<真実と決断>
───夢というものはいつだって勝手に人の前に現れる。
そんなのは見たくないと思っていても、気付いたら意識は夢の奥深くへと誘われてしまって、気付いたらそこに居る。
『静かで、何もないな』
いつものような花畑でも無ければ、底の見えない闇を永遠に落ちている訳でもない。そこは真っ白で、何も残ってはない。
はたして、ここは何処なのだろうか。
今のアカツキは一人だけだから真っ白なのだろうか?
それとも―――自分には何もないということなのだろうか。
意識は明瞭で、いつものように誰かの思考が流れ込んでくる訳でもない。しかも驚くべきことに夢の中だというのに自分の意思で動けて、感覚まであるのだ。
『久しぶりだな、そういえばこんな感じだったけ』
学院都市での一件で自分すら騙せてしまえるナナを見てとても驚いていたが、ずっと感じることが出来なかった味覚などを隠してここまで来たのだから人のことは言えたものではない。
『手もちゃんと動くし、てか久々すぎて逆に違和感だらけだな』
人間にあって当たり前の感覚すら感じていなかったというのだから、相当危険な状態だったのだろう。だが、サタナスとメモリアが去ってからは少しずつ失っていた感覚も戻ってきていた。
『...戻ってるのか、壊れてってるのか。どっちだろうな』
そんなことを考える必要なんて、今は無いだろう。アカツキにはやらなくてはいけないことがあるのだから、その使命を全うするまで自分のことなんて二の次だ。
―――火にくべる薪はとても大事なものだ。
突然何を言い出すのかと思うだろうが、アカツキは間違ってはいないが、あまりにも致命的なミスを犯してしまった。
サタナスの消失によって力を自由に使うことは出来るものの、それを使いこなすための実力も精神の強さも持たないアカツキが地獄の化け物と戦うために己を鼓舞し、ネクサル・ナクリハスへの憎悪と怒りだけに飲み込まれない為に数々の思い出を薪にして生み出す炎を強大なものにしたのだ。
だからこの真っ白な部屋は何も考えていないということを顕著に表している。そう―――ネクサル・ナクリハスを殺すという激しい憎悪以外見えていないのだ。
燃える、燃えて、燃え尽きてしまいそうだ。
だけど、どうしてだろう。俺はネオの足があの化け物に踏み潰された時に体が咄嗟に動いてしまった。綺麗な紋様を最後に、失ってしまった意識が一瞬で戻ってきたんだ。
分からない。だからこそ、分からないんだ。俺は見てきた。───空からたくさんの人を覗き込んでいた。
「空を覆っていた無数の瞳、それはある役割を同時に果たしていたわ」
アカツキの居る精神世界の外、現実で荷台に乗りながら信仰都市から離れている途中でリアは情報共有の一環としてアカツキが空を覆った闇と無数の瞳が意味していたものを話している。
「一つは人間以外の異能を封じるまさに人の為だけのテリトリーを作ること。それともう一つ、これは隠しきれない内面が漏れてきたって感じね」
「まーたこいつは隠し事してんの」
眠りこけているアカツキの頭をペシペシと叩きながらナナは大きく溜め息をつく。嘘をつかないのは良いことだが、嘘をつかない為に隠し事をする。
「そんな馬鹿なことする前に相談の一つくらいしろよ。馬鹿野郎」
アカツキが起きていたら「二回も馬鹿って言う!?」と叫んでいたことだろうが、生憎と眠ってしまっているので、いつも通りのやりとりもすることが出来ない。
「一旦起きたら絞めてやろうかな」
「殺さない程度にな」
「まぁ、自業自得ですね」
そら見たことか。アカツキの馬鹿さ加減にクレアですら呆れてしまっている。これで誰にも咎められることなくアカツキにこれまでの分も合わせて仕返ししてやろう。
それもこれもアカツキが目を覚ましてから、だが。
「あれはずーっと人を視ていた。一人ではなく信仰都市に住まう人間達を。視るという行為は知るということに繋がり、知らないということはそれだけ不確定要素が増えるということ。彼は知らないことを何よりも恐れた」
「...学院都市での出来事がそう思わせても仕方ないくらいのイレギュラーの連続だったからな。そのせいで救えなかった命までこいつは気にかけていたんだろうな」
あれだけの大波乱の中、次々と現れるジューグが率いる黒服の集団、分離し、知識をも身に付けていたであろう魔獣の出現、世界に闇をもたらす黒き柱、長き時から目覚めた天使の出現など、アカツキが知らないところで起きていたらエトセトラも含めれば一つの都市で起こった数多くの悲劇。
それが起きることを知っていたならもっと死んでしまう人を減らせたのではないか、そんなことを考えていたことだろう。
「異常なまでの知識欲が信仰都市を守り、結果誰一人の被害も出さずに済んだ。それだけのことをしたんだもの、今はその反動で疲れているだけ。だからそんなに心配しなくても大丈夫よ」
「私は別に...」
「ナナちゃんったら、素直じゃないだから」
そっぽを向いてしまったナナに抱きついてリアはその小さな体を優しく抱き締め...
「ちょ!!」
ナナの頭を撫でたり、抱きつきながら体をまさぐったり、やや過剰気味のスキンシップをしてくるリアから必死に逃げ出したナナが荒い息を吐く。
「勝手に人の体まさぐったり、なにするのさ!?思えば最初会った時から嫌な予感がしてたけど、もしかしてあんたって...」
「可愛い子を愛でて何が悪いのかしら。これでもメリハリはつけてるから大丈夫よ?」
「そういう問題じゃなくてさ、こう、何かさ。そう、セクハラだ!!」
「スキンシップよ?」
苦笑いしながらリアから徐々に離れていくナナと、荷台の中では逃げ場ないと言いながら距離を詰めるリア、その光景を見てネオがようやく子供らしいところを見せる。
「あんたそこ笑うとこじゃないでしょ!?」
「いえ、すみません。仕事の時以外でも滅多にわらうことは無いんですが、皆さんを見てるととても楽しくて」
言葉遣いも柔らかくなり、心なしか感情というものがはっきりとし始めている。ネオは仕事と私生活の違いがとても顕著に現れている。今はアマテラスから命じられた仕事の最中でもあるというのに、ナナ達を見ているとそんなことすら忘れてしまいそうになる。
「メリハリというか半分別人格のようなものだろう。そういう人間は世界に何千、何万と居るだろう。...その年でそうなる奴は初めて見たがな」
「そうでもしなきゃ守れないものがあるんですよ。僕にとってそれが姉だった」
「へぇー、あんたには姉が居るんだ」
詰め寄ってくるリアの顔を押さえながらナナが二人の話に入り込んでくる。
「血は繋がっていませんが、あの人は僕を弟のように可愛がってくれた。お母様が亡くなって、悲しいときも涙を見せないように笑って、いつも皆の為に頑張っていた。大事な...とても大事な姉です」
「それなら守ってやりなよ。失ってからじゃ、もうどうしようもないんだから」
大事な人達を失った痛みは既に後悔してもしきれないほど痛感してきたのだ。それを体験した人間からの助言はネオに決意を宿させた。
「はい」
既にダオ達が拠点とする中心部から離れ、追っ手が来たとしてもこれだけの手練れが揃っているのなら障害にはなり得ないだろう。後はアカツキの目覚めを待つのみになる。
「ところでさ、その傷は大丈夫なの?」
ネオの千切れかけていた足にはクレアが持てるだけの魔力を費やして止血だけは出来たが、傷は深く、包帯を巻いているだけで専門の医師にでも見せなければやがては使い物にならなくなる危険性がある。
「痛みには馴れてます。それに何の保険も無しにここまで付いてきてませんよ」
「秘策があるってわけね。まぁ、私達の知る都市とは出自も違ければ、神様も違うみたいだし、発展の仕方では傷くらいちゃちゃっと治せちゃうのかもね」
独自の発展、その一つが彼等のみが扱うことのできる呪術と呼ばれる魔法とはまた別の、人が扱うことの出来るものであり、その威力も先の戦いで自身の身の丈の数倍もある化け物の動きを封じたことから、申し分ないだろう。
「その呪術...だっけか。誰でも出来たりするの?」
「いえ、呪術についての知識を十全に身に付け、血の滲むような特訓を経てようやく会得できます。魔法と併用して使えたら便利ですが、何せ別の系統ですからね、呪術は呪術だけ、魔法は魔法だけしか扱えませんよ。本来ならば、ですが」
「ふぅーん。それでも場に応じて切り替えればそれなりに便利そうだけど」
「けれど、魔法と同じように使いすぎれば体にとても良くない。デメリットで言えば呪術と魔法では比になりません。魔法は魔力を使いきっても補給などすればどうにかなったりしますが、呪術の場合怨みや憎しみなど、主に負の感情を、僕らは呪力と呼んでいますが、これを原動力とします」
確かに呪術というものを初めて見る人間からすればとても強く見えるはずだろう。しかし、何事も強力な力にはそれなりの制限や見返りが必要とされる。
「呪術を使いすぎれば憎しみなどを制御できなくなって精神の崩壊や、暴走などはざらにあります。だから、その恨み辛みを僕らは制御しなければいけない。やりすぎては人に戻れなくなってしまう」
ハイリターン、ハイリスクとはまさにこの事だろう。彼等は特殊な訓練を受けたからそれを扱えるのであって素人同然の人間にはそうやすやすと扱えるものでないのだろう。
「けれど、この人だけは違った。呪術だけは使えました」
ネオを守るために奮闘していたアカツキはいつどこで習得したのか分からないが、呪術を確かに使用していた。時折魔力と呪力とがない交ぜになって、体に対する負荷は莫大なものだったろう。
魔法と呪術が変に混ざりあった結果、アカツキは限界を超えて体を無理矢理動かすことが可能で、本来ならば気を失って当然の出血をしても尚立ち続けた。
「使えるだけ、それだけでした。明らかに呪力の制御なんて出来ていなくて、強力な力を使っていた分だけ、その反動が体を蝕んでいた」
だからこそネオは彼を止めざるを得なかった。そうしなければやがては戻れなくなり、アカツキの体を憎しみだけが満たしてしまうから。
「凄まじいものでしたよ、まるで親の仇のようにアカツキは必死に何かを憎んでいた。そのせいで、アカツキに莫大な負荷がのし掛かりました」
それもこれも、アカツキだけが知ることであり、端から見ていたネオはともかく彼と同行していたナナやクレア、ガルナでさえも知りえない真実だ。
彼が何をそこまで憎み、力の糧としたのか。その結果守られた命がここにあり、それが正しかったのか、間違っていたのか。
「リバウンドは来ますよ。あれだけの呪力を使ったんだ、目が覚めたら彼は憎しみに囚われてしまうかもしれない」
「大丈夫よ」
今までの話を聞いていて、それでもリアだけがそれは無いと言い切った。どこからその自信が湧いてくるのか知らないが、確かに彼女はアカツキのことを信じていた。
「帰ってくるわ。彼は底知れない闇と、底知れない優しさを持ってるんだもの」
......
相も変わらずそこは真っ白な空間で、暇というにはあまりにも多くの時間をここで過ごしてしまった。何もすることが無いというのに、何故かずっとここに居座ってしまう。
『何がしたいんだろうな、俺』
メモリアを狂わせた悪逆非道なネクサル・ナクリハスを憎みたいのか、誰かを守るために戦うのか、どちらが正しくて、どちらを選べば後悔のない選択になるのか。
思えばここに来るまで後悔を感じない日なんて無かった。いつもあの時こうしてれば、ああしていれば良かったなどと考えてももう時間は戻らないというのにそんなことばかり考えていた。
ただそれを一度も外面で見せなかった。それだけは良かったと思う。
『そうだ、隠してればいいんだ』
弱くてはいけない。知らないことがあるのは駄目だ。
弱ければ守れるものも守れなくなって、知らなければ簡単に仲間が死んでしまう。だから強くあろう、たくさんのことを知って誰も死なせないようにしよう。
アカツキの優しさはあまりにも危険なものだ。
守らなければいけない。それは優しさというよりは絶対にそうしなければいけないというもので、ある意味での呪いであった。
それを危惧する者は何人も居た。だが、誰も彼もアカツキを止めることは出来なかった。だから少しずつアカツキの心はひび割れていった。
呪いは決して人間に何かを与えることはない。与えたとしても見返りを求めて、得たもの以上に何かを失ってしまう。
『.........消えないで』
か細く、とても悲しそうな少女の声が聞こえた。
『貴方まで、私から居なくならないで』
知っている、アカツキはこの声をずっと昔から知っている。だが、それはきっと自分のものではないのだろう。
―――記憶が津波のようにアカツキの脳内を流れていく。
知らない記憶、決して報われることの無い人間の悲しい記憶。
誰よりも愛した人間が死んでいくのを止めることの出来なかった一人ぼっちの人間が涙を流しながら黒く塗りつぶされていく。
何の力も持たない凡人が、闇に飲み込まれて、荒れ狂う闇が周りを何度も、何度も破壊しては飲み込んでいく。
『一人じゃないよ、いつも一緒に居てくれるよ?』
それに彼は最後まで気づくことは出来なかった。けれど、アカツキには仲間が居て、彼女がずっと、ずーっと一緒に居た。
それをアカツキは誰よりも知っていた。知っていても、頼ることは無かったのだ。仲間が傷つけられることを恐れて、一人だけで戦えば良いと思っていたから、こうなってしまった。
『俺は...』
それでも今更止まることなんて出来ない。知ってしまった、知らなくても良かったのに、メモリアが一人の人間の手により長い間保管していた人々の思い出を奪われ、負の感情のみを与えられるばかりで壊れていく姿を見て、サタナスと深く同調し、怒りが限界を超えた。
『見た、聞いた、自分のことのように体験した。あんなものを見せられて黙ってなんていられない』
『怒りを原動力にしちゃ駄目なの。決して、あの人のようになってはいけないから』
ならばどうすれば良かったと言うのだ。この身に余る力を行使するには魔力も足りなくて、あの男に対する怒りと多くの思い出を薪にしてその結果、皆を守ることが出来たではないか。
『けど、最後まで私の名前は呼んでくれなかった』
『お前は誰なんだ...。ポっと出の奴にそんなこと言われる筋合いはねぇよ』
そんなことをアカツキは今更聞いてしまう。アカツキが守るために力を使う為に今まで何度も共に戦ってきたではないか。アカツキが扱う人ならざる力とは別の、この世界に来てから一度も離れたことの無かった神より賜ったその武器を。
『私の名前は―――』
少女が勇気を振り絞って、その名前を告げる。誰よりもアカツキに寄り添い、時にやり過ぎたこともあったが、それも彼の為に行った事に違いはなく、仕方なくではなく、彼を心配するが故に力を貸してくれた少女の名を。
『13の神器が一つ、アニマパラトゥース。やっと会えたんだよ、お兄ちゃん』
ノイズが入る。悲鳴に似た声が頭の中を駆け巡り、視界が斑に塗り潰され、最後には闇が全てを飲み込んでいく。
『...あー、あー。聞こえるかい、アカツキ』
何もかもが闇に包まれた後で、録音されたテープのようにサタナスの声だけが黒き世界に響き渡る。
『こうして僕の声が聞こえてるということは、ようやく彼女が決心した証拠だろう。まず僕が説明することは君の使う力についてだ。君は当たり前のように使っていたが、殆どはあらかじめ君が使うことを前提に設計されている。神器の力を使ったことは殆んど無いだろう。何せ、真の効果を発揮するには色々と条件が必要でね、扱いづらさで言えば13の神器の内で随一、右に出るものはないだろうさ』
つらつらと並べられていく言葉の中には薄々アカツキが気付いていた内容も含まれており、理解するのにそう時間は必要なかった。
『まずは身体強化、これは神器が持つ魔力を手に入れるんだから当たり前で、取り敢えず神器の所持者なら手に入れてる副作用のようなもの。それを調整できるか出来ないかで熟練者か分かるよ。無駄に魔力を消費するとまぁ、無尽蔵に近い魔力を持っている神器でも色々と不具合が発生するからね』
人間には魔力の限界がある分、それ以上使うことが出来ないことを知ることが出きるが、神器には限界というものがおおよそ存在しない。何せ神が誕生した遥か昔から存在すると言われているのだから、その量は計測など出来ないだろう。
『次に学院都市で大活躍した魔法の無力化。これが神器の力をほんの一部利用したテクニックだ。相手の魔力と同調することで、相殺する。これを考えたガルナって言う少年はとても博識だね。もしかしたら君の持つ神器のことをよく知ってるかもだ』
時間が無いとでも言うように言葉は続く。
『あとは君が何よりも使用しているあの闇についてだ。正直に言って僕はそれをオススメしない。けど、頼らざるを得ない状況だらけだったから止めることはしなかったけど、それを使うことは命を削ることと思った方が良い。君は隠していたけれど、手を動かしたりする感覚が無かったろ、アカツキ。それどころか味覚まで奪われてると来た。そこまで行ったら僕にはそれを制御するのは殆んど無理に近かった。最低限のリミッターを付けただけで、君が使いたい時に自由に使えてしまっていた』
サタナスが行っていた制御の大半はこの力に使われていたという。それだけ強大かつ、危険な力に今までアカツキは頼ってきたのだ。
『しかし多くの激闘の為にリミッターを外して限界を引き伸ばしていると次第に元のリミッターをかけることが難しくなっていった。伸びきったゴムが元の長さに戻らなくなるのと同じように最初と後で君の普通が変わってしまったんだ。それが原因で君は少しずつ人ならざるものに変わっていた。まぁ、この音声を聞いている時点でその問題は殆ど解決したと言っていい。そして、僕も君に寄り添えて居ないことだろう。理由は分からないけれどね』
この音声をどれ程前にサタナスが仕込んでいたのか、少なくとも学院都市の件よりも前に彼が残していたことに間違いはない。
だって、彼はメモリアと共にようやく楽になれたのだ。多くの苦しみを経て、ようやく幸せを手に入れることが出来た、それがアカツキの元から離れる理由なら誰も責めはしないだろう。
『さぁ、後は神器アニマパラトゥースについてだね。神器というものには必ず魂が宿っていてね、君のことを慕っている彼女は少女の姿を取っているだろう?出来ることなら彼女を責めないであげてほしい。確かに数百、数千年も生きているけれど、アニマはおおよそ五歳の姿で成長が止まっている。何せ、神器に使われる魂は元々人間だった頃、死んだときの年齢がそのまま適用される。つまりは、いくら長い年月を経ても、五歳は五歳のままだ。成長させることは不可能ではないけどね』
『―――――――――』
そんなこと分かっていた。メモリアがサタナスの記憶に死んだ時の姿のままだったのだから。そして、神器に宿らせられる魂が保持する記憶には...。
『メモリア、僕の弟に今の君は会っているだろうか。いずれ会うかもしれないけれど、記憶を司る神器メモリアは僕の弟の名前がそのまま使われている。何せ、メモリアは神器の中でも数少ない人為的に創られた神器でね。愚かな人間によって、死して尚、神器としてこの世に生を受けた』
知っている。そのこともサタナスの記憶で見てしまったのだから。人間が神器を創るなんてそんな馬鹿げたことを思うかもしれないが、彼は邪法、外法、全てを用いて神器を作成したのだ。
『そういう風に生まれた神器も、神によって生み出された神器にも人間だった頃の記憶は保持されない。あくまでも人間ではなく、神器として、物として存在するのだから、人間だった頃の記憶など邪魔でしか無かった』
だから消されていた。数多くの犠牲を払って生み出されたメモリアは人間のようでも、機械であった。人の記憶を保管するだけの、入れ物に他ならなかった。
『アニマはとても主思いの良い子なんだ。彼女が目覚めることで呼び覚まされる記憶を君に見せないが為に深層意識にて長い間眠っていた。君の願いだけを極端に叶えたのも、意識がはっきりとしていなかったからで、悪気があった訳じゃないんだ』
結局のところ、何なのだ。今の俺に神器アニマパラトゥースが何を与えてくれる。希望か、力か、一体何の恩恵を与えてくれるのか、早く教えてくれ。
『結論から言って、神器アニマパラトゥースは君に直接の恩恵は与えない。何でも出来るような万能感に浸れるのは彼女が持つ魔力が神器の中でもトップクラスだから。後は君一人では何の意味も持たないだろう』
『...は?』
『困った顔をしてるなら何よりだ。その顔が見れないのは残念だけどね。まぁ、君には安っぽく聞こえるかもしれないけど、《一人は皆の為に》だ。君なりに理解できる言語として言うとね。つまり、それは仲間が居てようやく真価を発揮する。彼女の意識が目覚めているのなら、その効力は凄まじいことだろう』
―――人間は一人では生きていけない。
そんな言葉を何度も聞いた訳ではないのに、印象深く記憶に残っている。必ず誰かに支えられて、その人は生きている。誰にも支えてこられなかった人間など、どこにも居ないのだから。
『...バカらしい』
けれど、どうしてだろうか。少しずつ何をすれば良いか、アカツキが持つ本当の望みが浮き彫りになっていく。
『刀や剣などの物体を媒介とすることで君の力と混ざり合っていたが、本来アニマパラトゥースは概念として存在する。形としてではなくね。けれど、無理矢理形にしておかなければ君に悪影響を及ぼすから、最初はあんな見た目をしてたという訳さ』
アニマパラトゥース、その在り方はあまりにも自罰的過ぎる。いつ目覚めるかも分からない場所で、アカツキを苦しめない為に最初から眠っていた。
その在り方は、―――とても自分に似ていた。
周りには傷ついて欲しくないのに、自分が苦しいこと、辛いことには躊躇わない。心のどこかで、いつも助けを求めておきながら、それを微塵も外に見せやしない。
『...苦しかったよな』
何もない闇の中でポツリと言葉を溢す。それは今もどこかでアカツキを心配している彼女に向けての言葉であり、同時に自分にも言い聞かせている。
『けど、それでクレア達が守れれば良かったんだ。俺はどれだけ傷ついても、あいつらが無事だったらそれで良かった。だから、メモリアを狂わせたあいつが心底憎かった。自分のことでも無いのに、自分のことのように怒ってるんだ』
ネクサル・ナクリハス、あの男に対する怒りは決して消えることは無いだろう。メモリアのこともそうだが、あの男の悪事をアカツキは全て知ってしまった。
『どうして、そんなに怒ってるの?』
誰かが質問する。
俺は答えた。
『俺にとって、あの二人は友達であり仲間だからだよ。それだけじゃない』
もう、忘れたふりは無しにしよう。今更否定しても、わめき散らしても何も変わらない。いつも無意識に思考の端に追いやっていても絶対に忘れることはないのだから。
『俺は助けて貰ったんだよ。サタナスの奴にさ。どんくらい昔か分かんない、それこそ、俺の記憶にあるこの世界に来た時よりもずーっと前のことだ』
アカツキの異常体質。普通の人間よりも治りが早いという理由は、考えればそう難しくはない。
『ここまでだな、ワガママも』
今までの忘れてきた記憶は思い出せなかったのではなく、思い出すことで自分がどんな生き物なのか、そもそも生き物なのかすら分からないという恐怖に打ちのめされて、守れなくなってしまうかもしれないから。
『俺は弱いからさ、脆くて、どうしようもない奴だ』
だから、仲間が居た。アカツキは一人ではなく、たくさんの仲間に支えられてここまで来たのだ。
『良いの?もう外に戻っても』
『そうだな。ネクサルのことは何があっても許せない。けど、優先しなくちゃいけないものはある』
俺は空から信仰都市を見下ろしていた、たくさんの人々、広大な大地に広がる花園、ほんの少しだけ滞在した神社、余すところなく全てを観測した。
その中に異物が存在した。決して、この都市に関わってはいけない人間達が紛れ込み、平穏を打ち砕かんとしていた。
『すぐに戻って、あいつらに相談しなきゃならない。だからさ、少しだけお別れだ』
『うん、大丈夫。私はずっとお兄ちゃんと一緒に居るからね』
『あぁ、―――行ってくる』
『はい。行ってらっしゃい』
全てとまでは行かないが、必要な記憶は取り戻した。誰にも理解されることのないものだとしても、この記憶は確かにアカツキのもので、暁空紫雲、彼のものではない。
光が暗闇を砕いて世界を優しく包み込む。意識は現実世界へと引き戻されていき、長い眠りから目を覚ましたアカツキは揺れる荷台の上で目を覚ます。
「......」
仰向けの状態から最初に見たのは髪の長い白髪の少女だった。驚いた顔でアカツキを見るや否や、待ちわびていたかのように目を潤ませながら胸に飛び込んでくる。
「アカツキさんっ!!」
その後にいつものように無表情ながらも少しだけ安堵した声でガルナが声を掛けてきた。
「今度ばかりは死んだかと思ったが、無事なようだな」
喉が乾いていて、なかなか言葉が出ない。その内に死の牢獄でアカツキの身を案じてくれた女性が目を覚まして、薄く微笑む。
「ようやく目が覚めたのね。あんまり無茶はするものじゃないわよ」
「ごめん」
掠れた声でようやく発したのは、贖罪の言葉だ。またもや彼等には心配させて、無茶をさせてしまった。
「―――起きたんだね」
その後に、いつもは喧嘩をしてはいるが心の底では自分を心配してくれる少女が微笑みながらこちらに近寄ってくる。
―――そして。
「一辺、絞め殺してやる」
満身創痍の仲間に掛けるにはあまりにも唐突で物騒過ぎる言葉と共に、ひきつった笑みを溢すアカツキに飛び掛かってくる少女から逃げ出そうとするも、外に逃げることも出来ず、為すがままにアカツキは捕まり、当然の如く誰もが止めてくれることなく、数分の間久方ぶりのスキンシップに強制的に興じるのであった。