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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
169/185

<終わりの先>

静寂な街、この場に居る二人を除いて誰一人として居なくなってしまったであろう信仰都市にある小さな街のとある古びた家。


そこではアマテラスの力を借りた雫によって、魂の回収から逃れたガルナが彼女に介抱されていた。


「傷は大丈夫ですか?」


「あぁ。出血もしていない。お前のおかげだ」


「良かった...。私だけでも何とか出来て」


出血も止まり、傷も雫の手によって殆んど塞がれ、多少の痛みはあるものの動く分には問題ない程に回復したガルナは窓越しから外の景色を見る。


空に燦々と輝く太陽を囲んでいる無数の赤黒い円、太陽の光は血のように赤くなり大地へと降り注がれている。


「やはり何度呼んでも反応はないのか」


「はい。普段活動できない日中でも反応をしないというのは無かったのに今は何を言っても反応が無くて...。それに力は残っているんですが、アマテラスの気配が全くしないんです」


「アマテラスは何らかの理由で本来出ることの出来なかった巫女の器から出ていった。そう考えるのが妥当だろうな。行き先は...察しがつくか」


この異常事態に雫の呼び掛けに答えないというのは、雫の中から外へ出ていったということの証明だと言っていい。ダオの儀式にかつてアマテラスが使用していた御神体が使われることも含めれば行き先は魂が集う場所。


「創生より存在する汚れ無き場所。魂の行き着く終着点にして生命の檻。既にその役割をアマテラスに委譲されていることから、こちら側からの干渉は不可能だと思ったが、そんな場所に至る為の奇跡...か」


そこはまさに神の領域だろう。人では到達出来ないと思われていた創生より存在する異空間に辿り着き、果てには人が至ってはいけない禁断の極致。死者蘇生までを行うというのだ、まさに奇跡と呼んでいいだろう。


「もう一度確認するが、凌ぐ手段はあってもあちら側に向かうための方法は無いんだな」


「アマテラスの記憶通りならあそこは生きたままの人間が立ち入っていい場所ではありません。魂が集められる際、その存在を光へと変換したのも生命の檻に辿り着く為かと」


「ふん。光にしてしまえば汚れなどないか。単純だな」


「人の意思で行けるような場所じゃありませんから。そういった裏道を考える事までしなかったんでしょう」


アマテラスの存在が雫の中から消えたと思われるその時から、雫には神としての力と蓄え続けられてきた記憶が譲渡された。


「...もう不必要になったから私に託したんでしょうか。だとしたら、アマテラスは―――」


「消滅することを選んだんだろう。それが正しいと信じてな」


リアから僅かに聞いていた話ではアマテラスは信仰都市に住まう人の願いを叶えるための願望機と自身の事を評価していた。


信仰都市の神様なのだから人の願いを聞き、それを叶えることこそ人に寄り添っているということであり、過去に名を与えてくれた人との約束を果たしていると彼女は思い込んでいる。


「人の醜さを知って尚道具であることを望む。そうせざるを得ない理由があいつなりにあったということだろう。その場に立ち会った俺達では分からない約束、それがあいつを縛っている」


「クレアさんからの言伝てで約束なんて反故にしても構わないって言われてるのに...」


「人の望みを叶えるための道具として在り続けることで待っているのは死者蘇生の儀式の鍵となることによる存在の消滅。それを知っていてもあいつが向かったということは―――もうやめてしまいたいんだろう」


アマテラスはもう十分に役目を果たした。何十、何百年と過ごしてきて人の醜さも、運命というものの残酷さも散々見てきた。


別れも何度も体験し、見ることしか出来ない辛さも時には味わった。


「どうにかなっていてもおかしくはない。永遠を過ごし、別れを繰り返し、悲劇だけを見てきた。それでも神として君臨し続けてきたのはその約束があったから。それすらも無くなってしまったら何も残っていない。こんなところだろう」


「だからって死のうなんて...!!」


「悠久を過ごし、あいつを置き去りにしていくことしか出来ない俺達にあいつの本当の苦悩が分かる筈が無いだろう。俺が今言ったことなんて敵わないくらいにあいつは悩んでいた。苦しんでいた。――――――アマテラスの昔を知っているお前なら分かるだろう」


彼の言葉は正しい。まだ信仰都市と呼ばれる以前、英雄ネヴ・スルミルが生きていた頃のアマテラスは笑っていることもあれば、悲しんでいることもあった。


しかし、今のアマテラスにはそれらの感情が無い。───見たことが無い。機械的に巫女の中で永久を過ごし、外敵からこの都市を守り続けてきた。


もう、今のアマテラスは笑えないし、悲しむことも出来ない。


―――最後に笑ったのが何時だったのか、私ですら覚えていないのだから。


「私を呼び出したということは、準備は終わったのか」


一面真っ白な何もない空間、下を見下ろせば無理矢理ここへ連れてこられた人間達が慌てふためている。ということはここは術者と儀式発動に必要な存在のみが集められるここ、生命の檻の核ということだろう。


「あぁ。もう魂の回収は完了した。やはり、雫は守ってくれたのだね」


「私はお前と共犯者になることを選んだ。お前が役目を果たしたのなら、お前の頼みを叶えるのも当然じゃろう」


「最後まで人間の我が儘に付き合って、お前は本当にいいのかい」


そこにかつての妄執に取り憑かれた男は居らず、赤子を見守るように見つめる老人が立っていた。


「...正直に言うと全部どうでも良かったのだ。ネヴと死に別れ、拾った子供すら満足に幸せにしてやれなかった。あの二人が死んでから求められるがまま、望まれるがままに人の願いを叶えてきた。死ねる理由が見つかるまで私は永遠を生きる。そうしてようやくお前と出会い、この計画を知った」


ダオという人間は多くの人間から見れば悪そのものだ。自分の望みを叶えるためなら禁忌を犯し、数多の命を差し出す。祭司という役割とは正反対の民を破滅に導く悪魔のような所業をやってのけた。


「しかしな、私にはお前が悪には見えないのじゃ。ただ純粋に妻と娘を甦らせ、平和に幸せに生きていて欲しいと願うお前のことを私は憎めなかった。―――別れというものの辛さを私も知っているからな」


甦るのはダオが予め決めていた妻と娘、その護衛として先に死なせておいたウルペース。もちろんそれだけでは甦る命と失われる命の天秤は合わない。


「残った命はアマテラス、お前に任せよう。甦らせたい命があるのだろう。英雄を甦らせるにはそれ相応の魂が必要になるが、ネヴ・スルミルの肉体もこちらに連れてきてあるし、魂の数もある。お前が望みさえすればあの男の魂を引き剥がして地上で目覚めさせることも可能だろう」


「......」


「あいつは怒るだろうな。シズクもきっと喜ばない筈じゃ。―――それでも」


再びあの二人が甦り、幸せに暮らし、多くの親しい人間に囲まれながら寿命で死ぬ。その空想が叶うのなら願わずには居られない。


「幸せになる権利を剥奪された私の家族が幸せになれる可能性があるのなら、私は喜んでこの命をお前に差し出そう。神としてのプライドなんてものも、人の道具として終わることに何の躊躇いも無い」


アマテラスという空っぽの存在に最後に意味を与えてくれることを感謝はしようとも、彼を憎むことは決してない。


始まりからして間違っていた物語だ。悲劇に始まり、悲劇に終わる。そんなのは当たり前だろう。


最後に救いがあるのはダオと私だけだが、その他の人間にとって悲劇であることに変わりはない。どうか憎んでほしい。許さないでほしい。―――どうか、終わりゆくその時まで私のことを呪っていて欲しい。



......。


「――――――ぁ」


地上に残っていた雫が何かの異変を感じ取ったのか胸を押さえて苦しそうにする。


「始まったか」


「は...い。アマテラスとお祖父様が絶対権限を使って魂の呼び出しと上書きを始めようとしています」


「絶対権限、本当の意味でこの都市を終わらせるつもりらしい」


ガルナが立ち上がり、閉じていたカーテンを再び開くと信仰都市の北側に位置する小さな村から立ち上る白い光の柱が目に移る。


「都市の時間、空間を統括し、女神が定めた法則を繋ぎ止めるもの。神より72都市全てに与えられた都市を支える光の柱。一度目は始まりを、二度目は終わりを告げる光の塔、か」


「ガルナさんは、あれを知っているんですか」


「先代に聞いた話だがな。本当の意味で都市そのものが滅ぶときに観測されるらしい。公開されている歴史上これで5回目となる、都市の壊滅だ」


『――――――成る程、まさかとは思ったけど記録者がこんな場所に居るなんて』


「え...」


この場に居る雫ともガルナとも違う別の人間の声、外から来ることも出来ず、この都市に残った命は二人を除いて居ないというのにそれは現れた。


()()か。あまり手間取らなくて済むようだ」


「...ガルナさん」


「雫?」


声を聞いた途端に雫は顔を強張らせ、ベッドに居るガルナの手を引っ張り窓際に移動する雫。


「あれは駄目です。私でも絶対に勝てない。あんなもの、勝てる筈がない」


部屋の扉がゆっくりと開き、声の主がその姿を見せる。年季を経ているような威厳のある佇まいと、それとは対照的な若々しい青年の姿。


身体的特徴として紫色の瞳、黒く長い髪。服装だって特に奇抜という訳ではない。至って普通の青年―――に見えてしまうことが恐ろしい。


「あの人は駄目です。あんなに呪われてるのに生きてるなんて...人間じゃない」


「君が巫女か。確かに普通の人間とは違う気配も僅かに感じる。だが、繋がりが殆んど絶たれているようだ。警戒をする必要もないな」


「一億...?ううん。それ以上の人間を不幸のどん底に落としている」


「見ただけで僕を呪っている人間が分かるのか。記憶の回収だけをしに来たつもりだったけと、便利な力を持ち帰ることも出来そうだ」


男が雫に手を伸ばした瞬間、何かに弾かれたように華奢な体が吹き飛び、窓を突き抜けて少し先の民家に激突する。


「優先順位は君が上だ。僕の残した子供達の記憶の回収とは別に君が持っている記録と手帳が必要だったんだ。まさかこの都市に訪れているとは思わなかったよ」


「...お前は、まさか」


「あ、僕のこと?大体想像できてるでしょ。それで合ってると思うよ」


この事態を引き起こす元凶となった原初の災厄、信仰都市がネヴ・スルミルによって復興する以前、全盛期と呼ばれるその時にこの都市を治め、善政を敷いていたが、老いを克服するために禁忌に手を伸ばし都市の住民半分を犠牲に不老を得た男は遂に姿を現した。


「僕の名前は―――カルヴァリア・スルミル。友人だった彼の子孫を殺すのは心許ないけど」


雫を一撃で再起不能にした謎の攻撃、見えず感じず、何をされるかすらも分からぬままガルナはこの男に殺される。


首もとにある黒い石を握り締め、ガルナは遠い場所より観測をする存在に話しかける。


『お前を呼んでどうにかなるか』


『薄々気づいているだろうが、それは難しい。あの男はお前の世界の神すら殺せるかもしれない存在だ。不可能を可能にし、可能を不可能にする。世界の修正から逃れた人類の一人、私が殺す前にお前の体が持たないぞ』


『俺の体はどれくらい持つ』


『5秒だ。私も本気で行かないと消されかねない。並大抵の天使なんて比べ物にならないくらいにあの人間は強いぞ。あの娘が生きている程度には手加減している現状、不意打ちで私が出ても5秒で指一本持っていくのが限度だ』


これまでにない絶望的な対面、カルヴァリア・スルミルはそれほどまでに強く、ガルナ程度では話にならない。


だが、このまま殺されるくらいなら指の一本でも持っていった方が良いだろう。


―――予兆も動作も無かった。


ガルナが敵対の意思を固めたと同時、カルヴァリアが一瞥しただけでガルナの体は横から襲い来る衝撃に耐えきれず吹き飛ばされる。


無防備な状態で食らった一撃は内蔵を幾つか使い物にならないくらいに掻き乱し、激痛に耐えきれなくなり手放した意識を観測者が直ぐ様引き継ぎ、立ち上がる。


「おや、まだ意識が残っていましたか」


「いいや。お前の攻撃は的確だったさ。直ぐに私が出てこなければ今頃この人間は意識を失うどころか死んでいたぞ」


「―――あぁ。貴方ですか」


「久しぶり、というべきか。相変わらず臆病な人間だな、お前は」


途端に興味が失せたように息を吐いたカルヴァリアは手を差し出す。


「慎重と言って欲しいですね。僕としても観測者である貴方と戦うのは不本意です。記憶は諦めますから、手帳だけでも譲ってくれませんか」


「私としても器を酷使して消滅させたくない。本来ならばその提案に賛成したいが」


ガルナの体を借りた観測者は一歩後ろへ下がり。


「―――その必要も無くなった」


一秒にも満たない攻防、拒絶の意思を示した観測者へ向けて振るわれた不可解な攻撃は回避され、背後にあった民家が崩れ落ちる。


「巫女は回収したぞ。―――剣神」


倒壊した民家の先、立ち上る土煙の向こう側から彼女は現れた。アマテラスの力によって魂の収集から逃れた雫やガルナとは違い、―――自分の力のみで絶対の法則を真正面から打ち破った人間、否。───剣神リア・アスバトロアは真っ直ぐと原初の災厄を捉えた。


「―――ようやく見つけた。幾億の人を苦しめ、運命を狂わせてきた正真正銘の()。誰の為でもなく、自身のエゴの為に、自分だけのことを考えて人を悲劇に落とし続ける世界の異物。―――カルヴァリア・スルミル、その命で持って、今まで犠牲にしてきた人達に償ってもらうわ」


「全く...。ついていないな。観測者が居たと思えば次は君か。故郷を捨て、最愛の弟子すら見限ってのご登場だね。リア・アスバトロア」


「予言通りなら雫やネオ、クロバネを除いた私達が二人になることがきっかけで貴方は現れるはずだったのだけれど、まさか予言通りにならないことかあるだなんてね」


「あの老人か。彼の予言には今までも困らされてきてね。僕の用意した実験場に良からぬものまで伝えて、こっちも困っているんだ」


リアに予言を残し、死という名称でカルヴァリアの登場する場面を知らせた大予言者、その内容が些か違っていたとしても『二人になるな』というキーワードがあったからこそリアは常に盤面を見続けてきた。


アカツキ達は生命の檻に、この都市に残った命はガルナと雫の二人のみ、これが彼の登場に繋がるのではないか、という予測をリアにさせた時点で彼の大予言者の役目は果たされた。


「弱っている内に観測者をどうにかしたかったが、君相手では分が悪い。―――あまり手加減はしてやれそうにない」


青年の纏っていた平凡な雰囲気が一変し、底の見えぬ黒が青年の体から立ち上る。それはやがて形を取り、巨大な女の姿となると青年は命令を下す。


「亡霊、僕の仕事が終わるまであの女を引き留めていてくれ」


「――――――」


返答はない。命令を下されればそれは否応なく彼女の体を動かす。否定も肯定もどうでもいい。彼の言うことは絶対なのだから。


女の体が割れ、空中で赤子となった亡霊は眼前で剣を抜いたリアに向かい吹き飛んでいく。移動中に赤子の顔は捻れ、槍のような形状に変化するがその光景を見ても何とも思わないのか、リアは無表情で切り捨てる。


『100』


赤子が切り捨てられると同時にカウントダウンをするおぞましい男の声が聞こえる。次々と飛んでくる赤子を避けるとぶつかった先が空間ごと削り取られ、切り捨てる毎にカウントが進んでいく。


『74』


進んでいくカウント、それに躊躇うことなく避けることの出来ない赤子の突進にのみリアは剣を振るう。


「さて、時間が無くなった。君とのお喋りもしてやれない。その体と手帳、抱いている巫女の体を明け渡して欲しい。そうすれば苦しまずに消滅させてあげよう」


「従う筈がないだろう」


「だろうね」


振るわれるのは観測者の力を器が壊れないギリギリまで高めてようやく観測できる程度の黒い点、それが先程雫を戦闘不能にさせガルナの体内をスクランブルエッグにした一撃だ。


意識のない雫の体を抱えながら空高く跳躍し、迫り来る死から回避した観測者、だがカルヴァリアが視線を上に上げた瞬間、空間を引き裂きながら紫色に光る柱がガルナの体を捉えた。


寸での所で空間転移を発動させ、地面に降り立った観測者にカルヴァリアは溜め息を溢す。


「彼では完璧に扱うことの出来なかった空間転移をそこまでの精度で使用されるとどの攻撃も意味を成さなくなる。だけど、後何回それを使えますかね?」


「いいや、この一回で十分だったさ。時間は十分に稼がせて貰った」


一分足らずの攻防、その間にリアは迫り来る怨霊を打破し、ガルナの体を奪おうとするカルヴァリアの前に立ちはだかった。


「死のカウントを100にしたというのにまだ死んでいませんか。本当に人間かどうか怪しくなってきますね」


「お前の外道ぶりに今更とやかく言うつもりはない。生きている人間の魂をいともたやすく兵器として使うことも、―――興味ない」


その言葉とは裏腹にリアの静かな怒りは辺りの温度を急激に低下させ、大地が見る間に凍っていく。


「おぉ、怖い怖い。少し趣向を凝らしすぎましたか」


リアの足止めとして現れた女の姿をした怨霊。最初は一つだったその体も分裂し赤子の姿となりリアに襲い掛かったが、その一つ一つに魂はあった。


―――それも、生きた人間の魂が。


「貯蔵した魂が少し多かったので消費しておきたかったんですよ。でもまぁ、死ねたならいいんじゃないですか?」


「......」


許すべきではない。許されるべきではない。―――この男は、死んで当然だ。


「―――っと。危ない危ない」


どこまでも冷徹で、人の道を外れた男の命を断つべく振るわれるリアの剣。それをいとも容易く回避したカルヴァリアに逃がすものかと詰め寄るリア。


「近づきましたね?」


だが、リアの剣がカルヴァリアに直撃する寸前、剣を持っていた右腕が本来ならばあり得ない角度に曲がる。やはり何の前触れもなく起こったカルヴァリアの攻撃にリアはその顔面に蹴りを一発入れた後、直ぐ様後退する。


「気を付けろ剣神、あいつに殺されればお前の()()を持ってしても助からない可能性がある。今は冷血を維持し続けろ。あいつに対して他の心臓はあまり得策ではない」


「どこかで貴方と会ったことがあるかしら」


「いいや、一方的にこっちが知っているだけだ。兎に角、今はあいつをどうにかする方が先だろう」


「そうね。今の攻撃、何も見えなかった」


観測者と言葉を交わしながら折れ曲がった右腕をリアは元の位置に嵌めると、何度か右手を動かしてみる。


「腕は動かせるか」


「問題ないわ」


「そうか。あいつに接近するのは極力避けた方がいい。その右腕が折れたのはあいつに憑いている怨霊によるものだ。本来ならばあいつに対しての呪いだが、あいつに対して呪いは意味を持たない。だから無差別に、無作為に人を呪うものになってしまった。カルヴァリアという災厄から生じた呪い。呪いの親に呪いの子供は通用しないということだろう」


カルヴァリアを人間ではなく、観測者は災厄と呼ぶ。現れた土地を滅ぼし、新たな呪いを生み出し、世界の修正に抗った存在は最早人間と呼ぶ代物ではなく。


「あれは本物の災厄だ。姿を現せば甚大な被害をもたらす人から生じた世界の異物、一度世界の修正から逃れてしまったばかりに奴には世界の法則が通じなくなってしまった」


「そうね。あんなのが人間だなんて思いたくもない」


「―――今のは効きました。実験以外で痛みを感じるのは久方ぶりだ」


リアの蹴りを受けて遠くへ吹き飛ばされたカルヴァリアは笑みを浮かべながら現れると、何もない空へ手を伸ばし。


「僕の命令はリアを止めろだったのですが」


カルヴァリアが何かを掴んだかと思うと何も居なかったはずの空間から女性が現れ、その首もとをカルヴァリアの右手が掴んでいた。


「この世に行き場もなく、魂の集う場所へも行けない。そんな君を僕は利用してあげてるんだ、きちんと仕事はこなしてくださいね」


「―――――――――」


「抑えろ、剣神。こちら側からわざわざ近づく必要はない」


「あの女性は彼に殺され、怨霊となった。そうでしょ。殺した相手を死んだ後も勝手に縛り付けて利用するなんて...」


「だから抑えろと言っている。お前の怒りを駆り立て、誘っているのだ。今行けば死ぬぞ」


カルヴァリアに首を絞められる女性の霊は苦しげに呻き、地面へ叩き付けられる。


「形なきものに形を与える。そんなことまで出来るとはな」


咳き込む女性の髪を掴んでカルヴァリアはもう一度命令を下す。


「リア・アスバトロアを道連れにして僕の前から消えてね。それで君の役目は終わりだ」


カルヴァリアの命令は女の体に無数の魂と呪いを与え、最後の役目を果たす為の力を強制的に与える。混濁する人の魂と記憶は女性の僅かな自我を踏み砕き、意思なき怪物へと変えた。


「怨霊、行け」


カルヴァリアの言葉と共に自我を失った怨霊は暴れ出る憎しみに身を任せて立ち上がり、リアを捉えると青い瞳は白目に変わり、流れるように髪が四方へ伸び、辺りの民家を徹底的に破壊しながらリアに迫る。


「気を付けろよ、剣神。おおよそ十万の怨霊の集合体だ。まともに攻撃を食らえばお前とて危ういだろう」


近づくのは得策ではない。かといって何もしなければ罪もない人達の魂が消費されていく。


―――そんな悲劇に幕を降ろすべく、リアは剣を握る。


辺りを凍らせていた冷気は急激に熱気へと変わり、氷の大地を瞬く間に灼熱が覆っていく。


熱気を帯びた風が吹き始め、やがて荒れ狂う風となって全てを等しく熱風が包み込んでいく。


「雫ちゃんと一緒にこの街から避難して」


「...了解した」


一言、観測者に告げるとリアは迫り来る怨念を纏った髪を剣気で吹き飛ばし、空中で一度停止したのを確認するとその髪の隙間を縫って怨霊へ急接近する。


「―――今まで辛かったでしょう。ここで眠りなさい」


近距離からの光を帯びた剣の一振りは一瞬の内に女の怨念ごと浄化し、溢れ出た光は衝撃波を伴ってカルヴァリア・スルミルへ向かっていく。


「成る程。彼女の浄化と同時に僕に対しても攻撃を仕掛けてきたか。けれど、たかが剣の一振りで僕を殺そうなんて...」


『―――天雷』


カルヴァリアの言葉を遮って空を引き裂きながら神の雷が落とされる。目標はただ一ヶ所、アマテラスという神の力を借りてようやくダオが発動させることの出来る呪術はたった一度それを()()()()のリアによって再現された。


「だが、それでも甘い」


神の裁きはたった一人の男の手によっていとも容易く霧散し、空中で形を失った。


「―――いいえ。彼女は十分に役目を果たしました」


一撃、カルヴァリアの頭を突如現れた右目を糸で縫い合わせた女の蹴りが打ち砕く。首が幾度も回転し、辺りに脳汁と鮮血を撒き散らしながら男の体は床に叩き付けられる。


「念には念を、ですね」


その後、カルヴァリアの骸へ向けて教会に所属する人間のみが扱うことの出来る聖法、その中でも大司教にのみ許された聖法が発動する。


『全てを溶かす甘い海。不浄なる生命を浄化せし母の血よ』


巨大な魔法陣のような紋様が空と陸に刻まれ、ただ一人の男を徹底的に殺す為だけにそれは振るわれる。


『サンギドゥース』


リアは現れた助っ人の体を掴んで即座にその場から離れると、街の至る所からピンク色の水が溢れ、水位は急激に上昇していく。


―――はずなのだが。


「この街から離脱してください。彼をここに押し止めるには土地ごと滅ぼす必要がある」


水位は常に一定を保ち、触れた物質を融解して飲み込んでいく。


何もかもを溶かして進む桃色の水は街を囲む様に現れた陣の中でのみ流れ、その陣の外に対しては一切干渉をしていない。


「どうして戻ってきたの。貴女を監視していた教会の信者もう居ないというのに」


「教会には作戦失敗ということで報告はしてきましたよ。戻ってきたのは単純にアカツキ君の為です。カルヴァリアがこのタイミングで現れるのは大体察しがついていましたからね」


陣の外側へ退避したリアが抱えていたウーラを降ろし、次いで到着した観測者も話に加わる。


「ウーラ、神法を使ったな。いいのか、奴はともかくお前にとってはあまり良い思い出が無いだろうに」


「観測者さんでしたっけ。私、貴方と面識は無かった気がしますよ?」


初対面の相手に自身の素性が知られていることが少し気に食わないのか、ウーラは敵意の混じった瞳でガルナの体を借りた誰かを睨む。


「お前もこちらが一方的に知っているだけだ。お前の言いたいことは分かるがな」


「えぇ。昔の私について知っている人間は殆んど居ませんからね。知っている人達は基本的に私の命を狙う人ですから」


そもそも怪しさで言えば観測者を名乗る彼は飛び抜けている。


「貴方についてあまり良い噂は聞きませんよ。各地で姿を現しては、偽名を名乗り、依り代の人間の体を使い物にならなくなるまで酷使する。そんなことが殆んどですが」


「話を持ちかけるのは私だが、実際に必要とする者しか受け入れはしない。お前やあいつと同じだ。我が身を犠牲にしてでも成し遂げたい何かがある。そんな奴らに力と知恵を貸している。それだけだ」


穏やかではない雰囲気が一行の中に流れ始めるが、仮にも今は仲間としてこの場にいる以上、無駄な争いを避けたいリアは2人の間に割って入る。


「確かに彼について色々思うところはあるでしょう。けど、今はカルヴァリアのことを優先しましょう」


「...いいですよ。私はお姉ちゃんとして、彼の凶刃がアオバ君に届く前にどうにか出来ればいいので」


「私もあまり争うつもりはない。この体の持ち主に負担はかけたくないからな」


そこで一度話に区切りをつけて、リアは本題を切り出す。


「それで、カルヴァリアのことだけど。死んだと思う?」


「「死んでない」」


リアの問いに対して二人は同じ答えを出した。誰の目から見ても彼の頭は数回転し、それだけでなく、止めの一撃をまともに食らっている。


「奴を消耗させる為に神法は最適解だ。しかし、逆に言えば消耗させることしか出来ない」


「それに、殺したんですけど、殺したっていう感覚がありませんでしたから」


だとすれば今見た光景は事実に結び付かない。不老を得てはいるが、不死にまでは到達できなかった男が目の前で死んでいない方が不思議なくらいの殺され方をした。


だというのに、彼等は声を合わせてその事実を否定した。


「...ということはそろそろね」


街の中を縦横無尽に駆け巡る桃色の濁流は勢いを弱め、次第に水位を減らしていく。


建物という建物は全て融解し、流れる水と同化した。それだけに止まらず街が存在していた大地には深々と大穴が穿たれていた。


「これでも土地に極力負担をかけないようにしたんですけど、これ以上弱めてしまうと殆んど無意味でしたから」


致し方ない犠牲にしても、その土地に与えられたダメージは大きすぎた。その規模の攻撃を経て、彼が生きているとしたら。


「―――今のは痛かったよ。まさか神法をいきなり発動させるとは思わなかった」


リア達の前方、滅びた大地からどうやって生き延びたか、カルヴァリアは姿を現した。


「...あぁ、そういうことですか」


その姿を見てウーラは合点したように呟いた。


「頭部の半分および心臓部の欠損、右手は不完全な再生、足は見かけだけ。それで生きているとしたら、ここに本体はない。そうですね?」


「えぇ。まさに都市壊滅の真っ只中に飛び込む訳だから、多少のイレギュラーに備えておくのは当然だよ」


今まさに再生段階にあるカルヴァリアの体、それを見て観測者は心底つまらなさそうに呟いた。


「こいつの体は実体化した思念体だ。体を持たぬ魂を寄せ集め、形を与えたお前はその怨念の塊に自身の意識を移した。今更怨嗟の声などお前にとっては痛くも痒くもないだろう?」


先程の戦いで女の魂を十万の怨霊と複合させ、体を与えたように複数の人間の魂を継ぎ接ぎして、スペックを出来るとこまで高めた状態にし、魂という実体のないものに体を与えた。


「それを可能とするまでどれほどの命を犠牲にしてきた。臆病者のカルヴァリアよ」


「えぇ、僕が使うからには安全性第一を目標にざっと魂を千万程実験に投資し、僕の人格をコピーした人間の魂を混ぜてみた。まぁ、人格のコピーの方がもっと時間が掛かったけどね」


まるで悪びれもせずにカルヴァリアは屈託なく笑い、研究での苦労を語った。


「僕の人格をコピーしたら、一瞬で廃人になったりするんだから、とても苦労したよ。けど、苦労した甲斐は十分あった」


再生が一通り終わり、最早何も隠す必要が無くなったと判断したカルヴァリアは右手から鎧を纏った兵士を複数体生成していく。


「この虚ろな体に形を与えたのは僕だからね。実体化するもしないも僕の意思次第だ」


「そう。体が有る無しなんて今更関係ない。斬ればそこで終わりでしょう」


「まぁ、君とウーラなら魂だけの状態となった僕にダメージを与えるのは可能だ。けど、二人でどうにか出来るとでも?」


リア達の頭上、空を覆う謎の円の少し下にどす黒い雲が出現する。


そこから落ちてくるのは雨ではなく、カルヴァリアが今右手から生み出した兵士達だ。


「さて、ざっと一万。これに君達は対処できるかい」

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