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遥か彼方の浮遊都市  作者: しんら
続章【学院都市】
107/187

番外編 遥か彼方の平穏な日々

遠くでは今も終わらない終末の音が鳴り続けている。甲高いラッパのようなその音が聞こえたら最後、その地には終末の呪いが降り注ぐ。時に一万の槍、時に大量の魔獣による進行、またある土地では一夜にして住民の全員が謎の病気にかかり、翌朝には全員が白骨化した状態で発見される。


この世界には終末が蔓延している。それを止める手段など無く、その音が聞こえたらすぐに音が届かない場所へ逃げる。それが当たり前の終わってしまった世界。


数週間もすれば終末の音は消えることから、一度その土地を離れても戻ることが出来るが、魔獣によって荒らされれば一から都市を形成することになる。


しかし、また何ヵ月かすればその土地に終末の音が鳴り響く。二度、三度と同じ地で終末の音が鳴り響くと、次第に何ヵ月かに一回から何週間に一回、更には二日に一回など、終末の音が鳴り響く頻度が高くなることも報告されている。


終末の音によりもたらされた災いは土地を離れることなることだけではない。終末の音から逃げるために他都市へ向かう。何十万という人の数が一斉に移動する姿から、侵略しにきたのではないかとその都市の上層部は考え、逃げてきた避難民を例外無く殺すという残虐なことを行う。それにより、緊迫状態だった都市間の争いが各地で勃発し、終末の音による破滅ではなく、人と人による争いにより人類の殆どは死に絶えた。


私の大好きだったお兄ちゃんも都市間の争いを止める為にいち早く動きだし、最後まで人と人の争いをしているくらいなら、手を取り合い助け合えと訴え続け、最終的には教会により大勢の人の前であまりにも若すぎる年でこの世を去った。


それから百年、度重なる人と人の争いにより土地は枯れ、人は死に絶えた。


私はこの百年でたくさんの人の死を見届けた。

一番幸せに死を迎えることは出来たのは最後までお兄ちゃんの帰りを待ち続けていたクレアお姉ちゃんだった。


お兄ちゃんの分まで私が精一杯支えてあげて、最後には私の膝の上で幸せそうに眠っていった。


もうこの世界に私の知っている人は誰もいない。


それでも私は歩き続ける。お兄ちゃんが旅をしていたように、色々な都市を見て回ることにしたのだ。


......私の名前はアルフ。農業都市で生まれ、農業都市で育った人間。いや、百年という月日を生きてきた私は人間とは少しだけ違うのだろう。構造は殆ど同じだ。けれど、成長は17の時に終わり、外界に放出されることなく蓄えられた魔力による細胞の活性化により、衰えというものは無くなり、同時に多少の傷ならば何もしなくても数分で塞がる。


それでも致命傷を負えば死ぬのは当然であった。

一度魔獣に身体中を引き裂かれ、心臓を食い漁られたことがあった。その時に私は死にたくないと、心の底から願った。こんな苦しいだけの世界なのに、死ぬのが怖かったのだ。


だからお兄ちゃんは私に全部を渡してくれた。


強さと引き換えに、私は...。


「取り敢えずこれで三日は過ごせるかな」


多くの魔獣の血を吸ってきた柄のない刀、持ち手は赤黒い包帯で無造作に巻かれている。


「けどこの地域じゃ夜に出歩くのは危険みたい。明日からは夜の行動は控えないと」


私は今までこの刃の手入れをしたことは一度もない。それにも関わらずこの刀は錆びることもなく、今も尚私に力を貸してくれる。


「お兄ちゃん、今日もありがとうございました」


この刀はあの死にたくないと願った瞬間、私の手のひらに握られていた。同時に刀から無数の影のようなものが伸びて辺りの魔獣を一掃し、アルフの食い漁られた心臓を修復し、アルフを生き長らえさせた。


アルフの体に溜め込まれた魔力により細胞の衰えは無くなり、致命傷を負っても神器が治してくれる。けど、痛いのは痛いからそんな無茶は滅多にしたことはない。


この二つにより、アルフは事実上の不老不死を得ることになる。


「今日はね、一人だけだけど生きている人に会えたよ。何でも家族を探してるんだって。けど、来た方角からして終末の音から逃げてきた人、多分あの人の子供も奥さんも死んじゃってるんだと思う。だけど、それを受け入れられないんだろうね。私だってお兄ちゃんはもう居ないんだって思うのにたーくさんの時間を掛けちゃったんだよ」


それにこの辺りは魔獣の群生地帯、きっと武器も持たずに歩いていたあの人は死んでしまっているだろう。助けるという選択肢もあるのだろうが、あの目は全てを諦めきっている目だった。


「お兄ちゃんなら、助けたのかな...」


この世界で生きたいと思えない人間は長くは生きられない。食料を調達するにも魔獣やら、盗賊やらに出くわす可能性がある。そうなったら食われるか玩具にされるかのどちらかだ。


それくらいこの世界は人が生きにくい場所になってしまった。アルフは特に死ぬという概念が無いので多少味が悪くても魔獣の肉を食べれば空腹は耐えられる。


そういえば、まだ説明したりないことがあったようだ。不老不死に近い体質のアルフでも痛みはあるし、腹も減る。それは身体的なことではなく精神的なことだからだ。


アルフの体の成長が止まったと同時に心の成長と止まり、百年という月日を今も17歳の気分で生きている。


「それって利点なのかな?だって手は汚したくないし、恥ずかしい格好もしたくない。でも、それってこの世界ではワガママなこと?だーめーだ。アルフはバカだから分かんないや」


この世界では生きれれば十分、それ以外を望む時間があるなら食料を調達し、最低限の衣服を作る方がよっぽど効率的だろう。


「......。寝よっか」


アルフは刃を何時でも手に取れる場所に置き、かつて人が住んでいたであろう民家で一夜を明かす。


ここらの地帯が魔獣の群生地であろうと、余程のことがない限り民家を破壊しになど来ない。魔獣の目的は人間を殺すだけであって、民家を破壊するのは逃げた人間を食い殺す為、物音を極力立てないように寝るのは慣れているアルフにとって夜は休息の時間であることに変わりはない。


―――しかし、その日は違った。


「うわああああああああ!!」


すぐ近くから聞こえてくる叫び声を聞いたアルフは刃を取り、ガラスの割れた窓から外の様子を伺う。


「あの人...。昼間にいた」


アルフは襲われている男を助けようと一歩踏み出そうとするが、かろうじて自分を律し、外で襲われている男が死ぬのを見届ける。


「どのみちあの量の魔獣相手にアルフじゃどうにも出来ない。今やるのは...」


アルフは最低限の手荷物を持ち、男の死体を食い漁る魔獣の群れとは逆方向へ走り出す。


この場に留まればこの土地を統べる魔獣と遭遇する危険性がある。魔獣の長と呼べる存在は人の死体を食い漁る魔獣の群れを餌とする。人間よりも同種を食らった方が力を得ることが出来るからだろう。なので、このまま民家にいれば魔獣の長と遭遇する危険がある。


迅速かつ、静かにこの場を立ち去ることが最善の策と言える。


「はっ、はっ」


長い間旅をしてきたアルフにとって数キロ程度の距離を走り続けることは容易いが、魔獣との遭遇は何としても避けなくてはいけない。特に群れで活動する特性のあるこの地帯の魔物に会うことは数の多さと、必ずとは言えないが現れる可能性のある魔獣の長には流石のアルフでも大変なのだろう。


「前、魔獣の群れか...。数は...百!?そんな、多すぎる。魔獣が活発化するのは人の出歩く朝のはず。こんな夜中に大移動を開始するなんて...」


本来魔獣が活動するのは早朝から昼にかけての、人が移動をしているであろう時間帯であり、夕方や夜には人の行き来が殆ど無くなるので、それを理解していてか魔獣は夕方と夜には活動をすることは無いのだ。


先程の魔獣の遭遇といい、この地帯の魔物の活動が他に比べて違いすぎる。


「......大きな魔力の反応はなし」


これにより、魔獣の長による完全なる統治が行われているという線は消える。ごく稀にだか知性をつけた魔獣により、ある地域一体が統治され、活動する時間も変則的で、本来はしないはずの家屋の破壊も行われていたことがある。


統治には決まって、魔獣の群れを監視する一際強い力を持つ魔獣が先導していた。


ならば...。


「そんな、ここで終末の音が響いたのは一週間前のはず。この地域は約3ヶ月に一回の頻度だったのに、いきなり?そんなこと...」


アルフの嫌な予感は的中する。


空が一瞬不規則に揺れ、地面が悲鳴を上げるように大きく揺れだす。


「終末の音...!」


魔獣は人間より鋭い感覚を持ち合わせているのだ。終末の音による被害は人だけでなく魔獣にまで及ぶとされており、魔獣の本能には抗うことの出来ない絶対的な何かに対する恐怖が植え付けられている。人のように考えることの出来ない魔獣だからこそ、本能のままに危険を察知する。


この大移動は終末の音の前兆、いち早く終末の音が鳴り響くことを察知した魔獣たちがこの場から一刻も早く逃げ出そうとしているのだ。


となれば...。


「あと数分で魔獣を食いに、長が来る。それまでに終末の音からも魔獣の大群からも逃げないと...」


魔獣達が逃げている道はこの都市を抜ける近道であり、こっそり後を付いていっても魔獣の長に発見される可能性が高い。となれば遠回りをしてでも魔獣の群れから逃げるべきなのだが、終末の音による災いが何になるか分からない。


土地を襲う災いが必ずしも前回のとは言えない。ランダムで降り注ぐ災いが決まり、今までに確認されていない災いが起こる可能性も十分にある。


片方に気を取られれば、もう片方に足を掬われる。


正真正銘最悪の状況と言ってもいい。


「荒療治になるけど、これが一番になりそうだね」


アルフは魔獣の群れを見渡せる高所へ登り、素早く魔力感知を開始する。


(後ろから同じように魔獣の群れ。けど、違う。左右には殆ど魔獣の気配なし、いや、一個体だけ変異しかけている魔獣がいる。前...)


「ビンゴ」


アルフの魔力感知に凄まじい力を持った個体が引っかかる。紛れもないこの地帯を力で我が物にした魔獣の長が自分の従える魔獣達と共に、魔獣の群れの逃げ先を塞いでいる。


魔獣の本能を知っているからこそ、待ち伏せという方法で確実に餌を得ようとしているのだろう。


「なら、やるしかないよね」


アルフは刀を強く握りしめ、心の中で祈る。


「(お兄ちゃん、アルフに力を貸してください)」


すると、アルフの周りにどろどろした闇が産み出され、アルフを守るように闇は体を覆っていく。


形成した闇により、アルフは人の姿ではなく魔獣のような四足歩行の姿を取る。


アルフが取った行動は単純なものだった。それでも、本能だけで動く魔獣にとっては有効的な選択だ。


「――――――――――――ッッッ!!!」


人のものとは思えない凄まじい咆哮と、体から大量の魔力と共に闇を辺りに吐き散らす。


アルフの咆哮により、統率の取れていた魔獣の群れは蜘蛛の子を散らしたように全速力で走りだす。


アルフの咆哮にはありったけの魔力を込められており、並みの魔獣なら敵わないと本能で理解し、こちらに立ち向かってくることなく逃げるだろう。


「大分数は減ったみたい。あとは魔獣の長がどう動くかだよね」


魔獣の群れの異変に気づいた長が自分の従える魔獣を分散させるか、通ってくる魔獣だけを狩るのかはアルフにも予想することは難しい。


「最低数だけでも減ってくれれば強行突破できるんだけど」


堅実に得られる魔物だけを選ぶ主義の魔物であれば、一匹たりとも逃がさないために従えている魔獣を散らすことはないが、量を欲している魔獣ならば、確実とは言えないが多く得られる方を選ぶのだろう。


バラバラに逃げだした魔獣の群れの内、右側に逸れた群れの方が多いことから量を取るなら右側に魔獣を向かわせるだろう。


「やることはやったから、あとは神様頼りになっちゃうなー」


アルフはこの終末の音が鳴り響く地帯から一刻も早く抜け出したい為、最短距離を突っ走ることになる。


「そろそろかな...」


魔獣達が一斉に逃げたしてから一分は経った。あのペースを保ったまま逃げてくれれば後十分もしないうちに魔獣の長とかち合うだろう。


その混乱の最中に乗じて逃げることが出来れば文句なし、それが出来ないようなら強行突破をするしかない。


アルフが下に降りようとした瞬間、異変は起こる。


「え...?」


アルフが瞬きをした瞬間、アルフがいた場所は自然が溢れる小高い丘に変わり、下には多くの人が行き交う町が広がっていた。


「そんな、早すぎる。まだ音が聞こえてから十分も経ってないのに」


この光景はある資料で目にしたことがある。それも。


―――百年前に記された資料に。


「早く逃げないと...!」


とにもかくにも今はこの場を離れることが最優先だ。予想することは出来ないと言われる終末の音による天変地異、それがどのようなものかを考えるくらいなら寂れた荒野を探しだし、そこに向かうのが最善策だ。


「おやおや、私共がこうして世界に生を受けた理由はこのようなことでしたか。全く、これだから世界は面白いのです」


アルフの背後から聞こえた声、それはこの異常事態を全て知っているからこそ言えるもの。


そして、この謎の男が言う理由は...。


「最悪...っ!」


「―――ええ。最悪でしょう。貴方は何も悪くない。しかし、私共が生を与えられた対価としてこれはやらねばならぬことでして」


男は仰々しい装飾の施された剣を抜き、アルフにその矛先を向ける。


「いやはや、貴方を最初に見つけたのが私でよかった。他の者に手を汚させる必要は無くなった」


やることはさっきと変わらない。死なない程度の傷は許容する。終末の音の影響が時間を戻すことならば、アルフの不死性が無かった頃に戻されているかもしれないのだ。


この都市でのみアルフの不死性が働かないのであれば、今のアルフはただの人間と言うことになる。


「剣を構えなさい。貴方を殺すのが私の役目であれども、無抵抗の女性を殺したくはない」

「なら、殺さなくてもいいんじゃないですか」


「いえいえ。やらねばこちらが消えてしまうので。なので、ここで死んでもらいたい。私達に与えられた役目はこの都市に踏み込んだ異邦人を発見次第殺すこと、それだけです」

「......分かりました」


「これはこれは。聡い御方で助かります」


アルフは突然逃げることをやめ、包帯で巻かれた刃を構える。

そしてついさっき魔獣を威嚇した時のようにどろどろとした闇を産み出し、服の中に生半可な攻撃では壊れないように硬化させた闇を忍ばせる。


それと同様に利き手である右腕を落とされないように闇で一部だけ闇で作り出した鎧を纏う。


「遠慮はなさらないように」

「はい。全力で行かせてもらいます」


アルフが出来るのはここまで。アカツキのように闇で作り出した形に自我を宿らせることなどは百年という歳月を経ても尚アルフには不可能な芸当だ。


「では―――!」


男は律儀にアルフが万全の状態で戦えるようになるまで待ち続け、アルフが刃を構えるのを見ると先程までとは打って変わって凄まじい剣気を発しながら、怒濤の攻撃を仕掛けてくる。


男の攻撃は剣術と体術が合わさっており、アルフがまともに剣の鍛練を積んでいなければ数秒で首を跳ねられるか、首の骨を折られて決着はついていただろう。


防戦一方とはいえ、まだアルフが生きているのはこの百年で時間は余るほどあり、生きるには力が必要だったこともあり、剣を磨くのには十分過ぎる理由があった。


「まだ余裕が残っているようですね」

「守るだけですけど...ね!!」


男の剣撃をアルフは力強く押し返し、何とか隙を作ろうとする。


「甘い!」


カウンターを仕掛けようとしたアルフの足をさっと払い、バランスの崩れたアルフの心臓を貫こうと距離を詰めてくる。


「まだ...!」


アルフの体から闇が一滴地面に落ち、土を瞬く間に侵食し闇を広げ、アルフを守るように球状の壁を造り出す。


「なんと...!」


壁は男の攻撃から主を守ると、四方に槍を放出していき男を牽制する。


「変幻自在、素晴らしい力を持っているのですね」

「私のじゃないんですけどね」


アルフは闇のテリトリーを広げながら立ち回り、闇による攻撃に合わせて反撃を開始する。闇は時に守るための壁となり、時に攻撃するための武器となる。


多種多様な形の武器に変形する闇と、アルフ自身の剣術により防戦一方だった状況を見事打破し、このまま闇のテリトリーを広げていれば勝てるだろうという見込みも生まれてくる。


「殺さなければいけないのが貴方で助かった。そろそろ時間ですので、どうか私から逃げおおせて下さい」

「......やっぱり、貴方の意思で動いてるんじゃ無かったんですか」


男が言っていることは所々矛盾している。それは男の意思とは別の何かによって操られている、または何かの制約に縛られているということになる。


条件は先程言っていた通り、都市に居る異邦人を殺すこと。

そう、それだけなのだ。


例えばアルフが逃げたとしても、この男に何かしらの天罰が落ちる訳ではない。


だが、一度異邦人を発見した時には見逃すという選択など存在していない。


だから、殺そうという意思を持って戦うことが唯一の選択肢、それを破ればこの男は、いや、きっとこの男だけではないのだろう。自分だけの命ならばこの男は簡単に捨てることが出来るのだから。


その誰かを守るために男はアルフに剣を向ける。


「私は貴方を殺さなければいけないので追うことになるでしょう。ですが、壁を越えれば干渉することは出来ない。安全な道は水路!行きなさい!」


アルフは男に礼を「ありがとう」と礼を言ってからすぐそこに流れている水路へ飛び込み追跡を逃れるという状況を作るために男の周りを闇の壁で覆い、泳ぎだす。


「なるほど、これではあの異邦人を殺すことが出来ない。それに私、泳ぎは苦手ですので追うことは不可能です。ああ、これでは逃がしてしまう。頑張ったんですがね」


わざとらしく大袈裟な態度で悲観する男の下に巨大な剣を背負った一人の大男が現れる。


「ったく。言われた通り来てみればバカが一人じゃねえかよ」

「バカとは失敬な。私とてあの異邦人を殺そうと最善を尽くしたのですよ?」


「ああ、そうだな。殺すという意思は感じたが、実力の半分も出してねえじゃねえか。それが殺そうとしていないって見なされたらあの御方もてめぇも死んでたぞ?」

「それは確かに危険なことをした。ですが、こんな制限だらけの状況で本気を出せと言われてもやる気が出るはずがないでしょう?なら、今の状況ではあれが私の本気ですよ」


男は何を言ってんだとばかりに大きなため息をついて、来た道を戻っていく。


「おや?追わないのですか?」

「水路に逃げられたんじゃどこから逃げられたか分かんねぇだろ。それにこんな大剣を持ってたんじゃ泳げねぇよ」


「それはそうだ。いやはや、惜しいことをした」

「まじで胡散臭えな、てめぇ」


二人の男は与えられた役目を終えて丘を下り、町へ帰還する。

今回の終末の音による天変地異は滅びた都市が町並みもそのまま、人もそのままで再び蘇るというもので、終末の音が鳴り響く頻度、終末の音が鳴ってから天変地異が起きるまでの時間の短さに新しい事象、全てが予想外のことだったが、どうにか乗り切ることが出来たらしい。


「ぷはっ!」


アルフは何とか水路を泳ぎきり、この巨大な壁に覆われた都市の正門と思しき場所へ到着する。


「なあ、本当にこの都市に異邦人なんているのか?」

「知らねぇよ。だけど、あの人が言うんだ。間違いないさ」


「だけどよぉ、外は見た限り荒野じゃねえか。わざわざそんな場所に普通逃げるか?」

「だから、それも知らねぇって。俺らは見張りをしとけばいいんだよ」


正門には二人のひ弱そうな門兵と思われる男が怠そうに門番をしていた。


「けどよ。あり得るか?今は使われてねえ門に殆どの戦力を集中させてんだぞ?それに正門なんて一番分かりやすい場所に俺達だけって...」

「何でも異邦人は汚い手ばかりを使ってきたって聞いたぞ。だから、使われてない門から逃げる可能性が...」


アルフは最後まで聞き届けることなく正門に突撃し、思った通り貧弱だった門兵を気絶させ、正門から堂々と脱出する。


そして、門を出るときに。


「さっきのありがとうって言葉、取り消させて貰います!糸目のひょろひょろしてる人!」


ここには居ない誰かに向かって悪罵をついてから都市を後にする。



......相も変わらず外は見渡す限り何もない荒野で、人の営みなどとは無縁の場所だ。


都市に居たときには聞こえていなかった終末の音が未だに鳴り響いている。今回の出来事は全てが予想外だった。もしかしたら終末の音による天変地異はこれだけに収まらないかもしれないと思ったアルフは全速力で荒野を走り抜け、終末の音が届かぬ場所へ向かう。


道中、魔獣の死骸を大量に発見したが捕食されてから時間が経っているのと、魔力感知に何も引っ掛からなかったことから既に魔獣の長は離れていると推測できる。


「ああ、そんなに時間が経ってたんですか」


闇が世界を覆っていた時間は終わり、遠くには太陽が顔を出しつつあり、空を赤く染め上げていた。この数時間は本当に色んなことがあった。


今回は例外も例外、全てが普通では起きえないことだらけだった。休息を取るよりも先に調べなければいけないことが増え、アルフは休憩もそこそこに歩きだす。


進む先は今では滅びてしまった名前も知らない都市、しかしそこには太古から現在まで全ての事象を記した一冊の本がある。


アルフも一度目にしたことがあるのだが、そこに記載されている情報はあくまでも起きた現象だけ、その現象がどうして起きたのかなど真実は記されてはいない。


それでも、あの壁に囲まれた都市の外で起きていた異変も記されていることになる。それを判断材料に、終末の音の危険度を改めて再確認せねばならない。


あれは天災、止める手段は無くとも逃げることは出来る。今回のように不死性を奪い去る可能性のある天変地異が起これば調査どころではない。


「最低3日、寝ないで走り続ければ明日の夜には着くはず」


アルフは当たり前のように走って都市間を渡り歩いているが、これは並みの人間に出来ることではない。そもそも、都市間を渡り歩くなど、人間がやることではない。普通であれば馬車なり何なりで移動するものだ。


しかし、今のアルフでは馬車に乗るよりは自力で走った方が遥かに早く到着することが出来る。神器による身体強化と、衰えがないつまりは疲れを感じづらい性質があるからこその芸当だろう。


「早く服も着替えたいし、行こうかな」


名も知らない都市へ行く道中、何度か魔獣との遭遇はあったものの強い力を持った個体とは出会うことが無く、当初の予定通り出発してから役目1日で到着する。


辺りは他の都市と同じように廃墟と化したボロボロの民家が並んでいる。その中で唯一傷痕一つ見当たらない大聖堂と思われる場所へアルフは向かう。


「約一年ぶりなのに、何も変わらない。魔獣の進行もあったはずなのにここだけが未だに無事なんて...。やっぱり何かしら結界みたいなものが守ってるのかな」


魔法との親和性が高いアルフでも感知できない何かによってこの大聖堂は守られている。そう仮定しないとこの大聖堂が百年という月日を経ても尚元の形で在り続けるはずがない。


終末の音による被害はこの都市も例外ではなく、過去には大寒波、魔獣の進行などもあったという。その天変地異を受けても、この大聖堂は原型を留めている。


それに最も不可解なことがある。この大聖堂の地下に広がる世界の果てまで広がっているのかと錯覚してしまう程の本が収納された書庫、そこにある資料は今も尚更新され続けている。それこそ本が意思を持っているかのように。


アルフが探している本は誰かに移動されていなければこの書庫の一際目立つところに置かれた一冊の古ぼけた本、この本は外に持ち出すことは出来ず、世界で起きた事象全てを記した過去、現在、時には未来を記す全てが記された本。


「あった...」


書庫を歩いているとアルフの記憶通り、全てを記した本は煌々と輝く光に照らされ、どういう魔法かは分からないが宙を浮いた状態で置かれている。


この本があるからこの大聖堂は守られている、と思ってしまう程神々しい光に照らされている本の下へ向かうと、本は勝手にページを捲っていき、アルフの知りたい情報を記したページになると何も無かったかのように制止する。


「眩しいな...。もう少しだけ暗くしてくれませんか」


アルフが虚空を見つめながら呟くと、それに呼応したように本を照らしていた光は弱まっていく。


「ありがとうございます」


―――この書庫には意思がある。アルフがそう認識するようななったのは初めてこの本を発見した時だ。未だ原型を留めている大聖堂を初めて発見した時も驚いたものだが、それよりも驚いたのがアルフがある資料を探している時、「あーあ。もっと簡単に見つかればいいのにな」とぼやいた時、本棚が突然意思を持ったように動きだし、気がつくとアルフの前に探してた本がすぐ手の届く場所にあったのだ。


それから何度か書庫に探している本の詳細を話すと、本棚が再編成され、アルフの目の前にある本棚に知りたい情報が記された本が並んでいる。


それから何度かここを訪れ、ある時たまには書庫がどれ程広いのか確認しようと歩いてた時にこの全てを記した本を発見した。


最初はどう扱えばいいか迷ったものだ。何せ、今までちまちまと断片的に各地域のことを調べていたというのに、この本には世界の記録が事細かに記されているのだ。


だが、何度か本に触れている内に知りたい情報だけを切り取り、余分な情報を頭の中から除外するということが出来るようになり、この本を有効活用できるようになっていた。


「今回起きた現象は終末の音から逃げるために起きた魔獣の大進行、それにある区域が百年前の姿を取り戻すという時間、空間、両方に干渉した大規模なものであり、今後この規模の天変地異が多発すればいずれは百年前の惨劇、世界を舞台にした大戦争が再発もしくは現人類が滅ぼされる可能性が非常に高い...か」


確かにあの男が言っていたように、異邦人を殺さなければ彼等が消えてしまうのであれば、それが今を生きるには者であろうと過去の亡霊に殺されることになる。それが各地で多発すれば確かに人類は滅びてしまうだろう。


「今回のような事例が今後多発する確率はどれくらいなんだろう...」


ボソッとアルフが呟くと本はペラペラと捲れていき、ある事象が写真と共に記されたページが開かれる。


そこには昨夜と同じ時間帯に別の地域で起きた天変地異が記録されていた。時間帯も、起きた現象もアルフが体験したものと殆ど同じであった。ただ一つ違う点は迷い混んだ人間が首をギロチンで切られ、死亡したということだけ。


「.........」


珍しく写真が貼られており、そこには狂喜的に笑う民衆と、断頭台で涙を流しながらなぶられ、最後には首を落とされた家族と思われる男と女、そして子供の写真であった。


「こんなのが...。本当に神様のやることなの...!」


この世界の神は人間に呆れてしまったのだろうか。人間に期待しなくなってしまったのだろうか。世界を壊滅的な状況にまで追い詰め、更には必死に生きる人達を絶望させながら殺す。


余程のことをしなければここまで嫌われることはないだろう。


私達が何をした。ただ平穏を望んだお兄ちゃんが何をした。最後までお兄ちゃんの帰りを待ち続けたお姉ちゃんが何をした。誰にでも優しかった故郷の、農業都市の皆が何をしたというのだ。


「どうやったら...。こんな地獄が終わるの.....!!」


アルフの涙がポタリと本の上に落ちる。すると本を照らしていた光が急にその光量を増していき、辺りの本棚が円を描くように動きだし、アルフを中心として大きな魔方陣が浮かび上がる。


同時にアルフの頭のなかに機械的に淡々と話す声が響いてくる。それはまるで天から響き渡るように、地の底から響いてくるように、そんな分からないことだらけのことでも確かに分かることがある。


『未来を望む少女よ。知恵を授けよう。救うための術を与えよう。この悪夢を終わらせる為に、主の命に逆らい、真実をここ記す』


声の主はこの書庫そのものだ。思っていた通り、この書庫には意思があり、魂が宿っている。プログラムされたものではなく、自分で考え、結論を導き出している。


『この世界に絶望をもたらすものは世界の果て、こことは違う別次元といえる場所で人類が滅びるのを今も嗤いながら見ている。人が死ぬのを、争うのを、憎み会うのを邪悪な笑みを浮かべながら楽しそうに見ているのだ』


機械的に話す声にやがて熱が込められていく。それは人類を尊ぶように、今もこの地獄を楽しんでいる悪に対して怒っている。


『ここに全ての真実を記し、私はこの世界を去ろう。少女よ、どうか主が愛したこの世界を守ってくれないだろうか』


今まで新品同様だった本が端から焼けていき、書庫を覆っていた光は徐々に薄れていく。この声の言うとおり、アルフに全てを伝えた後、焼失してしまうのだろう。


なら―――


「私が、救います。この悪夢を全て終わらせて、またたくさんの人が笑い会える日々を取り戻して見せます」


『―――ああ。強き少女よ。感謝しよう、そしてすまない。私は記すことだけで限界だ。あの上位の存在を殺すには君に託す他ないのだ』

「任せてください。この地獄が終わるのなら私は戦います」


本が焼失する瞬間、アルフの答えに満足したように「ありがとう」と感謝の言葉を残して本はこの世界から焼失する。光が収まるとアルフの手には透明な球体が握られており、これが世界に終末を蔓延させた諸悪の根源が隠れている世界へ行くための片道切符であると理解する。


先程まで無限に広がっているかと思えた書庫は跡形もなく無くなっており、ただ膨大な空間だけが残されていた。



......それから3日、各地では予想通り戦争が起こり、今を生きる少数の人々と過去に生きた人々とが争っていた。最初はごく一部の地域でのみ活動できた過去の亡霊も次第に活動範囲を広げていき、侵略と虐殺を繰り返していた。


しかし、敵側であるはずの過去の都市の一部が離反、特に実力者揃いの都市の裏切りにより現人類が何とか持ちこたえられるという状況にまで好転出来たという。


アルフも参戦したいのは山々だが、この終わらぬ戦争に終止符を打つにはこの現象を起こしている存在を倒さねばならない。


アルフは全てを終わらせる前に懐かしい故郷へと帰還する。


もしかしたらここも戻っているかと思っていたが、魔獣による進行と災害により花は枯れ、この都市に必要不可欠だった湖も荒れた大地をさらけ出していた。


「...お姉ちゃん、ただいま」


何もない場所にポツンと立っているボロボロになった墓石の前に座り込んで、アルフは手を合わせる。


母が埋葬された墓地は魔獣の進行により、踏み荒らされ、掘り返され遺骨すらこの世界には残っていない。父はどこか遠くで死んでしまったのだろう。アルフを一人残して、両親は他界してしまった。


最後に残った家族と呼べる人はアカツキという大事な人を失っても悲しみを表に出さないで皆の前では笑顔で在り続けたクレアお姉ちゃんだった。


身寄りのないアルフを引き取り、各地を転々としてきたクレアも病気により、最後には始まりの地であった農業都市で息を引き取った。


「この百年間、たくさんのことがありました。楽しいことは少くて、辛くて、苦しいことばかりだったけど、それでも何とかやってこれたのはお姉ちゃん達との楽しい思い出があったからだよ」


本当に、本当に楽しかった記憶。アカツキと出会い、クレアと出会い、父親との再開、楽しい記憶はほんの少しだったがその少しの記憶が長い時を送るアルフにとって一番の支えとなった。


「そんな長い旅もようやく終わりそうです」


この地獄にやっと終止符を打てる。全ての元凶を殺すことで、人と人が憎み合い、殺し会う。そんな地獄がようやく終わりを迎える。


「もう、戻れないかもしれないけど」


アルフは手を合わせ、クレアが眠る墓前で決意を言葉にする。


「―――行ってきます!」


単純かつ明快な言葉、誰もいない荒れた大地にある墓石の前でアルフはこの世を支配した終末の全てに終止符を打つために透明な球体を割り、諸悪の根源、全てを知っている書庫曰く、上位の存在が隠れ蓑にしている世界へ移動する。


世界が切り替わる瞬間、アルフは懐かしい声をふと耳にする。もう百年も聞いていない大事な人の声を。


「行ってらっしゃい。アルフちゃん。頑張ってね」


果たしてあの声が本物なのか、幻聴になのかアルフには分からない。けれど、たとえどちらであろうとアルフはその声に答えなければいけない。


「―――うん!」


―――そして、アルフが存在する世界から、上位の存在が隠れている別次元の世界へ到達する。


辺り一面に広がる光景はあまりに異様、全てが白く塗りつぶされ、病的なまでに白い世界。


人の営みを感じさせない綺麗すぎる町並みと、ただそこにあるだけの家屋、噴水からは青すぎる水が溢れ、花、木々、全てが白くある世界で青という色はとても目立つ。


その白は雪でも、誰かがキャンパスをひっくり返したものでもない。この世界において白というものが最も清い心を表し、人間のような不純物を嫌悪しているかのように思えてしまう。


情熱も、憎しみも、愛情すらもこの世界においては不純なものであるかのように世界には白が溢れている。


「あーあ。あーあーあーあーあ!!ったくよぉ。もう少しだってのに、どうしておめぇらは待てねぇかねぇ!だけど、それがてめぇららしい!あー最高だぜぇ、最後まで俺を退屈させねぇなぁぁ!」


その白に包まれた世界で異様な程に目立つ赤い衣に身を包んだ男が一人、狂喜的にゲラゲラと笑いながら悶えている男が突如としてアルフの視界に入り込む。


「あなたは...?」

「名前?俺に!?まじでかよ!糞以下のてめぇらが俺に質問する権利なんてあると思ってんのかぁ!?やべーな、まじで面白すぎて腹が張り裂けそうだぜ!」


またも笑いだす男を見て、アルフは言葉が通じるような相手ではないと判断し、男から聞き出すよりも自分で考えて答えを導きだすことにする。


この白い世界において赤い衣を纏う男、その口ぶりからは終末の音により世界に破滅をもたらした者と考えるのが妥当だろう。


しかし、この男には世界規模の破滅を起こせるような力をどうしても感じとることができない。何らかの形で自身の力に制限をかけているとしたら話は別になるが、それでもアルフにはこの男がそんな大層なことが出来るとは思えない。


「あーあ。ったく、どこまでも愉快な連中だ!だからこそ、愉快痛快、大爆笑もんの殺しあいを見せてくれるんだよなぁ!」


少なくともこんなゲスな男の話をこれ以上聞く必要も、時間もない。


アルフは背負っていた刀を取り、闇を辺りに侵食させながら臨戦態勢に入る。


「.....なんの冗談だぁ?どうしててめぇがそれを持ってやがる」


アルフが刃を構えたその時、男が初めて嘲笑の表情を見せる。まるであり得ないものを見るように男はアルフの持つ刃をじっと見つめる。


「...ちっ。道理でこんな所に来れるわけだ。てめぇ...まだ生きてやがんのか」


同時に男から放たれる敵意と殺意が跳ね上がり、アルフ同様に目の前の敵を倒す為に臨戦態勢にはいる。男のを一言で表すのならば無、何も魔力感じないのに、その男からは明らかな力を感じる。


魔力とはまた違う次元の強さ、この世界には存在しない形の力、それがこの男には備わっている。


「確かに首を切り落としたはずなんだがなぁ...!」

「何を...言ってるの?」


男の言う言葉ににアルフは心当たりなどない、確かに何度か死にかけたこともあり、本当なら死んでいるであろう傷を負ったこともあった。しかし、男の言う「首を切り落とした」はこの百年間

で一度も無かったはずだが。


「そうか、おめぇは知らねぇんだな。その刃を。アカツキという男を。そいつが少なくともてめぇを主だと認めることがねぇということも」

「この刃はお兄ちゃんから貰った大切なもの。確かに私には出来ないこともあるけど、これのおかげでアルフは今を生きてるの」


男はアルフの言葉を最後まで聞くとますます分からないと言った顔でここには居ない誰かに悪態をつく。


「はっ。どこまでも化け物だな。ここまで歪んだ愛は流石の俺でも知らねぇよ」


アルフには男の言葉の意味が最後まで理解できない。それでも男がこれからアルフに情報を与えてはくれないだろうということは分かる。


男の体を覆うように赤い骨のようなものが出現し、同時に白一色だった世界に亀裂が入り始める。


『おや?もういいのかい?ここで僕が出てしまったら終わりだと思うが』


亀裂の入った向こう側から男とも女とも取れるよく分からない声が聞こえてくる。


「だからに決まってんだろが。さっさと終わらせんぞ!」


亀裂は更に広がっていき白い世界全てを一度崩壊させ、この世界本来の形、そしてその世界を統べる本来の王を誕生させる。


白一色だった世界は仮初めであり、本来の主が姿を現したことにより、この世界にも色と呼べるものが戻ってくる。


楽園のような花園、そして―――


「やれやれ、人使いの荒い...いや、違うな」


「―――天使使いの荒い人だ」


世界を統べる者は世界を統べるに相応しい力と形を取る。少なくとも歯向かうという意思すら抱かぬように。


ともあれ、この出現はアルフにとって絶望以外のものを与えることはなかった。


消えたはずの存在、本来居てはいけない存在、太古の昔に滅びた種族、世界にとって最大にして最悪の異分子。


「怯えているのか、それも当たり前だろう。所詮貧弱な種族、高位の存在には敵うことはない」


これならば世界を終わらせることも出来るだろう。何故なら天使と呼ばれる存在は人間がいくら鍛練を積み、悠久の時を捨て、全てを知り得た大賢者ですら遠く及ばない存在であり、人には到達できない域の存在。


全ての究極形、全知全能の存在。この世界において神にも匹敵する力を持つ、まさに高位の存在。


こんなものとかつての人類は共存していたというのか。その場にいるだけで既に魔力感知の限界を越え、この男とは違う圧倒的な力、分からない恐怖ではなく、この存在が起こしたと言えば考える間もなく全ての事象に納得できてしまう、絶対にして完全の強さ。


魂が、体が、アルフを構成する全てが絶対に動くなと警告している。この場を離れた瞬間、アルフという存在が世界から消失してしまうと。


「賢明な判断だ。君という存在は既にそこに固定されてしまった。そこだけが君を存在させられる空間、そこを動けば消えてしまうよ」


ここまで違うのか。実力だとかそういう次元ではなく、一歩踏み出すだけで一人の人間の小さな反抗は終わってしまう。


―――だが。


「おい、構えとけよ」

「どうしてだい?少なくとも僕の知る限り、人間という生き物は脆弱だが生には貪欲な生物だろう...?」

「そういう次元じゃねぇのはお互い様ってことだ。てめぇを殺すのはちと骨が折れるが、それだけのことをてめぇはしたぞ」


男は面倒そうに唾を吐き、アルフを、いや正確には。


この天使と同様にこの場に、この世界に存在するはずのない、確かにこの手で首を切り落としたはずの青年をじっと見つめていた。


「―――よくここまで頑張れたな、アルフ。この辛いだけの世界で百年も生きてこれた」


青年を、どうして?という顔で見上げているアルフの頭を優しく撫でてあの時と、百年間と同じように微笑む。


「お兄...ちゃん?」

「もう動いていいぞ。あの天使の束縛は解けたからな」


いつの間にか動くようになった体でアルフは百年間、クレアと同じように一度も忘れることのなかった人に思いっきり抱きつく。


暖かい。昔と同じように、家族を二度も失ったアルフを抱き締めてくれた時と同じ暖かさだ。


「まぁ、そうなるわな。てめぇがどんな手を使ったか知らねぇがその刃があるってことは、てめぇも生きてたってことだ。ったくよぉ、あの時は糞みてぇにつまんなかったぜぇ!―――アカツキィ!!」


「状況が状況だけに仕方が無かったんだよ。どちらにせよ、あそこで死ぬのは確定してたしな」

「そうだろうなぁ!首を切り落とした後は灰も残らねぇくらいグツグツに煮だったマグマに捨ててやったのによぉ!だからこそ、解せねぇ、アオバとかいう医者は死体が無けりゃあ蘇生は出来ねぇはずだかんなぁ!」


死体が跡形もなく燃えてしまったアカツキには魂の器となる肉体が無いのだ。それにも関わらずアカツキは当然のようにここに立っている。


「最後の抵抗、てめぇが殺した女神が最後に残した物。滅びるだけの世界を救うために、全部を引っくり返す為に用意したジョーカーだとよ」

「おもしれぇな。やっぱり最高だぁ!ぶっ殺す!今度こそ魂ごと燃やし尽くしてやらぁぁぁ!!」


「アルフ、まだ戦えるな。俺が出来るのは最低限のことだけ。あれを止めるのは今を生きるお前だ、それまで。―――見とけ」


アカツキへと一直線に突撃してくる男に向けて手を突き出すと、アルフの持っていた刃は宙を舞いながら本来の主であるアカツキの手に戻っていく。


本来の主の下へ戻るのを歓喜するように深い闇は更にその禍々しさを増していく。


「―――なぁ、お前は本当にこんな世界を愛せただろうか」


アカツキの体が闇に飲まれていく瞬間、悲しげに眼を瞑り言葉を発していた。アルフにはその言葉の意味がやはり分からない。しかし、悲しげに言うその表情からは同時に愛おしむよう優しさを感じた。


「来いやぁ!」

「言われなくても行ってやるよ」


アカツキから放たれる闇の斬撃と赤い衣を纏った男の咆哮が重なり、世界を救うための正真正銘最後の戦いが幕を開ける。



「逃げ、逃げ、逃げんじゃねぇぇぇ!!」


男から放たれる異質な力は目には見えないがその力は確実にあの天使に匹敵するのだろう。触れたものを全て粉々に粉砕し、空間をも歪める一撃、それを難なく捌くアカツキもまた同等、いや余裕を残している分、アカツキの方が優勢と言えるだろう。


「ようやく、お前のことを掴めてきたよ」

「逃げてばっかりのてめぇがかぁ!?」


アカツキは守ってばかりいた闇を展開させ、無数の鎖を形成する。四方から襲い来る闇の鎖によって男は束縛されるが、それすらも男は引きちぎってみせる。


「隙ぃ、見せてんじゃねぇぞ!」


突如男の戦闘スタイルが変わり、凄まじい速度でアカツキとの距離を詰め、初めて武器と呼べるものを手にする。


何の装飾もない剣、だがその剣からはアカツキの持つ刃と匹敵する何かを感じる。それを扱う男には似合わない光のオーラ、神速の剣技は瞬く間にアカツキの体を細切れに...


「似合わねぇよ。お前にその剣は」


神速という人間には防ぐことが到底不可能にも思える剣撃をアカツキは全て防ぎ、男の持っていた剣を弾いてみせる。


「調子に乗ってんじゃ...ねえぞぉ!!!」


男の怒りが頂点に達した時、男の体から全方位に向けて赤い雷が放出される。


地面を焼き焦がし、周囲の建物を破壊しながら尚も雷は止まる気配を見せない。


「......それもだろ」


アカツキは男の戦闘スタイルが変わる度に男に抱く嫌悪感が増していく。


「ケハハハハハハハ!!ぶっ壊れて、粉々にぃ、消えちまえぇ!」


今まで無差別に破壊してきた雷が意思を持ったようにその進行方向をアカツキへ変え、回避不可能なように全方位から向かってくる。


「ほぅ。これは興味深い、彼は死ぬのか」


今まで何も言わずに傍観してきた天使は突然アルフの隣で珍しい生き物を見たようにキラキラとした目でアカツキを見つめていた。


何時からそこに居たのか分からないが、今の天使からは不思議と先程までの恐怖を感じない。


「そんな不思議な顔をしないでほしいね。今は彼に命令されているんだよ、この勝負を邪魔するなってね。本当に愚かな主だよ、早く終わらせるなら僕を出すのが一番だろうに」


自分の力を最小限に抑えているのだろう。何せこれほどの存在となればそこに居るだけで驚異になり得るのだから。


「けど、いいものが見れそうだ」


天使の視線の先には―――


「やっと捕まえたぜぇ!このチキン野郎!!」


男によって首を絞められて苦しそうに呻くアカツキと、それを見て心底楽しそうに笑っている男がいた。


「あー最高だぁ!同じ奴を何回も殺すかとなんて滅多にねえからなぁ!」

「相変わらずギャアギャアうるせぇのな」


「この状況でそんな口を聞けるとでも―――!!」

「出来るよ。お前は絶対に殺す。文字通り、『命をかけて』な」


男は更に愉快そうに顔を歪めて、首を絞めるその手に力を込めていく。


アルフはそれでも助けにいこうとはしない。アカツキに言われた通り、見ているだけだ。それが、今の自分にとって唯一出来ることだから、見ているのだ。


青ざめていくアカツキの顔、苦しそうに呻く声と、痙攣し始める体、それらを一度も目を背けることなく見ている。


静かになった世界に骨が折れる音が確かに響き渡り、アカツキの体は何度目かの死を味わう。体が冷たくなっていき、魂が離れていくような脱力感。


そして―――


『おかえりなさい』


何度目かの、死の声を聞いた。


「何だぁ?」

「おやおや」

「え...?」


天使が造り出したであろう世界を深い闇が飲み込んでいき、辺りをどろどろとした闇が埋め尽くしていく。


同時にアルフにとって最早耳慣れた音が世界に鳴り響く。


甲高いラッパのような音、世界に終わりをもたらした厄災がこの世界でも起ころうとしているのだ。


「どうして...?」

「いわばこの音は警鐘だよ。世界規模の厄災が起きる時に、それを知らせる為に世界そのものが悲鳴を上げる。それが君らのいう終末の音の正体、これが無ければ君達人類は今頃絶滅してたはずなんだがね」


世界はアカツキが起こした闇の侵食を世界を破壊することが出来る厄災と判断し、警鐘を鳴らした。闇は世界を覆い、地面は深い闇に沈む。


「おもしれぇ、おもしれぇじゃねぇかぁ!アカツキィ!!」


その異常事態にも動じることなく、逆に男は笑ってみせた。この終末すら男にとっては些細なことだというのか。


何故この男が天使という高位の存在を従えることが出来たのかアルフはようやく気づく。


壊れている。人としての理性も、獣としての本能も全てが男には欠けている、もしくはそれを捨てることで人の更に先を行った生物になってしまったのかもしれない。


「あぁ...?」


空を見上げて笑っていたはずの男が自身の右腕を凝視する。

何かが右腕に触れたのだ。何かどろりとして、絶対に触れてはいけない何かに。


消失、自身の腕が一瞬の間で消失したのだ。


「クソがぁ...!んなことで止められっと思ってやがんのかぁぁぁぁぁ!!!」


ゴポゴポと消失した腕を再生させるために肉が隆起し、生々しい音が辺りに響く。


「おい!」

「何かな?」


「殺せ、そこにいる小娘を。もっとぶっ壊れたとこを見てぇからなぁ!」


アルフは咄嗟に戦闘体制に移ろうとするが、それよりも早く天使の束縛が発動する。存在するだけであらゆるものを『そこ』に固定する。


魔法のように詠唱することもなく、剣などの武器を構えるよりもそれは迅速に発動する。


「すまないね。主の命令だ、君にはここで...」


天使がアルフに近づこうとした瞬間、アルフを守るように黒い壁が出現し、同時に世界を侵食していた闇が一斉にその矛先を天使へ向ける。


斧、槍、剣、弓などのありとあらゆる形状の武器に姿を変えた闇はターゲット目掛けて放出される。


「そんなもので殺される僕じゃないさ」


天使の頭上に光の輪が現れ、背中からは巨大な翼が生え、天使本来の姿になると、空間、時間、全てを固定し、敵意を持って放たれた千の武器を消滅させる。


「やるかい、神にも匹敵する人間よ」


地面、空、世界を覆い尽くしたありとあらゆる闇から鎖が伸び、天使の身動きを奪うために射出される。


空を自由に翔る純白の天使と、触れたものを例外なく侵す途方もない闇、白と黒の舞踏が始まる。


「おいおい、俺のことを無視してんじゃあ...!」

「すると思うか?」


男の足元で声がすると、体が無数の手によって掴み上げられ町の中へ放り投げられる。といっても凄まじい速度で投げられたことにより男の体が悲鳴をあげるように軋む。


「ぐ...ぎょ...」


為す術なく、男は多くの民家を突き破り最終的にはアカツキによって用意されていた巨大な槍に突き刺さる。


下半身がボロリと崩れ、頭は伸びてきた腕によって百回転させられる。ぐしゃぐしゃになった紙のようにボロボロになった体は最早生命というものを感じさせない。


しかし、体だけが起き上がり失った部位を瞬く間に修復していく。


「ケハハハハハハハ!!おもし...れ...な!!」


男の体は再度捻られ、叩きつけられ、ミンチにされ、細かく切り刻まれていく。


それでもこの男の体は止まることなく再生されていく。

再生を重ねていくごとにその再生力は弱まるどころか更に速度を増していく。


終わることのない死と、尽きることのない笑い。本物の化け物はその形を異常再生により変えていく。体が所々隆起し、目は垂れ、口からは肉がごぼごぼと溢れる。


「じゃ...ら...く...せぇ!」


伸びてきた腕を増大した肉で包み込み、肉の防壁を周囲に作り出す。


男はアカツキの攻撃が薄い場所で再生をし、肉の防壁が機能している内に空で今も戦っている天使に命令を下す。


「一旦創り変えろ!このままじゃあジリ貧だぁ!!」


「―――了解した」


天使の周囲に数百の球体が現れ、闇で造り出された槍や鎖などから主を守るための結界を張り、中で世界を創り変える魔法の詠唱が始まる。


その間もアカツキが産み出した闇の攻撃は止むことがなく、男と天使を侵食するためにありとあらゆる形に変化していく。


「まだかぁ!」


体の半分を闇に侵食されている男はその部分をいとも容易く焼き焦がし、新たな肉体に再生させる。アカツキによる攻撃は質より量、それも並大抵の数ではない。


「うざってぇ―――なぁ!!!」


男の咆哮は辺りの闇を吹き飛ばし、一時的に凄まじい量の攻撃を停止させる。しかし、それも数秒が限界。この闇は一分も時間を寄越してはくれないのだろう。


「数秒で十分―――!失せろやぁ!!」


男が地面に手を突き立て、剣を引き抜くようにそのまま上に突き出す。男の右手にはあまりにも白すぎる剣が握られており、男の笑みは更に凶悪なものになる。


「てめぇに使うのもったいねぇが...。しゃあねぇかぁ!」


その剣の一振りはありとあらゆるものを切り裂く一撃、無限に増大する闇もその一振りで消え去り、跡形もなく消滅させる―――はずなのだ。


「おいおい...。冗談じゃねえぞ―――」


男は全てを殺すことが出来る。何の例外もなく、だ。その力のおかげで現実世界の女神を殺し、世界を守る加護を消滅させた。その神を殺した一撃すら、この男は―――アカツキという男には何の意味も持たないというのか。


男の剣の一振りで消滅するはずの闇は尚も止まることを知らず、地面に流れる闇は既に下半身全てを飲み込む量となっていた。


「汚染された水よりひでぇぞ、てめぇの陰湿な闇はよぉ...」


この闇に触れている間、男の脳内には過去の記憶、それも自身が最も嫌う記憶、いわゆるトラウマというものを連続的に再生させられている。


およそ肉体的なありとあらゆる攻撃が効かない男でも、精神的な部分に障壁を張ることは出来ない。故に陰湿なのだ。この闇は守れないところを的確に突いてくる。


既に人として弱い部分は切り離したはずだ。それなのに、頭に響くこの声は、あの頃の記憶だ。


「××××だ。××××ね」


思い出すな。これは必要のない記憶。思い出す必要などない。弱い部分など自分にはない。そうだろう。これは―――


「隙ありだ、糞野郎」


頭に響く声に気を取られていた男の背中から声が聞こえ、同時に心臓に冷たい刃物が突き刺さり、体から力が抜けていく。


何故だと声を出すよりも早く男には死というものが待ち受けている。


「完璧だと思ったか?人よりも優れた存在だと思っていたのなら、それがお前の敗因だよ、じゃあな、神を殺した罰当たりな野郎」


「―――はっ。そういうことかよぉ...」


最後の最後にこんなことに気付くとは、自分の最大にして唯一の弱点に。だが、ここで死ぬのも悪くない。この後に待っている結末を考えれば―――


体の崩壊が始まる。足は崩れ落ち、腕は焼け、瞳は陥没し、舌が喉に絡み付く。


おおよそ、全ての死因を体験しながら男は最後まで笑い続ける。壊れた玩具のように笑い続ける男の崩壊を最後まで見届けたアカツキは気を失っているアルフの下へ駆け寄る。


「アルフ、起きろ」

「お兄...ちゃん?」


アルフが目を覚ますと闇が覆っていた空に巨大な光の輪が輝いており、その中心と思われる場所には涙を流していた天使がいた。


「―――やっと死んだんだね。安心して逝くといい。ここから先は―――」


アカツキは目を覚ましたばかりのアルフを微笑みながら抱きしめ、頭を優しく撫でる。


「アルフ、よく聞くんだ。絶対に諦めちゃいけないぞ。どんなことがあってもお兄ちゃんがずっと側にいるからな」

「お兄...ちゃん?」


もう一度、呼ぶ。そうしないと、消えてしまうような気がしたから。


「どうして笑ってるの...?」


問いかける。そうしないと、また離れてしまうような気がしたから。


「ダメ...行かないで」


手を伸ばす。もう離したくない。また、あの孤独な日々に戻りたくない。もう一人は―――嫌だ!


「アルフ、最後にお願いだよ。ちゃんと笑って生きてくれ」


最後にアカツキはアルフの額に自身の額を当てて、この百年で笑うことが無くなったアルフには眩しすぎる笑顔で大事な人の名前を呼ぶ。


アルフが得た力の代償はアルフが知らない所で払われていたのだ。苦しいだけの世界でどう笑えばいい。愛する人も、仲間と呼べる人もいない世界でどう生きればよかったのだ...。


「―――バイバイ」


別れの言葉はとてもありきたりなもので、本当に最後の別れとは思えない程現実味が無かった。


しかし、現実なのだ。


世界の修正が始まる。天使が望んだ世界、アルフが最初に来た時と同じような白すぎる世界だ。


白い。白い。


何もない。


―――全てが消えてしまった、空白の世界。


「...世界の修正に伴い、不純物は消え去る。それを彼は一手に引き受けた。ここまで残ったんだ、君には知る権利がある」


大切な人が抜け落ちた世界でアルフは空を見上げる。

世界を終わらせようとした天使ではなく、世界を造り出した新たな神の言葉を聞くことしか出来ない。


「ここはね、君らが住む世界からほんの少しずれた場所にあるんだよ。そもそも、世界を終わらせる為の魔法を発動させるには時間が必要なんだよ。だから、僕らはこの世界を利用させてもらった。反則みたいなものだよ、こちらからは君らの世界に干渉することができるけど、君らからこちらの世界に干渉することは出来ないからね」


そういうことだったのか。アルフ達の世界でも『知る』ことに特化した人々が居たのだ。それにも関わらず、終末の音の原因を突き止めることは叶わなかった。


当たり前だ。自分達の世界から少しずれた世界からの干渉など、分かるはずがない。


「仕方ないだろう?こうでもしないと、世界に蔓延る病原体を取り除くことが出来ないんだから」


足りない。アルフという人間を成り立たせる上で欠けてはいけない何かが欠落してしまった。


「...そうか。あまりにも抜け落ちた部分が大きかったのか」


―――足が動かない。どうして私はここにいる?何を守りたかったのだ。何もないこの世界で。人類?そんなものではない。そんなものよりもっと大切な何かがあったはずだ。


「彼は君の希望であり、夢であり、人生の全てだった。きっとそうなのだろうね。もう君には何もない。辛いだけの世界を生きる理由すらも」


新たな神の誕生を祝福するように世界に光が溢れていく。


「生きるのが辛いだろう。意味のない生に僕が終止符を打ってあげるよ」


創世神がアルフの方へ手を向けると、少女の体からこの百年という時を経ても、尽きることのなかった魔力が体から抜け落ちていく。


アルフの体から光が溢れ、同時に体から力が抜け、倦怠感が支配する。


「これで君はただの人間だ。どういう術でここまで魔力を溜め込んだのか分からないが、ようやく君の人生は幕を下ろす。さよならだよ、勇敢な少女よ」


創世神により、新たな世界と、新たな生物が創造されていく。アルフは膝から地面に崩れ落ち、生きる理由を失ってしまった世界の終末を見届けようとしていた。


「この世界を君らの世界として確立させる。要は上書きだよ。君らの世界に少しだけずれたこの世界を上書きすることによって、人類は消え去り、僕が創造した完璧な世界が実現される。さあ、始めようか。君の、世界の終焉を」


アルフの眼前にはおびただしい数の魔獣が創造されていく。それも、アルフの世界で増えすぎた結果、弱体化してしまった群れる魔獣ではない。


一体一体が強力な力を有する本来の魔獣、最早一人でどうにかなる規模の話ではない。圧倒的な敗北、そして敗北者に相応しい惨たらしい結末が待っているだろう。


「――――――ッ!!」


例えようのない咆哮が世界を満たし、一人の人間に無数の魔獣が群れていく。世界で最後の人類となってしまった人間の当たり前の結末。


腕を、足を、臓器を喰われ、ようやく終わらない人生に終止符が打たれる。


終わった。ようやく、辛いだけの人生に...


『アルフ、君は強い子だ』


終わりの間際、アルフは懐かしい声を聞く。いや、聞いてしまった。もう思い出す必要もないのに。


『そうさね。あんたは強い子だよ』


キュウスおばあちゃん。奴隷として売られていた私を買い取って、幸せな生活を送らせてくれた優しい人だ。忘れるはずもない。


『アルフは僕の自慢の妹だよ、二人だけの約束も覚えてるよね?』


ウズリカ...お兄ちゃんだ。二度も私を救ってくれた優しい人。一緒にお風呂に入ったりして、よく遊んでもらったけな。


『アルフちゃん、もう一人じゃないんだよ』


クレアお姉ちゃん。お父さんが居なくなってしまったあの日に私に手を指し伸ばして、泣いている私を抱きしめてくれた。


これが走馬灯というものか。楽しかった頃の記憶が止めどなく溢れてくる。


そうか。私は色んな人に迷惑をかけてきたんだ。どうしようもなく弱かったのだ。


だから、―――に憧れた。強かった、いや、強くあろうとしたあの人に。


「―――?」


思い出せない。思い出せないのだ。あんなにも憧れたのに。こんなにも想っているのに。


「―――どうしたんだ?アルフ、突然立ち止まって」


夢から覚めたようにアルフの意識は記憶の世界で覚醒する。

目の前には懐かしい故郷でよく遊んでいた公園に居て、後ろへ振り返るとそこには...。


「お兄ちゃん...?」


青年の顔は子供が鉛筆で書きなぐったように黒い何かに隠されていて分からないが、確かにアルフがお兄ちゃんと慕っていた誰かであることは分かった。


「頭、痛いのか?」


頭を押さえてお兄ちゃんと慕っていたその人を思い出そうとしていたアルフに手を差し伸べる。


「ううん。何でもない」

「そっか。んじゃ、クレアも待ってるから帰ろうな」


―――そうか、これが私が最後に体験する楽しかった頃の記憶か。


一番アルフにとって平凡で幸せだった時の記憶にも、欠落が存在していた。


目の前の優しい人は誰だろう。顔が隠れていて何も分からない。それなのに、いつの間にか差し伸べられていた手を取ってしまう。


「...ホントに大丈夫か?」

「あ、うん。大丈夫...です」


しどろもどろに答えるアルフの額に目の前の青年は手を置き、「熱でもあるのか?」と疑問を浮かべている。


「あれ...?」


懐かしい。最近この手を握ったように感じるのに、青年から伝わってくる暖かい熱が、大きな手が、全てが懐かしくて、忘れたくなくて、大切だった。


「お兄ちゃん...。お兄ちゃん...!お兄ちゃんっ...!」


気づいたらいつの間にかアルフは泣いていた。全てから消去されてしまったこの青年のことを思い出せるはずもないのに、お兄ちゃんと泣きじゃくり、手を握っていた。


「そっか...。やっぱダメだよな。アルフ、言ってごらん。俺が今どうなっているのか、大丈夫、怒らないからさ。この世界では話すことが一番重要だったりするだぜ」

「ずっと、ずっと思い出そうとしてるのに...。顔に黒い何かがあって思い出せないの。お兄ちゃんは誰なの?どうして、こんなにアルフは苦しいの?」


分からないことだらけだ、今までもそうだったし、今も何が起きているのか分からない。どうして、こんなに辛いのだ。どうして会いたいと思っていた誰かに会えたはずなのに、苦しいのだ。


「そっか。んじゃ、もう少し色んな所に行ってみるか。そしたら、多分俺の顔も思い出せると思うからさ」


青年の手に連れられ、アルフはまた他の記憶へと移動をする。


それから、どれくらいの時を、記憶を遡ったのだろう。


時には雲一つない星空に打ち上がる大きな花火を皆で笑いながら見ていた。


雪が降り積もる真冬の日には雪だるまを作ったり、子供対大人で雪合戦をして、手加減をしてくれていた大人の人達に大勝して、その日の夕食には大好きなものばかりを食べたっけな。


一年、また一年と、年月が経てば経つほど楽しいことが増えていって、15歳を過ぎる頃にはいつの間にかいつも側に居てくれる人から、いつまでも側に居ていて欲しい人に変わっていた。


私はその人を忘れたままで居たくない。もう、二度と忘れたくない。私の人生に光をくれたその人のことを。


アルフという一人の少女にたくさんの夢と思い出を与えてくれた優しくて、かっこよくて、いつも側に居てくれた人。


「やっと、やっとだよ。お兄ちゃん」


アルフが全てを思い出す頃にはアルフが長い間想い続けていた大好きな青年の姿は無くなっていた。


多分、これでいいのだろう。またあの人に会ってしまったらずっと一緒に居たいと思ってしまう。


...だからこれでいいのだ。


「行ってくるよ、アカツキお兄ちゃん」


アルフに全てを思い出させてくれたこの記憶の世界に感謝して、アルフは一歩踏み出す。歩く度に記憶の世界にヒビが入り、景色が崩れていく。


私は素晴らしい記憶を与えてくれた世界を何としても守り抜こう。


確かに辛いこともあるだろう。苦しくて、泣きたくなる時もたくさんあるだろう。


けれど、それを忘れるくらいたくさん笑えばいい。思い出は一生の宝物だ。たまに思い出してふふっと笑えればそれでいい。


アルフの決意と共に、―――記憶の世界は崩壊した。



...異変、なのだろう。


この新世界を創造した創造神は、魔獣により地上で貪られ喰われていたはずの少女の魔力が消えていないことに疑問を覚える。この疑問を晴らせないまま、新しい世界として上書きしてしまったら絶対に上手くいかないだろう。


確証はないのに、何故だかそう思えて仕方ならない。


だが、この状況でどうにか出来るとは思えない。不老の原因である異常と言えるまでに蓄えられていた魔力を奪い、不死を実現するために必要だった神器もアカツキと共に消え去った。


となればアルフという少女はただの人間であるはずだ。


―――一瞬、叫び声が聞こえた。


千を越える魔獣の中から確かに何かの叫び声が...。


「.........」


他にもまるで何かを齧り、飲み込むような音に、満足げにため息をつく声。


おかしい。やはり何かがおかしい。


新たに創造された魔獣は愚かな同種喰らいなどしないように設定してある。それならば、この咀嚼音はどう説明すれば...。


その時、創造神は目にした。千を越える魔獣の数が減っていることに、そして、アルフの体を喰らっていたであろう中心に居た魔獣の姿が見えないことにも気付く。


「本当に...これだから人間は侮れない」


ようやく疑問は確信へと変わり...


―――叫ぶ。


「殺せ!今すぐにそこにいる人間を!」


創造主の命令人間を従い、数は減ったがそれでも九百は下らない。今ならまだ間に合う、間に合わせなければまずい。



―――声を聞いた。


今まで聞いたことのない声だったが、不思議と恐れることはなかった。


『お疲れ様、よくここまで戻ってくることができたね』

「あなたは...?」


目の前にはぼんやりと漂う黒い球体があった、声の発生源はきっとこの球体が発しているのだろう。


「僕からは何も言えないよ。というか、本来なら僕はここに居てはいけないんだよ。君は『器』ではないのだからね」


記憶の世界から飛び出した先で初めての邂逅であったが、どうしてもこの球体からは初対面という気がしないアルフは疑問を隠せずにいた。


「けれど、僕がここに現れたということは正しい器だから、と無理矢理解釈させてみた。その結果、君はアカツキに次ぐ神器の保持者として認められた」


アルフの手にはいつの間にか刃が握られており、アルフの心臓と呼応するように黒く脈動していた。


「もうじき君の意識は現実に引き戻されるだろう。体の殆どを喰われた訳だけど、心臓は僕が守っておいた。再生は可能だよ。ほして、最後にアドバイス」


黒く輝く球体にヒビが入り始め、現実から聞こえているであろう魔獣の咆哮が微かに聞こえてくる。


「君は君だ。彼を追い続けるのはやめたほうがいい。―――君は君にしか出来ないことがあるんだから」

「私にしか...できないこと」


「そうだ。君はアルフ、彼はアカツキ。どれだけ君が努力してもアカツキにはなれない。それと同じように君の変わりは誰もいない」


―――世界で一人だけの、自分。


「後悔のない選択をすることだよ、僕から言えるのはこれだけだ。―――じゃあね、アルフ」


黒い球体は音もなく砕け散り、同時に体が引っ張られるような感覚に襲われる。きっと、戻ってこいと言っているのだろう。


これが本当に最後の戦いになるだろう。負ければ、世界が滅び、勝ってもボロボロになってしまった世界が元通りになるわけでもない。


それでも、人が生きていれば支えあい、またあの頃のように笑って平穏な日々を過ごせるような日が来るだろう。


「私は、守りたい」


アカツキが、クレアが、農業都市の皆が必死に守ろうとしたこの世界を他でもない自分の手で救いたいのだ。


もう、悩むことも泣くこともしない。これが私にしか出来ないことなのだから。


けれど、今の天使は世界を創造し、新たな神として君臨した存在。目が覚めた所で呆気なく殺されるのがオチだろう。


―――なら、足りない力は補えばいい。


魔力は奪われた。それでも、辺りには膨大な魔力を有した魔獣が密集しているではないか。


()()()()。今も昔も何も変わらない絶対の理だ。


千を越える魔獣を喰らい力を蓄える。それがこの状況で出来る最善の選択だ。魔獣から得た魔力が体にどんな影響を与えるかは分からないが、それでも生身で戦うよりは可能性がある。


―――それからはただ喰らい続けた。一匹、また一匹と魔力を蓄えているコアを貪り、噛み砕き、飲み込んだ。


魔獣のコアからの魔力の補給は普通の人間には到底不可能である。そもそも魔獣の血肉は人間にとっては猛毒であり、それを日常的に摂取していたアルフはきっと、初めて魔獣の肉を喰らったその日から人間では無くなっていたのだろう。


そう、構造は()()一緒なのだ。それでも人の姿を保てたのはアルフが喰らってきた魔獣の肉は群れることで弱体化してしまった魔獣だったことが人の姿を保てたの一番の要因だろう。


強すぎる魔獣から血肉や魔力を摂取すれば、当然不死身と言えるアルフの体にも異変が起きる。


―――最初は酷い飢餓感に襲われた。喰えども喰えども、満たされることのない空腹感に苛まれ、更に魔獣の魔力と肉を求めた。


百を越える魔獣を喰らい尽くす頃には体から伸びる闇がアルフの意思とは関係なしに無差別に魔獣を喰らっていた。


その光景を呆然と見つめていた創造神は何故このようなことになってしまったのか必死に思考していた。


力も希望も全て奪い去ったはずだ。それなのに、目の前の少女はどうして生きている。刃はアカツキの消滅と共に消え、不老を体現させていた魔力は奪った。


生きているはずがないのだ。


そう。―――普通の人間であれば、だが。


「与えられた不死とは別の何かが働いたのか...?」


だとすればそれは何だ。神器による不死とはまた別の不死性を持った何かがアルフにはある。一体それは...。


「ッ―――!!」


天空で傍観していた創造神の横を闇が通り抜けていき、その場から大きく離れると同時に先程までいた場所が闇に駆け抜けていく。


「なんだ...今のは」


人間の攻撃であれば恐れるに足らないはずだ。それなのに、体はあの闇を自身を滅ぼすに足る何かと判断し、反射的にその場を離れた。


「随分と手癖の悪い力を手に入れたようだ...」


―――あの闇は神を殺す。いや、アルフの欲望通りに喰らい続ける。

そして...。


「全く...。つくづく君には驚かされるよ、アルフ」


巨大な魔獣の死骸を喰らうアルフから発せられる魔力はアルフの体内で無害化されたものではなく、魔獣からそのまま奪ったかのような禍々しいもの。人の身では到底耐えられる量でも無ければ、魔力の性質も人とは遠くかけ離れている。


頭部にはないありとあらゆる音を聞き取る為に獣のような耳が生え、剥き出しになっている肌からは茶色い毛皮のようなもの、更には尾のようなものまで確認できる。


四足で魔獣から魔獣へと飛び移るその様はまさに獣。ただ喰らうことだけを目的とし、千を越える魔獣は既に過半数がコアの消滅によりしわしわに枯れ果てていた。


―――ぼんやりと映る景色は一面赤一色に染まっており、血塗られた体は今まで感じたことのない力に満ち溢れていた。


空を見上げる。こちらを凝視する天使の姿を確認し、手足に力を込める。跳ね飛ぶように体が天使の頭蓋を砕く為に空を翔る。


「そう簡単に僕をやれるとは思わないことだね」


アルフの目の前に青い結界が無数に張られ、頭蓋を砕かんとジャンプしたアルフを阻害しようとする。


人間とは比べ物にならない密度の魔力で造られた結界をアルフは難なく破っていき、その矛先が頭蓋を砕こうとした瞬間、時が止まったように世界が静止する。


「君の時間よりも僕の時間が早く過ぎるように設定した。これで如何に君が強靭な肉体を手に入れても僕には届かないよ」


空に暗雲が立ち込め、アルフ目掛けて黒雷が無数に降り注ぐ。オーバキルとも思える黒雷の連続と同時平行で焔の槍がアルフ目掛けて照射される。


「完膚なきまでに殺させて貰うよ。君に知性が戻る前にね」


体の半分以上を魔獣のそれへと変貌させた影響で今のアルフには知性と言えるものが無くなっている。獣が持つ本能だけで行動している今だからこそ、簡単にアルフを殺すことが出来るのだ。


焔と黒い雷が幻想的な雰囲気を作り出し、ただ一人の人間を殺すためにあり得ない量の魔力が一秒毎に消費され...。


ここで疑問が生まれる。確かに膨大な魔力を消費しているが、それにしても消えていく魔力が早すぎる。すぐに魔力が戻ってくるとは言え、供給がわずかに遅れている。


「まさか...!」


吸収されている。そうとしか考えられない。


気づいた時には地上へ降り注ぐ黒雷は闇に飲まれ、目に光を宿した一人の少女が立っていた。


―――これが最後の戦いになる。


ここまで魔獣の体に近づいては、もう人に戻ることは出来ない。元々化け物染みた体だったのだ、今さらそんなことを悲しむつもりはないのだけれど、少しだけ悲しい。


出来ることなら全部終わって、たくさんの人が求めた日常が戻った世界を眺めていたかった。


そして楽しかったあの頃を思い出してふふっと笑うのだ。


たくさんの人と出会い、たくさん遊んで、笑って、泣いた、あの幸福な日々を。―――取り戻すのだ。


「最後に聞こう、勇敢な人間よ。君の名前を」

「...私の名前はアルフ。今からあなたを殺す人間です」


アルフ...と噛み締めるように創造神は何回か名前を呼ぶ。


「僕の名前はアルスピア。かつては神罰を担当していた天使であり、君を殺す神の名前だ」


アルフは闇を辺りに生み出し、アルスピアは天空で焔と氷の槍を生み出していく。臨戦体制に入ったアルフとシズは同時に行動を開始する。


天空から降り注ぐ焔と氷の槍をアルフは闇で造り出した鎖と神器を持って対処し、一瞬の隙をついてカウンターを仕掛けるために闇を地上に満たしていく。


神器から伝わってくる力は今までとは比較ならないほど強大で、アルフだけで制御しきれるか分からない。それでも、不思議と体は軽く、何をどうすればいいか瞬時に判断できる。


考えるくらいなら体を動かせ。そう命じながら攻撃の半分を獣としての本能で回避し、人間としての知性で致命傷になる攻撃を防いでいく。


魔獣を喰らったことにより五感が研ぎ澄まされ、攻撃をどう回避すればいいかすぐに判断できる分、攻撃を受けずに済むのだが、獣としての本能に全てを預けてしまうとアルフという人格が抜け落ちてしまう。


「...ッ!」


天空から降り注ぐ槍とは別に世界を焼き焦がさんとする焔の球が空を覆い尽くし、地上目掛けて落下していく。


力を上手く使えば対処できるはずだ。しかし、考えるくらいならすぐに体を動かさないとこの量の攻撃を防ぎきることは出来ない。


ならば。


―――壊れないくらいにぶっ壊れろ!


アルフの体が弾けるように赤く燃え上がり、地上を覆う闇がそれに呼応するように赤黒くなっていく。


魔獣の魔力を自分のものとする際に何体かの魔獣の能力を一部分だけ吸収している。そのなかでこの状況で使える力を即座に選別し、アルフは行動を開始する。


「ガァァァァァァ!!!」


アルフが喰らってきた魔獣の死骸から生き残りと思われる魔獣が飛び出してくるが、アルフは刃を喉元に突き刺し、闇から生み出した槍と剣で魔獣をメッタ刺しにする。


アルフは何事もなかったかのように空を見上げると、闇で空に伸びる細い塔を数秒で創造する。


その塔を真上に登っていき、てっぺんに到達するとアルフは深呼吸をしてからゆっくりと瞳を閉じる。


体から魔力が漏れだし始めるとアルフは口を開き、空に向かって目を見開き、空間を歪ませる程の咆哮が放たれる。


「......すごいな、これは」


アルフの咆哮により地上に降り注いでいた焔の球は壊れた映像のようにザザザッとブレると、やがて音もなく収束し、小さな火の粉だけが空から降り注いでくる。


「見ましたよ」


攻撃を完全に無力化したアルフの瞳がアルスピアの姿を捉えると一瞬にしてその体が白く燃え上がり、同時に大きく跳躍したアルフの刃が振るわれるが、意にも介さない表情で燃え盛る体で回避すると、燃えたままでアルフの腹部に蹴りを食らわせる。


咄嗟に回避行動を取るものの、少しかすっただけでアルフの腹部が弾け、内臓が宙に舞う。


「落ちるのは君だけだ」


アルフの頭頂部に出現した雷を宿した大槌が何の躊躇もなく振るわれ、アルフの体はなす統べなく地面に叩きつけられ、連続的に雷がアルフ目掛けて落ちてくる。


焼死体のように焼け焦げた体も数秒で健康そのものに見える肌に戻り、焼けた服を補うように闇がアルフの体を包み込んでいく。


特製の鎧に身を包んだアルフはもう一度攻撃を仕掛けようとするが、アルスピアの姿が視界から消え、その瞬間アルフの体は風船が弾けたように爆発し、肉と血が地面を彩っていく。


「いくら再生が出来るとはいえ、永遠に体を吹き飛ばし続ければやがて限界が来るだろう?」


アルスピアの元々持っていた空間の固定で、アルフの体と魂はその場に固定され、弾けた体を再生するたびに肉体が固定された空間から遠ざかっていき、それに引っ張られた魂も幾度となく滅び続ける。


肉体的な死だけでなく、魂という一人の人間に与えられた一つしかないものでさえ、アルフは再生し続ける。最早人間とは大きくかけ離れてしまったのだろう。


「何も残らないくらいに焼いてしまえばいいか」


再生をつづける肉塊が燃え盛り、灰も残らないくらいの灼熱によってアルフの肉体は焼き尽くされる。


―――が。


「今更肉体的な死程度で死ぬわけないじゃないですか」


アルスピアのすぐ後ろから声が聞こえたかと思うと頭を掴まれ勢いよく地面に叩きつけられると地面から多種多様の武器が生成され、幾度となくアルスピアの体を突き破り、切り裂き、叩き潰していく。


「本当に面倒な力だ」


それすらもアルスピアの時間操作によって極限まで時間がゆっくりにされ、生成された武器が全て水のように溶けていく。


「このまま君の心臓を三回程吹き飛ばしてみようか」


アルスピアがアルフの方へ向き直った瞬間、首を狙い済ました斬撃が放たれる。神器によって首を撥ね飛ばされればただで済むとは思えなかったアルスピアは百を越える結界でその攻撃を防ぎきる。


「あと3枚...。よくもまあそんなに力が残っているね」


すぐさまその場を離れたアルスピアは空へ舞い上がり、地上へ手を向ける。


天使を象徴する光の輪と翼が巨大化し、その輝きを増していく。空中に描かれた魔方陣に膨大な量の魔力が集中し、世界を光が包み込んでいく。


その光は全てを等しく浄化するもので、不死という人間の理から外れた存在であるアルフを悪と定義することで、魂の欠片も残らないくらいに浄化しようとしているのだろう。


それを見上げるアルフの周りには光を飲み込む闇が産み出されていき、天空から降り注ぐ浄化の光を防ごうと一点に集中していく。


平等に降り注ぐ光を凝縮された闇が飲み込み、その闇を光は飲み込んでいく。光と闇が止めどなく生まれては吸収されを繰り返す。


「やはり拡散させては威力が落ちるね」


光が収縮し、小さな線のような閃光がアルフのすぐ横を掠めると地面に途方もない大穴を穿ち、闇が地底へと落ちていく。


大穴に落ちていくアルフに容赦なく凝縮された光が放たれるが、アルフは身をよじり、致命傷にならない程度で避ける。


―――まだ足りないというのか。


体の半分以上を魔獣に変異させ、人間だった頃のアルフでは到達出来ない極致に至ったはすだ。それでも、戦況はアルスピアに大きく傾いている。


『君にしか出来ないことがあるはずだよ。まだ君は彼を追いかけている』


頭の中に響いてくるのは現実へ引き戻される時に出会ったあの黒い球体のもので、まだアカツキを真似ているとアルフに言っている。


どうすればいい。もう出せる力の全ては出し切っている。これ以上魔獣に理性を預ければ制御できるとは思えない。


「まだ、私は追いかけている。お兄ちゃんを」


閃光が頬を掠め、脚を貫き、心臓を貫いていく。離れていく意識を無理矢理現実に縛り付け、思考する。


どうすれば自分は自分らしい戦いかたを出来るのか。勝てる可能性はどれだけあるのかを。


「アルフとしての、戦いかた」


アルフは目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をすると、決心したように目を見開く。


「解除」


魔獣の感覚も、神器の補助も全てを解除し、アルフはただの人間になることを選んだ。


「魔力が、消えた。というよりは弱めたのか?」


その異変にいち早く気付いたアルスピアはこの状況をチャンスと考えるのではなく、何かを仕掛けてくる前兆として捉え、光を弱めると魔力の補給を始める。


世界から魔力を回収しながらアルフの動向を探る。奈落に落ちていったアルフがどういった行動をしてくるのか...。


「...どういうことだ」


―――おかしい。確かにアルフが落ちていくのをこの目で確認したはずだ。それなのに、微弱な魔力すら奈落からは感じない。


「どこに...」


魔力感知を奈落から全方位に変更する。しかし、それでも人間でなくとも、どの生物でも持っている魔力を微塵も感じない。


「っ―――!!」


殺気を感じ取ったアルスピアは咄嗟に結界を展開する。


「上か!」


確実に結界の展開は間に合ったはずだ。しかし、その結界をアルフの持っているそれは切り裂き、アルスピアの右腕を切り落とす。


神器としての本来の形、刃だけの不完全だった神器はアルフの手によって剣としての形を得る。それによって神器の能力は大きく変質したのだ。


「成る程...。君なりに求めた力がそれか」


一人の少女が求めたのはどこでも使える万能の力ではない。アルフの覚悟が形になったようなもので、この場でしか使うことが出来ないのだ。


「世界の創造主を殺すことが出来る。逆に言えばそれしか出来ない。人を殺すことも、ましてや魔獣にすら害を与えることは出来ないだろう」


神をも殺すことが出来る人間の出現により世界が警鐘を鳴らす。甲高いそのラッパのような音が響き渡り、創造主に逃げろと世界が叫ぶ。


「逃げるわけ...ないだろう!!」


新しい腕の再生と、反撃の開始は同時だった。何十にも及ぶ光の輪が天空に出現し高密度の魔力を帯びた光がアルフ目掛けて放射される。


ほぼ永続的に放射される光の攻撃をアルフは的確に闇で飲み込み、剣で切り裂いていく。アルフの昇華させた神器は神を殺すことが出来る。それは同時に神によって作り出された生物、神による物理的、精神的、魔法なども全てを殺す、つまりは無効化出来るのだ。


「運動能力、咄嗟の判断力も人間のものじゃないね。魔獣と完璧に同化できたみたいでなによりだ」


凄まじい物量と質を持った攻撃をことごとく無効化しているアルフに驚きながらも、アルスピアは笑った。


正直アルスピアにはアルフがここまで戦えるとは思ってもいなかった。所詮は人間、たかが人間だったと侮っていた。


「これで終わりにしよう。僕が持てる全ての力を持って君と戦い、どちらかが死ぬまで戦い続けよう」


世界がまっさらな大地に姿を変え、世界を形作っていた魔力が全てアルスピアへと還元される。


「―――世界をここに」


世界が一瞬で収縮し、アルフとアルスピアを残し、全てが崩壊していく。創造された世界の崩壊と引き換えにアルスピアの手には膨大な魔力を含んだ雷の剣が握られていた。


「行くよ」


アルスピアの翼が広げられ、純白の羽が辺りに落ちていく。最後の一枚が地面に落ちると、睨み合っていた両者は同時に動きだし何一つない世界に剣と剣がぶつかり合う音が響く。


目視できない程の凄まじい連撃をアルフは身軽に避け、避けれない攻撃は剣で受け流していく、怒濤の攻撃はアルフにカウンターの隙すら与えない。


防戦一方になっているこの状況でアルフは魔力を周囲に拡散させ黒い爆発を起こす。アルフを中心として起きた突然の爆発により、攻撃の手を緩めたアルスピアにアルフは容赦なく剣を向け、今度は今までのお返しとばかりに反撃に出る。


「捕縛しろ」


アルスピアの言葉と共に何もない空間から鎖が出現し、アルフの体を捕縛するどころか何度も貫き、足が千切れる程に締め付ける。


「足を奪えば流石に動くことは出来ないだろう?」


アルフの肉体が再生する前に終わらせようとアルスピアは剣をアルフの首を切り落とす為に振るわれる。


「がぁ...!!」


その攻撃をアルフは歯で噛むことで防ぎ、首を切り落とすことを許さない。


「天罰」


雷で作られた剣が激しく光り、アルフの体に直接電流を流し込む。これでアルフの身動きを奪えたかと思ったが、即死レベルの電撃をくらっても尚、アルフが止まることはなかった。


「カ゛ラア゛ギでスヨ゛」


アルフの蹴りがアルスピアの顔面にクリーンヒットし、そのまま凄まじい速度で体をしならせながら逆の足で反対側に蹴りを放つ。


人間の膂力を遥かに越えたアルフの蹴りによりアルスピアの体は吹き飛ばされる。何とか体制を立て直そうとするが、背後にアルフが先回りしており、再生しきっていない腕の部分に手を突っ込み、神器を体内から生成し、翼を開き遥か上空に逃げ出そうとしたアルスピアの左足を切り落とす。


「まず一本、次は右手を貰います」


アルスピアは即座に再生しない左足の状態から、アルフの昇華させた神器の恐ろしさを改めて思い知らされる。


あの神器はまさにアルスピアを殺す為だけの武器、アルスピアの創造により生み出された能力は当然のこと、元々備わっていた再生機能すら殺して見せた。


「あはは、いいね」


自身の危機的状況にも関わらずアルスピアは笑う。ここで殺されてしまうことも十分にあり得るというのに、笑わずにはいられなかった。


「殺してみなよ!僕をさぁ!」


翼の輝きが増し、それに呼応するようにアルスピアの魔力が一気に跳ね上がる。


「言われなくても...!!」


アルフが剣を構えると同時に世界が静止する。しかし、それすらもアルフの昇華させた神器が自動的に無効化する。黒く輝いた神器が世界を正常に稼働させると、左右上下に生成された無数の雷の槍が放たれる。


「君の神器に時間を動かされる三秒の間で十万は生成出来るよ」


攻撃をするのではなく創ることだけに特化すれば数秒でアルフが避けられないぐらいの物量と質を兼ね合わせた雷の槍を生成することが出来る。しかし、それもアルフ目掛けて放つとなれば一秒のタイムラグが生じる為、その隙をアルフが待ってくれるはずがない。


だからこそ、破られると分かっていてもアルスピアは時間を止める必要があった。しかし、一度破られれば、同じ手は二度と効かない。今度、時間を停止させたとしても一秒足らずで破れるだろう。


だからこそ、これでアルフを一度殺しておく必要があった。肉体、それも体の大半を再生するとなれば、当然隙が生まれる。その間にアルフの不死を消し去る程の浄化魔法で魂がこちらに戻ってこれなくなるくらい消し飛ばす。


しかし、アルスピアの十万に及ぶ攻撃をアルフは凌いでみせた。魔獣としての本能を一時的に最大まで引き上げたことにより、あの量の攻撃を凌ぎきることが出来たが、それによる弊害か、魔獣化が著しく進行する。


目は猫のように鋭くなり、体の半分が魔獣の体毛に覆われる。常に心臓を締め付けられるような息苦しさを感じ、トンカチで何度も頭を砕かれるような頭痛など、人体に多大な影響を及ぼしていた。


「が...ぁ、やっぱり、キツいかな」


十万の攻撃を凌いでも尚、続くアルスピアの攻撃をアルフは苦しそうに呻きながらも対処していく。


「そろそろ、持ってかれる...」


このまま意識を手放せば、魔獣の方へ全て持っていかれる。そうなれば負けることは明確だ、アルフが今も生きていられるのは魔獣としての本能と、人間としての理性を場によって上手く使いこなしているからだ。


相手は世界を滅ぼし、新たな世界を創造した破壊と創造の神。アルフを真に殺す方法などいくつも持ち合わせているだろう。


ここで耐えきらないと今までの努力は何の意味もなくなる。アカツキが自分を守ってくれた意味すらも。


「どうして...なんて。聞いちゃ駄目だよね」


何故アルフを庇うようなことをしたのか。アルフが残るより力の使い方を知っているアカツキが残った方がこの戦いに勝利する確率は高かったはずだ。


こんな苦戦することもなく、アカツキならば...。


「駄目、駄目だ私!」


アカツキだから、ではない。今必要なのは―――


「―――私だから、出来るんだ!」


ここでうだうだと過ぎたことを言っていてもしょうがない。逆にここまでアルスピアを追い詰めれたのは自分だから出来たことだ。


剣をもう一度構える。力は殆ど残っていない。攻撃をもう避ける必要はない。このまま持久戦になればこちらが不利なのは目に見えている。


―――見逃すな、隙がないはずはない。相手だって少なからず疲労しているはずだ。隙がないように見えるのは隙を与える暇を攻撃で補っているからだ。


「.........」


上空で逃げてただ物量だけで攻撃してくるのは近接戦では敵わないと察したから。距離を詰めれればこちら側に軍配が上がる。


最後の力を振り絞り、魔獣の本能を全て受け入れる。それでも、考えるだけの理性を少しだけ残し、最大級のカウンターを決めるのだ。


「――――――見えた」


アルフを殺すために放たれた雷の間にアルスピアまでの道のりを見いだし、残った理性の全てを使って体に命令をする。


アルフの跳躍と共に細い闇が生成され、空中で方向転換をしながら凄まじい速度でアルスピアに接近する。


「分かっていたさ、君が持久戦を望まないことくらい。そして、必ずどこかで勝負に出るとね」


アルスピアの左手には空間を歪ませ、目視できないようにしていた槍が握られていることに直前でアルフは気づく、しかし、ここで引き返すことなど不可能だ。


あの槍に貫かれれば不死を持ったアルフでもただでは済まないというのは簡単に理解できる。ならば、やることは単純だった。


アルフが消滅するよりも先にアルスピアを殺す。首を跳ねるよりもより確実な場所を潰す。


「が、―――ふ...」


心臓を貫かれても、アルフは止まらない。死ぬことなど怖くないと言えば嘘になるが、誰もが当たり前に平穏を過ごせる世界を取り戻せればそれでいい。


苦しいこともある。楽しいこともあるし、悲しいこともある。それでいいのだ。誰もが幸せな世界なんて存在しない。


苦しいことを乗り越えて笑っていてほしい。

楽しかったら、たくさん笑ってほしい。

悲しいことは少し一人で泣いて心を晴れやかにして、また笑ってほしい。


―――それが私の、アルフの願いだ。


「あ、あああああああああああああああぁぁ!!!!」


叫ぶ。ただ叫びながらアルフは力を振り絞りアルスピアの魔力が蓄えられている魔力の核たるコアを貫く。


「―――よくやった。君の勝ちだよ」


人間であれば心臓部分に位置する場所を神器で貫くと、世界が一瞬停止し、その直後アルスピアのコアから魔力が放出される。世界を破壊することも、創造することも可能とする魔力が世界に返還される。


アルフがもう一度目を開くと目の前には最初来たときと同じ、一面白一色の世界が広がり、子供のように小さくなったアルスピアの姿があった。


「...お疲れ様、だね」

「ああ。そうだね、お疲れ様、アルフ」


アルスピアがてくてくとアルフの下へ歩きだし、近くのベンチにアルフを案内する。


「本当に、終わったんですか」

「そうとも。この光景も一時的なもので、僕の消滅と共に何も残らなくなる。それどころか、ここは存在しないことになる。ここは僕のせいで空間も時間もめちゃくちゃだからね」


度重なる世界の改変に、世界破滅規模の魔法の連発。それだけのことをすれば当然正常な世界を保つことが出来なくなる。そうなればここは消滅し、何もなかったことになる。


「最後に、話を聞いてはくれないだろうか」

「...はい」


足元から薄れていくアルスピアを見て、もう長くないのだとアルフは察する。最後くらいちゃんと話をしたかったのもあり、断る理由も必要もなかった。


「僕達は太古の昔、人と龍と共存していた。天使は人間に親身になり、限りある生命の人に愛情を注いだ。けれど、人間はとても欲深い生き物で、力を求め、終わることのない命を求めた。だから当然、人間には罰が必要になった。しかし、僕らの裁量だけではということでとても善良な人間が一人選ばれ、僕が彼と話をしながら神罰を行うのかを話し合うわけだ」


しかし、その善良な人間にも家庭があり、友人と言えるものも存在した。


「ある日、一人の女性が神罰の対象となった。彼女が犯した罪は誰が聞いても反吐が出るほどの悪事だった。若さを保ち、永遠に死なない命を求める為に友人を殺し、その血肉を啜った。友人が居なくなれば毎晩のように付近の住民を殺して回り、挙げ句の果てには我が子すらも...。当然、話し合う必要もなく僕は神罰を下すことにした」


その時だった。


「突然、彼はどうか、許してやってほしいと言った。理由を聞けば、その共食いを繰り返した女性の夫が、彼だった。もちろん僕は反対した。例え、妻と言えども罪は罪、それも到底許せるものではない。―――けれど、泣いて僕に縋る彼の頼みを僕は断れなかった。長い間共にいた彼に情が芽生えてしまったのだろうね。そして、彼とその妻を逃がし、僕は一人になった。数日後には僕が罪人を逃がしたことが露呈し、僕の後を継ぐ天使によって罰が与えられた。同種を殺すことを最も苦手とする天使が同種の天使に下す最も重い罰は何千年にも及ぶ封印だ。僕はそれを潔く受け入れ、長い時を狭苦しい封印の中で過ごした」


ふぅ...と一息ついてアルスピアはもう一度語りだす。


「けれど、ある日突然僕の封印は解かれた。君の大事なアカツキを一度目に殺した彼だよ。決して彼は僕に名を教えてはくれなかった。彼にとって僕は世界を滅ぼす為の道具であり、それ以外の必要性を持たないガラクタ。そう認識されていた」


「それからは虐殺の毎日だった。彼に命令されるがまま人を殺し、この、現実世界に最も近い平行した空間を発見するまで彼の命令を実効し、人間を殺し続けた。この世界を発見した彼は心底楽しそうに笑い、地上に終末を蔓延させることを僕に命令した。それからは君の知る通り、人と人とが争い、天変地異から逃げる地獄の始まりだよ」


だんだんと苦しそうに話すようになるアルスピアは大きく深呼吸をする。


「もうそろそろだね。後数分で僕は死ぬ」

「待ってください。どうしても、聞かないといけないことがあります」


「なんだい?」


アルフにはどうしても引っ掛かることがあった。それは...。


「どうして、あの世界を自分の都合のいい世界に書き換えなかったんですか?世界を支配するというは、世界の『当たり前』を決めることも出来たはずです。あの世界には自分以外の存在に力なんて必要ないと、そういう風に『当たり前』を作ればこんなことにはならなかったはずです」

「君はなかなかに小狡いことを考えるね。けど、そう...だね」


だんだんとアルスピア呼吸が荒々しくなっていき、体がぼんやりと薄くなっていく。


「―――ああ。そうか。多分、僕は死にたかったんだと...思う。っはぁ...」

「死にたかった?」

「僕は...。何の罪もない...人々をたくさん殺した」


ただ命令されるがままに大量の人間をこの手で殺したのだ。その命令は絶対のものではないというのに、殺して、殺して、殺した。


人を救い、仲間に封印されたというのに、誰も自分を助けようとはしなかった。そんな人間に価値はないと心の底で思っていたのだろうか。


「けど...。ちょっと考えてしまうんだ」


体から力が抜けていく。ぱたりと倒れそうになる体を支えてくれる人がいた。


「すまない...ね」

「大丈夫ですよ、最後まで側にいますから」


―――ああ、どこまでも優しい人間なのだろう。


人のために戦い、自分が死ぬことすら顧みない強い心を持ち、人のために泣ける優しい心も併せ持つ。濁ってしまった自分には今にも消えてしまいそうなほど眩しかった。


「例えば...。僕の封印を解いてくれた人が....。君みたいに―――優しい人だったら...な」


最後に手を伸ばし消えていくアルスピアを見届け、アルフは崩壊した世界で一人になる。


―――世界は救われた。仮初めの世界の崩壊とともに、現実世界に蔓延した終末を終わりを迎える。


「っ......」


ぽっかりと穴の空いた心臓部分を抑えてアルフはベンチに横になる。端から崩れていく世界を見ながら、瞳を閉じ...。



.........。


「...い。お...。おい!あんた!」


突然誰かに呼ばれた気がしてゆっくりと目が覚める。見るとそこには何もない荒野が広がり、目の前には心配そうにこちらを覗きこむ男の姿があり、遠くでは何やら男を呼ぶ子供と妻と思われる女性の姿があった。


「こんなとこで寝てたら獣どもに襲われちまうぞ!終末の音が世界で聞こえなくなったって言ってもあいつらは生き延びてんだ...って。あれ?」


男はアルフの胸に空いた大きな穴を見つけ、一瞬驚きながらも何かを察し、自分のローブをアルフに着せる。


「おとーさん?どうかしたのー?」

「いや。なんでもないよ」


子供と妻に気づかれないようにローブを着せた男はアルフを背負い立ち上がる。


「あんた。どっか行きたい場所はあるか?」

「そう...ですね。農業都市に...帰りたい...な」


「それならここから数分もしないとこだ」

「何もない...場所に。一つだけ、墓石...が」


「分かった」と言い、男が歩きだすとその後を妻と子供がついていく。


「あなた。その子はどうしたの?とても辛そうだけれど...」

「何でもないってさ。ただ歩き疲れただけらしい」

「おとーさん!私もおんぶしてー!」


アルフを背負う夫を心配してか、女性が子供を背中に乗せる。

すると上機嫌になった子供は鼻歌を歌いだす。


「お子さん、元気そうです...ね」

「ああ。終末の音が聞こえなくなってから一年経って、ようやく各地に人が戻ってきて、食料も少しだけど分けて貰えるようになったからな。俺達も故郷に帰る道中だったんだ」


アルフが戻ってきたのは一年後の世界、まだ魔獣も残っていて、荒れた大地が広がっているけれど、それでも確実に人と人との繋がりは戻ってきている。


「着いたよ。ここだろ?」

「ありが...とう」


たどり着いた場所は何もない場所にポツンとある墓石の前。


男はアルフを墓の前に下ろすと、腰に掛けていた革の水筒をアルフに渡しその場をそっと立ち去る。その後を上機嫌な子供と優しそうな母親がついていく。


「お姉ちゃん...。帰ってきた.....よ」


意識が虚ろになっていく。景色がぼんやりとなっていき、体から感覚が失われていく。


どんどん意識が闇の底に飲み込まれていき―――。


「アルフさん、アルフさん」


また自分を呼ぶ声が聞こえてアルフはもう一度目を開く。そこには紫の長髪で、美しい女性がアルフを覗きこんでいた。


頭には柔らかい感触があり、そこがこの美しい女性の膝の上だと判断するのに少しだけ時間を要した。そして、ここが俗に言うあの世だということも。


「私、最後までやれましたか」

「ええ。世界はあなたの手によって救われました。あと十年もすれば、当時のように人が行き交う都市に戻りますよ。そうなれば人にも信仰が戻り、私ももう一度女神として戻れるようになります」


「うん。...よかったです。本当に...。本当によかった...」


大粒の涙か一つ、また一つと瞳から溢れ落ちていく。泣きたいのを我慢して、ボロボロになるまで戦った証だろう。


「大丈夫ですよ。泣いたことは誰にも言いませんから。たくさん泣いてください」


優しい声が耳元で聞こえると、アルフは感情に身を任せ子供のように泣いて泣いて、泣きじゃくった。


数十分近く子供のように泣いたことにより、心がとても晴れやかになる。人の膝の上であんなに泣きじゃくって少し恥ずかしいが、それはまあ仕方ないだろう。


「ありがとうございました」

「いえいえ。気持ちが少しでも楽になったならそれでいいんですよ」


女神に手を引かれながらアルフは立ち上がり、白い扉の前に案内される。


「この先にアルフちゃんを待っている人達がいますよ。扉の外はちょっと暗いけど真っ直ぐ進むとその先に見慣れた屋敷があるはずです」


ドアがゆっくり開き、その先には真っ暗な道が続いていた。


「じゃあね、アルフちゃん」

「はい。ありがとうございました」


ドアが閉まると明かりが遮断され、真っ暗な世界をアルフは一人で歩きだす。


言われた通りに真っ直ぐ進んでいると草木の懐かしい匂いと、お菓子のような甘い匂いが漂ってくる。


「わ...!」


突然視界が鮮明になり、目の前にはかつて農業都市でアカツキ達と住んでいた懐かしい屋敷が一つ。


一生懸命屋敷に向かって走りだし、アルフは屋敷の扉の前に立つ。中からは楽しそうな声が聞こえてきて、聞いているだけで笑顔になりそうだ。


小さな体で精一杯背伸びをしてドアノブに手をかけて、ガチャリと捻る。すると、目の前には笑顔でアルフの帰りを待っていたクレアの姿があった。


「お帰りなさい、アルフちゃん」

「うん!」


クレアと手を繋ぎながら楽しそうに話をする声が聞こえる部屋へと向かう。


「皆さーん、アルフちゃんが帰ってきましたよー!」


中に入ると百年近く会っていなかった人達がアルフの帰りを待っていた。もちろん中にはアルフの父親であるグラフォルとニナの姿もある。


―――そして。


「お兄ちゃん!!」


世界一大好きなお兄ちゃんであるアカツキにジャンプして飛び付くと優しく受け止めてくれる。頭を撫でられて嬉しそうにするアルフを見て周りの大人達にも優しい笑みが溢れる。


「おかえり、アルフ」

「ただいま!お兄ちゃん!」


当たり前のような挨拶の言葉、これをするためにアルフは長い間戦ってきたのだ。当たり前程幸せで、大切なものはない。きっと、―――平穏な生活と当たり前の挨拶が世界で一番幸せなものだ。

※ここからは作者の雑談とかです。ストーリーとかちょちょいと説明する程度なので読んでも読まなくてもあまり差し障りないです。



はい。というわけで1ヶ月ちょい書き続けていたifストーリーです。アルフを主役としたものを書きたいと思っていたので書いてみましたが予想以上に大変でした。Twitterで言ってたんですが、何回かバッドエンドにしてしまいそうで何度も書き直してようやく終わらせることが出来ました!


最終的には四万字!こんなに一つのお話に時間をかけたのも、書いたのも人生初でした!


クリスマスに何か書こうかなぁと思っていて、実のところこれを一日で書こうとしてました。まぁ、そんなこと出来なくてこんなに時間をかけてしまったんですが!


一応登場キャラはあのよく笑う人とアルスピア、それに序盤に出てきた剣士を除けば本編のストーリで出ています。よく笑う人は本編で出そうと思っていたのですが、別のキャラクターを考えたのでボツにしました。アルスピアは今回限りってことで書き始めましたが、書いているうちにだんだんと気に入ってきたのでもしかしたら出すかもしれません。


この世界はアカツキの旅が短期間で終わり、その後農業都市でアルフ達と過ごしています。なので、旅を続けていく本編とは全く違う世界のお話です。


とまぁ、このくらいですね。最後まで読んでくださった方、ありがとう!


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