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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
149/185

<繰り返される悲劇>

意味が分からない。


一言で言えば紛れもなくこの言葉で完結するのが雫の現在の状況だった。


少女との心休まる一時は、境内から響いた大きな音、そして崩れていく神社と共に終わりを告げた。


私達が信仰するアマテラス様とは違う神を唯一神として信仰する教会と信仰都市の関係はまさに最悪。

過去幾度となく教会による侵略行為が行われ、その度にその時代で一騎当千と呼ばれた英雄達が退けてきた。


しかし、その秀でた力を持つ人間の変わりに私達巫女と呼ばれる者がこの都市に異界より訪れるようになって以来、英雄はその枠を外されている。


───つまり、今この時代には信仰都市を守る為の英雄は存在しないのだ。


そして、相手は恐らく大司教と呼ばれる今までで一番の化物だ。


「この体を戦いで使うのは初めてですが、貴方達を殺すくらいなら出来るでしょう」


「俺一人だったらそうかもしれねぇな」


それでも尚、自分の前に立つ名も知らぬ、見知った顔の人間が負けるとは思えなかった。覚えていないのだ、それなのに私はこの人とどこかで出会っている。それだけは確かだった。


「だけど、ここには仲間が居て守らなくちゃいけない人が居る」


少年の体を漆黒が包み込んでいき、周囲から襲い来る外敵に向けて体から刺のように放たれた闇が貫き、その先端を赤で彩っていく。


「......」


誰かを殺すことに慣れた訳ではない。それでも、ここはかつて自分が生きてきたあの世界とは違う。平和で、それでいて何の出会いも無かった場所とは違い、この世界では当たり前に人が人に殺されて死んでいく。


頭の狂った人間が何人も存在するこの世界で何かを奪わずに何かを救うのは不可能だ。やはり―――アカツキは戦い続ける。


かつての平穏、そこで育まれてきた人間性というものを捨てることでしか彼には何かを守ることはない出来ない。そうすることでしか大切な人達を守ることが出来ないなら、もうこれ以上苦しむことはない。


クルスタミナは紛れもなく悪と呼べる外道であった。何人の女性を傷つけ、家族を引き裂き、生徒にすら手を出すような屑で、どうしようもない人間だった。


それがたった一度の人間性、誰かに認めてもらいたいという願望を口にしただけで数々の悪行が許されるはずがなかった。


「俺が守れるものは全部守る。これは俺に守るために剣を与えてくれた人との約束であり、覚悟だ」


雫はこのどこまでも暗く、底の見えない闇を見てアカツキを冷たい人間だと判断することはなかった。ただ、ただ悲しい人であると、そう思った。


こんな決断をするにはあまりにも若すぎる。たくさんのことを見て、この年代の子供が体験するようなことではない出来事に直面して導きだしたのが、他者を犠牲にすることでの周りの人間を守るという答えだったのだ。


それを誰が咎めることが出来るだろうか。ただ自分の守りたかった人達が殺されていくのを見ているのは地獄だ。だから、殺されないためには奪うしかない。


けれど、その一見冷徹と思われる彼の言葉にも優しさはあった。その言葉には確かに―――光が宿っていた。


「ネクサル・ナクリハス、お前は俺の仲間を、親友を傷付けてきた。お前だけには慈悲はないぞ」


「意見の相違がある人間との会話はとても難儀なものです。それに今更でしょう?」


「そうだな。俺達は殺し、殺される仲だ。それに他人を巻き込むのは少し気が引けるけど」


「何を謙虚ぶってんの。あんたは仲間を頼った、それだけじゃないか」


ナナがアカツキの隣に立ち、罪の無い人々を守るためにその力を振るうことを良しとする。


「あんたらをここで止めなきゃこの都市の人達がたくさん殺される。そんなこと絶対にさせない」


身近な人が、家族のような人達が死んでしまうことの苦しみをナナはよく知っている。農業都市にはもう居場所はない。兄であるグルキスは死に、名前を偽り、それでも愛を偽ることの無かったアラタも死んでしまった。


私には何も残っていない。だから、それならと一度は死を選ぼうとしたが、アカツキとクレアがその悲しい結末を受け入れはしなかった。


忘れることが無ければ、彼等は生き続ける。その言葉を信じて今の私はここにいる。


ナナとアカツキの決意はもう揺らぐことはない。ネクサルが何を言ったとて雫を殺し、この都市を滅ぼすには彼等との戦いは必至。


「加減はしなくて良いです、あの背徳者達に天罰を与えてあげなさい」


アカツキの闇に貫かれた教会の人間達は死ぬ間際に大きな声を上げて神に祈り、腹部から溢れでる血など気にもしない様子で空へ手を掲げる。


「二人とも、こっちに来い!!」


彼等の奇行を目の当たりにして一瞬何をしているのか理解できないアカツキ達だが、空から感じる不穏な気配に気づいたアカツキが雫を引き寄せ、ナナが大きく後退する。


「「「彼の者に天罰を!!」」」


悦に浸り、笑みを溢しながら絶命していく教会の人間達が行ったのは自身の命を顧みない程の強い信仰心、それが聖法の力を借りて空へ尋常ではない魔力を集中させ、それが罪人を焼く灼熱の炎となりアカツキ達に降り注ぐ。


「最後まで誰一人としてその信仰心を失うことは無かった。あぁ、我らが神よ。どうか彼等に安らぎを...」


何かを犠牲にすればするほどそれに支払われる対価は大きくなる。今も空から降り注ぐ天罰は合計14人分の途切れかけていた命を使い発動した。


それを防ぐのはそう簡単なことではないだろう。だが、この男アカツキは額に汗を浮かべながら命を散らしていった彼等が遺した天罰から二人の少女を守って見せた。


「流石は神器、彼等の信仰心ではそれには遠く及ばなかった。神に選ばれながら反逆者となったのが本当に悔やまれる...」


「お前らの言う神様ってのはそんなに完璧なもんじゃねえよ。自分達の都合の良いように解釈すんな...!」


「おや、もしかして()()()()()()?我等が女神と出会った時の記憶が!?素晴らしい...素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい!!!」


「何、アイツ」


「欲しい、何としてもその記憶が欲しい!!誰一人として神のお姿を知るものは居なかった、それなのに貴方は覚えているのですか!!」


ネクサルは機械で出来た体を抱きしめ、あまりの事態に体を震わながらアカツキの持つ記憶を羨み、更には奪おうと声高らかに宣言する。


「生憎とそれを教えてやる気にはならねぇよ。あんたらは一生あの人に会うことは無い」


「これでは話が変わる。えぇ、何せ我等が教会の悲願がようやく達成できるかもしれない。これをウーラさんに取られる訳にはいかない、これは私のものだ。神を知るのは私一人で良い!!」


「俺の記憶は俺の物だ。お前らのものじゃねぇよ」


この狂気こそがネクサルが大司教という地位を示し、同時に彼の実力を証明する。こと教会に所属する人間にとって神に対する狂気と同一の信仰心が力となる。


ネクサル・ナクリハスは長い時を生きたとはとてもではないが言いがたい。いわば思念体として、概念的なものとなり人から人へと自身の人格、魂、記憶を移植してきただけだ。


ウーラやアオバのように一つの体で完成している事実上の不死ではない彼にとって死は身近なものだ。ネクサル・ナクリハスという存在を他者に移せなければ彼は簡単に死んでしまう。


ただ、長い時をこの世界で生きてきたということはそれだけ神に捧げている信仰心も並大抵のものではない。殺すことは出来るが、長い時を死を恐れて生きてきたからこそ死なない為の知恵も実力も備わっている。


その一つが機械都市とのコネクションで手に入れた遠隔操作のロボットを通しての信仰都市侵略、ここにいる彼を倒したとて遠くで操作しているに過ぎないネクサル・ナクリハスにとっては痛くも痒くもない。


「こんな身でも多少の聖法は使用できます。備え付けの魔力もそこらの人間よりは多い。それに―――この体はそれだけではない」


ネクサルの手のひらから現れた赤い光が凝縮され、地面を深く抉りながらアカツキ達の下へと迫るが、ナナがその前に立ちはだかり、地に手を付けると土がひび割れ、形を変えて迫り来る熱の放射を阻む壁があっという間に作られる。


「やられっぱなしは気に食わない。こっちからも仕掛けるよ」


アカツキ達の姿を隠す役割も備えた壁の右側からナナが姿を現して、ネクサルの下へと一気に距離を積める。


「血気盛んな子だ」


ネクサルは一足で一気に後ろへ下がるのと同時に左右から現れた教会の人間達がナナの行方を阻むが、ナナは咄嗟にその場で跳躍し、空へと手を掲げる。


「どこに逃げようとぶっ飛ばす!!」


空中で魔力が渦を巻いて次第に水がどこからともなく現れる。それが一瞬の内に凍てつき、巨大な氷の塊が前方で立ちふさがる彼等もろともネクサルを吹き飛ばさんと射出される。


もちろんただで死ぬわけにはいかない男達はその場から離れようとするがそこで自身の身に起きていた不測の事態にようやく気付く。


―――体が重いのだ。唐突に襲ってきたその違和感とは重力。普段とは比べ物にならない重力が自分たちには圧し掛かっている。


一歩を踏み出す為のタイムラグ、それがあまりにも致命的であった。


「く......っ!」


「ネクサル様、お助け...」


咄嗟に振り返りこの状況を打破できる大司教に助けを請おうとするがそれよりも早く氷塊が着弾し、助けを与える猶予すらなく、体が上から降ってきた氷によって粉々にされる。


「ひ...」


一瞬の内にナナの前に立ちふさがった人間が死んだことに雫が怯えるが、それを宥めるようにアカツキが視界を遮って前に立つ。


「見たくもないものは見るもんじゃない。恐いなら目を瞑ってろ。お前の安全だけは保証するから」


境内の一部に氷の塊が突き刺さり、そこらじゅうに血が流れる。僅か十分足らずで多くの命が失われた。


「あぁ、あぁぁぁ...。敬虔なる信徒がまた死んでしまった」


「見殺しにしたの間違いだろ。助けれたくせに俺と雫を殺すために背後に回るにはあいつらを助ける暇は無かったからな」


ナナが放った渾身の魔法によって多少なりともダメージを負っているかと思えば、ネクサルは気づかれないように移動をしており、氷塊が地面に着弾する際に起こった白い冷気と土煙に乗じて背後に回っていた。


そうすると踏んでいたアカツキの周囲からは闇が形を成して、ドーム状に広がり、ネクサルの接近を阻もうとするが、信仰による聖法によって両の手に光を帯びたネクサルはいとも容易く闇を切り裂く。


「......」


「破られんのもお見通しだったよ。お前との単純な力比べじゃ生身ではなく、如何に弱体化してても俺の敗けだ。...だから」


アカツキ達を包むように展開された闇のドームはネクサルが現れた方向に球体として形を変えて、次はネクサルを捕まえるための檻の役割を果たす。


瞬時の内に別の場所に形を作るのは骨が折れるが、サタナスがメモリアと共に本来魂の在るべき場所へ還ったことにより長い間神器に蓄えられていた魔力をアカツキ自身がクレアに補給してもらった魔力と合わせて少しだけ過剰に魔力を消費することで正確な制御を可能とした。


今は倒す方法を考える為に少しでも時間を稼げればいいのだが...。


「そう上手くいかないよな...」


綺麗な球体だった闇が不自然に揺れ動き、内側から力ずくで破壊される。


「小手先だけの技は効きませんよ。あの程度の闇なんて数百年前に体験済みですから」


単純に機械都市の技術が未知数である以上、一手一手が非常に重要となる。何よりも優先すべきは雫を守ること、私怨など全て後回しになる。


「時間を掛けられては面倒ですね。ダオが来る前に彼女を殺しておきたい。このような方法は不本意ですが」


ネクサルが右手を上げると、周囲に散らばっていた教会の人間が一ヶ所に集まり、突如として地面に現れる()()()()()()()()()


そしてネクサルは自身を中心として描かれた陣の中で詠唱を開始する。


その内容は遠巻きに聞いているのでよく分からないが、手を合わせているその様はまるで祈っているかのようだ。


「......ッ」


突然体が震え始め、耳鳴りが頭の中に鳴り響く。視界が不鮮明に揺れて、明らかに体調が悪化する。


それと同時に込み上げてくるこの嫌悪感、その正体が何なのかは知らないがきっとアカツキはどこかの記憶でこの光景を目にしている。


「逃げるぞ、あれは駄目だ」


頭が痛むのを我慢しながらアカツキは雫を抱えて神社の境内から真っ逆さまに落ちていく。何よりも今やるべきはここから離れること。


何が起こるのかは知らないが、教会に関する記憶を持っているのはサタナスだ。それをどこで見たかは知らないが、体がここまで不調に陥るのを考えるとこれから起きるのはサタナスが実際に体験し、その様子を見て嫌悪感を抱いたから。


「雫、掴まってろよ。...ナナ!!これから何があっても決して振り返るな!!」


「急に逃げ出しかと思えば、何!?あいつらはそんなにやばいことをしようとしてんの!?」


「サタナスの奴も大概やばいことをしたけど、そんな奴があれを見て胸糞悪くなるくらいだ。どうなっても...」


最後まで言うよりも早くアカツキ達の頭上、この都市の中枢である神社で鐘のようなものが鳴り響き、同時に背筋を這うように冷や汗が伝う。


その厳かに鳴り響く音と同時に眩い光が水のように神社から流れ出して眼下にある町を飲み込まんとする。


アカツキは神器によって強化された肉体で空中で強引に体制を変えて壁を蹴り、ナナの体を闇で作り出した腕で掴んでいち早く地面に着地するとその場で今持ち合わせている自分の魔力の殆どを使って心臓で蠢く神器に流し込み、外部からの干渉を受け付けない闇の結界を展開する。


流れ出る光の水が上から降り注ぎ、凄まじい重圧感がのし掛かるが、今この結界を解けば自分だけでなくナナと雫まであの光の水に飲み込まれることになる。


何があっても現状維持をする他この窮地を乗り越える方法はない。ナナと雫も何が起こっているのか分かっていないが、それは自分も同じだ。


何が起きているのかなど考えたくもない。あの流れている光は何なのか、それに触れてしまったら何が起こるのか。―――人間に何かしらの影響を与えるとしたら?


サタナスが遺していったものでも記憶という存在はとても大きい。かつて世界を滅ぼそうとした彼の悪魔のような所業を止めるという大義名分のもと数ある英雄、神器保持者が集った。


それは当時世界を掌握していた教会も例外ではない。彼等が用いる聖法と呼ばれるものの存在もあるということだけは知っていた。殆ど感覚と呼ばれるものに近いが、それでもサタナスの記憶によって咄嗟に体が動いてしまうということが過去に一度あった。


考えるよりも体が先に動く。それは経験則によるもので、今流れているこの光の奔流に飲まれてしまったら確実に良くないことが起こる。


「外がどうなってるのか分かんない...!!けど、やばいことが起きてるのは確かなんだよね!?」


「あぁ、少なくともこの中に居る間は安全だ。...けど、町の人がどうなるのかは...分からない」


苦しげに呻くようなアカツキの言葉に雫が小さな声で「そんな...」と悲しそうに呟く。

それもそうだろう。彼女にはこの街の人との繋がりがあった。あまり外に出ることは出来なかっただろうが、雫を慕ってくれる子供や、優しくしてくれる大人、色んな人との繋がりが雫を育ててきた。


───そんな人達のことを思えば、その心中は察するに余りある。


「ねぇ、どうしてあそこで逃げ出したのさ。もし止めていればなんて考えるのは当たり前だよ。あんたがそうしなかった理由、教えてよ」


「ぼんやりとした記憶で悪いけどな。あれを止めるならそれこそネクサルをあの場で殺さなくちゃいけなかった。それ以外の教会の人間は人柱、どっち道死んでいた。殺しても人柱になるのが早まっただけ、遅れても儀式が完了して死んでいた。術者はネクサル、それ以外の奴等は祈りを捧げるなり、俺らの妨害をするなり出来るが、聖法が発動したら命は潰える」


「確実にネクサルを殺す手段が無かったら...?」


「今外に流れている光に飲まれて...。どうなるのか分からない。けど、絶対にあれには触れちゃいけない」


ネクサルの聖法によってもたらされた被害がどんなものかは実際にこの目で確認するしかないのだ。それがたとえ目を瞑りたくなるような惨状だったとしても。


「...大丈夫、ですよね?町の人達が死んでたり、しませんよね?」


「......ごめん」


それを肯定することは出来ない。もしそれを肯定して、一時の安堵を得ることが出来ても、後に来る絶望はより深く心を抉っていくことになる。


安易な慰めは必要ない。ナナもそれを知ってか希望的観測は捨て去って、押し黙っている。


未だにのし掛かる重圧に耐えながら今は待つしか出来ないのだ。己の無力さを噛み締めながら、ひたすらに。



......。



何が起こっているのか理解できなかった。


ここ最近起きていた異変、町の中で急に叫びだした少年によって町の一部が破壊され、空を覆った謎の稲光(いなびかり)。それからあまり時間が経っていない時に起こった夜明けを奪い去った常闇に蠢く巨大な瞳など、天変地異と呼べる異常な出来事が立て続けに起きてきた。


巫女様の加護を賜り、狐の面で顔を隠しているウルペースと呼ばれるこの都市の防衛や巫女様の警護をしている彼等が居なければ今頃どうなっていたか。


しかし、そんな彼等もこの時だけは助けてくれることは無かった。


ダオ様率いる彼等も時同じくして襲撃に会い、それでも僅かに残されていたウルペース、そんな彼等の監視を潜り抜け、信仰都市に点在していた神社が破壊され、この都市の中枢であり、雫様がお住みになっている神社も先程襲撃を受けていた。


それをしたのは今も町を破壊し、人々を殺して回る教会の人間達の手によるものであった。非人道的な行為に私達はただただ恐怖し、逃げることしか出来なかった。


そんな私達を次なる絶望が降り注ぐ。都市に鳴り響く鐘の音と共にアマテラス様の奉られている神社から光が流れ出してきたのだ。


───それは光という形を借りた災厄であった。いや、正確にこれから訪れると囁かれている災厄ではないが、これはそれと同等の未曾有の災害だったと私はここに記しておこう。


外へ遊びに行っていた子供を連れ戻すために飛び出した妻も既に光に飲み込まれてしまった。私は光に飲み込まれてしまった者の末路、―――()()を見てしまった。


体が膨張し、光に飲み込まれた場所から肉が変異して、獣のような毛が伸びて、かん高い妻の叫びは地を揺るがすような雄叫びへと変わっていた。


尾てい骨からは巨大な尻尾が生え、歯は牙となり、爪は恐ろしく鋭く、最初に私の左腕を奪っていった。唯一人間だったということを残していたのは想像を絶する痛みに泣き叫び、恐怖に歪んだ妻の頭部のみ。


体は三倍ほどに膨れ上がり、背中には棘のようなものが突出して、大昔の書物に記されていた天使を真似たのか、中途半端に伸びた翼のようなもの、それも所々羽がむしりとられたかのように抜け落ちていた。


妻の顔の下には巨大な口があり、巨大な舌が私の左腕を乗せると悦びに震えて、楽しげに舌舐めずりをし、醜く口角が上がった。


私は咄嗟に家の中へと戻り、鍵を閉めて今は二階にて籠城している。私が世界で最も愛した妻を守れず、その妻と私の宝物であった子供を守ることも出来なかった自分への叱責だけが募っていく。


先程、一階のドアが突き破られ、光の水が流れてくる音と共に妻が家に帰って来た。断続的に続く床の軋む音が二階へと登ることが出来ないことを知らせていた。


私はそろそろ妻に会いに行こうと思う。最初に妻に喰われるのか、それとも妻と同じように光に飲み込まれて怪物になってしまうのかは分からないが、それでも妻と子を失った私にこれから生きる為の理由は無い。


この未曾有の災害を乗り切ったとしても私は他の女と再婚することもせず、自死の道を選ぶことだろう。


ならば、私は妻と子供だけを置いて短い生を生きるのではなく、最後まで妻と共に在ろう。


どうかこんな私を許して欲しい。ろくに面倒を見てやれなかった私をお父さんと呼び、慕ってくれた娘よ。世界で最も美しく、誰よりも私を愛してくれた最愛なる妻よ。


無力で、最後まで一緒に化け物になれなかった不出来な私を。



......。



「...ふざけんな」


上からのし掛かっていた重圧感が消えて、近くに合った屋根の上へと乗り移ったアカツキは変わり果てた町、変わり果てた人々を見て怒りで声を震わせていた。


隣では力なく足をついて、涙を流す雫をナナが抱きしめて、慰めていた。


アカツキは一度、これに似たものを農業都市で目にしている。体を魔獣へと変異させるもので、あの時の自分はどんな事を思っていたのだろうか。


少なくとも、今の自分の方が当時の自分よりもまともな人間性を持っているだろう。神器によって万能感に満たされていたあの時の自分は特に悲しむでもなくただ蟻を潰すように無感情に間引いていたことだろう。


「あ、あぁぁ...。どう、して?」


この世界の教会と自分の記憶にある教会を比べることも馬鹿馬鹿しくなるぐらい、この世界の教会というものは腐っていた。


仮にも聖職者だろう。人を慈しみ、神に祈りを捧げ、平和を祈る人間が同じ人間にこのような仕打ちをするのか。ただ考えが違うだけで、信仰している神様が違うだけでこうも残虐なことを出来るというのか。


「...キ゛ャアア゛アァゥ゛ゥゥウ゛」


聞くのもおぞましい叫び声と共に生者の気配を察知した人間だったものが一斉にアカツキ達の下へと集まってくる。


民家の上に立つアカツキ達を下へ落とすために一斉に民家を破壊し始めると、その背中から生えている巨大な尾が瞬く間に民家を破壊し、苦しんだ表情のまま固まった顔の下にある口がアカツキ達の肉を求めて涎を流し、鋭利な牙をカチカチと鳴らす。


「アカツキ。せめて、苦しまないようにやってあげて」


「あぁ、お前は雫を頼むな」


破壊された民家から別の民家の上へと移ったアカツキは二人が別の安全な所に避難したのを見ると一人で地上に降り立ち、理性を失い、化け物へと姿を変えられてしまった町の人達をここで殺すことを選んだ。


この化け物の姿のまま、町を徘徊し生き残った人間を喰うくらいなら、ここで殺して在るべき場所へと魂を還す。それが今の自分に出来る彼等への唯一の手向けだ。


「やだ、やだやだ!!殺さないで、その人達を...!」


「雫、あの人達はもう人間には戻れない。私達の知っている最高の医者でも、人間ではないものを人間にすることは出来ないの」


アカツキも気づいているだろうが、あれは人間だったものだ。実際にこの手で仲間を魔獣へと変えた私だから、それを実際に見たアカツキだからこそ分かる。


人間の形を変えただけの概念上は人間と呼べるものではなく、全く別の生き物に町の人々は変わってしまった。


農業都市では多くの人間を殺してきた悪人を魔獣にしていたが、この都市では罪の無い人間が魔獣でも人間でもない中途半端なものになってしまった。


あれは形を変えさせるのではなく、元々あった人間を素材に、上書きの生を与える、アカツキやウーラから聞いた話では聖法と呼ばれるものの一種だろう。


アオバは直すことを専門としている。それは命の形を復元するこの世界では邪法と呼ばれる類いのものだ。


だが、元々の命の形があの姿ならば、仮にそれが人間だったとしても、アオバの治す魔法でも人間に戻すことは出来ないのだ。


「でも、生きてます...!あの人達は、あそこに.........ぁ」


雫も理解してしまった。閉鎖していた思考が遂に答えを導き出してしまった。あれは決して助かることのない人間なのだと。自身の身に眠る神、アマテラスの力を借りて尚救えることの出来ない存在なのだと。


「雫、あの人達は...助からないんだよ。私達がどれだけ抗っても、持てる力を全部使っても、それでも助からない...!!」


「やだ、やだよぉ...」


「あの人達を救いたいなら、ここで...楽にしてやんなきゃ」


雫がその小さな体でアカツキによって命を奪われようとしている人間だった化け物へと手を伸ばしている雫の体をゆっくりと抱きしめる。


「───さようなら。この都市で生まれたのなら、せめてこの都市で...」


許してくれとは言わない。守れなかったのは一重に自分が弱かったからだ。それでも、その生が汚され、生まれた街を離れて人を喰らう怪物として処理されてしまう前に、例外なくここで終わらせる。


───それだけが、彼等へのせめてもの餞だった。


アカツキが剣を抜き、その刃を地面に突き立てると周囲を闇が包み込んでいく。まるで苦しみに耐えるように叫ぶ悲しき化け物達に永遠の眠りを与える優しき闇が町を飲み込み、地面から突き出た刃がアカツキの剣の役割を果たし、町を徘徊していた彼等を一息に仕留める。


光から逃げ延びた者達は闇で守られ、既に異形へと化した者のみを苦しませぬように首を切り落とすことでその息の根を止める。


化け物が頭部を失い、地面に倒れ込むと辺り一面に咲き誇った花のように血が流れて、赤く彩ってゆく。触れた者を化け物へと変える選別の光の奔流から逃げ、生き延びた人間達の叫び声はやがて泣きじゃくる声へと変わっていく。


目の前で大切な者が変貌して、理性を失い、果ては人間であったことすら別の生によって上書きされた親戚や友達、親に子供に妻や夫、それぞれの大事な人間はアカツキの手によってその呪縛から解き放たれ、静かに息絶える。


「守れなくてごめん......な」


クレアから補給された魔力も光の濁流からナナや滴を守るために底を尽き、光によって変異した彼等を止めるために光が飲み込んだ町を丸ごと闇で覆い、殺すものと生かすものの判断を凄まじい集中力で乗り越えた。


肉体的にも、精神的にも、魔力量も、既にアカツキには余裕と呼べるものは残っていない。


自分の持てる全てを使い、最後まで苦しませることなく間引いたアカツキは最早立つことすら出来ずに地面に倒れる。


「―――私は信じていましたよ。貴方ならきっと彼等を止めるために持てる力全てを使うと」


アカツキが気を失う直前、頭の上の方から憎たらしい最低で最悪の男の声が聞こえたが、最早意識を保てる状態に無い程に疲弊しきったアカツキは心の奥底で悔しさに歯噛みしながら意識を手放した。


「アカツキ!!」


アカツキが倒れる頃合いを見計らって出てきたネクサル、その魔手がアカツキに伸ばされ、咄嗟にナナが助けに向かおうとするも距離を取っていたことが仇となり、この距離ではアカツキを助けるには至らない。


ジューグとは違い、数少ない教会の人間の命を使ってまで発動させたのはアカツキの疲弊を誘い、決して見過ごせない状況を作ること。


アカツキの優しさに漬け込んだ悪辣な策を持ってネクサルは待ちわびた神の記憶を手に入れる。


遠隔で自分の体を模した機械を動かしているとはいえ、これは機械都市特製の特別な機体。ネクサルの要望によりこの体の核に当たる部分にはネクサルが所持する記憶を保管し、操作することの出来る神器メモリアの魔力が眠っている。


それを使えば一人分の人間の記憶を奪うことは容易い。あの時、神という存在に触れてしまってから長い時間が経った。多くの体を模した乗り換え、ようやくその悲願が果たされるのだ。


「――――――その汚い手でその子に触れるな」


そして、―――彼女は現れた。


「私がここに居なければならなかったのはこの時の為だったのね。あのおじいさんの言うことは正しかった」


一陣の風が吹き荒れ、ネクサルの伸ばされた機械の腕がどこまでも人間に寄せて作られた血のような液体と共に宙にばら蒔かれる。


更には目と鼻の先にあったアカツキはいつの間にか一人の女によって抱き抱えられ、ナナ達の下まで運ばれている。


屋根の上から地上に居るネクサルを見下ろして、彼女は閉ざしていた口を開く。


「ネクサル・ナクリハス。仲間の命をいとも容易く捨て、罪なもない人々を人ならざる異形の存在へと変えたあなた()を滅する為に私はここに訪れた」


既に言い逃れは出来ない状況だ。たとえどれだけ舌が回ろうと、静かなる怒りを宿した彼女を止めることは出来ないだろう。


「こんなところで、おでましですか......!」


一瞬の内に奪われた左腕を押さえながらネクサルは憎たらしげに呟く。


「こんな都市に居るとは思えなかったのですがね...。斥候百人の斬殺、地下で張らせていた私の部下を殺し、果ては私の悲願すら奪うのか。―――剣神、リア・アスバトロア!!」


「えぇ。貴方には何も与えないし、その悲願は決して果たされない。たとえここで偽りの肉体を奪うだけに止まっても、絶対にその誰の役にも立たない生を奪うわ。貴方によって失われた多くの命、大事な人達を奪われた彼等の代わりに私が――――――正義を下す」


初めて見せるリアの本気の感情、体から溢れんばかりの魔力が周囲に渦巻き、握られた剣が鞘から抜かれ、白刃が晒される。


風と炎と光が渦巻き、さながら神のような雰囲気を漂わせるリナが一歩、踏み出す。それは既に音の速度を越え、成す統べなく立ち尽くす男の頭部をいとも容易く斬り飛ばし、鮮やかな鮮血が広場に染み渡った。

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