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遥か彼方の浮遊都市  作者: しんら
【信仰都市編】
159/186

<過去の傷>

そこはとても優しい記憶。

そこはとても悲しい記憶。


失ってしまったことに気付かない愚かな自分を呪い、いつかの思い出に涙を流す。


自分の母親のことなんて今まで考えもしなかった。


居ないのが当たり前だと思っていたから。自分には雫というお姉ちゃんと、ダオというおじいちゃんが居たから悲しいと思ったことなんて無かったから。


幸せだと思っていた。

何にも知りもしないで。


「母さん」


もう戻ってこない人、誰よりも優しくて誰よりも自分を支えてくれた大事な人だったのに、それを今まで忘れていたなんて、とんだ親不孝者だ。


目の前には幼い子供達と一緒に眠る母親の姿があった。


どれ程恋焦がれようとも取り返すことの出来無い、幸せそうな光景を見てしまった。僕の記憶の中ではいつもお母さんは優しくて、元気な人だった。


けれどこの記憶の中ではお母さんは一人の時になると苦しんでいた。誰よりも愛した夫のこと、自分を育ててくれた母親をこの手で喰ったことを思い出して、誰も居ない空間にただひたすら謝っていた。


そんなお母さんの弱さを知らないまま年月は過ぎていく。僕達の前では元気で明るい母を演じて、時折見せる悲しい顔に気付かないまま。


お母さんは最後の最後まで巫女としての役目を全うした。自分に母の遺体を喰わせるように言った男にも、それを止めることもせずに囃し立てる民衆にも復讐することなく、最後までこの都市の為にその身を神様に捧げた。


そして、母の記憶を塗りつぶすように自分(ネオ)の醜い記憶が呼び覚まされる。


『お前が...!お母さんを!!』


そこは暗い寝室だった。在りし日の記憶では家族皆で眠っていた場所で、小さな子供が自分の姉の首を絞めていた。


『ネ......オ』


今まさに殺されようとしているのに少年の姉は抵抗する素振りを見せなかった。ここで死んでも構わないと思っていたのだろう。そんなことに気付かないで次第に首を絞める力が強くなっていく。


母を殺したのはこいつだ。血も繋がっていないくせにいつも偉そうにしていて、負けず嫌いで、いつも笑っていて、いつも一緒に居てくれて―――。


『死ね、死ね、死ね!!』


自分という存在がぐちゃぐちゃになっていく。心で思っていることとやっていることが一致しない。もう自分が何を考えているのかも、何をしているのかも分からない。


一度幸せを覚えてしまったら、それを喪失した時の苦しみと絶望は凄まじいものだった。何も考えずに、母の喪失で決壊してしまった感情を姉にぶつける。


そんなことしても意味なんてない、本当に悪いのが雫ではないと知っていても小さな子供に何が出来ただろうか。


ネオは母を失うにはあまりにも早すぎた。唐突に崩れ去った幸せに耐えきれなくて、怒りの矛先を雫へと向けた。


「待て、やめろ。そんなことしても変わらないんだ」


過去の自分を止める為に手を伸ばすと、その背中を通り越していく。


結局は起きてしまったこと、それを見ているだけのネオには過去の自分に言葉を伝える術を持たない。


『お母さんを返せ!!』


「違うんだ...。悪いのは姉さんじゃない」


どれだけ大声で叫ぼうとも、きっと彼には届かないのだ。もう過ぎてしまったことなのだから。


『どうしてお母さんだけが死んで、お前だけが―――!!』


ネオの怒りの慟哭に雫は何かに気づいたように顔を強ばらせて涙を流して答えた。


『ご...めん...なさ...い』


雫の胸中も今だからこそ分かる。きっと本人もずっとそう思っていたのだ。


大切な人を喰っておいてどうして自分だけが生きているのかと。


けれど、生きていたかった。いや、忘れたくなかったのだ。


母との思い出、ネオとの思い出、黒羽との思い出、ダオとの思い出、それら全ては死んでしまってはもう思い出せない。


そう思うと胸が苦しくなって、生きていたいと思ってしまった。別れが悲劇であろうとも、それに至るまでの物語はどれも幸せだった。


『雫様!!』


二人だけの部屋に突如現れた狐の面をつけた男女達、雫の上に乗って首を絞めるネオを見て、その凶行を止めるためにネオを後ろから捕まえる。


『ネオ、やめるんだ!悪いのは君のお姉さんじゃない!!こんなことしたってレイ様が悲しむだけだ!!』


『うるさい!!離せ、そいつが殺したんだ!!』


『違うんだ...。違うんだよ、ネオ』


男の声は幼き頃のネオの耳には届かない。狐の面が暴れるネオの手にぶつかって地面に転がり落ちる。


『レイ様を殺したのは...僕らなんだ。ネヴ・スルミル様に命じられて、レイ様を雫ちゃんに喰わせたのも...!!』


顔に傷のある男は泣いていた。自分達の過ちを悔いているからこそ、雫を守ろうと誓った。そんなことをしても贖罪になるとは思わないが、そうせずには居られなかった。


ネオの苦しみも怒りも分かる。しかし、雫を殺させるわけにはいかなかった。


ここに居る人間は誰もが罪を背負っている。


雫は母を喰い、その雫に母を喰わせたのはネオの凶行を止めた彼等、そしてネオは怒りに身を任せて姉に手をかけた。


「......」


失われた記憶は全て元通りになった。辛かったことも楽しかったことも、―――自分の罪も。


「ごめんなさい、お母さん」


母に許しを乞う。一時の感情に任せて一番やってはいけないことをしてしまったから。


記憶の迷路を抜けて、次第にネオの視界に光が戻ってくる。誰かの呼ぶ声と、頭には柔らかい感触がある。


「...オ!」


その声を頼りにして目を開くとそこにはネオのことを心配する雫の顔があった。


「......」


「大丈夫?どこも痛いところとかない?」


甲斐甲斐しく弟を世話する雫、その膝の上でネオはゆっくりと口を開いた。


「―――ごめんなさい。お姉ちゃん。あんなことして、ごめん...。ごめんなさい...」


姉に許しを乞う。ネオのことをいつも心配してくれた大事な人なのにやり場の無い怒りに身を任せて殺そうとしてしまった。


雫がどれだけ苦しんでいたかも知らないで、自分の感情だけを優先して、痕が残るくらいに首を絞めたこんな愚かな弟を果たして姉は許してくれるだろうか。


「ネオ...」


「仕方がなかったんだ。だって、お母さんが急に居なくなって、そのことを誰も話してくれないから初代祭司のネヴ様に聞いたら、お母さんが死んだって言われて...」


「うん」


「だって、一日前には僕らを笑顔で見送ってくれたのに帰ってきたら死んじゃってて、もう訳が分からなくなって...!」


これが言い訳だということはネオも分かっている。しかし、言葉にしないとどうしようもない時が人間にはあるのだ。


「うん。分かってるよ。ネオは優しいもんね、あんなこと普通はしないって」


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「そんなに謝らなくても良いんだよ。私はネオのお姉ちゃんだからね。許してあげます」


そう言って雫はネオの頭を優しく撫でる。


―――こうして、姉らしいことをするのはとても久しぶりな気がした。


ネオは成長して、もう私が支えなくても十分なくらいに強くなり、こんな風に泣きじゃくることも無くなっていたから。


だから、ネオには可哀想だけどこうして姉らしく弟の面倒を見れて今は少しだけ嬉しい。


辛いことも楽しいことも今までずっと一緒で、同じお母さんに育てられて、確かに血は繋がってなくても心はずっと繋がっている。


「...上手くいったみたいだな」


「ん?アカツキ、何か言った?」


「いいや、こっちの話だよ。ほら、ちゃんと見てろ。焦げるからな」


「はいはい」


こっそりと扉の隙間から雫達の姿を見て、アカツキは少しだけ微笑んだ。そして夕食を作っているクレア達の下へ戻り、何事も無かったかのように夕食の準備を再開した。


「あ、どうせならもう一品くらい増やしとこうぜ」


「そうですね。明日の朝の分を残して、今夜中に食材を使いきっちゃいましょう」


「おい、これはどうやって切ればいいんだ?」


「あんた本当に料理出来ないんだね」


「する必要が無かったからな」


雫とネオの問題も綺麗に解決して、台所からはアカツキ達の楽しげな声が聞こえてくる。今まで主を失って静かだった屋敷に少しだけ人の営みが戻って、夜の帳が町を次第に飲み込んでいく。



......



「おーい!手が空いてるなら、皿とか運んでくれー」


台所に繋がる扉が開かれてアカツキが雫達に料理を運ぶように呼び掛けると元通り、自分達が座っていた椅子に座っていた雫達は台所へ向かう。


「そこに作ったやつ並べてるから」


「ネオ、持っていこ」


「あ、うん」


雫とネオが仲良く料理を運んでいると、リアはアカツキのことをこっそりと手で合図をして呼び掛ける。


「ん?どうした」


クレア達に聞こえないような大きさの声でリアはネオの記憶を無事に取り戻せたことを報告した。


「本当に何も起きなかったわ。私、必要だった?」


「保険だよ保険、何にも無いに越したことはないけど、一応な」


記憶を取り戻したネオも少しの間泣いたらすっきりしたようで、十分も経つ頃には少しだけ恥ずかしそうに椅子に座って大人しくしていた。


そんな空気に耐えられなかったリアがちょっかいをかけると、ネオは身の危機を感じて雫のことを呼んでいた。特に姉弟関係がギクシャクしているという訳でもなく、本当に上手くいったと言っていいだろう。


「ありがとな、助かったよ」


「えぇ、少しでも役に立てたなら幸いよ。それにしてもあの子達の過去に何があったの?」


リアには雫がネオに自分達の過去のことを打ち明けるとだけ伝えており、詳細を言ってはいない。だからこそ、気になってしまったのだろう。


「それも含めて食事が終わったら全部話そう。もう隠したりはしないさ、俺のことも含めて全部伝える」


「本当に?」


「俺が信用ならないのは俺でも分かるけど、今回はちゃんと約束を守るよ。今だけはゆっくり休もう」


そのアカツキの言葉に納得したのかリアは「分かった」と頷いて雫達と料理を運びに向かった。


「何か大事な話でもしてたの?」


隅で二人話していたことにナナは自分の作った料理をつまみ食いしながら質問してくる。


「お前な、つまみ食いは行儀悪いぞ」


「これはつまみ食いじゃなくて味見だから」


「はいはい。んで質問の答えだけど何でもないよ。どうせ後から話すし」


「ふーん。...ならいいや」


ナナはそれ以上話すことなく、クレアの料理の手伝いに向かう。これでも最初からアカツキと旅をしていた彼女だからこそ、今回はちゃんと話してくれるだろうと信頼してくれているのだろう。


アカツキも自覚しているように、アカツキがよく隠し事をする癖をナナも知っている。


「そう考えたら俺って結構迷惑な奴だな」


「今更自覚したか」


「って、ガルナ。お前さっきまで人参を切るのに悪戦苦闘してたのに、もう終わったのか?」


学院都市では寮に住んでいたガルナは朝食と夕食は寮にある食堂で、学校に居る間は学校の食堂で昼食を取っていた為、料理というものをしてこなかったのだという。


だからついさっきまでクレアとナナの指導を受けていたはずなのだが。


「下手くそだから代われと言われた」


「はは...。てか、お前が出来ないことがあるなんて珍しいな」


「俺だって出来ないことの一つや二つあるさ。料理というものは大変だな...」


ガルナもまだまだ知らないことはあったということだ。このメンバーの中では誰よりも物知りな彼でもどうやら料理は未開の地らしく、珍しく疲れた様子を見せていた。


「ま、まぁ。慣れれば簡単だよ。丁度夕食の準備もこれで終わりだし、さっさと運ぼうぜ」


味噌汁を作っていた鍋の火を消して、アカツキがそれを器に盛るとそれを受け取りに雫達が訪れる。


「どんくらい食う?」


「私はたくさん下さい」


「僕はちょっとだけ少なめでお願いします」


「はいよー」


こうして夜も深まってきた所で和やかな晩餐が始まり、この時だけは明日以降のことを忘れて、たくさん話し合いながらゆっくりと時間が過ぎていく。


けれど、時間は有限でいつまでも楽しいことは続かない。夕食を終えて食器などの洗い、台所の灯りを消してアカツキとクレアとナナの三人が部屋に戻ると、時刻は既に夜の9時を過ぎていた。


「さて、と。んじゃまあ、予定通り明日以降の話と、それぞれの言わなきゃならないことを言うか」


話すことはまず最初に個々の話になる。アカツキであれば自分の体質のこと、これ以上無理な戦いを続ければ体が持たないことや、精神的に不安定になることなど。


それにメモリアが残していった力のこと、包み隠さず全てを話さなくてはならない。


「一応基本方針はこの都市を襲う厄災を止めること、もしくは起きてしまった時に被害を最小限に止めることだ。異論は?特に雫やネオは思うところがあるだろ」


アカツキ達が守るのは戦う術を持たず、罪もない人々を守ることだが、この都市の異常性を知ってしまった今は彼らの言い分にも耳を傾けなければならない。


ネヴ・スルミルの洗脳かは知らないが彼等の母親は民衆の意思で殺され、次代巫女である雫にその血肉を無理矢理食わせたのだから。


簡単に言えば彼らの母を殺したのはその守るべき住民であり、この都市なのだ。


「僕は...。正直に言うと姉さんだけ生きてくれればそれでいい」


「ネオ...」


「だって、やりたくもないことを強制して、姉さんにお母さんを喰わせたなら、僕は許せない。けど...」


「死んでほしい訳じゃない...か?」


ネオにも雫にも思うところはあるだろう。アカツキ達とは違い、雫達は実際に被害を受けている。許せないのも分かる。


「...ごめんなさい。私も正直に言うとネオさん達と同じ意見です」


だが、その中で唯一彼女の反応だけは予想外だった。救いたいと言われることはあっても、許せないと言うクレアの姿がアカツキにはどうしても想像できなかったから。


「あぁ、そうか。お前は見てきたんだもんな」


「はい。アマテラスさんとネヴ・スルミルさんの記憶を私は昨夜見ました」


ネヴ・スルミルという名前に雫、いや彼女の体の中で話を聞いているアマテラスが反応を見せる。


「これは、アマテラス様が聞いた方が良い話ですか」


「出来れば変わって頂けると助かります。ネヴさんから伝えるように頼まれているので」


雫が瞳を閉じて深呼吸すると、雫の髪が次第に白く染まっていき、もう一度瞳を開けると瞳の色が青から赤へと変化していた。


「それで、何を見た。あの男は何と言っていた」


アマテラスの生みの親とも言える信仰都市初代祭司のネヴ、誰よりも優しく、誰よりも冷徹であることでこの都市を守ってきた彼の記憶を見て、クレアの心は少しだけ揺らいでしまった。


「最初はアマテラスさんの記憶を見ていただけでした。けど、途中で現れたその人は私とアカツキさんとの間に交わされている依存の儀式についての危険性を教えてくれました」


「...依存の儀式のことを?」


まさか信仰都市に来てその単語を聞くことになるとは思わなかったが、あれも一種の呪いだ。本来なら依存の儀式考案者であるヴァレクにクレアを依存させ、我が物としていたのをアカツキは横からかっさらったようなもの。


正確にはクレアを我が物としようとしていたのはヴァレクがその身に宿していた三大悪夢と呼ばれるものの一つ。神から発生し、自我を持った存在であると語り継がれるそれは、クレアのことを箱の少女と言っていた。


アズーリ達にも箱と呼ばれるものが何なのか分かっていない。それをガルナに相談してもやはり何なのかは分からなかったが、上位種とも言えるあの存在が求めるには何かしらの価値があるのだろう。


それが危険なものか、安全なものかは分からないが。


少なくとも人を人として扱わず、アカツキを拾ってくれた恩人達の町に魔獣を放ったあの男から救いだすという意思の下でアズーリ達と協力して救いだすことに成功した。


その時に依存の儀式をしなくてはクレアを助けられなかったアカツキは契約を結ぶことでクレアを助け出したわけだが。


「私とアカツキさんとの間に結ばれた依存の儀式の影響で私は異常な執着心を見せるようになっていると、そう言われました」


「まぁ、そうだろうな。アズーリ達がいくら弱めてくれてるとはいえヴァレクが作り上げたものだ、そう簡単には行かないだろうな」


ヴァレクの才能と惜しまぬ努力が作り上げた魂そのものに干渉する驚異の魔法と呪いの複合術、それこそがアカツキとクレアの間に存在する依存の原因だ。


「雫でもこれは解けないんだよな」


「呪いと魔法の複合だけでなく、クレアさんの魂そのものに住み着くそれを祓うと、下手をすれば魂ごと消し去ることになります。巫女の力を持ってしてもそれを破るのは...出来ません」


雫が今まで祓ってきた呪いなどは人の身に染み付いたしの染みようなものだ。しかし、依存の儀式と言うものは違う。ありとあらゆる解除法を許さず、人の魂そのものと同化している。


「唯一の解除方法はどちらか一方の依存の儀式に関する記憶を消すだっけか」


「そんなことを出来るのは神器くらいのものだがな」


そしてその記憶の消去を唯一行えるのはネクサル・ナクリハスが所有する神器メモリアのみとなれば、まず解除は不可能だろう。


「取り敢えず話を進めよう。クレア、まだ続きはあるんだよな?」


「はい。依存の儀式についてのことを話された後にネヴさんの案内で記憶の一部を見ることでこの都市で巫女継承の儀を長らく行ってきたネヴさんの名前を騙った人物のこと、アマテラスさんがどうして雫さんの代まで起きることが無かったのか。そして、ハデスと名乗る神について教えられました」


「...そこまであいつは知っていたのか?」


アマテラスが長い間、巫女の体を借りて表に出てこれなかったのは本人なのだから当然分かるが、それ以外のことについてはアマテラスは多くを知らない。


「まず、アマテラスさんが今のように巫女の体を借りて出てこれなかったのは...」


「良い。それなら私が話す。どうせ、言おうと思っていたことだ」


昨晩、あまり語りたがらなかった自分の過去についてアマテラスはゆっくりと話し出した。


「ネヴは初代祭司であり、今まで血筋など関係なく継がれてきた最後の英雄となった。信仰都市が長い間教会の侵略と災厄に襲われても耐えてこられたのは英雄と呼ばれる一騎当千の猛者がどの時代でも存在したからだ」


英雄が死ねばどこかで新たな英雄が生まれる。いや、正確にはこの都市に流れ着くというのが正しい。様々な世界から流れ着いてきた彼等は最初に決まった夢を見て、目覚めるといつの間にか信仰都市に居たのだという。


そして彼等は目覚めた時からある一つの目的を持っている。誰に教えられたでもなく、この都市を守るという使命感、それによって何も知らなくとも彼等は戦ってきた。


そのために必要な知識も実力も最初から与えられ、人々を守るために力を振るい、知恵を用いた。


そしてアマテラスがこの都市に訪れた時に存在した英雄は三人、その三人が全員死んだところで英雄の力を持った人間の出現は止まった。


そうなれば当然教会は黙っているはずかなく、侵略を再度開始した。


「教会の侵略に対して力を持たない当時の人間は私にどうにかしてくれと頼み込んできた」


最後の頼りは神様だけだと彼等はアマテラスに救いを求めた。


「ネヴとの最後の約束だった。どうか私だけでもこの都市の味方であってくれと。だから私はその願いを受け入れ、戦場に立った」


教会は英雄という存在が居なくなったことで攻めてきたことは事実だが、決して手を抜くことは無かった。


「片目を糸で縫った女、ウーラと名乗る女との戦いで私は持てる限りの力を全て使った。結果、私を宿していたネヴの妹の体は負荷に耐えきれず、体が壊れる前に私を拒絶して魂を外へ放り出した」


三年という月日で蓄えられた神としての力を余すところなく使ったことでアマテラス達は敗北した。―――はずだった。


「私とネヴが拾った娘、名前をシズクと呼ぶ。あいつは魂だけとなった私を見つけ、自分の体を使ってくれと差し出した」


神を降ろす器は不純物があってはいけない。仮に神を降ろすことに成功したとしても元々その体にあった魂は上書きされ、消失してしまう。


「あいつはそれを覚悟で私に言ってきたよ。そして、私はシズクの体を借りて再び戦場に立った」


そこでアマテラスは英雄が死んだわけを理解した。


この世界で最初に得た体よりもシズクの体は馴染み、どれだけ力を使っても壊れることも、拒絶することも無かった。


英雄は元より与えられた強大な力を持っているのならば、巫女という存在は膨大な容量を持った器だ。


「英雄は強大な力を持っており、当然それを受け止めるだけの器も持っている」


その器から溢れるほどの力はやがてその者を死に至らしめる。そうならないように彼等は強大な力に耐えうる器も持っていたのだ。


「要は一つから二つになったんじゃ」


今までの英雄でも決して届くことの無い力をアマテラスは持っている。ならば、次は器が求められた。それこそが巫女という存在に他ならない。


「───巫女とはいわば英雄の後継機、決して溢れることの無い大きな器を持った人間を指す」


たとえ神をその身に宿そうとも元よりあった人格は消えず、共存する形となる。


神という存在を降ろすことで体は常に最善の状態に保たれ、どんな傷であろうと治り、体は老いることはない。


二つのパーツを組み合わせることで生まれる完成品となるのだ。


「巫女の原点は今ので終わりだ。本題はここからになる」


絶対に死ぬことのない完璧な存在、その誕生によって再び信仰都市の侵略は防がれ、人々はいよいよ、何者にも恐れることが無くなり、都市の発展を行ってきた。


「災厄はネヴが生きていた時代にその原因である魔力の流れを調整することで解決し、外部からの侵略もない。ならば次に起こったのは何か」


確かにアマテラスとシズクが永遠を生きることで多くの問題は解決した。だが、彼等は見落としていた。


「私はな、本来ならここに居るはずのない存在なのじゃ。ネヴとその先代のスルミル家によって人為的に降ろされた神、それがアマテラスという神だ」


予言書には分かりやすく言うとこう書かれていた。()()()()()()()()()()()


「ならば、本来来るべきだった神はどうなったか?ここには既に私が居る、崇める神は二人も要らない。ならばどこか他の地で崇められるか。それは違う。ここを除いた他の都市では教会の管理によって唯一神を信仰することになっている」


例外は信仰都市のみ、彼には行き場など無かった。


「私達の見落としはそこだ。本来現れる神はここ無くしてどこでも信仰されることはない。だからこそ、本来自分が統治するべきだったここを手に入れようとした」


神は予言通りこの世界、この都市に現れる。それは元より決まっていたことなのだから。たとえその予言が一人の人間によってめちゃくちゃにされていたとしても、彼が現れることは変わらなかった。


「予言通りならば大厄災の後に現れるはずだったその神は居場所を求めたが、地上には姿を出せない。ならばと、奴は地中の奥底、地獄と呼ばれる異界に向かった」


元よりここの空間は歪みだらけだった。数百、数千年と続いてきた厄災によって生じたその歪みを抜けた先に彼は自分の楽園を見いだした。


「奴は本来自分が居るべきだった場所に居る私を許せなかったんじゃろう。わざわざ夜に襲撃し、住民を虐殺し、生き残った衛兵がシズクに伝えていなかったら一つの町が滅びるところだった」


名をハデスと名乗るその神は姿を現さず、その部下と思われる異形の怪物と、人の姿をした男を地上に放った。


「奴等の居る世界に満ちる泥は生者に悪影響をもたらす。触れた人間は気が触れ、精神の弱い者は自ら命を断つ。まさに地獄のような光景じゃった」


怪物に殺された者達の屍は一ヶ所に積まれ、そこかしこで自害した者達の死体が転がり、町を火が飲み込んでいく。悲鳴と怒号と化物の咆哮が絶えず町に響き渡っていた。


「この世ならざる泥と化物、それを祓うには出し惜しみをする余裕はなかった」


戦いの最中、地獄から放たれた尖兵達を統率していたと思われる人の形をした男と遭遇し、そこで後々のアマテラスに行動制限が掛けられることとなった。


「用意周到かつ、駆け引きが上手い奴じゃった。地獄と私の間に鎖を繋ぎ、私が次に目覚めるまで地獄からの干渉を禁ずる。自分達の不利益など省みずに、そういった条件を突き付けてきた」


溢れる地獄の泥はその勢いを増して町を飲み込んだ後には都市全てを満たすはずだった。それを止めるための方法はアマテラスがそれを封じるための鎖となるしかなかった。


この世のものではないものを封じるにはこの世のものではないものが必要となる。アマテラスが深い眠りにつくことでこの都市が守られるのならそれでいいと当時の巫女、シズクは言った。


「不老不死の体現には私が必要不可欠であり、私が眠りにつくことでシズクはただの人間となる。そして、何百年と生きてきた分のツケを払うこととなり、その場で死ぬ。それでも構わないと言ってきたよ。それでこの都市を守れるのならと」


「はい。アマテラスさんはこの後、その条件を飲み、深い眠りにつきました」


アマテラスが覚えていることはそこで止まっている。しかしネヴはその先の悲劇を知っている。アマテラスが意識を閉じて、眠りについていた先のことを。


「あの人は魂だけの存在となり、アマテラスさんの中に居ました。そうして二代目の巫女から今に至るまでの全ての記憶を保管しています」


しかし、ネヴにはどうすることも出来なかった。彼は見ることしか出来ない魂だけの存在だ。強い力を持っていたのは生きている間だけ、死した彼には何も残されていない。


「私は教えて貰ったんです。アマテラスさんに契約を持ちかけた男はその後、一人だけ地獄へと帰ることなく現世に留まった。そうして、この都市を狂わせる大きな要因となった巫女継承の儀式という有りもしない出鱈目を本当のことだと思わせ、ネヴ・スルミルという名を騙った」


巫女継承の儀にときのみ甦るという話も全ては嘘だ。彼の体は地獄の泥で出来ており、現実での死は本物の死にはなり得ない。だからこそ、この都市の住民を騙せたのもそのおかげだと言ってもいい。


クレアは見てきた。その男がネヴ・スルミルと名乗るまでの軌跡を。


最初はおかしいと思っていたのだ。偽ネヴ・スルミルの姿が雫の記憶とアマテラスの記憶とでは違く、声なども別人だった。


「アマテラスさんは起きてからネヴさんの眠る墓を見てきましたか?」


「いや。あいつが死んでからは会いに行ってはいない」


「やっぱりそうですか。アマテラスさんなら分かるはずですから、その墓の中に遺骨が残っていなかったのなら」


「...あり得ない。墓を暴いたのか?あそこを知るのは私とシズクのみじゃ、代々祭司を継いできた者達にも分からない」


しかし、あの男はネヴ・スルミルの墓がある場所を見つけ、更にはその下に埋葬されている遺骨を我が物とした。


「ネヴさんの遺骨を喰らい、自分の体とした理由はただ一つ。代々スルミル家が継ぎ、何百、何千年という記憶と人間の記憶に干渉できるその力を得るためです」


スルミル家はネヴが末代となり、その後は受け継ぐことの無かった神器の模倣。形としてではなく、人に宿る概念となったそれを男は欲した。


「そしてもう一人、失われた神器の模倣を再現させた人が居ます。逆に言えばその人がその力を取り戻すことに成功してなければ今頃完全にこの都市から正しい過去の出来事が消されていました」


───そう、最初からその男、いや老人は運命に抗ってきた。


妻を、娘をこの都市に殺され、挙げ句には孫すら奪いかねないこの現状を変える為に禁忌に幾度となく手を出してきた。


「力が馴染まない内は自分に不利益なネヴという人間の血でまみれた過去の改竄。完全に我が物とした時にはこの都市の神、アマテラスさんを人々の記憶から消し去り、本来この都市で信仰されるはずだったハデスを信仰都市の神とする。そんな目論見を打ち砕き、今までの祭司とは違い、偽物のネヴ・スルミルからの洗脳を自力で解除した人間の名前は」


これは全てクレアが聞かされた言葉だ。アマテラスの中で今も尚何かを待ち続けている彼がクレアに託したこの都市の真実。


大衆の前で「今、ここで僕は死に、七年後に姿を現そう。そうすれば君達は僕がアマテラスとの契約、七年周期の復活と巫女の代替わりが必要だと言った事が真実だと気づくだろう」と大法螺(おおぼら)を吹き、大衆の前で首を落として死んだように見せかけ、七年後に姿を現した時に当時の巫女が病で倒れるように影で糸を引いていた。


そして彼が姿を再び現した時に人々の不安を駆り立て、巫女継承の儀式を確立させたのだ。


「ここで巫女が死ねば我等が神、アマテラスの加護は消え去り、再び災厄が襲うだろう」などという謳い文句で扇動して、当時の巫女の娘に母親を食わせたのだ。


大衆の不安を煽り、有りもしない虚実を真実とした彼はネヴ・スルミルという名前と姿に何故か固執して、人々からネヴ・スルミルが圧政を強いていたことすら忘れさせ、人々を都合の良いように洗脳した。


そんな彼の最終目標は全てを正しき姿に戻すというものだった。


アマテラスさんはいわば人工的な神だ。本来現れるはずだった神様は別にいて、その神様は地の底で恐怖の象徴として恐れられている。そんな矛盾を正すために、そして、自分がネヴ・スルミルに成り代わる為に、失われたはずの神器の模倣作を得た。


長い時が経って、力も蓄えた彼がいざ実行に移そうとした時に気付くが、その生を偽者のネヴに対する復讐に費やした男の方が、一手早かった。


───彼は、人間を侮ったのだ。


妻を失い娘を失って尚、生にしがみついた老人、手負いの獣こそ恐ろしいのだと実感することとなる。


「―――ウルペースを統率する現祭司。ダオがその計画を阻みました」


彼はこの都市のあり方に疑問を抱き、最初に全てを疑った。人として当たり前の倫理観、歴史、自分の記憶すら疑い、真実を追い求め続けた。


「アマテラスさんは知っていたはずです。あの人がそうまでして追い求めているものを」


「......」


アマテラスは答えない。誰よりもダオという人間を知っているからこそ、止めるべきではないと判断した。


「───私達が真に止めるべき行為。それは世界の反転。と言っても普通の世界から切り離されているこの都市だけですが、生者と死者のトレード。自分の娘や妻を甦らせるためにこの都市に生きる命全てを犠牲にする悪魔の儀式です」


敵は1つだけではない。立場は違えどこの都市を守るという点ではダオのことは信頼していたつもりだった。だが、その行き着く先があまりにも違いすぎる。


生かしているのは後の儀式で必要となるから。正義などという言葉を語るには不相応の歪んだ覚悟だ。


信仰都市に住まう地上の人間が死に絶え、傾いた天秤を戻すように死んだ人間が甦る。


死者蘇生と呼ばれる行為を何としてでもアカツキ達は止めなければいけない。


「...あぁ、そうか。そういうことだったのか」


ダオが愛娘の実の孫であるネオを殺そうとしたのはその反転を行う際に生きていては死んでしまうから。元から死んでいるのであれば甦るのだから、今死んでいても構わないのだろう。


「――――――私達が戦う敵は地獄の主、本来この都市の神になるはずだったハデスとウルペース率いるダオさんです」



......。



そこは薄暗いランプが一つあるだけのじめじめとした狭い部屋の中。


乱雑に置かれた椅子と端が欠けたテーブルに二人の男が座っていた。


「...俺をわざわざ生かしておくんだな」


最初に口を開いたのは片目を仰々しい紋様の眼帯で覆い、右腕に包帯を巻いた青年だ。その両腕には千切れないように何重にも重なった鎖が巻き付いていた。


「その時になればお前も殺すことになる。何、一時の苦痛だ。そのあとは私に任せておくと良い。全てが元通りになるのだから」


「あぁ、あんたはそういう人だった。家族を守るためになら悪にだってなれる。優しくて、非道な人間だ」


「私はもう壊れてしまった。叶うはずのない夢を抱き続け、娘の思い描いた理想を追い求め続けた哀れな男だよ」


ダオは最初からこうなることは分かっていた。黒羽が姿を消して、地獄に巣くう怪物と契約を結んで再び監視網にその姿が映った時に、この都市に災厄を撒き散らす要因となることも、理想が現実になるには彼が必要不可欠だったことも。


「もう十分だ。最も愛した妻を奪われ、最も親愛を注いだ愛娘を奪われた。このままでは娘が、レイが愛した孫娘すらも奪われてしまう。狂っている、繰り返している。過ちを正すには過ちが必要なのだ。人間性も倫理観も圧倒的に欠如した、非道、外道、邪道と呼ばれる過ちを持って私は全てをあるべき形に戻そう。―――全てを取り戻す」


その揺るぎない覚悟の行き着く先が大量虐殺と死者の蘇生ならば、どれだけ苦しんできたのだろう。人間であれば誰もが持つ足枷、正義感に倫理観に人間性を捨てるのはそう容易いことではない。


それでもダオは選んだのだ。一度全てを無に返し、新たな創造によって本当ならあるべきだった一つの家族をやり直す。その険しく、悲しい道を。


「聞かないんだな、俺のことは」


「知っているよ。お前がどれだけ努力してきたか、どれだけ苦痛に苛まれたか。地獄との契約は果たされるまで破られることはない。眠りにつけば仲間を失い、家族を失う。ここまでよく耐えてきた。その復讐に意味はあったぞ、クロバネ」


黒羽は何も答えない。自分の考えがあるようにダオにはダオの考えがあり、それが全て自分の為ではなく、彼が愛した娘の為であると知っているからこそ、止める言葉は意味を持たない。


「これまで幾度となく繰り返されてきたこの歴史に決着をつけよう。災厄の日にようやく私の悲願は叶う」


鈍く光る覚悟の言葉を聞いて、クロバネはゆっくりと目を閉じた。この先に待ち受ける数多くの苦難を乗り越える為に今は少しでも体力を温存するために。

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