<終わらない絶望>
クルスタミナは真っ白な世界で目を覚ます。先程まで体を支配していた死の感覚は今も体中にこびりついて離れない。あれは明確な死。抗うことの出来ないこの世の理。
克服したのではなく、ただ壊れなかっただけであったのだ。あれが本物の死というのなら、道理で抗えないはずだ。あまりにも呆気なく最後は来るのだ、それは寝ているとき、起きている時でも関わらず突然死というものが来るかもしれない。
「あ...ぁあ」
頭を抑える。あの足音を聞いてから体が死の感覚を忘れてくれないのだ。考えたくないのに、頭が勝手に死を意識してしまう。体が小刻みに震える。とてつもない嘔吐感がこみ上げ、その場で崩れ落ちる。
知りたくなかった。あれが世界の終わり。クルスタミナという人物の明確な死。痛いなどという生半可なものではない。痛くないからこそ、怖いのだ。
「ワシはどうして...。やだ、死にたくない。...もう、戻りたくない」
何もない場所に突然扉が出現し、クルスタミナを包み込むようにに優しく、それでいてクルスタミナを現世に戻すための理不尽な腕が扉から伸びる。
「助けて...やだ!やだやだやだやだ!もう、戻りたく...!!」
『駄目でしょう?貴方がこんなところで死んでは』
扉に引きずり込まれるのを必死に抵抗するクルスタミナの前に一人の女性が現れる。
「じ...ジューグ様ァ!助け...、出して!ここから、拾い上げてぇ...!!」
『何を言ってるの?今更後戻りなんて出来るはずがないじゃない。ほら、貴方のことを呼んでるわよ』
扉の奥に目を向けると、そこには赤く光る目が無数に蠢いており、しきりにクルスタミナの名前を呼んでいる。
『どう?一時の快楽に付き合われた女達と、一時の裏切りにより命を落とした男達、全て貴方がしたことよ』
「ちが...違う!」
『違わない。貴方は最低最悪の人間で、自分のことしか考えていない人間の屑。貴方は現世で数えきれない罪を犯し、それをまだ償っていない。たった一度の死なんてものでは対価にならない。何度も死んではここに戻ってきて、もう一度彼らにより引き戻される』
終わらない死と生を繰り返す。クルスタミナが過去に犯してきた過ちは生半可なものでは済まされない。
『良かったじゃない。一度死んでも戻れるなんて、貴方は幸せ者よ?貴方のせいで殺された人達は、もう戻ってこれないんだから』
「あ...あぁ!アアアアアアアアアアア―――助けてぇぇぇぇぇ!!!」
こうして、クルスタミナは再び現世へ舞い戻る。その顔は恐怖でぐしゃぐしゃに歪み、再び足音を耳にする。だが、前回と違う点が一つあった。
「............」
一度目の死では目視することの出来なかった姿をクルスタミナは両の目で確認できたのだ。
「あ、あぁ...」
そこに立っていたのは一人の少年のものに他ならなかった。何もおかしいところなど無い。アカツキ本人に間違いはない、ないのた。それなのに、どうしてここまで違う。
「よぉ、さっきはちゃんと殺せたと思ったんだけどな」
「やめ...やめてください!来ないで...来るなぁ!!」
「―――ああ、そうか。お前には俺が化け物に見えるのか」
「助けて...やだ、やだぁ」
その瞳は怒りで赤々と光り、どす黒い殺意がクルスタミナに対して向けられる。クルスタミナはアカツキの顔を直視することすら許されない。
「―――色んなもんを見たよ。神器との共鳴ってやつか...。地獄を、絶望を、理不尽を、てめぇがしてきたゲロよりも汚ねぇことを俺は見たぞ」
アカツキの魔力が瞬間的に跳ね上がる。既に底を尽きていたアカツキにそれほどの魔力を分け与えたのはただ一つ。それはクルスタミナが握っている神器メモリアによる魔力の譲渡であった。
主を捨て、メモリアはクルスタミナが積み重ねてきた悪行をアカツキに見せ、二度と戻らぬ人々の無念を晴らす為に溜め込まれてきた魔力を渡したのだ。
「お前さ、地獄はいつから始まったとか考えてたよな。教えてやるよ」
アカツキの背後から伸びる黒い影が不規則に揺れ、巨大な闇が再度クルスタミナの視界を包み込んでいく。
「―――これからだ、生と死を繰り返して、私達に許しを請え」
右腕がひしゃげる、喉は潰れ、痛みで叫ぶことすら許されず体がガラスのように砕けていく。もう、戻れない。もう、帰れない。終わらない死と生をクルスタミナは体験し続ける。
「............ぁ?」
もう一度目を開くと目の前には巨大な門がそびえ立ち、その奥からたくさんの笑い声が響く。クルスタミナの哀れな姿を見て喜んでいるのだ。天罰が下ったと、ようやく我々の無念が晴らされると、どの声もクルスタミナをバカにするように笑っている。
一、十、百、千、一万、数えきれない。数えるには多すぎるほどの絶望を繰り返した。始まりは暗闇で、終わりは真っ白な世界で、扉からは亡者の手が伸びる。世界に戻らされては、終わりを繰り返す。
自我の崩壊により、廃人のように暗闇の世界を徘徊する。
「あ...ばぁ」
口の中から闇が溢れ、呼吸活動を奪われる。その場でもがき苦しむように暴れ、クルスタミナは最終的に自身の喉を風の刃で切り裂き、自害する。
鮮血が闇に飲まれていき、もう一度同じ景色の部屋へと連れ戻される。ただ、無限に思えるような繰り返しで今回だけは何か違っていた。
普通ならば目の前には巨大な門が存在し、その奥から伸びる腕がクルスタミナを現実へと引き戻すのだが、それは無くなっており代わりのように白い部屋の中心にテーブルと椅子が用意されていた。
「時間の流れすらねじ曲げてしまう暗黒の結界。通常の世界では適用されない力もあそこでは働いていた。総数にして86296回の死を味わったのよ、よく壊れなかったわね。そうして両の足で立っていることすら常人では出来ないでしょうに」
「あぇ?」
いつの間にか片方の椅子にはジューグが座っており、クルスタミナのボロボロになった姿を見て薄く微笑む。
「最高傑作よ。貴方はようやく私の壊れた人形になってくれた。残された自我も崩壊し、貴方の体からは生というものは奪われた!ありふれた死を何度も繰り返し、貴方は完成されたのよ」
「おぁぇ?」
「メモリアのリミッターを解除し、正真正銘の化け物として貴方を世界に放ちます。誰も止めることの出来ない最悪の化身にして、人の記憶が生み出した異形なる存在。最後のダンスを私に見せて頂戴?」
ジューグの伸ばした手がクルスタミナの額に触れると体がドロドロに溶けていく。虚ろな瞳は最後までジューグを見上げ、やがて真っ白な世界に赤黒い染みを残して、クルスタミナの残骸は消失した。
「こんなところで簡単に終わってもらっては困るわよ。本番はここからよ、学院都市の悲劇はここから始まる」
同時刻、屋敷を防衛していたリリーナ達の下に最悪のニュースが舞い込んでくる。
「......魔獣討伐に参加していた部隊の全滅を確認?あのミクって子までやられたの?」
「死んではいません。ですが、ラルースさんが運んできた頃には...。意識不明の重態、体の至るところには抉られた傷跡や、右腕は繋がってるのが不思議な程に、それこそ皮一枚で繋がっている状況です」
「あの化け物相手にそこまでやられるもんか、他に邪魔してくる奴が現れたんだろ?勿体ぶらずに、最後まで報告しなよ」
リリーナは積み上げられた死体の上に座っている。その隣で息を切らして虚ろな目をしているサラトが血に濡れて立っていた。
「あんたは屋敷で休んできな。その年でここまでやったんだ、大したもんだよ」
サラトの周囲にはリリーナの積み上げた死体の半分程の黒服達の死骸が転がっていた。
「それとあんまり考えすぎんな。こいつらは見てくれは人間だけの人形だ。あんたは人殺しじゃない、機械を壊した程度って思っときな」
「......はい」
右足を引きずってサラトは屋敷へと入っていく。それを見届けたリリーナは報告の男へ向き直る。
「単刀直入に聞く、何人だ」
「...目測にして、一万。魔獣を守るように周囲に配置されています。屋敷への進行はないと思われます。屋敷には更なる別動隊が派遣されるだろうとグラフォル隊長が予想されています」
「はっ...。都市一つ潰すくらい余裕ってわけか。いいさ、やってやろうじゃないか、ガキどもには下がってもらいな。屋敷の中にも戦える奴を残しておきたい。その代わり、グルキスに出てもらう」
「条件としては確実にナナさんの目に映らない場所での戦闘でしたが?」
「結界を二重にして外に出れないようにしておけば平気だろう。というか二重で足りるとも思わない、やっぱり三重で」
「了解しました。それではご健闘を祈ります」
男は屋敷の中へ連絡を回しに行く。リリーナは遠くで空を覆っている暗闇を見て目を細める。
「(アカツキ...。ちゃんと生きてなよ)」
師匠として剣を教えてしまったのだ。アカツキを他人と切り捨てることは出来なくなってしまった。誰かに自分の剣を教えるのは初めてだが、存外悪いものではなかった。
だからこそ、生きていてほしい。もっと教えるべきことはあるのだ。それに...。
(中途半端な私じゃ、完璧なあの人には届かない)
忘れることのない理不尽な剣技、刹那にして必殺の一振り。昔見たあの血に濡れた女性を忘れることなどリリーナには出来なかった。
強くあれ、正義を貫けとリリーナに説いたあのフードの女性の剣を私はまだ追っている。絶対にあの域まで届くことはないと知っておきながらも。
空を見やる。また、雨がポツリ、ポツリと降り始めてくる。
こんなことはもう御免だ。そもそも、何の罪もない子供達がどうして怯えなければいけない。今度こそ終わらせてやる、リリーナはそう決心して剣を握りしめる。
実のところ、リリーナの心配は杞憂に終わった。魔獣、屋敷の両方で黒服が現れるとなれば、勿論クルスタミナの手助けとしてアカツキの作り上げたテリトリーにもあの手この手で侵入してくるだろう。
だが、侵入してきた黒服の集団に手を下したのはアカツキではない。本来なら協力者であるクルスタミナは、奪われた魔力、失われた血肉を取り戻すために彼らを補食していた。
骨を噛み砕く音、血を啜り肉を咀嚼する音を頼りにアカツキはクルスタミナの姿を発見する。
「......」
声が出ない。思考が停止する。奪われた理性の代わりに見るなと本能が叫ぶ。
人のものとは思えない肉片の塊、内臓がそこかしこにばら蒔かれ、黒一色に染まる世界でそこだけが不自然に赤く彩られていた。
「クルスタミナ、待ってろよ。今―――殺してやる」
アカツキが冷徹な瞳で、血肉を貪るクルスタミナの頭部を切り落とす為に接近し、剣を振るう。それを本来なら人の関節では曲げれない角度で体を丸め、回避すると口から食べ残した肉片をアカツキの顔面目掛けて吐き出す。
それを剣を持っていない方の左手で払い、もう一度クルスタミナに攻撃を仕掛ける。
背筋が凍るような殺気に怯むこと無くクルスタミナは血で汚れた口を大きく開ける。―――そして。
「――――――――――――っ!!!」
アカツキの作り上げた闇の支配域を吹き飛ばす咆哮とそれによって引き起こされた暴風がアカツキを遠くへ吹き飛ばす。
鈍い痛みに耐えながら、瓦礫の中から身を起こす。ようやく夜が明けた頃だろうか、そう思っていると止んだかと思われた雨がポツリと頬に伝う。
空から地上へ目を戻すと、前方には頭を押さえて意味不明な言葉を並べ続け、体を黒い腕に飲み込まれていくクルスタミナの姿、周囲から無数の水晶柱が出現し、アカツキは呆然とその巨体を眺めていた。
......。
―――これは悪夢だ。この世は地獄だ。死は救済であり、生は苦しみを増やすだけの余計なものだ。
始まりなんて無ければ、終わりを知って怯えることも、人の目を気にすることも無かったのだ。
私は、ただ見てもらいたかった。自分を確立させる何かが欲しかった。
今後も世界に記されるような存在となり、死後の世界にもクルスタミナという人間が大きな存在として残るようなものになりたかった。
―――そして、その願いはようやく叶う。
名をクルスタミナ・ウルビテダ。
神器との異常融合により、理性の完全崩壊、無限なる肉体、醜悪の塊、人の記憶を我が物とし、他者が培ってきた経験や知識を用いて人を殺すだけを考えた化け物へと成り果てた、人類の敵対生物。
人間としての形も、唯一残っていた人であった面影も消え去り、その巨体からは無数の堕とし子を産み出していく。赤ん坊の鳴き声や老人の呻き声、青年や女性の奇怪な叫び声がクルスタミナの周りを包み込み、進行が始まる。
大きな瞳がアカツキを見下ろし、水晶の体から人の形をした結晶体を創造していく。クルスタミナが所持している人間達の記憶を埋め込んだ兵器達だ。
天使と魔獣と化け物と、学院都市を飲み込む戦禍はまだ終わりを見せることなく、災厄を撒き散らしていく。