<話し合いと隠し事>
「ダオの奴、そんなこと考えてやがったのか」
クレアの話を聞き終えたアカツキは椅子の背もたれに寄りかかり、何かを考えるように上を向いた。
「死者と生者を入れ替える呪法か。成る程、この都市だからこそ出来る芸当だな」
「ガルナは呪いとか呪術とか分かったのか?」
「大体だ。そもそもそんなものが存在するのもこの都市の性質故だろうがな。クレアの話を聞く限り、信仰都市では同じ事を繰り返しているようだ。捨て子が巫女になり、その巫女の後継者として新たな捨て子が巫女となる。循環しているんだ、一定の周期でな」
「それと呪術に何の関係が?」
「簡単だろう。単一のことを繰り返しているのはそれ以外に物語が用意されていないから。この都市が教会の崇める唯一神を見限った時点でその庇護化から除外され、運命と呼ばれるものも、新しい物語も用意されなくなる」
本来なら遠い昔にこの都市は滅んでいるはずだった。しかし、この都市の繁栄を望み、人々の幸せを願った1人の男とその先祖により滅びるはずだった運命からは脱却した。
「予言に書かれていたのは同じことの繰り返しだろうな。厄災が起こり、人が死に、また厄災が起きて人が死ぬ。それを何度も繰り返して、この都市から人が死滅しても一定の間隔で災厄は起こり続ける」
そしてようやく満を持して神がこの都市に降り立つのだ。そこには生物と呼べるものが魔獣だけだとしても、その神が降り立つことこそが信仰都市の終幕だ。
「呪いは長い時をかけて蓄積して、この都市を滅ぼす厄災の種となる。自分の血を抜いてもう一度自分の体に戻すことを繰り返している、そんなところだな」
そうしている内にその血はくすみ、どす黒くなっていく。それでも血を取り出し、またその血を体に戻す。呪いというものはそういう風に出来ている。
この都市だけで完結せざるを得なかった。唯一神を捨て、自分達の都合の良い神を望んだ時点で、この都市は閉鎖空間となる。人が死ぬ間際に抱いた感情次第で負と正に別れて、正が人を救う英雄を呼び、負が人を滅ぼす災厄となる。
同じ事を何度も繰り返しているのがこの都市、信仰都市の性質であり、どうしようもない事実だ。
この都市だけで全てが巡る。だからこそ、呪いなんていうものが生まれたのだ。
「だから、ネヴさんは言っていました。この都市を終わらせてくれと、そしてアマテラスさん。貴方はこの都市の滅びに立ち会って、そのあとは自由になってくれと。自分との約束も反故にしてくれて構わないと、そう言っていました」
「...ならば何故それをあいつが言わない」
アマテラスは震えた声と共に自分の胸を抑えて、前を向く。その目にもう戻らない喪失を宿して。
「ここにアイツはいるのじゃろう?なら私に自分の口から伝えれば、それでいいではないか。なのに、何故お前からそれを聞かされなければならない」
アマテラスの精神世界に魂だけの状態で留まっているのならば、どこでも話せたはずだ。遠くにいるのではなく、すぐそこに居るというのに、何故こうまでして回りくどい方法を使ったのか分からない。
そこまで自分が嫌いだったのだろうか。永遠を手に入れることを提案したことがそこまで気に食わないのだろうか。
「いいえ。それは違います。あの人は今でも貴方を大事に思っていた。口調、記憶を体験している時の顔を見て、私はそう思いました。あの人が貴方に伝えれなかったのはきっと何か別の問題があるんだと思います」
「別の問題...?」
「はい。ネヴさんは最後にある記憶を見せてくれました。恐らくこの記憶の最後に私は呪いをかけられたんだと思います。そのことを覚えていないのが悔やまれますが...」
「呪いを掛けられたときのことを覚えてないのか?」
「何故か最後の方が突然ぶつ切りになってるんです。ネヴさんともお別れの言葉をした覚えもないので何かあったとは分かるんですが...」
「いや、なら覚えてる範囲でいい。教えてくれ」
「はい」
......。
ネヴは一度死に、未練なくこの世を去りまた次代の英雄の誕生のためのエネルギーとなるはずだった。
しかし、彼は出会ってしまった。魂だけの状態となって各地を見て回る内にある一人の男と。
もしかしたら未練があったのかもしれない。この都市をちゃんとした形で復興できたか、アマテラスやシズクはこの先どうなるほか。そういった雑念のせいで最後の最後で諦めきれなかった。
『そんな姿になってまでこの世に止まるのか。ネヴ・スルミル』
まるで最初から自分のことを全て知っているような口ぶりで男は魂だけの存在となったネヴに気付き、あまつさえ言葉をかけてきた。
死した人間に話しかける存在があるとすれば、その人間も死に近い人間、特別な力を持った人間だ。恐らくこの男は前者、その男から放たれる魔力は泥のようで、どす黒い負の感情を感じさせた。
『お前は俺から全てを奪い、妹を奪った。―――返してもらうぞ、お前の全てを』
一瞬の出来事だった。辺りの草木が枯れ、地の底から伸びる腕が魂だけの存在となったネヴの手足に絡み付き、身動きを封じて地の底へと連れていこうとしてくる。
『これ...は。何で、そんな、君は』
男はどこまでも凍てついた瞳で、その奥に永遠に消えることのない憎悪の光を灯し、ネヴを睨み付けている。
『何度お前のことを呪っただろうか。何度父の愚かさに怒ってきただろうか。あるべきはずの場所を奪われて、あるべきはずの名前を奪われて、全てを失った人間のことがお前に分かるか?』
何を言っているか理解できない。何故ここまで憎悪を向けられるのかがネヴには分からない。分からなかった。
『この世界で生まれたお前が英雄だと。お前はその法則を知ってて尚、何故自分が本物のネヴ・スルミルだと思っていたのだ?』
『何を...言いたいんだ。君は』
『簡単なことだよ。スルミル家がようやくの思いで完成させた英雄に近い人間がお前の、俺達の妹だ。そう、近いだけだ。完璧な英雄としての機能は持ってはいない』
男は全てを否定する。ネヴ・スルミルの人生を、その欺瞞と嘘に満ちた滑稽な物語を。
『―――完成しなかったんだよ。英雄は』
ネヴのことを上から見下ろして男は冷たく言い放った。
『最初に生まれてきたのは何の力も持たない出来損ないの人間ネヴ・スルミルと生まれるべくして生まれた人造英雄の妹、シズクだ。おかしいと思わなかったのか?何故英雄を作れなかった家系に英雄が生まれた、なぜお前が歴代のスルミル家が束縛されてきた先祖の洗脳に抗えた?』
『ち...違う。そんな』
そんなことは考えてみれば単純明快だった。スルミル家は英雄を作れなかった。父親は一度としてネヴのことを完成品とは呼ばなかった。妹のことを出来損ないとも言わなかった。
『そのことにお前が気づけなかったのは、お前の肉体に宿っている神器メモリアの模倣作に込められた父親の執念、遂には完成させることの出来なかった英雄、その事実を後世に残してなるものかという思いが掛けた呪いだ』
男がネヴの頭に触れた瞬間、何かが軋む音がした。知ってはいけない忘れ去られた過去、未練がましく魂だけの存在となって信仰都市に止まってしまった。そのせいで生きている間は知ることの出来なかった真実、ネヴ・スルミルの人生を根本から引っくり返す忌々しい過去を思い出す。
『あ、ああ』
『お前は俺の模造品だ。愛しの妹とは血も繋がっていない―――赤の他人だ』
始まりはそう、やっぱり夢の中からだった。地の底から伸びる腕から必死に逃げる、何度も友から聞いてきた話の通り、英雄が誕生する時に必ず見る恐ろしい悪夢。
最後には逃げ場のない場所まで追いやられて諦め掛けた時、謎の光がその腕を、辺りの闇を吹き飛ばして体を優しく包み込む。
暖かな光に抱かれたまま、意識はゆっくりと覚醒していく。そこは寂れた町の一角、ボロボロの一軒家の中で目を覚ました。
うっすらと血の痕が残った壁を見ても特に何の感慨も抱かずに外へ出る。
分厚い雲差し込んでくる僅かな光、薄ぼんやりとした景色に慣れるには少しだけ時間が必要だった。
『やめ...ろぉ』
記憶は何度も頭の中で巡っていく。一日を生きるのに精一杯、その町に残っていた子供達と一緒に食料を探し、寝床へ戻り眠りにつく。
その平穏はある男の来訪と見るも無惨な子供達の死を持って幕を閉じる。
『その男は誰だ?お前の慎ましやかな平穏を破壊した憎い男の顔に、見覚えがあるんじゃないのか』
あぁ、僕は知っている。このとり憑かれたような光を灯さない瞳、顔にある大きな傷跡。見間違えるはずがない。
『それが俺達の父親だよ。出来損ないのオレを捨てて、英雄として生まれたお前をあたかも最初から自分の子供のように仕立て上げた愚かな男だ』
男は言っていた。もうこの都市に未来はないと。私の代で英雄が完成しなかった時点で大厄災によりこの都市に住まう人間は例外なく死に絶え、そこには何も残らない。
我らの悲願、スルミル家の再興も叶わぬものとなる。
その男が何を見ていたのか今なら分かる。都合の良いことだけを自分に埋め込んで、都合の悪いことはゴミ箱に投げ入れる。
『その男はな、自分の代で人造英雄を作れなかった時、生まれたばかりの妹に暴力を振るい、俺を絞め殺そうとした。何故かって?計算通りに行けば自分の代で英雄を人工的に作ることに成功してた。その計算が狂って、自分が孕ませた女を撲殺して、あまつさえ俺達を殺そうとした』
僕は問う。君は問う。
最初の悲劇は何か。俺達がこうなってしまった原因は何か。
『今のお前なら分かるはずだ』
『今の僕なら分かるよ』
意識が混濁する。記憶がない交ぜになって、自分と目の前の男が一体になっていくような感覚。
この悲劇はどこで始まった?
『『俺達が生まれた、その時から全部間違ってた』』
スルミル家、それは呪われた一族だ。初代当主、カルヴァリア・スルミルは己の地位に拘り、全てを欲した。実際、それを手にいれる為の力も知識も何もかもを備えた、いわば完成された人間だった。
だが、その男は致命的に終わっていた。それは何故か、その男には人間性が無い、どんな残虐なことも平然と行い、自分の為ならば都市に住む人間を皆殺しに出来るような外道だ。
その男は原初の呪い。この都市を滅ぼす最初の厄災、死を克服するために都市に住む住民の半分を殺し、この都市に厄災と呼ばれるものを振り撒いた。
『スルミル家、初代当主カルヴァリア・スルミルは不老を実現させた。その代価として、この都市を差し出した。正確にはこの都市の繁栄するはずだった未来を、だがな』
過去の記憶は悲劇だった。取り返しのつかない過ちをした父と、そんなことを露知らず死ぬまで本当の自分に気付かなかった愚かな自分。
ただ、それでも―――。
『―――とことんお前という人間は愚かだな。そこまでしてこの世にしがみつくか』
混ざりかけた存在を外へ追い出し、飲み込まれかけた自我を取り戻してネヴは道を作る。三年という短い月日であったとしてもアマテラスとの繋がりは誰よりも色濃く、死した身であろうとその繋がりを持ってすればアマテラスの中に逃げ込むことは出来る。
『僕は死んでるけれど、君に僕はあげれない。仮に僕の生に意味が無かったとしよう。全てが偽物で、掌の上で踊らされていただけ。けど今は違う』
ネヴの思念体がぼんやりと薄れていき、手足を束縛していた地の底から伸びる腕が透過していく。
『消えれない理由が出来た。全てが偽物の人生だったとしても、アマテラスとの出会いがあり、シズクとの出会いがあった。君の考えていることは分かるけれど、それを僕は肯定しない』
『終わらせるには手っ取り早いだろう。カルヴァリア・スルミルは滅びたこの都市に必ず訪れる。そのために必要ならば俺は悪にだってなるさ』
『カルヴァリア・スルミルの目的は何だ。神器を模倣し、不老を望み手に入れた。それでも尚、どうして彼がここに来ると?』
『代々スルミル家に継がれてきた本物の記憶を見た今のお前なら分かるだろう。奴は不老は体現したが不死を得ることは叶わなかった。その為には数も時間も足りなかったからな』
死を迎える間際に手に入れた不老はカルヴァリアに永久の時を与えた。その時間を持ってすれば彼が不死を実現させるのも時間の問題だ。
『不死を体現させるにはこの都市という存在が不可欠だ。何せ奴が生まれ、そして最も馴染みがある場所であり、外界から逸脱した独自のサイクル、積み上げられた呪いと願い。ここでは有り得ないことが起こる。その為の呪いであり、災厄だ』
『カルヴァリアは子孫に偽りの記憶を植え付けて、この都市の環境を整えていた。それが崩されたら多少は困るだろうけれど、この都市に執着する意味が分からない。ここはあくまでもサブプランだろう?』
『それでもあの男は固執する。ここは永遠に同じ事を繰り返している。ならば、奴は必ずここに戻ってくる。そういう風に出来ているからな』
『―――君は何を見たんだ。そして、何を思った?』
『全部だよ。カルヴァリアがこの都市を狂わせ、偽りの使命にすがる父を狂わせ、俺達の運命を狂わせた。もう終わりにしよう、ここは矛盾している。もう綻びが広がっている。―――悲しいだけの物語を終わらせるんだ』
『その為に何も知らない民衆を殺すのかい』
『この都市で死んだ人間の魂の一部を回収して今も地の底ではこの都市を終わらせるための力を蓄えている。苦しむのは一瞬だ、そのあとには自由がある』
『なら僕はそれを否定する。カルヴァリアを殺すためにこの都市の人間が死ぬ意味が分からない』
『大義の為の犠牲なんて人間にとって日常茶飯事だろうが。お前だってそうだ、力を持って人を従わせた。だがどうだ?この都市はお前を踏み台にして今も順調に復興している。お前は正しかったんだよ』
終わらせるという意味では納得した。しかしその肯定は出来ても、誰よりも力で従わせてきたネヴは、否、それを強いた彼だからこそ納得できない。
『犠牲は必要だとも。誰も死なせないなんて綺麗事は僕も言うつもりはない。けどね、犠牲を最小限に済ませることは必要だ、僕が見せしめにして奪ってきた命に意味はあった。けれど、君の虐殺に意味はない』
彼等は彼らなりの考えがあった。それを踏みにじって、自分が正しいと信じてネヴはその命を奪い、信仰都市を再興させた。虐殺なんていうのは無造作に命を奪うばかりで、奪われた命に意味はない。
『お前がこの都市を再興させるために命を奪う。その結果がカルヴァリアの不死を実現させることにお前は気付いただろうが』
『僕が救いたかったのはこの都市であり───思い出だよ。君も言っていただろう?僕はこの都市の英雄だ、この世界ではないどこかで生まれ、死した後も人々の願いが僕にもう一度生を与えた』
『...やはりお前とは相容れないか』
これ以上は意味が無いとでも言うように男は消えていくネヴに背を向けてその場を去ろうとする。
『...僕の答えなんて知ってたろうに』
『確認したかっただけだ。それにこれでようやく踏ん切りがついた』
男は去り際に振り返り、その目に確かな怒りと憎しみを込めて言い放った。
『同じネヴ・スルミル同士仲良くやれれば良かったのだがな。やはりお前は俺にとっての敵だ』
『...そうだね。さようなら、僕。きっと会うことはもう無いだろうけれど』
『何も出来ない苦しみを、見るだけしか出来ない無力を永遠に味わい続けろ。そこでようやくお前も俺のことを理解できるようになる』
記憶はここで中断された。そのあとはアマテラスの記憶通り、ネヴの墓を暴き、その力を手に入れた男により引き起こされた災厄とそれを止めるために命を捧げた少女と地獄からの干渉を防ぐために深い眠りについたアマテラス。
アマテラスが眠りについた後は男の手により巫女継承の儀というものが生み出され、人々の記憶からネヴ・スルミルという男の情報の一部が削ぎ落とされた。
そこからは同じことの繰り返しだ。七年周期で行われる巫女継承の儀により次代の巫女になる少女に先代巫女を食わせ、人々に偽りの安寧をもたらす。
「ここまでが私の覚えてる範囲です」
ネヴとの邂逅により得た全ての情報を話終えたクレアが一息つくと、アカツキ達も口を開き始める。
「そのあとはネヴと話したかも分からないと...。うーん、何が原因なんだろうな」
「普通に考えれば偽ネヴ...いや、本物のネヴなのか」
「ややこしいな。どっちもネヴに変わりないし、一先ずはアマテラスの知らない方を偽ネヴでいいんじゃないか?」
「そうか。ならば、その偽ネヴが呪いをかけた、が普通に思い付く答えだが、恐らく違うだろうな」
「まぁ、そりゃあそうだろうな。ここまで色んなことが絡み合ってるんだ、まだまだ知らない奴が出てきても不思議じゃない。なんなら、カルヴァリアって奴かもしれないしな」
クレアの話で出てきたこの都市が破滅に追いやられる直接の要因となった男、恐らくはまだどこかで生きているのだろうが今回の戦いに参加するようなことは無いだろう。
「そのカルヴァリアとかいう男は傍観を決め込み、出てくるとすれば恐らく最終局面、どの陣営も疲弊しきっているところで現れるだろうな」
「あくまで可能性の話だけど、それも視野に入れといた方が良いよな。ていうか想像以上にやばいとこに居るんだな、俺らって」
ダオは娘や妻を生き返らせるためにこの都市に生きている人間全てを犠牲にしようとしており、偽ネヴはカルヴァリアを誘き出すためにこの都市を破壊しようとしている。
それに加えて邪教徒を許さない教会の残党、ここまでの混戦はアカツキにとっても初めてであり、どう対処すれば良いのか甚だ検討がつかない。
「一先ずは俺達の意見を纏めておこう。皆はどうしたい?」
「私はあんたがしたいことを手伝うよ。これ以上あんたに無茶させられても困るしね」
「俺もナナと同じだ。お前に従う」
「ここまで来てしまったもの。引き返すつもりはないわ 」
ガルナとナナに続いて最初は否定的かと思えたリアもアカツキの答えをまるで見透かしているように肯定する。
「罪もない人が死ぬのはもう御免だ。だから引き返しはしないよ。けど、今回の戦いに加わるのを無理強いはしない。特に雫とネオはこの都市に住む人達を許せないだろうし、クレアも大分深くまで知っちまったらしいしな」
たとえ偽ネヴの虚言に騙され、記憶の一部を改竄されている故の行為だったかもしれないが、雫が育て親であるレイを喰うことになっても誰も止めはしなかった。
彼等にとってはその行為は何よりも重要で、信仰都市の安寧を確固たるものにすることだとしても、雫は彼等を許すことは出来ないだろう。
「今回はこの都市に住む人間全員が被害者みたいなもんだ。誰が悪いわけでもない。お前らはそう割り切るのは難しいだろうけど...」
始まりの悪はカルヴァリア・スルミルであり、それ以外の人間は彼によって狂わされた被害者のようなものだ。偽ネヴは本来歩むはずだった妹との幸せな日々を奪われ、その運命を呪い、元凶たるカルヴァリアを殺すためならば手段を選ばなくなり、人々を狂気によって扇動した。
それによりダオは妻と娘を奪われ、娘が最後に打ち明けた理想を現実のものとするためにこの都市に生きる人間全てを犠牲にして死んだ人間を甦らそうとしている。
雫とネオは偽ネヴによって狂わされた民衆の狂気によって母を奪われている。
誰も悪くない。偽ネヴだって悪と呼べるものだとしても、彼もカルヴァリアとスルミルの妄執によって幸せを奪われた被害者なのだ。
「姉さん、どうするの?」
ネオの質問に雫は少しの間考え込み、やがて意を決したように前を向いてはっきりと答えた。
「...やります。巫女としての責務を最後まで果たして―――友からの最後の願いを叶えるためにこの都市を終わらせよう」
巫女として、人々に信仰される神として雫とアマテラスは決意を決める。どうあってもこの都市の終わりは免れない。しかし、その結末に至るまでに多くの人間が死ぬか死なないかの違いだ。
「クレアは...どうする?」
クレアはこの中で最もこの都市の醜い部分を知っている。多くの悲劇を知り、多くの苦しみを見てきた。徐々に狂っていく民衆とその先頭に立ち悲劇を産み出し続ける偽ネヴの姿。
他人のことだとしても、たとえ彼等が洗脳されていたとしてもこの都市の人々は許せないことをしてきた。常識的に考えればそれはおかしいことだと分かるのに。クレアが正常だからこそ悪夢のような光景だった。
だから―――。
「ここで終わりにしましょう。私も皆さんと一緒に戦います」
「そっか...」
彼女なりに心の整理をつけたのだろう。であればあとは行動に移すのみとなる。
「後は明日以降の作戦を決めて今日は休もう。ガルナ、頼む」
「任された」
正直アカツキは仲間に恵まれている。大体のことはこなせるナナと圧倒的な強さを持つリア、主に情報戦や作戦の考案に長けるガルナ。
クレアだって出来ることは少ないがアカツキにとっては精神的な部分を支える大事な仲間の一人だ。
そして恐らく今回の戦いで誰よりも足を引っ張るのは誰でもないアカツキ自身だ。
「今回は敵が多く、陣営も様々だが全員で行動するのはあまり得策ではない。戦いが始まるとしたら各地で同時に、だ。ダオ率いるウルペースと偽ネヴ率いる地獄の化物と泥の進行、現状この泥に対抗できるのは雫とアカツキの二人だけ、規模もどれぐらいのものになるか分からないが恐らく今までとは比べ物にならないだろう」
「けどアカツキはあんまり無茶させられないよ?」
「そうだ。アカツキはこれ以上神器を使い、もう一度魔力の殆んどを空にした場合半変異から変異に変わり、下手をすれば敵になることも有り得る」
アカツキは過去に何度か力に任せた戦いにより生命活動に必要な魔力も残らないくらいに空っぽにして何度も倒れ、時には神器の制御を出来なくなったりしている。
「今回の戦いでは今までのような戦い方は出来ないだろう、というかするな。死にたくなければな」
生きる上で当たり前に消費される魔力を失くしても彼が生きていられるのはそれを神器に溜められている魔力から補給しているから。
それによって死ぬことはないが、神器に溜められている魔力は人間にとって猛毒のようなもの、それが影響してアカツキの体はもう既に半分人のものではなくなっている。
「変異すれば骨の湾曲あるいは突出、血液の逆流などまともな死に方は出来ない。今挙げたものすら多少マシな結末だ、その意味がわかるな?」
「分かってるよ。出来るだけ無理はしないようにする」
「これらを踏まえて各地で起こる戦闘に合わせて人数を分けることにする。まずは雫とネオ、そしてナナ、お前ら三人は主に偽ネヴの率いる地獄の化物と泥に対処しろ」
アカツキはあくまでも泥の進行を阻む程度で根本的な解決には至らない。しかし雫ならば泥を浄化することで無害化することが出来る。
「ナナとネオは主に泥の浄化中に攻撃を仕掛けてくる敵から雫を守れ。戦闘は極力控えろ。何よりも最優先は泥の対処だ」
生きている限り地獄の泥は人間にとって毒でしかない。精神汚染に多少の差はあるが、長い間人間が触れていいものではない。
「次にクレアとリア、アカツキの三人で教会の対処だ。こちらは話し合いは絶対に不可能だ、死なない程度に撃退しろ。いいか、絶対に殺すな。ウーラが俺達に教会が手出しできないように手配しているとはいえ教会の人間を殺せば教会には正当な理由が出来る。やるとしても最悪の場合だ」
リアはこの中で最も実力があり、アカツキだって能力を見れば頭一つ飛び抜けている。
「クレア、お前が居ればアカツキにとっての抑止力なる。仮に神器の暴走が起きても何とかなるはずだ」
しかしそれを制御できるとは限らない。力の加減を知らなければお互いに傷つくのみ、その為のクレアだ。
「ねぇ、そしたらあんたは一人ってことになるけど?」
「ああ。俺はウルペースに潜入してダオの計画を止める。その前にクロバネを救い出す必要があるが、混戦に紛れて上手くやる。それにリアの予言通りなら二人で居ることは得策ではない」
「二人でいると死が近づくだっけか。そんなことあるのかね」
「少なくともそいつが本物のクラブァー・リストロミアなら今まで予言を外したことのない大予言者と言われている」
大昔から各地に予言を残すクラブァー・リストロミアと呼ばれる老人、間接的とはいえアカツキもそれらしき人物と関わっている。
「まぁ、一応ってやつか。それにガルナなら何とかなるだろ」
「潜入とかなら私が適任だと思うけど」
「実力的に見てもお前は雫達と同行した方がいいからな。それに俺個人の力ではあまり戦いでは役に立たない。あくまでもこれは保険のようなものだ」
そう言って胸元から取り出した黒い石は今もぼんやりと輝いており、見ていると次第に不安になって、アカツキは不意に顔を反らしてしまう。
「あくまで最終手段だ。本当ならこの都市で使うはずがなかったが、流石にネクサル相手に手加減はしていられなかった」
ガルナの胸元にある黒い石の中にはいまも尚別次元からの観測者が潜んでいる。実態を持たず、ガルナを媒体とすることで一時的に力の一部の使用が出来る。
「それ、多分あんまり使っちゃいけないやつだよな?」
「あくまでこいつが協力的なだけであって、ふとした瞬間に見限られたら俺もその場に居る奴も終わりだろうな」
それでもガルナがこんな力に頼るには訳があるのだろう。きっと、アカツキにも見えない遠い先のことを見据えての最終手段、ならばそれにとやかく言うことは出来ない。
「万が一も含めても人選だ。クロバネを連れ戻したら俺も一時的にどこかと合流する」
「まぁ、あんたがそう言うなら別に私も反論はしないよ。そこのバカとは違って冷静に物事を見えてるし」
いつも通り言葉の節々に刺がありながらもナナも納得した雰囲気を見せる。
「...珍しいな。お前が素直に人を誉めるなんて」
「珍しいね、あんたがバカって言われて反論しないのは」
「あのさ、わざわざスルーしたんだから掘り返すのやめてくんない?」
しかしそれが普段通りのアカツキとナナの関係だ。決して仲が良い訳ではないが、悪いわけでもない。
「さて、と。大体話すことは話したし、夜も遅いし休むとするか。一人っきりにならないように男女で部屋を分けて寝ようぜ」
「まぁ、それが一番だね。こっちにはリアと雫が居るし奇襲とかされても大丈夫だし、というか一番不安なのはそっちなんだけど」
アカツキは戦えるとしても多少のデメリット付き、ガルナだって決して戦闘が得意とは言えず、何なら片足を無くしているネオの方が素の戦闘能力では上だろう。
「まぁ、一応人気のない場所の誰も住んでなかった屋敷だ。そう簡単にバレはしないと思うし、万が一があっても部屋が近ければ大丈夫だろ」
最低限、離れすぎない距離の部屋で男女に別れて寝れば何かあれば早急にどちらかに駆け付けれる。それにウルペースも警備で忙しく、わざわざアカツキ達を探すようなことはしないだろう。
「あるとすれば教会の奴等だな。けど一番の驚異だったネクサルの義体はガルナが破壊してるからこの都市にはもう居ないし、瞬殺されるってことはないと思う」
町の住民を化物へと変えたあの光の海はおそらくネクサルやウーラといった大司教クラスの人間でなければ使えないものだ。
知らない内に化物になってて殺されるなんてことは無い。と思いたいが、未だに教会に所属する信者達のみが使用出来る聖法と呼ばれるものは未知数だ。
「けど、警戒しすぎで眠れないのも明日からの作戦に支障をきたす。出来るなら万全の状態で挑みたいしな。それに外にはロロとミミが居るし、何かあったら真っ先に気づくはずだ」
「ま、心配のし過ぎも良くないってことね」
「そういうこと。んじゃ、取り敢えず解散!明日の朝は早いからな、あんまり夜更かしすんなよ」
アカツキの掛け声と共に少しずつ広間から人が居なくなり、片足を失っているネオをアカツキが背負って、ガルナと共に寝室へ向かう。
「というか足無くしたままだと不便だよな。それでも強いのは事実だけど大変だろ。義足でも作っておけば良かったか」
「そんなものを作って貰う伝も無ければ時間も無かったからな。それに代用ぐらいならお前でも作れるだろう」
かつての学院都市での戦いでは片腕片足を欠損したアカツキは神器の力を使い、擬似的な手足を再現して戦ったことがある。しかしそれはあくまでもアカツキ自身であったからで、他人に使うとなると難しいのだろう。
「まぁ、やることはやっておこう。動けなくてもお前は十分強いし、雫の近くに居れば事欠かないだろうしな」
「そんなことが出来るんですか?」
「出来る、とは言えない。希望はあるってくらいだな」
サタナスが消えて以降神器のリミッターは常に外れた状態。今まで細かな調整をしていた彼が居ないとなれば調整を自分でするしかない。
アカツキでも神器の力はこの身に余る代物だと分かっているが、既に心臓と一体化してるため、一心同体と言っても過言ではない。
「しかしお前の神器はまだ分からないことだらけだ。お前自身の魔法適正も考えれば使い方を考える必要があるな」
「深遠魔法ね、こんなかっこいい名前なのにどんなものなのか俺にも分からねぇよ」
「歴史的に見ても深遠魔法の適正を持つ人間は見数える程しか居ないからな。情報はどれも曖昧で、どのようなものかも不明だ。一説ではありとあらゆる魔法を扱うことが出来るのではないか、また一説ではそれは魔法と同じように使うものではなく全てを知る知識の名称なのではないか。どれも推測の域を出ない」
そんなものを寄越されてもアカツキとしては使えない力を持ってるだけで特に戦力にもならない。魔法なんてものも使ったことはなく、神器に任せた力任せのゴリ押しばかりで思っていた異世界での戦いではない。
「色々と小回りの利くものだったら良かったのにな」
今までの戦いを振り返ってると悪いところばかりで決して効率の良い戦い方などではなく、その場限りの全力勝負。今回のような連戦が予想される戦いではそんな戦い方では乗り切れないだろう。
「と、話してる間に部屋についたな。取り敢えずネオの義足代わりのものを神器で再現できるか試してみてから風呂に行くか」
「前の感覚を忘れるなよ。大事なのは知ることだ、ネオの波長に合わせてみろ」
学院都市では神器同士の戦いで、クルスタミナと渡り合えたのはガルナから事前に神器の打ち消し方を習っていたから。相手の神器と同じの力をぶつけて相殺するだけ、しかしそれが予想以上に難しい。
常に不安定な出力のメモリアと同調し、大きすぎても小さすぎてもいけない。頭と肉体を酷使した戦いだった。
「慣れれば簡単な魔法なら打ち消せるようになる筈だ。常に心掛けておけ」
「その慣れが難しいんだよな。まぁ、頑張るけど」
ベッドの上にネオを下ろしてアカツキは無くなった方の足に手を乗せる。あくまでも代用、無理に完成度を高める必要はない。
「...すごい」
肉の断面から少しずつ黒い物体が発生していき、それは次第に形を変えていく。
「あんま動くなよ。ずれると歩きづらいだろうから」
「あ、はい」
ガルナから助言を貰いながら少しずつ闇がネオの体重を支えられ、その身長にあった長さに変わっていく。
「もう少し長くしろ。加減は忘れるなよ」
「おう」
ガルナがネオの左足と比べて同じ長さになるように指示し、それにアカツキは従う。彼が出来ないことはガルナが補完することでネオの失われた足が戻っていく。
「上出来だ。もういいぞ」
「...ふぅ。やれば出来るもんだな」
満足げに一息ついてアカツキがネオの足から手を離す。
「神経とかそこら辺どうなってるんだろうな」
「神器はその人間に馴染む。お前から分離した一部は既にネオの足として役割を果たすだろうな」
「へー便利だな」
「だがあくまでも代替え品でしかない。無理をすれば簡単に崩れ落ちるぞ、走る程度なら申し分はないがな」
ネオが不思議そうに新しい足を眺めているとドアがノックされ向こう側からナナの声がする。
「お風呂入り終わったから次いいよー」
「おーう。分かった」
どうやらネオの足を治してる間にナナ達が風呂から上がれるくらいまで時間が経ってたらしく、アカツキはパジャマと下着を取りにその場を離れる。
「ネオ、お前にとってその足は必要のないものなのかもしれないが大事にしろ」
「...分かってました?」
「元々千切れかけてた足でダオの元へ帰ったんだ。何かしらの秘策があるか、よっぽどの馬鹿でなければそんなことは出来ない。───俺には、お前がそんな人間には見えなかった、それだけの話さ。俺達ににそれを見せない理由は聞かないでおくが、あまり無茶はするな」
何もそれが悪いことだとは限らないが人に見せたがらないのはそういうことなのだろう。彼には彼の理由がある。ガルナは深く聞くことはせず、何言わぬ顔で立っていた。
「よし、さっさと風呂入って寝ようぜ」
「そうだな」
―――だから、その甘さに乗っかって最後の最後まで本当のことを打ち明けられなかった僕は本当に最低だ。