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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
170/185

<私と誰かの願い>

幸せというものは当たり前のようで、当たり前ではない。


幸せというプールに浸かっている間はそれを当たり前だと思うけれど、いざ外に出るとなるとそこはどうしようもない暗闇だ。


そして、幸せな時間というものは一瞬の内に過ぎ去っていく。後になって思えば、それがどれだけ貴重で、尊くて、もう手に入らない時間だということも知らずに幸せを噛み締めることなく怠惰に過ごす。


辛い時間はとても長い。それが幸せな時間と辛い時間が同じでも、私にとって辛い時間はとても長く感じてしまう。


―――今だってそうだ。


好きな人すら満足に守れず、私に守るための力をくれた恩人の苦しみを理解してあげることも出来なかった。


この命に価値はあるのか。


その問いに答えるとしたら答えは否だ。


何も守れなかったこの命に価値なんてものあるはずがない。大事な人は死んでしまった。母さんが託していった弟もどこに居るか分からない。


それでも、代々継がれてきた巫女という役割に徹しなければならない。今更この責務から逃れて、一人でのうのうと生きていこうとはとてもではないが思えない。


───だって、この命は今まで巫女を務めてきた人々の上に成り立っているのだから。

母さんだって立派に責務は果たした。それなのに私だけが今更生き延びようとして良いわけがない。


―――この繋がりをここで絶つわけにはいかないのだ。


暗闇の意識の底で目を開く。


この都市は悲劇を繰り返す。そうすることでしか生き延びられなかった世界だ。


いつからだろう。あんなにも輝いて見えた巫女という存在が黒く淀んで見えるようになったのは。


人々に崇拝され、誰もが誉め称える巫女という存在は人の願いを一心に受け続けた。素晴らしいことだろう。きっと何よりも人に感謝されるべき人になったはずなのに。―――今は巫女というものが酷く醜く思えてくる。


母さんが居て、好きな人が居て、弟が居て。ただの少女であった頃の方が世界が綺麗に見えた。何も知らないままで良かった。


それでも運命というものは私に絶望と希望を背負わせた。一つのかけがえのないものを引き換えに、憧れていたものを私に与えた。


「......」


今、外ではカルヴァリア・スルミルという原初の災厄が暴れている。過去と現在、未来に至るまで呪いを振り撒く信仰都市が生み出した世界の異物。


「母さんなら...。―――あの人ならきっと」


暗闇の中で、一つの道を探る。この闇に飲まれた牢獄の中から出るための道を。


一歩、足が動いた。ゆっくり進んでいた歩幅が次第に早く、大きくなる。やがて駆け足になり、何もない暗闇を必死に走っていく。


「はぁ...はぁ、はぁ」


出口は見えない。それでもがむしゃらに走って、走って、終わりの見えない道を駆け抜けていく。


―――遠くに見覚えのある景色が見えた。


今はもう崩れて無くなってしまった帰る場所だ。代々巫女が住み、人々の平和を願ってきた社。


『雫』


走っていく雫を止める声が聞こえた。五年という短い月日の中で雫に多くの思い出と幸せを与えてくれた人の声がその歩みを止めさせた。


「お母...さん?」


もう会えないと思っていた。優しいけれど、怒ると少しだけ怖くなる人の声音の方へ振り向いてしまう。


そこにはやはり暗闇だけがあり、声だけが聞こえてくる。


『戻っても良いのよ。貴女がそこへ辿り着く必要はないの。ここで諦めて、全てが終わるまで寝ていても、誰も貴女のことを責めない』


「...でも、私が行かなきゃ」


全てが無駄になる。今まで犠牲になってきた命に意味が無くなってしまう。この都市を守るための巫女だ。


その役割を放棄する。そんなことが許されていい筈がない。だけど...。


「お母さんが、そう言うなら。良いのかなぁ」


───気付けば両の手は幼子のように小さく、私は見上げるようにその人を見つめていた。

甘くて、優しくて、決断を鈍らせる声に私は立ち止まり、そこで座り込む。


『えぇ。それでいいの。もう休みなさい』


...そう、だよね。私、頑張ったもんね。お母さんがそう言うなら、良いんだよね?


全てを諦めて瞳を閉じる。そこに浮かぶのは辛く苦しい日々、赤と黒に染まる記憶が目まぐるしく移り変わり───私は、そこで笑う家族の姿を見た。


「......あぁ、そうだ」


その光景を最後に少女は重い瞼を持ち上げて、立ち上がる。

そうして、それまで立ち止まっていた足があと数歩進んだ先にある神社へ向け、再び動き出す。


「やっぱりね、諦められないや。お母さんや、おばあちゃん、その前に居たたくさんの巫女に意味を持たせなきゃいけない。たとえ終わってしまうとしても───私だけは信仰都市の味方であり続ける」


その先に待ち受けるのが明確な破滅だと分かっていても、運命に仕組まれた終わりを受け入れて、私はそこへ辿り着く。


『......本当に、良いのね?』


「うん」


これ以上話してしまうと戻ってしまいたくなる。また立ち止まって、今度こそ進めなくなってしまう。


『―――行ってらっしゃい』


そんな私の心は見透かされていたのだろうか。もう止まることが無いように、私がしたいことを出来るように後ろから後押ししてくれる言葉があった。


決して行かせたくはない筈だ。ここでずっと話して居たかったのは雫と同じだった筈だ。それでも、たった一人の愛娘へ向けた言葉はそれとは真逆の前へ進ませるためのもの。


「――――――行ってきます」


少女は全てを受け入れ、始まりの社へ到達する。


無数に立ち並ぶ鳥居と咲き誇る真っ赤な桜、見覚えのある景色だがここは明らかに雫の知っている場所ではない。


帰るべき家があった場所にポツンとある小さな社。


その社の前で雫を待っていたのは狐の面を着けた一人の少女だった。


「アマテラス...?」


『.........』


少女はその問いに答えない。ただ誰かをそこで永遠に待っているだけだ。言葉も、感情も、心すらもどこかに置き去りにして迎えに来てくれる誰かを待ち続ける。


「...そっか。一人ぼっちなんだね」


『.........』


アマテラスがこの世界に来る以前の姿、なのだろう。彼女すらも忘れ去ってしまった遠い景色と約束。


「ここで貴女は何年待ってたの?」


『.........』


「そうなんだ。もう、覚えてないんだね」


何も聞こえてない筈だというのに、雫は少女から聞いたように話を進めていく。


「待っている人の名前は?」


『.........』


「それも、忘れちゃったんだ」


だとしたら、彼女はこの先に待ち受ける終わりを知らない。誰からも忘れ去られ、一人寂しく泣きながらこの世界から消えてしまうという絶望の未来を。


「もう、待たなくていいんだよ。きっと貴女の待っている人は永遠に来ない。だから」


雫は少女へ向けて手を伸ばす。ここで消えていくことのないように、一人ぼっちにならなくても済むように。  


「───私と一緒に行こう」


少女は最初、恐れるようにその手を振り払おうとしたが、雫の悲しげに微笑む姿を見て、差し出された手に小さな手を重ねる。


そして───顔に張り付いていた狐の面が割れ、その素顔が明らかになる。


「それが、君の本当の顔なんだね」


アマテラスという神様が雫達の住む世界で再構成される以前の本当の素顔、雫だけが知る本当の姿だ。


アマテラスという神様が雫達の住む世界で再構成される以前の本当の素顔、雫だけが知る本当の姿だ。


「大丈夫、怖くないから」


震える少女の体を抱き締める。割れた狐の面が地面に落ち、満開だった桜が一気に散っていく。無数に存在した鳥居は形を崩し、世界が一ヶ所へ集められていく。


景色と共に崩壊していく世界、全てが吸収され最後に残ったのは雫と少女の姿をした名もない神と、雫の前に用意された色鮮やかで小さな球体だった。


アマテラスが雫の中から生命の檻へ向かった際、知識と力を残していったものの集合体。かつて神と融合し、人の域を越えた力と知恵を手に入れた初代巫女、彼女とはまた違う力を雫は手にいれようとしていた。


「ここは終着点。悲劇を積み重ね、世界の理から長い間外れてきた都市だからこそ生まれた存在してはいけない力。人から神へ至る道の一つ、だよね」


雫の問いかけに少女は無言で頷き、雫と繋いでいた手を離して世界の結晶へ向かう。


それは予めプログラムされた行動なのか、彼女の意思なのかは分からない。世界の集合体である球体に触れた少女の体は溶け、混ざりあい、不完全だった力の形は完成された力へ昇華する。


純白の結晶へと色と形を変えた物質へ手を伸ばし、遂に雫は辿り着く。人間が決して至ってはいけない禁忌、―――人から神へ至るという現存する神々への冒涜の象徴。


目の眩むような虹色に輝く光に包み込まれ、雫の意識は現実世界へと引き戻され。


―――覚醒する。


「――――――!」


最初に異変に気付いたのはカルヴァリア・スルミルだった。無尽蔵に沸き続ける怨霊を宿した兵士達を凪ぎ払うリアから目を反らしてしまう程に感じた天敵の気配。


「まずいな。これは想定していなかった」


リアが前線で戦っている中、負傷していた雫の側に居た観測者が次いでその異変に気付く。


一度も見たことのない光景、体験したことのない事象だった。


信仰都市が再度空間ごと揺れ、彼方で白く輝く光の柱が消滅し、────次にその光の柱が出現したのは雫の真下だ。


近くに居た観測者はウーラの手を引っ張り、躊躇うことなく空間の転移を行った。


「―――リア!!離れろ!!」


光の柱が完全に出現してしまえば雫の周囲に存在する命は光に飲み込まれ、消滅してしまう。それを危惧した観測者は直ぐに光の柱が現れる範囲から離脱し、リアに向かって叫ぶ。


その声を聞いたリアは一方向に居る敵へ向けて天雷を連続で放ち、僅かに開いた隙間を縫って、その場から離脱した。


「何が起きたの」


観測者の下へ歩きながら今起きている事態についての説明を求めるが彼は険しい顔で光に飲み込まれた雫の体があった場所を凝視していた。


「今まで...一度も観測されなかったことだ。光の柱は都市の始まりと終わりにのみ姿を現し、一度観測した場所から移動することは無かった。それに人の意思が介入できる余地など、あるはずがない」


「当たり前ですよ。あれ(光の柱)は神の意思。人間にどうにか出来るものじゃない、筈なんですけどね」


眼前、空高く立ち上る光の柱を見てリア達は今起きている事態をどうにか解明できないか考えていた時だった。


「―――起きてこられては面倒だ。そこで眠り続けてもらう」


光へ干渉する黒い意志があった。リア達へ割いていたリソースを全て投下し、カルヴァリアは表情のない顔で光の柱を破壊しようと動き出す。


「君はここで終われ」


カルヴァリアの周囲から出現した漆黒は光へ向かい一直線に進んでいき侵食を始めていく。


「無駄ですよ。もう貴方でも、私達でもどうしようもない」


カルヴァリアの回りから現れる闇は触れた先から僅かに表面を侵食するのみで消滅していく。呪いの元凶、原初の災厄ですら太刀打ちすることの出来ない何か。


空気を揺らしながら胎動を始める光の柱が不規則に揺れ、光は緩やかに収束していくと、光に飲み込まれた雫の体がようやく目視できるようになる。


終わりを告げる光をその身に取り込んで、遂に雫の意識は覚醒する。


長く揺れる髪は白に染まり、右目は燃え盛る炎のような赤へ、左目は終わり無き海に似た青へと色を変えていく。それと同時に雫の背後から無数の光の球体が出現し、体を覆っていく蒼と赤の炎。顔を覆い隠すように狐の面が現れると雫は動き出す。


「カルヴァリア・スルミル。この都市を狂わせ、今も悲劇を積み重ねる私達の生み出した化物。ここで一度消えてもらいます」


「その為に必要な力も持ち合わせている...か」


カルヴァリアはその身に無数の怨念と闇を纏い、手に小さなナイフを持って空中に浮いている雫を見上げる。


「先ずは下へ落ちてもらおうか」


カルヴァリアの体から暴れ出た怨霊が雫の体を横から凪ぎ払い、華奢な体が粉々になるかと思えたが、雫が手を振っただけで全てが浄化され、カルヴァリアの体を光が直撃する。


『殲滅の槍よ』


次いで放たれた光の槍が空からカルヴァリアへ向けて放たれるが、それに対抗する為に出現した闇の槍と空中でぶつかり、一瞬拮抗するかに思えたが雫の造り出した光の槍は闇を払い、カルヴァリアの体を串刺しにしていく。


槍が触れた場所からカルヴァリアの体は光と混ざりあっていく。


「ここにいる僕を消滅させたところで何も変わらないよ。君だけが消耗し、僕は安全な場所で...」


「―――だから、どうかしたんですか?」


再度生み出された光の槍がカルヴァリアの腕を貫き、足を一本もぎ取り、心臓を穿っていく。止めに頭部へ直撃した槍をその男は素手で抜き、地面に投げ捨てる。


「意味がない。君が今まで歩んできた人生と同じく、ここで僕の分身を消滅させることに意味はないんだよ」


「私達の敵を排除するのに理由なんていりませんよ」


雫が放った言葉と共に頭上から降り注ぐ蒼い雷が幾度も思念体で構成されたカルヴァリアの体を焼き焦がしていく。実体化を解いても魂そのものを焼き焦がす裁きの雷はやがて止み、残ったのは不完全な状態で再生を続けるカルヴァリアの肉体だった。


「外敵は倒します」


「は―――。倒すではなく殺すだろう。今更取り繕う必要はない。君はこの都市の願いを一心に受け、自分の意思に見立てた他者の願望を叶えるだけの存在になった。神と呼ぶにはあまりに不出来な君がどうなるのか。―――楽しみにしてるよ」


カルヴァリアの最後の言葉を聞き届けて雫はその頭部を踏み砕き、リア達の下へ振り返る。―――そして。


「―――これは、何の冗談かしら」


何の突拍子もなくリアの隣に立っていたウーラの首を切り落とさんとカルヴァリアが持っていたナイフを振るう。それをリアは剣で弾き、雫に相対する。


「退いてください。その人は教団の人間ですよね。大昔から侵攻を繰り返しては人々の心に大きな傷跡を残していった悪魔達、―――私達の敵ですよ?」


「その()()の基準が信仰都市に変わっていますね。貴女、この都市の人間を許さないんじゃなかったんですか」


「ウーラ、あまり刺激しないで。雫と敵対する理由は無いわ」


「いいえ。彼女は体と共に心も大きく変わってしまった。カルヴァリアの言うとおり、自分の意思を持たぬ操り人形。少なかれ憎んでいた人間達を急に庇護するのはおかしいと思いませんか」


リアがウーラの前に立ち塞がることで、雫の動きを止めることが出来たが、彼女がその気になり、仮に戦いになるようなことがあれば誰かを守りながら戦うのはいくらリアとて不可能だ。


―――それほどまでに雫という存在は人からかけ離れてしまった。


「今まで積み上げられてきた巫女の犠牲が意味のないものにならないように、私は巫女を継ぎ、この都市の人間を守る。―――その為なら、手段は問いません」


雫を起点として広がる無数の桜並木、その色はまるで血のように赤く染まり、地面に落ちると瞬く間に腐食し、新たな新芽を覗かせて、新しい桜の木となる。


突如として広がったその異質な光景にリアが剣を構え、ウーラは糸で縫われた右目を開き、金色の瞳で真っ直ぐに雫を捉える。


「空間と新しい法則の創造。...そういうことか」


観測者はこの事態に気付き、雫やこの都市の人間達が崇めてきたアマテラスという神の危険性を再度認識する。


「名も残らぬ程の小さな神。人々の記憶から消え去り、消滅してまう程に小さな神格だった神が流れ着いた先で大勢の人間から信仰されてもその力はたかが知れていると思っていたが...。誤算だった」


数多の事象を観測し、この世界ではない世界を見てきた観測者は遂にこの都市が降ろした神の本質に辿り着いた。


「何者でもなかった。それはつまり―――()()()()()()()ということらしい」


元よりどのような神様か決まっているものを喚ぶのではなく、何も持たない名も無き神を呼び寄せることでネヴ・スルミルはまさに自分達の神を造り出したのだ。


「奴を構成するのは神という言葉から連想されるイメージとこの都市の人々が願った神というものの空想だ。千変万化する力と神格を雫は得た」


人の想像が雫が持つ神の形を永遠に増加させ続ける。創生神、空間、時間、記憶、運命、今までこの都市が描いてきたアマテラスという神のイメージは形となり、雫の力となる。


「だが、それもこの都市だけの限定的なもの。しかし、逆に言ってしまえば」


全てに干渉が働く。雫の力は時と記憶に作用し、ウーラという存在を跡形もなく消し去る為に振るわれる。


時間が停止し、リアの記憶が一瞬の内に塗り替えられ、隣に立つ女へ咄嗟に視線を向け、鞘から抜き放たれた白刃が咄嗟に回避行動をしたにも関わらずウーラの頬を僅かに切り裂いた。


「―――この都市で雫に敵うものは存在しない」


だが、彼は覚えている。雫の干渉に物ともせず、今の停止した時間を覚えており、ウーラのことを覚えている。


「遥か彼方より観測する者。貴方に彼女の力は及ばないと考えても?」


「いいや、私にも間違いなく記憶の干渉は行われた。だが、力を使いこなすには時期尚早だったようだ。あまりにも補完が歪だったからそれが塗り替えられた記憶と気付き、本来起こっていた過去の観測を行った」


「観測者、彼女から離れなさい。その女は私達の敵...。私のゆう...を...」


観測者の言った言葉通り、あくまでも表面をなぞったに過ぎない記憶の補完の歪さに気づいたリアは頭を押さえ、その違和感を取り払おうとする。


「がう。―――違う。この記憶は私のじゃない...」


「どうやら記憶の改竄も今はそれほど驚異にはならないらしい。だとすればやることは一つだ」


雫はリアを操り、ウーラを殺そうとしたがそれも失敗し、記憶に干渉することの不確定さを理解する。そうして次の行動に移り。


「――――――ッ!!」


ウーラを殺すために光の刃が迫る。迫り来る雫をリアが押さえ込み、隙の出来た腹部にウーラは蹴りを食らわせる。


少女の体は少しの間空中に投げ出され、やがて何度かバウンドした後に地面の上を転がっていく。


「...攻撃した方がダメージを受けるなんて思いませんでした」


だが、ウーラの蹴りは雫に傷一つつけることは出来ず、逆に雫に触れた足の皮膚が剥がれ、あり得ない方向へ曲がり、骨が肉から突出していた。


「直接触れたらこの有り様、かといって魔法も効かず、おそらく聖法も彼女の呪術で相殺される。まだ神の力に慣れていない今なら何とか出来るか...ですね」


「戦う以外に選択肢は無いの?」


「私を見捨てれば助かりますよ。彼女が殺したいのは教会の人間である私であって、その邪魔をするから貴女達も狙われるんです」


雫が退くということは今の状況と先程の行動からして有り得ない。ウーラを敵、と判断した時点で殺すまで止まることは無いだろう。


「まずい。空間が広がる」


雫が創造した桜が咲き誇る世界、彼女だけが有利になる空間は桜の木の増殖に伴って次第に広がっていく。


「何に出会ったか知らないが、雫。お前は本当に自分の意思で動いているのか」


「勿論ですよ。私は私の意思でその人を殺します。その人と同じ服を着た人間が街に居た人達を化物に変えました。私の同胞を奪った教会を私は許さない」


「いいや。その怒りは本物ではない。お前は正直この都市の人間がどうなっても良かった筈だ。何も知らなかった、操られていただけだとしても、母を奪った民衆をお前は心のどこかで憎んでいた。だが、彼等も被害者であり、その憎しみをぶつけることは出来ない。ただ、流れに任せて、何も考えずにお前は行動しただけで救いたいなんて思ったことは無いだろう」


「違う」


雫の心を見透かすかのような観測者の発言に雫は一抹の怒りを覚え、蒼い炎を体に纏い始める。


「―――お前は諦めたんだ。答えを出すことが出来ず、思考に蓋をした。役割に没頭し、今までの()()()()()()行動した方が楽だったから。行き場のない怒りも苦しみも、それで誤魔化せるからな」


「――――――違う!!」


雫の怒りに同調して蒼い炎はその熱量を増していく。観測者を否定する叫び声と共に、雫の頭上に出現した光の輪から光弾が放たれるが、その全てをリアが切り落とし、空中で光の粒子となり―――。


霧散した光の粒子は再び形を得る。その形状を槍と剣へ変え、振り下ろされる光と貫く光が観測者へ迫る。


「私は私の意思でこうなることを選んだ!!もう戻らないお母さんやおばあちゃん、それよりもずっとずっと前からこの都市で犠牲になってきた人達に意味を与え続けるために!!」


「いいや、お前はその命の本当の意味を知っている。いつか来る終わりの日、宿命から解放されるその時まで彼女達は犠牲を許容する。いつか来る悲願の日、大厄災にて滅ぶ結末を誰よりも望んでいたのはお前(巫女)だった筈だ!!」


「―――な、んで」


この男は何を知っている。どこまで知っている。その役目を引き継いだ者しか知らない残酷な真実をあたかも聞いたように語る。


誰よりも終わりを望んでいたのはこの都市を守るべき巫女であり、その役目を引き継いだ者達は皆、いつか来る終末まで役目を続けてきた。


「この都市を真の意味で終わらせるには巫女という存在が不可欠だ。絶対権限を持ってしても終末の柱を呼び出すのが限界であり、この都市そのものとも言えるアマテラスとその理解者であり、協力者である巫女の同意によってこの都市は終わりを迎える。そうだろう?」


「終わって...欲しくない。だって、ここには私達の思い出がある。たとえ、心が終わりを望んでも、――――――私はそんなこと望まない!!」


この巫女という役割が酷く歪で空っぽなものだと歴代の巫女達は薄々気付いていた。ネヴ・スルミルという男の言う巫女継承の儀式がもしかしたら本来必要ではないものだということも。


それでも彼女達は騙され、何も知らない振りをしてきた。何故なら、遠い未来、もしくは近い未来、この都市に起こる大厄災、そこまで巫女という存在を存続させなければいけなかったからだ。


仮にもこの都市を統括し、この都市そのものとも言える神を内包する人間が神器を模しただけの人器程度に遅れを取る筈がない。


この記憶が本物でないことも気付いていた。ただ、彼女達は知らない振りをしている内に、本当に知らないと思うようになってしまっていた。


だが、それでもその想いだけは引き継がれてきた。巫女だけが知り、暗黙の了解として誰にも打ち明けることのない力と共に引き継がれてきた破滅への憧れ。


「お前は今、飲まれかけている。アマテラスと英雄ネヴ・スルミルとの約束、巫女としての役割、自分自身の本当の思い、それらが混ざりあい、矛盾し、心に亀裂が生まれている。―――自我を保つのもやっとだろう?」


「私は...本物。この気持ちも、願いも、誰かのものじゃない。私だけの...私しか知らない願い」


運命は彼女を壊れる寸前まで追い詰めた。


人が死ぬのも、それで涙が流れるのも、弟が居なくなってしまうことも、―――大好きな人が死んでしまったことも、()()()()()()()として、受け入れ、先程観測者が言っていたように妥協していた。


だから、全部受け入れられてしまっていた。本来なら受け入れなくてもいいものまで、仕方のないことだと飲み込み、自身だけで気持ちを完結させてきたから、彼女は混ざり、連なり、重なって、飲み込まれていく。


光の剣と槍は観測者へ到達する前に消滅し、半狂乱に陥りつつある雫と、その心に生じた亀裂が彼女の纏う炎と光を徐々に衰退させていく。


「私は、守る。私は、奪う。約束だから、もう。会えない。私は雫、私はしず...私は、わたし、わ、わ。た、しわ...だれ...ぇ?」


「雫ちゃん...?」


「自身がどれだけ矛盾しているかすら気づかず、他人の理想を自身の悲願とし、真の想いすら仮初めの想いに塗り替えられる。それこそ悲劇だろう」


観測者との対話は雫に矛盾を気付かせ、その在り方がいかに歪であるかも気付かせた。


「―――お前は何を願う」


「...わた...しは」


雫の体から一度は弱々しく消えた蒼の炎が再度燃え上がり、敵対の意思を固めたかと思いリアが剣を構えたが、彼女は戦うのではなく逃げることで答えを出すことからも逃げ出した。


「雫ちゃん!!」


「よせ。戦わないことを望んだのはこちらもあちらも同じ。自己の矛盾に気付きながらも、信仰都市の味方であることを選んだ。もう一度会えば戦いになるのは必至だ」


――――――空間を渡る。


私は逃げた。あの人と話すのが怖くて、自分の決めたことが自分の決めたことじゃない気がして。


―――気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


でも、まだ止まらない。もう守るべき人達はこの都市には居ないというのに、何故か戻ってくるという確信を抱いて私は彼等の帰りを待ち続ける。

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