<誰よりも優しいあなたたちへ>
終わりの見えない空間、全てが白に包まれた世界で彼等は目を覚ました。突如として意識を失い、気付いた時には見覚えのない場所に連れてこられた民衆はパニックを起こし、終わりがない空間から逃げ出そうと一斉に走り出す。
―――救えなかった人達を見ながらアカツキはまた立ち尽くす。
ダオの儀式によってこの都市の生命は一つに集められた。これから先に起こることを知っているのはアカツキ達だけだ。
彼等は消費され、ここに永遠閉じ込められ、二度と日の出を見ることは出来ない。
「く...そ。また俺は―――」
―――救えなかった。
仲間の足を引っ張り、一人戦線から離脱していたアカツキ。彼の護衛としてクレアとナナも戦線より離れていた。そのせいで行動できる人員は限られ、挙げ句の果てには黒羽を相手に差し出すようなことになってしまった。
「ごめん...なさい。ごめんなさい」
彼等はここから逃げ出したい一心で叫び声を上げる。逃げ場のない永遠の空間を走り続ける。もう助かることのない彼等へアカツキはただ謝ることしか出来ない。
「―――何で、君は泣いているんだい」
心が折れ、膝を床に落として涙を流すアカツキに声を掛ける青年が居た。
「あんた...は?」
「今は僕の事なんてどうでもいい。どうか質問に答えておくれ。この都市の人間は君にとって赤の他人で、彼等が愚かだったばかりに尊い命が失われてきた。それなのに、どうして君が彼等を救えなかっただけで涙を流すんだい?」
その青年はまるで品物を定めるかのようにアカツキに質問を投げ掛ける。
誰もが正解だと思うような答えになるとは思えない。しかし、アカツキはその問いに対して自分の思ったままのことを返答をする。
「知らないから、自分には関係ないからって見捨てる理由にはならない。俺達が戦うことで救われる命が一つでも多くなるなら、俺は戦う。―――でも、失敗した。何にも助けることなんて出来なかったんだ」
「......」
青年はアカツキの出した答えを聞くと一度目を閉じて。
「―――やっぱり君を選んで良かった」
安堵したように微笑み、青年はアカツキへ手を伸ばす。
「...?」
「人の醜さを知って尚変わらない優しさと危うさ。―――彼女の記憶通りの人物だね、アカツキ」
「どうして、俺の名前を」
アカツキは一度たりとも彼に出会ったことはない。声を聞いたのだって初めてで、お互いに名前を聞いたりしてはいない。
それでも青年は知っていた。アカツキの名前と、彼がどんな人間であるかを。
「初めまして、アカツキ。僕の名前は――――――ネヴ・スルミル。最後の英雄にして、初代祭司。ネヴ・スルミルという人間から名を奪いながらのうのうと生きてきた最悪な人間さ」
青年の手を借りて起き上がったアカツキに告げられた予想外な人物の名前。
その名前には聞き覚えがあった。色んな人からその名前を聞いてきたから。
彼が信仰都市創成に携わり、死語その死体を暴かれ、今も信仰都市で暴虐の限りを尽くしているであろう男に体と名前を奪われた最後の英雄にして、最初の祭司。
「あんたが、偽物じゃなくて本物のネヴ・スルミル...か?」
「正確には僕の方が偽物と呼ばれるべきだけれど。まぁ、そうだね。名前が同じというのは色々と不便だ。僕はスルミル、地獄の長である彼はネヴと呼んでくれ」
「じゃあ、スルミル。あんたはどうしてここに?」
クレアから聞いた話では死んで魂だけとなったスルミルはネヴと出会い、取り込まれかけていたところを自力で逃げ出し、アマテラスの中に入り込むことで他者からの接触を逃れ、全てを傍観する存在になったはずだ。
「簡単な話だよ。僕はアマテラスの中に住んでいて、そのアマテラスの魂はここに招かれた。外ではガルナと共にこの魂の選別から逃れた雫があたふたしているだろうね」
「―――ガルナは無事だったのか!?」
「無事、とはとても言い難いけれど生きてはいる。雫がアマテラスの力を引き出し、外からの干渉を禁じる絶対空間を造り出した。それで魂の徴収から逃れた、というわけだよ」
「...良かった。安否を確認する術が無くて」
「あぁ、もう一人この魂の選別から逃れた人間が居た。リア...だっただろうか。彼女は例外中の例外なんだけどね。儀式が発動したというのに自力で現世に留まるなんて僕でも想定外だった」
「はは...。それは、ちょっと予想できるかも」
「彼女の体質、神すら凌駕する力の根源については大いに気になるが今は置いておこう。僕が君の目の前に現れた理由、それを説明しようと思う」
ここは終わりのない世界。当たり前だ、ここに来るということはその命が終わったということ。全ての始まりであり、魂の行き着く終着点。
「ここは生命の檻。アマテラスという神が誕生する以前に死した魂は例外なくここへ誘われていた。アマテラス、そして地獄という場所が生まれてからは一部を除いた魂以外、ここへ辿り着くことは無かったけれど、アマテラスの全機能を停止させ、反転呪術を発動させることでここへ繋がる道をダオは造ったという訳だ」
「なら、その道を見つけ出せば...!!」
「残念なことにそれは不可能だ。今回繋がれた道は一方通行で、現世からこちらへ来ることはあっても、こちらから現世へ戻ることは出来ない」
スルミルはアカツキの希望的観測を全否定し、それでも言葉を続けた。
「そんなに悲しそうな顔をしないでおくれ。僕は人の悲しむ姿は見たくないんだ。それに、まだ僕が君の前に現れたの理由を伝えてないだろう?」
「...何か俺に出来ることがあるのか」
「ここで君が出来ることはもう何一つない。けれど、あっちへ戻った時に君にしか出来ないことがある」
「生き返った人達を守って欲しい、か?勿論出来る限りのことはするさ。けど、ここに居る人達も救えなかった俺に何か出来る筈が...」
どこまでも悲観的で自罰的ななアカツキの言葉にスルミルは最後まで言わせない。言葉というのはとても重要なもので、マイナスな事を言えば良いことは起きないし、心を強くもって最後まで諦めない人間の言葉は人々に勇気を与え、抗うための力を引き出してくれる。
「諦めるのは君らしくもない。君は誰もが認める英雄だ。最初は最低で、酷い奴だったのでかもしれない。けれど君は農業都市を救い、学院都市をクルスタミナの魔の手から救い出した。君は自分の悪いところしか見ない。君は誰からも誉められ、祝福されるべき偉業を成し遂げたというのに」
「俺が英雄?そんなことはあり得る訳が」
「あり得るとも。確かに救えない命もあっただろう。けれど、君はそれ以上に多くの命を救ってきた筈だ」
スルミルはアカツキという人間を事細かに知っている。何せ、一番近くから彼を見てきた人間からアカツキを知ったから。彼女とアカツキの間だけでしか交わされなかった言葉もあった、彼女だけが知るアカツキの弱さもあった。
「諦めるのはまだ早いだろう?最後まで抗ってこそ、君らしい。自分の体すら省みず、人を救うために奮闘してきた君にしか頼めないから僕はこうして君の前に現れたんだ」
「諦めるのは...まだ早い」
「そうとも。この物語を悲劇で締め括るには早すぎる。確かに悲劇から始まったとしても、最後に少しくらいの救いがあったって罰は当たらないさ。それに、こんな終わり方は嫌だろう?君も僕も悲劇なんて腐るほど見てきた。だから、僕は彼女に希望を託した。人を苦しめ、絶望させる呪いではなく、人を救うための知識と人の心を」
スルミルが手を広げてアカツキへ振り向くとその背後、遠くから黒い柱が立ち、パニックに陥っていた人達が一斉にそちらを振り向き、押し黙る。
全てが白に包まれた世界に突如として現れた黒い柱は普通であれば彼等に不安を与えただろう。しかし、誰一人として騒ぐことなく寧ろ安心してすら心境に多くの人々が疑問に思っている中、スルミルは悪戯を考えている子供のように微笑む。
「誰一人として諦めるなんてこと僕は許さない。君達は生きていい。これは初代祭司、いいや君達を救う――――――3英雄が一人、ネヴ・スルミルからの命令だ。これ以上誰も死なせないし失わせない」
白い世界に響き渡る青年の声、民衆が白い空を見上げ一人、また一人と抗うための決意を新たにする。
諦め、絶望にうちひしがれる者。この状況に気付いていながら気付いていない振りをしてパニックに陥っていた者、そんな彼等の心に射す一条の光。
「僕は全てを否定しよう。既に死んだ命に再び生を与えることを。その為に失われる命があることも。―――絶望に終わるという運命を全て否定する!」
託したものは知識と呪術を発動させる為に消費される膨大な呪い。アマテラスの中で何百年と過ごし、この大局を見据えて蓄えてきた人々の呪いと希望。
『原初の呪術...ですか』
時は巻き戻り、アマテラスの記憶の中でスルミルと出会った時のこと。
『あくまで保険のようなものだと思ってくれていい。一番はこれを使用しない事だけど、もしその生命の檻に魂が収監されるようなことがあれば僕達の敗北は確固たるものになる。君達を除く全ての命が失われ、その代償としてダオの望む過去に死んだ人間が甦る。これを防ぐためには君に知識と発動する際に使用する呪いを託さなくちゃいけないんだ』
『えっと、そうした場合私に何が起きるんですか?』
『ここで話した記憶を持ったまま目を覚ました場合、君は呪いに苦しめられた後に人の目を盗んで自害する。良くて廃人だ』
『自害...ですか』
それほどまでの人の呪いが呪術の発動に必要だということ、このリスクを回避する為に生命の檻に着いた時にこの記憶を思い出すという条件付きで体を蝕むはずの呪いを緩和するという方法を説明してスルミルは申し訳なさそうにクレアを見る。
『本当なら僕が発動させられたらいいんだけどね。肉体という緩衝材を持たない僕が発動させた場合、魂が跡形もなく消滅することになる。―――やらなきゃいけないことがあるから、それは出来れば避けたい。それでも、君がやりたくないというのなら...』
『いいですよ。ネヴさんの代わりに私がやります』
『そんな、二つ返事で決めてもいいのかい?僕としては有難い話だけれど、君からしたらデメリットの方が多い。記憶を忘れて目を覚ましたところで、ここで蓄えられた人の呪いは生半可なものじゃない。死ぬとまではいかないけど辛い思いをしてしまうよ?』
『はい。それも覚悟の上で私に託して下さい。ネヴさんからはアカツキさん達を守るための力をここで貰いました。その代わりにネヴさんの頼み事を引き受けます』
この都市の真実を知り、人の呪いというものが災厄となってこの都市に降り注いでいたことを知っても尚、その呪いを受け取るとクレアは言った。
僅かに手が震え、恐怖に押し潰されそうな心を鼓舞して覚悟を決めてくれた一人の少女にスルミルは『ありがとう』と感謝の言葉を伝え、クレアの額に指先を当てる。
『君に今から教えるのは全てを否定する呪いにして、人々を救う希望、呪術ではなく奇跡へと呼ばれるものに昇華されたものだ。これを発動する時に君の体に莫大な負荷が掛かるだろう。呪いは君を蝕み、命を奪おうとしてくる。その時には楽しいことを思い出すんだ。何でもいい、―――君にとっての希望を』
――――――全て、思い出した。
目を覚ました時から感じていた魔力とは違う何か。目を覚ました時は何がなんだが分からなかった。知らない記憶が頭の中を駆け巡って、おかしくなってしまいそうだった。
近くでは人の言い争う声が聞こえていたが、そんなことを気にしていることも出来ないくらいに頭の中で誰かが叫んでいる。
『助けて お願い せめて子供だけは生きていて欲しかった
苦しい 辛い 嫌だ 死にたくない』
そんな言葉ばかり聞こえてきて、何故か自分のことのように悲しくなった。ここに居る人達は皆憎みたくてこの都市を憎んでいる訳ではない。
希望を与えられず、憎むことしか知らなかった。誰かのせいにしていなきゃ、とてもではないが生きていられなかった。
『ずるい、どうしてお前ばかり』
「うん。辛かったよね」
『私だってもっと生きていたかった。お前を助けてくれたあの男のように、私の前にも英雄が現れて欲しかった』
「貴女の前には...現れてくれなかったんですよね。だから死んでしまった」
『そうだ。妬ましい、羨ましい。私は死んだのにお前は生きている』
彼等から目を背けて自分の楽しかった記憶だけを見ていることも出来た。彼も言っていたが死んでしまった人と会話するのは良くないことだ。
それでも、私は一人一人話を聞いている。
彼等は救われることの無かった人達の残した呪いで本人ではない。この人達の魂はもっと遠い場所に安息を得ている筈だ。
「生きている人が憎いですか」
『憎い』
「どうしてですか?」
『私達は死んだのにお前達は生きているから』
「それじゃあ―――私達に死んでほしいですか?」
『.........』
意思を持たない筈の呪いはクレアの問いに初めて言葉を詰まらせた。
「貴女は苦しみを誰よりも知っている。だから、羨ましく思ったり憎いと思うことはあっても、死んで欲しいとは思わない。ですよね?」
『......』
「貴女達を一概に呪いと決めつけて、呪術の為に消費する。きっとそれが間違っていた」
意思を持たない?いいや、彼女達にも意思はある。理解できないから、危険で怖いからそうだと決めつけてどんどん悪い方へ持っていく。
「これもネヴさんの言っていたことですが。―――貴女達は呪いであり人に力を貸してくれる祝福でもある。貴女達が居たからこそ呪術と呼ばれるものが生まれ、今では人を守るための手段としても使われている」
最初は傷つけるだけのものだったとしても、扱いさえ間違えなければそれは祝福になり得る。魔法も呪術も扱い方を間違えれば人を傷つけるし、人を救うことも出来る。
「貴女達を尊敬しています。この都市の礎になり、そんなことを言いながらも私に力を貸してくれている」
空へ昇る黒い柱の中、渦巻く人の呪いにクレアは優しく語りかけ。
「―――どうか、私に力を貸してください。誰よりも苦しみも痛みも知っている呪いだからこそ、この都市を救えるんです。その悲しさも、苦しさも、憎しみも、全部この都市を救うために使ってください」
身勝手な妄想かもしれない。しかし、彼等は自らの意思でこの都市を滅ぼそうとしていた訳ではないはずだ。
羨ましいと思うことはあっても、自分と同じようにはなって欲しくない、そういう気持ちが奥底にあると信じている。
知らない間に彼等は厄災を振り撒いていた。しかし、彼等は悪くない。こんなにも物語を歪めてしまった元凶がいたから、彼等は死ぬ間際に後悔し、己の悲劇を呪ってしまったから厄災は起こり、彼等の心は利用された。
「終わらせるんです。苦しいのも、辛いのも、全部私達で終わりにしましょう」
その瞳は人の希望を信じていた。呪いへと変化した人の心、その奥底にあるものを信じて、微笑んだ。
「柱が―――」
一面平坦で純白の世界、距離というものが正確に分からない以上、遠い場所と言う他無いのだが、そこより空へ昇っていた黒い柱に異変が生じる。
渦巻く黒き怨念は色を変えて、燃え盛る炎へと変わる。人の心を揺さぶり、「まだ諦めるな」と鼓舞するように燃え盛る炎の柱。
「彼女らしい答えだ。僕が見せた記憶、自らの目で見てきたものを使って、最善かつ最高の答えを導き出した」
最早、彼女に呪いは要らず。ただ人の持つ希望というものを信じてそれを発動させる。
『地を見下ろし、空を見上げよ』
「これから起きるのは正真正銘、奇跡と呼ばれる事象だ。既に確定された未来からの脱却、予言者がこの地に残していった巻物のどれにも描かれていなかった物語の結末をこれから始めよう」
『私は全てを否定する。奪われた魂は在るべき場所へ、遥か昔に失われた命に再び安らぎを』
白天を穿つ炎により空に亀裂が生まれ、何も無かった白い世界に色が溢れていく。
「人の手が届かぬ創生より存在した生命の檻。汚れた現世から切り離された場所だからこそ、ここは白に包まれていた」
一度無理矢理こじ開けられた門が再び人の手によって開かれ、純白の世界が虹色に包まれる。
汚れ無き世界を守るために不純物を吐き出そうと空間は脈動し、外への排出が始まる。
「主無きこの汚れの無い世界は、生命の檻に予めプログラミングされていた復元機能により汚れた世界との断絶を始める。肉体と共にここに集められた魂を外へ吐き出し、既に肉体を持たぬ魂はアマテラスが回収、別の器を用意するか新たな形として転生の輪へ導くだろう」
「...けど、お前は違うんだろう」
「そうさ。君の前に現れたのは他でもない、この後の為だ。君の体がもう使い物にならないくらいボロボロになっていると知っていてもこんなことを頼む僕を許してくれ。けど、これは君にしか託せない」
次第に魂が現世へ帰っていく中、英雄ネヴ・スルミルはアカツキへ協力を願い出た。
終わりに向かう物語を悲劇で終わらせない為に。