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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
163/185

<奪還>

地下にいるというのに聞こえてくる、人々の泣き叫ぶ声。

それを聞きながら尚も、ダオは儀式の準備を進めるために更に奥深くへと進んでいく。その歩みに後悔も葛藤もない、───そのようなもの、とうの昔に放り捨てた。


少数のウルペースの人間と共に連れていかれる黒羽は外の惨状を想像して言葉をこぼす。


「いいのか、外では大勢の人が苦しんでいるぞ」


「どうせ終わり行く命だ。最終的に必要な数だけ命が揃っていればいい」


「変わっちまったな。あんた」


「お前も変わったよ。昔のお前ならば私のことをそんな風に呼ぶことは無かった」


あれから数年が過ぎ、信仰都市は繁栄し、人々は真実を知らず年老いていく。穢れた過去のことを何も知らず、積み上げられた死体の上にのうのうと生き延びている。


「終わりは避けられない。直にこの都市を終わらせる者達が到達する」


外から聞こえる悲鳴はこれまでの平和の代償だ。恐怖を知らず、真実を知らず、狂気を正常と判断し生きてきた彼等に裁きは等しく訪れる。


「この都市を終わらせるのは教会じゃないのか...?」


「そうだ。この都市の核、そこに至る一人の男が全てを終わらせる。ネヴ・スルミルの意思を次いだ男だ」


教会は確かに驚異として存在する。しかしこの都市の天敵はまだ生きている。


「そして、この都市の核。我等を支える最後の砦―――」


簡易な扉がダオの呪術で溶け始め、鍵が溶けきるとダオはゆっくりと扉を開けた。


「未だかつて誰も到達し得なかった神の眠る場所。初代巫女と同化した後に地獄との契約により深き眠りに落ちた神の触媒、これがあるからこそ信仰都市は厄災から解放された。信仰都市全土の魔力を調整し、二度と天災が起きぬようその身を捨て魂だけとなったアマテラス、―――その御神体だ」


祭壇のような場所の上に置かれただけの少女の肉体。どれだけの時が立とうとその状態は常に万全であるよう保たれ、特定の術式でしか解けない結界の中で長き時を過ごす魂なき器だ。


「世界から見捨てられたこの都市の魔力を統括し、呪いを常に浄化し続ける装置、過去と未来と現在、信仰都市の全てを統べるのがこの少女の肉体だ」


「...なんだ、これは」


灯りなどどこにも無いというのに、辺りを照らす神々しい光、その発生源と思われる祭壇の中央に少女の体が横たわっていた。


「これを使い死者と生者を反転させる。私は奇跡を起こすのだ」


妻を失ってから12年、娘を失ってから5年、とても長く苦しい時間だった。愛するものを奪われ、娘が残した孫娘すら奪おうとするこの都市に反旗を翻す時が来たのだ。


「この術式を解くことは祭司である私でも叶わなかった。正攻法では決して人間が到達することは不可能なのだ、だからこそ私は解くのではなく破壊することにした。我等が神と対極の位置にある地獄を統べる神、ハデスの力を使ってな」


「だから俺を生かしていたのか」


「この都市に送り込まれている地獄の化け物は半分、残り半分を押し止める扉を開ける鍵こそがお前だ、クロバネ」


黒羽がどんな形でも意識を失うことがあれば彼との間に結ばれた契約に基づき、地獄の尖兵が地上に姿を現す。


「あの男と同じように地獄を統括する女、お前が契約したのだろう?」


「...あぁ。俺は自分の意思で彼女と契りを交わした」


「この都市を混沌に陥れたかったからか?レイを雫に食わせた狂気の民に対する恨みがお前を...」


「違う。俺の私怨なんかよりも、もっと大事なものの為だ」


全てはその時の為に。どれだけの苦悩、自分の事すら省みない黒羽は一方的にも見える契約を結んだ。


「...お前は何を見ている」


「俺が見てるのは昔から変わらない」


死に瀕していた時であっても決して目を逸らさず、それだけを見てきた。どれだけ時が経とうとも忘れることはない。───あの笑顔を、何よりも愛しいと思った彼女の顔を。


「俺は雫を救う。だからあんたに鍵は渡せない」


「貴様を縛り付けるその鎖がそうはさせないだろう。何、少しの辛抱だ。お前も用が済めば殺す。転生の時を待つがいい。お前も私の家族なのだから」


黒羽の自由を縛る両手と首に付けられた鎖、アマテラスの力を用いてダオが秘密裏に作り出した悪しき者を封じる鎖、これがある限り黒羽が意識を失おうと地獄の門が勝手に開くことはない。


黒羽をここで殺し、意識を奪い任意のタイミングで地獄の門を開くのだ。


「あんたがここであいつらを呼んでもどうしようもないはずだ。そこはどうする」


「私が欲しいのは地獄の化物共ではない。地の底で蓄積された呪いと全てを侵食する泥だ。泥でこの部屋を満たし、結界に綻びを生じさせ、そこに人々の呪いをぶつける。この結界とは真逆の破壊衝動の塊、負の感情を用いてな」


「地獄の力すら掌握する術をあんたは持っているのか」


ダオ右肩にあるしわがれた皮膚の上にある痣を黒羽に見せる。


「その為のスルミル家の記憶だ。信仰都市創成より続いてきた記憶の継承。カルヴァリア・スルミルの意思によりねじ曲げられた思想を植え付けられた彼等の記憶を使えば可能だ」


「それをどうやって手に入れた、あの男がネヴから奪った神器メモリアの複製を」


「元々はネヴの死と共に失われていたものだ。遺骨を食らうことで手に入れたようだが、それ以前はどこにあったと思う、クロバネ」


「ネヴ・スルミルが死んだことで完全に消えたと思っていたんだがな。完成した当時は世界そのものに消されかけていたんだ、持ち主を失えば...」


黒羽はその言葉を口にした瞬間、表情を強張らせてダオの方を向いた。


「―――まさか、そういうことなのか?」


「当たりだ。信仰都市は世界に見捨てられたのではなく、世界を見捨てたのだ。カルヴァリアが自身の作り出したメモリアルを世界は不用品として処分しようとした。神器の複製は出来損ないだが、それでもそこらの兵器なんかよりよっぽど危険なもの」


だからこそ神器メモリアのようにメモリアルは杖などといった形にすることは出来なかった。そこで思い付いたのが世界の法則から逃げ出すことだった。


「勿論そんなものを世界は許すはずがない。記憶の改竄ではない、運命そのものの入れ替え。メモリアルを生み出すという発想そのものを消滅させようとしたが、カルヴァリアは不老を体現しようと自身の体に幾度も改造を繰り返し、多少の干渉を寄せ付けないようになっていた」


「何故、そこまでして神器の複製を手に入れたかったんだ。完成してすぐに手放したのだろう」


「不死を体現させる為だ。不老を得ることは出来てもカルヴァリアは心臓を貫かれれば死ぬ。何としても死なずの体を手にいれる為には多くの知識が必要だった。───その一つが人器メモリアル、人によって生み出された人の為の器」


人器メモリアルはメモリアとは違い、信仰都市の人間にしか効力を持たない。記憶を改竄できても中途半端で、僅かなきっかけでも思い出せてしまう。


あくまでも記憶を集めることを目的としたものだ。


「世界に無かったことにされる前にカルヴァリアは世界の管理から逃れた。不老を体現させると同時に信仰都市と浮遊都市との接続を切ったのだ」


「浮遊都市...?なんだ、それは」


「───この世の果て。全ての都市を管理し、人と理を管理する場所。この都市で生まれた地獄のようなものでもあるがな。そこは別空間に存在し、ある条件を満たすことで到達することの出来る、教会が信仰する神が住まう場所。そこには全てがあると言われている。この星の全ての人間の運命、世界の歴史、知識、それを統括する最後の都市こそ、───浮遊都市だ」


あまりにも突拍子のない言葉に絶句する黒羽を見てダオは「あくまでも言い伝えだよ」と付け足しをする。


「...話し過ぎたな。いや、まだまだ話し足りないが今は儀式の進行を最優先にしなければな。黒羽、これが最後だ。よく聞くのだぞ」


「あんたは...何を」


「私は一度お前を殺し、娘や妻、雫やネオと共にお前を再び甦らせる。この都市の人間は全て儀式により死に絶える。しかし教会やアカツキ達はこの都市の生死反転により死ぬことはない。信仰都市に住んでいた人間のみに作用し、死者蘇生の素材となる。そうなれば一度ウルペースも死ぬことになる」


ダオは小さなナイフを取り出し、黒羽の胸元に近づける。


「───今残っているウルペースは私と共に死ぬことを選んだ者達だ。ウルペースの精鋭には既に死んで貰っている。私の命により彼等を甦った後、教会の殲滅、及びアカツキ達の撃退を命じている」


外では今も轟音が鳴り響いている。それは怪物の生み出したものだけではなく、今も尚、それに抗うウルペースの者達のものも混ざっている。彼等もまた、罪に苛まれ、自身の咎を呪う者達だ。


私は、彼等に最上の敬意を示す。最後まで老いぼれの語る妄想に近き執念を信じてきた彼等に。


「待て...待ってくれ!あんたは死ぬつもりで―――」


「───術者は生きていなければならないからな」


ダオはまるで当たり前のように語り、黒羽を両脇から監視する彼等もそれを受け入れているが、黒羽はそれを理解することがとても出来なかった。


「母さんに会うことも出来ないんだぞ!?」


「甦ればそれだけでいい。妻と近い年齢で甦り少しの間気まずくなるだろうが、直に慣れるだろう。そうなれば後は自由だ。この都市は滅び、お前達はウルペースと共に外へ出るといい。レイの願いもそれで叶う。巫女を継いでからというもの、不便ばかりかけたからな」


「おかしい、あんたはどうかしてる!!そんなことをしたって母さんは悲しむだけだ!怒るにもあんたは死んでいて...。辛いだけなんだ」


「あぁ。それだけが心配だ。だが、レイのことだ。いずれ私のことも忘れて自由を謳歌することが...」


「―――出来ない!!」


黒羽はダオに食い入るように前に進むが、寸でのところで狐の仮面を付けた男女二人に押さえ付けられ、地べたに組伏せられるがそれでも構わないというように大きな声で叫んだ。


「母さんがあんたを...。大事な父親を忘れることなんて絶対に...有り得ない」


「そうか。娘はまだ私を父と思ってくれていたのか」


「ずっと...ずっとだ。この都市を守るあんたのことを誇らしげに語ってた。自分なんかよりもよっぽど大変な仕事をしてるって」


だからこそかつては黒羽もネオも憧れた。母の語るダオはウルペースを統括し、この都市の平和を守る正義のヒーローだと。


「母さんは少なくとも俺達の前であんたのことを酷い人だなんてことは言わなかった...!!俺達の居ないとこでもずっと誇りに思っていたはずだ!!あんたがお父さんで良かったと本気で思っていたんだよ!!」


「そうか。それはとても...嬉しいことだ」


ダオは薄く微笑んだ後、覚悟を決めたように目を開く。それは決して折れない意思の現れ、覚悟を決めた人間の顔だった。


「私は娘や妻が望んでいなくとも、甦らせる。それが世界に反する行為、今までの祭司や巫女が守ってきた民を裏切ることになろうとも!!」


ダオは手に持っていたナイフを黒羽の頭部目掛けて振り下ろす。


───空気を切る風の音がして、死を察した黒羽は瞳を閉じる。




「......」


―――しかし、幾ら待とうとも黒羽の頭部にナイフが突き刺さることは無かった。体に何かされた訳でもない。それどころか謎の解放感が...。


「え?」


「―――すまないな。このタイミングでしかお前を助けることは出来なかった」


「...何をしている。貴様!!」


黒羽を抱えダオと距離を取ったウルペースの男は狐の面を外して素顔を見せる。


「お前は...」


「そうか。監視の入れ替わりのタイミングで潜入していたのか、全てはこの時の為に...!」


アカツキの仲間、一人で行動を開始していた男―――ガルナはチャンスを見つけ黒羽の奪還に成功した。


「こいつが必要ならば丁度いい。連れ帰ろうと思っていたところだ」


「―――捕らえろ!!」


ダオの命令と共にウルペースが黒羽を取り返す為に動き出すが僅かにガルナの魔法が発動する方が早かった。


『テレポート』


時空間魔法という特殊魔法を扱うガルナにしか使えない空間の移動。それはネヴの記憶にもあった、かつてのアマテラスが使用していたものと同じものだった。


「既にそこまで至っていたのか!?」


突如として黒羽と共にその場から消えたガルナが外へ逃げたことを知ったダオは直ぐ様外で戦わせていたウルペースに命じる。


『ガルナが鍵を持って逃走した。私と少数で教会の相手をする。地上に着き次第ウルペースはガルナ捜索に当たれ!!』


それは連絡部隊によって瞬く間にウルペースに所属する人間全てに行き渡る。


「行くぞ、直ぐに黒羽を連れ戻す」


ガルナを追うために外へ向かうダオ、それに続くウルペースは振り返り、祭壇の中央を見る。


そこには外の異変など微塵も感じさせない安らかに眠る少女の魂無き器があるだけだ。その光景に仮面の内側で僅かに笑みを溢して男は部屋を出る。



......。



「手と足は問題なく動くか」


「あ、あぁ。まさかお前が助けに来てくれるなんて思わなかった」


「―――もう演じるのはやめたのか?」


クロバネと出会った当初はその意味不明な言葉にアカツキ達は散々悩まされていたようだが、ガルナは最初からそれが演技だと見抜いていたのか、いつも通り無愛想な顔で質問する。


「もう隠す必要もなくなった。...記録者、俺のことは何て書いてある」


「生憎とお前とはまだそこまで関わりがないからな。手帳にもお前のことは記されていない」


「そうか。ならいい、どうせなるようになるさ」


「それにしても記録者...か。久しぶりだな、その呼び名も」


路地裏で身を潜めながらガルナは虚空を見る。それは遠い過去を思い出しているのか、少しだけ憂いに満ちていた。


「知っている奴なら名前だけで分かるだろうさ。数十年前に表舞台から姿を消して記録家としての名も捨てたと聞いていたが、後継者は居たんだな」


「その認識で合っている。父はもうその役目は自分の代で終わりだと言っていたからな」


「じゃあどうしてわざわざ目立つような奴等と行動してる?自分の父親が過去に起こしたことをお前は知っているはずだ。...因果は付きまとうぞ」


黒羽が各地で情報収集をするなかで度々名を聞く()()()()()。名と共に記録者としての証明となる過去現在未来を記す手帳が引き継がれる。そこには歴代のガルナが記してきた情報も残されている。


「役目は終わったと言っていたが、ならばその名前をお前につけた理由は何だ。他にもやるべきことがあったんじゃないのか」


「...そのことを知る前に父と母は殺された。記録者としての役割も殆んど知らない。歴代の(ガルナ)が記していたという記録もこの手帳は見せてはくれなかった。だから...こうなったんだろうな」


ガルナはおもむろに立ち上がり、胸元の黒い石を握って路地裏から外へ出ようとする。


「その鎖は俺でも切れない。アカツキの所へ行け、そこにリアも居るはすだ。あいつならそれを切れる」


ガルナから紙切れが投げられ、座り込む黒羽の膝に落ちる。そこにはアカツキ達との合流地点と思われる場所が記されており。


「...お前は行かないのか」


案内するのではなく、場所を教えたということはガルナは黒羽と行動を共にしないということだ。


「お前が無事に逃げられるようにしておいてやる。教会の奴等には決して遭遇するなよ。アカツキと合流したのならお前と共にここへ来るように言っておけ」


「分かった。すまない」


そう言って走り出した黒羽を確認してガルナは堂々と街道へと向かい歩きだす。


人目が付きやすい所に出ればすぐにウルペースが追ってくる。そうなれば後は...。


『私を使うか?』


胸元で僅かに輝く黒い石から声が聞こえる。


「いいや、お前を出せば体に負荷が掛かりすぎる。あまり消耗はしておきたくない」


『なら精々頑張ることだ。時空間魔法もそうおいそれと連発できるような代物じゃないだろう』


黒羽を逃がすために、わざわざあの地下から出来る限り遠くまで空間を渡ってきたこともあり魔力の消耗は激しい。


だが、それをするだけの理由はあった。黒羽が捕まることでこの都市に住む人々が死ぬことになる。


テレポートは短距離を出来ても二回、それ以上は不可能だろう。余程の事が無い限り使用を控えるとなれば...。


「体を動かすのはあまり得意ではないんだがな」


この脚で逃げるしかない。まずはウルペースを少しでも多く引き連れて逃走する。黒羽が同行していないとなれば最低数残して後は黒羽の探索に向かうはすだ。


『お前の策を楽しみにしておくぞ、ガルナ』


そう言って黒い石が輝きを失い沈黙すると頭上から男女の声がしてガルナは近くの路地裏へ逃げ込む。


『―――逃げたぞ!追え!!』


黒羽を逃がすための囮となったガルナは全速力で逃走を開始する。


離れた場所では黒羽は息を切らしながらガルナから指示された場所へ向かって走っていた。


「こうも、腕を縛られていると...。走り...にくい」


折角ガルナが作ってくれた逃げるための隙、今は少しでも早くこの町から出て合流地点に向かわなくてはならない。アカツキ達のように機敏に動くことも出来ない平凡な身体能力でどこまで行けるか分からないが、今は必死に走ることだけを考える。


どうして彼等のように何かと戦うための力を持っていないのかとつくづく思ってしまう。この世界ではない住民、体が作り替えられても尚、凡人として歩んできた黒羽勇也には特別な力は持っていない。


随分昔に目を覚ましてから色んなことを知った。自分のように違う世界から来た人間達のこと、閉鎖的なこの都市にも轟く程の異世界人の逸話。


かつては尊敬していたダオが率いる信仰都市の防衛機関ウルペースに所属して雫達を補佐することを夢見ていた。


この小さな腕から全てが溢れ落ちたあの日までは。

雫を苦しめ母を死に至らしめたネヴ・スルミルと名乗る祭司のことを巫女継承の儀式の場にいたウルペースの男から聞き出し、怒りに身を任せて殺そうとするも結果的に殺意を見抜かれ半殺し。


話に聞いた英雄の逸話のように何かの力に目覚めることもなく、成すがままにいたぶられ、死に瀕した愚かで滑稽な少年。


不意打ちまでしといて返り討ちに会うのだから更に救えない。幼い少年は現実を思い知らされて、本当の選ばれた少女を目にした。


同年代の神を宿した巫女、天間雫の力はネヴ・スルミルを凌駕し、一方的な虐殺を繰り広げた。取り憑かれたように光の刃を振るい目の前の人間を意思無き肉片へと変えていく。


守るはずが守られて、同じ年の少女に力の差を思い知らされ、選ばれた人間をこの目で見た。


凡人では決して辿り着くことのない境地に彼女は立っている。それを守ろうなどと思い上がりも甚だしい。


───黒羽勇也には才能がない。特別な力も魔法適正を持たず、あまつさえこの都市の人間ならば誰もが使える呪術も使うことが出来ない。知識としてか持ち得ず、それを生かすことが出来ないのだ。


なんと滑稽な話だろう。最初から戦力外通告をされていて、いくら努力しようと強くなることが出来ない。


そんな人間に何が守れる。自分自身で守ると誓った母を失い、守りたかった少女に守られる。


───それが黒羽勇也という人間だった。


『見つけたぞ!!鍵の少年だ!』


頭上から聞こえてくる声が聞こえた場所を走りながら黒羽は振り返り目視する。


数は三人、まさかここまで早く追い付かれるとは思ってもいなかった。つくづく自身の無力さを痛感するがそれでも走ることをやめない。


たとえ追い付かれようとも最後までみっともなく足掻いて、足掻き抜くのだ。


『最低限ダオ様の下に届くまで命があればいい!即死さえさせなければ多少身体が欠損しても関係ない!!我々で捕らえるぞ』


黒羽が睡眠などによって意識を失うことで契約に従い地獄の門は開かれるが、その門を開くことを今は黒羽の腕を縛るこの鎖が許さない。


黒羽と冥界の主との契約が果たせないとなれば一方的に契約を破棄されかねない。黒羽の持つ鍵としての資格の消失を恐れたダオは自分の手で殺し、直ぐ様儀式を執行することで契約の効力を失わせないようにしたようだが...。


「また...躊躇っていた」


わざわざ黒羽に自身の望む未来を教えるなど、明らかに余分な時間があり、それがあったからこそ黒羽はガルナに救出されたのだ。


雫が巫女継承の儀式に行ったときもダオはその内容を最後まで伝えなかったのだという。それがダオの優しさであり、黒羽やネオが憧れたその人であることを証明していた。


それでも彼は悪であることを選んだ。多くの屍の上に積み上げる奇跡を成そうとしている。死者蘇生、帰らぬ人を呼び戻す禁忌。


人の身に余る奇跡、そこまでしても彼は理想を追い求め続ける。


巫女という存在が無ければ本来あったはずの未来、生涯で自身が最も愛した人と、その娘にあたるレイが生きている素晴らしく、そして決して叶うことのない未来を。


「決めたんだろ...黒羽」


そんなことが叶うなら叶って欲しいと黒羽自身も思っている。だが、そんなことを果たして彼女達は望むだろうか。


多くの命を犠牲にして甦ってしまったらあの人は...母さんは泣いてしまうだろう。


笑顔が何よりも綺麗だった母さんが泣くところなんて絶対に見たくない。だからこそ、ダオの計画に反抗すると決めたのだ。


───あの人に、誰よりも母を大事に思っていたおじいちゃんにだけは、そんなことをさせないと心に誓ったんだ。


「――――――っ!」


必死に走る黒羽の膝に鋭い針が刺さり、バランスを崩した黒羽は前に勢いよく倒れ込む。


「捕まえろ!!」


すぐそこから聞こえてくる声から少しでも遠くへ逃げるために這いずってでも黒羽は前に進み続ける。どれだけ醜くとも、最後の最後まで足掻くのだ。


「―――誰か」


這いずりながら黒羽は前を向いて誰かに救いを求める。


「急いでダオ様の下へ連れていくぞ!!暴れるようなら手足を切り落とせ!」


自分一人では何も出来ないことを知っている。どれだけ強さを望もうと、守るための力を手にいれようとしても叶うことはなかった。


だから自分を捉えようのない不気味な人間に見せるため、少しでも強く見せるために恥じらいも劣等感も捨てた。


それでも届かない。だからいつも誰かに助けられてきた。


「助けてくれ...」


手を伸ばす。その先に何があるかなんて分からない。ここで捕まるわけにはいかないから、自分の役目を果たすその時まで生きていなければならないから、どれだけ泥に汚れようと助けを乞う。


「やっと捕まえたぞ、クロバネユウヤ。暴れなければなにも...」


体を持ち上げられた黒羽はその男の顔面に頭突きを食らわせる。そしてまた地面に投げ出されると前にジリジリと進み続ける。


「手を貸せ!!クロバネの両手両足を掴んで無理矢理にでも連れていくぞ」


男の号令で近寄ってきた男女に両手両足を捕まれて身動きを封じられても尚、体を左右にうねらせて足掻く黒羽に手を妬いたウルペースは腰につけていた刀を取り出しその矛先を黒羽の右手へと向ける。


「まずは腕を切り落とす。すぐに止血をしろ」


「分かった」


そうして黒羽の右腕へと振るわれる白刃。


「どけええええええええええ!!」


必死に逃げようとしても体を数人で押さえ込まれ逃げ出すことは出来ない。


「こんなところで叫んでも意味などない。ここの住民は既に退去済みだからな」


そうして刃が黒羽の右腕に触れ、そのまま勢いよく切り落とされる。――――――その瞬間だった。


「―――いいや、意味はあったよ」


「な...!」


突如として地面から湧き出た闇が黒羽を押さえ込むウルペースの体を覆い、颯爽と駈ける男の姿があった。


黒羽の右腕を切り落とそうと振るわれた白刃がその男の剣で弾かれ、身動きを奪われたウルペースを蹴り飛ばしながら白銀の毛並みの狼が二頭が現れる。先に2頭の狼がクロバネの頭上を走り抜け、その男は通り過ぎる間際、黒羽を掴んで、その場から姿を消す。


「すごいな、獣の嗅覚って。数度しか会ってないお前の匂いまでバッチリ覚えてたぜ」


ウルペース達から少し離れた場所で降ろされた黒羽が嵐のように過ぎ去った出来事に呆然としていると、その隣で土を払いながら彼は笑顔を向ける。


「よ、助けに来たぜ。黒羽」


「本当に間一髪ね、もう少し遅かったら今頃右腕は無くなってたわ」


「ちょっとだけ血が流れていますね。クロバネさん、右腕を見せて下さい」


屋根上から降りてきた二人の女性、片方は初めて会った剣士らしき人物、彼女に抱き抱えられながら降りてきた女性には見覚えがある。


「アカツキとクレア...か?」


「おう。ガルナを迎えに集合場所に向かってたからお前の匂いがしたってミミとロロが言うから来てみれば本当に居て驚いたぜ」


クロバネの救出に一役かった二頭の狼をアカツキは「偉いぞー二人とも」と撫で、気持ち良さそうにミミとロロは目を細める。


「お前がここに居るってことはガルナが連れ出してきたのか?」


「あ、ああ。地下で助けられて、ここにお前らが来るからそこまで行けと...」


「成る程な、じゃあアイツは今頃どっかで逃げてる最中か」


黒羽から一枚の紙を受け取ったアカツキ、その手紙を隣から覗いていたリアは不思議そうに首を傾げて。


「ここ、私達が決めていた場所じゃないわ」


「あ、ほんとだ」


「多分今の自分が居るところと私達の進んで来るルート、そして恐らくクロバネが捕まるであろう場所を計算した上で、決めたんでしょう」


「まじか。まぁ、ガルナの持ってる未来とかを記す手帳だかを使えば分かるんだろうけど、それにしてもだな」


相変わらずの用意周到ぶりだが、当の本人からしたらそんなこと難なく出来ることなのだろうか。


「よし、じゃあ黒羽は奪還したし、後はガルナと合流したら一旦ナナ達と合流するか」


「アカツキさん、クロバネさんの治療は終わりました。いつでも出発出来ますよ」


右腕にあった切り傷と膝にあった刺し傷が僅かだが塞がり、痛みも幾分か和らいでいる。


「これは...?」


「再生魔法です。といっても私には魔法適正がありませんからほんとに少ししか治せないんです。ごめんなさい」


アオバから教わった再生魔法、魔法の適正が無いクレアでは本当に微々たるものだが、それでも痛みを和らげることくらいは出来るのだという。


「い、いや。ありがとう、助かる」


「よし、それじゃあ行くぞ。俺とリアはいつでも戦えるように歩くからクレアと黒羽はミミとロロに乗っといてくれ」


アカツキの掛け声と共に黒羽はミミへ、クレアはロロへ跨がり人が居なくなった町を進む。


遠くから立ち上る煙、教会とウルペースが争うその場所を目指して。

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