<手を伸ばした先に光はある>
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そこはとてつもなく真っ暗だった。足元すら見えないくらいの漆黒に包まれた世界に、ただ一人で立っていた。
右腕に感覚がない。体から感覚が徐々に抜け落ちていく。
「俺は...死んだのか」
結局のところ、思考の行き着いた先は自身の死であった。あの状況で、アカツキはクルスタミナの不意を突いた攻撃を避けることは出来ず、右腕を食い千切られ、残った体はあの巨大な口で丸のみされた。
敗北と死、負けたからアカツキは死んでしまったのだ。
だが、それにしても変だとは思う。死んだのであれば、あの何もない真っ白な空間に座っているはずなのだ。
少しだけ足に力を込めて歩いてみる。しかし、片方の足が突然消えたかのように感覚が消え去り、その場で大きく転ぶ。
あぁ、そうか。
全部思い出した。俺はクルスタミナに腕と足を奪われたんだ。
そして、ここは。
「いだいよぉ」
「くる゛しいよぉ」
「どぅ...し...てぇ」
―――人々の絶望が集う、まさしく地獄と呼ぶに相応しい場所だ。
「......」
上にのし掛かってくる亡霊達ごとアカツキは闇の中を這いつくばりながら進んでいく。
「お...に...ぃちゃ...ん」
「出してよぉ、苦しいよぉ」
「............」
アカツキに救いを求めるように亡霊達はアカツキを押し潰すようにのし掛かってくる。耐えきれない重みにアカツキは歯を食い縛って進み続ける。
「メモ...リア」
どこかにいる。この途方もない絶望と闇で満たされた世界のどこかにメモリアは存在している。
こんなボロボロになった体では、この世界から救い出せるのは極僅か、アカツキに救いを求める人々は既に終わってしまっている。どう足掻いてもこの世界から救いだすなんてことは出来ないのだ。
だが、神器であれば話は変わる。何かしらを媒体として生き長らえることが神器では可能なのだ。力は弱まってもそれで生きることが出来るのだから、きっと救うことが出来るはずだ。
精一杯抵抗した、あとはメモリアをこの肉体から切り離した後に内側から残った魔力で崩壊を起こさせる。
メモリアの助言、それはこの肉体の秘密であり、不死を実現させるという魔法が存在するというものであった。
であれば、多少の魔力を保持したまま、肉体へと侵入し内側から不死の魔法を無効化させる。そのあとは体ごと魔力を暴発させるなりすれば良いだろう。
あの巨体を覆う水晶は凄まじい魔法抵抗力を有しており、とてもではないが不死の魔法を打ち消すことは出来なかった。だが、肉体の中に侵入することが出来れば魔法抵抗力は弱まり、この終わりのない命に終わりを与えることが出来る。
けれど、その前にどうしてもメモリアを救い出さねばならないのだ。メモリアはあんなにも死を望んでいたというのに、アカツキはそれを許すことが出来なかった。
メモリアにも会いたい人が居るのに、その大事な人に何も言わずに死んでしまうなんてことはどうしても許すことが出来ない。
今思えばおかしな話だろう。メモリアと出会ってから1日と時間は経っていないというのに、こんなにも彼を救い出すことに執着してしまっている。
原因は、分かっている。
初めて会ったときから薄々どこかで気づいていた。
―――どこかで一度、この学院都市に来るよりも前に自分はメモリアを知っていた。それもずっと、気の遠くなる程前から。
進み続ける。この漆黒の果てに何があるかも知らずに。
───知っていれば、きっとこんな辛い現実を直視することも無かった。
「あ...あぁ」
その世界だけは景色があり、辺り一面が赤く塗りつぶされた花が咲き乱れていた。片腕、片足を失っているアカツキは目の前にある光景を呆然と見ていることしか出来なかった。
「...誰?」
皮膚の表面には脈動しているかのように赤黒い紋様が刻まれ、その少年の付近には積み上げられた無数の死体。この世界での死は、つまり記憶の消失を意味する。あれは魂の形だったもの、その形からは辛い記憶も、楽しい記憶も、全てが抜き取られ、ただの脱け殻としてあるのみだ。
メモリアは記憶を一片たりとも残さないためにその残骸を切り裂き、食い破り、己が糧としていた。
「まさか、外から来たの?」
「どう...して」
「あぁ、クルスタミナの肉体の内側は殆んど魔力の塊なんだ。だから現実世界と精神世界がぐちゃぐちゃに織り混ざっているんだよ」
口調も、子供らしい仕草も何も変わらない。けれど、本質が変わりすぎてしまった。あれは、人々の苦しみ、悲しみなどといった絶望が造り上げた化け物であった。
「お兄ちゃんは、美味しそうなものを持ってるね」
瞬間、アカツキの上にのし掛かっていた重みがすっと消えたかと思うと、どさどさと重さを失った脱け殻が覆い被さってくる。
メモリアの手にはアカツキが連れてきてしまった人々のと同数の頭が握られており、その断面から赤い滴がこぼれ落ちていた。
「苦しそうだったから、食べて上げるよ」
それを丸飲みして、メモリアは口回りを血で濡らしながら赤く染まった歯を剥き出しにして笑う。とても楽しそうに、それでいてアカツキを嘲笑うように。
「メインディッシュは...。じっくりと味わらないとね」
アカツキは目を閉じて、近付いてくる死神の足音を待ち続ける。ゆっくりとその足音を近づいてきて、アカツキに死を連想させていく。
「お兄ちゃんはゆっくりと、じっくりと食べて上げる。―――いただ...」
きます。と、そう言うよりも早くメモリアの体が何者かに吹き飛ばされる。アカツキが目を開けたとき、そこには―――。
「ごめんね、メモリア。今、アカツキを君に殺させる訳にはいかないんだ」
アカツキの影から伸びた腕がメモリアの首を絞めて、空中に持ち上げる。
「やめ...ろ。やめろ、やめろやめろ!!」
「言ったろ、アカツキ。僕は君の命を優先すると」
駄目なんだ。メモリアを俺は今度こそ救って見せるって、そう誓ったんだ。
「アカツキ、昔の記憶が戻ってしまった弊害がそれだよ。その記憶はもう、君のものではない。今の君が思い出と言えるものではないんだ」
影は手を伸ばして、アカツキに告げる。
「―――これはまだ君が知らなくていいものだ」
アカツキの影から伸びた腕はメモリアの首を捻り、頭部と体が二つに別れる。
これは悪夢だ。そう、誰もこんな結果を望んでいなかった。
―――いいや、メモリアは望んでいた。自身の死を。
頭の中で誰かが叫び散らし、悲鳴を上げる。これは誰だ。このおぼろげな記憶は誰のものだ。
―――花畑で駆け回る、二人の少年。
あぁ...。なんて、綺麗なんだろう。
空に燦々と輝く太陽が花畑で遊んでいる双子を照らし続けている。
メモリアとの邂逅は、アカツキにとってはきっかけであった。自身の中に眠る力と、記憶を取り戻すための、大事な―――とても大事なきっかけだ。
意識が覚醒する。先程の赤に彩られた景色は消え去り、目を開けると、欠損した腕と足の感覚は無いものの、確かに生きている感触があった。
あの巨体の中は、それに見合った大きさの胃袋、つまりは消化器官があった。これが現実の景色、先程まで見ていたものは入り乱れていた精神の世界だ。
その精神の世界を統べていたメモリアはアカツキの目の前で殺された。いや、殺させてしまったのだ。
あの景色は紛れもなく本物で、あの時見た綺麗な景色も遠い昔にあった本物の光景だ。記憶が歪な状態でこじ開けられ、見なくてもいいものまで見てしまったのだろうか。
「違うよな、メモリア」
そうだ。あの記憶は思い出さなければいけない、大事な思い出だ。遥か昔の、メモリアを造り出した女神が望んだ正しい在り方。人々の思い出を残し続けるという、神器本来としての力だ。
神器は人を傷つけるために生まれたのではない。人々の願いや希望を守るために生まれたはずだ。
アカツキが立ち上がろうとした時、クルスタミナの胃袋で魔力に変換されないようにと覆っていた闇の球体が水のように溶ける。
「...そうか」
そこには青く光る水晶体のようなものが羅列しており、ドロドロに溶けた家屋などの残骸が転がっている。
神器との融合を果たしたことにより、物理法則も曖昧になってしまっているのだろう、確かに巨大だったとはいえ、ここまで大きな空間があの体の中に入っているとは思えない。
アカツキは食い千切られたはずの右腕を見る。そこには細長い闇のようなものが止血と、新たな腕としての機能を同時に果たしていた。
棒のように細い腕と、ねじ曲げれた足を覆う闇の鎧、既に痛みはなく、自由に動いていた。アカツキの心臓を補完したように、肉体も完全ではないとはいえ、多少の代用は効くのだろう。
「また、守られちまったな」
アカツキは細い腕でポリポリと頭を掻き、意を決したように上を向いて声を上げる。
「アニマ、俺に力を貸してくれ」
農業都市でアカツキ暴走のキーとなったであろう神器の名前を親しい口調で呼んでみる。すると、辺りの魔力塊である水晶が淡く輝き、色を徐々に失っていく。
そして、アカツキの近くで何かがモゾモゾと動きだし、頭上まで勢いよく飛び出したかと思うと、ゆっくりと落ちてくる。それをアカツキは左腕でキャッチすると、体の倦怠感が一瞬で消失し、体が思い通りに動くような感覚に陥る。
アカツキが体を取り戻すために奮闘し、ようやくの思いで破壊した神器、アニマパラトゥースはあの時のように柄のない刃で現出するのではなく、ユグドから渡された剣を媒体として辺りの魔力を吸い付くしてアカツキの下へと戻ってきた。
前のアカツキでは些細なことで暴走する危険を孕んでいた為、形としての権現を控えていたが、神器の力をより強く引き出すにはこうするしかないのだ。
それに、今のアカツキには危険と思われる神器を扱うだけの理由がある。
それは、家を、家族を奪われた人々がまた時間を掛けてもいいから日常に戻るまでの平穏を取り戻すためと、アカツキ自身が失ってしまったものを取り戻すためだ。
「んじゃ...行くか」
アカツキはその場で最後の戦いに向けての心構えと体が自由に動くかの確認する。
「よし」
やることはもう決まった。今度こそ、やるべきことをやるのだ。
.........。
先程から何かがおかしい。アカツキに傷つけられた肉体も再生が終わり、外傷などどこにも見当たらないのに、体が軋み、悲鳴を上げている。
最初は些細な違和感であった。だが、取るに足らないことだとそう思っていた。この学院都市を駆け回る足と、全てを破壊するための矛と牙と知恵の前ではこんな違和感など些細なものだと、そう思ってしまっていた。
人はそれを―――慢心と呼ぶ。
「ぁ―――...っ――――――きゅ?ば、ば、ギュアアあぁ゛アアァァァァ!!!」
クルスタミナの肉体と強固な水晶の外皮を突き破り、血に濡れたアカツキが腹を切り開きながら、外に飛び出す。
その目には揺るぎのない決意と、それを支えるための、奪った足と腕が存在していた。闇で出来た細長い棒のような腕だが、あれは確かに腕としての機能を果たしていた。
体のバランスを支え、動かないようにねじ曲げた足は闇で補強されていた。端から見れば満身創痍の状態だが、この俊敏な動きを見て、クルスタミナは確信する。
この人間は強くなっている。多くのことを抱え込んで、色んな事に悩みながら立っていた時とは大きく違う。
クルスタミナは地に着けた四足を用いて、アカツキが逃げた方向へ走り出す。口元から大きな水晶の牙が剥き出しになり、雄叫びを上げる。
今度こそ、立ち上がる気力すら残らないくらいに完膚無きまで叩きのめす。さっきとやることは変わらない。再生しきった体ならば、多少速くなったとはいえ、アカツキの動きにも付いていけるだろう。
今度は残った腕と足を奪い、最後には顔を食らってからアカツキの持つ神器の核たる心臓を食らってやろう。
やはり、クルスタミナは油断していた。多少なりとも動けるようになったとしか思っていないのだ。
クルスタミナに背中を見せて走っていたアカツキは途中で立ち止まり、くるりとクルスタミナの方へと体を向ける。
長い戦いで遂に狂ったのかとクルスタミナは思う。あのまま逃げていればいいものを、アカツキはこともあろうに立ち止まってしまった。
クルスタミナが大きな雄叫びを上げると、アカツキを貫かんとする水晶の柱がアカツキ目掛けて四方から飛び出し、アカツキの逃げ道を塞ぐように巨大な壁が生成される。
逃げ道は一ヶ所のみ、クルスタミナが接近してくる正面のみだ。
水晶柱を避けようと思えば、次の行動が一手遅れる。その時にはクルスタミナの牙と爪がアカツキを切り刻むだろう。
完全なる勝利のビジョン、クルスタミナの目には数秒先の景色が浮かんでいた。血を撒き散らしながら空へと投げ出されるアカツキの姿が。
―――だが、その景色は闇に塗りつぶされた。
クルスタミナの視界は突如としてシャットアウトする。何も映らない、ただそこに闇があるだけだ。
アカツキへの突撃を止め、クルスタミナは体のバランスを失いながら、大量の魔力を身に纏い、溜め込まれた魔力を一気に爆発させる。闇を払うように白い閃光と、とてつもない爆風がクルスタミナもろとも全てを吹き飛ばしていく。
だが、生物としての死を持たないクルスタミナにとって、自爆は最終手段ではなく、一種の攻撃手段でしかない。被害を被るのはアカツキのみ。
実際、その証拠としてアカツキの足だけがその場に残り、その他の部位は爆発に巻き込まれ、粉微塵になってしまったのだろう。
「――――――?」
だが、クルスタミナはその残された足の断面を見て、疑問を覚える。その足の断面はまるで鋭利な刃物で斬られたかのようなものだったからだ。
爆風に巻き込まれたのなら、その断面はぐちゃぐちゃでこんなに綺麗なはずがないのだから。
クルスタミナは慢心してしまった。一度は倒すことの出来た相手なら、次も相手にはならないないだろう。
―――それこそが、アカツキの待ち続けたその時だった。
「殺った」
アカツキの持つ刃が黒く光り、クルスタミナの右足を易々と切り飛ばし、体勢が崩れたところをアカツキの刃がクルスタミナの眼球を深々と貫いていき、脳へと到達する。
体中を凄まじい速度でアカツキに切り刻まれていき、感覚が次々と消失していき、残された左目はただ自身の体が切り刻まれていく光景を見ていた。
顔が胴体から剥がれ落ち、地面へ転がる。その魔獣が最後に見た光景は、雨雲から姿を現していく赤き太陽。
目が眩むほど、忌々しい程に輝く太陽であった。
残された頭部にアカツキは着地し、虚ろな瞳でこちらを見るクルスタミナを見下ろす。
顔と胴体が切り離されても、この生物は生きている。やはり、もうクルスタミナは人では無くなってしまったのだろう。
「精神世界の象徴である、メモリアは大きな欠損により一時的にその効力を弱めていた。お前の再生力にもそれは影響している。不死なる魔法、そんな反則的な魔法も、俺の持っている神器が無力化出来る」
クルスタミナはただこちらを見下ろして喋るアカツキを見ることしか出来ない。体の再生が一向に始まらないどころか、体から感覚が抜け落ちていく。
多くの記憶を経験に、知恵を身につけた今ならこの感覚が理解できる。これは、―――死だ。それは生物ならば誰もが抗うことの出来ない世界の法則。
「お前の体を満たしていた無限の魔力の核、それを外に出てくる時に破壊しておいたよ。あとは、お前が油断するようにわざわざ足を切り離しておいたんだ。ほんの僅かな時間、それを確保するためにな」
魔獣として世界を破壊するという意思のもと産み出された自我と肉体、人であった頃の記憶は持ち合わせてはいないはずだというのに、クルスタミナの思考が死という逃れられない恐怖に染まっていく。
―――知っている。この感覚をワタシは知っている。
「アア...ァァァ」
迫ってくる。死神の足音だ。その時は静かだが、確実にこちらに向かってくる。
「アア―――ア゛ア゛アア゛アアァ゛ァァァ!!!」
その恐怖から逃げるようにクルスタミナは声を上げる。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない
「―――これで、終わりだよ」
アカツキは不死の魔法を無力化する魔力をまとった剣の先をクルスタミナの頭部へ突き刺し、闇がクルスタミナの脳内を駆け回り、ぐちゃぐちゃに掻き乱していく。
形容しがたい壮絶な痛みに、クルスタミナは悲鳴を上げながら、絶命していく。最後にはか細い声を漏らしながら、残された左目をゆっくりと閉じていく。
「終わった...のか。ようやく、俺は......!」
今度こそ、クルスタミナの命を絶ちきってみせた。
そう、―――魔獣としてのクルスタミナの命を、だ。
「...え?」
あっけらかんとした声と共に、アカツキは自身の腹部に開いた真ん丸の穴を押さえる。
「ぶ...ば―――ぁ?」
大きな血の塊を吐き出して、アカツキは涙を流しながら地面に落ちていく。
「はぁ...。はぁ、やだ。やだ、ワシはぁ!まだぁぁぁあ!!!」
どういう原理だ。どういう理屈でクルスタミナは生きている。
アカツキの思考をフル回転させても、その答えは出ないままだ。あの不死性は魔法により実現されたもの、その魔法を無力化しながらクルスタミナの頭部を貫いたはずだ。
生きているはずがない。
生きていていいはずがない―――!
人としての原型、魔獣になる前に着ていた服のまま、クルスタミナはそこに立っていた。あの巨大な肉体は、肥大化したのではなく、鎧のようなものだとでも言うのだろうか。
あの頭部の中に、絶対に傷つけられないように守られながら生き長らえていたというのだろうか。
クルスタミナの瞳は赤く血走り、体には不穏に輝く青い紋様が浮かび上がっていた。
あの時、唯一残された人としての部位は頭部のみ。そこから、新たな肉体を再生したのだろうか?いや、それであればあの服を着ているはずがない。
「最初...から。俺は、偽物―――を?」
「―――えぇ。そうね。貴方は最初からクルスタミナの形をしただけの虚ろな肉体と死闘を繰り広げていた」
アカツキの背後から歩いてくるのは、農業都市、学院都市共に、全ての元凶たるジューグという女性。この女が、農業都市と、学院都市を狂わせたのだ。
「ジューグゥゥゥゥゥゥゥ!!!」
「あらあら、熱烈なラブコールをありがとう」
アカツキを嘲笑いながらジューグはクルスタミナの方へと近づいてく。
「素晴らしい戦果だったわ。人口魔獣による大規模な破壊。神たるものの断片の権現、遠い昔に封印された天使の出現、人の形をした堕天使、この都市で数千年に一度の災禍が連続して起こった。それが意味するのは神が創り出した法則の崩壊と、空間の混合。この都市では普通の世界ではあり得ないことが起こる、まさに、神の手が届かぬ楽園となったの」
ジューグは、目を赤く染め口元から涎を垂らして意味不明な単語を羅列するクルスタミナの頬に触れる。
「たった一度の敗北でこんなおもちゃを壊したくない。ようやく楽しくなってきたもの、この玩具にはもーっと踊ってもらわなくちゃ、つまらないでしょう?」
やはり、この女はアカツキの思っていた通りの下衆であった。他者の精神を造り出した肉体へと移すことにより、神器との深い融合を果たせるようにと。
「人の体が長時間、神器と融合すればその肉体は崩壊し、精神は神器に侵食されていく。この男とて、例外ではない。この哀れな男は、特別でも何でもないんだから」
そして、ジューグは甘い声でクルスタミナに囁く。
「―――殺しなさい、特別になるために」
ジューグの言葉を聞いたクルスタミナは目を大きく見開き、涎を垂らした口を大きく開けて、アカツキへと覚束ない足で近づいてく。
魔獣として戦っていた時の精神が入り乱れ、人を食らうことすら当たり前のようになってしまった。
何が欲しくて、こんな姿になってしまったのだろう。
答えは見つからないままだった。
クルスタミナは多くの物を持っていたはずだ。人とのコネクション、魔法の才能、学院都市の実質的な頂点に立ち、望むものは殆んど手に入れていたはずだ。
それなのに、精神は壊れるまで酷使され、人としての生き方すら忘れて、何を求めた代償がこんな悲惨なものなのだろう。
アカツキは近付いてくるクルスタミナの足音を聞きながら、空へと手を伸ばす。
「もう、誰も助けてくれないわよ。今頃、屋敷は陥落し、生き残りは誰一人として残っていない。貴方が守りたかった人達も、この世には残っていない。だから、連れていってあげるわ、仲間の所まで、ね」
きっと、この長い戦いに終止符を打つのは俺ではないと最初から分かっていた。散々、殺そうとして、でも、殺せなくて。俺に出来るのは最初からたった一つ。クルスタミナの足止めをすることだけだった。
「さようなら」
ようやく、全てが終わるのだ。
アカツキは苦しそうに笑って――――――。
「―――遅ぇよ、バカ野郎」
雲間から差し込む光を掴むようにアカツキは手を握る。それと同時に、アカツキを守るように光の球体が出現し、アカツキに触れようとしたクルスタミナを彼方へと吹き飛ばし、ジューグに向けて炎と氷の槍が降り注ぐ。
それを避けることなく、ジューグは黒い結界を張り、空から降り注ぐ無数の槍を防ぐ。
彼方へと吹き飛ばされたはずのクルスタミナといえば、300メートル程離れた場所で何かに縛られているように空中で停止していた。
「―――本当に、君には助けられたよ」
アカツキの手を伸ばしている先には、ボロボロのローブに身を包んだ小柄な少年と思わしき姿が、ゆっくりとアカツキの傍らへと降り立っていく。
「長い間、よく頑張ったね。今は少しだけ眠るといい」
アカツキの伸ばした腕を下ろして、少年らしき人物はアカツキに労いの言葉を掛けると、額に手を置き、アカツキを眠りにつかせた。その間にもジューグの身動きを奪うために空から無数の炎と氷の槍が降り注いでいた。
そして、周囲300メートルに張り巡らせた結界と、クルスタミナの体を縛る束縛の魔法は尚も続いている。
同時に多種の魔法を行使するだけの魔力を備え、それを完璧に制御するだけの実力の持ち主。
アカツキの傷跡を塞ぎ、腹に開けられた穴も少しずつ塞がっていく。人の肉体の再生、アオバにしか使えないはずの再生魔法も行使できる。
そんな人物は、この世界に一人しか存在しない。
「あら、虚無の大穴に落としたと思ったのに、どうしてこんなところに居るのかしらね。───学院都市理事長、イロアス・イスカヌーサ」
「落とされたさ。あの化け物の巣窟に。だけど、紛い物が億と来ようが、僕を殺すことは出来なかった。だから僕は待っていた。外部から道が繋げられるその時をね」
この都市を創設した偉大なる英雄の子孫であり、学院都市を統治する者。たとえ、誰に忘れ去られたとしても、学院都市の大地と深い関わりを持つ彼ならば、この都市の中に入れば誰にも負けることはないだろう。それこそ、その全貌が謎に包まれたジューグであっても。
「君はこの都市の空間、時間を曖昧にすることで、世界の法則そのものを狂わせようとしていたようだが、それは失敗だ。“この都市に綻びは存在しない”」
彼のその言葉と共に、気づかぬ内に所々に生じていた綻びが消えていく。度重なる尋常ならざる存在の現出により、世界から半歩ずれていた学院都市が確立される。
「他都市との交流の断絶は、そうしたのではなく、そうせざるを得なかっただけ。一部の実力者以外ではこの都市を認識することすら出来ないのだから。だからこそ、シヴァやバーサーカーは本腰を入れて介入することが出来なかった。彼らを取り仕切る教会がこの都市を認識出来なければ、彼らの言葉は虚言でしかないからね」
「ええ。そう思っていたのだけれど、思った以上にそこに転がる子が彼等に気に入られてしまったの。飾り物の老人さえ黙らせてれば、上手く行くと思っていたのだけれど」
「そうとも。彼らは過去の英雄の血が流れているだけで、その真価も発揮できない能無しさ。けれど、アカツキと、ユグドやワーティー、シーナとの間に絆と呼べるものが生まれてしまった。まさか、上の指示に反してまでこの都市に関わるなんて、君にとっては大誤算も良いところだった」
「残念、本当にね」と珍しく気を落とした声で喋るジューグは、ゆっくりと右手を空に掲げる。
「世界をめちゃくちゃに出来る機会は失ったけれど、―――この都市をめちゃくちゃにすることくらいは出来るわよ?」
ジューグの右腕から覗く青い紋様が輝き、クルスタミナに対してある言葉が投げ掛けられる。
「クルスタミナ、いつまで寝てるつもりかしら?貴方は私の所有物、私の大事な玩具、貴方の心は壊れたというのに、どうして体は人間のままなのかしら」
アカツキを守り抜く為に結界を幾重にも巡らせたイロアスは事の成り行きを見守ることしか出来ない。多くのことにリソースを割いている今、ジューグを止めることは不可能だと判断したのだろう。
クルスタミナの肉体が不自然に盛り上がり、あり得ない方向へと体が曲がっていく。
「貴方に命じます。今、この時を持って、化け物になりなさい、クルスタミナ。その四肢は大地を穿ち、その牙は多くの血を啜るでしょう」
絶対の命令は、クルスタミナに選択権を与えることなく、その体を異形の物へと形を変えていく。
「───神器による事象の書き換え。本来あったことすらねじ曲げてしまう程の影響力、遂に壊れてしまったのか、メモリア」
禍々しい魔力がジューグの手の中で形作られていく。漆黒に染まった杖から伸びる呪いはクルスタミナへと伝わっていき、新たなる生命を誕生させた。
「オオオォォォォォォォォォ―――――――――ッッッ!!」
これは偽の肉体ではなく、クルスタミナ本人のものだ。人間の形を失い、地に四足で立ち、大きな咆哮と共に、赤く光る目をイロアスへと向ける。
「さようなら、精々頑張りなさい。私はここでお別れよ」
ジューグはいとも容易く、イロアスの発動させた魔法を打ち消し、ゆったりとした足取りで逆方向へ歩いていく。
「何時でも抜け出せましたってことか。本当に――――――嫌になるな」
クルスタミナが動く前にその頭部は吹き荒れる風によって寸断され、四肢を極炎が包み込み、一瞬の内に焼失させる。
四肢と頭部を失い、力なく地面に倒れたクルスタミナの肉体、断面からは再生しようと肉が隆起していく。
「もう、そんな風になってしまっては僕でも人に戻すことは出来ないよ、だから、一思いに眠ってくれ。友よ」
最初に頭部を、次に右手と左足を優先して再生したクルスタミナは大きく跳躍し、アカツキの傍らに佇む小さな人間を噛み砕かんと迫る。
「君では、届かないよ」
イロアスが手をクルスタミナの方へと向けると、ここでようやく―――魔法が発動する。
クルスタミナの頭部を吹き飛ばした烈風も、四肢を奪った極炎も、無詠唱による魔法の発動の前に現れる予兆に過ぎないのだ。
その右手から炎と風が融合し、体を切り刻み、細切れにされた肉体を焼き尽くす業火が包み込んでいく。
最後に残っていたのは、人の形を保ったクルスタミナの残骸。あの巨体の大半を再生すら出来ないくらいに焼却し、死なない程度に殺してみせた。
最後の決着は、イロアスによる一方的な攻撃により―――幕を閉じた。