<乗り越える者達>
そして、リアの剣は男の首を捉えた。何が起こったか理解するよりも早く力の込められた一閃が頭を吹き飛ばし、体が突然の死に対応できないのか数歩移動した後に、床へ血を撒き散らしながら絶命する。
「―――逃げたか、卑怯者」
ネクサルの左腕を斬り飛ばした時とは違う本物の肉を斬った感触でリアはこれがネクサルのものではないことを男の死体を見るより早く察する。
リアは決して視線を逸らさずにネクサルだけを捉えていた。それをどんな理屈かは知らないが、入れ替わることで機能停止を免れたのだ。
「まだこの体には壊れて貰っては困まりますので。ここは分が悪い為、引かせて貰います」
「逃がすと思う?」
「逃げますよ。意地汚く、どんなに罵られようと、どんなに非人道的な手段を使っても」
ネクサルが手をかざし、大きく後ろに後退するとリアの進路を塞ぐように人間から姿を変えられた巨大な化け物が空から降り立ち、数人の教会に所属する男女が立ち塞がる。
「メモリアを使えば理性を持たない獣だって従えることが出来る。私が特別に記憶を作り上げ、戦闘に特化したものです。どうぞご堪能下さい」
左腕を失いながら逃げ出したネクサルを追おうと全速力で走り出したリアの頭上、地面を力強く踏み込み、大きな亀裂が発生し、音を越えた速度にも関わらず寸分違わぬ位置に化け物の巨大な拳が振るわれるがそれを咄嗟に後退し、回避する。
リアの避けた方向には数人の男女が白く尖った槍の先端部分だけのような何かを突き出してくるが、それを剣で弾き、もう一方から迫ってきていた化け物の胴体に蹴りを入れるとその壁のように強靭な体を利用して一気にネクサルとの距離を詰めようとするも、それも化け物の肉の壁によって阻まれる。
リアの刃で切られても尚内側から湧き出すように肉が隆起してつけられた傷をおぞましい絶叫と共に再生する。
「どこまでも人を弄んで、何が楽しい」
痛みを伴う強制的な再生による徹底的な足止め、それが化け物となった彼、彼女の役目だった。メモリアにより、ありもしないことを埋め込まれたのだろう。
苦しみを経ても尚、再生しリアの前に立ちはだかる化け物には希望も絶望も、夢も理想も存在しない。ただただ彼女の足止めのためだけの生であった。
二体の内もう一体が戦闘に特化したタイプだろう。リアの速度に合わせて振るわれる拳の速度、精度と威力は申し分ないどころか人間ならば触れるだけで致命傷となり得るだろう。
記憶を改竄し、世界に記録された事象すらもねじ曲げて、再生する化け物を作り上げ、偽りの経験と、埋め込まれた記憶を持って、その肉体と本能は限界まで引き上げられた。
リアの眼前には今も尚、化け物と光の槍を携えた数人の男女が行かせるものかと立ちはだかる。
その冒涜的な人間の魔改造にリアの表情が怒りによって凍り付いていく。ネクサルという男はどこまでも行っても屑だった。人間を道具としか思っていないようなやり方には反吐が出る。
「お前のような外道を生かしておくものか」
リアが行うことは至って単純、先程のスピードを目で捉えて、尚且つ攻撃を行ってきたのならば───その更に上を行く速度で、圧倒的な力を持ってねじ伏せればいい。
「くっ......ガァァァァォァァァッッ!!」
あまりにも一瞬の出来事、遠目で見ていたナナには瞬間移動したかのようにリアの姿が消え、その直後に魔獣の体が細切れにされ、再生という超常的な能力すら発動する余力が残らない程に体は切り刻まれ、やがて風に飲まれて消えていく。
ネクサルの部下と思われる男女は胴体から別たれ、壮絶な姿となり何が起きたかも理解できないまま、時間差で首が胴から離れ、血すら流れない鮮やかな断面を覗かせた。
「痛みをわざわざ本体に反映するなんて愚の骨頂ね。機械らしく痛みなど感じない方が良いでしょうに」
これから起きる事態を想定していたであろうネクサルは振り返り、迫り来る断罪の刃を残っていた右腕で受け止める。
それでもジリジリと内側に入り込んでくる刃に対して、ネクサルは苦痛の呻きと共に足の裏側に取り付けてある加速装置を用いてカウンターとばかりに振り上げるもそれをリアは左腕で押さえ込み、そのまま持ち上げると雑巾を持ち上げるかのように軽々と機械で出来た体を持ち上げて地面に叩き付け、腕の関節部分に刃を突き立てて抉っていく。
「痛みを...消すなど、とんでもない。これは私のものだ、これは私だけの痛みだ。誰にも理解されない、私だけが味わっていいものだ」
「狂ってるわね、けれど。―――痛みがあるなら拷問を出来るわね」
右腕を斬りはなそうと突き立てた刃を引こうとすると、ネクサルの体がまるで煙に巻かれたようにぼんやりとなり、消えていく。
一瞬だけ起きた違和感、記憶の内側が白いペンキに塗りつぶされたように白紙化され、今まで見ていたネクサルの姿が幻かのように錯覚してしまう。
「メモリアを使った一度きりの脱出方法、世界の記録を神器で干渉して書き換えた...か。やられた、そればかりは私でも止められない」
予備動作でもあれば止めれたかもしれないが、それらしい素振りを見せずに世界というとんでもないスケールの存在の記憶を改編して直後の事象を書き換えたのだ。
しかし、それを一度使えばもうこれ以上の手段は無いと言っているようなものだ。次にその姿を捉えた時がネクサルの最後だ。
「...酷い、ものね」
整えられ、発展していた町並みには家屋の瓦礫や破壊跡が残っており、光から生き延びたのは一体どれほどなのだろうか。ネクサルの人を化け物に変えるという聖法によって辱しめられた生を終わらせる為にアカツキが下した勇気の決断によってようやく安息を得た化け物の死体も無数に横たわり、さながら地獄のような光景が広がっている。
「ナナちゃん、すぐにここを離れるわ。直にダオ達が到着する。そうなれば更にややこしいことになる」
「うん。分かってる。けど、どうしてここに?」
信仰都市へもう一度向かう際にあらかじめ決められていた役割、この都市の核たる巫女の少女の居場所を知るアカツキとナナがこの都市に訪れる災厄の具体的な内容や、日にちを確認するために、残った三人は捕らわれていると思われている黒羽、もしくはネオの救出に向かう。
そういう風になっていたはずだ。信仰方向は別方向だったが、その距離を長距離とは思わせない素早さは実際に見たから納得できるが、そもそも正反対に居た彼女にはこの町に起きた異変は伝わらないはずだ。
「―――ごめんなさい。私、隠し事してたの。出来ることならアカツキの居ない所で話したかったけれど、眠っているのなら丁度いいわ」
白刃を納めるとリアは胸元から一通の手紙を取り出してナナの前に差し出す。そこには信じ固い、それでもそれを真実と認めざるを得ないものが書き記されていた。
「なに、これ」
【災厄の日を巡り無数の災禍が信仰の都市を包み込むだろう。最初に出会いがあるだろう。闇の子と箱の娘、時代を記す者、喪失者、四人との出会いがある。その後、選択を迫られるだろう。一度で帰るのならば良し。二度向かうのなら用心せよ。そこに悪はある。三人は無事に、二人は死に向かうだろう。失いたくないのならば二人の時間は無くせ。誰も欠けてはいけない。欠けてしまってはこれから先の未来に光は無いだろう】
というもの。
「これを貰ったのは貴方達がこの都市に来るよりもずっと前。その時から今日起きることがあの人によって予言されていた」
「予言...?」
「そう、これを書いたのは世界最古の魔法使い。神無き時代から生きてきたとされ、世界のどこかで今も生きる伝説の老人、数多の都市を渡り歩く預言者、クラブァー・リストロミア。本人から直接渡されたの」
信じられないと言った顔だ。それは大昔から人間が語り継いできた突拍子もない迷信だったはずだ。現に教会の調査にてそのような人物は存在しないと数年前に公表されたのだ。
知らぬものは居ないと言えるくらいポピュラーなその昔話が現実のものであり、実際にその老人が書いたとされる予言書がここにはある。
「細かい話はクレアちゃん達と合流してから。雫とネオを抜かした私とナナちゃんと、クレアちゃん、ガルナにアカツキ、そして私。この五人の中で二人になる時間は極力有ってはいけない」
予言書に記されたのは二人とは正確な名前を記されていないことからどのような状況であれ、二人だけで居ること事態が死へと向かうということ。
ならば、今二人なのは?
リアが離れたことにより、ガルナとクレアは二人で行動していることになる。となれば、必然的に死はそちらへ向かっていく。
「雫、ごめんね。本当は災厄のことを聞き出したからあんたを帰そうと思ってたんだけど、あんたを送り返す時間も惜しいし、何よりもこんな状況で一人になんて少しだけだったとしてもしてやれない。だから―――」
ナナが最後まで言葉を言うよりも雫は疲れきった顔と、絶望と後悔がない交ぜになったか細い声で遮る。
「嫌です。もう、一人に...してください。私がここに居たから街の人達は化け物にされて、その生き方を歪なものにされて、何の罪もない大勢の人が死んでしまった。私が付いていったら貴方達にも迷惑をかけてしまう」
後悔をして当然だ、絶望に打ちのめされて当然の悲劇が起きてしまったのだ。雫が居たせいで、それはとても大きな要因の一つなのだろう。この都市の象徴たる巫女がこの町に居たことで多くの罪もない命が無残に散っていった。
それを否定することは出来ない。彼女のせいで街の人間が死んだ、見方次第ではそういった捉え方になることもあるだろう。
だが、だが...!!
「今だってそうだ。私はその人を知っているのに、忘れてしまっている。そんな薄情者を守るためにその人は手を汚してしまった。空っぽな人間でした。関わった人達が死んでいくのを見るのはもう嫌です。こんな意味もない人生なんて終わっ...」
「――――――うるさい」
後悔の念に押し潰されて、雫は涙を流しながら自責の言葉を嗚咽と共に吐き出してしまう。しかし、それ以上言わせてたまるものか。―――終わってもいいだなんて、そんなことを言わせてたまるものか。
人生なんて後悔と別れの連続だ。優しくしてくれた人達も、共に育ってきた友も、大事な人だって簡単に死んでしまうこんな世界で後悔するな、なんてことは言わない。
だが、その別れを理由にして死を選ぶことの歪さを、醜さを、愚かさを私は知った。
「あんたのせいで町の人達は死んだ!!あぁ、そうだろうさ。だってあんたは巫女様だ。この都市に居なくちゃならない人間だ。アマノマシズクって人間を殺したらこの都市は瓦解する。だからあんたを狙ってネクサル達はここに来た」
雫は自分のことをどう思っているのだろうか。日に日に増していく虚無感と、大事なことを忘れてしまっているような苦しく、辛い日々に浸かってしまったせいで見失いかけていたのではないか。
一人でそんな気持ちの悪い違和感に耐えて、耐えて、耐えてきた。その悲しい部分の一端をナナは一番最初に目撃した。
「けど、仕方なかったんだろ?あんたが巫女とやらにならなきゃ他の誰かがそんな苦しい思いをしてた。そんなことを誰かにさせたくなくて、今まであんたは生きてきた」
長い間心の奥底でわだかまりとなり、遂には抱えきれないくらいに抱え込んで今に至る。ナナにはその苦しみを理解する術を持たない。だって雫とは会ったばかりで、詳しいことなんて全然知らないのだから。
けれど、ナナは知ろうとした。どうしてあの時あんなに泣いてしまったのか。胸を裂くような苦しみの正体を、どうしてそうなってしまったのかをほんの数時間程度の付き合いだが、知ろうとしたのだ。
「あんたが忘れさせられてるだけで今まで誰かが同じ事を言ったかもしれないけど、私が言ってやる」
それは雫に言っているようで、自分自身に言い聞かせるように叫んでいた。
「生きろ、どんだけ苦しくても、家族同然の人を失くしても、生きるしかないんだよ。だって、――――――死んじゃったらもう思い出せないんだよ?」
辛いことだけではないはずだ。別れは壮絶で、救いが無かったとしても彼等と過ごした記憶の中には幸せなこともあったはずだ。
「自分が死んでいい理由を他の人のせいにしちゃいけない。私とあんたはどんだけ苦しくても足掻いて、必死に生きてくんだよ。だって、――――――シズクは生きてていいんだから」
死んでいい人間が居ないなんて綺麗事を抜かすつもりはない。ネクサルのような心根の腐った外道がこの世界には存在する。だが、天間雫は違う。
どんなに苦しくてもここまで生きてきた。耐えようのない苦痛を押し止めて信仰都市に住まう人々を心配させまいと必死に巫女という役割をこなしていた。
「シズクには悪いけど、どんだけ嫌がっても連れてくよ。ぜーったいに一人になんてさせないから」
少女は決意した。それはナナにとって初めてのアプローチであり、上手く伝えることが出来るか分からないけれど。
「あんたが自分が必要だと思ってないなら私があんたが必要だって言ってあげる。なんだっけか、そう。確か...友達?うん。あんたと友達になってあげる」
人生で一度もこんなことを言ったことは無かったからあんまり格好はつかないかもしれないが、確かに伝えたいことは伝えた。彼女の意思は聞くまでもない。
「......っ」
その静寂を肯定と勝手に受け取っておこう。そうして、ナナは初めて出会った時のように涙を流す自分より一回り大きい雫の体を自分の小さな体で包容する。
こうして、一人の少女によって雫の凍り付いて、冷たかった心は静かに溶けていく。
......。
「リアさん、大丈夫でしょうか?」
二頭の狼によって引かれた荷台の中でクレアがリアの向かって行った先を心配そうに眺めている。手綱を握り、集合場所へと白銀の毛並みを持つ二頭の狼を走らせるガルナは特に心配をしていないのか、いつものような表情でその疑問に答える。
「荷台を引いているとはいえ白狼よりも早く走る奴だ。心配する必要はない。ところで、ネオの容態はどうだ?」
「一先ず安定はしましたよ。アオバさんから教わってて本当に良かったです」
クレアが付きっきりで看病してようやく呼吸も安定はしてきたが、それでも片足を失い、おそらく長い間出血していたのだ。危険な状態であることは変わりない。
「そろそろ、目的地に着く。それまでの辛抱だ」
何事もなく進むかと思われたその瞬間、ガルナの視界を何かが真っ白く塗り潰す。それと同時に凄まじい衝撃によって体が宙に投げ出されるが、寸でのところで時空間魔法の応用、自身の肉体の時間を止めることで即死を免れるが地面に投げ出される途中で時間停止が解除され、ガルナの体は地面の上を転がっていく。
「ガルナさん!!」
突然の出来事に一瞬だけロロとミミが鳴き声を上げて荷台が左右に大きく揺れるが、咄嗟にクレアが手綱を取って落ち着かせると、ガルナの下へと向かおうとするが、その道を阻む者が居た。
「―――これはこれは、私はとてもついている。まさかこんなところで箱の少女と出会うとは。それにもう片方は世界の記録者ではないですか」
「...誰、ですか」
その物々しい雰囲気と傷だらけの体、失われた片腕から流れる赤い液体を見て言葉を詰まらせるクレアの問いに男は微笑を称えながら悪夢のような名前を言い放つ。
「私の名前はネクサル・ナクリハス、神を崇拝する正しき信者です」
「貴方が...ネクサル、ナクリハス」
おそらく今考えうる中で最悪の状況だろう。アカツキにより聞かされていた事前情報からしておおよそ力という力を持たないクレアにとって勝てることなど万が一ですら無い敵だ。
しかし―――
「やってくれたな」
軽症では無いはずだ。頭からは血が流れ、右腕は地面に打たれた衝撃で折れたのか力なく垂れ下がり、それでも尚ガルナはクレアを守るようにネクサルの前に立ちはだかる。
「当初の予定ならばお前と出会うことは無かったのだが、どうやらリアは無事にアカツキを救い出せたようだな」
「おや、一族ご自慢の手記から未来でも読み解いていましたか。これだから記録者は面倒なんです。知らなくて良いことまで知ってしまうから、消されるんですよ」
「そうか、何代か前のガルナはお前に殺されていたな。なら丁度いい」
ガルナが胸元から取り出した黒い結晶、それを見てネクサルが一瞬だけ制止する。
「貴方、それをどこで手に入れたのですか。そんなもの、この世界には存在しないはずだ」
「認知はしていたか。だが、生憎とこれを説明してやる義理は無い。何せ、体を明け渡すことになるんだ。―――加減はしてやれそうにない」
その結晶が現世に姿を現すことに歓喜するかのように光ると、周囲を黒い光が飲み込んでいくが、その発生源となるガルナの近くに居たクレアは見てしまった。
―――肉体が歪に曲がり、折れていたはずの右腕は更に軋みを上げて、黒い球体になる。その少し後に球体が蠢くように胎動し、心臓のように数度跳ねた後、人の形を取っていく。
「まったく、再構築からせねばならんとは。しかしまぁ、心地は良い。私を頼ったのは正解だ、ガルナ」
その体は寸分違わずガルナの肉体だ。しかし、折れていた右腕は何事も無かったかのように繋がり、頭部から流血していた傷も塞がったのだろう、普段と変わらない健康体のガルナの姿がそこにはあった。
「ネクサル・ナクリハスと言ったか。どうせ本体は遠くから操作でもしているのだろう。己の愚かさを呪え、剣神から逃げ延びただけで安全だとでも思ったか?」
しかし、その口調、その態度、その姿の持ち主であるガルナとは全くの別物だ。黒き結晶にて眠りについていた異邦から訪れた、その何かが笑みを溢す。
それはネクサルの愚かさを笑っているのか、本来なら降り立つことの出来ない大地を踏みしめているからかは分からない。それでも、この何かによって本来なら訪れた死という運命が狂わされたことだけは確かだった。
そこからは一方的な破壊であった。ネクサルの聖法によって放たれた無数の光はガルナの体に到達する前に黒に塗り替えられ、その威力も速度も激減して、空中で霧散する。
ネクサルの千切れかけていた腕を掴んだ何かはそのまま細い枝のようにその腕が軽々と折られていく。確かに破損しているとはいえ、そんな簡単に取れるものではない、そんな予想を越えた出来事にネクサルが目を見開くと、次にその頭部が手によって凪ぎ払われ、機械の部品と赤い液体が宙に撒き散らされる。
それでも尚動くことを止めないネクサルの聖法はガルナの体に無数の穴を穿つと、振り返った何かはクレアの耳には届かない声で何かを呟いた。
闇が、黒が、漆黒が、何もかもを悉く飲み込んでいく膨大な力がその手に宿り、顔に一切の感情を見せずに彼はネクサルの残った部位を破壊し、千切り、砕き、踏み潰し、完膚なきまでの勝利をものの三分で収めたのだった。
「――――――箱の娘よ、よく気を失わずに耐えた。あまり気持ちの良い光景では無かっただろうが、そこの少年の容態が急変した時の為にお前に倒れて貰っては敵わないからな」
......一体、どれくらいの時間が流れたのだろうか。何時間か、はたまた体感時間が長かっただけで数分で決着はついているのかもしれない。
しかし、目の前に広がる度しがたい惨状はどれくらい時間が経ったかすら考えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに酷いものだった。
「耐久性はそこそこ程度だったがまさか起動部を潰して、頭部を砕いて尚動くとは思わなんだ。余計な時間を食ってしまった」
ガルナの体を借りた何かは身体中にネクサルの聖法によって穿たれた無数の穴をものともせずに念入りに機械で造られた体を完膚なきまでに破壊し、最後には念入りに胴体を踏み砕いた後振り返る。
「全く、人間の技術力もそうだが、聖法というものは面倒だ。余計な再構築をしなければならない」
血に濡れた体が再度ひしゃげて、黒い球体から形を造っていく。聞かされてはいたが実際に目にしたのは今回が初めての、ガルナが身に宿す別世界の存在である何かは退屈そうな顔でまた黒い結晶の中に戻ろうとする。
「取り敢えずこの体をガルナに返す。そのあとは少しの間疲労で眠ることになるだろう。その間は間違いなく無防備な状態になる。余程のことが無い限り私も出てくるつもりはない。全速力で目的地を目指せ」
そう言って荷台の中に入っていき、物言わぬ顔で眠りにつくと、少しして元のガルナの寝息が聞こえてくる。
辺りに撒き散らされた人間を模した機械の一部と赤い液体を避けてクレアはミミとロロの手綱を握って白狼を走らせる。
クレア達がその場から去ると粉々にされたネクサルの頭部に残っていた眼球が不規則に揺れ動き、その瞳が眼球を持ち上げた一人の女性を捉えた。
「ネクサル、今回は貴方の負けです。貴方は結局アカツキ君達に敗北してしまった。直に教会もここから撤退するでしょう、せいぜい己の傲慢さを呪いなさい」
その眼球がウーラの手によって砕かれると遠方の地にて緑色の体液が満たしたカプセルが内側から破壊され、その中から咳をしながら一人の男が久方ぶりの生身で地に足をつける。
「おや、予想より随分とお早い帰りだ。いや、僕にとってはここで退屈なバイタルチェックをしなくて済むから喜ばしいことなんだけどね。それで外はどうだった?ネクサル」
「予想外のことだらけでしたよ。剣神リア・アスバトロアとの遭遇に世界の外側に居るはずの彼の権現、最悪の組み合わせでした」
それを聞いた男は楽しそうに笑い声を上げると少しの間二人だけしか居ない聖堂の中に場違いな笑い声が響き続ける。
「あぁ、すまない。あまりにも最悪の展開すぎて僕も笑わずにはいられないよ。けどまぁ、あれを観測した時点でこっちの世界に干渉してくるのは分かってただろう?今回のようなあまり重要でない局面で出会えて良かったじゃないか」
「えぇ、アカツキが率いる彼等の戦力を計れただけでも良しとします。私だってむやみやたらに屍を積み上げたい訳ではないので」
「あっはははは。冗談はよしてくれよ、え?なに、もしかして本気で...?まっさかー」
教会という聖なる場所に不釣り合いな笑いがまたも響き渡ると座っていた男は操作していたパソコンのようなものを踏み砕いて聖堂の中心部に掛けられていた布を取り払う。
「メモリアの実験運用で錯乱状態になって死んでいった彼等のことをもうお忘れで?」
積み上げられた何かを隠していた赤い布の下には百体を超える人間の亡骸が積まれていた。そのどれもが恐怖に顔を歪ませて体の至るところに刻まれた生々しい傷跡から流れ出る鮮血に今も塗られていた。
「メモリアに残っていた人間性を取り払ったことで前とは使い勝手が変わりましたから、仕方の無い犠牲というものです。今は反発もしなくなり、便利になりましたよ」
「メモリアの精神体と神器との別離、それも酷い話だ。本来神器とはそういうものであるのに、君はそれを拒んだ。君にはおおよそ人間性と呼べるものはない。だからこそ、僕とジューグも君に協力するんだけどね」
そう言って男、機械都市の総取締役、ナゼッタ・カルナイサは持っていた布を無造作に死体の山に投げ、ネクサルに大司教のみが着用できる十字架の紋様が刻まれた祭服を投げる。
「ナゼッタ、痛覚などの共有は申し分ない。しかし、操作の方が疎かだった。時たまに体が思考に追い付かない」
衣服を受け取り、着替えをしている最中ネクサルは今回の戦闘で得た経験を元に今後の改善点を上げていく。
「そもそも痛覚を再現すること事態不必要なことだったんだ。それを急拵えで搭載したんだ、他が疎かになるのも道理のはず。というかね、体が思考に追い付かないなんて人間、ざらにあることだ。君が思った通りに動くことが出来るのも神器のおかげだ。その機能性を再現するのは僕らでも骨が折れる」
「そうですか。貴方には折れる骨が無いのだから容易なことでしょう」
先程のネクサル同様、この男の本体もここには無い。機械で出来た体には肉や骨など関係のない話だろう。
「君が痛みを求めたように僕らにも一応骨に近いものを取り付けている。まぁ、必要のないものだけど。それにしても君、イライラしてるだろ?いつもの君らしくない口振りだ」
「...そうかもしれませんね。私は目の前に求めたものが有りながら、それを逃してしまった。そのことが今とても腹立たしい」
目の前には教会が忘れ去った神の記憶を持ったアカツキが居た。それを剣神に邪魔され、逃げた先には世界の外側に居るとされる何かとの遭遇。運が悪いでは済まされない話だろう。
「惜しいことをしました。今回がチャンスだったというのに」
「そうだね。ウーラの要望が通れば教会は今後一切アカツキ達には危害を加えることは出来なくなる。しかしそれもこちらから手を出せないだけで、あっちから手を出してきた時は別だ。君は正当な権利を持ってアカツキを罰することが出来るだろうね。...一体何年後になるかは分からないけど」
「えぇ、我慢するのは得意な方ですよ」
「何百年も生きてきた君にとって些細なこと...か。それじゃあ、もう僕は戻るとするよ」
そう言って手ぶらのままナゼッタは聖堂を後にする。その後ろ姿が見えなくなるのと同時にネクサルは中央に積み上げられた死体の所まで行くと布の外側から死体に手を触れる。
「メモリア、喰え」
すると積み上げられた死体がネクサルの手のひらに吸収されるように溶けていき、そこには赤い布と彼等が来ていた衣服だけが残されていた。
それと同時に脳裏を貫くような痛みと、数えきれない数の記憶が流れ込んでくる。
――――――この痛みは本物だ。この苦しみは私だけのものだ。私は私だけのものだ。誰にも奪われるものか。
遥か彼方にあるとされる神の住まう楽園、そこに辿り着くまでは決して死んではいけない。そこに私が望んだものがあると信じて、幾星霜の時を過ごし、幾億の死体を積み上げようと、私は止まることはない。
一人の男の悪意は尽きることのない野望と共に燃え上がり、その狂気の種はここ、信仰都市にも芽吹いていた。
「ネクサル様の操作していた機械の破壊が確認された。当初の命令通り、これより信仰都市の殲滅を開始する。我らに歯向かうならば幼子であろうと天罰を下すのだ」
その邪悪なる意思が次第に信仰都市を飲み込もうとしていた。