幕間の物語<知らない真実>
カーテンの隙間から指す光がいまだ目を覚ますことなく眠り続ける少年の顔を照らす。
クルスタミナとジューグによって引き起こされた暴動はアカツキがクルスタミナを殺したことで、ようやく終結した。
クルスタミナの死により、奪われた記憶の数々は元の持ち主の下へと変換され、改竄後の数ヶ月の記憶の上に上書きされた。気づけばあまりにも長い時間流れていて、更には町が破壊されていたのだから、記憶を取り戻した住人達はそれはもう驚いていた。
各地で混乱が相次ぎ、半ば第二の暴動が起きようとしていたが、この都市を統べる理事長、イロアス・イスカヌーサによる奪われた数ヶ月の説明と、クルスタミナとその一派による暴動により、学院都市はこのような事態になったのだと説明されたが、それでも彼等は困惑を隠せずにはいられなかった。
だが、イロアスに協力するように教会の大司教、キリス・カラミルドによる説明の補填と、この事態を引き起こすに至ったのが、他でもない、人の力を遥かに超えた異質な存在、神器メモリアによるものだと聞いた住民達はようやく事態を飲み込むことが出来たという。
流石は世界に絶大な影響力をもつ教会の大司教、彼等の言うことは真実であり、絶対の言葉。それも大司教クラスの人間の言葉にはそれ相応の意味と、責任が伴う。
普段は静観を決め込む彼がイロアスに協力した理由は二つ、一つはただ純粋に混乱した都市の一刻も早い収拾、二つ目はアカツキとの話し合いの場を設けることをイロアスに約束させたからだ。
だが、当の本人はあの暴動以来、三日もの間目を覚ましてはいない。改竄後の記憶を持たない一般市民らにとってはアカツキという人物が本当にこの都市を救った英雄なのかと疑問に思っているだろうが、今ここにいる彼女は違った。
「アカツキさん」
一日に何度か必要とする魔力の供給、自身で魔力を補給できないアカツキにとってそれは生命を存続させる為のライフラインである。
「おや、クレアさん。いらっしゃっていたんですか」
そこに白衣を着た青年、アオバが扉を開けて入ってくる。
体の外側だけでなく、内側も大きな損傷を負っていたアカツキを一日がかりで治療をした、クレアにとっても仲間を救ってくれた恩人でもある人だ。
「体の方は順調に回復しています。ですが、彼の場合、あまりにも無茶をしすぎたんです。精神的にも大きな疲労が伴っているんでしょう」
「はい。それくらいの無茶をこの人は平気でしちゃうんです。私を救ってくれた時も、この人は無茶ばっかりして...」
アカツキの手を少しだけ力強く握り、クレアは窓から遠くを見やる。
「両足と右腕の欠損だけでなく、内臓はスクランブルエッグ状態、彼が治りやすい体質であっても、あれはあまりにも酷すぎた」
「それを全部治してくれたんですから、アオバさんには頭が上がりません。本当にありがとうございました」
「いえいえ、医者として当然のことをしたまでです。それに、彼はこの都市を救った英雄だ。それを知っているのは僕たちと僅かな人達ですが、それでもこの都市を救うには彼という存在があまりにも大きすぎた」
神器メモリアに対抗するには同じ神器を身に宿し、更にはその効力を無力化するという彼だけが持つ特異な力が無ければ成せなかったことだろう。
「グラフォルさんやアスタさんが言っていましたが、彼と初めて会ったときはまるで別人だったとか、今の彼を見ていると、彼らが初めて会った時の彼の姿がどうしても重ならないんですよね」
「きっかけですよ。アカツキさんが大きく変わったのにはそれなりのきっかけがありました」
大切な人達との別れ、それは大きな絶望をアカツキに与え、彼を死に追いやった。そんな彼を救ってくれたのは他でもない死んでしまった大切な人達であった。キュウスに励まされ、もう一度この世界で生き抜くことを誓った。
「穴の空いた心臓を埋めた神器、その神器が彼の体を使って暴走した。色々と思うところはありますが、神器が意思を持つというのは新たな発見でしょう。古から神秘の存在として、謎に包まれていた神器という存在。しかも、その神器が人を救ったとなれば、教会はこう解釈をするでしょう」
アオバはクレアにだけ聞こえるくらいの声で呟く。
「神に選ばれた人間だと」
教会という名前に反応したクレアはアオバの顔を見て、口を開く。
「神に選ばれた人間?そんな人がこんなボロボロになるわけないじゃないですか。アカツキさんは選ばれた人間なんかじゃありません。ただ、自分の信じた道を進む、ちょっとだけ強い人なんですよ。痛いことは痛いし、辛くて苦しいこともある。私達と何ら変わりませんよ」
「そう言ってくれる人が入るだけで彼は救われるでしょうね。教会がアカツキさんを認識してしまった時点で、これから様々な所で彼等は接触してくることでしょう。だから、貴女は決してアカツキさんを彼等に渡してはならない。たとえ、彼が望んだとしても、貴女達が止めてください」
アオバはアカツキの容態の確認と、伝えたいことを伝え終えて立ち上がり、ドアノブを捻る。
別れ際に、アオバはもう一度クレアに念を押すように忠告する。
「教会は信じてはならない。極力、彼等に関わらないようにしてください。...それでは、僕はこれで」
「はい。わざわざありがとうございました」
アオバを見送り、クレアはもう一度ベッドの隣に置いてある椅子に腰掛ける。
まだ、目を覚ます様子はない。けれど、それでいいのだ。
彼はあまりにも頑張り過ぎた、多少の寝坊をしても誰も怒らないだろう。辛い現実を目の当たりにするのは、まだ先でいいのだから。
「...ウーラさん。居ますか?」
アオバは病室を出て直ぐに、ある女性の名前を呼ぶ。
それに反応するように暗闇のなかから片目を糸で縫い合わせている女性、ウーラが現れる。
「はいはーい。アオバ君の及びに答えて参上ですー!」
彼女も教会の人間ではあるが、その教会から自由に動く権利を与えられており、教会に協力する必要のない、アオバが唯一信じれる女性だ。
「アカツキさんは、どうでしたか」
アオバが自身の過去と、教会の行ってきた虐殺の歴史をアカツキに伝えたときに姿を現した彼女はアカツキという人間を危険視していた。
この戦いで、アカツキという人間がどういうものか分かったはずだろう。
「あんなボロボロになってまで守るために戦った人を、まだ疑ってますか」
「...大体何を言いたいか分かるよ。私の采配次第ではアカツキ君をバーサーカーやシヴァに所属させ、教会が手を出せないように出来る。けど、それをするのは私だから、アカツキ君を私が信じてなければ出来ない。でしょ?」
そう、彼女の特権を持ってすれば、教会がアカツキに何かしらのアプローチをする前に、こちら側へ連れていくことで、彼に害を与えるようなことをさせない抑止力となる。
彼女が創設した魔獣専門の部隊バーサーカーや、都市壊滅部隊シヴァは最早教会の持つ戦力すら凌駕しつつある。それに加え、ウーラを敵に回せば、圧倒的な再生と、死者の蘇生という禁忌にして、圧倒的な力を持つアオバを敵に回すことになる。
相手は疲労するということもなく、戦力をいくら削っても殺された人間達の一部はアオバによって蘇生される。そんな彼等を教会は敵に回すようなへまはしないだろう。
まだウーラがアカツキを信じれていないか疑問だったが、それも彼女の口振りからして、大丈夫だろう。
「アカツキ『君』ですか。気に入って貰えたようで何よりですよ」
「アハハハ。バレちゃった?うん。危なっかしいことが多いけど、興味が出てきたから特別に席を作ってあげる」
そう言って、早速準備に取りかかるのか、その場を去ろうとしたウーラは別れ際に思い出したように立ち止まり振り返る。
「あとで私からも言っておくけど、アカツキ君が起きたら、あんまり抱え込みすぎるのはよくないよって言っててね、アオバ君」
それだけを告げるとスキップしながらウーラは闇の中に溶けていく。その場に残されたアオバは、アカツキが目を覚ますまでの間、教会の大司教キリスがアカツキと話し合いをする前に数人の用心棒を頼んでおくことにする。
保険はかけておいて損はない。これもアカツキの為なのだから。
......。
クルスタミナの残した爪痕はあまりにも大きく、彼の死後もいつ敵がもう一度現れるか分からない恐怖と、いつの間にか奪われていた友人、家族を想い、途方に暮れるもの。イロアスは学院都市の復興よりも、人々の心のケアを最優先に、各地の避難所に出向いていた。
夜も深まり、ようやくイスカヌーサ学院の理事長室へ戻ってこれた彼の下へある二人組が訪れる。
「やぁ、久しぶりだね。こんな時間になるまで待たせてしまって申し訳ない」
「この都市の惨状を見たらその多忙さも分かるから大丈夫。私もその苦労を最近まで味わっていたしね」
農業都市でNo.1の称号を与えられた少女、その風貌は自身と同じ時を過ごしたにしてはあまりにも若すぎることにイロアスは疑問に思う。
「その容姿、僕が居ない間に色々とあったのかい?」
「あの大穴の中に居たのなら分からないのも当然ね」
アカツキが学院都市に居た間に、彼女もようやく女として振る舞うことを出来るようになり、口調も少しだが柔らかくなっていた。
アズーリは彼が異界ともいえる大穴で過ごした何年という年月の内に起きたことを知っている範囲で説明する。そのなかでイロアスが興味を持った話は3つ、1つは一部都市間での反発が強まり、戦争が起こっても不思議ではないこと、2つ目はアズーリが魔獣の血という人にとって猛毒であるものを飲まなければ死んでしまうという、あまりにも人が作ったにしては完成しすぎている誓約を強制させる依存の魔法、最後は...。
「アカツキ、彼自身も知らない。アカソラシウンという人間についてだ」
これは決して誰にも聞かれてはならない話だ。この話を知っているのはアズーリとイロアス、そしてこの部屋を一時的に認知されないようにしてくれている彼の友人、そして―――。
「君の婚約者、アラタ君。失礼だが僕の知っている彼の顔とは全くの別物だけど、彼は本当にアラタ君で良いんだよね?」
「うん。彼は私のワガママで付いてきて貰ったからね。仮にもトップの人間が護衛の一人も居ないのは心配だって、だから一番信頼出来る人にした」
「アラタ君の話も随分と興味深いが、今は聞かないでおくよ」
「あぁ。今はアイツのことで話した方がいい。俺なんかの話は後でいくらでも話せるからな」
密談の夜、誰にも知られてはいけない、決してアカツキに知られてはならないアカツキの秘密。それが何なのかを知るのは、その四人だけだ。
......。
今日は雲も無くて、夜空に輝く星々がとても見えやすい。人の声も聞こえず、とても静かな夜だった。
「...アカツキさん」
そんな夜中までクレアはアカツキのいる病室で彼の目覚めを待ち望んでいた。
激しい戦闘により、彼はいまだに目覚めることなく眠ったままだ。彼がそれほどまでに守りたかった景色はきっとこれだろう。今は人通りもなくて寂しいけれど、いずれは人が行き交い、当たり前の日々が送られるだろう。
夜空を見上げて、クレアは一人思案する。
彼にこのまま旅を続けさせていいのかと。
農業都市を出て、初めて訪れた都市でこんな事態が起きてしまった。アカツキという人間が来たことにより、その都市で異変が起きる。彼が危うい均衡を保っていた学院都市に訪れたことにより、その均衡は崩れ、このような大惨事が引き起こされた。
いや、正確に言えばこの都市の均衡を崩したのはアカツキではない。
彼のベッドの隣に立て掛けられた剣を見る。
それは、この剣の持ち主であるユグドが『これは俺の剣じゃねぇ。大方神器でも宿らせたんだろう』と言っていたもの。
この神器がアカツキの心臓の傷を塞ぎ、体だけを蘇生させた。あまりにも突拍子のない話だが、それくらいのことが出来てしまう力をこの神器は持っている。
これが全てを狂わせているのだ。
「......こんなものなければ」
クレアはその神器が宿っている剣に手を伸ばし、いっそのこと壊してしまおうかと考える。
そんなクレアの手が、ある出来事により止まる。
「...アカツキさん?」
クレアがこの災禍を呼んだ神器に手を伸ばしている時に、夜だと言うのに妙に赤く光っている瞳でクレアを見つめながら、クレアの手を止めていた。
クレアが疑問の形でアカツキの名を呼んだ理由は、そのあまりにも異質な瞳の色と、優しかった彼からは思いもつかないほどの殺気のような肩にズシンとのし掛かる何かが発せられている。
「...?」
だが、それも一瞬の出来事で一度の瞬きと共に目はいつもの黒瞳へ戻り、肩にのし掛かっていた重圧感も消え去っていた。
「あれ、ここはどこだ?」
突然目が覚めるとそこは病室のような薄暗い部屋、そして―――。
「クレア...?あぁ、そうか。全部終わった後なのか」
目の前にいるのはあれほどまでに無茶をしてまで守りたかった仲間、クルスタミナにより改変された世界とは違う、本来の正しき世界でようやくアカツキは命をかけてまで守りたかったその人に会うことが出来たのだ。
「どうしたんだ?そんなきょとんとした顔して。ところで俺は何日くらい...」
アカツキが最後まで言い終わる前にクレアはそのベッドにいる彼のもとに飛び込み、安堵した声で。
「良かった...。本当に...アカツキさんは無茶ばっかりして!」
少し怒ったように、それでいてアカツキが目を覚ましたことを安心するように、クレアはそう言うのだった。
それもそうだろう。農業都市と学院都市と、彼は無茶しかしていないのだから。
「―――うん。今回は本当に心配させた。ごめんな」
上に乗っているクレアの瞳から冷たい雫が落ち、アカツキの頬を伝う。長く待ち続けた再会を噛み締めるようにアカツキは少しの間胸の中で涙を流すクレアの頭を撫でていた。
......。
クレアがひとしきり落ち着くまで待ち、その後に自室でなにやら作業をしていたアオバの下へ向かった二人。
失われた両足と片腕はアオバの治療により無事に取り戻し、多少の歩き辛さはあるものの、ここまで来れたのだから一先ずは安心だろう。
「無事に目が覚めたようで何よりです。カナスラさんに連れてこられた時はあまりにも外傷が酷すぎて、なんで死んでいないのか不思議だったんですから」
「はい...。すみませんでした」
アオバの前で正座をさせられて反省をしているアカツキ。その様子を見て強く怒れないのか、アオバはやりきれない顔でため息をこぼす。
「あなたが神器の影響で治りやすくなっていてもあれほどの傷を負えば無事に済むはずがないんですよ。今回は僕がいたから無茶出来たんです。そこのところもよーく理解してくださいね?」
「本当に迷惑ばかりかけてすみませんでした...」
アオバに少しの間絞られたあと、ようやくアカツキは正座から解放され、近くにあった椅子に腰掛ける。
「まぁ、安心しました。これからはこんな無茶は避けるようにしてくださいよ?僕が居なかったらこんな傷を治すのはまず不可能ですから」
そう。今回は特例に特例が重なっただけ。アオバが居なければ今ここにアカツキは立っていない。そのことをよく理解しろと彼は言っているのだ。
「分かってる。もうこんな大怪我をするような無茶はしない」
その言葉を聞いてようやく許してくれたのか、アオバは病み上がりのアカツキを気遣るように部屋へ戻るように促す。
クレアもその後に続いてアオバにお礼をして部屋を立ち去ろうとしたときに、少しだけ焦ったようにクレアだけが何故か呼び止められる。
「あぁ、そういえば。クレアさんにお届け物があったんですよ。少しだけ待っててくれませんか」
「そうですか。アカツキさん、先に戻っててください。私も直ぐに行きますから」
「おう」
クレアはアオバの様子から何かを察したようで、特に違和感を与えないようにアカツキだけを自室へ向かうように誘導する。
そのことに気づかないアカツキが部屋を後にすると、クレアは振り返り。
「......何故アカツキさんだけを?」
「理由は簡単です。この話は彼に気づかれてはならない。だから貴女だけを残したんです」
アオバは椅子から立ち上がり、たくさんの資料の山から一枚の紙を取り出し、クレアに渡す。
「これは?」
「アカツキさんが眠っている間に色々と調べさせてもらいました。この世界では異常と言える治癒能力、腕と足を失い、腹に穴を開けられ、瀕死の状態だったグルキスさん以上に流れた血、鬼と同化した影響で体の構造が変わりつつあったミクさんとは違い、彼は心臓以外生身の人間のはずだ。そう思って調べたんですよ」
アオバはクレアにも知らせずにそんなことをしていたことを謝った後、顔を曇らせる。
「結果ですが...。やっぱり最悪の事態でした」
その資料に書かれていた文字と何枚かのレントゲン、今持てる最新の技術で彼を調べたのは一目瞭然だった。だからこそ、そこに記されていた内容が信じられなかった。
「なんで...。こんなことに」
「...あまりにも彼は無茶をしすぎた。それに尽きます」
アカツキの体にはおおよそ人が持っていていい量を遥かに越えた魔力と、性質の異なる魔力の混在による、体への大きな負担。
そして。
「―――彼の体の大半はもう、人のそれではない。この性質は殆ど神器のものです」
あぁ、そういうことだったのか。
彼が目覚めたのは体が十分に回復したからではなく、クレアが神器の核である剣に悪意をもって触れようとしたこと。
「彼が起きたときに違和感があったはずです。詳しく聞かせてもらえますか」
アオバの質問にクレアは包み隠さず全てを打ち明けた。神器に触れようとひたことで強制的に目覚めたこと、アカツキとは思えない程に凍てついた目と、殺意に近い何かを感じたこと。
「...であれば、今のアカツキさんの体を動かしているのは彼では無いのでしょうね」
「なら、早く戻って止めないと...!!」
走り出そうとしたクレアを制したアオバは言った。
「こうなるのは大方予想できてました。あの司祭がアカツキと話すことを異常なほどに望んだことや、彼の状態を見れば大体分かってましたから。だから安心してください」
「けど...」
「―――僕が一番信頼出来る強い人に頼んでおきましたから」
場面は変わり、暗闇の中を一人の少年が歩いていた。いや、今の彼を動かしているのは少年の魂などではなく、全くの別物だ。
「さて。あの医者なら大体察しはついているかな。捕まる前にやることをやって一旦雲隠れするか」
少年が左手を突き出すと、何もない空間から這い出るようにアカツキが譲り受けた剣が現れる。
「それにしても神器の核を宿すほどの触媒なんて、この世に数えるほどしかないというのに、アカツキは本当に恵まれた環境で生まれたものだ」
だからこそ、彼を悲しませないようにこの男は神器を振るう。ただ無意味に奪うのではなく、アカツキが傷つかないように奪うのだ。
闇に溶け込むように気配を消したアカツキが音もなく通路を渡る。だが、あまりにも静かすぎる空間のなかで、その者を止める人間がいた。
「お?アカツキ、起きてたのか。何だよ、それならすぐに私の所に来いって」
そこに立っていたのはアカツキに初めて戦いかたを教え、彼が心の底から信頼し、慕っていた師匠である女性、リリーナだった。
相変わらず女とは思えない荒い口調だが、仮にも師匠であるリリーナにもバレないように少年は口を開ける。
「今行こうとしてたんだよ。ほら、師匠にもこの剣を見せておかなきゃと思って取りに行ってたから遅くなったんだよ」
「ふーん。ま、そういうことにしておいてやる。んで、体の調子はどう?ボロ雑巾みたいになるまで戦ったんだから、まだ快調って訳じゃないんだろうけどさ」
「ボロ雑巾って...。酷いこと言わないでくれよ。まぁ、結構体を動かすのも辛いけど、色んな人に会って、謝ったり、感謝したりしないといけないからさ」
いつもと変わらない。何気ないようで優しい人間の話し方だ。
「そうか。まだ会わなきゃいけない奴等がいるならあんま長話してらんないな。ほら、貸してみな。神器ってやつがどんなものか私も分かんないけど、あんだが見せたがってたんだ、あんまり参考にならないだろうけど、私から助言出来ることは言ってやるさ」
...渡していいのだろうか。
ふと、彼の脳裏をそんな言葉が過った。
この剣に何かあれば、自身にも多少なりとも影響は出る。だが、リリーナは自分の正体に気づいていない。それもそうだろう。この言葉の数々はアカツキと共に同じ景色を見て、彼の思想を誰よりも理解してるからこそ分かるのだから。
「あんまり叩いたり蹴ったりしないでくださいよ?」
「私がそんな狂暴な人間に見えるかよ」
「え...?だって、か弱い女の子の骨を何本も折るような人に狂暴もなにも...」
そう。彼はこういう風に時々冗談を言って場を和ませようとする。嫌みなどではなく、あくまで人との間柄を深めるために冗談だ。
「あれはあんたがよく分からん薬のせいで変わってただろうが!それに、ボコボコにしてくれって、お前から言ってたじゃねえか!」
「そんなに怒んないで下さいよ。冗談なんですから」
少しだけ笑みを作った少年はリリーナに自身の持っていた剣を渡す。ここでリリーナに攻撃を仕掛けても一撃で仕留めることは不可能だ、ならばここは早くこの場を離れることが最優先だ。
「ふーん。確かに普通の剣とは違うみたいだな」
リリーナは興味深そうに剣を眺めて、鞘から白く輝く刀身を抜き出す。
「師匠、どうですか?」
「そうだね。約束通りこの剣に見合った使い方を教えてやんないとね」
リリーナは神器を返す為に少年の下へ近づき、助言を行う。
「そう。―――アカツキにな」
アカツキの中に住まう何かが予想していた未来、それをリリーナはいとも簡単に砕く。
「......!!」
突如少年の体が宙を舞い、地面に叩き付けられる。予想外の出来事であったことと、あまりにも一瞬の出来事で背中を廊下に強打した少年、だが、それに動じることなく少年はにやけた顔でリリーナを見上げる。
「いきなり酷いじゃないですか。何してくれるんです。―――師匠」
「てめぇの物でもない顔で二度とその言葉を言うな。それとアイツの真似事のつもりか知らないけど、今度にやけた面したらぶっ殺す」
「...ハッ。随分と弟子想いな人だ。それで、この後僕をどうする。ぶっ殺すとか言ってもこの体はアカツキの物だ。君では傷を付けることすら...」
攻撃を行われることは無いとたかを括っていた少年の右腕が、リリーナの手によりねじ曲げられる。
「......は?」
何が起こったのか分からないという顔、それもそうだろう。リリーナが何の躊躇いもなく弟子であるはずのアカツキの体の一部を傷つけたことのだから。
「っ...!正気かよ、あんた」
「生憎とこっちには優秀な医者が居るんでな。けど、あんたにも痛覚があるようで安心したよ。腕をへし折っても痛みが無いんじゃ拷問になんないから」
「弟子に拷問...?随分とまぁ冷徹なししょ...」
最後まで言葉を言い終わるよりも早く、次に左腕がへし折られる。耐えられるとはいえ、それはとてつもない痛みを伴っているはずだ。
少年の頬を冷や汗が伝い、ポタリと床に落ちていく。
「私は言ったはずだ。その顔で師匠って呼ぶなってさ」
「...何が目的だ。僕としてもこれ以上一方的になぶられるのは嫌なんでね。多少の無理難題になら答えられるよ」
「物分かりがいいんだな。神器の力を使えば私を振りほどくなんて容易いくせに」
「...そんな殺意満々の顔で言われてもね。アオバとかいう医者は死者蘇生までしてたのを思い出してね。下手すればこちらが殺されかねない」
リリーナの眼光がぶれることなくアカツキを捉えている。例えこの場から離脱しようとしても彼女の腰に掛けられた剣が首を切り落とすだろう。
「それに、この体はあくまでも彼のものだ。僕がそう易々と神器の力を使えるはずがない」
「...付いてこい。途中でクレアとアオバが合流する。そうしたら傷の治癒と束縛を行う。もし変なことをしようとしたら分かってんな?」
リリーナに連れられるがまま、少年は引きずられるように薄暗い廊下を歩いていく。リリーナの言っていた通り、途中でアオバとクレアの二人に合流し、傷の治癒と身動きを取れないように特殊な材料で作られた枷を付けられ、リリーナ達ははさびれた町を進む。
「リリーナさん、少しやりすぎでは?僕としては力の差を見せつけて無事な状態で連れてくると思ったんですが」
「...わりぃ。ちょっとイラついてて」
「つまりは八つ当たりという訳だ。可哀想に、アカツキの体。今は痛みを感じないとはいえ、彼が知ったら悲しむだろうに 」
その苛立ちの元凶である少年をリリーナは何も言わずに睨み付けると、ムスッとした顔で押し黙る。
「それにしても、不思議なものですね。二重人格のようなものでしょうか、一人の体に複数の魂。あなたはアカツキを守るために表に出てるんですよね。彼の自己防衛のようなものなんですか?」
「さぁ、そこら辺はご想像にお任せしますよ。お医者様」
「...なんでしょう。リリーナさんの気持ちが少しだけ分かった気がします」
「ほらな」と自慢げにリリーナは言うが、半ば八つ当たりでアカツキの両手をへし折ったことに変わりはない。
「それにしても酷い有り様だね。君達は一体何をしてたんだ。あれっぽちの人形でこうも町を徹底的に破壊されるなんて」
「立て続けにたくさんのことが起きましたから。貴方ならこの惨状になる前に対処できたと?」
「正確に言えばアカツキならば、だ。今の彼の戦いかたなら、多人数に対しては猛威を振るう。今回はクルスタミナに対する唯一の対抗策だったから仕方ないけどね。とはいえ、そちらにはグラフォルが居たはず。彼の霧なら敵の数関係なしに制圧することは容易いはずだ」
「農業都市から来た方々にもそれ相応の理由があってわざわざここまで来てくれたんですよ。やらなければいけないことは人それぞれ、今回は何よりも優先すべきことが彼等にあった、それだけです」
グラフォル、アスタ、グルキス、それと彼等に引き連れられてきた者達も、それぞれのやらなければいけない仕事があったから。
そうアオバは言っている。
「ふん。人の命より優先すべきことか、それはさぞかし崇高なものだ」
「...えぇ。彼等は小よりも大を選んだ。局所的に思えた襲撃も、黒服の集団による陽動作戦のようなもの。本来の目的は学院都市の完膚なきまでの破壊だった。僕らを苦しめたのが質ならば、他の町を苦しめていたのはあまりにも膨大な数だった。アスタさんはその供給を絶つために大城壁を築き、グラフォルさんは各地を回って、守りを固めていた。それでも、―――まだ不満ですか」
「不満だとも。これは僕からの忠告だ。奪われた人間には気を付けろ。特にこの街には繋がりが濃い人間達が集まっていた。同級生、彼女、家族、学院都市の中心地で暮らしていたのは主に一族としてだ。それもクルスタミナに媚びへつらった人間ども。そんな奴等が目覚めたらいつの間にか全てを失っていた」
少年は言った。危機が過ぎ去った今でも、未だに残り続ける戦禍の種のことを。
「そんな理由で、はいそうですかと言えるか?誇りや人間として大事なものを捨ててまで英華を極めた学院都市の中心に住もうとした人間どもだ。金に貪欲で、何よりも地位を大事にする。クルスタミナの血族は小さい子供を除いた全員が例外なく殺された。新たなポストを手に入れる為なら下衆な人間どもは何でもするぞ」
長きに渡り学院都市を離れていた理事長、イロアスを糾弾して社会的な地位を奪うことや、大多数で反旗を翻すかもしれない。そういった災いの種がこの都市には残っているのだ。
「家族を愛し、地位や名誉がなくとも1日を平和に過ごせることを幸せに思える人間達なら、きっとこの苦しみや絶望を乗り越える。僕はそう信じてる。それと同等以上に一度人として終わっている人間どもの醜さは知っているつもりさ」
少年の話が終わると辺りに静寂が訪れる。今の話が正しいのか、間違っているのかはアオバ達にも分かっている。
長き戦いが終わっても、新たな戦いが起こってしまう。そう想像してしまうことすら恐ろしいから黙るのだ。
「随分と人間に詳しいんだな、あんた」
「なに、色々なものを見てきたからこそ分かることさ。君らも長い時を生きれば人間がどんなに醜いか分かるよ」
「けど、それをどうにかするために理事長は走り回ってるんですよ。あの人も何年ぶりかの地上で、体は万全ではないというのに、毎日のように今回の戦いで傷ついた人達と話している」
「話し合いごときでどうにかなればいいけどね」
「どうにかなりますよ。絶対に」
そこまで言い切れる自信がどこから沸いてくるのか知らないが、少年は取り敢えず話をここで一旦終わらせる。
「ま、よく覚えておくといいよ」
丁度長話が終わった頃、こんな夜更けにわざわざ歩いてきた目的地に一行は到着する。
「...屋敷?どうしてこんなところに」
クレアが到着して早々、信じられないという顔で巨大な屋敷を見上げる。
「ふん。さしずめ結界と、認識妨害の魔法だろう。ここまで巨大な屋敷を隠せるとなるとそれは凄まじい才能を持ち、それにかまけずに努力をしてきた人間なのだろうね」
「えぇ。僕もびっくりしましたよ。まさかこんな大きな屋敷がイロアスさんの帰還後突如として出現したんですから」
学院都市の理事長であり、最も大賢者に近いとされる人物ともなれば公に発表できない大魔法も存在すると噂されている。それを肯定するようにイロアスが学院都市を去った日に彼が住んでいた屋敷は消失した。
クルスタミナが死に物狂いで探しても見つけることは出来なかったという。
「何せジューグが学院都市の時間や空間を破壊してまで探していたんですから、きっとイロアスさんは禁術とまで言われる魔法を持っているのでしよう」
「ふん。よく教会の奴等はあいつを殺しに来ないな。それほどまでに知識を蓄え、その知識をも越える実力を持っている人間が居ればあいつらは世界の調整の為に乗り出すだろうに」
「まぁ、これも根も葉もない噂ですが、過去に一度イロアスさんも教会に拉致されているとか。その際に彼は教会の人間の過半数を無力化し、教会に力を示すことで粛清を免れたとか」
アオバの答えに少年は心底嬉しそうに笑いながら。
「教会も落ちたものだ。たった一人の例外に追い詰められるとは。昔の司祭共が生きていれば間違いなく今の上層部の老人共は殺されてるだろうね」
そんな彼の言葉を聞きながらリリーナは正面の扉を開き、中に彼等を誘う。
「そろそろ無駄話は終わりにしよう。私らが向かってるのは間違いなく化け物の下だ。その気になればアカツキの体を借りているあんたも追い出せるような人間だ。消滅したくなければおとなしくしてなよ」
「あぁ、そうか。つまりは用事があったのはアカツキではなく、僕か。僕がこうして表に出てくるのも予想通りだったってわけだ。まったく、つくづく上手くいかないものだね」
こうしてアカツキの体を借りて自分が出てくることさえ、彼等にとっては想定済みだったのだろう。
リリーナが言うようにアカツキを傷つけることなく、彼を追い出すことが出来るのなら目が覚めた瞬間に出来るのだから、それをしないにはそれ相応の理由があるということだろう。
リリーナ達と屋敷の中に入り、長い廊下を二十秒程歩いた場所にある部屋の前で一同の動きは止まる。
扉をノックし、リリーナは中に入る了承を得る。
「イロアス、リリーナだ。入るぞ」
扉を開けた先には大きな机と複数の椅子が用意されており、そこにはこの屋敷の主であるイロアスと、農業都市から来訪したアラタとアズーリが既に座っており、その横にはフードで身を包み、顔を見せない護衛と思わしき三人組。
「アズーリさん!?」
「久しぶり、クレア。貴女は元気そうで安心したよ」
数ヶ月ぶりの邂逅に驚くクレアと、優しげに微笑むアズーリ。会話の弾む二人を視界に収めながらリリーナは嘆息する。
「まだこれしか揃ってないのかよ」
「あぁ。招待した人達にもそれ相応の準備が必要だからね。ここに来るというのはそれくらい覚悟が必要なんだから」
これだけの人間がこの場に会したのだ、これからの話がどれだけ彼等にとって大切なものかはリリーナも大方察している。
「まぁ、これから集まってくるさ。ほら、折角人数分用意したんだから座ってくれ」
「んじゃ、遠慮なく」
「失礼します」
アオバとリリーナが先に座り、それに続いてクレア達が席につく。
「にしても、結構な人数を呼んだんだな」
未だに埋まっていない多くの席を見てリリーナは言う。
「ここに呼んだのは主にクルスタミナによる記憶の改竄が起きたあの時間を知っている者達だからね。アカツキとの繋がりが深かったものと、元々記憶の改竄を受けていなかった人間、そんな人達に招待状を送っておいた」
「......そりゃあ、どういうことだ?」
記憶の改竄は学院都市全土に行われたもの。しかし例外として、クルスタミナの一族のみが記憶の改竄を受けることは無かった。
つまりは、ここに来る人間の中に...。
「落ち着きなよ。幼子を除いてはクルスタミナの血縁は全員殺されている。アレットによってね」
「...え?」
アズーリの最後の言葉に、クレアだけが過剰な反応を示す。その様子を見たアズーリは一瞬目を瞬かせると、「誰も知らせていなかったのか」とため息を溢す。
「ガルナやラルースが言ってなかったんだ。それなのに私らが言うわけにはいかないさ。それにあの絶望的な状況で知ってどうする。これで間違っていない...。そう思うね」
「そんな...。あれは根も葉もない噂で、嘘なんじゃ...」
「本当のことだよ。クルスタミナの言うことを信じられなかったのは分かるけれど、私が嘘を言ってると思うかい?」
アズーリのこちらを見つめる瞳を見てクレアはようやく真実を受け入れるのだった。しかし、まだ聞かなければいけない。
「帰ってくるんですよね...?きっと、また皆で...」
取り戻せると思っていた。クルスタミナの野望さえ打ち砕けば変わらない日常が。この都市に来てようやく実感できた幸せを取り戻せると。
だが、クレアの悲しい願いは叶わない。新たな来訪者がクレアの希望を打ち砕く。
「ごめんなさいね、クレアちゃん。私達は連れ戻そうとした、けれどアレットはそれを拒んだの」
いつの間にか扉が開き、そこからラルースとガルナの二人が姿を現す。
クレアの希望を打ち砕いたその言葉を肯定するようにアオバは口を開く。
「実際、ガルナさんは焼死体で見つかりました。ぼくが蘇生魔法という外法を行使しなければ、もうガルナさんと会うことは無かったでしょう」
次々と知らされる信じられない真実の数々、全てがとても信じられないことばかりだ。
「取り敢えず二人とも座ってくれ。詳しい話は後々話すとしよう」
ラルースとガルナの来訪、その数分後にはアレットと長い付き合いがあったイスカヌーサ学院の一学年を取り締まる委員長、リゼットが到着した。
「失礼します、理事長」
「あぁ、入ってくれ。あと二人で取り敢えずは全員だね」
最後の一人、ミクは鬼との融合により未だ眠りから覚めないのでとてもではないが来れるものではない。ならば、学院都市で改竄される前の記憶を取り戻していた人間は一通り全員揃っていることになる。
一分ほどの沈黙の後、ドアがノックされる。
失礼しますという言葉と共に、ある女生徒が部屋の中へと入ってくる。
「紹介しよう。彼女が今回の事件で記憶の改竄を受けなかった人物」
「なんで...お前が」
その登場はこれまで学院都市で暗躍していたガルナにとっても予想外のものだった。あり得ない。一番ここに居てはいけない、最初にアカツキに記憶の喪失という絶望を与えたはずの女生徒が姿を現したのだから。
「カナスラだ」
ガルナは立ち上がり、カナスラへ問いかける。
「お前がアカツキと最初に出会ったんだ。なんでお前が...!!」
珍しく怒りを露にしたガルナを近くに居たラルースが諌める。
「僕もガルナに同感だね。驚いたのも事実だが、それ以上に理由が気になる。アカツキの一時的な人格変化の一因の中でも君との接触によるショックが大きかった。彼は君を救うために立ち上がり、共に学院都市でクルスタミナの悪事を暴こうとしていた。そんな人間に忘れられた、それはとてもではないが耐えられるものではなかったぞ」
そう。アカツキがクルスタミナの悪事を暴き、苦しむ人々を助け出そうと誓ったのはカナスラの記憶を体験したから。神器の断片であると言われている記憶化結晶との異常共鳴により、カナスラの傷つけられた記憶を自分のことのようにことのように体験したアカツキは絶対にこれ以上傷つく人が出ないようにすると誓ったのだ。
「許す許さないは後で決める。今、僕が聞きたいのはどうして、だ」
「...ごめんなさい。全部、作り物。あの記憶も、改竄後の私も。私は命じられたから、それが正しいと思っていたからやったの。―――けど、間違ってた。普通を演じてしまったら、もう人形には戻れなかった」
「あぁ、そういうこと」
リリーナがこの中で冷静に事の成り行きを見抜く。
「あんたさ、黒服の奴等の仲間だろ」
「...はい。私は最初からありもしない記憶を埋め込まれ、アカツキ君達と接触しろと命じられ、全てを上手く回すために用意された潤滑油です」
「...薄々気付いていたけど、ジューグっていう人間は想像以上に腐ってんな」
カナスラは決して子供を演じる大人ではない。外見同様の年齢を持った少女だ。幼い子供を魔獣に宿らせ、二十歳にも満たない子供を人形にさせる。
とてもではないが、誉められたものではない。
「だから、全部話しに来ました。これで全部償えるとは思っていません。だから、せめて真実だけでも皆さんに伝えたいと思ったんです」
最後の席は埋まらない。カナスラ以外の誰にも察知されることなく、記憶を保持し続けてきた者がまだいる。
......。
なんで、私はあんなことを聞いてしまったのだろう。
今更何かを変えられると思ったのだろうか。当たり前を失った世界で、当たり前のように生きていけたのはあの頃の経験が生きたのだろう。
潜入し、誰にも気取られることなく任務を遂行するのは得意だった。
「あいつ、また色々と無茶してた」
風呂場での遭遇。予想外ではあったが、記憶を持たない人間として演じきれた。―――ある一点を除いては。
『ねぇ、私はどんな人でなしだった?』
あんな風に言えば自分を罵ってくれると思ったのか。最初に出会った時とは違う。そんなのは理解していた。けど、あの頃のアカツキを知っているからこそ、私は信じることが出来なかった。
どこかで私を邪魔だと思ってるかもしれない。それを隠してるだけで、私が記憶を無くしてると知れば悪態をつくと思っていたのだ。
けれど、やっぱり彼は優しかった。自分のことを大事な仲間だと言ってくれた。
「ふぅ...」
もう一度心を落ち着かせる。この先には皆が待っている。私が知らない人間を演じていたことに気付かず、心配させないようにとしてくれていた人達が。
ドアをノックする。
すると中から「どうぞ」という言葉が返される。
ドアノブをカチャリと捻り、重々しいものを持ち上げるようにゆっくりと扉を開く。
「え...?」
「...お前まで、知っていたのか」
中からは聞きなれた声で驚く声と、歳に合わない若干低い声で唸り、手帳らしきものを持っている少年。
その隣では前髪で顔を隠している少女の姿、前髪で隠されて見えないがきっと驚いていることだろう。
僅かだが、関知していた魔力が一つ消えている気がする。だが、それもこれだけ人が集まっていれば間違えても仕方ないだろう。
「やぁ、待っていたよ。心を覗く人間にすら気取られないとは、恐ろしいまでの思い込みだ、それとも、気づかれてはいけないという強迫観念のようなものかな?」
「私は知りたかっただけ。それだけだよ」
こうして、最後の一人の登場により席は埋まる。
カナスラと同様に凄まじい衝撃を周りに与えた少女、ナナと三人の護衛を含めた十二人の集合により、ようやく話し合いの場が設けられる。
補足として、十二人とありますが、実際のところはアラタを含めた十三人となっております。アラタはナナに生きていると知られてはいけないので姿を隠しています。
それと、農業都市の称号はNo.(ナンバー)で、そのあとに続く数字は1(ワン)や2(ツー)ではなく、1(いち)、2(に)と読みます。