<未来の誰かへ>
騒々しい知らない声と、この四日間ですっかり聞きなれた男の声が聞こえてアマテラスは目を覚ます。
ベッドから出て声の出所と思われる玄関をこっそり見るとそこにはネヴと数人の大人が話し込んでいた。
「あのですね、まだアマテラス様は眠っています。時間になったらこっちから皆さんをお呼びするのでもう少しだけお待ち下さい」
そんなネヴの話を聞かずに興奮した様子の女性が甲高い声で叫ぶ。
「外を見たわよ!これも全て私達の神様がやったことなの!?ほんのちょっとだけでいいから合わせてくれないかしら!!」
「子供も寝ておりますのであまり大きな声は出さないでくれると助かります。それも含めて昼には皆さんを集めてご説明しますから、ごめんなさい!!」
そう言ってネヴは強引に扉を閉めて、少しだけ疲れた顔で寝室へ向かう。
「あぁ、アマテラス。すみません、うるさくて起きてしまいましたか?」
「まぁ、そうだな。今のは?」
「アマテラスの話が予想以上に広まっているようで朝早くから一目でいいから会わせて欲しいと詰めかけてきたんですよ」
「そういうことか」
三日間各地を渡り歩いて神降ろしの儀式の報告をしていたネヴ達、その話を直ぐに他の皆にも伝えてくると行って家を飛び出した人々によりこの何もない廃村に続々と人が集まっているらしい。
「いちいち彼等を家に招き入れて説明するよりも一斉に集めて説明した方が手間が省けますし、それに寝ているところを起こすのも申し訳なくて」
「苦労をかけるな。お前は私をこの都市に降ろすだけで随分苦労してきたろうに」
「君の面倒を見るのも僕の役目ですから大丈夫ですよ。それよりもまだあの子は寝ていますか?」
ネヴが寝室に入るとまだ名前のない少女は熟睡して寝息を立てていた。どうやら余程安心しているらしく、その寝顔もとても幸せそうだ。
「可愛い奴じゃな」
眠っている少女の顔をツンツンと指先で触ると僅かに口角が上がって「ぅー」と言いながら少女は寝返りをうった。
「起こすのもあれですし朝御飯の準備をしましょうか。さっき来た人達からアマテラスにと貴重な野菜を貰ったのでいつもより贅沢な朝御飯ですよ」
先日、アマテラスの手により土地を汚染していた呪いが浄化され、更には枯れた大地に木々や花畑が戻り、先程の人々がこの村に来る際に畑のような場所を発見したのだという。
「それも不思議な話じゃな。私はあくまでもこの土地に残っていた植物などを再生させたに過ぎん。昨夜お前が採ってきたリンゴといい、元々無かったものまで再生している」
「アマテラスはタイムカプセルというものを知っていますか?」
「なんじゃそれ」
「本来は未来の自分に当てた手紙などをそこに入れて埋め、何年後かに掘り返すんですよ。それと似たようなものです。アマテラスがこの都市に権現することは分かっていた僕らのご先祖様は木々や植物の種を腐れることがないように凍らせて各地へ埋めておきました」
簡単な話、自分達だけの神を望み、それが遠い未来に叶うことを知っていた人々はこの先多くの災厄で失われるであろう貴重な植物や野菜の種、苗木を冷凍保存してアマテラスが信仰都市の枯れた大地を再生させた時にそれらも解凍されるようにしていたのだ。
「これもその予言書とやらに記されていたことなのか?」
「そうです。アマテラスがこの都市に現れる大まかな時代、そしてこの枯れた土地を再生させるということも記されていたことです。ここで大事なことは大雑把なこと、だということです」
「正確なことまでは書かれていなかった、ということじゃな」
「はい。あくまでも、大体こういった事が起きるだろうというものに過ぎません」
何とも曖昧で、か細い希望だろうか。この都市を度々襲っていた大規模な厄災。それをもう少しで起こるだろうという予想のようなもので今まで乗り越えてきたのだとしたらそれは不親切な親切だ。
「実際にそれが起こらなければ手間だろうに。仮に準備をしていない時にそれが起きれば大惨事だったのではないか?」
「無いよりはマシというものですよ。それも全てアマテラスがこの都市を救ってくれるという希望があってこそのものでした」
「実際には降ろされた、が正しいな」
「そうですね。あの子が起きるまでそこら辺のことを話しておきましょう」
ネヴとアマテラスはテーブルの前に座ると話を始める。
「───端的に言って、僕は過去数百年の記憶を保持しています。僕が才能以上に魔法を扱えるのも、過去に読み解かれた文献の内容を知っているのも、全てそういうカラクリがあるからです。───そして、スルミル家には悲願があった。神をこの地に降ろすという、悲願がりまぁ、今のスルミル家の五代前くらいまでは自然的にこの都市に君が降臨すると信じて記憶を受け継いできました。しかし、ただ生きるだけ、そんなつまらない人生は嫌だと五代前の当主はある研究を始めました」
「記憶の継承、そんなことが可能なのか?」
「可能ですよ。この世界に存在する13の神器の一つにはメモリアと呼ばれる記憶に干渉できるというものがあり、それを模倣して作り出されたもの、それを使って継承しています。これを発明したのは今は亡き初代スルミル家の当主です」
そう言ってネヴはアマテラスに背を向けて肩が見えるように服を捲ると、そこには目のような紋様が刻まれていた。
「神器は物、実体として存在します。ですが、模倣に過ぎないこれを実体とすることが出来なかった僕のご先祖様はこれを概念的なものとしてこの世界に定着させました」
その際に多くの命が使用されたこと、この世界にとって不必要なものを捨てるときに起こる世界の修正と呼ばれる現象が起きたことなど、完成させるには多くの困難があったという。
「神様、というかこの世界は模造品を嫌っています。完成されたものがあるのだから、それよりも劣ったものは必要ないという世界の意思です。修正が適用されるのは神器とそれに関わるものです。ただでさえパワーバランスを崩しかねない神器なんてものの模造品が量産できるなんて知られたら戦争はより酷いものに変わっていくでしょう?」
「まぁ、確かにそうじゃな」
「ということで、スルミル家は研究には精通した一族です。そういったこともあって五代前の当主はこの都市を苦しめる災厄をどうにか出来ないかと予言書の解読や、この都市の地下を流れる魔力など、興味を持ったことは納得するまで調べてきました」
それによって判明した事実は予言書に記されていたことを根底からひっくり返すようなものだった。
「まず、災厄の中でも特に甚大な被害を生み出していた血のような赤い雨、これが起こる時に限ってこの都市の魔力濃度が異常値を示していました」
人体に触れれば不治の病を引き起こす赤い雨は気まぐれによって起こるものではなく、魔力が異常な高まりを起こすことでこの都市を覆う分厚い雲に干渉して血のような赤い雨を降らせていたのだ。
それに触れることで皮膚の爛れなどが起こるのは魔力の異常摂取によって引き起こされていたのだ。その人間の許容量を超えた魔力は人体に影響を及ぼす、魔力というのは失いすぎても増えすぎてもいけない。
何事もバランスを取るというのは重要なことで、赤い雨に触れた人間の容態が一人一人違っていたのはそれが理由だった。
「次に魔獣の侵攻です。普段人が活発に行き交う朝や昼に活動する魔獣が対処できない程の数を伴って突然夜遅くに町を襲う。それの原因は四代前の当主が発見しました。種類の違う魔獣が何故群れを成して夜遅くに活動する日は雲に隠されて見えない月が満月の日だったそうです」
それらを踏まえて四代前のスルミル家当主はこの都市を襲っていた多くの厄災は魔力によって引き起こされるものだと突き止めた。
満月の日と赤い雨が降った日の魔力の測定を行い、彼はようやくこの都市を襲っていた厄災の正体を突き止めたのだ。
「満月の日と赤い雨が降った日、両方の魔力を何も起きていない通常時の魔力と照らし合わせた結果、ある違いを発見しました」
災厄の起こる日にこの都市の地下や大気中を流れていた魔力は、魔力ではない。溶け合っていて一見普通に見えるが、それは原点からして違うのだ。
「これを当時のスルミル家当主はこう名付けました。この都市で流れてきた数多の人間の血、無念によって死んでいった人間が遺した遺物、呪いの力、呪力と」
「...待て、待て待て。それはつまり...」
「えぇ。この都市を苦しめてきた数多の災厄の原因は他でもない人間によって引き起こされたものでした」
この都市を救ってくれと、そう願いながら死んでいった人間が居たように、どうして、まだ死にたくない、助けて、何で自分ばかり、そういったいわば負の感情を抱きながら死んでいった人間が居たのだ。
ならばその人間が死んだ時に残っていた魔力はどこへ行ったか?
その疑問を答えるのは今ならば簡単だ。
「それは全てこの都市に還元された。自分の運命を呪いながら死んでいった彼等の魔力は巡り巡ってこの都市を苦しめていました」
「何だそれは。そんな話が...あってたまるか」
「年月が経てば経つほど厄災の規模も大きくなっていた。それは積み重ねの結果です。未来に希望を託して死んでいく人間よりも己の運命や世界を呪いながら死んでいった人間の方が多かった。そりゃあ、そうなりますよね」
そう言ってネヴはやけくそ気味に笑った。
「本当にふざけるな...って言いたいですよ。人間を苦しめていたものが人間によって起こされていたなんて、そんなの...あまりにも酷すぎる」
長い時によって積み重ねられ、成熟した呪力はもう人間ではどうにも出来ない。そう判断した二代前のスルミル家当主はある禁忌に手を染めた。
「予言という定められた運命からの脱却。今まですがってきたもの全てを絶ち切る。要するに自然的に発生するであろう神よりも早く、自分達で神を降ろそうというものです。何せ予言通りに神様が現れるのを待つのなら大厄災と呼ばれる日を乗り切らなければいけなかった」
このまま待っていては大厄災がこの都市を襲い、それによって人々が死に絶えると判断し、悠長に待っているのではなく自分達の手で神をこの都市に降ろそうとした。
「この都市の全員が望んだ悲願、それは神の誕生でした。その過程が違くとも彼等はきっと納得するでしょうね。という訳でスルミル家は三代かけて、ようやくアマテラス、君を降ろすことに成功しました」
「自然的に発生する神、というのは?」
「ここはある種の終着点なんです。時間や空間すら無視して異世界の住民が流れ着く。時にそれは争いの火種となり、時に彼等は英雄と呼ばれた」
「英雄がこの都市の住民ではない...?」
長らくこの都市を守ってきたとされる英雄と呼ばれる一騎当千の猛者達、そんな彼等がこの世界の住民ではないと知らされ、アマテラスは目を疑った。
この場に居るこの時代唯一となった英雄、ネヴ・スルミルを凝視する。
「じゃあ、お前も...」
「いえ、僕はスルミル家の跡取りとしてこの世界で生まれた人間です。それに僕は夢を見ていません」
ネヴは戸棚から無数の走り書きがされたメモ帳のようなものを取り出しアマテラスに見せる。
「英雄に選ばれる異世界から来た彼等が決まって見るのは人々の助けを求める声と共に地の底から這い出る泥の手に追われる夢だそうです。それを見た彼等は必死に逃げるけれど、結局四方を囲まれてどこにも逃げ場が無くなる。そこであきらめかけた彼等を助ける光の粒子、それに体を包まれると彼等は目を覚ます。―――人の域を超えた実力を持って目覚めるんです」
そこに書かれたのは英雄と呼ばれる存在の起源を調べてきた何代も前のスルミル家当主が遺したものだという。
「彼等を救ったのはおそらくこの都市の未来を想って死んでいった人達の思念体でしょう。負の感情が積み重なってこの都市を苦しめているように希望を願う彼等の願いが積み重なり、この都市の防衛機構たる英雄を生み出している。そう考えれば納得できるでしょう?」
人が人を苦しめているように、人が人を救っている。この都市ではそれが実現されていた。ロマンチックに聞こえるだろうが人の心が未来を、この都市を守ってきたのだ。
「そして、二代前のスルミル家当主、ユース・スルミルは異世界の人間がこの都市に流れ着くという性質を利用して異世界から人ではなく神を呼び寄せる方法を考えた。その方法を用いて貴方をこの都市に降ろしたんですよ」
「成る程な。ならば既にその予言書とやらに記された筋書きから逸脱しているのだな?」
「はい。僕と君がこの都市を襲う厄災の元凶を解決します。そうすれば大厄災も起こることはないでしょう。だからもし、僕らが死んだ先の遠い未来でまた厄災が起こるということは―――人為的にそれは引き起こされる」
今までアマテラスの過去を見ていただけのクレアはつい叫んでしまう。
「そんな...。なら、今私達が今立ち向かおうとしている厄災は!!」
そう、これはアマテラスの過去を見ているクレアとこの記憶の持ち主であるアマテラスだけが知る事実だ。
アカツキはこの都市を襲う厄災から多くの人々を助ける為に信仰都市に戻ってきた。彼はダオ率いる狐の面を付けたウルペースに命を狙われている。その危険も省みずにこの都市に再び戻ってきたというのに、その厄災は誰かが故意に引き起こす人災なのだ。
そんなクレアの同様を記憶に残っているだけの過去の彼等は知る由もなく話を進めていく。
「だからアマテラスはもし厄災が起こる兆候を発見したなら引き金となる人間を見つけ、速やかに対処するんだ。僕ら人間とは違い、死を持たない君だからこそ出来ることだ。記録に残すのは簡単だが、後々悪意ある人間によって改竄される恐れがある。けれど君さえ覚えていればそれでいい。今やこの都市の意思は君の意思だ。君が崩壊を望むのならこの都市は崩壊し、君が平和を望むのならこの都市は永遠に平和だ」
アマテラス=信仰都市、その法則は彼女がこの都市に権現した時には成り立っている。この都市を浄化することが出来たのも、枯れた大地に再び生命を吹き込んだのも少なからずその法則が影響していることだろう。
「...難しい話をしちゃったね。もうそろそろ朝御飯の支度をしよう。あの子が起きた時にはすぐに食べれるようにね」
「まだ話してない事があるだろうが、それはまた別の機会にしてやる。私も腹が減っているしな」
二人は立ち上がってネヴは台所へ朝御飯の準備をしに、アマテラスは少女が起きたときに誰も居ないことで泣き出したりしないようにベッドの前に椅子を置いて座る。
それからしばらくして台所から美味しそうな良い匂いが漂ってくると、眠っていた少女はゆっくりと目を開けて、隣をちらりと見て昨夜寝たときに居たアマテラスが居ないことに気付くと飛び上がってベッドを出るも、椅子に座っている彼女を見つけて安心する。
「よく眠れたようじゃな。そろそろ朝食が出来る頃だろう。行くぞ」
「ぁーい」
アマテラスの手を握った少女の歩幅に合わせて居間に向かうとそこにはエプロン姿のネヴが出来上がった料理を並べていた。
「これはまた力を入れたな。昨日の肉だけ料理とは違い彩りもあるではないか」
「食材に困ることは無さそうなので少しだけ気合いを入れちゃいました。今までこの都市に存在しなかった食材の調理方法も頭の中に入ってるので味は大丈夫だと思いますよ」
「学問にも魔法にも私生活にも活かせるというは記憶の継承は本当に便利じゃな」
それを実現するのに当時のスルミル家当主は本当に苦労したことだろう。しかし、その努力は今もこうしてネヴに継がれており、無駄な努力ではなかった。
「ほら、ご飯を食べて休憩したら今いる人達を集めて集会を開かないといけません。そのあとはこの子の名前も決めてあげなきゃいけませんし、やることは沢山ありますよ」
それから時間はあっという間に過ぎていく。朝食を終えたネヴとアマテラスははこの日の為に用意していた衣装に着替え、まだ名前を持たない少女は家の中で留守番というのも可哀想だから一緒に連れていく。
この都市の神として権現したアマテラスを見せてネヴは廃村の中央で自己紹介などを済ませてから最初は静かに、後半になるにつれて声を大きくして、最後は声高らかに宣言する。
「僕らの神、アマテラス様がこの都市を長らく苦しめてきた災厄を払い、真の平和を作り上げるだろう!!この都市が生まれ変わる時が遂に来た!!三年間、僕に残された余命はそれしか無いが、その間はこの都市の英雄として、君達を教会や魔獣から守り、村長として君らを導こう!!」
その声は寂れた廃村に再び熱狂をもたらし、多くの人々が歓喜の声を上げる。
「上手いものじゃな、ネヴよ」
「今はこの場に居る人達の信仰心とやる気が必要ですからね。それに洗脳術は幼い頃から父から洗脳を受けていたのでマスターしてますよ」
「それは自慢になるか...?」
今は半ば洗脳じみたことをしてでも、信頼を勝ち取ることが必要なのだ。それならば多少罪悪感が心を苛もうと関係ない。
「僕はこの都市を守り、再び再建させる。...皆にそう誓ったから」
「うー、あーぇ」
ネヴと手を繋いでいる少女は周りで叫ぶ人を見て、左手を上にあげたりしてそれを真似している。
「元気じゃな」
「元気なのは良いことですよ。アマテラス、僕はこれから彼等に役職などを与えて復興作業を始めます。先にこの子と一緒に家で待っててください」
「分かった。あまり無茶をするなよ、昨日も寝ておらんのだろう?そろそろ休まないと怒るぞ」
「あはは...。今日は家に帰ったらちゃんと休みますよ」
そう言ってネヴはいまだ熱狂冷めやらぬ民衆の下に向かい、指示を始める。使われていない家の復旧作業を魔法を使える大人に任せ、子供達や年配者には食材集めを。
「物見櫓は早急に準備しましょう。魔獣の接近をすぐに伝えられるように鐘も必要ですね」
「はいよ。けど鉱山がまだ汚染されてて、とてもじゃねえが入れねぇぞ?」
「時間があるときにアマテラス様を連れて向かいます。先に櫓の建設をお願いします」
「よし分かった。五人ほど人借りてくぞ」
「えぇ、頼みましたよ」
必要なことはメモして、動けるものは誰一人として余すことなく都市の再建のために働かせる。ネヴの采配によって役割を与えられた人々は希望に目を輝かせながら一日を謳歌する。
決して簡単ではない作業でもこうして働けること自体が彼らにとって幸せなのだ。いつも何かに怯えて暮らすのが終わり、新しい未来へ向けて歩き出す。
そうして、復興作業初日は過ぎていった。
「ただいま。遅くなってごめんね。昼食は準備をしてたから...」
扉を開けて家に入るとそこには二人で眠る姿がネヴの目に入ってきた。
「...こんなところで寝てたら風邪を引いちゃうだろうに」
ネヴは寝室から毛布を持ってくると手を繋いで眠るアマテラスと少女に被せ、その側に腰を下ろす。
「本当に...。僕にはもったいない幸せだよ。こんな僕には」
中睦まじい家族のような光景、クレアが見ていたアマテラスの記憶にそれは突如として現れた。
『―――お兄ちゃん、ごめんね』
ノイズがアマテラスの記憶、クレアの視界を塗り潰して少女の声と共にまた別の記憶が流れ込んでくる。それはさっきの幸せな光景とは違い、悲しみに包まれた記憶だった。
『やめろ...。その手に持っているものを離すんだ!!』
祭壇の前で包丁を自身の首に近づけていく少女と、それを少し離れた所から止めようとする青年、ネヴ・スルミルがいた。
『けど、これで皆が救われるなら私はそれでいいの』
鋭利な刃物が柔らかな肌を切り裂き、赤い鮮血が溢れると少女は涙を流しながら側で叫ぶ青年に手を伸ばして微笑んだ。
『お願いね...おに、ぃ...ちゃ』
そう言って事切れていく妹を僕はただ見ることしか出来なかった。魔法を使えば止めれたはずだ、力だって年上の僕が妹に劣るわけがない。
止める方法なんて幾らでもあったんだ。止めれたはずの悲劇を、僕は見過ごした。
この都市に神を降ろすための寄り代として開発してきた体は粘土細工のように崩れていって神を下ろすには不十分だった。
神という規格外の存在を降ろすに足る肉体はそう存在しない。たとえ一時であろうと降ろせても三日も持たずに形は失われるだろう。
それでは駄目だった。この都市を守るには永遠の命、永遠を生きるための肉体が必要だったのだ。そして、その存在は僕の身近に居た。
父から記憶を継いだ僕にとってこの世界で唯一の家族である妹、生まれ持った魔力を貯める器はまさに奇跡と呼べる代物だ。それもそうだろう。何せ五代前のスルミル家当主から着々と準備された生まれるべくして生まれた奇跡の子供なのだから。
異世界からの漂流者、その英雄を自分達の手で作り上げる。子を洗脳してまでかつての栄光にすがるスルミル家らしい非人道的な実験の果てにようやく生まれた人工の英雄、成長して、僕と同じ年齢になっていたらきっと英雄としての真価をいかんなく発揮していたことだろう。
結局は僕も呪われた一族の子供、自身の妹を寄り代にすれば神降ろしが可能なことは分かっていた。だがそれには魂が邪魔だった。───純粋な寄り代には余分なものは必要ない。
だから、止めれたはずの妹の死を僕は心のどこかで安堵していた。
『―――あぁ、やっと僕らは救われるんだ』
汚い、死んでしまえ、人間の屑が。何が英雄だ。妹を犠牲にしてまで求めるのが他者の幸せか?
何度自分の愚かさを呪ったか分からない。戻ってこないと知っていて見逃したくせに何時までも悲劇の主人公気取り。
僕はその日から立ち止まることは許されない。一度犠牲を払ってしまった。それは僕にとってかけがえのないもので、その命を意味のないものにしてはいけない。
だから、過ちを何度も僕は犯し続ける。それが間違っているなんて分かっていても―――。
クレアの見る記憶の光景が目まぐるしく移り変わり、ネヴ・スルミルからの視点で物語は加速していく。
復興していく村と、名も無き少女に与えた妹と同じ名前。村長という役名を祭司と改めて神降祭という行事も新たに始めた。
平和なことばかりではなかった。この都市を滅ぼさんとした侵略者である教会の人間は誰一人として生かすことなく殺して、殺して、殺し尽くした。
誰が見ても圧倒的な勝利を勝ち取り、体を血で濡らしながら歓声成りやまぬ門を通った。
誰もが一人で侵略者を殲滅した僕を称賛し、その日は大きな宴が開かれた。
『―――あそこまでする必要があったのか?』
『命乞いをされようと彼等は僕達の敵だ。そんな奴等に同情する価値なんてない』
血を流すために風呂へ入り、髪を濡らしたままの僕にアマテラスは問いかけた。その問いに僕は間を置くことなく返答すると頬を叩かれた。
言いたいことは分かる。怒る理由も分かる。何の罪もない一般人が尖兵として放たれたことも、それを知っていて僕が皆殺しにしたことも全部彼女には筒抜けだった。
『無理強いされ、戦わせられた罪の無い人間を皆殺しにしてまで得る平穏に意味はあるのか!?』
『...意味なんてありませんよ。ただ、そうすることでこの都市の人達は喜んだ。彼等にとって教会も罪無き被害者も総じて侵略者だ!!僕はまだ彼等の支持を失うわけにはいかないんだよ!!』
初めてアマテラスに向けて僕は声を荒げて叫んだ。その怒りには何の価値もないというのに。
『...何故だ。どうしてお前は怒っているのに―――泣いているんじゃ』
とっくの昔に心は擦り切れてしまった。妹の命を無駄にしない為にまた多くの犠牲を払うようになってしまっていた。
僕という人間に―――価値はない。
ただ求められたように、この都市に生きる彼等が望んでいることを機械的に処理していく。時に侵略者を一人残らず殺し、僕から祭司の座を奪おうと画策していた裏切り者の同胞を公衆の面前で見せしめとして死刑したことさえあった。
落涙しながら命乞いをした裏切り者、そんなの関係なしに僕は手を下した。
―――殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した
守るべきものよりも遥かに多い犠牲を払ってきた。
『おかえりなさい。お兄ちゃん』
そんな僕とは違い、出会ったばかりの時は痩せ細り、名も無かった少女は優しい子に育っていった。
『ただいま。シズク』
どれだけ僕が血で汚れていようとシズクだけは笑顔で僕を出迎えてくれた。難航するかと思えた会話や読み書きも僅か一年半で習得して、最近は政治についても勉強しているようだ。
『アマテラスは多分部屋で不貞腐れてると思うから、お風呂を上がったら会ってあげてね』
『多分、彼女はそんなことを望んでないよ』
『アマテラスも心の底では分かってるんだよ。お兄ちゃんがそうやって仲間であろうと容赦なく殺すのも、全部自分達の為だって』
『...そんなことない。僕は人でなしだよ。最近では血も涙もない奴だって言われたよ。僕は信頼関係を無くして彼等を恐怖で束縛して、仕事をさせている。とんだ屑人間だよ』
『―――お兄ちゃん』
――――――暖かな抱擁があった。
体が血で汚れるのも無視してシズクは靴を脱ぐためにしゃがんでいた僕を抱き締めたのだろう。
『そんなことしたら血で汚れ...』
『良いんだよ。私達の前でくらい正直になっても』
『あはは...。何を言ってるんだシズクは。僕が悪人の振りをしてるとでも?僕は血も涙も無い人でなし、君達の前では優しい人間を装ってただけで』
『嘘つきだね。血も涙もない人でなし?そんな人がどうして―――泣いているのかな』
また、弱さを見せてしまった。アマテラスの前だけではなく十歳も年下の女の子前でみっともなく泣いて、叫んでいた。
『辛くなかった日なんて無かった...!!最近では毎日のように誰かを傷つけて、その度に周りから冷たい目で見られて、苦しかった――――――!』
どうしようもない男だ。どこまでいっても半端者、英雄としても祭司としても、兄としても振る舞えなかった。
守るものもいつの間にか傷つけ始めて、次第に自分のやっていることが分からなくなってくる。幸せを求めるために、誰かの幸せを踏みにじって、誰も傷付くことのない真の理想郷を作るという夢は、―――理想に終わってしまった。
クレアの見る光景が早送りで進んでいく。教会の人間と思われる片目を糸で縫った女との戦い、一度は死にかけたネヴをアマテラスが救ったこと、積み上げられたおびただしい死体、色んな出来事が一瞬の内に過ぎ去り、気付いた時には暖かな部屋の中にクレアは立っていた。
『ごめ...んね。最後の最後まで、かっこ...つかなくてさ』
声のした方を向いてみればストレスで髪は抜け落ちてシズクの作ってくれた帽子をつけて暖かなベッドの上で眠るネヴの姿。
その両の目の下には深い隈があり、これまでの壮絶な人生を物語っていた。
三年という短い時間の中でネヴはありとあらゆるものを用いてこの都市を復興させた。時にはそれは人々からの信頼であり、時には力を使い、畏怖を持って従わせた。どれだけ自分が汚れようとも構わない。
全ては未来へ繋がる平和の足掛かりとして、この都市を生まれ変わらせたのだ。
『僕の後継者も既に見いだしてある。シズク、君はアマテラスとその子の手伝いをしておくれ』
『...うん。分かったよお兄ちゃん。だから今はもう休んでね』
別れというのは誰だって悲しいものだ。そして時に悲劇は人を変えてしまう。
―――だから。
「記憶旅行はここで終わりだよ」
全ての記憶の光景がその男の一言で消え去っていく。そして次の舞台となるのはアマテラスの光景で何よりも幸せの象徴となっていた四角いの家の中、その居間にて男が椅子に腰掛けていた。
「―――貴方は」
あり得ない人物、既に過去の人となったはずの男ネヴ・スルミルがさも当然のようにアマテラスの記憶に干渉してきたのだ。
「悲劇なんてものは実際に体験するのも見ることすらも良くないものだ。その具体例としてはアカツキだ。メモリアやサタナスの記憶と深く繋がってしまったが故に彼は一時怒りに身を落とした」
「アカツキさんが...?いや、そんなことよりどうしてここに居るんですか。ここはアマテラスさんの記憶の中なのに」
「少しだけはずれだ。まぁ大枠は合っているけれどね。今の君の中にはアマテラスの魂が入り込んでいる。ここはアマテラスの精神世界に再現された場所さ」
ネヴなゆっくりと立ち上がり台所から二人分のティーカップを持ってくるとクレアも椅子に座るように促す。
「さぁ、座ってくれ。これからは僕が君に知ってほしいことを口頭で伝えようと思う。ゆっくりと追体験してもらうの良いけれどそれを見るには少しばかり君の精神状態は不安定だからね」
「私は特にそんなこと感じませんが...」
「そうだろうね。君の精神状態が不安定なのは依存の儀式のせいだ。君が気付かないだけで周りの人達は君の変化を感じ取ってるはずだよ」
全てお見通しだった。彼はまるで自分のことのようにアカツキとクレアしか知り得ないことを語っていく。アカツキとの出会い、農業都市での依存の儀式のこと、何もかもが。
「君には申し訳ないけれど記憶を見れる範囲だけ見させてもらったよ。だから客観的に言わせてもらうけどね。アカツキと頻繁に離れ離れになっていることで、君は彼に異様な執着心を見せている。どこに行くにも一緒、ネオの見舞いに来なかったら一緒に寝るつもりだった。いつもの君らしからぬ行動だ」
その言葉にクレアはただただ疑問を覚えてしまう。そう、本人は知ることのないアカツキへの深い依存、学院都市でクレアが奪われた記憶を取り戻すことが出来たのも依存の儀式によるもの。
「君は彼なしでは生きられない。それこそが依存の儀式本来の効果だろう?彼から何が貰える訳でもない。それでも君はアカツキに依存し続けるだろう。それこそがヴァレク・スチュワーディの考案した人の魂を永遠に縛り続ける依存の呪いだ」
呪い、確かにその言葉正しかった。まだ出会って一年も経っていないクレアがアカツキに恋心を抱くことすらも依存の儀式によって植え付けられた偽物の感情なのだから。
「私は本気であの人を―――!!」
「この際だ。君には真実を告げよう。君のアカツキに対するその感情は間違いなく依存の儀式によるものだ。君本来の感情ではない」
「うるさいですよ...。貴方がどうしてそんなことを言えるんですか!!」
クレアは大きな声を出して椅子を蹴飛ばして立ち上がった。普段の彼女らしからぬ行動、それこそがネヴの言葉を真実にしているとクレアは気付いていない。
「ぼくは呪いについては人一倍詳しい。何なら呪いと呼ばれるものの起源はここ、信仰都市だ。意地悪をしているように聞こえるかもしれないが紛れもない真実だよ」
スルミル家の記憶を継いでいたネヴだからこそ分かる呪いというものの恐ろしさ。土地すら枯れさせ、人から命を奪うほどの力を持っている呪いがたかが一人の人間の心を変えてしまうなんてことは造作も無いだろう。
「でも、そしたら。この依存の儀式が解けてしまったら...」
全てがクレアの中から消えてしまうのだろうか。アカツキの側に居るだけで嬉しかったことも、この身を焦がすほどの愛も全てが無かったことになってしまう。
「怖いだろうね。けど、君が彼を真に愛するというのなら。彼を決して一人にはしてはいけない。呪いは今も彼の心で増長している。アズーリ達によって抑えられているとはいえ、その影響は今やアカツキにすら出つつある。ただでさえ神器を使用する代償として彼は、感情の起伏が激しくなりやすい。農業都市での一件、アカツキが一度自殺したことも君なら教えられているだろう?」
神器と呼ばれる人智を越えた力を行使するアカツキ、使えば使うほど精神は磨り減り、人間性が失われていく。それに加えて彼には常に非常な決断を迫られている。
「既に彼は化け物に変えられた民を、その尊厳を守るために殺している。罪悪感に押し潰されて、また彼の心が振り切れてしまわないように常に寄り添い続けること。これが君の感情を偽物にしないことに繋がるだろう」
今は偽物だ。ならば、依存の儀式が誰かの手で解除されたとしてもアカツキを好きでいたいのならそれを本物にしてしまう。クレアの願いを叶える方法はそんな単純なことだった。
「僕は悲劇が大嫌いだ。何せ僕の人生は悲劇の連続で、生きていた頃は君が見てきたようにもう荒れに荒れていた」
そう言ってネヴはもう一度クレアに座るように促し、クレアは蹴飛ばした椅子を元に戻してゆっくりと腰を下ろした。
「さっきは叫んですみませんでした」
「君の怒りはもっともなものだ。それを咎めはしないよ。さて、それじゃあここからが本題だ。君に知ってもらいたい事が大きく分けて三つある。一つは僕の名を使って巫女継承の儀を行っている男のこと、アマテラスが長い間封じられていたこと、最後に地獄の主、ハデスと呼ばれているアマテラスとはまた別の神についてだ」
その前に、と前置きとしてネヴはどうして自分がここに居るのかを説明し始める。
「僕は死んで魂だけの状態だ。だから、こうして全盛期の体で君の前に居る。そんな僕がアマテラスの中に入り込んでいる理由は君のように誰かがここに来た時の案内役と説明役として。そして、―――この都市の破滅を見届けるためだよ」
最初からこの都市にいずれ本物の終末が訪れるのは分かっていた。数多の命と悲劇を積み上げてきたこの都市は巡りめぐって滅びが訪れること、それをネヴは知っていた。
「神様を降ろすこと自体、延命に過ぎなかったんだよ。本来なら僕らは後に来る大厄災で全員死んでいた。その運命を覆す為に僕らは必死に足掻いて、どれだけの犠牲を払ってきたか分からない」
この都市の運命は最初から決まっていた。神様に見放された時点で潔く諦めていれば良かったのだ。
けれど、人間は生きている以上死にたくないと思うのは必然だ。何としても生き延びようと思うのは当然だ。
「何度も同じ運命を辿る巫女と祭司。物語は全てはようやく始まりに帰結した。今の時代にはネヴ・スルミルとアマテラス、そして雫という名が存在する。――――――信仰都市始まりに立ち会った者達は、終わりに立ち会う者達である。スルミル家が唯一読み解いた最後の予言書に記された言葉さ」
何度も繰り返されてきた悲劇はここにようやく終わりを告げる。アマテラスを除いた二人は同一人物ではないが信仰都市の始まりとも言える場所に立ち会ったネヴ・スルミルとシズクと同じ名前を持っている。
始まりに立ち会った彼の名を騙る終わりに立ち会うネヴ・スルミルと初代巫女としてアマテラスをその身に宿したシズクとは違う今の時代を生きる天間雫、そして人の手によって信仰都市の神として権現したアマテラス、全てがこの時代に揃ってしまった。
「因果応報、僕らが積み上げてきた悲劇を持ってこの都市は終わる。けれど、終わりが悲劇である必要がない。過去のことは過去のことっていう考え方も出来るからね。人の呪いに立ち向かうのは人の希望だ。その為に君には知ってもらうことがある、それがさっき言った三つのことだ」
ネヴはクレアの手を引いて家の扉を開く。
「どうか、君達の手で人を救い、この都市を終わらせてほしい。君には足りない戦う術も僕が少しだけ貸してあげよう」
扉の向こうは新たな記憶の中、信仰都市に居る人間の中で唯一クレアが知った信仰都市の真実だ。
血と惨劇と悲劇にまみれ、知りたくもなかった悲しい真実だ。