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遥か彼方の浮遊都市  作者: 神羅
【信仰都市編】
143/185

<前兆>

無尽蔵に湧き続ける過去の亡霊たちを一太刀で捩じ伏せ、余裕とも見える涼しい顔でリアは四方を囲まれた絶体絶命とも言える状況に、冷静に対処していく。


流れる水のように軽やかに、白く美しい刀剣が敵を屠っていく。数多の亡霊の血に濡れながらも、その足は、剣を振るう腕は止まることはない。


『天雷』


亡霊の大進行に乗じて空から降り注ぐ雷を剣で受け止め、そのまま帯電した剣で周囲の敵を殲滅していく。


基本的には数の暴力に対して対処し、横槍は無力化、もしくは利用して戦いを続ける。


「ジリ貧じゃな」


既に一時間に及ぶ戦闘、一向に優位に立つこともなく、不利になることもない。恐らくだがこのまま続けてもあの人間を倒すことは出来ない。


あれこそ例外の中の例外だろう。過去、この都市で誕生した英雄たちですら勝てぬ本物の化け物だ。


「そのような力があってどうしてむざむざ捕まった」


だからこそ解せない。彼女にとっては追っ手を振り切ることも、皆殺しにすることも出来ただろう。それをせずに素直に捕まり、死の牢獄へと入っていく理由が分からない。


「休みたかった、それだけよ。あそこは誰も来ないし、落ち着ける場所だと思ったから」


「脱獄など簡単に出来たと?」


「する理由も、メリットも無かったからしなかっただけよ」


亡者の進行はいつの間にか止まり、リアの目の前に立つのは巫女の少女ただ一人。ようやく本人が出向いてくるのだろう。


「ならば、今更脱獄などした理由は何だ」


「...さあ。もしかしたら、―――見てみたかったのかも」


周囲に炎を帯びた風が渦巻き始める。リアの周囲から発生した灼熱の風は辺りを赤く照らす。


あの子(アカツキ)の進む先の景色を───」


「あれは化け物だ。その身に合わぬ罪を背負い、力を持ち、不安定な心がいつ崩壊して、暴走してしまうかも分からない。あれほどまでにあやふやで危険な人間の末路は大抵一つよ」


人と過ごし、何千年もの間奉られてきたからこそ、壊れていく人間は嫌になるほど見てきた。


「───自滅だ。どんな形であれ、アカツキは自身の力に溺れ、もしくは飲まれ、死んでいくじゃろう」


「それは悲観的ってものね。あの子は変わる。それこそ、私でも、貴方でも予想できないでしょう」


好奇心と、信頼。初対面であろうに、この信用の高さは純粋にアカツキという人間が気に入られている証拠だろう。何があの人間をここまで信頼させているのか、それは薄々分かっている。


だって、あそこであの少年を殺さなかったのは単に甘さというだけではなかった。いいや、ここであの人間のことを考えても仕方ない。時は流れる、いずれアカツキにも向き合わねばならぬ時が必ず来るのだから。


「戯れはここまでで良かろう。お互い準備が整ったじゃろう?」


「随分と余裕ね」


「余裕であればここまで粘られん。正直、私でも嫉妬するくらいの力をお主は持っている」


最早、神の域にまで達する剣の極致に至った人間に敬意を払い、今出せる全身全霊で迎え撃つのみ。


「名前を聞こう、娘」


「―――リア、ただの旅人よ」


「リア、良き名だ。であれば、私も名乗ろう。我が名は―――――アマテラス、この都市の神じゃ」


それはアカツキが聞いていたのであれば、絶句していたであろう神の名前。この世界で本来生まれることのない名を持った神が上空に眩い光を灯す。


瞬間、荒れ狂う灼熱の風を纏った人間と、太陽に近き光を纏った神の激突が始まる。



......。



そこはアカツキが捕まっていた死の牢獄程ではないとしても、暗く湿った地下だ。


「大丈夫か、黒羽」


薄暗い牢屋の鍵を開けて、アカツキは少しだけ痩せた黒羽に手を指し伸ばす。その手を取って、弱々しい足取りでアカツキの肩を借りながら地上に続く階段を上る。


「すまない」


「前みたいにまどろっこしい言い方しなくて良いのか?」


黒羽にも何かしらの事情があるということは大方察しているアカツキはその読めない行動と痛い人のような口調が作り物であると予想している。理由は分からないが、それは必要なことに違いない。


「あの喋り方がいいか?」


「いんや、二人きりの時はそっちの方でいいや」


「...そうか。少しだけ気に入ってたんだかな」


少しだけ気落ちする黒羽を見て、苦笑を溢すアカツキ。あの喋り方に慣れるなんて自分では到底無理だから、苦笑をしてしまったのかもしれない。


「マジで?知ってる人からしても、知らない人からしてもあれは大分痛いぞ」


「この都市では本音を見せない方がいい。ダオに目を付けられれば只では済まないぞ」


大体の悪評判はダオと言う男によるものだとは薄々勘づいてはいたが、その予想はどうやら正しかったらしい。


「やっぱあの爺さんか...。んで、お前が知ってることは?」


お疲れのところ悪いが、アカツキには一刻も早くやらなくてはいけないことがある。正直こうして気を保っているだけでも、成長した証だろう。


「人喰いに、人身売買、人体実験、数えるだけで気が狂いそうな悪事はしてきた。それを信仰と本人は思っているのだから尚更タチが悪い」


「...雫はそのことを」


「そこまでは分からない。お前も見てきただろうが、ダオは雫にとって優しいお祖父さんだ。本人がそういった場面に出会したら何かしらの処置は取られてるだろうな」


優しい彼女がそのことを知ってしまえば、どれだけ悲しみ、どれだけ苦しむのだろうか。―――そして、その苦しみを一体何度味わったのだろうか。


「大方視られて嫌な部分だけ記憶から抜き取ってるってところか?」


「あるな。奴は神器についても研究していた、それに近い模造品を造り出していても何ら不思議ではない。教会はこの都市の力を頼ったり、研究することはないが、ダオは神器と呼ばれるものにとても興味を抱いていた」


予想以上に黒羽の疲労が激しく、アカツキは彼を背負いながら誰も居なくなった地下牢を歩いていく。


「監守はどうした...?」


「居なかった。まぁ、そういうことなんだろうな」


アカツキのどこか冷めたような口振りに一瞬嫌な思考が頭を遮るが、それも僅かのことだった。アカツキは最初から知っていた。


知っていて尚、ここに来たことを黒羽は理解した。


「―――そこまでだ」


狐の面を着けた小さな少年が二人の進行方向に立ち塞がり、その背後には十に及ぶ数の狐の仮面を着けた男達が控えていた。


「これから脱獄者の死刑を開始する。...素直に捕まったままで良かったものを」


「...そういうことか」


彼等には黒羽を殺すための理由も無ければ、雫からの命令によりアカツキと黒羽の二人には手を出さぬように言われていた。だが、事は緊急事態。脱獄犯をそう易々と見逃すわけにはいかない。―――だから、殺すのだ。


「お前、どんだけ恨まれてんだ?」


「お互い様だろう。お前も俺も不要な物だとダオが判断した。奴は生かすことも、殺すこともする。簡単にな」


必要な物があれば手元に置いておき、必要が無くなったら愛着などない物を簡単に捨てることが出来る人間がダオだ。この少年、ネオもその一人である。


「それにしても、大きくなったな」


「黙れ反逆者。お前のことなど、僕は知らない」


だから、常に証明し続けなければいけない。今回も、これからも、この命がある限り永遠にだ。


「多分話は通じない。やるなら強行突破だぞ」


踵を返して反対方向に逃げ出せばおそらく行き止まり。ならば考えられるのは正面からの脱出、それだけだ。―――それだけだったのだ。


「...おい、何だそれは」


平和や日常ですら唐突に、簡単に崩れ去ってしまうというのに、どうして普通が続くと思っていたのだろう。


耳元で黒羽が「すまないな」と呟くと同時にその当たり前は簡単に崩れ去っていく。


「―――――――――!!」


背中にドロリとした感覚を感じたアカツキが振り返り、その()()を認識した瞬間、アカツキはその場を離れ、アカツキの背中にあった()()を挟む形で両者は普通の終わりをただただ、見ることしか出来なかった。


「天と地上が繋がるこの都市では、地の底と地上も繋がれている。―――それなら、お前らも納得出来るはずだ」


泥のように闇が溶けて、辺りを満たしていく。その中心で黒羽がネオ達を睨み付けながら眠たそうにそう言い放った。


「悪魔だ...」


誰が言ったのだろうか。おそらくネオの後ろで武器を構えることなく、泥の中心から溢れ出てくる化け物を見ている男達の誰かだろう。


しかし、それはアカツキからしても同じ感想であった。


『おやすみなさい。人の子よ』


人の形を止めない異形の化け物達とは違い、確かに人の形を保った女が泥が溢れる中心で気を失った黒羽を手に抱きながら優しく語りかける。


若干の露出がある黒い服に身を包み、頭部には二つの捻れた角を持った女は声高らかに告げた。


「契約に従い、彼の眠りと共に我等は権現を果たした。聞け、人間どもよ。貴様らに逃げ場などない、―――ここで心の臓を差し出せ」


女の言うことは正しかった。多少広い程度の地下通路は泥に飲まれ、アカツキとネオ達の立つ床にも泥が溢れ、その量は少しずつ増えていく。


前後左右、下からも上からも聞こえる命を感じさせない低い声が逃げ場などとうに失われているのだという事実を無慈悲に突きつけていた。


「俺も人のこと言えないけど、お前も大概じゃねえか」


額に冷や汗を浮かべながらアカツキは黒羽が行った最悪の打開策に苦言を言わずにはいられない。何せ、味方も敵も見境なしの敵を産み出すことがこの状況の打開策などとは到底考えられない。


しかし、黒羽の今までの行動からして、何の目的もなくこんな危険なことをするとは思えない。そもそも、契約とはなんだ。眠ることでこんなことが起きるなら......。駄目だ、今はそれについては考えるな。考えるのは打開策の意味、黒羽の考えたこの策の意味を理解し、迅速に対応しろ。


この化け物と協力するか?―――無理だ。


自身の闇で上書きをするか?―――おそらく、この泥には到底及ばない。無理だろう。


話してみるか?―――死ねと言われて、今更考えを変える筈がない。これも無理だ。


「逆...か?」


生きるための道、知らぬことだらけの未知の敵に対して、一人で挑むのは無理だろう。そして、あの女に話し掛けてもまともに取り合ってはくれないだろう。


ならば、あの少年ならばどうだ。死んでいるならまだしも、生きている人間が簡単に生を諦められる筈がない。


「協力しろ!!」


その考えをアカツキは何の根拠もなしに口にする。この提案が却下されるなどとは思えないはっきりとした口振りで。


「ここで死ぬのと、俺と協力して生きるの、どっちがいい!!」


「何を...」


渋い顔で、それでも即座に断られないネオを見て、アカツキはこの作戦が成功すると確信する。多少汚い手になるが、方法はこれしかない。


「この化け物を見れば分かるはずだ!!少なくとも人の話なんて聞いちゃくれない。お前らの大事な―――雫にまで手をかけるぞ!!」


雫、という名前に過剰な反応を見せるネオが、苦虫を噛み潰したような顔で何かを決断する。


決して、万が一にもそのようなことがあってはいけない。そして、この化け物達が雫に手をかける未来を想像するのに、そう時間は要らなかった。


「ならば、こちらに来い!!話をしたいならば、僕の所まで...」


「―――乗った」


最後まで言うよりも早く、アカツキの全力疾走が開始される。そう遠くない場所にネオ達が居るとはいえ、その道中には数えきれない障害が立ちはだかる。


「......ッ!」


人の形を保てない異形が一斉にアカツキへ振り返り、飛沫が上がったように泥が跳ね上がり、大量の腕がアカツキを捕まえる為に地面から伸ばされる。


アカツキは大きく跳躍し、天井に闇を集中させ、泥を一瞬だけ無力化させ、天井に足をつけると、下でこちらを見上げる泥人形達目掛けて突撃する、不完全な為にぼやけた視界しか見えないのだろう、ただ生きている気配のする方に無数の手が伸びる。


アカツキは足に僅かな時間で込められるだけの魔力を込めて踵落としを泥人形の群れにお見舞いする。


泥で出来た柔らかい頭部が簡単に抉れ、無数の腕が体を傷付けるのも無視して、アカツキは勢いを殺さずに地面に足がつくまで踵に込めた闇を防御に回さない。


アカツキの踵が一体の泥人形の体を両断し、地面に触れると同時に足に込められた魔力が踵から地面に流れ込み、アカツキを中心として濃密な闇が槍のような形で周囲の泥人形達を吹き飛ばしていく。


僅かであれ、この世ならざる力により生成されている泥を上書きしたことに角の女は目を細める。


その視界の先にはこちらへ迷いなく走ってくる一人の人間、愚かにもここから逃げ出そうとする人間に向けて掌を向けて迎撃体制に入ろうとした瞬間だった。


「―――隙が出来たぞ、化け物」


背後から近寄ってきていた少年の手により、女の胸をクナイのようなものが貫き、鮮やかな鮮血を滴らせながら、心臓に穴を開けられる。


「退け」


心臓が貫かれたにも関わらず、女は痛みなど感じさせぬ顔でネオを振り払う。その見た目に合わぬ速度と力により、ネオの小さな体は右の壁にめり込み、面が取れて顔が露になると同時に吐血する。


アカツキにより生み出された隙を突いたネオの行動により、女の視界は僅かにネオの方へと向いた。繋がれたその僅かな隙をアカツキは見逃さない。


あれから自分の体のように扱える神器の力を解放し、淡く光った体。神器アニマがもたらした身体強化を用いて、女の顔面に蹴りを食らわせて、のけ反ったその隙間を縫い、ネオも回収しながらようやく合流を果たす。


「興味が出来た。貴方のそれは何?此方側の泥も受け付けぬその闇は、どこで手にいれた?」


「さあな、敵にそんなこと教えるはずがないだろ」


アカツキはネオが無事とは言えぬまでも生きていることを確認し、後ろで泥人形達を相手する狐の仮面を付けた男達をちらりと見る。


ただでさえ数で不利だと言うのにネオ以外の狐の面の男達は泥人形の対処に手一杯、彼等の反対側、アカツキの正面から向かってくる敵を撃退するには彼と。


「降ろせ」


たった一撃で大きなダメージを負ってしまい、満足に動くことも出来ないこの少年と二人でけた外れの力を持つこの女と戦わないといけないのだ。


いつの間にか女の隣で眠りこける黒羽を抱える老人、多少は戦うことが出来ると考えて、2対2、こちらは負傷した子供、それだけで不利なのは明確だ。


―――まともに戦えば、だが。


「打開策はあるか?」


「勝てる勝てないかで言えば確実に勝てない。だが、逃げることだけならできる」


「十分だ」


少年の言葉に納得したアカツキはネオを降ろした後に正面を見据える。


「ここだけの共闘かもしれないけど、名前は?」


最低限のコミュニケーションを取る上で名前というのは大事なものだ、それが一度だけの和解、協力だとしても、ここを切り抜けるために必要なのだから。


「ネオだ、お前の名前はアカソラシウン、だったか?」


「...いんや。アカツキで良いよ」


その名前に愛着が無いという訳ではない。ただ、それを名乗るわけにはいかない。ここに立つのは一人の青年、アカツキという人間なのだ。


「なら、時間を稼げ。術式を展開する間、時間が欲しい」


「増援は?ダオとかいうあの爺さんがこんな事態を放っておく筈がない」


「何事にも優先順位がある。―――お祖父様にとって、僕はそういう物だ」


こんなイレギュラー、これから起きる災厄の日に比べれば比較対象にすらならないのだ。ここで死ねば、その程度だということ。勝って、雫の為に尽くすのが当たり前なのだ。


「けど、僕ではあれに勝てない。逃げるので...手一杯だ」


「は...。生きてればそれでいいだろうが。何で恥じるんだ。生きてていいんだよ、お前も、俺も―――あいつらも」


どこか遠くを見ている。僕には見えないのだろう、それに気付くことなんて出来ない場所を見て、微笑んでいる。


「――――――生きるぞ、ネオ」


「......あぁ。勿論だ」


どうして、このアカツキという男はこんなにも自分を不思議な気分にさせるのだろうか。もしかしたら、今の自分は笑っているのかもしれない。こんな最悪な状況で笑みがこぼれてしまうなんて可笑しな話だが、ともかく希望というものが見えてきた。


「来るぞ!!」


アカツキの警告と共に二人の足元から無数の腕が伸び、跳躍した二人の足を絡め取ろうと伸ばされる。


「アカツキ!」


今のところこの泥に対して対処できるのはアカツキの持つ神器のみ、身体強化とこの世ならざる泥まで塗りつぶす闇、聞くだけならあまりにも反則的な力であり、教会が信仰する別の神の強大さを痛感させられる。


アカツキが掌を下へ向けると、闇が掌から溢れ、槍のような形状に変わり、伸ばされた無数の腕を貫き、異形の声が地下に木霊し、同時に憤怒の声が満たしていく。


許すな、殺すのだ、と言わんばかりの怒りが混じった雄叫びと、泥から生み出された一頭の大きな獣。


巨大な獅子、目は腐り、舌は半分程で切られたにも関わらず顎で口を支えることが出来ない口内からその断面が顔を覗かせる。


泥から産み出されるのは死という概念を背負った化け物ばかり、中途半端に造られたのではなく、死んでいるからこのような風貌なのだ。


「死者蘇生、とは違うのか?」


「蘇生であればあんな醜い姿を取らないだろう。単純に死したものしか産み出せない、そういうことだ」


既に膝元まで満たされている泥、触れているだけでこの泥がこの世ならざるものだと理解できる。本来、ここまで泥に浸かっていれば、先程のような跳躍など出来はしない。


そう、これはそこにあるだけ。まるで幻のように、重さを持たず、泥のような感触を持たない。


そして、天井をも覆うその泥は落ちることなく、天井を流れている。それは左右の壁も同様、当たり前など求めるなとでも言いたいのだろうか。


しかし、そこから産み出されるものは確かに重さがあり、感触があった。あまりにも不可思議で、意味不明の物質でこれらは構成されている。


「――――――――――――ッッ!!」


腐り落ちた声帯から上げられるあまりにも不愉快な叫び声が辺りを満たす憤怒の声と合わさり、不協和音をもたらす。


「正直、どれくらい時間を稼げるか分からない。だから、頼むぞ」


左右の壁から伸びた亡者の腕をアカツキの足元から生成された闇から伸びた腕ががっしりと掴み、破壊することなく拮抗状態を維持する。


あの腕を産み出せる制限があるのか分からないが、破壊せずにお互いの力を一定に保つ。そうすることで破壊した矢先に再生されることはない。つまりは、こちらへ攻撃が来ないのだ。


「行け」


女の声に呼応し、獅子は腐った足からこぼれ落ちる泥を撒き散らしながらアカツキへ閉じることの出来ない口でアカツキの頭部が覆われるように収める。


その場を動かずに成すがままのアカツキ、身をよじり、横に飛んだ獅子は頭部が口腔に収まった瞬間、壁から放たれた泥の腕が強引に閉じることの出来なかった口を閉める。


だが、その後にあったのはアカツキの死ではなく、顔の半分を吹き飛ばされた獅子の亡骸。


アカツキはその場を動かずに、獅子が愚かにも突っ込んでくるのを待っていた。頭部を狙い済ました攻撃は、アカツキの周囲を漂う黒い結晶がその頭部をいとも容易く打ち砕くことで、攻撃を中断させた。


ブクブクと泡のように再生を始める獅子に、アカツキの冷たい目線が送られると、結晶が剣へと形を変えて、幾百の結晶の剣が獅子の体を余すところなく切り刻んでいく。


「っ...はぁ」


獅子が声を上げることもなく、無惨に切り刻まれた後、アカツキの瞳に光が戻り、一瞬だけ苦しそうに吐息を溢した。


明らかに先程のアカツキは別人であった、後ろから眺めていたネオから見たアカツキの背中から感じる冷たい殺気、それはアカツキの変貌をネオに訴えていた。


諸刃の剣、使えば使うほどにアカツキをアカツキならざるものへと変えていくのだ。


「きっつ...」


確かに戦力で言えば今までの彼とは一線を博すだろう。だが、それ以上に力を使うことによる躊躇い、人として当たり前にある何かが心から奪われていくような気がして、酷く苦しい。


今までサタナスが請け負ってきたアカツキの使うことの出来る力の調整、メモリアが彼の体に根付いて、時折制御権を奪われていたものの、それを怠ればアカツキがどうなるのか知っている。


今はその制御を行うのはアカツキただ一人、力は強大でも心が未熟であれば力に呑まれる。だから最大出力は出さずに極力最低出力で相対する。

それでも少し加減を間違えてしまうと先程のように一時的に心から何かが失われていく。


「それでもやるしかねぇよな」


こんなところで死ぬなんて御免だ。やるなら最後まで諦めない。ここで死んでしまえば、クレア達には二度と会うことはできない、メモリアを狂わせた外道に復讐することは出来ない。


―――今だけはこの怒りを糧にしろ。


この燃えるような怒りがある限り、俺はここに居る。───この世界で、まだ生きている。


枷なんて外してしまえ。多少の限界なんて乗り越えろ。


「立て、行くんだろ。アカツキ」


腰に掛けてある剣に手が触れると、あの時の臭いと、自分の手によって死んでいく男の姿と感触がフラッシュバックする。


『呪ってやる』


耳元で今も誰かが囁いている。痩せこけた体に、急激に痩せた影響で残った皮が垂れ下がり、目元は窪み、血の涙を流している。


あまりにも惨たらしい姿でずっと耳元で囁いている。死ね、呪ってやるといった永遠と続く怨嗟の声。


「全て、使え」


その恨み言をアカツキは無慈悲に振り払い、頭の中からクルスタミナを忘れようとする。


『―――死んでしまえ!!』


最後の最後までクルスタミナはアカツキを許さない。


―――それでいい。俺もお前を許さないから。


『今更人並みの幸せなど得られるものか』


体が少しずつ冷えていく。景色が徐々に色褪せていき、全てが白と黒だけのモノクロの世界に変わっていく。


変わっていく景色、冷えていく体、それでも忘れてはならない。ほんの一時であれ、楽しかった思い出は確かにアカツキの中に存在しているということを。


そして、メモリアの中に残っていた、一人の神父、ネクサル・ナクリハスが行ってきた非道の数々、クルスタミナのせいで死んでいった人々の無念。


何を同情する必要があった。悪は悪だ。幾百の人々が当たり前にある幸せを踏みにじられて、死んでいったのだ。


「...凄まじい力、あの器にこれほどまでとは」


今まで沈黙をしてきた女の隣に立っていた老人が呟くと、女は目の前で変化していく人間を睨み付けた。


先程までただの障害物であった人間が徐々に変貌して、髪の一部が白く染まり、それと反するようにアカツキの体から漆黒の魔力が可視化出来るほどに漂い始める。


例え目の前が漆黒に染まろうとこの怒りと、あの思い出がある限り自分はここに存在している。ならば、もう恐れることはない。


「ふぅ...」


大きく息を吸い込んで、アカツキの姿がネオの視界から消える。いや、飛んだのだ。地面を蹴りつけて、アカツキは一直線に中心で無尽蔵の泥を生み出している女の下へと。


少しの滑空の後、アカツキは足に闇を集中させ天井をも駆けていく。先には行かせまいと天井に流れていた泥から人の腕と、多種多様の顔を持った獣の口が現れる。


一瞬で生成されたそれらをアカツキはしっかりと目で捉えていた。重い柄から刀身を抜き出し、迫り来る腕を切り裂き、空いていた方の手を前方に突き出すとそこから大量の闇が溢れ、泥を飲み込んで、砕いて、バラバラに崩していく。


それと同時に鼓膜がシャットアウトした。ありとあらゆる音が世界から消えて、敵を認識するのに使えるのは白黒になった世界しか映さない両目だけ、それでもアカツキは止まることはない。


「防衛ではなかったのか、後ろががら空きだ」


アカツキの進行を阻む泥の壁と同時に、術式を展開していくネオの前に泥人形が姿を現す。


アカツキの妨害に力を回しているためか、数は少ないがそれでも無防備なネオを殺すには容易いだろう。


心臓を貫き、頭を砕くために伸ばされた腕は泥を瞬く間に侵食して現れた黒い鎧姿の騎士に切り落とされる。アカツキによって自立することを許された闇の断片は兜の隙間から赤々と光る眼光を覗かせながら、何も言わずに泥から生まれ落ちる死した人形を切り伏せていく。


「ぶ...っ!!」


明らかな容量オーバーであった。ただでさえ、この泥を上書きするための闇を生み出す魔力を集中させて、そこから形を創造して、それに使命を与えて自立させるにはどうしたって多量の魔力と、それに見合う力の使い方、経験が要求させられる。


力を使いこなす為の経験はない。となれば、当然勝手に暴れまわらないように魔力を大量に集中させるしかなかった。


アカツキの命令に反する行動をすれば即座にネオを守るための盾となるように分解される。そういった風にするのにも魔力の要求があった。


「か...ふぃ―――!!」


心臓が締め付けられるような痛みに耐えながらアカツキは目の前に立ち塞がった泥の壁を両断する。


神器の媒体となったユグドの剣の刀身がアカツキの魔力を吸収して黒く染まっていく。


しかし、アカツキは力を得るために多くのものを払いすぎた。音に、指や足に、体の感覚など、この戦いで支障にならないものを最初に捨て、その後に痛みを代償に力を使い続けた。


集中するにしても、あまりにも多くの痛みや違和感を意識しないなど未熟なアカツキにとって出来なかった。


泥の壁の崩壊と共に背後から迫る鋭利に尖った泥の槍がアカツキの腹部を貫き、上から現れた大きな腕にアカツキは地面へと叩き付けられる。


「あ、ガァァァァァァ!!」


上からのし掛かる重圧に潰されないように腕力だけで抗い、腹部から大量の血がドボドボと流れていく。


―――死ぬな。少しでも多く、あの女を自分だけに集中させろ。


「...お疲れ様」


ふっ、と上からの重圧が消えるとアカツキの目の前に移動していた角の女がアカツキの顎に触れる。


すると、不思議なことに痛みが消える。


僅かに残っていた心臓の鼓動が異様に静かになり、体からありとあらゆる感覚が抜け落ちていく。


そして、いつの間にかひんやりと冷たい泥に飲み込まれながら上から女の姿を見ていた。


どうやってかは知らないが触れられただけでアカツキの体は天井へと叩きつけられ、質量を持たない泥に吸い込まれていく。


アカツキがこれ以上抗わないようにと周囲から腕がアカツキの顔や腕、足を掴んで泥の奥深くへと飲み込んでいく。


『死ねる泥よ、飲み込みなさい』


アカツキの消失と共に上下右左、ありとあらゆる方向から泥が溢れ、地下を全て飲み込んでいく。泥に飲まれているというのに相も変わらず重さなどは感じないが、溺れているかのように息をすることが出来ない。


泥の本流に流されながらもネオは決定打となる術式を展開するのを止めることはない。息を止められ、凄まじい腐敗臭に鼻腔を犯されながらも、意識を失うまでは止めることはない。


泥に刻まれていく白い紋様が流れに合わせて狐の仮面を付けた男達やアカツキの下へと流れていく。


白黒の世界、輝きすら写さないアカツキの瞳が唯一輝いていると感じる。


それを見て、俺はどう思ったのだろう。


多分、こう思ったんだ。


―――あぁ、綺麗だな、って。


「え...?」


「何だ、これは」


信仰都市の地下で繰り広げられる一方的な捕食、それにようやく気付いたのは地上で剣を交えるリアとアマテラスの一人と一柱だ。


彼女達が地下に現れたこの世ならざる者に気づけなかったのはただ単にこの世に存在しないものだったから。


魔力や、この都市でのみ使われている呪力とは違い、元々この世界には存在しない力なのだから当然それを感じるための術を持たない。


それでも、彼女達が地下の異変に気付いたのは単純明快。感じることの出来ない力ではなく、彼女達が感じる力がまるですぐ目の前に居るかのように地下から放たれているからだ。


ボンヤリと日が昇りつつあった信仰都市を再びの暗黒が飲み込んでいく。ここよりも離れた場所、最初にアカツキ達が訪れた町にも届くほどの闇が空を飲み込んでいく。


「なんだ、これは」


神社の中から指示を飛ばしていたダオが境内に出るとそこには異常な光景が広がっていた。


「全住民に避難警告を出せ!!決して家から出させるな!」


ダオの命令と共に緊急事態だと収集させられた狐の部隊が信仰都市全土に放たれる。そのあともう一度ダオは闇に飲み込まれた空を見やる。


空を覆い尽くした闇には、あまりにも禍々しい特徴があった。


「災厄の日は、今日なのか?」


書に記されていた日、その日こそがダオが恐れる災厄の日であり、今までその予言が外れてきたことはない。だからこそ、考えたくはなかった。


「どう対処すればよいのだ...これ以上のことに」


これは災厄が起きる前の前兆に他ならない。


―――見ている。見下ろしている。


空を覆う闇には無数の瞳が存在し、ダオだけでなく信仰都市全てをぎょろぎょろと焦点が定まっていないかのように蠢き、地上にあるもの全てを観測している。


それらを見た住民の反応は当たり前のものであった。


子供があまりの恐怖に泣き叫び、自分の家族を守るために手を引いて走り出す夫、若くして夫を失くして女手一人で子供を育てる女性は家の中に入ると全てのカーテンを閉じて恐怖で震える我が子を抱き締める。


日課の散歩にいた老夫婦を独り暮らしの男性が急いで自分の家へと避難させる。


金を持たず、住む場所もない者達は橋の下に集まり、嗚咽を溢しながら寄り添い、意識を失った住民を狐の仮面をつけた者達が避難所へ連れていく。


「これ、アカツキ...だよね」


「あぁ、おそらくは」


二頭の狼を宥めながらガルナとナナの二人が空を見上げていた。その二人を空にある無数の瞳が見下ろしている。信じられないと言った様子の二人に声を掛ける者が居た。


「―――行きましょう、立ち止まってなんていられません」


クレアが空を覆う瞳を見て立ち止まる二人を非現実的な光景から現実に引き戻す。


「...ぁ。そうだった、こんなことになってても行く場所は変わらない」


「多少位置が移動しているようだが、そう遠くない。アカツキの所へ行くぞ」


狐の仮面を付けた者達に怪しまれぬ様に奪った衣服を着て、狐の面を付け直した三人組は歩みを進める。


―――信仰都市にまだ日は昇らない。

綺麗で、とても鮮やかな景色だ。


あの薄く光っていた紋様のように、空から差す太陽の光を浴びながら花畑に一人だけで立っていた。


一人だ、独りだけで、孤独に、可哀想に立っている。


やがて立っているのが辛くなって花畑の中で仰向けに倒れた。そして、目を閉じてみる。


―――その先は、どこまでも続く暗闇だった。


目を開くと、変わらない景色。変わらずに煌々と輝く太陽に、白い雲。


――――――青く、蒼く澄み渡る空が憎たらしいほどにアカツキを見下ろしていた。

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