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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
155/185

<思いでの在処>

洞窟で得た数匹の魔獣の死体を持ち、背中には痩せ細った少女を背負ってネヴとアマテラスは家に戻る。道中群れとはぐれた十数匹の魔獣と出くわしたが、それもネヴの手によって焼き払われ特に時間が掛かることなく家に着く。


相変わらず家というには壁と天井だけの四角くい部屋、神様が住むにしてはあまりにも威厳は無いが外見だけを取り繕うことなど今は特に意味を持たない。


「僕はこれから夜ご飯を作るのでその子を見ていて上げてください。起きたら少しだけ取り乱すかもしれませんが、よろしくお願いします」


「成る程、これがお守りという奴か。任せろ、私の溢れる母性でこの娘の面倒を見てやろう」


「はいはい。頼みましたよ、アマテラス」


アマテラスの冗談のような本気の言葉にネヴは笑いながら手をひらひらと降って台所へと向かっていく。


「任せておけ。お前は料理に専念するのだな、もし不味かったら承知せんぞ」


「魔獣の肉は本来は猛毒なんですからね?それを魔法やその他もろもろで無害化するんです。味までは保証できませんよ」


それでもやれというアマテラスの無茶ぶりに答えるべくネヴは割烹着姿で調理を始めた。


「...それにしても、痩せているな。お前は」


今まで村長が眠っていたベッドの上で気を失っている少女の体を触りながらアマテラスはポツリと言葉を溢した。


「両親を殺されたのはお前にとって良かったことなのか、悪かったことなのか分からないが、生きている。それだけで十分じゃろう」


きっと目を覚ましたら取り乱してしまうだろう。両親にも非常食と思われ、魔獣達には骨ばかりの不味い食料と見られていた。その証拠に健康体だった両親が先に食われて、その光景を見ることしか出来なかった。


「は、意味がわからんな。食料が尽きたときに食えればいいとお前は最低限の食事しか与えられらず、そのおかげで魔獣達に最初に食われることは無かった。感謝しようにも、感謝出来ない。何とも矛盾した結果だ」


しかし、この都市は思った以上に荒みきっていた。子を喰らう為に育てる親などどこを探してもここくらいのものだろう。外では教会という組織の下で背信者は弾圧を受け、教会によって庇護対象と見なされた者達は平和を享受しているという。


「成る程、ならばここは見放された都市か」


この都市だけに降り注ぐ厄災、だというのに教会の信仰する唯一神は何もしてはくれない。ならば自分達を救ってくれる神を自分達で産み出すしかない。そう言った願いのもと、ネヴ・スルミルとその友人の三人の英雄の寿命と魔力、持てるもの全てを払ってアマテラスはこの都市で再び形を得たのだ。


「だとすればあの男は父親ということになるのか...?いや、この都市の人間すべてが私を生み出した親、というわけか」


英雄と呼ばれる凄まじい力を持った人間が現れるのは何故か、それはまだ判明していないが今までこの都市の礎となってきた彼等も、今の時代の英雄であるネヴ・スルミルらも一律に人々の願いによって産み出されたと信じてきた。


その彼等の願いを背に、何代にも渡る神降ろしの儀式がようやくこの時代で成就したのだ。今を生きる人間も、過去に死んでいった人間も、全てがアマテラスにとっての親だと言えるのかもしれない。


「そんな神でも死者を甦らせることは出来なんだ。だからお前はこれから天涯孤独となる。だからせめて...」


いつの間にか握っていた細い手を握っていたアマテラスの手に力が入る。


「お前を死んだ両親の変わりに私とあいつの二人で育てよう」


感情移入などしていいのだろうか。これから幾度も神様と崇め奉られようと、きっとネヴとこの少女だけはえこひいきをしてしまうだろう。


「誰にでも平等な神様...か。そんな神様なんて存在しないのかもな」


「―――アマテラス?」


アマテラスが独り言を言っている間に時間は大分過ぎていたようで、魔獣の肉を調理して皿に盛ったネヴが話し掛けるとアマテラスは肩をビクンと震わせる。


「お、驚かすな馬鹿者」


「えぇ...。僕はご飯が出来ましたよって言いに来ただけなんですが」


「あーはいはい。分かった、分かった」


「はいは一回。仮にも神様なんですから言葉遣いも気をつけて下さい」


「仮にもとは何だ!私は神じゃろう。お前が降ろしといて何を言っているのじゃ」


「あはは。冗談ですよ、アマテラスは僕にとって大事ないも...。いえ、子供のようなものですけど、神様であることに変わりません」


一瞬だけ言葉を詰まらせて別の言葉に変えたネヴに違和感を覚えるが、その表現はさっきまでアマテラス自身が思っていたことだ。妹、という言葉は違うと思っただけだろう。


「さ、食べましょうか。その後はお風呂を沸かしますからアマテラス、先に入って下さいね」


「分かった。この娘はどうする?臭いも大分キツいぞ」


「その子の前で言わないで下さいね...?言葉が通じなくてもそれを女の子に言うのはNGですから。けどそうですね、目が覚めるようなら入れてあげましょうか」


「そうじゃな。まずは飯だ、腹が減ったぞ」


食卓に並んだネヴの手料理、それを木製の箸で掴んで口の中に運んでいく。


「...上手い」


アマテラスの素直な感想に「それは良かった」とネヴは微笑んで同じく食事についた。



......



「ほら、アマテラスも。ご馳走さまでした」


「上手かったぞ」


「僕の言葉聞いてましたか?」


何事も自分の言いたいことを言うアマテラスに少しだけ苦笑を浮かべながらもネヴは外へでる。


「どこへ行くのだ」


「お風呂を探しに行くんですよ」


「探す...?」


「えぇ。村長は寝台から動くことが出来なかったのでお風呂に入れることが出来なかったのですが、僕らには必要なものですから。ここら辺には汚染されていなかった大昔に温泉があったようです。アマテラスがこの土地の洗浄をしてくれたおかげで土地は息を吹き替えし、源泉もどこかにあるはずです」


「成る程な。しかしどうやって発見する?」


「やり方は簡単ですよ。魔力の流れを読み取り、温泉が湧き出る場所を発見したら―――爆破します」


「.........」


そう言って意気揚々と外へ出てったネヴを見送ってから五分が経った頃、外から凄まじい爆発音が聞こえ、その振動で家が揺れる。


「これ、加減してないじゃろ」


爆発と魔力の余波が辺り一体を駆け巡り、ネヴが全力の魔法で温泉を物理的に作り出したことをアマテラスは察する。


「...ぁぇ」


聞き慣れない声に咄嗟にアマテラスが振り返るとそこには目を覚ました少女がポカンとした顔で軋むベッドから体を起こして、辺りを見渡していた。


「もう目を覚ましたか。早かったな」


そして、少女は霞む視界でこちらへ向かってくる小さな体の生き物を捉えると、その顔が次第に恐怖に満たされていく。


「―――やアァァァァァァァ!!」


自分を育ててくれた人達が目の前で食われている記憶がフラッシュバックし、こちらへ近づいてくる生き物と、あの二人を喰っていた化け物が重なり、部屋の隅へ走りだし、しゃがみこむと頭を押さえてその場で震えていた。


「...やはり、辛いか」


きっとこの少女には自分が両親を食った魔物に見えているのだろう。生を渇望し、恐怖に絶望しているからこその悲鳴と震えだ。


生半可な優しさでは恐怖に囚われた彼女に自分が安全だと認識させることは出来ないだろう。


アマテラスが化け物に見えて、言葉も理解できない。そんな少女にアマテラスはゆっくりと歩を進めて歩いていく。今も震える少女は自分に近付いてくることを察知して顔を上げる。


「苦しかったろう」


「―――やぁめ!!」


近付いてきたアマテラスの顔をろくに確認せずに伸びきった爪で引っ掻き、弱々しい蹴りで小さな体を蹴飛ばすと少女はまた隅で頭を抱えて恐怖にうちひしがれる。


「...あんな軟弱な蹴りで私を追い払えると思うな」


「―――なぁ!!」


アマテラスを拒絶する少女の弱々しい抵抗にびくともせず、アマテラスは手を少女に近付ける。


「...っ」


その伸ばされた手に少女は力一杯噛みつき、その痛みに一瞬だけ離れようと体が動くも、アマテラスは手を噛まれたまま少女に近づいて、空いていた手で涙を流す少女の体を優しく抱き締めた。


「お前がどれだけ私を拒絶しようと、私はお前を受け入れよう」


親が目の前で食われている様を見ることしか出来ずに、いつ自分が食われるのかという恐怖から逃れるような叫んでいたあの声を聞いてしまった。


それだけだ。この少女を救いたいと思い、手を噛まれても気にしないのは。


「怖かったじゃろう。いつ自分が死ぬのではないかと思うと気が気で無かった。そうじゃろう?」


言葉は通じない。それでもきっとこれは言わなければいけないのだ。


「―――もう、安心しろ。私がお前を守ってやるから」


「.........」


初めてだった。こうして誰かに抱き締められるのは。ぼんやりとした記憶をいくら掘り返しても言い表せない感情が込み上げてくる。


どうしてこの生き物は暖かいのだろう。自分では理解の出来ない言葉なのにどうしてその手を噛む力を緩めてしまったのだろう。―――抱き締められているだけなのに、どうしてこの生き物は安全だと思っているだろうか。


「大丈夫。私が何時までもお前を守ってやろう」


あぁ、きっとこの止まらぬ涙と言い表せない感情の正体は安堵だ。自分を育ててくれたあの人達にも与えられなかったものだった。


「あぅ...ぁ」


アマテラスから流れ込んでくる優しさをもっと求めて、少女はその体を必死に抱き締めた。爪の痕が残るくらいにその暖かさを求めて、アマテラスの体を抱き締めると、その分だけ心が落ち着いていく。


「―――ふぅー。ただいま、アマテラス」


そんなロマンチックな場面を台無しにして、びしょ濡れの男がドアを開けて入ってくる。


「久々に手加減なしで魔法を使ったせいで地形変わっちゃったけど、まあ仕方ない...よ、ねぇ」


「空気を読め、馬鹿者が」


意識を失っていた少女と抱き締め合っているこの状況を説明するのに少しだけ時間を使い、アマテラスが説明をし終わるとネヴは「そっか」と言ってアマテラスに隠れるようにしてこちらを見ている少女に同じく手を伸ばす。


「僕はネヴ・スルミル、よろしく...痛い!」


自己紹介している最中で先程のアマテラスのように少女は伸ばされた手に噛みつく。


「不用意に手を伸ばすな。自分なら警戒されないと思っているのか」


「まぁ、仕方ないよね。この子にとって僕らは知らない人間だし」


「残念だったな。既に私はこの娘の信頼を勝ち取っている」


そう言ってネヴの手に噛みついていた少女を引き離し、その細い体を抱き締めると、少女も同様に笑顔でアマテラスに抱き付く。それを自慢げに見せつけるとアマテラスは言う。


「ほらな?」


「はいはい。僕は信用ならない大人ですよ」


ネヴは若干ふて腐れ気味に顔を背ける。その間もこれでもかといういう風にアマテラスと少女は抱き締めあっていた。


「ほらほら、二人とも何時までも抱き締めあってないでお風呂に行くよ」


「僻むな、僻むな。自分よりも私がこの娘に好かれているからといってなぁ」


「僻んでませーん。そんなこと言ってると明日のご飯抜きにしますよ?」


「な...。それはずるいぞ、ネヴ!!」


「まぁ、それでも良いっていうならどうぞご自由に」


急いで少女を抱き締めていた少女をアマテラスは離すと、少女は名残惜しそうに手を伸ばしており、その様子を見てネヴはため息をつく。


「...はぁ。今のは僕が言い過ぎました。二人で仲良くお風呂に入ってください。僕は周囲の警戒をしますから」


「だそうだ。行くぞ娘」


「あー」


笑顔のアマテラスに手を引かれながら勢いよく家を飛び出した二人、その場で濡れた体を魔法で瞬時に乾かしてからネヴもその後に付いていこうとする。


「...本当に笑った顔はそっくりだなぁ」


そう、意味深な言葉を溢して家を後にした。



......



外を出てまず驚いたことは月明かりに照らされながら勢いよく水が涌き出ていたことだ。ネヴの加減なしの魔法によって源泉から飛び出したのだろう。


「どうですか、あれが温泉というものです。僕も見たのは初めてですけどね」


「土地から湯が湧き出るなど、何とも便利なものよな」


「そうですね。魔法で暖められた訳でもない。自然の湯水ですから。あ、着替えはまだ無いので当分二人にはその服で過ごして貰うことになりますが、二人が湯に浸かっている間に僕が洗濯しておきますから」


「変なことをするなよ?」


「君らのような年端もいかない子供に変な気を起こすような大人なんていませんよ」


「そうか?世界は広いのだからどこかに居るとは思うが」


「まぁ、そうかもしれませんね。ほら、二人とも脱いでください。アマテラス、その子の体をよく洗ってくださいね」


ネヴに催促されて着ていた衣服を脱いだアマテラスはふと自分の体を見て、あることに気付く。


「こうして自分の体を見るのは初めてだが、こんなところに傷があったのだな」


指差した方向にあったのはふとももにあった切り傷のような痕だ。それを見たネヴの表情が一瞬だけ固まったが、アマテラスがそれに気付く前にネヴはいつもの顔で。


「アマテラスの寄り代を作る段階で傷つけてしまったのでしょうか。まぁ、特に気にすることでもありませんよ」


「そうじゃな。ほら、娘よ。早く脱ぐのだ」


アマテラスに手伝われながら少女も服を脱ぐと、今まで隠されてきた少女の体が露となる。


「......酷い」


呆気に取られて言葉を出せなかったアマテラスに代わり、ネヴが少女の痩せ細った体に付いている無数の傷を見て、顔を強ばらせた。


「...前言撤回だな。この娘を育てていたあやつらに同情する余地など無い。日々のストレスの捌け口にされていたのだろう。あの時見つけれて本当に良かった」


少女の傷に触れてアマテラスは悲しそうに目を伏せた。


服で隠れたところに多く傷があることから、この傷をつけた者の人間性は知れている。きっと表面上だけは家族を取り繕っていたのだろう。


「まだ新しい傷もちらほらありますね。お風呂は染みるでしょうが雑菌がついていては治療もできません。アマテラス、頼みましたよ。お風呂上がりに新しい傷は僕が治します。痕になった傷はどうしようもありませんが...」


ネヴ・スルミルは英雄として生まれ落ちた事で、基本的に全ての魔法に適正を持っている。だが、彼の才能はそれだけに留まらない。外の世界では選ばれた人間のみが得られる特殊魔法と呼ばれる類いの魔法も扱うことが出来るのだ。


しかし、それもまた摂理といえば摂理。

───生まれ持った特殊魔法の才能を持った人々の魔法にはネヴの特殊魔法では太刀打ちできない。


どこか遠方の地では再生魔法と呼ばれるものにまで魔法を昇華させた人が居るらしく、その人物ならば古傷などもきっと痕が残らずに治すことが出来るのだろう。


「そうじゃな。ほら、行くぞ」


温泉が降り注ぐ場所から少しだけ離れた場所にある底の浅い穴に溜まった場所にアマテラスが勢いよく飛び込むと、首を傾げながら少女は湯から立ち上った湯気を掴もうとしていた。


「それは掴めんぞ。ほら来い」


アマテラスが両手を伸ばすと少女はまた抱き締めてくれるのかと目を輝かせて湯船の中に飛び込むも...。


「!?!?!?!?」


湯船に入った途端襲ってきた突然の痛みにびっくりしてすぐに飛び出そうとするが、背後からアマテラスに抱き締められて、そこから動くことは出来ない。


「痛いだろうが我慢してくれ。気休め程度だが抱き締めておいてやる」


「ぁーぉ、いーい」


きっと痛いのだろう。だが、いつまでも雑菌が傷口についていてはネヴが治療することが出来ないのだ。もし菌がついたまま傷を塞げばその菌ごと蓋をしてしまうようなもの、そうなれば病気になってしまう恐れがある。


そうして、数十分の間に二人で湯船に浸かり、一通り少女の体を洗い終えたアマテラス達は外で待っていたネヴの下へ向かう。


「ネヴ、風呂に入ってきたぞ。服は乾いているか?」


「えぇ、大丈夫ですよ。この子の服は大分ボロボロなので明日は廃墟を探索して子供用の服を探しましょう。それまではかなりブカブカですが僕の服を着せましょう」


そう言って二人に服を差し出すと、ネヴは少女の着替えを手伝うとともにその体に出来ている傷の治療にあたる。


「あーぁぃ!!」


少女は何をされるかという恐怖でネヴを突き放そうとするが、アマテラスがその突き放そうとして、伸ばした手を握る。


「安心しろ、お前を害するつもりはない」


「少しだけ大人しくしてて下さいね。大丈夫です、すぐに治りますから」


言葉が分からなくともアマテラスの顔を見て、安全だということを知った少女は抵抗するのをやめて大人しくなる。


「何だ、言葉が分かるのか?」


「いえ、この子は言葉は分からないと思います。だからその分感受性を育ててきたんでしょう。自分を害するものか、そうでないものかをその人の表情などで判断しているんでしょう。きっと...悪意ある人間の顔は何度も見てきたでしょうから」


この傷は魔獣に付けられたものではなく、この少女の両親の虐待を受けて作られたものだ。一日に何度も蹴られ、時には鋭利な刃物で傷つけられてきた。それは体に残った生々しい傷の痕がそれを物語っている。


「僕にもっと回復魔法の適正があれば良かったんですが、痕になったものは治せません」


「何、そう悲観するな。私は何度試しても回復魔法という奴は使えなかったぞ」


「まず普通の魔法とは起源が違いますからね。これは奇跡と呼ばれる類いの人では扱ってはいけない神の領分に踏み行った邪法です」


「人は死ぬべき時に死ぬべきだ。医者でも治せなかった病はそれすなわち天啓である、か。随分と頭の悪い謳い文句じゃな」


「それでも教会は絶大な影響力を持っています。彼等が常識を作り、それに反するものを裁く。それが彼等の使命です。僕には分かりませんがね」


一通り新しい傷を治して、ネヴは少女にボロボロになった布切れではなく、自身が羽織っていたローブを着せる。


「大きいだろうけどごめんね。こんな薄い布で寝てたら風邪を引いちゃうから、新しい服が見つかるまで我慢しててね」


ブカブカのローブを着て手をバタバタさせて少女は楽しそうに笑顔で走り回る。


「こーら。まだ髪を乾かして無いんですから走らないでください」


「あーぃ」


ネヴのジェスチャーを見て理解した様子の少女はその場でペタりと座り込む。


「よくできました。じゃあ、少しだけくすぐったいかもしれないけど我慢してね」


そう言ってネヴは左手から程よく暖かい熱波を魔法で放出して右手で少女の髪を乾かし始める。


「本当に器用な奴よな。そこまで調整できるならばここももう少しまともにならんかったのか」


源泉を発見したネヴはそこに躊躇いなく一発の巨大な魔法を打ち込み、地形すら変えてしまっていた。


「人間、我慢のし過ぎは体に毒ですからね。ここら辺に魔獣しか居ないことを確認してやりましたから、被害は出てませんよ」


「我慢というか欲に抗えなかっただけじゃろう。源泉がどれくらい深い所にあるか分からないし、何かここに手加減なしで魔法を打ち込んだらスッキリしそう...とか」


「そんなこと...あり、ません」


「おうおうどうした?段々自身が無くなってきておるぞ?」


図星を突かれた様子のネヴが顔を伏せていく中、煽るようにアマテラスは下からその自信の無くなっていくネヴの顔を見てにやにやと笑っていた。


「あぅ、ぁーお」


ネヴの魔法で髪が乾いた少女もアマテラスの真似をするようにネヴのことを下から見上げる。


「ほ、ほら。もう夜も遅いですし帰って寝ましょう」


「あ、逃げたな」


そそくさとその場から逃げ出すネヴを追うために少女の手を取ってアマテラスも走りだし、ネヴと並んで帰路につく。少女はご機嫌なのか時折鼻唄を歌いながら歩いている。


その様子を見て安心した様子のアマテラスは隣で歩くネヴに提案をする。


「帰ったら寝ると言ったが、その前にこの娘の名前を決めるのはどうじゃ?いつまでも娘では可哀想ではないか」


「そう言えばそうですね。あの二人が付けた名前もあるんでしょうが」


「そんなことは気にするな。この娘はもう既に私達の子供のようなものだ。新しい名前を与えてやろうではないか」


「...そうですね。きっと新しい名前を付けることはこの子の為にもなるでしょうし」


過去との決別。虐待されていた悲しき少女ではなく、これからはたくさんの幸福を得られるようにと願いを込めて名前をつけることは良いことだ。


「生きるためには仕方なかった...。と生きていたらこの子の両親は言うのでしょうが、それでも自分達の子供として育てることを否定したあの人達にはこの子の親を名乗る資格はありませんから」


「さてはお前も怒っているな?冷静なふりをしていただけか」


「一度触れあってしまったら情が生まれてしまう。それが人間というものですよ。それに痛みを当たり前のものとしたあの親子を僕は許せません」


それはネヴが初めてアマテラスに見せた怒りという感情だった。


「痛いことは嫌なことです。これだけの虐待を受けていながらこの子はあの両親の亡骸を見て泣き叫んでいた。普通の感性を持った子供ならこれ程傷つけられて人と触れあうことはトラウマになっていてもおかしくはありません」


「それなのにすぐに私達に慣れて、こうして楽しそうにしている。それ自体がおかしいのだな?」


「当たり前でしょう。そう簡単にトラウマを払拭出来るなら苦労はしません。であればこの子にとって親からの暴力は当たり前のものだった。それが当たり前なら、何も考える必要がありませんからね」


「...そうじゃな」


決して痛みを与える行為が当たり前になってはいけない。それは人間として生きていく以上、無くしてはいけない人間性の一つなのだ。


生まれてから何度も暴力を受けていく内に痛みに疎くなり、最終的にはそれが普通になってしまう。そんなのは洗脳のようなものだ、いやそれ以上に卑劣なことをしてきたのだ。


「だから僕はあの人達を許せない。この子を人間として育て、幸せにすることで僕はあの人達を否定します」


非常食とストレスを発散するためのものとしか見ていなかったこの子供の両親を否定するために人間として育て、幸せにする。何と優しい否定なのだろうか。


「着きましたよ二人とも。アマテラス、その子と一緒にテーブルの前で待っててください。僕は近場で食べれそうなものを探してきます。本人はお腹が減ったなんて思ってないでしょうが、栄養が足りてないのは事実です」


「確かに体が動けなくなるくらいほぼ全部の魔力を使ってこの周辺を再生させたが、どれくらいまで戻っているか私にも分からんぞ?」


「アマテラスがどれくらいの土地を再生させたのかを知るのも含めて空から見るのでそう時間は掛かりませんよ。何も無かったら凍らせてある魔獣でも解凍して調理します」


「そうか。気をつけって行ってくるのじゃぞ」


「えぇ」


そう言ってアマテラス達の目の前で空へ飛翔するネヴを見送って家の中に戻ることにした。


「ほれ、戻るぞ」


「あーぁぅ」


飛んでいったネヴの方向へ手を伸ばしている少女、それが一緒に行きたいという意思表示なのか、ネヴと離れることが心配なのかは分からないがいつまでも外に居ては風邪を引いてしまう。アマテラスは少女の手を取って扉を開ける。


「なーに、すぐに戻ってくる。私が中で遊んでやろう。だから入るぞ」


「ぅーぉ」


アマテラスが少しだけ手を引っ張ると少女も振り向き、アマテラスと一緒に四角い家の中に戻っていく。


「...ここまで昇れば見渡せるかな」


アマテラス達と別れてから空へ上がっていくネヴはある周囲を丸ごと見渡しやすい高度で下を見下ろした。


「――――――すごいな」


その光景を見て思わず感嘆の言葉が溢れる。アマテラスが行ったのは何百年と続いてきた災厄によってこの土地に染み付いていた呪いの浄化と、土地の再生だ。


土地に染み付いていた呪いの浄化で手一杯だと思っていたネヴの予想を裏切り、アマテラスは枯れていた土地を、遠い昔まだこの都市が栄えていた時の豊かな自然へと再生させていた。


「一面に咲き誇る花畑、立ち並ぶ樹木、どれもご先祖様の記憶にあった通りのものだ」


代々スルミル家には継いできたものがある。それは特別な力などではなく、記憶だ。その者の知識、経験則を死に際に子へと伝承することでこの理不尽な災厄を乗り切ってきた。


災厄の種類を唯一知っているのは彼等くらいのものだろう。そして、記憶を継がせてきた理由はただ一つ。


「僕の代でようやく...」


過去に縛られている、そう言われても仕方のない程にスルミル家の執念は凄まじいものだった。子供にまで己の宿命を化す、そんなことまでしてでもこの都市を再建させようとしたのだ。


「こんな下らない役目を僕の代で終わらせられる」


下らない役目、そう言うのには明確に理由がある。子々孫々にまで継がれてきた記憶の意味が、───かつて栄えていた貴族スルミル家を再び再興させるためのものと知ったその時、僕は僕の血を恥じた。


ついででしかなかったのだ。貴族へ戻り咲く為の足掛かりとしてこの都市を救おうとしていたのだ。そんなことは知っていてもネヴは父親の洗脳にかかった振りをしてその記憶を無事に受け継いだのだ。


「いや、そんなことはどうだっていい。もう気にすることはないんだ。あの子の栄養になるものを持って帰らないと...」


そう言って大昔の記憶を辿ってネヴはリンゴという果実の宿る木がある場所へ飛んでいく。


「...魔力も大分消耗してきたかな。ただでさえあの家の結界を維持してるだけで常に消費してるのに」


そう言いながら目的地へ降り立ったネヴは目の前にある樹木を見上げて目を光らせた。


「こんなに食料が...。魔獣の肉だけでは栄養確保が難しかったけど、こんなにあるなら」


辺り一面に立つ木に実る赤い果実、これだけの量があれば当分の間食料問題に頭を悩ませる必要は無くなった。


「...喜ぶかな」


魔法で空中を飛べるネヴはリンゴが取れる位置まで上がり、それを手に取ると家へ戻ろうとした時に少女の声がその足を止めた。


『―――お兄ちゃん、頑張ってね』


「――――――っ!?」


しかし、本来聞こえるはずの無い声が聞こえてネヴは振り返ってしまう。


「...くそ。何をやってるんだ。もう、別れは済ませたろう」


そう言いながらも悲痛な顔でネヴはその場から逃げるように飛び去った。



......。



「あーぃ、おぇ」


「―――しょっ!また負けた!?何故じゃ、これで三連敗...」


家の中で二人は暇潰しがてらアマテラスから教わったじゃんけんで遊んでいた。ついさっきまではルールを説明しても首を傾げていたがアマテラスの粘り強い努力で完全にやり方を理解した少女に連敗し床に手をついていた。


「やめじゃ、やめじゃ。また別の遊びをするぞ」


「あーぃ」


自分で教えておきながら連敗してしまい心が折れたアマテラスは別の遊びで時間を潰そうとしていた。その時にタイミング良く家のドアが開かれネヴが家に帰ってくる。


「ただいま。異変とかは何も無かったかな」


「そんなの自分で魔獣避けの結界を張っておるんじゃから分かるのではないか?」


「まぁ、そうですけど...」


しかしこれはあくまでも魔獣避けの結界であり、それ以外のものならば容易に越えることの出来るものだ。万が一、なんて考えたくもないがそういったことが起きても今のこの都市の状況を見れば何ら不思議ではない。


「けど、アマテラスが居るなら万が一が起きても大丈夫でしょうね。僕が心配性過ぎるのかもしれません」


そう言いながらネヴは腰につけていた袋を開けてテーブルの上に退屈そうに頭を乗せている少女の下へ向かう。


「遅れてごめんね。ほら、お腹減ってるだろう?」


取り出したのはついさっき取ったばかりのリンゴ、それを手に取った少女はじっくりと観察するように回している。


「驚きましたよ。僕が想像していた以上にアマテラスが行った土地の再生、その効果は凄まじかった。それは元々アマテラスの記憶にあった魔法ですか?」


「...いや、よく分からん。あぁ、きっとこうすればいいんだなという感覚でやった。実際あまり制御出来なくて体が動かなくなったしな」


「うーん。予言書に詳しいことが書いてあれば良いんですけどね。唯一解読できた学者様が大昔いたらしいんですが、既に死んでいるため解読された範囲でしか分からないんですよ」


二人で真剣に話している横でリンゴの観察を一通り済ませた少女は恐る恐るかじりついてみる。


「...!!」


今まで食べたことのないちゃんとした味のある食べ物、それを初めて食した少女は言葉ではなく嬉しそうに顔を綻ばせて、その感動を表現した。


「気に入ったようじゃな」


「えぇ。僕も取りに行った甲斐がありましたよ」


必死にリンゴを食べる少女を見て、アマテラスとネオは顔を見合わせた。程なくしてリンゴを食べ終えた少女は眠たそうに欠伸をして目を擦る。


「名前を付けるのはまた明日にしましょうかね。アマテラス、この子と一緒にベッドで寝てやってください。僕はそこら辺で休んでますから」


「一緒に寝てもいいんじゃぞ?」


「狭いでしょう。僕はそういうのに慣れてますから、ベッドは二人が使ってください」


「それでは遠慮なく。眠いのじゃろう?ほら、こっちへ来い」


アマテラスがベッドへ移動をすると少女もてくてくとその後に続いてベッドの上で横になる。ネヴがその上から布団をかけて部屋の電気を消す。


「おやすみ、二人とも。良い夢を」


「お前も程々にな」


少女に抱き締められながらアマテラスも目を閉じると、それから少しして静かな寝息が二つ聞こえてくる。


「...アマテラスにはお見通しですね。まぁ、一週間ろくに寝なくても特に支障はありませんよ」


ネヴは二人を起こさないよう足音を立てずにドアノブを捻り、外へ出る。相変わらず空を覆っている雲はなかなか晴れないが、それでも次第に呪いの効力は少なくなっているように感じる。


「度々起こる赤い雨の正体、それさえ無力化出来れば後の厄災は対応できる」


そして視線を上から下へ降ろして、ネヴは目の前に居る魔獣の群れを見据える。


「普段人の出歩く朝昼に活動する魔獣達。しかし、満月の夜だけは一斉に群れを成して大移動を行う。───これは僕だけで対処できる事だ」


ネヴの掌の上に白く輝く炎が生み出され、それを眼前、おびただしい数の魔獣の群れへ向ける。


「妹と、友と約束したんだ。この都市を復興させると。その為に人に害を為すお前らは邪魔だ」


その瞳からゆっくりと光が失われて、暖かった瞳から機械的な冷たい瞳へと変貌していく。


「この都市を僕は守らなくちゃいけないんだ。スルミル家の再興なんてどうでもいい。せめて、あの二人だけは幸せに生きれるように」


それは覚悟だ。ネヴが三年という短い時間でこの都市を全盛期以上に発展させ、新しい時代を築き上げるという。


だからその為ならばどんな手も使ってきた。教会が執拗に進行してきた時は彼等を捕虜以外は肉片とし、屍を積み上げることで関わるなと脅し、空から降り注ぐ赤い雨の作用を確認するために捕まえた教会の人間を何時間も雨に晒し続けた。


これまでは非人道的なことばかり行ってきた。そして、これからも必要ならば人でなしと言われても仕方のない残虐な行為を行うだろう。


それでも、あの二人の前ではせめて親のように振る舞うと決めたんだ。その身を神に捧げて死んでいった妹、僕にアマテラスを立派な神様に育ててくれと僅かな命を僕に託してくれた友に。


「その全てに報いる為に」


その夜、多くの血がアマテラスによって洗浄された土地の一部を赤く彩った。理不尽な暴力、英雄として恥じない圧倒的な力を持ってネヴ・スルミルは魔獣を一匹残らず殲滅した。

アマテラスはベッドの上で目をゆっくりと開いて呟いた。


「...ネヴ」


その名前を呼んでも反応する者は居ない。この家には居ないと分かっていてアマテラスはその名前を呼んだ。


「どうして、そんなに苦しい顔をするのか私には分からない。お前の親愛の対象がこの体、前の持ち主だと知っていても私はお前の優しさを自分だけのものとして独り占めしたくなる」


ネヴは優しくて悲しい嘘を使って自分達に幸せを与えてくれる。


そんな彼にも時折遠くを見るような目をしている時がある。


それは自分ではないかけがえのない者を想っている時で、その顔を見ていると何故か知らないが心がもやもやしてしょうがないのだ。


「私は神様だろう...。なのに、どうしてこの感情が何なのか分からないんじゃ」


体は幼くともその魂は成熟している。しかし以前ここではないどこかで人に信仰されていた時の記憶の大半を失っているアマテラスではその感情を言葉に表す術を知らなかった。


だから、残り三年。いつかこの感情を彼に伝えなければいけない時が来るだろう。その時までに自分の感情を言葉に出来るようにアマテラスは決心して、隣で眠る少女の背に手を回して抱きつく。


すると少女は眠っているというのに嬉しそうに頬を緩ませる。その顔を少しの間眺めて、アマテラスも眠りについた。

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