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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
144/185

<闇が晴れるとき>

アカツキが危険な存在だと言うアマテラスの勘は正しく、その警告に恥じない行為をアカツキは引き起こした。空一面を覆う漆黒と、人々を見下ろす無数の瞳が空を支配している。


それがこれから来る災厄の前兆ならば、これから待ち受ける試練とはとれほどの被害をもたらすのか、そんなことを想像するのすら嫌になってしまう。


「やりおったか。だから言ったじゃろう」


このような事態を引き起こすことを予知していたアマテラスは険しい表情で空を見て、大きくため息を吐く。


「どこに行くつもり?」


「殺しに行く。お主も目的は果たしたろう?アカツキはメモリアを無事に救った。魂は既にあるべき場所へと回帰した。それで終われば良かったのだ、その程度で済むのなら」


だが、そこでアカツキは止まらなかった。あろうことか、この忌々しい魔力と呪力が交わった力の発生源は黒羽を投獄している場所からだ。


全ては一つの誤算から始まった。


「復讐のつもりか何か知らんが、クロバネは本来あるべき定めを否定して、アカツキと接触した。我々とて、無益な争いは願い下げだった。ただメモリアを浄化するだけならアカツキとは協力的であろうと思った」


「けど、ダオはアカツキを危険分子と判断して、自分の手駒に常に見張らせていた。それ相応の理由があったとでも?」


リアの発言を当たり前だとても言いたげに笑い飛ばしてアマテラスは驚くべき真実を告げた。


「クロバネと出会うこと事態、あってはならぬ。ありとあらゆるものを吸収する尽きることのない器は意思など関係なしに、全てを貪欲に吸収して、溶け合う」


あってはならなかった。ただでさえ、精神的にも不安定であるアカツキがその身に余る力を僅かとて吸収してしまうのは。この世にただ一人の神とされる女神の恩恵が宿る都市ならば本来生まれることのなかった魂の終着点。


アマテラスがこの都市の神として崇められることで起きた数少ないデメリットの一つである、───地獄と呼ばれる罪人の流刑地。


この都市で死んだもののごく一部が連れていかれる冥界はアマテラスの加護によって長らく現世に影響を及ぼすことはなかった。


地獄の一部が現世に触れることで起こる災害は看過できるものではなく、自然現象と呼ぶにはあまりにも酷すぎるものだったからだ。


「それをクロバネは知っていて、冥界の主人アスタロトとの契約を受け入れた。たとえ一時であれ、その魂が安らぐ、つまりは眠ることがあるのならば、現世への侵攻を開始する。それだけだ。クロバネに与えられるものなど何もないと言うのに、自身を現世と冥界を繋ぐ鍵として差し出した」


意味不明だ。何の目的を持ってそのような奇行に至ったのか、それは神であるアマテラスにも分からなかった。元より、万能というにはあまりにも無理があるが、それでもクロバネが一方的な契約を受け入れた理由が微塵も理解することなど出来ない。


「復讐、そんなことのために民衆を巻き込むような人間ではなかった。あのような奇怪な喋り方もするような男ではなかった」


狂ったと言うのならば、その理由の根幹に関わっているのはダオだろう。雫に要らぬものまで与えたと言って、ダオはアマテラスの忠告を無視して、アマテラスが活動の出来ない昼間にクロバネを殺害しようとした。


「顔に大きな傷を負い、片腕を失くしたクロバネを見つけた時の雫は酷いものだった。それこそ、本来守るべき信仰都市に復讐してしまいかねないほど取り乱していた」


「あぁ、そういうこと。だから消したのね」


「良いか人間。今お前が敵対すべき敵は私ではない」


既に時間稼ぎは十分に果たしたであろうリアはそれでもアマテラスの進行方向に立ち塞がっていた。


「ダオは定められた運命からの脱却を望んだ。その為なら如何なる犠牲も問わない。当たり前など必要ない。―――死した人間が甦らない世界などに意味はない、とな」


「結局、それ?その為に二人の仲を引き裂いて、少女に偽りの平穏を過ごさせ、少年の運命を狂わせたのが、そんな独り善がりなことのためなの?」


「私にも分かるよ。もう―――会いたくても会えない人間など、たくさん居たのだ。だから、私は求められるまま、人が望むままの神であろう」


アマテラスがこの都市の神として生まれ、崇められる時に友と約束をしたのだ。


『いつまでも君は僕らの味方であってくれ』


その時から普通など捨てた。たとえ求められるのなら生け贄を喰らい、力を得て、反逆者の屍を積み上げることを望まれるのなら、その願いを受け入れて、神と呼ばれるにはあまりにも無秩序に、慈悲など微塵も感じさせないくらいの殺戮をもたらした。


「神様が聞いて呆れる。そんなの、操り人形じゃない」


「違うな、私はこの都市の神だ。願いを叶えるのは当然じゃろう?」


リアはもう一度剣を抜き、意識を目の前の少女の姿をしたアマテラスに集中させた。


「そうか、立ち塞がるか」


既にこの空を覆う闇の向こうには澄み渡る空と、輝く太陽が在ることだろう。本来なら今は雫が目を覚まし、アマテラスが眠りについているはずだった。しかし、アカツキの闇は太陽の光を通さない。


人工的な光だけが信仰都市に光をもたらしている。偽りの夜空には無数の目が蠢いている。つまりは、朝は訪れていない。太陽という存在が見当たらない時点で、今は夜なのだ。


そして今、多くの人々が怯えている。この後どうなってしまうのかという不安に飲み込まれ、助けを求めている。


―――それを願いと受け取らずに、何が神か。


「―――――――――?」


ほんの一瞬、瞬きすら及ばない程の速度で何かが横を通り抜けていった。音が遅れて聞こえてきて、その後に人間らしい痛みが遅れてやってくる。


それも一瞬だ。更にそれは人間にとって致命的な一撃。


「よくやった、人間。ここまで耐えて見せたのはお主が初めてだ。せめて、苦しまずに死んでいくといい」


落ちる。逆さまに、視界がぐるぐると回って、目眩すら及ばない気持ち悪さがして、次第に自分の身に起きたことを理解できる。


―――死んじゃったか。私。


それはあまりにもあっけらかんとした思考だった。最後に思い出すら浮かべることなく、当たり前に死を受け入れた。


そして、突然の倦怠感に身を任せて、リアは途切れかけていた意識を手放す。


―――最後に、心の奥底で燃える何かが、私の名前を呼んでいた気がする。


「強き人間よ、ここで眠れ」


胴と首が離れたリアに別れの言葉を告げてアマテラスは空間を渡る。本当ならネオの気配を元に、すぐアカツキが暴走しているであろう場所に渡ろうとしたが、黒い障壁に阻まれて地下牢へ続く入り口の前に弾き出される。


「部外者の介入など許さぬか」


ただの人間であれば通ることの出来ない空間の歪み、冥界と深く繋がってしまったが故に、半分が異空間と化したのだろう。


一つは地獄の主人アスタロトが施した結界で間違いはない。しかし、それを補強するようにアカツキの魔力が込められた黒く禍々しい結界が行く手を阻んでいた。


わざわざ敵の張った結界を強化するなど、いよいよ何を考えているのか分からなくなってしまう。


二重に施された結界にアマテラスが触れると触れた場所から白いヒビが生じて、徐々に大きくなっていき、一分足らずでヒビは結界全土に広がり、音もなく瓦解していく。


四方八方、どこからの突然の攻撃にも対応できるように全神経を尖らせながら地下へと続く階段を降りていく。次第に強まってくる魔力と呪力とが入り交じった瘴気が辺りに漂い始める。


しかし、そこである違和感を覚える。


「...なんだ、これは」


体の感覚が徐々に薄まっていき、信仰都市全土にまで届く眼が狭まっていく。そして、不安に押し潰されそうな人々の声も遠くなっていく。


異能力の遮断、全てを見通す瞳すら効力を失ってしまう瘴気は地下に向かえば向かうほど濃くなっていき、雫の体とのリンクも切れかけている。


現状では空を覆う闇が朝の訪れを否定し、長い夜を信仰都市にもたらしている。夜間のみ顕現を許され、日中はその力の殆どを制御されるアマテラスにとって、夜にも関わらず体をまともに動かすことが出来ないなど初めてのことだった。


それでも、危険な状態だと判断したアマテラスに歩を止めるという選択肢はない。地下には未知の敵と、暴走し自我を失っているであろうアカツキと戦闘をしているであろうネオが居るはずなのだ。


確かにここに向かっていた。途中で魔力の高まりを感じ、その少し後に急激な魔力の低下を感じたが、死んでいるはずがない。


おそらくあと一分も掛からない場所に居るはず、しかしこの瘴気が五感を鈍らせ、察知能力を低下させている。ネオの安全を確認するには実際にこの瞳で見るしかない。


薄まっていく体とのリンクを絶ち切らせないようにアマテラスはようやく少し開いた通路に到着し、その先で行われている攻防を見て、絶句した。


「...どういう、ことだ」


そこに広がっている景色は人間の体のまま自我を保ったアカツキが充血した瞳から血の涙を流し、体の限界を越えて何度も吐血しながら迫り来る巨大な生物と相対していた。


「アカツキ...ッ!!やめろ、それ以上は」


「動くんじゃねぇ、その傷で暴れたりしたら死ぬぞ!!」


千切れかけた足を強引に凍らせて止血させているネオと、その背後で白目を剥いて気を失っている男達を庇うようにアカツキの周囲から発生している黒くぼやけた結界が守っている。


その結界を破壊されれば戦いの余波は彼等にまで伝わりかねない。冥界の気というものは少し触れただけで人を卒倒させ、長時間摂取すれば人体に多大な被害をもたらす。


その発生源と思われる黒く膨れ上がった肉体に頭部に生えた力を象徴する巨大な二つの角を持った化け物が吠える。凶悪な二対の角、その間から発生した黒い雷を最早避ける力すら残っていないのか、直撃したアカツキが悲鳴を上げて、地べたに崩れ落ちる。


―――それでも、立ち上がっている。


「化け物、まだ俺は生きてるぞ」


巨大な生物の後ろでは眠りにつく黒羽を抱えながら化け物と同じく禍々しい角を持った女が戦いを傍観している。


倒れたアカツキを置いて結界の破壊へ向かうが、その太い首にアカツキは手をかけて、血管を浮かばせながら必死に締め上げる。


「どういう、ことなのだ」


もう一度疑問を言葉にする。意味が分からない、そんなはずはない。


アカツキは自我を失わずに力を使い、本来なら敵であったネオ達を守るために死に物狂いで戦っている。


ならば空を覆う禍々しい闇と無数の瞳は何を意味している。朝の訪れを拒み、日の光すら通さぬ闇は...。


「泥が、ない?」


今更その事実に気づいたアマテラスが全てを理解してその場で硬直する。何をするわけでもない、ただそこに在るだけの闇と瞳。


そう、何もしていない。あれがある限り、何も通さない。それは空だけでなく地上にも影響を及ぼしている。


「―――私はちゃんと言ったでしょ?」


雫の体とのリンクが途切れかけて、黒髪に戻りつつあるアマテラスの横をさっきまで激戦を繰り広げ、確かにその命を奪ったはずの女が通り抜ける。


「何故だ、何故なのじゃ」


人間という存在が理解できない。この空を覆う闇と瞳が意味するのは簡単であった。この闇は()()()()()見ている彼女の眼を潰すために強引に空間の支配権の上書きを行い、信仰都市を余す所なく監視することで他の監視網が介入する余地を与えない。


既に体は手遅れな程にボロボロに傷つき、自分の持てるもの全てを使うという意思によってあまりにも多くの力が混濁してしまっている。


―――化け物と罵られても構わない少年の心が理解できなかった。


「その人の思い描く正義とその他大勢の思い描く正義は必ずしも一致しないのよ。あの子は命を狙われようと、どれだけ守った人々に罵倒を浴びせられても構わないと思ってるのよ」


理解できない。何を考えていいのか、順序だてて頭を整理することすら出来ないくらいに混乱してしまっている。


「だからせめて私だけは―――私達だけはあの子を理解してあげるの」


首をへし折ろうと持てる魔力と筋力全てを使って飛び付いたアカツキの奮闘も空しく、地を揺るがす雄叫びと共に振り払われたアカツキが宙を舞い、その頭部目掛けて放たれた巨大な拳による殴打、それをさせる前にリアの剣がその腕を切り落とし、地面に落ちる前にその軽すぎる体を抱き抱える。


「頑張ったわね、今は眠りなさい」


理解できない。何故生きている。その頭を地に落として、確かにその命を奪ったはずの女が無傷でここに立っている理由が。


―――理解できなかった。何も知らされていないというのに、無条件にアカツキを信用した女が二人と、男が一人、前に立っているのが。


「随分と悲惨な状況だな。クレア、応急処置を頼めるか」


雫よりも年上の女だろうか、アカツキと同じくらいの年齢の少年に頼まれて、床で倒れるネオや、敵対していたはずの狐の仮面を付けた男達の治療を始める。


「了解です。ナナちゃんはリアさんの援護をお願いします!」


その横を明らかにこの場で最年少であろう少女が駆け抜けていき、化け物の横っ面目掛けて巨大な氷塊を放ち、それを破壊されると予想していたのか、その後に無数の荒れ狂う風の刃が化け物の両目を見事潰して見せた。


「何も分かんなかったけど、まずはあの化け物を殺せば良いんだね?」


「一先ずはね。あとは...彼女が動くかどうか」


多くの増援により、窮地に立たされつつあるにも関わらず女は何もせずにただ傍観を決め込んでいる。


結局彼女には何も分からなかったのだ。人間という生物の感情や考えていることなど。今も、昔も何も理解など出来ていなかった。


「お主らは...。どうして」


「...?あー!あんときの女だ!!」


「ナナ、今は気にするな。あいつからはあの時のような覇気は感じられない、恐らく体への憑依が剥がれかけているのだろう。それに、今は目の前の奴に集中しろ、───来るぞ」


「全く、何がどうなってんのか全然分かんない...よっ!!」


しかし、少女はその攻撃の手を緩めることはない。次に前方目掛けて壁すら切断する勢いで水による大きな横凪ぎが繰り放たれる。後ろで見ているだけの女は結界でそれを防御したが、無防備な状態で胴体に水の刃を受けた化け物の体が両断される、が。


「あいつ柔らかい。それに、断面も明らかに肉とかじゃない。多分土とかそういうのに近いよ」


胴体を別たれた化け物の体は何事も無かったかのように再生し、おおよそダメージが入ったようには思えない。


「く...」


前線でアカツキと入れ替わりの形で戦いに参加したリアとナナの二人に向けてアカツキが何かを言おうとして、満身創痍な体を無理やり動かして起き上がろうとしている。


「アカツキさん!!喋らないでください、これ以上無茶したら...!!」


既に血は止まっており、失血死は免れている。いや、むしろ本来なら体の複数箇所に開いた穴と、千切れかけている両腕で血が流れない方がどうかしていた。


アカツキの体がどんどんど別のものに変わっていくような気がしてクレアは必死に止めようとする。


「クレア、待って」


しかしそれを制したのはここに来るまでに愚痴を何度か溢しながらも、不安そうな顔をしていたナナが止めた。たとえ普段は仲が悪くて、出会いも決して良かったとは言えない彼女はこの旅を通じてきて段々とアカツキという人間を理解していた。


「自分の命よりもあんたは仲間とか平和とかを優先するんでしょ?なら、最後まで言ってからぶっ倒れて」


そのいつもと変わらぬナナの態度にアカツキは少しだけ微笑んだ後、自身の首に千切れかけている腕を無理矢理闇で補強しながら動かしてトントンと叩く。


「首だ、それを切り離せばそいつは死ぬ。あと...は。頼、んだ......」


それっきり意識を失ってい勢いよく地面にぶつかりそうになった体をクレアが支えて、必死にアカツキの名前を叫んでいた。


この場で最も力を持たないであろうクレアに狙いを定めた化け物が理性を感じさせない雄叫びと共に辺りに黒い電撃を迸らせながら突撃を開始する。


化け物が進む度に辺りに泥が撒き散らされていき、僅かに人の形を取った後にもがくように暴れてただの泥となっていく。


「意識を失っても空を覆う闇も辺りに漂っている瘴気も失くなっていない。多分だけれどこれが解けた時にアカツキは死ぬ。その命が尽きるまで彼等は本領を発揮することは出来ないわ」


冥界から訪れたこの化け物と後ろで事の成り行きを傍観している女はアカツキの策により、本来の力奪われている。おそらく人間以外の存在の力に制限が掛かっているのだろう。


ということはこの場で優位に立つことが出来るのは人間だということに他ならない。アマテラスはおそらくそのついでに力を奪われている。そのことをアカツキは知っているかは別として。


「本当に、とことん気に食わない男じゃな」


この世で傷を負って死ぬのは普通であり、今のアカツキを治すことが出来るのは学院都市で多くの命を救ってきたアオバだけだろう。


その彼が居ないこの現状でどんどん脈が弱くなっていく彼を救えるものなど、彼女しか居なかった。


「本当に、分からないことだらけだ」


それは本来なら命を狙われている敵を助けたアカツキのことであり、一度は殺した女のことであり、仲間であるというだけでアカツキを信じた彼等のことであり、―――アカツキの繋がっていた一本の命綱を繋ぎ止めた自分に向けて言った言葉だった。


「心配するな人間。おそらく人の身に戻るには時間を要するが、一先ずは難は免れた」


クレアが事前にアオバから教わっていた擦り傷程度なら治すことが出来る魔法を、無理矢理魔力を注ぎ込むことで治そうとしたが、所詮は適正を持たない人間がやることだ。ここまでの傷を治すことなど出来なかった。


そんなクレアの掌の上に手を乗せたアマテラスが淡い光と共に外傷を塞いだ。


「...え?」


クレアにとっても目の前に居る少女が信仰都市へ向かうことを拒んだ敵として記憶に刻まれていた。


「クレア。それでいい、これは気紛れだ。私はお前達の敵に他ならない。そして、最後にお前にも言っておく」


徐々に体の制御が効かなくなって、意識を手放そうとしていたアマテラスが、一切の悪意を感じさせない真剣な表情でクレアに最後の警告を促した。


「今すぐに信仰都市から逃げて、もうここには来るな。クロバネを連れて行かせることは出来ないが、お前達だけなら逃がしてやれる。ダオに見つかればおそらくアカツキは殺される。ネオ、お前がこの者達を信仰都市の外へ逃がしてくれ」


それだけを告げてアカツキの発生させた人間以外の存在に影響をもたらす瘴気により、雫の体とのリンクが途切れたアマテラスが倒れる。


「...それが、アマテラス様の御命令ならば」


そう言って眠りについた雫をチラリと見て、ネオは地面に手を置いて、先程は化け物によって足を踏み潰されて中断されたが、アカツキからリアとナナに、三人の敵が作ってくれた時間のお陰でようやく発動に至った術式がようやく本領を発揮する。


「これだけ時間を掛けたんだ。失敗するなよ、ネオ...」


自信に言い聞かせながら精神統一を行う。この呪術を発動させるには標的を選別しなければいけない。決してアカツキやその仲間達を巻き込んではいけない。


彼等の魂を除外して、敵だけの魂を自分の意識に閉じ込める。


術式を完成させ、それを発動しようとしたネオもろとも周囲の人間を吹き飛ばさんと、狂暴な体躯から放たれた突進が襲い掛かる。その威力もさながら、辺りに撒き散らされている冥界の泥も人間にとっては猛毒である。


角の女から発生していた泥とは違い、辺りに散らばっている泥はこの化け物の体で熟し、触れるものを死の病に陥らせるのだ。


「―――あんたの相手はあたしらだっつーの」


その泥に恐れることなくナナとリアの二人が突進の進行方向に立ち塞がる。


一向に速度を緩めない凶悪な突進に当たれば生身の体では肉の塊となるだけだろう。この化け物を止める為の方法はただ一つ。


「――――――――――――ァ!!」


勝利を確信した化け物の雄叫びが地下に木霊する。理性を持たない。それだけで彼等には勝つことは到底不可能だというのに。


「退くことも覚えていれば結果は違っただろうな」


―――遠ざかっている。


この場にいる人間には到底防げないはずの突進、それは速度を緩めることなく、しっかりとターゲット目掛けて突き進んでいた。


瞬きなど必要としないこの化け物の視界には突然目の前に居た人間が瞬間移動したかのように映っていた。それもそうだろう。ガルナの持つ世界で唯一の魔法、時空間を操る魔法を持ってすれば、空間を弄くることくらい造作もなかった。


そして、瞬間移動したのは化け物の体以外にもう二人。


───その背後に迫る二つの影を知っていて尚、怪物は動くことを許されない。


何故ならば、その二人を殺そうにも、空間の移動と共に突然地面を突き破って出現した白い蛇の鎖が化け物の突進を止めると同時にその場に固定させ、指一本動かすことすら許さないのだ。


今度は死を恐れた恐怖の叫びにナナとリアの二人が声を合わせる。


「「うるさい」」


リアの剣が強固な外皮ごと化け物の頭部を切り裂き、成す統べなく地に落ちていく。胴体から切り離された頭部、その視線の先には仲間の死だというのにやはり何もせずに傍観を決め込む女が立っていた。


「裏切り者が!!貴様のような出来損ないをお救いしてくださったあの方の期待をお前が裏切ったのだ!地獄の底で、自身の行った恥ずべき行為を後悔し、業火に焼かれながら懺悔しろ―――低俗な人間が!!」


「黙ってなよ」


頭部を失った胴体がナナの風魔法によって切り刻まれ、残った頭部を灼熱が包み込む。最後まで角の女に恨み言を叫びながら化け物は塵となり消えていく。


巨大な驚異が去り、ようやく一息ついたナナが辺りを見回しながら言う。


「取り敢えず情報共有だね。こっちは知らないことだらけでいい加減パンクしそうだよ」


色んなことが同時に起こりすぎて、いくらナナと言えどもこの状況をまとめることは出来ない。敵であるネオ達をアカツキが庇い、一度は敵対していたアマテラスという神がアカツキの命を助けた。


そして、先程倒した化け物と同郷と思われる地獄からの使者、彼女を裏切り者と罵った化け物の言葉の意味を。


「簡単な話、私は彼が死んで貰った方が良かった。その子のお陰であちら(地獄)からの監視が止まり、人間を殺すという命令を遂行しなくても済んだ」


角の女が言いながら、黒羽を床の上にそっと置いた後に何もせずにクレア達の方へと歩を進める。


「近づくな。まだ私は信用できてない。今からあんた一人で疲労した私たちを殺すことだってあり得るんだ」


「それはない」


「信じられない」


「そう」


そのまま無感情な瞳で近付いてくる角の女にナナが迎撃体制を取ろうとした時、その華奢な体をリアが何の脈絡も無く持ち上げた。


「ふぇ...」


「そんなに怖い顔しないの。それをやったらあっちの思うままよ」


ナナがバタバタと手足を揺らしながら暴れ、必死に離せと叫んでいるがリアは気にも止めない表情で驚いた顔の角の女を見据えて、一言。


「貴女、死にたがってるでしょ」


やはり、何の脈絡も無しにそんなことを言い、ナナ達を驚かせたのだった。


「はぁ?何でそんなことをあんたは思うのさ」


「戦いに参加してこなかった時点で、さっきの奴が言っていた通り裏切り者であることに変わりはない。けれど、理由は?仲間を裏切ってまで成し遂げたかった何かがあった、そうでしょう?」


その問いに女は「一つ、訂正を」と言い、諦めたように溜め息をついて空を見上げた。


「彼は仲間ではありませんよ。私を監視する為に付きまとっていただけです」


この闇に飲み込まれた空が無ければあの男の傀儡として、人間を一人残らず殺すことになっていたかもしれない。命じられた時点でそれは何よりも優先され、その他のことは二の次となる。


やりたくないなどという言葉は受け入れられない。女の感情など二の次どころか、不必要なものであった。


「貴方達が戦うべきは人間ではない」


だから、せめて何かを残すことにしよう。


「アカツキさん?」


クレアが抱えるアカツキの呼吸が穏やかになり、アマテラスの手によって意識を失った状態でも発動していた結界も解除されたのか、常に減り続けていた魔力が安定し始める。


「地獄は貴方達をずっと見ている。地の底に堕ちし神―――ハデスを殺してください」


当たり前と言えば当たり前だったのかもしれない。


この都市にアマテラスと名乗る神が存在した時点で、彼女以外の異邦から訪れた神も存在し、アカツキ達がかつて居た世界の神の名を名乗ることもあるだろう。


「ハ...デス?ちょ、勝手に消えんな!!まだこっちは知らないことだらけで...!!」


「いずれ貴方達に選択の時が来るでしょう。その時に信じるのは己か仲間か。―――貴方達の選択をとても楽しみにしております」


空を覆っていた闇の帳が晴れていく。無数に蠢く瞳は白く光を放ちながら灰のように燃え尽きるように消えていく。アカツキにより作り出された巨大な結界の崩壊は地獄からの監視が始まることを意味している。


「出来ることなら、死にたかった。貴女は止めてくれたけど、私は一刻も早くこの醜く生き長らえる生に終止符を打ちたかった」


しかし、最後の最後にリアという女に見破られてしまい、その希望も潰えてしまった。アカツキの最大限の抵抗によって一時的に現世の監視を出来なくなったハデスのことだ、今頃私の帰りを待っていることだろう。


「そして、仮に。もし仮に地獄へ訪れることがあるなら、誰も信用してはならない。地獄の契約は結んだ相手が死ぬまで終わることはない。そして、地獄に死というものはない。あそこで契約をした愚かな人間は永遠にその呪縛から解き放たれることはないのだから」


それはかつての自分への叱責でもあり、これから起こりうる災厄の日を見据えての助言だ。


私は出来ることなら人を殺したくなどない。けれど、あの男との約束は永遠に私を蝕み続ける。


「さようなら」


女の体が瞬く間に泥と化して、あまりにも唐突な別れが更に一同を困惑させる。次から次へと飛び込んでくるあり得ない話が、現実だと認識したくても、あまりにも突拍子もない話でとてもではないがはいそうですかと、受け入れられるものではなかった。


「取り敢えず目先のことから処理していきましょう。アマテラスの話からして私達は見逃して貰える。けれど、それをダオが許すはずがない。そうでしょ、ネオ君?」


「...えぇ。お祖父様はこのような事態を引き起こしたアカツキを狙って動き出すでしょう。その前に僕は貴方達を逃がさねばなりません。―――そう、お願いされてしまいましたから」


「それじゃあお言葉に甘えて逃げましょうか」


勝手に話を進めていくリアにナナは慌てた様子でその手を取り、歩きだそうとしたリアを止める。


「あんた、あんな話を聞いてここから逃げる...。そんな馬鹿なことを言うんじゃないよね?」


「そんな馬鹿なことを言うのよ。もう貴方達の目的は達成されて、これ以上ここに残っても悪戯に命を狙われるだけ。それにナナちゃん達はこちらを殺そうとしてくる人達を救おうとしているのかしら?」


「......っ!それは、違うけど、それでもあんなことを聞いて何もしないって言うの!?」


リアはよく事態を理解した上でそう発言しているのだ。現状、リア達はアカツキの仲間ということになり、そのアカツキは信仰都市に住む人間達から命を狙われることになる。


そうまでしてここに残る理由がない。そんなのはナナだって分かっている。だが、自分達が今聞いた話はやがてこの都市に起こりうる惨劇を連想させた。


「罪もない人々が大勢死ぬでしょう。ここを守るためにまたたくさんの人が死ぬでしょう」


「それを分かってるなら!!」


「けど、今更私達が仲間です、一緒に戦いましょうと言ってもあの人達は信じてくれない」


「―――――――――」


言葉が詰まる。それは即ちリアの言葉に納得してしまったことに他ならない。そんなの考えれば簡単なことじゃないか。アカツキの驚異は既にこの都市全土に知れ渡ってしまった。


そんな状況で自分達に出来ることなんて、―――何もなかった。


真実というのは、時にとても残酷で選択をさせてはくれない。守りたいと思ってもそれは叶わず、残された道をこれから起こるであろう惨劇を忘れようと必死になって渡るだけ。


「ネオ君、私達を連れて逃げるということは貴方もこの都市を見捨てることになってしまう。本当にそれでも良いのね?」


リアは現実をよく見ている。嫌われるような役柄をわざと引き受けて、真実しか口にしないのだ。


「雫ちゃんとももう会えないかもしれない。だって裏切り者をダオは許さない。それが長い間育てた子供であろうと」


「僕は貴方達を送った後にここに戻ってしかるべき罰を受けます。それで死ぬかもしれないし、もしかしたら牢獄に捕らえられて命だけは助かるかもしれない。そうなったらいずれ来る災厄の日にでも脱獄して、この都市の為に死にます」


地獄からの使者が居なくなって数分後に目が覚めた狐の仮面を被った男達はその発言をするネオを止めようとはしない。


ネオのこの都市を思う気持ちはダオですら比にならない。幼少期から汚れ仕事をこなしてきた理由はそんなに大それたものではないが、自分の中では何を犠牲にしても守らなければいけないものだった。


「貴方達を信仰都市から逃がします」


だから、裏切り者と罵られようと自分は最後まで守るべきものの為に尽くそう。アカツキに救われたことは確かで、アマテラスに頼まれてしまったからには仕方ない。


「行くぞ。ナナ、言うだけ無駄だ。俺達は無事にアカツキを取り戻した。そういうことにしておけ」


小さな肩をポンと叩き、ガルナはアカツキを背負いながら長い階段に足をかける。


その後ろではネオが同じ部隊の仲間達に眠りこけている雫を託して、クレアの肩を借りながら千切れかけている足で裏切り者へと続く階段を上っていく。


「...どいつもこいつも、意味わかんない」


誰にも聞こえないような小さい声でそう吐き捨てた後、ナナは渋々ガルナ達の後に続く。


空を覆っていた闇が晴れたというのに、ナナの胸中にはずっとモヤモヤした何かがわだかまっていた。

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