話。今、彼は信仰都市で教会が異端と断じた者達の末裔、スルミル家が生み出した歪みの終点と決着をつけようとしている。
「聖人の方々はよく彼を受け入れようと思いましたね。目の上のたんこぶ、教会にとっては異物も良いところでしょうに」
神器を所持した人間、それをただウーラの下で管理するだけだったら幾文か話はスムーズに進んだが、それが事あの少年、アカツキというのがいただけない。
農業都市の一件を皮切りに明確な脅威として見なされたアカツキを受け入れることは教会にとって大きなリスクだ。ネクサルは何かを隠しているようだが、現状アカツキを受け入れるメリットは教会には無い筈だと思ったのだが───。
「───だから、許可は取ってない」
「...は?」
キリスは目の前の女性の言葉につい疑問の声をこぼす。しかし、彼女はそんなのはお構い無しと言わんばかりに彼女はまくし立てるように言葉を続けた。
「だって受け入れられる訳が無いでしょう?彼等のちっぽけなプライドじゃ。血統に甘んじるしか出来ない老人達は真に選ばれた人間を許せないし、神器を持ってるのなら尚更受け入れることは出来ない。自分達の地位が揺らいでしまうからね」
「...は。───あはははは」
その言葉を聞いて今度こそキリスは吹き出してしまう。ウーラの物言い、それはある意味正しい。正しいが、───それだけじゃない筈だ。
彼女は意図的にその言葉を避け、アカツキを教会に招き入れることが出来ない理由を自分へ伝えた。それがあまりに彼女らしくて、笑ってしまったのだ、
「急にどうしたんですか?」
そんな事をつゆ知らず、ウーラは不思議なものを見るような目でこちらを見つめている。その顔はこちらがしたいというのに。
「───彼を化物とは呼ばないのですね」
「...なんで?」
そうだ、それでこそだ。ウーラという女性は、あの頃から一つも変わってはいない。聖人の血を引くだけの彼等のように何かを罰し、抑制するのではなく、あくまでも───人を生かし、人を活かすことを選択し続ける。
「彼は今、神の夢に相反する人の夢の集合体。我等人類の祖先が見た理想を再現しようとしている。長く神器に封じ込めていたものが、信仰都市で取り込んだ呪いを使い増長し、その体を変異させたというのに。───貴女はまだアカツキの事を人間だと思うのですね」
「...そうだね。彼は1人では抱えきれない程の運命を背負わされている。異世界、神様、神器、呪い、依存、運命。───でも、あの子は人間だよ。1人で悩んで、1人で考えて、抱えきれなくなって守るべきものに守られる。それは紛れもなく人間だよ...私たちよりも、よっぽどね」
アカツキは悩み、嘆き、悲しみ、喜び、誰かの痛みに共感し、自分の苦しさを他者に見せることを嫌がっている。それは人間としては当たり前のことで、そんな当たり前のことが私達には出来ない。だから、そんな存在に比べれば───違う。比べるまでもなく彼は人間だ。
ウーラはそう、確信を持って言えるだけの自信があった。何故ならば。
「───だから、貴方も彼に手を貸した。だってそうだよね、教会より賜った称号は『救済者』。貴方は、人を救わずには居られない、それがキリス・ナルドという人間を構成する全てだ。だから私は聞いたの、どうするの?って」
あぁ、本当に忌々しい。
その縫い付けられた糸の下、そこに宿る金色の瞳を使わずとも、彼女はキリス・ナルドという人間の内面の現状をよく知っている。
どこまでも忌々しくて、だからこそ───愛おしい。
「どうするも、ありませんよ。なるようになるのですから」
キリスは踵を返し、女神像の前まで歩み、そこから再びウーラの方へと振り返る。
すると、これまで雲に隠れていた太陽がその姿を覗かせ、教会の中に光が差し込み始め、その光は神話をモチーフに作られたステンドガラス越しにその色を七色に変え、手を広げたキリスを祝福するように照らす。
「故に───私は、祈るのです」
『──────彼の者に、祝福あれと』
その祈りは、確かに天へと届き、信仰都市にに新たな影を呼ぶ。風が吹き荒れる信仰都市、ボロボロのローブを纏った老人が、最後の運命を見届けるために姿を現す。
「...」
救済者キリス・ナルドはあの時、学院都市にて彼の魂を内包したアカツキを見て、確信した。
近い内に───彼は死ぬ。それは天命であり、運命。数多の可能性を抱えたまま、彼は何も果たせずその自我を太古の呪いに蝕まれ、消えていく。
───前兆はあった。可能性も、十二分に。
農業都市での神器の暴走から始まった数多の咎。彼はその呪縛から逃れられない。故にキリスは信仰都市に進むようアカツキを誘導した。
───クルスタミナの残骸。彼が残した神器メモリアの欠片を彼に移植し、巫女への接触、果てにはそこで出会う因果に早期で立ち会わせた。
「...人の思い。人の夢。よもや、ここまでとはな」
遠い異邦の地。神を見限り、その運命を人の手で創り変えられた信仰都市にてボロボロのローブに身を包んだ老人は呟く。
「───そうか。儂がここに来る事を奴は知っていて、アカツキにメモリアを...」
世界を揺蕩う放浪者。度々歴史の分岐点に現れては予言を残していく存在。
彼の現れるタイミングは歴史の分岐点。とは言えどもそれは後世から見ればそう見えるだけで、今を生きる人間達から見れば今この瞬間が歴史が変わる瞬間という実感を得るのはまず不可能だ。
しかし、キリスは確信していた。世界に13人しか存在しないの聖人にのみ許された神託、それに等しいだけの確信を持ち、アカツキに残酷な仕打ちを行った。
だが、結果的にそれがアカツキの救済に繋がることを彼は知っていたのだ。アカツキの体内に寄生しているあの存在は、人の集合知だけあって小賢しい。しかし、その力は莫大で、───アカツキの体を内面から創り変える事すら可能だろう。そして、その再構築が行われた後、それをどう押し込めるかだが、それは問題ない。────彼だけが入れば問題など皆無だ。
「よかろう」
信仰都市の始まり、そして終わりを予言した彼もまた、巡り巡ってこの都市に辿り着く。否───立ち会うべくしてここに訪れたのだから、それは紛れも無い彼の意思が介入した、明確な選択だ。
「───であるのならば、儂も運命に立ち会う時だ」
それは予言を残す行為ではなく、後世に託すべくして行われた偉業。今まで沈黙を貫いてきたクラヴァー・リストロミアが行った───2度目の事象への観測である。
───彼方で鐘の音が鳴る。
そこは神の住まう座にして、72の都市が行き着く先にして、果ての地。
『...おじいさま、遂に来たのですね』
───遥か彼方の浮遊都市。世界の機構たるその場所で女神は1人椅子に座り、目の前に映し出される映像を見て、瞳を閉じる。
瞼の裏に映るのは、暖かな木造の家。パチパチと燃える暖炉の火を見ながら笑う3人の子供と、それを見守る老人の姿。
───二度と戻らない、刹那の記憶。女神が何度も夢を見るあの場所だ。
「───アカツキ、今はまだ良いのだ。今のお前には帰るべき場所がある」
老人の手が遠くで荒れ狂う闇に翳される。絶え間なく続く泥と闇と赤い血のぶつかり合い。神に近き存在と戦う人間の姿をしたなにかへと。
「『──────!?』」
老人は手を翳しただけだ。そこには何の魔力も、呪力も、それらに付随するものは何も発していない。ただ、老人はその姿を見て、それに蓋をするように手で覆っただけ。
それだけにも関わらず、二人のネヴは途方もない力を感じ取り、同時に認識外にあったその存在を認識する。
闇と泥がぶつかる刹那、アカツキの中で見ることしか出来ないスルミルはアカツキ越しに、現実世界で目の前の漆黒と対峙する地獄の主ネヴはその視線を遠くの丘へと移し、二人の声が重なる。
「『誰だ...?』」
その疑問が、全てを遅らせる。突如として介入してきたその存在が何のためにここに訪れたのか、そして、彼が何者なのかを考えてしまったから、───一手、遅れる。
───止めなれけばいけなかった。その異変を感じ取った段階でネヴ・スルミルはその老人のこれから行う行為を。
手段を講じる時間も、余裕もない。打算と機転で乗り越えなければ、いけなかった。
伝承に語られる預言者、太古より世界の運命を観測する万物の観測者。
「アカツキ。───今のお前に、人の夢は必要ない。その足はお前の為に。その手は誰かの為にあるのだから」
彼方より来る光の干渉。それがネヴとアカツキを包み込み、二人の視界が白に染まる。───その中で、2人は奇妙な体験をする。
まるで、在るべきものが在るべき場所へと帰るような、それでいて身を引き裂かれるような痛み。
───俺は知っている。これは。
「き、さまあああああああ!!!!」
歪な形で保たれていたネヴと、アカツキの魂に神器メモリアの欠片が行っていたように取り憑いていたスルミル。両者に対して、ソレが振るわれる。
───そして、それは彼らも例外ではない。
『...これは。引き剥がしているの?僕とあの子の繋がりを?』
そんなこと、人間に可能な筈がない。それほどまでに強固な癒着、一つしかない魂を二つに分割するような奇跡の所業を一体誰が行ったというのか。
ネヴの中で眠りについていた冥界の幼神ハデスはその機能の殆どを停止し、神としての力を持たないとは言え、ネヴを神に押し上げるに足る資格を持っていた。
それを利用してかの王は魂だけとなったハデスをネヴに埋め込み、地獄との繋がりを絶たれたネヴに再び力と擬似的な不死を与えたのだから。
───どこまでも続くような深淵に光が差し込む。
長らく感じたことのなかった視界の変化と、そして再び感じた喪失の予感。
───それを受けて、少年は立ち上がる。
体はとうの昔に失われ、今の自分を確立させているのはたった1人の人間の信仰。力はなく、魂だけとなっても満足に動くことのできない思念体。
それでも、訪れたチャンスを逃すわけにはいかない。
一体どこの誰がそれをしたのかは分からない。
ネヴを神へ押し上げたベルメリヨン・セレーノスの魂を押しとどめる事に、これまで彼が積み重ねてきた信仰を使い果たし、眠りについていたハデスは未だ冴えない思考と満足に動かない思念体を必死に動かして、どこまでも続く、暗闇の中を走り抜ける。
途中で足がもつれ盛大に転ぶと、ボロボロになった左足が崩れて虚空に砂となって消えていく。
───体の消滅が始まっているのだ。ネヴと交わることで少年の形を確立した思念体から、またコアだけの形に戻ろうとしている。
「ま、だ...」
足が使えなくなっても這いずるようにハデスは光のある方へと進んでいく。体を徐々に虚ろにしていく喪失感、その恐怖を押し殺してでも、前へ、前へと。
ネヴとの魂の融合は彼を神に押し上げるのと同時に、二度と目覚めることのなかったハデスに再び人格を与えていたのだ。ベルメリヨンにとっては特段意味を成さなかったハデスの意識の覚醒。
───それもまた、彼にとっては奇跡であることは彼以外に知り得るものは居なかった。彼も、ネヴでさえもハデスの意思が目覚めていることを知らないのだから。
あの語らいは自身が見せたまやかし、過去への決別の際に選ばれたハデスが選ばれ、それち似せた自身の心象風景を重ねたに過ぎないと。
「消えて、また会えなくなってしまう前に。...僕は、君に伝えなきなきゃいけないんだ」
───しかし、きっとそれは叶わないのだろう。あの光に縋るように手を伸ばしても、ほら、手が崩れていくだけで何も掴むことは出来ない。
「(もう。いシキ、も、満...ぞクに。)」
『......』
───誰かが見ている。言葉もなく、光を伸ばして必死に手を伸ばす僕を。
どこか、見覚えのある輪郭をしていた。幼く、小さく───今にも消えてしまいそうな悲しい顔をする、そんな少女の顔を、僕は、知っている。
「き、みは───」
あぁ、違う。僕は知らないけれど、あの子は知っているんだ。
───英雄に成れず、家族に裏切られ、その人生の殆どを復讐に費やした本物のネヴ・スルミルと、この都市を守るために偽りの生を受け入れ、スルミル家の因果に巻き込まれた異邦の地より訪れた人間。
そんな相容れない二人のネヴ・スルミル。両者共に共通した唯一の───守りたかったもの。
あぁ、そうか。あの子はベルメリヨンより与えられた異界の力、この都市で発生した地獄という概念、そこで蓄えられてきた人々の負の感情を分割し、管理していた。
どうして、そんな事をしていたのか不思議だったけれど。
「───君を、世界に押し留めていたんだね」
崩れていく最後の瞳で、涙を流すその少女を姿を見る。それは紛れもなく、彼等が大事にしてきた家族でネヴが切り捨てることの出来なかった唯一の弱点であり───彼が残した最後の人間性だったんだ。
「...シズク、どうか君も、すく、わ───れ......。て」
───目の前で、少年の体が黒い塵となって消え、そこ残ったのはハデスであったものの残骸、黒い球体だけだ。
現世で行われた預言者による干渉はハデスと兄の繋がりを完全に断ち、今やハデスは完全消滅に瀕しており、兄も耐え難い別離を経験している。
兄は再び人へと戻り、ハデスはまた物言わぬコアだけになる。2度目の消滅、2度目の別れ。
『......ハデス』
最後に彼は自分の名前を呼び、崩れていった。この都市に本来訪れる筈だった終の神。全てが終わった後に降り立つだった彼に相応しい、悲しい結末。
そこに信仰はなく、人はなく、理解者は無い。この世界に無責任に呼び出され、また人に忘れられて消滅する。その結末は変わらないとでもいうように運命は彼に再び人格を与え、そして2度目の消滅を味あわせたのだ。
───けれども、彼は最後まで誰かを恨むことはなく、羨むことはなく、誰よりも人を想い、消えていく。
二人のネヴ、アカツキ、巫女、そしてシズクという物語の始まりと終わり立つ人間達を。
───あぁ。そういうことだったんだね。
私があの時首を切り、その身をアマテラス顕現の器へと捧げたのも、その結末を良しとしなかった兄が呪いの神と契約して得た力の半分を用いて私の魂をこの世界に縛り付けたのも、クロバネと名乗る少年が地獄の女主人となった私と契約し、その命を削りながら地獄の半分を封じたのも───その全ては此処に至るまでの道筋でしか無かった。
それを私達は運命と呼び、忌避し、───受け入れる。
『一緒に止めよう、私達でお兄ちゃんを』
そして少女は、崩れて塵になったハデスの人格だった塵を掴み、胸に抱く。
「───1人に、しないからね。君も、お兄ちゃん達も」
それすらも、運命が仕組んだことなのだとしたら、私は喜んでそれを受け入れよう。
けれど、私は信じている。この気持ちが、過去から未来、永劫に続く人の意思が、そのようなものではないことを。
───これまでの巡り合わせが、運命などというものではなく、私達人間が選んだ果てに掴んだ答えであることを。