<進む者達>
まだ日も昇りきっていない朝早く、長らく空いていた屋敷の外でアカツキ達は話をしながら荷物を積んでいた。
「ロロとミミは戦いに参加させれないけど、流石に置き去りにするのもあれだよな」
白いの毛を撫でながらアカツキは困った顔で二頭の大きな狼をどうするか悩んでいた。
「そうだな。どこかに預けておくのが一番良いが、この都市に安全と呼べる場所はない。ならば連れていった方が良いだろうな」
「ガルナは単独行動で邪魔になるだろ?なら、雫達が乗ってくか俺達が乗るかだよな」
「移動手段として必要なのは私たちでしょうね。私とアカツキはまだしもクレアちゃんは生身の人間だもの」
リアの言うことも一理あるが、それを言えばナナの所にはネオという怪我人が居る為、判断に悩むところだ。
「実力的に言えばお前のところには現状最大戦力のリアがいる。二頭を危険に晒さないという意味でもお前達の方が安全だろう」
「そうだね。ネオは怪我人って言ってもあんたのお陰で多少は移動しやすくなってるし、平気だって」
ナナも特にネオの足の欠損については問題に思ってはいない。昨晩ガルナとアカツキの手で神器の力を利用して義足のようなものを作ったお陰でネオも特に移動には困っていない。
足が無いのなら話は別だが、元通りではないとはいえ動けるだけの足があるから大丈夫だろう。
「よし、じゃあお前らは俺達が連れてくか」
そう言って二頭の頭を撫でると満足そうにロロとミミは目を細める。
「持ち場の近くまでは俺達も乗ることになるが、それ以降はお前に任せるぞ、アカツキ」
「おう」
アカツキ陣営の朝はこうして何事もなく進んでいく。
......。
静かな男の声と、年期の入った声の老人がすぐそこから聞こえてくる。最早何を聞かれても構わないのか、クロバネが居るにも関わらず彼等は計画について話している。
「ダオ様、教会の信者らしき者達の再度の侵攻が開始されました。既に第三部隊との連絡は途絶、全滅したのかと思われます」
「行き先は?」
「―――ここです。恐らくですが情報を漏らした人間が居るのでしょう」
「...拷問でもされたか。分かった、まずは住民の命を最優先に行動しろ。一部隊と二部隊を合流させ、教会の奴等の足止めをさせろ。戦いで傷付いた者は後退させ、随時各部隊から人員を補充させろ。住民もウルペースも死なせるな」
「了解です。ダオ様は当分ここで?」
男の質問にダオはしわがれた声で答えた。
「―――この都市を救うための準備を進める。何があってもここには奴等を入れるな」
その命令を聞いて地上へと戻っていく男、足音が聞こえなくなったところでクロバネはようやく口を開いた。
「この都市を救う、か。昔と変わらないなあんたはよく平然と嘘をつける。―――救われるのはあんただけだろ」
「―――娘も、だ。私は本当のところこの都市などどうでも良い。この都市は私から奪うばかりで何も与えてはくれなかった。下らぬ嘘と多くの悲劇と屍の上に立っている、それが信仰都市という場所だ」
「スルミル家の記憶を手にいれたあんたは何を知った。祭司としての役割すら放棄して、母さんの最後の願いを叶えようなんて...」
ダオの首もとにある痣はスルミル家初代当主カルヴァリア・スルミルが開発した神器メモリアの模倣作、記憶に干渉し、時間はかかるものの当たり前すら変えてしまうことが出来る代物、その半分だ。
「あんたはそれを手にいれて...何を見た?」
「―――全部だ。この都市の始まり、カルヴァリア・スルミルという男のこと、書き換えられたネヴ・スルミルの本当の姿。奪われるのはもう十分だ」
ダオは妻を失い、娘を失って初めてこの都市の当たり前に疑問を覚えた。果たして自分達の当たり前は本当に当たり前なのか?
どうしてこの都市の為に二人は死ななければならなかった。それを心のどこかで妥協している自分自身に疑問を覚え、真実を求めた。
その末にたどり着いた結末はあまりにも悲惨なものだった。たった一人の男の為だけに狂わされ、同じ事を繰り返して募る恨みと希望はこの都市の終幕を加速させる。
「もう手遅れだ。取り返しのつかないところまで来てしまったんだよ」
この都市の終わりはどうしても避けられない。どんな形であれ信仰都市はこの時代で滅ぶ運命だ。
「しかし、それに至るまでの道のりを変えることならば可能だ。無意味に殺される位なら私は私のために民の命を奪い、娘を、妻を甦らせる。その為の鍵がお前だよ、クロバネ」
「......」
「お前のこの都市に対する復讐心、地獄との契約を逆手に取って私は死者と生者を入れ換える。生きている人間が多ければ多いほど甦る人間は多くなる。洗脳され、腐りきった民衆と過去にこの都市の礎となった英雄や巫女、比べるまでもないだろう?」
「そんなの大義名分だ。あんたは自分の為にこの都市の人間を殺すんだ」
もう後戻りなんて出来ないところまで来てしまった。今更破綻していると言われてもそんなことはダオ自身もそんなこと分かっている。
「あぁ、お前と同じだよ。私は妻と娘を奪ったこの都市が許せない。どうせ死ぬならば私のために死ね。―――祭司なんて偽りの役目を演じるのももう終わりだ」
私はきっと誰の目から見ても悪なのだろう。初代祭司ネヴ・スルミルの平和を願う気持ちも無下にして、ただ娘の最後の言葉に囚われて自分の為に罪なき人々を殺す。
「その為に後戻り出来ないようにしてきた。実の孫を痛め付けてから殺し、この力を使ってアマテラス様にさえ有りもしない出来事をを埋め込んだ」
「───ネオを殺したのか?」
今まで敢えて感情を込めず発していた黒羽が、その話を聞き、僅かに言葉に感情が込められる。
「そうだとも。私は常に敵を作ってきた。止めるのなら止めてみろ、私はこの都市を滅ぼす災厄となり、その正義すら踏み越えて理想を現実にするのだ」
男は過去に囚われている。取り返しのつかないものを取り返す為に禁忌に手を染めて───この都市を終わらせる災禍として、ここに誕生した。
......。
気付けばあっという間に夜は明ける。何百年と経っても忘れるこのとないこの都市の外敵、教会の人間を殺している間に血濡れの朝を迎えていた。
「どこかに向かっていたようだが残念だったな。ここはお前らが滅ぼしていい場所ではない」
地の底から伸びる泥の手により捕らえられた教会の人間達はその男の前に並べられていた。
「背信者が...。邪神を信仰するには飽きたらず我等の役目も妨害するのか...!!」
「お前らの信仰する神様ってのはそんなに凄いのか。俺達には見向きもしなかったくせに。カルヴァリアの凶行を止めることが出来なかった時点でお飾りの神様もお前らもたかが知れている」
俺は全てを奪われてきた。生きることを否定され、名を奪われ、妹すら奪われて、何のための人生だったのだろうか。
「敬虔なる祈りが人々を救うのだ!!貴様のような背信者には分からないだろうがな!」
「じゃあ、お前らのその敬虔なる祈りとやらもこの呪いより劣ってることになるな」
男は吊るされた教会の人間の腹部に蹴りを入れるが、全く痛がる素振りを見せないことに溜め息をついて―――
「殺せ」
一言、そう告げると共に吊るされた教会の信者達の首が一斉にねじ切られ、両手両足も引きちぎられ、最後には胴体が切り離される。
奇跡など一切起こらないような完膚なきまでの虐殺により臓物と血が大地に飛び散る。
「もう役者を演じるのはやめだな。実は熟し、既に大地に落ちて腐りきった。長い間蓄えてきた力を持ってすればカルヴァリアだって殺すに至る」
一体どれだけの時間を過ごし、どれだけの屍を積み上げてきたのだろうか。数えきれない悲劇と、七年周期の儀式のお陰で信仰都市を完全に滅ぼすためのエネルギーは蓄えられた。
「ネヴ、お前は今どこで何を見ている?私を止めるための駒は揃ったか」
地面が不自然に隆起し、男の周りから泥が溢れ、瞬く間に周囲を冥界の泥が包み込むと、そこから次々と異形の化け物達が量産されていく。
「ようやくだ、この都市の破滅と共に現れるカルヴァリア・スルミルの死を持って意味の無かった俺の生に意味が生まれる」
有るべきものは有るべき場所に還元される。ネヴ・スルミルとして生きた男の体とその力を手にいれ、この都市を統治する神、アマテラスの死を持って本来信仰されるはずだった今は地獄の神である彼がこの都市の神として君臨する。
「待っていろ、ハデス。お前から奪われたもの全て取り返してきてやる」
ここを1度有るべき形に戻し、そこから全てを終わらせる。名も記憶も体すら持たぬハデスをこの都市の神とすることで地上と空を統治する権利を手にいれ、積み上げられてきた多くの命と礎を崩壊させる。
草木は枯れ、新たな生は決して生まれることは無くなり、空を闇が覆って、ここは太陽の光の届かぬ場所となる。
アマテラスがこの都市の神として君臨しているのは彼女を信仰している民が居るから。アマテラスを失墜させる方法、それは。
「行け、人間であれば構わず殺せ。この都市に住まう人間を一人残らず殺して、それでようやくこの都市はあいつのものになる」
アマテラスの力の源であり、彼女が信仰都市の神たる所以は信仰されているから。ならばアマテラスを信仰する人間を根絶やしにすることで、この都市は簡単に崩壊する。
信仰する人間が居なければ神は風化し、人間で言う死と同等の消滅は避けられない。アマテラスとハデスはここではないどこかの世界で忘れ去られ、一度は消滅した神だ。
この世界のエネルギーである魔力と同化して各地を意識なき状態で漂うことになるだろう。
ここは二人の神に新たな生を与えた。片方は終末から逃げ延びる手段として人の手によって生み出され、もう片方は本来この都市の人間が死滅した時に現れるはずだった自然発生する神。
だが、アマテラスの誕生によって本来滅びるはずだったこの都市は延命され、ハデスは人間が存在する状態で神として誕生してしまった。
「これは悲劇だ。全てがねじ曲げられ、有るべき未来から逸脱し醜く生き長らえる信仰都市。人が居ない時にあいつが呼ばれればそれで良かった」
そうすればあの子は人を見て、自分が求められていた神様では無かったと気づくこともなかった。人が居なければまたすぐに消滅することに妥協できた。だって信仰する人間が居なければ神は存在できない。
しかし人は生き延びていた。少し手を伸ばした先に自身を生き長らえさせてくれる人間達が居るのに、彼等は別の神様を信仰していて自分には見向きもしてくれない。
妥協できない。寛容することなんてできない。消えたくない、だってすぐにそこに人が居て、何人かが自分のことを覚えてくれて、信仰してくれば消えずにいられる。
また忘れられたくない。折角体を得て、意識を取り戻したのに。
そんな小さな神様の願いは誰の耳にも届くことは無かった。だから初めて自分が会った時には力なんて大層なものを持たず、いつ消えてしまうかという恐怖に耐えきれなくて子供の姿をした神様は泣いていた。
「もう十分だろう。―――悲しいのは」
あの子供は自分と同じだ。運命を狂わされ、名を持たず、力を持たない。だから手を指し伸ばしたのだろう。その先がまさに地獄だと分かっていても、泣いている子供を見殺しになんて出来なかった。
「なぁ、ハデス。お前はまだそこに居るのか?また声を聞かせてくれ、お前の笑顔を俺に見せてくれ、それだけで俺はこの都市を終わらせられるんだ」
意味もないのに名前を与えて、自分だけはあの子に寄り添っていた。けれどたった一人の人間が信仰して、覚えていた程度では神様は存在できなかった。
明くる日姿を失い、消滅しかけていたハデスを見たときにもう手段なんて選んでられ無かった。近場の集落を襲い、ハデスの名を騙って半数を殺し、生き延びた人間達にその名前を覚えさせた。
信仰してくれなくとも、恐怖の象徴として大衆にその名前が知れ渡れば存在を維持できる。そんな希望に縋ってたくさんの人間を傷付けた。
そうまでしてもお前は戻ってこなかった。
体を失って、力を失って、全てを奪われて唯一取り戻せたのが眠りこけたハデスの心のみ。黒い球体になって今も眠りにつくあいつに形を与えるにはこの都市の神として確立させるしか方法はない。
「お前のために用意した世界でたくさんの人間の魂に囲まれてお前は幸せだろう」
地獄なんて場所を一から作るのはかなり骨が折れたがハデスが体を失ってから死ぬことの無くなった体でならば時間は足枷にならない。
「お前を取り戻して、一緒に全てを終わらせて、一緒に死のう。それだけが―――俺の唯一の願いだ」
全てを取り戻して全てを終わらせる為に一人の男は信仰都市に数多の怪物を放ち、信仰都市を終わらせる為に立ち上がった。
......。
「―――あーあ。もう終わりですね、ここも」
この世のものでない怪物が町に放たれる光景をウーラは数人の教会の人間を引き連れて遠くから眺めていた。
「ウーラ様、何か見えたのですか?」
「ううん。何も見えてないよ、貴方達はどうするの?これ以上お姉さんの監視なんてしても無駄だと思うけど」
「ネクサル様からの直々の命令ですから。ウーラ様が教会より自由の座を与えられているのは周知の事実ですが、我々の作戦を妨害されては困ると」
実に彼らしいやり方だろう。隠すことなんてせずに堂々としている。何せネクサルが持っているのは人間の記憶、世界の記録を司る神器メモリアだ。
その力を持ってすればどんな悪行だろうと、背信行為だろうと揉み消せてしまうのだから、怯えることなんて無いのだろう。
「まぁ、お姉さんの言うことを聞いてくれるなら安全だけは保証してあげますよ。アオバ君もむやみやたらに人が死ぬのは嫌だろうから」
「我々は教会の中でも特に信仰の厚い者達としてネクサル様より命令を与えられました。この信仰心の前ではどんな者でも敵いませんよ」
「うん。そうだね」
信仰心が直接の力になるのは事実だが、それだけではどうにもならなのを彼等はまだ知らない。知らないまま戦って、最後まで知らないまま死ぬのだろう。
教会はウーラ自身を含めて狂人の集まりだ。教会が信仰する神を全ての都市に信仰させ、均衡を崩しかねない力を持った人間、永久の時を生きる種族、一定のラインを越えたそれらを粛清と評して虐殺してきた。
力を持つのは自分達だけで十分だと、驚異になりうる存在は今の内に摘んでいるのだ。
「アカツキ君達、元気にしてますかね~」
「......やはり、ウーラ様はあの男も匿おうと?アカツキという人間の危険性については大司教様方と話し合いなさったのではないんですか。いくら我等が神より神器を賜っていようと、いずれ教会の驚異となる。それで話し合いが一致したでしょう...!」
「―――興味ないって。貴方達のことも、他の大司教の人達のことも」
ウーラは糸で縫われた右目を皮膚から血を流しながら金色の瞳を見開いた。その瞳で睨まれた瞬間、男の体は硬直し、呼吸をすることを忘れて背中に汗が滲む。
「ま、適当に監視しといてね。お姉さんはもう何にもしないから」
数秒後にはいつもの口調に戻り、金色の瞳も閉じられていたが男に恐怖と嫌悪を抱かせた。
「えぇ、貴方が嘘をついてる可能性もありますから。私共もずっとここに居ましょう」
「お姉さんは嘘はつかないよ」
「そうだと良いのですがね」
ウーラと男の会話は途絶え、数分の静寂の後に町から立ち上る煙と土地を汚染する泥が目視出来る。だが、ネクサルの命令によりこの場を離れることの出来ない彼等は同胞の無事を祈りながら、ただ見ることしか出来なかった。
という訳で、次回から信仰都市編の最終局面です。