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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
162/186

<信仰と侵攻>

その日は朝だというのに、珍しく庭先からは鳥の鳴き声が聞こえなかった。その変わりにとでも言うように遠くでカラスがしわがれた声で鳴いている。


「不気味だな、何か起こらないといいが」


いつも通り六時に起床して、隣で眠る子供と妻を起こさないように庭へ出て朝の運動を始める。


信仰都市の空を覆った暗闇と無数の瞳、あれから町の警備も厳しくなり、ウルペースと呼ばれる信仰都市の治安を維持する彼等の見回りが四六時中行われ、いつものジョギングコースを走ることも出来なくなって、最近は庭での軽い運動だけしている。


どこかの町では人間が突如化け物に変えられて人を襲っていたとは風の噂で聞いたが、果たしてこの都市は今どうなっているのだろうか。


「まぁ、ウルペースも居るし平気だろう」


巫女を継承してから五年経ち、二年後には新たな巫女の継承が行われる。任期の終わりも近くなり今は不安定になっているだけだろう。


「まぁ、巫女様がまた変われば平和になるか」


こうして不安な日々を送るのも少しの辛抱だ。ウルペースの人達が今も町をまもってくれているのだから心配はない。―――そう思っていた矢先だった。


「うん?何だ、今変な鳴き声が聞こえたような」


いつの間にか遠くで鳴いていたカラスの鳴き声も聞こえなくなり、運動を終えて家に戻ろうとした時にふと、聞きなれない声が聞こえて立ち止まる。――――――立ち止まってしまった。


「...え?」


あまりにも突然の出来事だった。


地面に自分のものではない影が映って、空を見上げるとそこには肉のようなもの物体が赤い液体を撒き散らしながら自分のすぐ横に落ちる。


ベチャリと生々しい音、血に似た匂いがして赤い物体のある方へ視線を移すと―――。


「あ、ああああああああああ!!!」


それは紛れもなく人間だったもの、頭部が握り潰され目玉が眼孔から溢れて下半身はまるで無理やり引きちぎられたかのように損傷が激しく、とてもではないが見られたものではなかった。


「なんで、え?待って、どういう...」


思考が追い付かず、地面に手をついて飛んできた方を見る。


「――――――あ」


そこに立っていたのは人の形をした泥々とした物体、顔が潰れ、腹部から突き出ている肋骨と右と左で不揃いな腕、それに加えてこの男の二倍近くある巨体。


「やめ...」


その化物が男を捉えた瞬間、巨体から伸びる無数の腕が男を包み込んで、肉団子のように男の体を丸めて、地面に叩き付ける。


「ぴ、て...ギュぉ」


男が成す統べなく化物に殺され、絶命するとその異形の怪物は大きな雄叫びを上げた。


それと同時に町を泥が飲み込んでいき、至るところから人の悲鳴と民家の崩壊する音が響き渡る。


町から立ち上る煙と人の悲鳴が聞こえてアカツキ達は荷台から顔を覗かせる。


「ナナ、雫、ネオ。急げ!多分もう町に泥と化物が到達してる!」


リアがロロとミミを走らせ、その隣に座るアカツキが荷台に居る三人に声を掛ける。


「ネオ、足の調子は?」


「問題なく動かせます」


「シズク、準備は出来た?」


「いつでも行けます」


ナナが二人に確認を取り終わり、全速力で走るロロとミミが引っ張っている荷台から難なく飛び降りるとそれに続いてネオも荷台を後にする。


「雫!あんま無茶はすんなって二人にも伝えてといてくれよ」


「...はい!アカツキさん達も頑張って下さい」


「行ってらっしゃい、シズクちゃん」


「行ってきます、クレアさん」


雫がその身に宿している信仰都市の神、アマテラスとの共鳴により頭髪が黒から透き通る白に変わり、青い瞳が燃え上がる赤色に変わるとナナとネオを追って荷台から飛び降りていく。


「...酷い」


近くから見た町は凄惨なものだった。そこら中に散らばった肉片と崩壊した民家の壁には叩きつけられたのだろうか、赤黒い血痕があり、足元には重さを感じない泥が流れて心を少しずつ傷つけていく。


「っち。これが、アカツキの言ってた泥か」


痛む頭を押さえながらナナは不快感を露にする。


「ナナちゃん、ネオ、私がこの泥を無力化するまでどうにか耐えてください」


過去のトラウマ、思い出したくない記憶のフラッシュバックなどその人間の精神を磨り減らす為にこの泥はそういった記憶を掘り返す。


徐々に心が磨り減った人間はやがて発狂し、誰かを傷つけるか自傷に走るかのどちらかだ。そうなる前に雫はアマテラスとの共鳴を更に深めて地面に手をつける。


「...どうやらお出ましのようだね」


雫が町全体の泥を祓う間はどうしても無防備になる。そして泥より生まれるこの異形の化物はそれを見過ごすほど甘くはない。


「ネオ、行くよ」


「分かった。ナナさんも気をつけて」


雫の前にナナが立ち、背後にはネオが立ちはだかり雫の妨害をさせまいとする。


「――――――オオオオオオッッッ!!」


動く度に崩れていき、地面の泥を吸い込んで崩れた部分を補修しながら異形の化物は雄叫びをあげる。そして四方から伸びる腕と考えなしに突っ込んでくる巨体にナナは舌打ちをして。


「やらせるか」


ナナの周囲に冷たい冷気が発生したコンマ一秒後、泥から生まれた腕が全て凍り、ナナは素早く突進してきた化物に対して手を翳した。


『インフェルノ』


ナナの手に膨大な熱量が収束し、その手から赤い炎が放たれると反動で体が僅かに後退するが、寸分違わず化物に命中すると周囲を巻き込んで燃え盛る炎が爆発し、異形の化物の巨体を焼き払った。


背後ではネオの呪法により生み出された紫色の鎖によって体を貫かれ、泥で出来た体を内側から崩壊させていく化物の群れ。


「何だ、心配して損した。ならこっちはこっちに集中出来るね」


眼前、地面を流れる泥から再度形を得ていく化物に視線を戻す。


「―――来やがれ、化物共」


遠く、ナナ達を下ろした町から大きな音が聞こえて振り返りそうになるが、アカツキはそれでも前を向き続けた。


「そうね、私達にやれることは進むことだけ。大丈夫、ナナちゃんなら上手くやる」


「そう...だな。気を抜いてられないよな、何たって相手は教会なんだから」


いつどこから襲い掛かってきてでもおかしくないこの状況で他のことに気を使ってなんていられないだろう。

彼等はアカツキを敵視している。ウーラが教会より与えられた自由と呼ばれる権利を持って、アカツキ達を教会が危害を加えられないようにしてくれるまで自分の身は自分で守らなくてはいけない。


「クレア、大丈夫か?」


2頭の大きな狼の手綱を握るリアの隣に座るアカツキは荷台の中で待機しているクレアに声を掛ける。何の前触れもなく教会の人間が荷台の中に現れるなんて有り得ないだろうが、それでも心配になってしまう。


「はい、こっちは大丈夫です」


「なら良いんだ」


心配性過ぎると自分のことながら思ってしまうけれど、きっとこれが依存の儀式による影響なのだろう。クレアがアカツキに時折見せる執着のような目線、それと同じようにアカツキはクレアのことを心配せずにはいられない。


二人の間に結ばれたそれは、術者亡き後も未だ健在であり、それを証明するように二人は依存しあう。

クレアが傷つけられてはいけない、そんな感情に縛られて正常な判断を時折出来なくなるのを自分は知っている。


「敵前のど真ん中、考え事なんてしてらんないよな」


気合いを入れ直すように両頬を強く手で叩いてアカツキはまた周囲の警戒に移る。


泥の侵攻はどうやらあの町とその周囲のみでまだ信仰都市を飲み込むような規模で増殖している訳ではない。


ならば地獄の尖兵も現れないということ、ならばこちらに敵意を見せるのは残る二つ、この都市の防衛機構にして狐の面を被ったウルペースと、教会より派遣されこの都市を滅ぼさんとし、アカツキ達を敵視する教会の信者のみだ。


「リア、お前ならこの状況でどうする?偽ネヴの侵攻が始まって混乱が起きつつある現状で教会の人間だとしたら...」


「分からない。教会の人間は災いみたいなもので、何を考えてるかなんて昔から分からなかったの。あいつらは自己陶酔が激しくて、命令を優先する人間も居れば、目につく敵を片っ端から殺して回るのもいる」


「ネクサルの命令もあんまり定かじゃないこの状況ではっきりとここに居るって分からないし、どうすればいいんだろうな」


教会の信者による被害を増やさない為には先にアカツキ達がどこかで移動をしている彼等を発見して早急に倒さなくてはならない。ネクサルの義体破壊後、統率する人間が誰になったのかも、何をするのかも不透明な今、どうやって彼等を発見すれば良いのだろうか。


「あっちから吹っ掛けてきたことはあったけど自分から見つけに行くことなんて無かったからな...」


考えていることが分からないというのはとても厄介だ。いつどこから現れてもおかしくない中で常に四方八方への警戒を維持するのはやはりキツイところがあるだろう。


「......気づいたか、リア」


考え事をしていて一瞬アカツキはその異変に気付くのが遅れたなか、リアは既に臨戦態勢に入ろうとしていた。


遠くから微かに聞こえる戦いの音、ナナ達を降ろした町からとは違う方向から聞こえてくる音の出所へとリアは進路を変える。


「あそこか。ようやく、見えて...きた――――――ぁ」


そこはとても綺麗な花畑だったのだろう。多くの靴の痕が踏みつけられた花と地面に残り、色彩豊かな花畑を真っ赤な液体と臓腑が満たしていた。


「...リア!」


眼前、死で彩られた花畑を見てアカツキは咄嗟にリアの名前を呼んで隣を見るが、そこにリアの姿はない。


一秒後、視界の端に僅かに映った光、迫りくる死に対してアカツキは剣を抜くよりも神器の力を使用する。


「ミミ、ロロ!走れ!!」


荷台の中にいるクレアを抱えるとアカツキは荷台と二頭の狼を繋ぐ接続部分を神器の力を使って無理矢理切り離す。


アカツキの呼び声に反応した二頭は軽くなった体で前へ走り抜ける。それと同時におびただしい光が荷台を直撃し、積み込んだ荷物や食料ごと全てを貫いていく。


その中で唯一形を保っていたのは神器から生成された闇で防護壁を作り、その中に居たアカツキとクレアのみだ。


「威力は軽い...けど」


今までのどの攻撃よりも早く到達する攻撃にアカツキは歯噛みする。悔しいがこの防護壁を解除してこの場から離れることが出来そうにない。


神器による身体能力の上昇、それがあっても目視するのが精一杯だった。


「アカツキさん、一体何が...」


荷台を突き破って生成された闇の壁にぶつけられる光の弾丸。その音を聞きながら何が起きたか理解出来ないクレアはアカツキを見て言葉を途切れさせた。


「大丈夫、急に神器を使ったから体に負荷が掛かっただけだ」


左目から涙のように血を流しながら迫りくる光の連射を防ぐアカツキ、瞬間的に神器の力を強めて、尚且つ神器がもたらす恩恵により身体能力を飛躍的に強化させたことにより体が少しだけ悲鳴をあげる。


「リアさんは...」


「俺よりも先に光を食らってどっかに吹っ飛ばされた。大丈夫、生きてるさ。クレア、少しだけ我慢しててくれ」


闇の壁に直撃する光の弾丸、音と振動が絶え間なく体を震わせるがそれも少しの間だけだ。


アカツキが迫り来る光から身を守ってる間、少し離れたところではリアが額から血を流しながら立ち上がる。


―――そして。


「―――きさ...!」


一陣の風より早く、遠い場所から狙い打つ信者の男に到達しうる脚力と、振るわれた剣が男の首目掛けて振るわれるがそれを妨害するように少し離れた場所から同じ教会の信者と思われる別の男により地面から伸びた光の鎖がリアを束縛する。


「邪魔」


一瞬リアの体を灼熱が包み込んで、光の鎖が空間に溶けるように消えていく。


「...やっぱり邪魔をするの?貴女は」


リアが視線を向けた先には笑顔でこちらを見ている不気味な女の姿、片方の目を糸で縫っているその姿は見間違えるはずもない。アカツキが信頼はしていたはずの教会に所属する大司教、ウーラだった。


「お姉さんは何もしてないし、その人達を止めることは出来ないよ。ネクサル直属の兵士みたいなものらしいからね」


「そう、じゃあここでこの人達を殺しても文句は言わない?」


「うーん。ちょっと待っててね」


ウーラは少しの考慮の後、リアに対して敵対心を露にする信者達に話し掛ける。


「貴方達も大事な信徒だから忠告しておくけど、ここで逃げた方がいいよ。これ以上アカツキ君達の邪魔をしてたら殺されるよ?」


「...それは出来ない相談です、ウーラ様。こいつらは教会に背く背信者、それだけでなくネクサル様の義体の破壊。ここで天罰を下しておかなければ」


「...だそうよ」


彼等がそう答えるのは分かっていたのか、ウーラは再度リアに向き直る。


「じゃあいいよ。お姉さんは止めたけど、聞かないなら別にいいや」


そう言ってウーラは教会の信者達から離れて、事の成り行きを見守るだけの、傍観に徹することを意思表明する。


「我々が負けるなどあり得ないので。どうぞ、そこで見ていてください」


リアがもう一度動こうとすると男は勢いよく手を空へ掲げる。


「――――――!」


男が何かするよりも早くその命を絶つ為にリアは接近する。そうして男の首を白刃が切り離すと、綺麗な肉の断面を覗かせながら魂を失った体が地面に打ち付けられる。


「...そういうこと」


残った神社達を殺すために動こうとしたところで数秒前に命を奪った男が何をしたのか理解する。


「貴方を今束縛しているのは死後に発動する力だ。彼の信仰心が形を成した全てを縛る鎖、全てを犠牲にして発動する聖法、これには剣神とて敵うまい」


「確かにこれは厄介ね」


「今更懺悔をしたところで慈悲など与えはしない。我等の信仰心の具現たる光がお前を魂すら残さぬくらいに――――――っ!!」


今まさにリアの命を奪わんと聖法を発動させようとした信者達が一斉に異常に気付くが、やはり彼等はそれに対処することは間に合わない。


ウーラがその光景に微笑み、リアはゆっくりと瞳を閉じた。


「――――――手を出すな、てめぇら」


リアに近づいていた女の手足を地面から突き出た漆黒の槍が貫いていき、取り囲むようにいた残りの信者達の足元に現れた闇が身動きを封じる。


「貴様は...!」


「お前ら...なんであんなことをした?あの花畑に散らかされた死体、何の罪もない行商人や町から逃げてきた人達をこんなところから殺して、わざわざ即死しない場所を狙って...!」


怒りを露にするアカツキと悲しげに目を伏せるクレアがリアに合流し、間一髪のところで教会からリアを助けることに成功する。


―――しかし。


「自身の罪を自覚していないことこそが罪なのだ。邪神を崇拝し、果ては我等の同胞さえ討ち滅ぼすというまさに悪魔のような所業の数々...。背教者にふさわしい最後だ」


「だから...!!そんな一方的な押し付けで人を殺すことをおかしいと思わないのか!?同じ世界で生まれた同じ人間だぞ!」


「あぁ、そうだな。奴等と私達は不本意ながらも同じ星に生まれてしまった。―――だから正すのだ。過った道を進む者達に有るべき道へと引き戻す、これこそ我等が神の慈悲だ」


意味が分からない。この男は何を言っている、どうして誰もその言葉に疑問を唱えない。教会の信者全員がそんなことを本気で思ってるとしたら...。


「どうかしてるよ、お前ら」


「どうかしているのはそちらだろう、アカツキ。神から断罪者という何にも勝る至上の使命を与えられ、神器という神の恩恵を受けし武具を授かって、お前は何をしている。呪いと鬼をその身に宿した化物を生かしておくなど...考えられないことだ」


「やめろ。あいつのことを分かってもいねぇくせに」


「分かりたくもないな。化物の女のことなど」


アカツキが怒りで視界を狭めた瞬間、意識の外にあった教会の女が自身を縛り付けている闇ごと皮膚を剥がしてその場から離脱する。


「...逃がすか」


「また、意識が逸れたぞ」


逃げ出した女に意識を集中させた矢先に今度は目の前で時間稼ぎをしていたであろう男がアカツキの首下に迫る。やはりこの男も自身の体の損傷に何の感慨も抱いておらず、痛みなど知らぬように皮膚が剥がれた腕でアカツキの首を締め付ける。


「が...ぁ」


「死ね、背信者」


男の胸元から黒い短剣が取り出され、アカツキの胸元目掛けて振るわれる。


「―――アカツキさん!」


その凶刃がアカツキの胸を貫く前に隣に立っていたクレアが男に体当たりをして突き飛ばそうとするが、非力なクレアではアカツキに跨がる男を退かすことは出来なかった。


「リ...ァ」


か細い声で助けを求める。彼女を縛るのが命を代償に発動した魔法であろうと、その程度でリアを束縛することなど出来はしないことは容易に判断できる。


だからこそ、助けを求めた。求めたのだ。


「......剣は、どうしたの?」


しかしリアは動かなかった。その変わりに冷ややかな視線がアカツキの腰に掛けられただけの剣に注がれる。


「なに...を」


彼女は誰よりもアカツキのことを見ていた。旅に付いていくと決めた理由はアカツキの行く末を見届けるため。何を掴み、何を正義として進むのかを知りたかったからこそ、あの牢獄から出ることを決意した。


終わっても良いとまで思っていた心情を放棄して、付いていくと決断したのだ。


時間が緩やかに流れていく。男の凶刃の矛先がクレアに変わり、アカツキを捕らえたまま周囲の信徒にそこの女を殺せと命令する。


「神器を抜かず神器の力を使おうなんて、威力も制御も甘くなるのは道理よ。守るために渡されたんでしょう。それなのにどうして貴方はそれを使わない」


見ている。何よりも、誰よりも。


アカツキは護るための剣を持っている。過去との決別を出来たかに思えても、心の奥底に渦巻く感情に決着をつけることは出来ていない。


屋敷で一度も剣を持って行動しなかったことがその証明だろう。自分では過去のトラウマを払拭出来ていたと思っていても無意識にそれを遠ざけていた。


『―――まだ、声が聞こえるの?』


頭の中に響く少女の声と、静かに無情に流れていく時。


目の前で命に変えても守ろうとした人が死のうとしている。なのに、何故抜けない。その剣を。


「俺は...」


リアはアカツキが答えを出す瞬間まで動くことはない。わざわざガルナにアカツキと行動できるように口利きしていたのは全てこの為であり、アカツキの為である。


この先生半可な力で乗り越えられる局面はない。神器としての本来の力を使わずに何かを守ることは不可能だ。


答えをたった一つに絞るには二つの命が必要だ。自分の命と、アカツキが何よりも守ろうとしている命。たとえそれが人道に反する行為だと分かっていても、悪質なものだとしてもだ。


「貴方には神器しかない。それが無ければ戦えないって、貴方も分かっているんでしょう」


凶刃はクレアの喉を切り裂かんと振るわれている。もう、時間はない。


「死ね、器の少女よ」


―――選択は今。この瞬間に。


「――――――アニマ」


その名前を呼ぶ。農業都市では魂のない幾千の体を魔力として吸収し、学院都市ではクルスタミナの命を奪い、信仰都市では異形の怪物へと変えられた人々の魂に安らぎを与えるために命を奪った神器の名前を。


『お兄ちゃんはいいの?私を使えばまた命を奪うかもしれない。暴走を起こせば今守りたい命も奪ってしまうかもしれない。―――また、辛い思いをするかもしれないんだよ?』


アカツキが一度は諦めたことを知っている。

アカツキが自分を使うことで苦悩したのを知っている。


大切な人を失くして絶望した時の彼の顔を今でも覚えている。

それが大悪党でもその命を奪ったことに苦しんでいたのを覚えている。


彼は人間だ。誰が何と言おうと一人の人間なのだ。遠い昔に死に、魂だけの存在となって神器の核となっている自分とは違い、今を生きているのだ。


神器アニマ=パラトゥース、それは力であると同時に呪いだ。大して力らしい力では無いというのに、代償として使用者の心を、精神を傷付けていく。


神器の中で最も扱いづらく、暴走が起きやすいのもその性質のせいだ。不完全であると言い換えてもいいだろう。


『それでも、本当に良いの?いつかまた傷つけてしまうかもしれない。苦しい思いをしてしまうかもしれなくても、私を受け入れてくれるの?』


『違う。誰かを傷つけたのも、苦しい思いをしたのも俺の心の弱さのせいだった。ちゃんとケリを付けたつもりでも、どこかで怖がっていた』


アニマの名前を呼んだ瞬間に誘われた白い世界でアカツキと一人の少女は向き合う。神器の中に宿る魂だけの少女、アカツキに護るための力を与えてくれた存在だ。


『優柔不断なのは俺の悪い癖だって分かってはいるんだよ。クルスタミナはどうしようもない悪人だった、けど死ぬ必要は無かった。俺は皆の記憶を取り戻すという大義名分に乗っかっただけで、本当は俺のことを思い出して欲しかった。忘れないで欲しかった』


結局は自分のためにクルスタミナの命を奪ったことになる。それがどんなことか、殺してから分かった。


『お兄ちゃんは優し過ぎるんだよ。あの人は死んでも償いきれない罪を犯してきた。あの人によって狂わされてきた人達はたくさん居たでしょ?』


クルスタミナが死亡した後に発覚した数々の悪行、一般市民から学生、彼によって奪われたものは正確な数を出すことは出来ない。


『......』


『いつまでも悩んでたら駄目だよ。守りたいんでしょ?あの人達のこと』


『うん。大事な仲間なんだ』


『なら、ここで立ち止まってていいの?』


少女はアカツキに問う。


『いや』


アカツキは答える。


『―――前に進みたい』


剣を見るといつもあの森の光景を思い出す。クルスタミナの心臓を貫いていく感触と命が消えていく、その瞬間を。


『剣を取れない怖さを塗り潰せるくらいの剣を取るための理由があればいい。だから』


アカツキの前に座る少女は微笑み、アカツキは覚悟を決めたように真っ直ぐとした瞳で立ち上がる。


『仲間を守るために力を貸してくれ―――アニマ』


『―――うん』


少女の小さな手がアカツキの手を握ると真っ白な世界が砕け、アカツキは現実世界で目を覚ます。


「な...にが」


「クレア!」


男の短剣がクレアの喉元を裂く寸前にアカツキの腰にあった剣から闇が溢れ、男の腕を包み込んでいた。それと同時に逃げ出した女を捕らえるように地面から伸びる無数の腕と鎖が宙を舞う。


『お兄ちゃんに私の本当の力を教えるね。いつも使っているその闇はお兄ちゃんの心臓を修復する時に同化したことで発生した力なの。元々はお兄ちゃん自身の力としてあったものを私、アニマが統括しているの』


だからそれを借り物だと認識する必要はない。それは紛れもなくアカツキ自身に備わった誰かを守る力なのだから。


「全員捕まえろ!」


「やらせるな、その男を殺せ!!」


闇が増幅し身動きを封じられる前に教会の信者達はアカツキの命を奪わんと、自分達を束縛する闇ごと皮膚を剥がして聖法を発動させる。


空から降り注ぐ光の槍と四方から迫る光の弾丸、それに対処するためにアカツキはクレアを手繰り寄せて剣を握り締める。


「クレア、ごめん」


そして躊躇いなく鞘から抜かれた白刃と共に空中には黒い結晶が出現し、アカツキの意思によってその場で爆発する。自分もろとも巻き込んだ闇の爆発によりアカツキに迫っていた光は悉く消滅する。


「バカめ、自分を巻き込んだ爆発など...」


視界を奪うほどの大爆発、その威力を直撃する位置にいた二人は今頃粉微塵だろうと油断した時にはもう、決着はついていた。


『私、アニマに本来備わっている機能。それは』


少女は全てを打ち明けた。怖がる必要はない。もう今のお兄ちゃんなら大丈夫だからと。


「...は?」


全身を襲う痛みと骨が折れる鈍い音、体はいつの間にか宙を舞っている。そこで男はようやく自身の置かれている状況に気付くがもう遅い。


「よくやった、ミミ」


『――――――仲間と認識した生物の身体的強化と意識の共有。自分の為ではなく、誰かの為の力』


―――一人で戦うのではなく、仲間と戦うことで真価を発揮する。それこそが神器アニマ=パラトゥースの本来の力だ。


打ち上げられた体で下を見るとそこには白銀の毛並みをした大きな狼が一頭と、動けないリアの服を噛んでアカツキの下に運ぶ狼の姿があった。


「貴様らああああああああああああ!!」


「これで終わりだ、糞野郎」


アカツキの言葉と共にその体積を増した闇が苦し紛れに発動させた聖法ごと飲み込んでいく。抗うことの出来ない闇の海、アカツキが持つ神器アニマ=パラトゥースの本来の力を応用した技、自身と仲間には決して害を与えることの無い闇により教会の信者達は敗北した。



......。



「......が」


狼の体当たりで怪我をした横腹を蹴られて男は意識を取り戻す。


「悪いけど俺達の勝ちだ。自滅したように見せればお前らのことだから油断すると思ったよ」


アカツキの予想通りまんまと自滅したと思い込み油断した男を突き上げるミミの体当たり、空中に放り出さた姿勢でアカツキに照準を合わせて聖法を発動させるにはタイムラグが生じる。


「あんたの聖法だっけか、そいつは早すぎて対処するのがやっとだからな。その分他の奴等と比べて燃費も悪そうだったけどな」


あくまで短期戦を想定した速さを極めた聖法、信仰心が力になる教会の信者達の中でも有象無象とは違い、少しだけ上の役職なのだろう。よく見ればその服装も周りで意識を失っている者達とは違う。



「お手柄ね、アカツキ」


「あんたは自分で動けるくせにロロに運ばせるなって」


「私がわざと助けなかったことを怒らないの?」


「怒ってない訳じゃない。あんた、本気で試してただろ。俺が決断できなかったらクレアだって見殺しにしていた。だけど」


リアはそういう誰もやりたがらない役目をしたがる。そうすることで嫌われようとも構わないのだろう。アカツキが今後の戦いで迷わないようにここできっぱりと過去から決別しなければならなかったから。


それを知ってるからアカツキは本気で怒らない。


「俺の為にやってくれたことは分かってるよ。まぁ、結果的に誰も死んでないし、それでいいかなって」


「クレアちゃんも...ほんとにごめんなさい」


「......」


結果論だがアカツキは神器の力を十分に発揮できるようになり、誰も死者は出なかった。少しだけ怒ってはいる様子だが、仲間割れに繋がるようなことにはなっていない。


「いいって。それより残りの教会の信者がどこに居るか聞き出さなきゃいけない。被害はもう出ちまってるけど、最小限にしときたい」


「そうね。でも簡単に口を割ってくれるとは思わないけれど」


「こいつらはな。けどあんたなら別だろ、ウーラ」


アカツキが視線を移した先には同じ教会に所属する彼等を助けようともせず傍観を決め込んでいた女性が満足そうに微笑みながら大きな岩の上に座っていた。


「いいですよ。アカツキ君の質問ならお姉さんが答えてあげます」


「随分と嬉しそうだな」


彼等が罪もない一般人を殺している間も、彼等がアカツキ達に追い詰められている時も止めもせずに見ていただけの彼女が何を考えているか分からない。何が嬉しいのかも分かりはしない。


「えぇ、私の子供がまた一つ成長したんですから嬉しいですよ。まさかこんなにも早くトラウマを克服できるなんて思ってもいませんでしたから」


「あんたの子供に勝手にしないでくれない?」


「私の庇護下に入ったらそれはもう私の子供ですよ。アオバ君やリリーナちゃんのようにね」


「...そうか。あくまでも自分の庇護下に居る奴等しかあんたは守らないんだな」


アカツキが何を言いたいかはウーラにも分かっている。彼らしい理由で怒り、糾弾したいのだろう。だが―――


「自分の手の届く範囲を知っているからね。アカツキ君のように何でもかんでも守ろうとは思えないよ。私は何をしてでも子供達を守らなくちゃいけない。今教会と敵対することは許されない。だからあの人達には死んでもらったの」


ウーラの雰囲気が僅かに変わり、閉ざされていた右目を開きながらアカツキをその金色の瞳で見据える。


「アカツキ、貴方のその優しさはとても素晴らしい。けれど同時に可哀想だと思うよ。知らない誰かのことを思って泣くなんてこと私には出来ないから」


アカツキはまだ理想に浸っている。傷つく人が居なくなれば良いと本気で言えてしまうのだろう。だが、それはこの世界でも、そうでなくても決して叶うことはないというのに。


「私は私の守りたいものを何としても守る。その為に知らない誰かを犠牲に出来るの。―――酷いお姉さんでしょ?」


彼女を失った日からウーラが決めた揺るがない覚悟。もう大事な人が死んでしまったり悲しまないようにするために決めた悲しい決意だ。


「...そうか。あんたも大変なんだな」


「アカツキ君に比べたら楽だよ。それじゃあ他の教会の人達が居る場所、教えておくね」


そう言ってアカツキを見つめる金色の瞳が瞬きした瞬間、視界がまるで切り替わったカメラのように別の地点を映し出し、頭の中に詳しい地形と場所が刻み込まれる。


目まぐるしく移り変わる視界と頭に送られてくる情報にアカツキがよろけるとクレアが心配して支える。


「アカツキさん!大丈夫ですか!?」


「平気...とは言えないけど大丈夫だ。ここにあいつらが居るんだな?」


「急いで向かった方が良いですよ」


見覚えのない景色だが、ウーラから送られてきた情報曰くそこはダオ達ウルペースの本拠地がある場所らしい。ここで2陣営が激突すれば混戦は避けられない。そうなればおびただしい数の血が流れ、罪もない人達までも危険に晒される。それだけは何としても止めなければいけない。


「そうする。あんたはこれからどうする」


「まぁ、監視の目がある限り私は自由になれませんからね。アカツキ君がここで彼等を殺してくれるなら別ですが」


「そこまでやらない。どうせ抜け出せないだろうしな」


アカツキが見下ろした先には意識が絶えかけている男の姿と無造作に転がる複数の人間達の姿があった。


「強度も魔力の量も段違い。これを抜け出すのはなかなか難しいだろうね」


「何なら連れ帰ってくれよ」


「無理ですね。この人達はそれを望まない。それこそ死ぬまで使命を全うする操り人形なんですから」


この場に残していくというからには抜け出される可能性を考慮しなければならないだろう。何とも心許ないが、彼等に構っている時間はない。


「ミミ、ロロ。行くぞ」


アカツキの言葉を理解できるのか、二頭の狼が起き上がりアカツキの前に立つと、その背中にアカツキは跨がる。


「リアはロロに乗ってくれ。クレアは...どっちに乗る?」


「...アカツキさんの方で」


「おう」


アカツキの後ろに乗るとミミはゆっくりと走りだし徐々に速度を上げていく。並走して走るロロの背中にはリアが乗り、何を言わなくても目的地へと向かっている。


「便利ね、意思共有って」


「アニマの本当の能力の一つ。仲間と認識した相手なら動物だろうと思念を飛ばせるんだとさ」


本来の力を徐々に取り戻しつつあるアニマ=パラトゥースの力、今まで使っていた闇はアカツキの心臓となり同化したことで後天的に発生した力だと彼女は言っていた。


「(...だとしたら、俺は)」


それは誰にも届かないアカツキの心の中だけにある考えだ。


「(―――ずっと、ずっと前からこの世界に)」


徐々に薄れつつある別世界のことを思い出しながら前を見据える。


たとえ何が間違っていて何が正しかったとしても、今は立ち止まることは許されない。考えるのは全て終わらせてからだろう。


「......」

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