私、闘技場へとおもむく
さて、それでは早速栽培キットを作成してみようか。
この世界は中世ヨーロッパ風な風景にあったが、栽培キットはビニール袋に入っていた。
この辺りは運営サイドの手落ちか、はたまたユーザーの中に紙袋を知らない世代がいると配慮したものなのか、その辺りは判らない。
いや、中世ヨーロッパを背景としているなら、製紙技術はどうだったのか? 紙が高級品ならば、紙袋を作ることもできないだろう。
しかしここはゲームの中。ビニール袋の登場に対しては、ほんのり笑ってやるのが大人の対処と言えるだろう。
だからビニール袋の中から、印刷された文字の取扱い説明書が出てきても、ツッコミを入れる気にはならなかった。
では、取扱い説明書を読んでみよう。
① プランターの中に黒土を入れて均します。
② 指先ほどの深さに、付属の種を置いて埋めます。
指先ほどの深さと言っても、具体的にどのくらいの深さなのか?
しかし小学校に通っていた頃、朝顔や向日葵の栽培授業を経験しているので、指先の深さは指先の深さと納得する。
③ 土が湿る程度に水をかけて、一日(朝昼晩のリアルタイム三時間)置きます。
④ 魔法の草がポンと生えているので、薬局などに売りに行きましょう。
………説明は、これだけだった。
後にも先にも、これ以上の説明は無い。
えらく簡単な説明と、栽培方法だった。
………まあ、簡単であることに越したことは無い。
ただ、キットを包んでいたビニール袋には、六株用と書いてある。
そこでそこそこの間隔を空けて、実際に栽培を開始してみる。
のだが。
魔法の草の栽培キットは、すぐに完成してしまった。
これで良いのかと眺めていたが、黒土に変化は無い。
芽生えの気配が、まったくなかった。
仕方ない。次に何をするべきなのか、チユちゃんの手引き書に答えを求めることにする。
流すようにパラパラめくっていると、闘技場へのご案内という見出しに目が止まった。
目を落としてみる。
闘技場での演習………つまり戦闘行為は、銀貨や経験値やレベルを上げるのに最適です、とあった。
戦闘行為は得意ではない。しかし、私には魔法がある。もちろんドワーフには一発の破壊力と、打たれ強さがある。ヒューマンにはオールマイティな強みがある。ニンフ………この場合は妖精とか精霊とするのが正しいのだろう………には、魔族には無い神聖な強みがある。
それはわかるのだが、初心者の段階から魔法の面で優遇されているという、アドバンテージがあるのだ。
本来このゲームもバトルが売りなのだし、闘技場には参加するべきだと思う。
なお、演習参加にはチケットが必要です。チケットは初期段階で十六枚あり、消費したチケットは一時間に一枚ずつ回復していきます。
と書いてある。
何故、十六枚しか無いのか? そして一時間に一枚ずつ回復する理由とは?
運営が何を考えているのかよく分からなかったが、とりあえず闘技場へ向かうことにした。
ただ、私は闘技場の場所を知らない。そこで手引き書のマップに頼ることにする。
薬局を探すときには検索をかけたが、今回はその必要がなかった。
マップの中央、お城の傍らに赤く点滅する印がある。
闘技場とあった。
場所は中央区。細かい書き込みがびっしりある区域だ。
ちなみに私の拠点は西区。ここには魔族が多く住み着いているらしい。
北区はドワーフがメインで、東区はニンフたちが多い。少なくとも、マップにはそのように書き込まれている。ついでの話だが、中央区と南区はヒューマンが多い。
そんな訳で、闘技場へ。
外へ出ると人の波。その中をマップを眺めながら、闘技場を目指す。途中の町並みは、実は魔法道具屋と雑貨屋のような店ばかり。あるいは武器屋ばかり。この辺りもやはりゲーム故ということか。
変に飲食店があっても、飲み食いの味わいや栄養素は存在しない。あっても困る。睡眠状態に近い私の本体が、疑似情報の味わいや栄養素を、肉体が受け取ったと勘違いされるのは大変に困るのだ。そんなことになれば実体である私は、寝たきり廃人になってしまう。
窓辺に飾られた目玉商品をチラチラ眺めながら、闘技場に到着した。
コロシアムのようなすり鉢状。いや、球場のような形と言った方が良いだろうか?
とにかくここで、バトルに励むらしい。
受付のノボリが立つ窓口へと足を運ぶ。
受付嬢はショートカットの女性で、なかなかデキル女風。実に頼もしい容貌をしていた。しかも美人。
やはり働く女性というものは、こうでなくてはならない。
間違えても己の欲望のために初心者を騙し、魔法の草を買い叩くような腹黒メガネであってはいけないのである。
なにがいけないかと敢えて言うならば、初心者離れ等の憂いを訴えるものではない。
欲に溺れて計画性を見失い、後先考えぬ姿勢が醜悪なのだ。
人を騙すにも華麗さ、優雅さが必要で、この人に騙されたのなら仕方ない、と思わせてもらいたいものである。
子供だましな仕掛けなど、「私を馬鹿にしてるのかね?」と、気分を害するだけでしかない。
で、受付である。
「いらっしゃいませ、お客さま。本日はどのような御用件で?」
闘技場に来て食事を摂るとでも思うのかね? と言いかけたが、窓ガラスにメニューが浮かび上がった。
上から順番に、闘技者登録、闘技参加、ギルド戦、個人ランキング戦、ギルドランキング戦、イベント参加とあった。ただし、闘技者登録以外の項目はすべて、灯りが点っていない。
仕方ないので、指先で闘技者登録を突っついた。
「お客さま、闘技場は初めてですね?」
「えぇ、判らないことだらけです」
「それでは申し訳ありませんが、説明の項目にタッチしてください。
さきほどまでの項目欄に、新しく「説明」という項目が現れた。
「………これは、いちいち押さなければならないものなのかな?」
「大変申し訳ありません。この操作をしていただかなくては、私どもも先に進めないことになっておりますので」
規則。
これは無駄に存在するものではない。
市役所勤めの公務員なので、そのあたりは痛いほどわかる。
いやそれよりも、いちいち押さなければならないのかとイヤガラセのような質問をしてしまった、我が身を恥じてしまう。
この質問は無知蒙昧で視野の狭い、「俺かしこい!」とか叫んで悦に入っている、心弱き人びととなんら変わりがないではないか。
故に私は頭をさげる。
「つまらない質問でした、すみません。御説明願います」
そう言って、説明の項目にタッチした。
御来場ありがとうございました。