<己の意思>
「は...っ」
次に目を覚ますとそこは誰かのベッドの上、外から差し込んでくる日差しがもう朝と呼ぶには遅いことを知らせてくれた。
「おはよう、クレア。やっと起きたか」
今も高鳴る動悸で苦しそうに胸を抑えているクレアはその声に気付かない。ただアカツキを見つけた途端にその瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「...クレア?」
その様子に心配したアカツキが近付くと、クレアは突然ベッドから飛び出し、アカツキを床に押し倒しながら抱きつき、まるで何かに怯えているように体を震わせた。
「...な!おい、クレア。急に...おい。本当に大丈夫か?」
最初は突然の出来事に顔を赤らめたアカツキはクレアの顔を見た瞬間、ただならぬ事態だということに気付く。
「駄目です。そんなの...けど。もう、全部過ぎてて...」
「おい。おい!!クレア、しっかりしろ!どうしたんだ!!」
ぶつぶつと独り言を話すクレアにどうしたのかと呼び掛けるも声は聞こえていないようで、ただひたすらに何かを呟きながら涙を流していた。
「―――アカツキ!!急に叫んでどうしたの!?」
アカツキの悲鳴に似た声を聞いたナナが勢いよく部屋に入ってくるとクレアに抱き付かれているアカツキを見て、一瞬だけ嫌そうに顔をしかめた。
「今は色々言いたいことがあるだろうけど、雫を呼んできてくれ。明らかにクレアの様子がおかしい!!」
「わ、分かった!」
ナナが雫を呼びに部屋を出るとアカツキは今もぶつぶつと独り言を呟くクレアをベッドまで連れていこうとする。...が今はどうにかして抱き付いているクレアを引き離さなければいけない。
「何があったか知らないけど落ち着け。...聞こえてないか。くそ、どうすれば」
クレアがこうなった原因は大体察しがつく。昨夜話してる最中に涙を流していたことといい、アマテラスの記憶と深く同調してしまったのだろう。そこでトラウマになるような惨劇を見てしまった。絶望の感染、それがクレアを苛んでいるのかもしれない。
ナナが雫を連れてくると二人の手を借りて、何とかクレアをベッドに寝かせることが出来た。そうして雫にクレアの身に今何が起きているのか調べてもらおうとする。
「雫、頼めるか?」
「はい。任せてください。...けど」
雫はベッドに移されたクレアを一瞥すると顔を曇らせる。アカツキ達には見えない類いの力が働いてクレアの精神をぐちゃぐちゃに掻き乱しているのだろう。
そして雫だけが見ることの出来る力とは魔力ではなく、人の呪いだ。調べるまでもなくクレアを苦しめているのは呪力だった。
「どうやったらたった一晩でここまで濃い呪いを受けたんでしょうか。こんなの、普通の人が耐えられるはずがない」
巫女としての力を用いてクレアを苦しめている呪いを払いながら雫はこうなった原因について話し合う。
「アマテラスの記憶が関係してるんだろ。それくらいしか考えられないぞ。昨日は寝ないでクレアのことを見張ってたんだ。あの後お前らと話終えてから誰とも会ってないし、部屋には誰も来てない」
昨晩、ネオが療養している部屋で雫とクレアの体を借りたアマテラスと話した後、アカツキはアマテラスが抜け出たクレアを自分の部屋まで運び、万が一にも誰かがこの屋敷に侵入して来たときに対処できるよう寝ていない。
「けれど、アマテラス様の記憶は過去のことなんです。今を生きる人間に過去から呪いをかけるなんて...」
「どういうことだ?」
「本来、人を呪うには呪術を用います。知らず知らずの内に呪っているんじゃないんです。人がちゃんとした意思を持って呪うから呪いなんです。無闇矢鱈に人を呪うことが出来るのは原初の呪いと、それに連なるものだけで...」
見ているだけのクレアを過去の人間が呪うことは実質的に不可能なのだ。彼等は過去にいた登場人物に過ぎない。今を生きるクレアを認識する術なんて持たないはずだ。
「じゃあどうして!!」
「アカツキ、落ち着きなって。今は焦ってちゃ駄目でしょ。冷静になりなよ」
糾弾するように叫んだアカツキをナナが宥める。クレアを心配していないわけではない。心配してるからこそ冷静になって物事を見なくてはいけないのだ。
「...悪い」
「いえ、クレアさんがナナちゃんやアカツキさんに大事にされてるのは分かってますから。けど、調べようにも調べられないのが現状です。私が治療し終わって、クレアさんが起きてから聞いてみましょう」
「何とかなるのか?」
「これでもアマテラス様を宿した巫女ですから、何としてもこの呪いは祓います」
次第にクレアの周りを漂っていた黒い靄が少しだけ薄くなっているがそれでもまだ呪いに対しての耐性を持たないクレアにとっては危険な状態であることに変わりはない。
「取り敢えずガルナとリアも呼んでくる。ナナ、雫と一緒にここで待っててくれ」
「はいよ」
クレアが目覚めるまでに全員をこの部屋に集めておく必要があり、ガルナとリアを呼びにアカツキは部屋を出ていく。
誰も使っておらず、主の居ない屋敷を半ば占領しているためこの屋敷の構造についてはアカツキもよく知らないがガルナの居る所だけは大体検討がつく。
まだこの世界の文字が満足に読めないアカツキでも、見ただけで分かる部屋におそらくガルナは居る。
「...っと。ここが図書館っぽいな」
中に入ると広い図書館に灯りがついており、ここに誰かが居ることを物語っている。
「おーいガルナ、どこかに居るんだろー」
大きな声でガルナの名前を呼ぶと奥の方から足音が聞こえてくる。そして大きな本棚から「どうした」と言いながら現れると、アカツキはクレアの身に起きている異変と、起きてからすぐに話し合いをする必要があることを説明する。
「そういうことか。それで、クレアは大丈夫なのか」
「雫が治療ってかお祓いしてくれてるから大丈夫だと思う」
「それにしてもお前ではなくクレアが寝込むのは珍しいな」
「昨日お前らが寝てる間に色々あったんだよ。あとはリアだけなんだけどさ、どこに居るか知らないか?」
アカツキの問いにガルナはなんだそんなことかとつまらなそうに答えた。
「あいつが向かうとこなんてナナの所ぐらいだろうな。昨日は夜遅くまで起きてたからな、どうせ起きてからナナが居ないことに気付いてナナの匂いを辿ってお前の部屋にたどり着いてるんじゃないか?」
「そんな犬みたいなこと」
......
「―――あり得たわ」
アカツキがガルナに言われた通りに部屋に戻るとそこには何食わぬ顔でナナを自分の膝の上に乗せたリアの姿があった。
「だから言っただろう。こいつはそういう奴だ」
「そういう奴呼ばわりなんて失礼ね」
しかし、アカツキが戻ってきてもやはりクレアに掛けられた呪いは一筋縄ではいかないのか懸命に雫が彼女を苦しめる呪いを祓っていた。
「ここまで強い呪いなんて、ますます謎が深まるばかりです。仮に過去から誰かの呪術で掛けられたのだとしてもこれはあまりにも...」
悪夢を見ているように苦しんでいる突然のクレアがどうしてこうなったこかについて考えれば考えるほどますます謎は深まるばかりだ。
刻々と時間は過ぎて、クレアは今も耐えるようにベッドの上でうめき声を上げて苦しんでいた。
「...呪いを祓うことは難しいのか?」
「いえ。時間さえあればどうにか出来ますが、何かが混じっていて上手く祓うことが出来ないんです」
「雫、俺の中にあったメモリアの一部を自分に移してどこに居ても俺の状態が分かるようにしてたよな」
「あ...はい。神器というものは私でもよく分からなくて心配だったので...」
アカツキの唐突の質問、その先に言われることを雫は気付いて、咄嗟に自分の発言を途中で止めた。
「ならさ、その方法を使えば」
「駄目です!!アマテラス様も言っていたように貴方も危険な状態なんですよ!?まだこの呪いの全貌を明らかにしていなのに、それをアカツキさんに移したら...!!」
度重なる神器の使用によってアカツキの体と精神は蝕まれている。その上からまだどんな影響が及ぶかも分からないものを移すなど、とてもではないが雫には看過できなかった。
「さっきより明らかにクレアは衰弱している。万が一なんて絶対にあっちゃいけないんだ。クレアを旅に連れてきたのは俺なんだ。だからどんな状況でも守るって決めたんだよ。だから、頼む」
「皆さんもどうか止めて...」
頑なに自分の意思を押し通そうとするアカツキを止めるように雫が振り返ると、そこには進もうとするアカツキを既に阻んでいるリアとナナが居た。
「こればっかりは譲らないわ。自分の体のこと本当に理解している?貴方に万が一があってもいけないのよ」
「同感だね。あんたがクレアのことを人一倍心配してんのは分かるけど、そうやって無茶した結果がその様だ。あんたは背負いすぎなんだよ」
「二人は...クレアのことはどうでもいいのか?」
「そういう訳じゃない。時間があれば治るんだよ、あんたが今無茶する意味が...」
「心配してくれんのは嬉しいよ。けど―――退け」
アカツキが明らかに敵意を持って神器の力を使って強行突破しようとした瞬間、背後に居たガルナは大きくため息をついて―――アカツキの頭を掴んで床に叩き付けた。
「――――――っ!?」
そのあまりにもガルナらしからぬ行動に床へ頭を叩き付けられたアカツキはおろか、ナナとリアの二人も驚きを隠せない。
「さっきから聞いていればなんだお前は。いつまでも子供のようにベラベラと。下らない、意味のないことをお前は言ってるが自分で理解しているか?」
それはガルナがアカツキ達に初めて見せた怒りだった。常に冷静な彼らしからぬその怒りは誰でもなく、アカツキの為のものだ。
「こんなところで神器を使ってどうする。自分の体のことを知っていてやったのなら別だが、明らかに今のお前はおかしいぞ」
「ガルナ...?その、あんまり力込めたら、アカツキが苦しいと思うんだけど」
アカツキを押さえる力が徐々に強くなっていることにナナが心配すると、ガルナは押さえる力を逃げることが出来ない程度の力まで弱める。
「悪い。少しだけ加減を間違えた」
「いや、私がやられてる訳じゃないし、謝られても...。にしてもあんだがそうやって怒るとこ初めて見たんだけど」
「こいつとはこれでも一緒に旅をする仲間のつもりだ。仲間の為なら俺だってこうする時はある」
ガルナから逃げ出そうと必死にもがくアカツキだが、ガルナの時空間魔法によって空間ごとその場に固定されてしまってはいくら神器の力を使えども、抜け出すことは出来ない。
「お前が学院都市で魔法を打ち消せていたのはクルスタミナが神器メモリアの所有者で、あいつの使う魔法もメモリアの影響を受けていたからだ。純粋な魔法の力比べならお前はどうにも出来ないぞ」
そもそも、メモリアによって改竄された記憶をアカツキの神器で相殺するのを考案したのはガルナであり、そのメリット、デメリットもガルナの頭の中に叩き込まれている。
「このバカは当分このままにしておく。雫、クレアが呪いで死んだりすることは無いか?」
「大分強い呪いですが、死んだりすることは無いと思います。何よりも巫女が呪いを祓えずに死なせてしまうことはあってはいけません。アマテラス様の力も借りて必ず助けます」
「だそうだ。大方クレアの苦しむ姿を見てられなくて躍起になったんだろうがな。そんなことしたらクレアが悲しむことくらい知っておけ。自分を犠牲にしてまで何かを成し遂げてもここに居る奴等は誰も喜ばないぞ」
ガルナの魔力が尽きるか魔法が解除されるまでアカツキはその場から動くことが出来ず、喋ることすら許されない。
「んー!ん!」
「当分そのままでいろ。少しは頭を冷やせ」
ガルナはその後何事もなかったかのように近くにあった椅子に腰掛け、図書館から持ってきた本に目を通し始めた。
「あんたもバカだね。ガルナ怒っちゃってるじゃんか」
「私たちじゃその魔法は解けないから、時間まで待つことね」
アカツキは自分の焦りがこのような事態を引き起こしたことにバツの悪い顔をしたまま床で突っ伏している。そんな身動きの取れないアカツキにナナが暇を持て余して悪戯をし始める。
「んーんー!?」
「まぁ、私とリアのことを無理矢理退かそうとしたんだし、これくらいされても文句は言えないよね?」
それから少しの間ナナに脇などをくすぐられて悶えるアカツキの声が部屋の中で響き渡った。
「まったく...。さっきまでの雰囲気はどこにいったのか。でもまぁ、いつも通りだな」
読んでいた本を閉じてガルナは誰にも聞こえない声で呟いた。
「...依存の儀式、か。クレアだけでなくアカツキにも影響が出始めているとはな」
アカツキらしからぬ行動だった。仲間を退かしてでも進もうとするなんていつものアカツキならばするはずがない。誰よりも仲間を大事にするアカツキが、苦しんでいるクレアを助けたい一心で後先考えず神器の力まで使おうとしていたのだ。
このまま何の対処もせず旅を続けていたら、どこかで必ず不和が生じてしまう。それこそ、仲間同士で争いが起こってもおかしくはないだろう。
そんな決して遠くないであろう未来を考えてガルナは目を瞑った。何よりも優先するのは今も天使の血によって苦しんでいる弟ガブィナを治す手段を手にいれることだが、その前に同伴しているアカツキ達の旅がどこかで終わってしまってはいけない。
弟と残された時間を過ごすという選択肢を捨てて、ここまで来たのだ。今更後戻りすることは出来ない。
弟を救うには止まることは許されないのだ。
「...違うな」
弟のためにアカツキ達と旅に出たはずがいつの間にか、彼らまでガルナにとって大切なものになっていた。自分のことは自分が一番知っているのだから、きっとそうなのだろう。
ふと視線を前に向けるとナナに為す統べなくくすぐられて悶えるアカツキと、それを見て頬を緩ませる雫が目に入った。
ナナは楽しそうにアカツキをくすぐっており、その隣ではリアがあまりやりすぎないようにナナに注意している。
そんな光景を見て、ガルナは少しだけ口角を上げてもう一度信仰都市の地図が描かれた本に目を通し始めた。