<伝えなきゃいけないこと>
とある屋敷の一角、人が集まるにはあまり適してない部屋でようやくアカツキ達は話し合いを始める。
「クレア、もう大丈夫なのか?」
「あ、はい。大丈夫です。えっと、ごめんなさい。私のせいで...」
「クレア、良いんだよ。こんな早とちりしただけのバカに謝らなくて」
ガルナの魔法が解けてからも少しの間床に寝っ転がって天井を見つめながらアカツキが物思いに耽っていた時、雫の尽力によってクレアを蝕んでいた呪いが祓われ、ようやく話し合いを出来る状態になったアカツキ達はまだ体調の優れないクレアが横になっているベッドの近くに集まる。
「でも...」
「いや、別にいい。今回悪いのは完全に俺だったし、ナナの言うとおり早とちりだった」
つい一時間程前の自分の行動を恥じてか、アカツキは少しだけ顔を下へ向け俯く。
「反省したならいい。それよりも今はやるべきことがあるだろう。この都市を近々襲うであろう厄災と教会から派遣された教徒を潜り抜けての信仰都市中枢への侵入。あとは―――クレアに呪いを掛けた奴が誰なのか。明日にはこの屋敷を出立する。時間はないぞ」
「そうね。アカツキのやったことに対する罰は後から考えるとして、今は目先の問題を解決しないと」
「え?さっきのが罰じゃ...」
「こちょこちょしただけじゃん。自分よりも年下の私にも手を出そうとしたのに、そんな事で許してもらえると思ったの?」
あまりの正論にアカツキは何の反論も出来ないが、いつもは子供扱いすると怒るくせにこういう時ばかり子供アピールをするナナをじーっと冷たい視線で見つめる。
「ふふん。今回は何も言い返せないでしょ」
「さっきも言った通り悪いのは俺だしな。まぁ、少し思うところはあるけど心も胸も小さいお前に免じて何も言わないでおくよ」
「...は?殺す」
最初はにやけていたナナだがアカツキの言葉の後半部分を聞いた途端に過剰な反応を見せて勢いよくアカツキに飛び付いた。
「誰の胸が小さいって?あんたはそれしか言えないのかなぁ!?」
「待て、首絞めようとするんじゃねぇ!!?お前、俺よりも力強いんだから普通に死ぬって!」
「自業自得だ、バーーーカ!!二度とそんなこと言えないよう痛い目見せてやる!!」
「ナナちゃん。話が進まないから」
アカツキに馬乗りなっていたナナをリアが持ち上げ、アカツキから引き離す。
「ちょ...!!離してよ、あのバカ野郎に蹴りの一発でも食らわせなきゃ気がすまな...。あんた、変なとこ触んないでよ!!」
「私は小さくても平気よ?」
「いいから勝手に人の胸揉むな!!」
「私は励ましてあげてるのに」
ナナの脇から直に手を伸ばしてセクハラをするリアからナナは逃げ出そうとするも、やはり大人と子供、アカツキが貧弱すぎるだけでリアには力勝負で勝てるはずもなく、為すがままにされてしまう。
「お前らな...」
さっき時間がないと言ったばかりなのにまた話が逸れつつあることにガルナはため息をついた。
「いいじゃないですか。今くらいこうやってふざけるのも」
「夜は準備で忙しくなるはずだ。だから...」
ベッドの上で微笑むクレアの顔を見た途端にガルナは一瞬言葉を詰まらせて。
「お前らしくないな。その笑い方は」
ガルナの言葉にクレアはちょっとだけ驚いた顔をしたあと、悲しげに視線を下へ落とす。
「やっぱり分かりましたか?」
「そんなもう戻らないものを見るような笑い方をするもんじゃない。俺はお前が何を見てきたかは分からない。だがな、区別はつけろ。過去は過去、今は今だ。過去に囚われては前へ進めないだろう。たまに思い出す程度で良いんだ、そういうのはな」
どれだけの悲劇があろうとも、一生で一度の大事な人との別れがあろうとも、それを理由にして前へ進むことを躊躇うのはきっと駄目なことだ。
今を生きている自分達は進むしかない。そして、いつか来る終わりの日に笑顔でいられるよう、たくさんの思い出を持って旅立てるように。
「強いんですね、ガルナさんは」
「強くなったんだ。誰も失わないために。それにお前だって弱いわけじゃない」
クレアにはクレアの、ガルナにはガルナなりの強さがある。だから一概に強いだとか弱いだとか決めるのはきっと無理なことだ。
「...明日の準備は今の内に済ませましょう。私が見てきたことを話すのはアマテラスさんが起きてからじゃないと駄目なんです」
「そうか。ならそうしよう」
おそらくクレアが見てきたのはアマテラスの記憶だけではない。ガルナもアマテラス自身も思い至らないような、誰かからの伝言もその内容に含まれており、話の中にクレアが呪われるに至った経緯も含まれているだろう。
それに体調の優れないクレアにはまだ休息が必要だ。
これからのことを大雑把に決めたガルナはまだじゃらけあうリアとナナの下へ向かう。
「明日からのことについての話し合いは夜に変更だ。ナナ、リア、先に荷物をまとめるぞ。雫とアカツキはクレアの面倒を見てやっててくれ」
「え、私とこのバカ逆じゃない?クレアの面倒なら私がするよ」
「誰がバカだこのペチャパイ」
「は?よく聞こえなかったんだけど、もう一回言ってみなよ。クソ雑魚メンタル野郎」
「そうかそうか。聞こえなかったならもう一回言ってやるよ。こんのペチャパ―――!?」
「あ」
アカツキが最後まで言うよりも早くナナはリアの手からするりと抜け出して、アカツキの腹に飛び蹴りを食らわせる。
あまりにも一瞬の出来事で逃げることも出来なかったアカツキは避けることも出来ずにナナの飛び蹴りをまともに食らってしまい床に倒れ込んで悶絶を始めた。
「いてぇぇぇぇぇ!!」
「ふん。自業自得だよ、バーカ」
苦しむアカツキへ最後に罵倒を浴びせてナナは怒ったまま部屋を後にした。
「まったく...。アカツキ、お前はもう少し学習しろ。今のはナナに蹴られても仕方ないぞ」
「いてて...。ナナの奴にバカにされたままで終わりたくないんだよ。一応あいつより年上だし?威厳とかそういうのは大事だと思うんだよ」
「安心しろ。年下の、それも女に何度も力比べで負けてるお前にはもう威厳なんて無いからな」
「ガルナなら分かってくれると思...。おい、今何て言った?ガルナ、待て!!」
これ以上アカツキに付き合ってられないのか、ガルナも部屋を出るとその後に続いてリアも荷物をまとめに自室へと向かった。
「俺の扱い酷くない?」
三人が出ていった後の扉を眺めてアカツキは自分の扱いに対して苦言を呈した。
「随分と皆さん仲が良いんですね」
雫は羨ましそうにアカツキを見てそう言い切った。アカツキにとってはどこを見て仲が良かったのか分からないが。
「今の見てそう言える雫にびっくりだよ」
「仲が良くなかったら普通、そんなこと言えないと思いますよ」
「言われてみれば、まぁそうだな」
クレアが目覚める前にアカツキは一度ガルナに怒られ、険悪な雰囲気になるかと思えばそれを和ませるようにナナが、魔法で身動きの取れなくなったアカツキを弄くり回して、いがみ合うことは無かった。
一人一人、アカツキのことをよく知っているから怒れるし、許せるのだ。そんな関係を雫は羨ましく思えてしまう。
「私にも、居たんですけどね。もう戻ってくることはないと思いますが」
「黒羽のことか。まぁ、お前の昔の話と今のあいつじゃあ明らかに別人だしなぁ...。それも演技だと思うけど」
「今はおじいちゃんの所で捕まってるんですよね」
「あぁ、けど殺されたりはしてないだろうな。あいつの意識が無くなったら今頃この都市はもっと混沌としてるだろうし」
昨晩、アカツキは雫の過去を知り、アマテラスからネヴ・スルミルという男のことについても軽く教えてもらった。アマテラスは昔のことをあまり話したがらないようだったので深くは聞かなかったが、昔に実在したネヴと雫に巫女継承の儀を迫ったネヴは別人だということは理解した。
「聞いた話じゃネヴって奴は初代祭司だからその名前だけで色々と便利なんだろうな」
「それは違います。ネヴ・スルミルという人は最初は善政を敷いていたようですが後期では力を伴った圧政で知られる暴君です。その名前を語るのは決して良いとは言えません」
「でもさ、お前の周りに居た人間はそんなの関係なしに喜んでたみたいじゃねぇか。だから余計ややこしくなるんだよなぁ...」
暴君ならばそれに民衆が喜ぶはずがない。それなのに彼等はネヴの登場に不信感を抱くどころか歓喜してさえ居た。
「記憶の一斉改竄ですよ」
その話に割り込んでくるようにクレアはボソッと呟いた。
「...改竄?でもそれはメモリアが無いと駄目だろ。この都市には神器は無かったんだぞ?」
「雫さんの記憶をダオさんが書き換えていたように、ネヴ・スルミルの体を借りるその男には記憶に干渉する力があります」
「待て待て待て...。それは一体どういうことだ?」
「スルミル家の初代当主はメモリアを模したものを作っていたんです。それは記憶を蓄積し、未来へ託すというものの為に使われてきましたが、時間が経つに連れてその使い道は増えていった。時に子供にスルミル家の悲願を継がせるための洗脳として、時に人体実験で必要となった子供の家族の記憶を改竄したりなど、たくさんのことで使われていました」
クレアが話しているというのに、感情のない淡白とした表情で語っていることで別人が話しているように聞こえてしまう。
「それも含めて全部を伝えるにはアマテラスさんが必要になります。大事な言伝てもあるんです」
「成る程な。ガルナが話し合いを夜にしたのはそれもあったからか」
「...少し休みます」
ようやく呪いから解放されたことで落ち着いたこともあり、疲れていたこともありクレアはベッドに横になるとあっという間に深い眠りに誘われる。
「おやすみ、クレア。時間なったら起こすからな」
アカツキが眠りにつこうとするクレアの手を両手で握り締めると、安心した様に微笑みそのまま静かに寝息を立て始めた。
「雫、ありがとう。クレアを助けてくれて」
「いえ、巫女として当然の務めを果たしただけです。それにあの呪いを受けて耐えてきたクレアさんのおかげで助かったんですから」
「強力な呪い...ね。その手のことに詳しい奴が学院都市に居たんだけど、あれからどこに行ったか分からないしなぁ」
「え、この都市以外で呪術を使う人が居たんですか?」
「居たよ。何なら俺のあの剣をくれた恩人を背後から刺してるしな」
学院都市で出会った老い無き少女ミク、アカツキとは同郷と思われ、その身には鬼を宿している。クルスタミナに姉を人質にされた彼女はアカツキと接触していたユグドを人混みに紛れ背後から包丁で刺した。
その際に鬼の呪いを付与しており、ユグドは少しの間アオバの下で療養していたのだ。
「呪いというのは人の負の部分を指し示した言葉です。神様に見放されて、魔力の流れや魂の行き着く先すらも独自の摂理を持っている信仰都市だからこそ生まれた力なんですよ」
「そう、前々から気になってたんだけど神様に見放されたっていうのはどういうことなんだ?」
アカツキはこの都市について全くの無知であり、そのことを知ることも出来ないくらいの状況が続いたせいで胸の中でわだかまりが出来るばかり。
ようやく状況が落ち着いて、一時とは言え、安全な場所、それを聞く最も適した人物を前にしてようやく問うことが出来た。
「この都市を長らく苦しめてきた厄災、この都市だけに起こり、この都市だけを苦しめる大いなる災い。神様が見放しでもしない限りそんなことは起こりません。...というのが理由だそうです」
「聞いた話だと触れると治らない病気にかかる赤い雨だとか、魔獣の大進行だとか色々あったらしいな。そんな物騒な話は確かにこの都市だけしか聞かないな。ここで三つめの都市だからそんなに断言できないけど、多分これからもそういう話は聞かないと思うな」
そもそもこの都市が他都市との交流を殆んどと言っていいほど拒んでいたのはそこなのだろう。信仰都市とその他の都市ではあまりにも違いすぎる。
魔法とは違う呪術と呼ばれるものの行使、血生臭い歴史、それらを果たしてここ以外の都市は受け入れてくれるだろうか。
この世界は悪い意味でも、良い意味でも統制されている。論理性も教会と呼ばれる存在によって統一され、異質なものは忌み嫌われる。
特別というものが極端に生き辛いのがこの世界の特徴だ。
「それに教会と対立してる奴等と好き好んで交流するにはリスクがあまりにも高すぎるからな」
「えぇ。外は全て敵、今も昔もそれは一切変わりません。だから外から来ることはあっても外へ出ることは滅多にない。それが信仰都市での普通なんですよ」
「難しいな。平和に生きようと思ってただけなのに、外から見たらそれは畏怖の対象でしかない」
「この世界を見守る神様が救ってくれないなら自分達の津郷の良い神様を作るなんて考えた時点で普通じゃないんですよ。そのせいであまりにも多くの犠牲が払われ、悲劇がこの都市を苦しめた。バカなんですよ、私達は」
その辛辣な言葉にアカツキはつい口ごもってしまう。昨夜から少しずつ雫に対する印象が変わりつつある。おそらく雫の過去からして、これが本来の彼女なのだろうが。
「随分辛口な評価だな」
「これが本当の私なんですよ。...幻滅しました?」
最初は誰彼構わず救いの手を差し伸べる、それこそ女神のような存在だったが、今の彼女は何というか。
「―――人間らしくていいと思うよ。前の雫も子供の割には大人みたいで確かにそれはそれで良かったろうけど、今は年相応って感じがする」
「......ぁ」
アカツキの何気ない言葉に雫は少し間を置いて笑う。とてもおかしなものを見たときの様に、それでいて子供らしい無邪気な笑い方で。
「そんなに笑うか?確かに恥ずかしい事を言ったなとは思うけどさぁ...」
「あ、いえいえ。そうじゃないんですよ。...多分嬉しかったんだと思います」
まるで昔の誰かさんに似ているアカツキの言葉は雫にとって懐かしくて、とても嬉しいものだった。
「昔の自分も、あるべきはずの記憶を失って苦しんでいた私も知っているから、その言葉がとっても嬉しいんです。昔も巫女として演じてきた私には、年相応の振る舞い方なんて忘れてましたから」
「そっか。でももう巫女なんて演じる必要は無いと思うぞ。お前はお前だ。自分の意思で生きていいんだ」
「......そうですね。私は私、これからはやりたいことをしたいと思います」
「おう」
それからしばらくの間、アカツキと雫の間では何気ない会話が交わされる。それはアカツキの旅の話であったり、雫の子供の頃の話であったり。
部屋で荷物をまとめ終わったガルナ達が夕方になって部屋に戻ってくる頃にはクレアも和やかな団らんに加わっていた。
「...こっちは大変だったのにあんたらは随分楽しそうだね」
「あ、ナナちゃんお疲れ様」
「雫もこのバカのお守り大変だったでしょ」
「お前な...。そう何度も何度も人のことバカなんて言うもんゃないぞ」
いつもと変わらないナナの罵倒にアカツキは初めて年上らしい返しをする。
「え、なに。あんたが反論せずに正論言うなんて。気持ち悪」
「お前なぁ!?俺が喧嘩に発展しないように忠告してるの気付かないのか!!」
何せナナと口論していてはこれからする大事な話に割く時間が足りなくなってしまう。もう日も暮れて外は夕焼け色、あまり早くない時間にこの屋敷を後にするとはいえ、夜更かしは禁物だ。寝不足なんてあったら本当に死んでしまうのだから。
「てか、腹減ったな。昼はパンしか食ってないから、ちゃんとした料理が食いたい」
「そんなの誰が作るのさ。私は料理できるけどやんないよ?こんな大所帯の分を作るのは面倒だし」
「そうだな。俺、クレア、雫、ナナ、ガルナ、リア、六人だもんな」
そう話していると扉が勢いよく開き、最初に心底面倒そうにため息をつくガルナと、その後ろから何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「離してください!!ガルナさんに運んでもらいます!!ちょ...!!」
「怪我人が暴れないの。もう傷は大丈夫だろうけど、足が無いのよ?」
その会話を聞いてアカツキはガルナがめんどくさそうにしている理由を察する。恥ずかしがる子供の声と、それを意にも止めない変態の声。
「リア、お前は幼かったら何でもイケるのか?ネオが嫌がってるだろ...」
「随分な言い様ね。私は怪我人を運んでるだけよ」
「その運び方に問題があるんですよ!!」
扉から現れたのはお姫様抱っこされたネオと、幼い年の子供が大好きな残念な女だ。剣の腕前はアカツキの知る中では最強、冷静で物事もよく見えている。
「ロリコンか?」
「まぁ、否定はしないわ。こういう反応が楽しいのは事実だし」
「そこは否定してくれた方が良かったんだけどなぁ」
取り敢えずナナとは決して二人きりにしてはいけないということだけを再確認したアカツキは立ち上がる。
「ネオも起きたからこれで七人。この屋敷には台所はあるし料理は出来るな。クレアと俺とナナとあとガルナ、お前も料理をする係だ」
「何故俺がやる」
「あ、リアのお守りをしたいなら良いんだぞ」
「やるか」
ガルナの即決を聞いた後、アカツキが立ち上がるとさっきまで隣に居たはずの雫が居なくなっていることに気付く。
「あれ、雫は...って。何隅っこで踞ってるんだ?」
「えへへ。いや、そのですね」
雫がちらりと見た先に視線を向けるとまだ言い争いを続けるリアとネオの姿、記憶を思い出した為、ネオと顔を会わせるのを少しだけ躊躇われるのだろう。
「あいつのお姉ちゃんなんだろ。今の内に言うことは言っておいた方がいいぞ。俺達で料理してるから兄弟水入らずだ。何ならこの中で年長者のリアも居るから、性癖はあぁだけど真面目な話ならきいてくれるぞ」
雫だけが覚えていて、ネオだけが忘れてしまった記憶、母親との記憶、黒羽と遊んだ楽しい思い出、おそらくそのどれもがネオには欠落してしまっている。
最愛の母を失い、錯乱状態に陥ってしまったネオを救うには仕方の無かった選択だったとはいえ、そうしなければ一生ネオは苦しみ続けていたのだ。
「あいつもお前も昔とは違う。今のネオなら受け止めきれるさ」
「私、一回ネオに首絞められて殺されかけてるんですよね...。一応姉ですから?大抵の事は何とかなりますけど。まぁ...トラウマになっちゃってるんですよ」
「あーそんなこと言ってたな。ごめん。それなら仕方ないな。なら一緒に料理するか?」
アカツキの思いやってくれる提案に雫は決意を秘めた瞳で首を横に振った。
ここで話すのがきっとネオの為であり、忘れられてしまった母の為にもなる。いつまでも忘れていてはいけないのだ。あれから5年が経ち、その間ネオは本当の母を忘れ、あの頃の思い出を忘れてきた。
「話します。ここで全部伝えるのが姉としての役目ですから」
「...おう。なら頑張れよ」
そう言って雫にアカツキは手を差し伸ばして、立ち上がらせる。彼女の意志で伝えると決めたのだから、それを止める権利をアカツキは持たない。
だからせめて背中を押してやるくらいは出来る。アカツキは雫へささやかな激励の言葉を送って前に押し出した。
「お姉ちゃんなんだ、頑張れよ」
雫が前へ出ると今までリアと言い争いをしていたネオがようやくそこに姉が居るということに気が付いた。
「あれ、姉さ...。いえ、雫様どうしてここに?」
本来ここに居てはいけないこの都市の象徴、巫女である雫がアカツキ達に同伴している理由がさっぱり分からない様子でネオは首を傾げた。
「まぁ、簡単いうとな。拐った」
アカツキのあっけらかんとした言葉にネオは何を言っているんだという表情でアカツキを凝視した後に雫の「そうなの」という言葉を聞いて叫んだ。
「拐った!?ダオ様に無許可で、この都市の最重要人物である雫様を!?」
「いや、実際に拐ったのは俺じゃないよ。俺だってびっくりしたもん。実行犯はここにいるナナだ」
「まぁ、あのまま置いてくより連れてきた方が良いかなーってさ」
「バカなんですか。一番頭良さそうに見えてナナさんはバカだったんですか!?」
「バカバカ言わないでよ!!私はただ良心で...」
ナナの弁明の言葉を聞いてネオは分かってくれはしたが、大きなため息をついた。
「あのですね。雫様は僕らウルペースを従えるダオ様の孫で巫女なんですよ?今頃他のウルペースは血眼になって探しているでしょう。もう後戻りは出来なくなったんです、だってただでさえ誤解を招いているこの状況で雫様を拐うなんて...」
「まぁそう悲観するなよ。どうせ俺達がどう言ったところであちらさんは受け入れてくれないだろ。だから、後戻り出来ないのは今更だよ。何せ俺は指名手配された犯罪者だからな」
リア曰く、その人の思い描く正義とその他が思い描く正義は違い、アカツキがこの都市を救うために行った行為はこの都市を恐怖のどん底に突き落とした凶行に過ぎなかった。
「俺は必死で外なんて分からなかったけど、大分やばかったんだろ?」
「やばいというかキモいというか。空に目玉がたくさんあったんだよ。それもこっちをずっと見てるもんだから余計に気持ち悪かった」
「神器保持者だからこそ成せる技ね。その結果は散々だったけれど」
「てな訳で仲間にだけ分かって貰えれば良いんだよ。ほら、時間も無いしさっさと夕飯作ろうぜ」
「...はぁ。分かりました。僕ももう立派な犯罪者です、貴方達に従いますよ」
リアにお姫様抱っこしてもらいながらそう言われると何ともシュールな光景だが、それもまた事実だ。ネオは実の祖父に片足を切り落とされ、死の牢獄に投げ捨てられていたのだ。
この都市を守るためとはいえ、ダオは実の孫にすら手をかけたのだ。今更あちらが許してくれるはずもないし、こちらもダオを許すことはないだろう。
しかし、アカツキにはずっと引っ掛かっていることが昨夜からある。雫から聞いた昔のダオは家族思いの良いおじいちゃんだったはずなのに、今のダオは愛娘の子供にすら手をかけている。
人物像が明らかに一致しないのだ。
この都市に一度は妻を、二度目は娘を奪われてしまったから。それは違うと雫の話を聞いて分かっている。どれだけの悲劇がダオを襲おうと彼はどこまでも雫とネオの為に動いた。
辛い記憶、思い出したくもない凄惨な情景が雫を苛み、一度はネオを凶行へと走らせた。それを防ぐためにダオは雫とネオから母親の記憶を、黒羽との優しい思い出ごと全てを忘れさせたのだ。
決して誉められた行為ではないが、それがこの二人のためだということは重々分かっている。
「あ、あのリアさん。私がネオを運びますから」
「私は大丈夫よ。貴方も疲れてるでしょ?」
「いえ、姉として私が運びます」
「...そこまで言うなら」
お姫様抱っこされていたネオは次に雫におんぶされ、困惑している様だ。
「ね、姉さん。周りに人が居るのに」
「良いの。ネオは怪我人なんだから」
弟扱いをされて恥ずかしがるネオとそれを気にも止めない雫、これこそが本来のあるべき彼女達姉弟の在り方なのだが、これが偽りの上に成り立った姉弟であると知っているのは、二人から少し離れた所から見守るアカツキ、そして。
「大体の状況は分かった。俺をそっちに呼んだのはそれが理由か」
「ネオが仮に記憶を思い出して雫に襲いかかっても大変だし、けど二人も関係ない人間が居たら話しづらいだろうって思ってな。ネオが昔を思い出して暴れてもリア一人で抑えられるだろうし、これが一番だと思ったんだよ」
アカツキがこういった立て込んだ話をする上で一番信頼しているのはガルナだ。学院都市で一時共闘していた時も、ガルナの作戦が無ければ絶対不可能だったろう。
考える上でアカツキは誰よりもガルナを信用する。それは仲間として、友として。
「どうなると思う?」
「お前の言うとおりあいつらも成長した。全部受け止められるとまではいかないが、乗り越えることくらいは出来るだろうな」
「やっぱそうだよな。万が一、なんて起きない。って信じたいよ」
「心配する必要はないさ。お前は何事も深く考えすぎてる、そうするなとは言わない。そうしなきゃ生きてこれなかったんだろうからな」
アカツキは雫とは違う意味であまりにも大人びている。雫が母親を失って苦しんでいたように、アカツキは多くの人間の死を見てきて、その度に苦しんできた。
アカツキの精神状態が不安定なのも、それらがきっかけとなって起こるものだ。トラウマになっているのだろう。守れなかったことが、もっと知っていれば救えたということが。
「俺は今回こそは誰も死なせない。クルスタミナの時とは違う。ダオはそうしなきゃ守れなかっただけ、雫が母親を食ったのだって強制されたことだ。許しちゃいけないのはネヴ・スルミルを名乗る男、そいつくらいだ」
巫女継承の儀では先代の巫女を余すところなく喰らうことで巫女を次の世代へ託すというものだ。それすらも誰かが勝手に作り上げた必要のない儀式、そしてそれを作ったであろう人物が雫に母親を喰わせるよう強制した男だ。
「わざわざアマテラスの親友の名を名乗る辺り糞野郎だな」
「あぁ、今回の問題を解決する上で最も重要なのがそいつと」
「―――ハデス、か」
「そうだ。異邦の神の名前だそうだな」
「アマテラスといい、ハデスといい、何でこうも見知った神様の名前ばっかりなのかね。まぁ、地獄なんて場所があるならそこを支配する神様が居ても不思議じゃないけどさ」
そもそもこの世界では死んだ魂は天国と地獄などではなく、魂が集まる場所に連れていかれるのだという。アカツキ達の世界では罪人が地獄、良い行いをした者が天国へ行くと言われているように、この世界では魂が向かう先は一ヶ所だと言い伝えられている。
常識の違い、地獄という言葉があるのはこの都市くらいのものらしい。
「人間が思い描くから具現化した。想像が現実になるなんて話もあながちバカには出来んな。そもそも、その言葉を持ち込んだ人間が居たんだろう。そいつは恐らくお前と同郷だな」
「分からない。アオバだってこの世界の人間じゃないけど、俺の世界の人間じゃない。この世界で確認されてる異世界は7つ、だったかな」
アカツキがこの世界に来たように、また別の世界からもこの世界に訪れる人間が居ても不思議ではない、ということなのだろう。
この世界ではそれら、この世界ではない場所で生まれた人間が存在すると大々的に知られている。中には適応した者も居たが、アオバのようにかつては迫害されていた者達も居る。
「俺には難しくて分からないよ。俺とミクは死んでここに来た。けど、アオバは不死だ。だから、死なずにここに来た。どういう条件で来るのか分かんない」
「考えたって無駄だろうな。...話は終わりだ、着いたぞ」
厨房とその扉越しにある食卓を囲む大きな部屋、この屋敷は主が去って久しいのかどこもかしこも綺麗なままだ。
「調理器具も揃ってるんだな。こんだけ広けりゃ四人なんて余裕だろ」
「言っておくが俺は料理なんて出来ないぞ」
「なら覚えときなよ。旅をしてるんだから、それくらいできなきゃね」
「何作りますか?食材はたくさんありますよ」
厨房にはアカツキとガルナとクレアとナナの四人が、隣の部屋で夕食が出来るのを待っているのは雫とネオとリアの三人だ。
雫がネオに過去を打ち明けることをリアには軽く話してあるので邪魔をするということは無いだろう。明日からは何があるか分からないのだ。
伝えたいことは今の内に伝えておいた方が良い。
「うーん。食べたいものでいいんじゃない?どうせ明日からはパンとかばっかになるんだし」
「それもそうだな。アカツキ、お前もボーッとしてないで手伝え」
「はいはい。俺は何すれば良い?」
「あ、じゃあ野菜を切っててください」
台所から聞こえる楽しげな声を聞きながら席で待っている雫とネオとリアの三人、リアが二人に聞く形で会話が続いている。
「じゃあネオは家と外じゃ別人なんだ」
「仕事と日常生活の区別がついているのは良いんですけどね、やっぱり家でのネオを知ってるだけに違和感があって話し辛いんです」
「家族だからといって僕だけが姉さんと親しげにするのは違うと思うんです」
「でもそれは家族だけの特権でしょ?私は気にしなくても良いと思うけれど」
「確かにそうですけど...。何か周りに申し訳ないというか。姉さんは誰からも慕われてるから、僕だけが家に居る時のように話してると周りの人達は会話に入りづらいじゃないですか」
「そうかな。ウルペースの人達ってちょっと私と距離を取ってると思うんだけど」
時折話を聞いてくれる人も居るには居るが、基本的に彼等は雫の身の回りの世話をするだけでそれ以外では関わりを持とうとはしない。
だが、どうして距離を取ってるのかも今の雫にはよく分かる。雫の身の回りの世話をしてくれる人達は誰も彼も巫女継承の儀でネヴに命令されて雫に母親であるレイを喰わせた人達だから。
ダオによりその記憶を消されていたとはいえ、過去に自分達が行った過ちによる罪悪感と贖罪の意味を込めて入念な世話と警護をしているのだろう。
そして、自分達は雫と親しくなる権利は無いと思っているからこそ、距離を取っている。
唯一彼等が口を聞いてくれる時と言えば誕生日の時くらいだ。長い間雫の世話をしてきたからこそ、雫が欲しがっている物をプレゼントしてくる。
その時だけはいつもは無表情な彼等は笑顔を見せてくれるのだ。
「皆、無事かなぁ...」
「ネクサルという司令塔を失った教会の残党がこれからどうするかによるわ。このまま素直に撤退してくれるなんてことは無いでしょう」
「僕がウルペースに戻った時には顔見知りは平気でしたよ。被害という被害も出ていないようでしたし。お祖父様も忙しそうでしたけど」
リアはネオが淡々と語ることの節々に所々違和感を覚えてしまう。
ダオの命令か、ダオ自身が行ったかは分からないが彼は片足を失い、リア達が発見しなければそのまま死んでいたはずだというのに、今の話を聞いているとまだウルペースのことを仲間だと思っているだけでなく、ダオのことをお祖父様と呼んだ。
命を奪われかけたというのに、どうしてまだそんな態度を取れるのか。それは―――。
「ネオ、貴方の足はどうして無くなったの?」
「......あれ?どうしてでしたっけ」
「あぁ、やっぱり。また消されてるのね」
リアの予想通り、万が一ネオが生きていた場合、障害になるだろうとダオは考え、また記憶の操作を行ったのだろう。神器メモリアを模しただけの贋作だからこそ完璧な改竄は行えない。
だが、その違和感に気付くまで当人はそれに疑問を持つことはない。ただ足を失った、という事実を当たり前のように受け入れているのだ。
「時間も丁度良いわ。アマテラス、もう起きてるんでしょう?」
壁に立て掛けられた時計と窓から差し込む月明かりを確認してリアは唯一その洗脳のような記憶の改竄を解くことの出来る存在に話しかける。
朝と昼は何かしらの理由で目を覚ますことはないが、唯一夜だけ姿を現すことが出来るアマテラス、この都市の神ならば。
「...なんじゃ。気づいていたのか」
巫女という寄り代に宿るアマテラスは機嫌が悪そうに雫の体を借りて言葉を発した。
「一度は殺しあった仲じゃない。貴方の気配を忘れるはずがない」
「というかお前は一度殺したろう。その首を切り落としたはずなのじゃがな」
「えぇ、とても驚いたわ。まさか殺されるなんて思いもしなかったもの」
「お、お二人は何の話をしてるんですか?」
アマテラスの言葉とリアの言葉の意味が分からないネオはおどけた表情で質問するも、二人はそれに答えてくれる様子はない。
「まあ良い。貴様が如何に人間離れしているかはよく分かった。今は雫が話すべき場面だと思うが、私を呼んだということはそれなりの理由があるんじゃろう?」
「ネヴ・スルミルの先祖が作った神器の贋作、その効力を解く方法を教えてちょうだい」
記憶を取り戻す術は必ずあるはずなのだ。神器にも至ることの出来ない偽物が完璧なはず無いのだから。
「全部話してやれば良い。既に記憶の所々矛盾が発生しており綻んでいる。話を聞いている内に全て思い出すじゃろう。だが、そうだな。ネオにはレイの記憶を見せてやる、そのあとの対処はお前と雫に任せる」
そう言ってアマテラスはネオを見ると悲しそうに微笑んだ。
「ネオ、お前も遂に全てを思い出す時が来た。レイを、歴代の巫女達を守れなかった私をどうか許してくれ」
ネオはこれから何が起こるのか分からないといった顔で戸惑っているとその額にアマテラスは自分の額を押し当てる。
「待って...!」
瞬間、ネオの視界を目映い光が包み込み、懐かしい誰かの声と共に記憶の閲覧が始まる。
それは二度と会うことの出来ない人との、最後の出会いだった。